湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

父を臨時のショートステイに追い出したところです

2009-11-14 15:24:57 | 引きこもり
今朝、父の兄弟が急性心不全で亡くなった。86歳だった。先方も年寄り夫婦だだけで住んでおり、私の従姉妹たちは他の家に嫁いでいて、そこから通いで老夫婦の面倒を見ていた。心臓にペースメーカーを埋め込んでいたが、妻が夜中にトイレに立ったとき、すでに息を引き取っていた。夜起きている我が家に電話が入ったのが3時前。我が家は昨日まで、母が胃切除した後遺症のダンピングの嘔吐で夜中じゅう苦しみ、その物音に気付いた父が「大丈夫か」と危うい足取りで階段を降りてきてしまう板ばさみ騒動があっただけに、皆疲れて、私以外は寝入っていた。急に気候が寒くなったせいかと母と話していたが、これはこれで、困った問題の種になりかねなかった。父が葬儀に行くと言い出すことだった。

直接の世話は娘夫婦たちがやることなので、私たちは急に飛び込んだ葬儀の通夜の手伝いに出ることにした。段取りが遅れたか斎場の関係か通夜は明日の日曜日となり、告別式は一日空けた火曜日となった。ここで困ったことが起きてきた。日曜日私は武蔵小金井の学芸大に早朝から16時まで行っており、母が通夜の応援に出るとなると、父がひとりになってしまうことだ。いくら早く戻っても帰宅が18時には、なってしまう。今回は私は抜けることが出来ないので、夜の明けるのを待ってケアマネさんと相談した。

父は便が溜まってくると機嫌が悪くなり、家に帰ると言って暴れるので、訪問看護師さんに、浣腸をかけてもらい、その条件の上で、臨時に今夜から2泊3日のショートステイを組んでもらったのだった。

しかし、父に理由を尋ねられたとき、そのままのことを言えば「葬儀に出る」が始まってしまう。父方の親戚とは、父の宗教をめぐって昔ひと波乱あって半絶交状態だった。だから父の出席は父の体調問題だけでなく、その関係も蒸し返すことになった。先方から電話が来たことで、一応許可が出たと判断し、母は通夜を、私は通夜(母の迎え)と告別式に出ることになった。ところが告別式は「友引」の月曜日を空けて、翌日の火曜日となったのだった。この時間帯、鶴嶺高校の講演会の時間なのだった。

私はゲンを担ぐ方ではないが、ビッグイシューの懇談会は前回、台風上陸で延期となった。今回は告別式である。サポチガ経由の情報では、季節性インフルエンザで学校閉鎖になった市内の小学校があり、鶴嶺高校も学級閉鎖が始まって、下手をすると参加者が激減するかもしれないという情報が入ったからだ。

昨日は、若松町のショップの開店日だった。覘きに行ったが、同じ記事にならべるのは、それこそゲンが悪い。別記事に改めて書き直すことにする。

ともあれ、これから寿町に出る。

コメント
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