湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

受診に終わった一日(『わーく』関連は今夜別に書きます)

2009-09-29 15:17:21 | 引きこもり
自分の体の調子が悪くなったとき、ひとは自分の癖を、つい、出してしまうらしい。とにかく我が家は全員風邪引きである。その癖の部分が看護の仕事を倍に面倒にしている。

休みが明けた昨日、なんとか発熱を売薬で抑えた父を病院に連れて行った。介護タクシーはいつも頼んでいるところを拝み倒した。やはり表には出さないが、インフルエンザ患者忌避心理は働いている。乗車のところというより、階段介助。自分が感染疑義者と密着して運ぶのがためらわれるのだ。

病院の対応は、ふたりのマスクマンを外来の隅において、簡単なチェックを行うことだった。緊急度が少なければ、とりあえずそこに居させる。そこで父の癖が始まった。看護師の指示をとりあえず拒否するのだ。血圧を測ろうとする看護師に抵抗し医者を呼べと怒鳴った。理由も何もあったものではない。わけのわからないことをする他人が嫌なのだ。

これには正直焦った。「血圧を測るから腕に巻こうとしているのに、看護師さん、焦っちゃうだろう」といいつつ、私が父の腕を支えて差し出した。言葉と行動の矛盾。実はこれがあると爆発しかねないのだが、ゆとりのなくなっていた私は、ついそれをやっていた。ところがそれは父の咳き込みによって中断し救われた。ホーム職員は高齢者に対して、これからやることを言葉にして同意をとる。それは聞いていて煩わしいほどだが、これが介護技法なのだ。

その瞬間に体制を立て直して、外来の看護師は血圧を測ってさっさと場を離れていった。

咳が出れば次は尿意と相場が決まっている。そのまま紙パンツにしても大丈夫というが、勿論、いうことを聞かず、車椅子から立ち上がろうとする。移動用のレントゲン撮影装置を積んだ車が父の目の前を勢いよく通り過ぎて、父は戦意を喪失した。

外来の看護師にトイレだと告げて、総合受付カウンターに待機している看護師をゲット。父が別行動を始める前にトイレに連れ込んだ。ところが間に合わなかったのだった。とにかく最悪のことが起きるというのが父の看護である。

用意しておいた紙パンツや着替えはあるが、父のおしめ交換は座位ではすさまじいことになるのは、経験上わかっていた。このまま車椅子で救急外来裏のストレッチャー置き場で交換をさせえくれと、面食らう看護師の承諾を無理やり得て、冷や汗をかいて、無事交換を済ませた。

車椅子の両ハンドルに振り分け荷物である。外来に戻ると、元の席には他の患者さんが座っており、車椅子の居場所がなくなっていた。長いすだから車椅子が割り込めない。長いすに移動するのは、戻ることを考えると大仕事。病院の対応の粗さが見えてしまう。車椅子スペースは確保しておくべきなのだ。

幸い父の順は、席を探している最中にやってきて、呼び出された。

問題は初診担当医師のひとりが、何年も父の糖尿病外来の副担当をしていた医師で、父が痛風で入院時、父と大立ち回りをした医師だったので、2択、どうかあたりませんようにと神なんぞに祈ったのがいけなかった。呼ばれたのは、その医師の部屋からだった。

マスクの下の表情の恐ろしいこと。診察する医師の顔ではなかった。こまったなと思うが、父は医師を覚えていない。認知症が幸いしていた。しかし問診だけで、父に触れようともしない。服を持ち上げますから、聴診器ぐらいあててください。抑えてますからと伝え、父のシャツを巻くりあげ、やっと胸の状態をチェック。経過と、本人の薬特性、「粉薬は、飲めないからやめてくださいね」というのに、PL顆粒を処方してくるのだった。モンスター診療は終了。どうしてこう、医療関係者は、わからんちんなのだろう。

PL顆粒は長方形のパッケージを破って飲む。それは口に当ててみればわかるが、上を向かないと飲めない。パッケージの3分の1は、更に上を向かないと袋に残って飲めないのだ。この上向きの姿勢が父にはできない。足が悪くなる前から、目薬などでこの姿勢を取るとひっくり返ってしまう。ベッド座位の父に私が背を倒れぬようにサポートしても、飲み残しを口の外にこぼしてむせるのだ。(袋を大胆に半分に切ればなんとか。)

