湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

傾聴する者の人間性の限界かなと思いつつ、実は調子が変

2009-11-05 09:13:56 | 引きこもり
どんなに自分が苦しくても、これだけは、お互いの信頼を失わせる言葉として発してはいけない言葉がある。傾聴を行う者は大概の場面でも、その言葉が、両刃の剣であることを知っているから、距離を調整して場面を切り替える知恵を身につけている。しかし、親御さんからの言葉には、案外キャパが浅いと、久々に思わされた。当人とは細い糸を失ってはいない。関係を維持するがために、昨日は傾聴を終えて、久々にダメージが残った。

こういうときは、案外つまらない事件をともなうものだ。ばたりと寝床に倒れたら、眼鏡のつるが突然はずれてしまった。その接続部のネジが無くなって、ちょうど今の自分と同じような状況になった。状況に飲み込まれてはならない。何とも大仰ではあるが、寝床に座り込んで、ゆっくりと息を整えた。

ネジはかき回さねば、それ以上はなくならないのだ。

私の右目はTV画面のラスターのような砂嵐と右中央部分の雲が、視野を塞いでいるので左目に頼るが、眼鏡はその左側がはずれてしまっていた。深夜、それ以上捜索に、騒々しい音を出すわけにもいかないので、本の山の間に毛布を敷いて横たわった。外出用の遠方が見える眼鏡を風呂場の湯気の中のような弱視の視野で、バッグの中から取り出し、一応の生還を果たし、仮眠をとった。

結局ネジは自分の傍らから突然現れ、常に所持している精密ドライバで復元できたものの、滑稽なことに気がついた。先ほどの出来事は、傾聴の未熟なほつれの始末だったのか、眼鏡の破損の問題だったのかという、あっさり悩みがずれている自分の状況の変容の軽さのことだった。眼鏡に救われたのだなと思いつつ、眼鏡ににいかに依存していたか、改めて知った。同時に、網膜色素変性症は片眼をつむっても、砂嵐は影響するということ。事故が起きなければ気が付かなかった。

------

こういうときは、やはりどこか自己調整弁がオーバーフローしている。父の3泊4日のショートステイを2泊3日と勘違いしていて、父の一日分の薬と着替えが足らないとホームから連絡を受けて、急遽ホームに不足分を届けることになった。眼鏡の修復が出来ていなかったら、更に眼鏡店に寄らなければならなかったろう。あとで同僚に話して笑われてしまった。眼鏡を複数本持っているのは常識だろうと。自分の不精が出てしまい赤面、なんの平常心なり。

ホームから相模大野に出て、本校の手続きを兎も角済ませて、大和経由で横浜へ。

時間が不足して、県立図書館で書籍の更新をする間が取れなかった。生涯学習センターは横浜駅西口からすぐの県民センターの中にある。そこでは更新が出来ないが、近場で返却することが出来るので、手放すのが困る書が一冊あったが返却した。石川町駅改札口で約束していた相手は携帯電話を持っていないので、時間調整がつかなかった。時間が迫っていたが、センター返却時に予約を入れておこうとしたところ、残念、予約ができないのだ。生涯学習センター返却は一時預かりで、正規の返却処理が、まだされていなかったのだった。

石川町駅にぎりぎりで到着し、相手を労働プラザに連れて行き仲介。

役割を一応終えて、その場で彼と別れ、寿町の「はまかぜ」を訪ねた。N君が気になっていた。残念ながらN君とは会うことが出来ず、元来た道を引き返していると、昔の「コロンブスアカデミー」の友人に出くわした。引きこもり青年たちの支援団体で、石川町駅の近くで「お好み焼き ころんぶす」というお店があるので、いても不思議ではなかったが、これほど長期間、会わなかったことがむしろ不思議だった。

ここでまたオーバーフローの影響がでていたのだ。私たちは関内側の、あるレストランで話し合った。しかしそれは脱線。寿町の「さなぎ達」さんに立ち寄り、N君との接触仲介を御願いしなければならない用を忘れていた。気がついたとき、私は横浜に戻っていた。出会った彼とはまた大船で再会を約束したが、やはりミスが多いし、調子が変なのだ。気付いたとき、「さなぎ達」さんの店舗はもう閉店時間を過ぎていた。

