💻2025/07/18 記
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ハッカーさん、こんばんは。
鶴嶺高JRCの防災訪問紙芝居、大成功です。昨年とは雲泥の差。問題点は、まだありますが、園児さんが紙芝居を楽しんでいます。大きな進歩です。これが鶴嶺JRCの防災活動の縦糸として、毎年の恒例行事になりますように。
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私は彼らの活動の契機を作っただけ。紙芝居に対して、昨年の会場を提供していただいた園長さんから誤解とはいえ、お叱りをいただいた。彼から絶交となり、それを無視して紙芝居見学をする気にはなれなかった。嬉しくあり、ひたすら悲しくもあり。
このすれ違いは、今年の会場が新しい園に代わっていたことを私が知らなかったため、2回目の会場依頼をしたことでした。前の園長さんは、すでに学校側に提供しているのに、異を唱えていると勘違いされたことが契機だったのです。
園長さんとは,東日本大震災の陸前高田・大船渡の地元施設・活動家に、提供された中古車を仲介する活動で、ご一緒したことがありました。このとき、友人の車の車検業者さんを紹介してくださった。車検を通すための20万円の支払いに無茶を感じ引いていったことがあり、不払いを心配されていた。
業者さんには、月3回の分割払いの迷惑をかけたものの支払いは完了したものの彼に心配をかけていました。そういう非常識な人物の不信感がベースにあったのでしょう。
車は陸前高田の広田半島で活かされました。
時を経て2年前、高校生の災害ボランティア活動に、園訪問の防災紙芝居を立ち上げる会場探しをお願いしに行き、承諾を得ました。
それがかちかちの昨年の紙芝居でした。
私は20年弱、鶴嶺高のボランティア塾に参加しており、地域のボランティアにたいして総合学習高1授業枠の45分を毎年1回提供すると言う四角四面の管理された自由さの中で語ってきました。感想文も書かされたものであり、こうした授業の場ではなく、ボラをめぐる生の対話をしたいと考えたが、相手は望んではいないという乖離を超える手立てをかんがえていました。それが課外活動,部活の彼らにも楽しめそうな企画を立ち上げること。この中に織物構造を持った体感型活動、紙芝居も登場したのです。
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私の活動は,さまざまな背景と経過を通しており、戦略的なのです。
定着しない通過点という困った性格を持っている高校生世代の社会活動。繰り返すリセットからの立ち上げの難しさ。理解した子は卒業してしまい活動が消える。
明治以前なら,「地域の若者」と言われていたハイティーンは、学校社会に取り込まれ、高校・大学等進学と学習モラトリアム・イデオロギーの庇護の澱みの中に自主性が沈んでいます。それは、ボランティアの小間使いとして使われるが、社会につながる自主活動の大人社会の無視というカードの裏表の社会的背景の中で、未開拓必要活動、隙間から育つという戦略性です。
スポーツ選手のような、学科とは別の自己開発ルートに乗る子を除いて、高校生は現在をしたたかに通り抜け、大学へとすり抜ける期間として生きている。「地域の若者」という発想は、社会変化の中で根を失い、社会からの世代要請がある度に、ないものねだりされる概念です。災害対策活動も、そのひとつなのです。彼らの生きてある日常の現在性が突然とわれるからです。30代自営業者が地域の若者を標榜する実態。
だから発災前に成しえ、先輩から後輩へと伝えられていく継続活動の縦糸を張ることが、高校生活動には重要だとして,訪問紙芝居が登場したのです。
(横糸は、発災以降の世代活動であり、発災前ではそれは検討活動として登場します。)私が作りたいのは、自主災害ボランティア活動であり、その中の紙芝居なのです。
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この高校生世代活動の糸の切れやすさは、説明だけでは伝わりにくい経験差が横たわります。私の提案は戦略的であり,思いつきではありません。高校生を信じない、指図誘導的な関わりに見えるという批判をうみました。
災害体験談や活動紹介は、大人を含んで、災害のリアルさの欠如はマスコミで情報が流されていても,側溝の流れのように受け流される事態に竿刺したいから。これも強制的にうつります。
大災害発生時の交通渋滞を,我が家は自転車があるから大丈夫と,胸を張って応答されたり、ガスが止まっても太陽光調理器のパラボラがあるから大丈夫、車椅子生活者に、頭上の油火災を消火させ初期消火の大切さを解く消防と、ゲーム感覚で喜ぶ車椅子生活者、足が速いからつなみからにげられるというティーンズなど、平常性バイアスはすさまじく、右足が沈む前に左足をふみだせば、水面を駆け抜けるレベルの状態があります。いざというときも、なんとかなると。だからよみとばしてもよしとした話を書いたグループをたちあげました。これには 発災時活動立ち上げ呼びかけの場という裏の役割を潜ませていますが、この語りが上から目線と抑圧的にうつったようなのです。私は雲仙・普賢岳噴火災害から関わっていますが、それを自慢ととらえられては、成す術がありません。
一度,私は自分を危険回避の水先案内人と称したことがありました。うまく使ってくださいやという部分が削ぎ落とされてつたわったのでしょうか。紙芝居の成功の裏で大きな代償を払った痛みがあります。
(校正1回目済み)
つまり、高校というシステムのなかでも、共感を広げられる自主活動の種蒔き活動です。