柔軟な身体を残している健常者は全く気が付かない場面だが、結局はオブラートに包むか、昔の薬包紙に開けて流し込むのがいい。こういう実践知を医療関係者や製薬会社が取り込む回路がない。PL顆粒の場合は、むせるというよりパッケージに工夫が足らないのだ。

父を会計機の前に連れて行き、また戸惑った。母が渡してくれたのは、父を強制退院させた病院のものだった。だから受診受付の際、混乱があったのだが、会計の際も受診カードがないと操作がちがうのだった。次にそれは、請求書のバーコードを読み取らせればいいのがわかったが、支払い済んで、薬局の順が70番目という状態。下手をすればまた排泄騒ぎになる。困って、「この後、(私が)他の病院に行くので急いでいる。処方箋を他の薬局に出すので、そのままそちら(院内薬局)でやるのをストップして欲しい」と申し入れた。

なんと父の処方は、70人を飛び越えて処方されたのだった。他の薬局に処方箋を持ち出すことに問題があったのだろう。父のうたた寝が始まっていた。帰り上り階段が寝惚けていると上れないのだ。頬や身体をぴたぴたと平手打ちしながら、介護タクシーに連絡。予想より早く、家に戻ることが出来た。

外出は疲れるのか、父は17時過ぎまで目を覚まさなかった。

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厄介なのがもうひとり、熱を出してふらふらしている母を近くの主治医に連れて行くことだ。頑として母は私の同行を拒否した。ゆっくりいくから大丈夫だといいはり、その夜、認知症や大腿部骨折の親を連れて外来に来ている親子は、みんなやつれていて、お前が来るとその仲間入りになるから嫌なのだと白状した。バイタルが37℃に下がっていたので、母は好きにさせることにした。そのかわり携帯を身から離すなと説得して、母からたちまち「うるさい!」と拒否された。

成人検診の結果もあったので、母はひとりで行かせることにし、私は自分のかかりつけの病院に診療時間終了間際に滑り込んだ。糖尿病が投薬治療が必要なところまで悪化していた。しかし頼んでおいた風邪の方を見てくれない。メモを指差し、風邪の引き返しです。喘息との合併症で咳と発熱37℃で困っていますと伝えるが、聞いていない。

「薬出しておきますから」と医師。

「PL顆粒は嫌ですよ。いつまでも後頭部と眉間に頭痛がのこり、喉が渇きますから」

この「喉が渇く」というのが鬼の首を取ったように能弁に、糖尿病の症状だと言ってゆずらない。

前の処方が3日前に切れて、それからは「喉の渇き」が収まったこと、以前からも「喉の渇き」を感じていないこと。よってPL顆粒の副作用ですと伝えた。

だまってしまった。「じゃあこれで」と処方箋をもらった。しかし私も聴診器を当ててもらっていなかった。かちんときて、「ネブライザーぐらい、やってくださいね」と医師にダメ押し。結局だまってカルテが看護師に渡った。

前にこの病院でネブライザー治療を受けたとき、薬品を注射に寄って器具に注入していたのを覚えていた。今回はそれがない。5分で終了後、看護師が
どう?効いた」と聞くので、「水でも一応効果がありますから」と応答。ずぼし、看護師が慌てていた。「水ですよね」と私、「そのように指示されたので」と看護師。認めたのだ。水でも効果があると居直るのがせいぜい。ここで手抜き追求は、やめておいた。

診療時間終了時は、病院とてろくなことをしない。信用してはダメ。処方された薬のひとつは新薬だった。もうひとつも副作用が少ないと喘息患者内で評価されてきた昔からの薬だ。PL顆粒は避けられたのだった。(PL顆粒は病棟看護師が風邪気味のとき、ちょっとごまかすのにも使うので常備薬として持っている。唇にPL顆粒が残っている看護師に「風邪かい」と余計なことを言っていた入院患者が私でした。)

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Tさんの伝言メモを確認しに、茅ヶ崎サポセンに立ち寄り家の戻る。一日中、風邪と受診で終わった一日でした。

夜間傾聴:******君(仮名・というよりお見舞いか?)
     自由が丘夫妻(仮名・久しぶり。こちらはお見舞い。)
     -------------(04:08 いい時間だった。)

(校正2回目済み)
コメント
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