横浜ジョイナス側にいる古参販売員の方のところに立ち寄って、N君の消息を聞いた。彼はかんかんに怒っていた。N君は指定の場所の販売をあきらめて、この古参販売員の方の販売エリア内、販売場所近くの人の流れの上流で、勝手に販売をしていたのだった。古参販売員の方の売れ行きが落ち、ビッグイシュー支援のお馴染さんから、販売法の乱れに忠告が来ていた。彼は正規のIDカードや、帽子を身につけず販売をしていたということらしい。実際私もその状況に何回か出くわしているので、話に信憑性があった。N君への伝言を怒る販売員さんに託すわけにもいかず、そのまま茅ヶ崎に戻ってきてしまった。

父の宿泊不足分を届けた関係で、手持ちの尿取りパッドがなくなっていたので、ジャスコ内の薬局で補充をしようとして、またおかしなことが起きた。パッド端にずれ防止のついた商品がなくなっていた。父は頻繁に紙パンツを上げ下げする。この機能がついていないと、湿った尿取りパッドがあちこちに落ちて、また始末の騒ぎとなる。ところが薬局はそういう状態を想定していないから、より安価な商品に入れ替えてしまっていた。結局空ぶりでサポセンに…と思って、また気がついた。尿取りパッドをかついでサポセンに乗り込むのかと。やはり変なのである。

------

あすなろ会の定例会はOさん欠席で始まった。ところがそこに見たことがある青年が座っていた。Tさんから紹介があり、彼はビッグイシュー販売を希望して参加したEさんという新しい方だった。偉そうに会の目的やら、参加法を私は説明しながら、実は嬉しかった。この間、「マイクロファイナンスの効用」と「ワンコイン基金」の話をブログに紹介してから、アクセス数が150ほど急増していたから、あすなろ会の会の基本方針は社会のニーズに乗ったと実感した。Eさんはすでに東京事務所への申込みを済ませていた。Tさんの采配だった。

11/17の県立鶴嶺高校のボランティア活動の授業の路上生活者関連の分科会参加の生徒さんは30人に膨らんでいた。当事者の2人には、簡単な販売場所を明記した自己紹介の配布資料を作ってもらうことにした。N君とは会うことを再挑戦することに。Eさんは、11/16の茅ヶ崎の懇談会のとき、東京事務所の担当者の面談をすることになった。仮登録が済めば、ひと月ほどTさんのアシスタント的な販売研修を踏んで、IDカードが出れば路上に本番で立つ。まあ「あすなろ会」の活動は資金金策を除いて、まあ順調だ。

「わーく」で、これだけ協力場面が得られたらなと思いつつ、レトルトパックの箱の隅で袋の底が切れていた。破れかけの買物袋を抱えつつ帰宅した。何とも、最後まで私は「破れかけ」だったのだ。

------

賞味期限切れの2日前の話を付け加えておく。

大森海岸君(仮名)との話で、放送はなんでYouTubeを使わないのかという話が出た。問題はふたつあるのだ。

ひとつは、障碍者は差別にさらされているという現状は、やはり忘れてはならないということなのだ。だからプライバシーは、慎重にシステム的に守る必要があるのだ。やりすぎれば精気が失われる。SNSの導入やら、直接反映型を取らず、編集を通すことは、実名などが不用意に出てしまうことが考えられるからだった。

この点でとりあえずは、You Tube のように、画像置き場を託すという点で不安があること、それに配信型を取って、操作の容易さを狙うこと。配信記事にYou Tube へのリンクを貼ることは可能だが、データが溜まってきたときの管理運営がSNS内DB管理と比較して楽であるかということで、結論はペンディング。スライドショーなる古典的な配信法は配布ソフトを含んで考えるので、You Tube は、確かに考える余地はあることはあるのだが。

エプソンのフォトフレームにプリンタがついている製品が販売されている。カラーFAX配信的な用途に使えれば、操作が難しい当事者の方にもハードルが下がると思う。携帯を使える人は携帯を、PCを使えるひとはPCをと、ただその複数の配信形態に対しても、携帯ネットを中心に考えるという点はかわりない。

p.s. 「子どもの貧困白書」を借りてきた。親の事情が子の生育を制約する。引き継がれる貧困等、大きな問題が生まれてきている。ただ、この書の著者の中に、社会現象羅列と客観アンケート集計の手法で科学的に子ども状況がつかめると信じている牧歌的な方が入っている。自分という主観を棚上げにして論の根底を問わないので、この方の研究は信用していない。そんなことで、ちょっと本書の価値にひっかかりがあるのだが。

夜間傾聴:今回は表示をやめておきます。


(校正2回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする