湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

Tさん探し、やっと終了/「わーく」の基盤づくりを始めるのだが/父の危険行動を封じるために

2009-09-18 03:24:36 | 引きこもり
路上生活者のTさんと連絡が取れずに困っていた。Big Issue 誌新号の受け渡しである。同誌東京事務所経由で受取るために、発刊日1・15日は前日到着のものが当日到着と、一日遅れる。

今月は15日が小雨が降った。翌日は第三水曜日で茅ヶ崎サポセンが定休日だった。こうした偶然が重なってTさんはTさんなりに、雨天順延・突然の休みと私との合流ポイントに時刻どおり出向かなかった。

私は15日に配達を受け取り、当日Tさんを探し、翌日は明かりの消えたサポセンの前でTさんを待っていた。探しても彼は定位置にいない。ポルト湘南さんの施設のような場所にも、いない野宿者である。他の路上生活者の方に聞くと、Tさんは数十分の差で、すれ違っていた。路上生活の人は、責任ある伝言を嫌がる。だから足止めが出来ない。

こうして14~16日、銀行の入金確認によってTさんの動向をチェックしていた。路上の人たちは、飲食費に困るので、収入を得ても日が開くと仕入れ代金が目減りしてしまう。自転車操業である。このメールを書着始めたときも実は、やきもきしながら電話を待っていた。

こういう空転がある度に、事務所が欲しいと思う。合流点が可視化しないと、ひとと情報はなかなか集まらない。そこが機能していなければ、我が家が仮事務所になっているが機能しないように、役に立たない。私達が日常化している電話やインターネットなどのテレコムも、利用されない。いつもお互いをつないでいないから公衆電話を思いつかないのだ。

昨日、私は喉の治療を受けた後、壊れたXシリーズ携帯から、iPhone 3GS-16M にデータを移していた。OUTLOOK 形式のデータが欠けることなく移せる、かつ安い携帯を探してたどり着いたのがこの機種だった。

ところがMac系列はOS管理概念が違うので操作に戸惑う、戸惑う。またユーザ辞書の作り方がわからない。お気に入りを整理したくてもDelボタンがないので整理が付かない。テキストファイルも、上下左右の移動キーがないので(タッチペンを使えということか?)、文書編集が出来ない。タッチが敏感すぎて、誤変換のまま確定してしまう。ファイル転送も、メールも添付ファイルがわからない。困ってしまって、iPhone 3G用マニュアルを受信したが204ページもあって、プリントアウトする気にならない。Win.との流儀の違いだろうが、今だ携帯クラッシュのリハから出ることが出来ないままでいる。

携帯メール送信・テキスト文書作成の混乱があっては、ここしばらく外出してもお手上げである。操作箇所が少ないから、試行錯誤がしにくいのだ。

こんなことで、途中、確認を取らずにサポセンに行って、定休日とは。

サポセンの入口で竹村さんにも見えるように紙切れにメールを書いて挟み込んだ。字が汚いのがはっきり。我ながら悪筆は嫌になる。闇の中、小雨がちらつき始めていた。

------

「わーく」の実現を拒んでいるものは、提唱しているテレコムと就労取材情報共有案が、即、実状の障がい者の方たちとテレコムという取り上げ方自身が、生活実感としてつながらない。テレコムを交流環境としてではなく情報の取り込み収集メディアとして思い込んでいるので、情報の処理が無理と切断されてしまう。しかし、この判断は障がい者をどの範囲で捕らえているかが無意識に違っていることにが背景にある。

もし私が身体障がいの方たちの輪の中にいたらどうだろう。携帯ネットワークなどという提案は、すでに当然のコミュニティ環境として動き出しているだろう。寝たきり生活をしている人にとって、「外界に踏み出す有益なのぞき窓」であると言えば、たちどころに直感できるのもいい例だろう。知的障がいの関係者と接しているから、操作が難しいとかインターネットの必要性というようなところで、吟味なく弾かれてしまうのだ。

精神障がい者や、特に発達障がいの方は、私の寄って立つ引きこもり&社会的挫折者支援のホームグラウンドにそれぞれ片足が乗っている。自閉症スペクトラムとか、広汎性発達障害の裾野に当たっている人たち、精神障がいの中でも、鬱とかボーダー(境界性パーソナリティ障害等)という障害者手帳を持っていないひとたちは、一般校に在籍しているし、精神障がいの場合は青年期などに中途発症して地域に潜在している。こういう方たちは、障がいを軸とした組織率が低い。社会的挫折の方を含んだら、どこにどう呼びかけていったらいいのか組織などわからなくなる。

接点を求めるということのためには、地域の精神科・心療内科などの医療窓口が接点になるかもしれないが、プライバシーの守秘の壁の中で、家族会以外からは、治療効果のある活動のような医療の一環として接点を生み出していくのが現実的とされている。

しかし社会的困難というくくりの中で、その脱出の概念に触れている「社会参画」の、「人の絆の結びなおしの活動」は、該当者のゆるい集団の文化活動として存在しうる。現代の老若男女が、日常生活に違和感なく存在させている電話のように、私達は既に携帯電話の幻想的隣接観の覆う社会を共有している。近未来、私達が電話と呼ぶツールは、既に始まっていることだが、インターネット端末とセットになった「交流ツール」を意味することになるだろう。

このツールが社会的困難を抱え地域に散った方々を取り結ぶ文化基盤的ツールになりうる。何とも猥雑な「2チャンネル」の隆盛をも含んで、インターネットが多声性のツールに根付いていくように、携帯電話を使って、彼らがお互いを発見しつながることは、十分に可能だ。1:1のメッセージ交換の電話機能を超えてネットワーキングしていく機能を磨くことにイメージが飛躍しておくような活動が提唱されなければ、1:1の固着した常識に遮断されるだろう。ネットワーキングは、小難しい論説の交換というような範囲を超えて、その極限は「twitter」のような直感的会話すら含み得るのだ。

私は選挙の集票のような地域分散した潜在対象者のテレコム文化を、携帯ネットワークを基盤として、地域に小集団をいくつも産出しうると考えている。引きこもり者に引き寄せて語れば、地域に自分の居場所、就業と生活の場を自分の手で生み出しうると思うのだ。携帯ネットワークをテレコムの架空の世界のつながりと断じてしまう方がいるが、電話で待ち合わせ相談することが架空世界に閉じることではないように、社会参画を推進するツールとしての価値は、使い方次第なのだ。

私は社会的困難を抱えた方々の、地域連携と地域起業を描きたいと考えている。こういうと別個の隔離集団うんぬんという批判が始まる。支援者と当事者が社会活動の世界に踏み出すというのに閉鎖社会を作ることになるのだろうか。共感する人たちの結集をネットワークと呼んでいるのであって、常にアメーバのように社会の中で伸縮・代謝している、それは閉鎖しているのではない。共感する者の結集が様々なところ、様々な領域で起こりうる。

こうした社会参画の文化活動をまずは交流環境基盤と、そのひとつの切り口としての取材活動としてそこから導入したいと考えている。それが「わーく」の活動である。

私は特別支援校(旧養護学校)の高等部の生活教科に携帯電話など情報ツールの導入と指導を進めるべきと考えている。携帯電話は電話機能以外のカメラやメモ、予定表などの多機能を持っており、この機能を有効に活用すれば、いわゆるフィジカルな能力に、中邑賢龍さんや坂井聡さんの言い方を引用すれば「ゲタを履かせることが出来る」のだ。(cf.「ちょこっとコミュニケーション」

壊れたり新規交換してつぶされる携帯電話を販売店と交渉して、情報消去した元携帯電話を頂戴すれば、それはカメラに使えたり、電卓や予定表などに無料で使える可能性がある。

「わーく」では、これを参加記者のカメラや録音機として使う。高等部が身近なゲタツールとして利用法を教えていくように、「わーく」は、元携帯電話を貸し出し、取材したメモを携帯ごと回収することによって、非レギュラー記者を生み出し、編集してデータを配信する活動を始める。一見原始的に見える元携帯の貸し借りが交流を生むだろう。情報の提供にも実は案があるのだが、自分の旅行スナップとか、自分の飼っているペット、集合呼びかけなどを記録して持ち込んでもらう。これが「わーく」の始まりの姿を作ってくれるだろう。

私が本人活動と呼ぶ、類似の活動では「ピープルファスト」のような活動は、やろうと呼びかけて作れるものではない。こうした交流活動を基礎として、初めて地域起業の土壌ができる。お互いを知り合うことで次が準備されていく。

私の提唱している「わーく」はもうひとつの活動理論の隠し味を入れ込んでいるが、その件は、柔軟なマルチメディア配信の件も含んで別の項で取り上げることにする。

私達は既存の社会の枠の中に、問題を抱え込まされた方を入れ込んでいくのではなく、その資源は活用しつつ、次の活動の卵の殻を割る必要がある。これは絵空事ではない。

------

父はヘルパーさんや、来客には快活な大声で応答し、家族には不機嫌な沈黙や怒鳴り声を張り上げる。しかし、その快活なやり取りも、相手が誰であるかわからなかったり、意見を求められると途端に破綻してしまう通り一遍の定形の挨拶なのだ。しかし初対面の方は、父が元気で問題がないと勘違いしてしまう。

父のデイサービスは、多くの人のサポートに依存している。週に一度父の宗教団体の信者さんが、階段介助を手伝ってくれる。ひとりはレギュラーのAさん。このAさんと私の二人で階段介助は十分なのに、いつももうひとり、見学の様に誰かが付いてくる。このゲストに父は快活な笑顔を見せて、ときには階段昇降中の危険な姿勢の最中に、唐突に挨拶が始まってしまう。このときは、注意すると父はすぐに我に返って、憎憎しげな形相に変わる。家族は、父の挨拶が正直言って「うんざり」なのだ。

