2025/07/14 記
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ハッカーさん、こんばんは。
おどされて、台風通過の局所豪雨の危険があるというのに、橋本に行ってきました。
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幸い雨は避けられたけれど、なんとも言えない感覚差に,笑っていいやら、ほろりとしていいやら。相模線の中で、荷物抱えて複雑でした。
母が骨折入院したことは、塾長の奥さんとの電話で皆さんに伝わっていました。
何十年も日本生活している元フィリピン人の@@さん、いつも飛田は人相が悪いと叱る人だ。呑ん兵衛。
ああ、怒るわけだと、中身をみてすぐにわかった。
「魚沼こしひかり2kg」
ひとりで食事でも、しっかりお米食べなければいけないよ、歳なんだからと言う。いまお米買えなくて大変だからという。
あの、上等のお米、ひとり分炊くのって大変なんですけどとは言えなかった。半分冷蔵庫やると、まずくなってしまうし。
重かったんだなと怒る理由がわかった。去年の米だし、高かっただろう。皆さんによろしくと伝えてくださいと、お礼を述べ、ありがたくいただいてきた。抱えてきたお米を食卓に取り出して、ため息をついている。まあ、降られなかったから良し。
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母から,今日は来ないのかと電話あり。週2回制限があるのだと伝えた。木曜に東京の墓参、一度帰宅後、病院にいくとしたが、ビッグイシュー受け取りもあり、鶴嶺の訪問紙芝居の18日にずれ込むかもしれない。気持ちは保育園に飛んでいるその日には、したくないのだが。
(校正1回目済み)
p.s.
FBで、駒崎弘樹さんが、的を射た詩を紹介していた。辻堂駅でおにぎり支援していた路上生活者の死の脇を誰も交番や警察連絡ひとつせず、眼球白濁まで放置した通行人の背筋が寒くなる無視を味わっていただけに、フォローさせてもらった。つまづきの石、参議選に、はじまっている。何度失敗したらすむのだ、愚かしい。
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FB駒崎弘樹氏をフォロー。
◎私が「日本人」でなくなる日 ―参政党に捧げるニーメラーの詩
ナチス・ドイツに抵抗した牧師、マルティン・ニーメラーは、有名な詩を残している。
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『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』
ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は何もしなかった。私は共産主義者ではなかったから。
次に彼らが社会主義者を連れて行ったとき、私は何もしなかった。私は社会主義者ではなかったから。
次に彼らが労働組合員を連れて行ったとき、私は何もしなかった。私は労働組合員ではなかったから。
次に彼らがユダヤ人を連れて行ったとき、私は何もしなかった。私はユダヤ人ではなかったから。
そして彼らが私を連れて行ったとき、私を助ける人は誰も残っていなかった。
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この詩は、ある集団への迫害を見て見ぬふりするうちに、社会から声を上げる者がいなくなり、
最後には自分自身が標的になるという、静かな恐怖を描き出している。
この構造が、現代日本で他人事ではないとしたら、どうだろうか。
そう、2025年時点において、私たちはニーメラーが生きた時代を生きようとしているように感じてならない。
「日本人ファースト」を掲げる参政党の主張を、この詩に重ねてみよう。
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『彼らが最初外国人を攻撃したとき』
最初に参政党が「日本人ファースト」を叫んだとき、私は何もしなかった。私は「日本人」だったから。
次に彼らが「LGBTなんかいらない」と言ったとき、私は何もしなかった。私はLGBTではなかったから。
次に彼らが「終末期医療は全額自費にすべき」と言い出したとき、私は何もしなかった。私は死にかけてなかったから。
次に彼らは「発達障害は医療利権だ」と断じたとき、私は何もしなかった。私は発達障害でなかったから。
そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
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そう、ある特定の層に向けられた言葉に「自分は関係ない」と安堵し、沈黙を選ぶことは、
未来の自分の首を絞めることと同義なのだ。
参政党は次々に「敵」を作り、それらの人々は「日本人」に入らない。彼らにとって正しくないから。
そしてそのうち、あなたやあなたの大切な人たちも「日本人」では無くなるだろう。
しかしその時はもう、遅いのだ。
2025年の夏。今こそ、この70年前の詩を改めて自分事として捉え直す必要があるのではないだろうか。