一昨日は階段では、やらないで済んだものの、ベッドに入ってから、その人に背を向けたまま、快活に挨拶しているのには参ってしまった。さすがに来客は父の異常に気が付いた。帰り間際に「病状は大丈夫ですか」と訊ねていた。

私が風邪を引き、父との接触に距離を置いたことで、母が介護をひとり抱え込むことへの恐怖を感じ始めている。私が寝込んだら、その間母ひとりの介護は確かに無理である。ケアマネさんに情報を伝えたが、先方も困ってしまった。9月の連休は長い。この間は全く空きベッドがないのだ。タイミングが最悪なのだ。母をつぶさないためには、事前の依頼を強めていく以外にない。

先日の検査&教育入院が父と看護師の格闘によって、即日強制退院となったように、非常避難先に病院を考えることは難しい。たったひとつ、排泄をオムツの中でして欲しい、これが出来れば、父の介護先は広がっていくのだ。

今日も宗教信者のYさんという方が、久しぶりと称して、「元気付け」に現れた。階段昇降の応援をして下さっているレギュラーの方には、「元気付け」は禁句と確認している。

「とこやを呼べ」「とこやに行く」と言い出して、無断で階段を降り、先日は靴を履いて、傘を杖に門のところまで外出して、力尽き腰を抜かしたという具合に、徘徊の契機になってしまうからだった。

このYさん、「元気付け」が悪いとはおかしいという主張をされる。新しい賛美歌が出来たからとCDに講演を含んで録音したと持ち込んできたが、父はラジオは全く関心が無くなって、TVも画像を追っているだけなのだった。以前はそれでもCDをわしづかみにして、裏返しにラジオに詰め込み傷だらけにしてしまったが、最近はCDに見向きもしないのだ。案の定CDは味噌汁浸けになって、床に放置されてしまった。

母が父を座位から紙パンツ交換しようとし、言う事をきかない父が尿の塊を引きずったまま、ベッドにもどるところを制止しようとして、母が蹴り飛ばされた。危ないところだった。風邪感染防止のマスクと手袋の異様な姿で私が結局交換したのだが、交換が終わった直後、父は起きだして、立小便をした。ポータブルトイレ周辺に尿を撒き散らし、尿取りパッドを尻尾のようにはみ出させ、下げやすくするため睾丸をパンツからはみ出させて転がってしまうのだった。

いう事を聞かないので作業シーツを交換していると、なんとそのはみださせた睾丸から尿がしたたり落ち、シーツが濡れてしまった。とにかくおしめ排泄を頑として拒否するのだ。

私達は介護経験から、甘言に刺激された今夜は、階段を降りてくると予測していた。私がTさん探しと「あではで当事者の講演会」参加のために、夜の茅ヶ崎駅周辺をうろつき、風邪で咳き込んで限界を感じて帰るまでの2時間弱の間に、父の階段最上段の場で転倒騒ぎが起きていた。

我が家の階段は直線的で、そこから落ちたら大怪我となる。母は父を止めるのを口頭以上ではしないと決めていたので、父にとっては階段直前の転倒は返って幸いだったのだ。父は肩を打った。その痛みで、ベッドに戻る気になったのだが、母が差し出した歩行器にしがみついて立ち上がるまで二十分ほどかかっていたという。疲れが出たのか父は、私が帰宅したとき、下半身を脱ぎ捨て、掛け布団を股にはさんで背を向けて眠りこけていた。

今、まもなく午前3時。止まらない咳に困りながら、父の監視と夜間傾聴の待機を書きこみながら同時進行で行っている。大きな罵声が30分ほど前にあり、ベッド柵を蹴った音がしていた。レム睡眠行動障害が復活している。父が目覚める午前4時半。ここから6時ぐらいまでが、階段を勝手に降りてくる、危険の高くなる時間帯だ。金曜日は訪問介護のKさんが8時半にやってくる。清拭してもらうはいいが、湯沸しや洗濯物の干し物はこちらが準備したり指示することになるので、家族は休めない。私が寝るのは10時前になりそうだ。

------

故き自閉症青年の劇映画「ぼくはうみをみたくなりました」の東京都写真美術館ホールの上映が、いよいよ今日18日最終日を迎える。観に行きたいのだが体力がなくなっているので諦めた。湘南おやじの会がおそらく湘南上映を企画してくれるだろう。念のために今日の上映時間を書いておく。

11:00 13:50 16:45 19:00 の4回である。美術館はJR恵比寿駅からすぐだ。

p.s.Tさんとは、私が咳き込んで会場から帰る道、中央公園に突っ立ってるTさんを見つけた。体調が悪かったとか。金曜日、入金チェックしてから販売卸再開である。自分で食べるつもりで買ったリンゴをTさんたちにプレゼントした。ビタミンCと鉄分の補強なり。


夜間傾聴:******君(仮名)
(3時半時点)

(校正2回目済み)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする