goo

自分のアタマで「深く考える」ための哲学

『自分のアタマで「深く考える」技術』より

「時間軸」と「空間軸」で表す

 空間も同じである。国内に限らず、海外だっていいし、今は宇宙にも滞在できる時代だ。時間空間の軸の交点でとらえると、百年後に宇宙で自分の家やお墓がどうなっているかなどということも考える可能性が出てくるのだ。

 実はかのカント(ドイツの哲学者、1724~1804)も、人間が物事の現象を直観的に認識するためには、時間や空間のような認識の基準となるいくつかの形式が必要になると主張していた。もちろん、そのカテゴリー分類は相当複雑なものなのだが、それでもやはり思考の大前提となるのは時間と空間だという。

 ちなみに、このカントの思想自体は、時間空間を問わず不変のようだ……。

「弁証法」で矛盾を乗り越える

 そう考えると、弁証法というのがいかに前向きな発想であるかがよくわかる。頻繁に言及されるゆえんだ。また私のようなポジティヴな人間に好まれるのもよくわかる。問題が起きてへこたれそうになったら、まず思い出してもらいたいものだ。

 ちなみに弁証法というと、ヘーゲル(ドイツの哲学者、1770~1831)の考え方が有名だが、実はこの言葉自体は彼の専売特許ではない。対話によって真理を導き出すソクラテス(古代ギリシャの哲学者、前470/469~399)の問答法も、それを受け継いだプラトン(古代ギリシャの哲学者、前428/427~348/347)の思考法則も弁証法である。

 ただ、一番有名なのは、前述したような矛盾を解決する論理としてのヘーゲルの弁証法であることは間違いない。

 それはヘーゲルが近代以前の哲学を体系化して完成した人物だからというだけでなく、やはり矛盾を統一するという点がすごかったからだろう。しかも、その統一によってより発展した段階に至ることができるという論理は、最強の思考術といえる。

「無知の知」を常に意識する

 かのソクラテスは、自分が一番知者であるという神のお告げを、「自分は、何も知らないということを知っている点で知者である」と解釈した。これがいわゆる「無知の知」である。過信せず、手を抜かず、ごまかさずに自分の無知に謙虚になることが、真の知者になるための王道なのである。

 ちなみに、前述したような、問いを繰り返すことで、思い込みから真の知に到達するという方法を「問答法」として確立したのもソクラテスである。まさに質問力によって、哲学史に名を残した人物といえる。

一つの考え方に固執しない

 哲学の世界でも、ドゥルーズ(フランスの哲学者、1925~1995)らは、中心をもったトゥリー(樹状)型の思考法に対して、中心も始まりも終わりもないネットワーク型の思考法であるリソーム(根状の茎)という概念を提起している。前述した硬直した思考がトゥリー型、柔軟な思考がリゾーム型に対応するといえよう。

「四つの先入観」に注意する

 先入観が邪魔をして、冷静に物事を分析できていない人はいないだろうか。そんなときこそ、先入観が生じる四つのパターンに当てはめて取り除いてもらいたい。

 まずは「種族の先入観」である。これは、感覚などにより自然の動きを誤ってとらえてしまう、人間という種族に共通する特有の先入観である。

 二つ目は「洞窟の先入観」である。これはあたかも洞窟に入り込んだかのごとく、個人の習性が原因で、物事を常に自分の都合のいいように解釈してしまう先入観である。

 三つ目は「市場の先入観」である。これは、言語の不適切な使用に基づくもので、市場で耳にした噂話を簡単に信じてしまうようなパターンの先入観である。

 最後は「劇場の先入観」である。これは劇場で演じられているものを、ついつい本当の話と信じてしまうがごとく、権威あるものをそのまま受け入れてしまうような先入観である。

「本質を一言でいう訓練」をする

 本来哲学者というのは、物事の本質をつかみ、それを言葉で論理的に説明できる人のことだ。そうすると、哲学者の能力で一番優れているのは、物事の本質をとらえることができる点であるともいえる。

 そもそも哲学という営み自体の目的が、真理の探究にあるからだ。といっても、一足飛びに真理に到達できるような能力ではない。それは超能力者か神の使いのすることだ。哲学というのは、徐々に徐々に真理に近づいていく営みにほかならない。

 一つの問題に、絶え間ない問いを繰り返すことで、ようやく真理に到達することができる。したがって、その道程は決して平坦なものではない。ああでもない、こうでもないという試行錯誤を繰り返す。しかし、だからこそ深いともいえる。そのプロセスは、あたかも真理にまとわりついた余分な虚飾を取り除いていく行為にも似ている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

産業革命とは何か 人口はなぜ増加したか

『近代世界システムⅢ』より 工業とブルジョワ 産業革命の前提としての人口革命

人口増加--これ自体は疑いようがない--が革命的なものではなかったとし、イギリスに特異な現象でもなかったとするにしろ、なお「問題の核心部」は、未解決のままで残っている。すなわち、人口増加は、経済的・社会的諸変化の結果だったのか、その逆だったのか、という問題がそれである。ハバカクがいうように、「産業革命は、それ自体、自らの労働力を生み出した」のだろうか。この問いに答えるためには、人口増加をもたらしたのが、死亡率の低下だったのか、出生率の上昇だったのかという論争に触れないわけにはいかない。この問題を論じた歴史家の大半が、「死亡率も出生率も、ともに高いレヴェルにある場合には、出生率をいっそう高くするよりは、死亡率を下げることによって人口増加を達成する方が容易」であり、二つのファクターがともに低いときには、その逆が真理だというはなはだ単純な理由で、死亡率の低下を主因とみなしてきたことは間違いない。

しかし、とすれば、死亡率はなぜ低下したのか。「死亡率が高かった主な理由は、伝染病にかかる率が高かったから」なのだから、死亡率の低下を説明する要因は、論理的には三つありえた。すなわち、医療の改善(予防であれ、治療であれ)、感染に対する抵抗力の強化(環境の改善)、またはバクテリアやウィルスの毒性の緩和がそれである。最後の要因の可能性は、多数の病気による死亡率が同時に低下しているとすれば--じっさい、そうらしいのだが--、排除してよい。なぜなら、そうした病気による死亡率の低下がすべて、「病原となる生物の偶然の変質」によったとは考えにくいからである。こうして、実質的な論争は、医療の改善か、社会・経済的環境の改善か、ということになる。長いあいだ医療改善説のほうが有力であったし、いまもこの説には、「一八世紀における天然痘の予防接種の導入」こそが、死亡率低下のいちばん自然な説明だと主張する強力な支持者たちがいる。しかし、このテーゼには、死亡率に対する医療の影響は二〇世紀までは重要でなく、一八世紀の死亡率の変化を説明することはできないという、慎重かつ説得的な議論が対置されてきた。こうして、察するに、「人口増加をもたらしたのは、社会経済的状況の改善であって、その逆ではない」という結論に到達せざるをえないのである。

出生率の役割が大いに評価されたのは、リグリとスコフィールドによる、イギリス人口史の画期的な著作においてであった。彼らは、非婚率の低下をつうじて、出生率が上昇したと考えている。とすると、食糧の入手が容易になることが、新しい世帯の形成を可能にしたもっとも重要な要因である、という理論モデルが生きてくる。彼らのデータは、きわめて長期に及んでおり(一五三九年から一八七三年まで)、この間、ごく短い期間(一六四〇年から一七〇九年まで)を別にして、出生数、死亡数、婚姻件数はいずれも増加していくものの、つねに出生数が死亡数を上回っていた、と彼らはいう。こうして、彼らは、イギリス人口史のパターンが長期的に安定していた事実を探りあてたように思える。しかし、同時に彼らはまた、一八世紀の初頭とT八世紀末のあいだのどこかの時点で、イギリスは[一定以上の人口の増減を阻止するように諸要因が自然に働くという、マルサスが措定したような」「予防的チェックによる人口変動の循環」を打ち破り、人口と食糧価格のあいだの連関をも打破したのだ、とも主張しようとしている。

とはいえ、リグリとスコフィールドの論理そのものに含まれている矛盾-長期的なパターンの説明と、ひとつのパターンの中断の説明-に加え、彼らが婚姻率の上昇(と、その低下)を経済の「離陸」の説明要因としたことと、正反対のハイナルの議論とは、どのように調和させられるのかという問題もある。ハイナルは、つとに、一八世紀前半の西ヨーロッパ(イギリスだけのことではない)には、独特の婚姻パターンがあって、晩婚と高い非婚率がその特徴となっていたと主張している。ハイナルによれば、まさしく、(二〇世紀までつづく)低い出生率を特徴とするこのパターンこそが、「最低限の生存目的以外の目的への資源の分配を促進する」ことで、経済発展に寄与したのだという。

人口にかんして、あまり議論はされていないが、おそらくきわめて重要な要因がいまひとつある。ヨーロッパ内での、農村的周辺地域から都市的で、工業の発展しつつある地域への人口移動である。むろん、これは、雇用機会の増大と交通手段の改善との当然の結果であった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

幻想のゲルマン民族

『午前零時の自動車評論』より

〈ゲルマン系民族〉はドイツ人とイコールに近い雰囲気で使われる。確かにゲルマンはgermanであり、英語でドイツはGermanyだから、つい同一視したくなる。また自動車世界で考えると、フランス車とイタリア車は似て非なる本質を持っているが、ドイツ製の自動車どうしには相通ずるものがあるのは確かで、だからそれをゲルマン民族の精神などと表現したくなる。おれも、どこかで、ついそういう使いかたをしていたかもしれない。

だが、ゲルマン系とは、実はきわめて曖昧模糊とした括りなのである。ラテン系民族とは違って、ゲルマン系の民族という考えかたは成り立つ。だけれど、その定義ははっきりしないのだ。そしてまたドイツ人=ゲルマン民族ではない。そのことを今回は書いてみようと思う。

ゲルマン人という言葉が人類史上で初めて使われたのは紀元前に遡る。ギリシャの歴史家ポセイドニオスがガリア(現在のフランスにあたる地域)についての記述した部分でその言葉を使っている。

しかし、最も知られている故事はジュリアス・シーザーの有名な『ガリア戦記』である。その中に〈ライン河の東側に棲むゲルマン人〉という一節があるのだ。

ゲルマン人という概念はここを起点に始まった。ローマ帝国華やかなりしころ、ライン河の東方に棲んでいた様々な集団を大雑把に一括りしな呼称として、その言葉は成立し、世界中に広がっていったのだ。だが、そのゲルマン人という言葉吐、平たい言いかたをすればくあの辺に棲んでる奴ら〉程度の意味合いしかなかったのである。

括りの根拠が居住地域だけであっても、そうして括った人々に何らかの共通性があれば、それを民族として扱うことは間違いではない。だが(ライン河の東に棲む人々〉には、確固とした人種的な共通性はなかった。あるのは、ゆるやかな使用言語の共通性だけだった。

そうした人々は、今日の言語学でゲルマン語系と呼ばれる種類の言葉を話していた。それはエリアごとの傾向によって3つに区分される。以下のようなものだ。

 口東ゲルマン語群

  ゴート語、ヴァンダル語、ブルグント語、ランゴバルト語、等々

 口北ゲルマン語系

  古ノルド語(デンマーク語の源になった言葉)、スウェーデン語、ニーノジュク語(ノルウェイ語の源になった言葉)、アイスランド語、フェロー語、等々

 口西ゲルマン語系

  低地ドイツ語(オランダ語、フラマン語、リンブルフ語などの低地フランク語や低地ザクセン語などの総称)、高地ドイツ語(現在の標準ドイツ語やイスラエルで使われるイデッシュ語の源になった言葉)、アングロフリジア語系(ジュート語、ヨーラ語。フリジア語など)

これらゲルマン語系の様々な言葉は、独立したものではなく、スラブ語やバルト語など近隣エリアに棲んでいた人々の使う言葉と共通のルーツがあるという説が有力で、そのルーツがインド・ヨーロッパ語族の一部を構成すると考えるのが現在の学説の主流である。

また、こうしたゲルマン語系の言葉が成立したのは、さほど古くない時代のことだと言われている。それは紀元前5世紀ごろ。つまり、日本では縄文時代が弥生時代に移行する時期であり、ヨーロッパでは絶頂期にあったアケメネス朝ペルシア帝国がギリシャに遠征してギリシャ戦争が起きた時期ということになる。

そんな風に古くはない言葉なのに、ゲルマン語系の言葉は、正確なところが解明され切っていない。右に挙げたそれぞれの言葉の中には、スラブ語のほうに分類するのが正しいとされるものも複数あるのだ。言語というものは皆そうなのだが、どうしても混交するし、それがヨーロッパのように地続きであれば余計に仕方ないのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

環境社会をつくる

未唯へ

 3時半の次が4時半だった。時間の進み方が異様です。まともに時計が動いていない。

考えている本

 なぜ、人間の存在について、考えている本が少ないのか。他に主張するものがあるのか。

未唯空間のコラム

 小さなテーマ(未唯空間のコラム)のところを見直したい。「国の適正規模は500万人なのか?」

適正な規模の考察

 適正な規模と言った時に、500万人と言ったけど、ちょっと多すぎます。あれは、510万人のフィンランドを想定しました。500万人が一丸となって、国を盛り立てているかというと、そうではなくて、それぞれの地域でやっています。

 ハメリンナはフィンランドという国家よりも、EUの方に信頼感を持っています。ラトビアは、フィンランドと同様な近さになっています。つまり、ローカルでやっていくから、点に対する近傍がベースになる。500万人という規模は国の方針として、社会保障とか雇用維持をするためには適切でしょう。ただし、アメリカの州みたいにベースはそれぞれの地域で変えていくことになります。

環境社会をつくる

 環境社会をなぜ、作るのか。トリガーは地球規模的な課題です。これ自体はグローバルです。それにどのように対応するのか。

 国起点での循環では、静脈系の不備で循環できない。だから、地域起点で循環を回していく。そのモデルケースとして、サファイアがあります。サファイアはあくまでもローカルからの循環です。それを社会全体に当てはめてみる。

 そうすると、ベースの環境社会が見えてくる。そこでのポイントは新しい合意形成とその底辺の共有意識を作り出すところがある。それを地域に姿にした時には、存在の力と意思の力でどういう風に変えるのかがある。

 それをLAN/WAN構想で考えると、分化と統合になります。グローバルの問題に対して、分化と統合で確認していくカタチです。

 グローバルに対して、持続可能性で対応しようとすると、循環がベースになり、余分なものをなくしていく。自分の中で出来るだけコンパクトな世界にするために、お互い様の世界を作り出す。

 そのためには、規模を小さくしないといけない。コンパクト化すると同時に、それ自体に儲かる仕組みにする。地球規模の課題を解くために、グローバル化で発生する多様化にどう対応するのか、多様性を確保するためにどうするのかが、9.7になります。

 ここまでにおいて、未来方程式になります。最後がLL=GGの世界。ここは、第10章がベースになります。

 取ってつけたような形だけど。ベースは国単位であったものが地球単位になることで何が変わるのか。超国家にだけでは、済まないでしょうから、ローカルを分化させて、そこがベースになるという、トポロジー的な構造に変えていくになる。

 ちなみに、環境社会という概念は愛知環境塾で想定されたものです。2030年の愛知を想定していました。その時点で社会がどうなっていくのか。

 その時点では、コミュニティという分化の部分はやっていたけど、統合の部分はやっていなかった。統合をハッキリさせないといけない。トポロジーの概念でいくと、標準形に対する関数になります。そこでの条件は連続性とONTOです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

未来方程式は「論考」表現する

未唯空間の表現

 それぞれのところでどう表現して、全体をどう見せていくのか。そのフェーズにはまり込んでいます。そうなると、未唯空間の小分類の再編成を完成させて、そのエッセンスを取り出して、因果関係を作り出していく。

 紙で3次元にしたけど、もう一つ次元を増やさないといけない。コンピュータの能力を超えています。実体が何次元か分からないけど、それを2次元に遮断しておいて、それを組み立てる。3次元プリンターではなくて、n次元プリンターがほしいぐらいです。

 これ自体は、底が抜けた、現在の心境でないと作れないでしょう。誰がそれを理解できるか分からないけど。

 未来方程式自体を全体のロジックに合わせて、もっと、的確にしないといけない。存在の力との関係、それが環境哲学につながり、最終的には情報共有につながる。そこまでのプロセスのキーワードです。そのために、未唯空間の全ジャンルを一つのターゲットにしていかないといけない。

国家と民族と宗教

 国と言う時に、民族と宗教がどうなっていくのか。

 スーダンはナイル川防衛のために作られた国で、宗教も違えば、民族も異なる。それが南スーダン問題を起こした。具体的なイメージと抽象的イメージをどこでやっていくのか。調和ができるのか。

 ウクライナにしてもアラブにしても、抽象的な動きと具体的な動き、偶然による動き、揺らぎ的なモノと真理のような普遍性を持つもの、そのなかで、個人と集団的なモノとが、要素が異なりながら、全体が一つのカタチになる。これこそ、分化と統合の世界になります。それをどう表現するのか。

言葉という表現

 存在と無が表現できないように、これもやはり、表現できないのか。だけど、言葉にできないものはないのと同じという、ウィットゲンシュタインの概念もあります。

 だけど、言葉には大きな制約があります。自分の存在自体も言葉にできない以上、言葉に対しての不信感。かといって、イメージできるのか。

 だけど、言葉は状態ではない。ファンクションにすぎない。それを受けて、それぞれの心の中で違うイメージを持って、それで動くかどうか決まってくる。本当は状態全てを説明できるといいけど、それはムリです。

大いなる意思

 よく、こんなものを神か大いなる意思がどうか分からないけど、作ったものです。この大きな宇宙という存在も含めて。本当にワザとらしいと言ったら、ありゃしない。結局、何をせよと言っているのか。それを求めるだけで右往左往しているのにすぎない。そして、全てがタイムリミット。

 池田晶子さんではないけど、死ぬことも含めて。そんなことは問題にする必要はないという概念が一番簡単で分かりやすい。

未来方程式は「論考」表現

 ウィットゲンシュタインの論考形式で未来方程式を書き上げる。それぞれの項目、大分類で関係を述べて、最後の6章ぐらいで、方程式を出す。これはいいアイデアです。それで全体だと言える。

 次元にとらわれずに、深さもバラバラで、それぞれのジャンルごとに論理を展開する。とりあえず、未来に関係することで、第10章まで抜き出して、エッセンスを取り出すのか、全てを直感的にやるのかをまだ、決めていません。

未来方程式での情報共有

 第10章が微妙になってきました。社会の様相よりも人の関係が強くなっています。未来方程式の割る部分、つまり、情報共有のところです。論考だと、6番目にでてくるやつで、それで割るということです。

環境哲学にする

 むしろ、歴史哲学を答えにしておいたらいい、それですべて答えを出すわけにはいかないので、最終的に自分に反映する場合もそこから来ます。なにしろ、最後は存在の無ですから。これは完全に哲学です。

 出発点はより多くの人が生きられることというものです。環境社会の時もこの点でした。方法論として、コンパクトがあるけど、人間として、どうしていくのか、人類としてどうしていくのか。ベースのところを実り豊かにしないといけない。この部分は完全に哲学にできます。

 歴史哲学として、ヘーゲルの後を継ぐものです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

底が抜けた

底が抜けた感じ

 底が抜けた感じです。周辺が平面に見えます。その後ろ側がチラチラ見えてきます。このワクワク感を楽しみにします。私にワクワクが本当にできるのか。

 止まりすぎています。反映も読書も。読書は半年単位です。入力をしながらでは、このぐらいのピッチが最高なんでしょう。まだまだ、余分なことをしています。

 この底が抜けた感覚、ものごとが平面にしか見えない。多分、感情の方に入りすぎている。私としては、世の中の人はそういう感情の枠の中にいるんでしょう。それをベースでみるというわけではなく、変な感じです。まあ、今日、Iさんに会って、その辺の感覚を確かめましょう。

トーンを落として話しましょう

 独我論というのも、なかなか難しいですね。もっと、明確に言葉をしゃべらないといけないかもしれません。パートナーのように。

 パートナーのトーンを落とした話し方が気にはなっています。全てを知りたいということに対してのアンチです。私が主人公としか思えないけど。

図書館を本屋に任せられるか

 図書館を本屋を任せるときには、コミュニティが条件です。公立図書館ならコミュニティが必要です。ツタヤが見栄えを良くすることはできるけど、コミュニティの権限を持てるかどうか。元々、皆の力でやるのであれば、本屋である必要はない。

国民国家の自由

 国民国家で自由を求めたが、この自由は束縛であった。本当の自由を求めましょう。意思の自由は欲望に贖う時に生まれる。

 資本主義のわがまま放題が自由ではない。その延長線上にある新自由主義はその範囲ではない。存在の力から生まれてくるものが本当の自由でしょう。やはり、全てを知ることに専念するしかない。もう少し、深くしないといけない。

未来方程式

 未来方程式そのものは日本の歴史だけにとどめておく。そのパラメーターが問題です。それぞれがどう生まれて、どう育ってきて、どういう関係になってきたのか。これは全ジャンルに関係します。

 その因果関係を自分の頭の中で描けるかどうか。かなりのボリュームになります。空間配置は、この頭の二次元では難しいです。

 国民国家から資本主義がどうなるか、グローバル化がどう影響するのか、民主主義は地域主義、それらのファクターがどういうバランスなのか。先人が残した情報共有というパラメーターでどうなっていくのか。そう言うところで、環境社会という、一つの答えが出ます。

 その先は位相空間の答であるLL=GGの世界に入っていく。それが超国家につながっていく。超国家と市民が直結する世界。

 それが存在と無という、自分の中のモデルと一緒になっていく。この空間は二次元とか三次元ではなく、無限次元に近い形になる。端同士がつながることは無限次元でないと考えられない。一番近いのは、立体的なトーラスです。4次元です。

 その意味で、ドンドン、二極化していきます。細かい部分と大雑把な部分がつながって、一点になっていく。その一点と細かい部分が常にやり取りする。これ自体がLL=GGの世界です。アナロジーは空間を超えます。時間を超えます。

 存在の力、情報共有、環境哲学の三つがつながって、具体化します。自由を求めて、国民国家を作ってきた。それが今までの経緯。その中に放り込まれたものは何を為すのか。そのために、国家と契約をするということ。それはグローバル化と多様化で答えが変わってきた。

 それまでは、中央集権ではないけど、国が大きいほど、人が多いほど、安定するというセオリーだった。それは結局、過渡期です。宇宙と同様に膨張するところにおいては過渡期です。膨張の結果として、LL=GGに行く間にどういうカタチを取るのか。それが共有意識で変わってくる社会です。環境社会はグローバルの元にある。

 そこでは社会の位相化を行います。国という単位を超えていく。ヨーロッパみたいに、混ざり合った所は答が出てくるけど、日本のようにディスクリートなところでは答えが難しい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

豊田市図書館の30冊

201『歴史を逆なでに読む』

648.1『ミルクの歴史』「食」の図書館

319.53『世界を動かす ケネディが求めた平和への道』

289.3『ウーゴ・チャベス』ベネズエラ革命の内幕

210.08『生活文化史』新体系日本史

146.8『カウンセラーは何を見ているか』シリーズ ケアをひらく

501.6『自然エネルギー革命』脱原発へのシナリオ

673.97『「外食の裏側」を見抜く プロの全スキル、教えます。』

391.6『スノーデンファイル』地球上でもっとも追われている男の真実

493.12『習慣になる!楽しみながら下げる血糖値コントロール』

783.47『メッシと滅私「個」か「組織」か?』

779.13『落語入門』知れば知るほど面白い古典落語

783.7『孤独を怖れない力』

404『広辞苑を3倍楽しむ』岩波科学ライブラリー

159.4『自分のアタマで「深く考える」技術』

140.18『使える行動分析学』じぶん実験のすすめ

135.2『神学・政治論(上)』

135.2『神学・政治論(下)』

589.73『STATIONERY Magazine no.10』文房具ものがたり 優れた文房具に宿る、選ばれるわけ

723『イングリッシュ・ガーデン』キュー王立植物園所蔵 英国に集う花々

369.36『流転チェルノブイリ2007-2014』

366.29『仕事の小さな幸福』

159.4『40歳過ぎたら仕事は「半分」捨てなさい』

304『知らないと恥をかく世界の大問題5』どうする世界のリーダー?~新たな東西冷戦~

007.5『これからのアーキビスト』デジタル時代の人材育成入門

019.9『エリートたちの読書会』

332.06『近代世界システムⅢ』「資本主義的世界経済」の再拡大 1730s-1840s

332.06『近代世界システムⅣ』中道自由主義の勝利 1789-1914

336.17『データ・アナリティクス3.0』ビッグデータ超先進企業の挑戦

361.45『コミュニケーション論をつかむ』
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

小分類変更 8.販売店 8.5~8.8

8.5 情報共有でつながる

 8.5.1 リソースをシェア

  1.ユーザー主導の開発要件

  2.活用イメージ

  3.情報構築基盤の構築

  4.ファシリテーターが必須

 8.5.2 多様な対応

  1.販売店で機能開発

  2.お客様の声を吸い上げ

  3.スタッフがデータ活用

  4.メーカーと直結

 8.5.3 情報共有環境

  1.ポータル管理機能

  2.コラボレーション機能

  3.ナレッジ蓄積と検索

  4.データ取込みと表示

 8.5.4 コミュニティ環境

  1.ポータル画面

  2.メッセージ処理

  3.ライブラリ処理

  4.アピール・アンケート

8.6 知識と意識の場

 8.6.1 お客様への関心

  1.スタッフの分化

  2.スタッフの環境つくり

  3.ソーシャルウェブを活用

  4.組織の分化で変化に対応

 8.6.2 コミュニティのシステム

  1.更新中心の基幹系
  
  2.情報系の活用を分離

  3.メッセージで外部の情報共有

  4.コミュニティは内部の情報共有

 8.6.3 意識から行動

  1.売るから使う

  2.サービスの高度化

  3.安心して発信

  4.ナレッジ化

 8.6.4 知識の活用

  1.ポータルの個人環境

  2.チーム連携

  3.メーカーとつながる

  4.お客様とつながる

8.7 マーケティングの変化

 8.7.1 情報共有から存在の力

  1.情報共有からコミュニティ

  2.存在の力で位相化

  3.店舗起点のサファイア循環

  4.メーカー存続の条件

 8.7.2 ソーシャル環境

  1.タブレットは紙の世界

  2.コミュニティはスマホ主体

  3.モバイルでコラボ

  4.ソーシャル社会に参画

 8.7.3 企業が生活者とつながる

  1.お客様と信頼関係

  2.お客様ポータル

  3.販売店リソース活用

  4.インフラをソーシャル化

 8.7.4 生活者のマーケティング

  1.意図を発信

  2.情報共有のマーケティング

  3.クルマ含みのマーケティング

  4.コンテンツ蓄積

8.8 分化から環境社会

 8.8.1 地域活性化

  1.知識と意識を支援

  2.市民の環境設定

  3.問題意識を共有

  4.有機的なつながり

 8.8.2 シャア社会

  1.地域コミュニティでシェア

  2.市民とクルマつくり

  3.共有概念の交通体系

  4.地域エネルギー

 8.8.3 サファイア社会

  1.個人の分化

  2.グループ活動

  3.組織の分化

  4.サファイア循環の意味

 8.8.4 環境社会

  1.クライシスは起こる

  2.生活者のコンパクト化

  3.地域コミュニティを支援

  4.企業が社会を変える
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

OCR化した8冊

2014年05月29日(木) OCR化した8冊

『ネットワーク科学』
 ネットワークを襲う大災難
  驚きを生みだす舞台
  故障と攻撃
  ドミノ効果
  感染症の大流行
  コンピュータウイルス、広告、流行
  ネットワークとダイナミクス、どちらが先だったのか?

『どんな場面でもそつなく振る舞える』
 簡単な10ステップでアイコンタクトの達人になる方法
 目の使い方で一目置かれる人になる方法
 個性的で飛び切りの握手をする方法
  《うわあ、素晴らしい握手ですね、エリアスさん》
  エリアス氏は微笑んで片手の手首を見せ、医者が患者の脈を取る血管を指さした。「コツはここですよ。握手をするときはいつも、相手のここに人差し指で軽く触れるんです」。いってみれば相手のハートに触れているようなもの。脈は心臓に直結しているのだから。

『愛国心』
 国家と「国」と「個」
 国家は抑圧装置か
 国民の自立とエゴ
 愛国心と公共性
 日本の非個人主義
 「私」のない病的デモクラシー
 国家か個人かの選択

『日本の雇用と中高年』
 六五歳継続雇用の時代
 中高年救済策としての「ジョブ型正社員」
 中高年女性の居場所
 中高年問題と社会保障

『氷川清話』
 歴史と人生について
 歴史とは何か
 青年の色欲と功名心
 喜仙院の教訓
 養生の秘訣
 島国の人間に余裕なし
 気合いを制すること
 順と逆・気合いのかけ方
 寝学問
 忘れること・坐忘の必要
 無用意と根気
 学者は実務にうとし
 余裕のある人間たれ
 無我の境
 家庭の事情が人間を弱くする
 すぐアタマにこたえるようではダメ
 知恵には尽きるときがある
 無神経の強さ
 仕事をあせるな
 日常の観察眼
 青年指導の原則
 党派をつくるな、子分をもつな
 世間は生きている、理屈は死んでいる
 武士道は消えてゆく
 日本の下層社会
 丸腰
 三河武士の正直さ
 人材はどこにでもいる
 主義に固定するな
 時勢のかわりめ(機運)
 党派性の誤り
 日本の景色は箱庭的
 不平不満も進歩のもと
 大悪人、大奸物
 死をおそれず、死を急がず
 山中鹿之助と大石良雄
 シナは大国、シナ人は大国民
 これからの青年に望む
 天保の大飢饉のとき
 無為にして閑寂
 末路に処する工夫
 江戸の歴史
 太田道灌
 江戸無血開城のいきさつ
 狂・賊・誠

『「幸せリーグ」の挑戦』
 民の幸福実感向上を目指す基礎自治体連合「幸せリーグ」とは
  立ち上がろう基礎自治体丿幸せリーグ設立の意義
  果敢にチャレンジする首長と自治体職員たち--設立総会を経て
  誰もが幸福を実感できるあたたかい地域社会を目指して
 「幸せリーグ」の意義を読み解く
  1.「幸せリーグ」の「偉大な物語」
  2.二つの環境破壊
  3.社会システムの補完・補強
  4.「幸せリーグ」のミッション
 基礎自治体の挑戦-住民の幸福実感向上のための施策
 地方の活性化を財政面で支える公益資本主義とは何か?
 幸せリーグ発のイノベーション--生活や社会の質を追求するプラチナ社会へ

『これからの経営は「南」から学べ』
 これからの世界を理解する
 危うい金融システム
 なぜマネーは南へ動くのか
 危険をはらむ不安定性
 自分の目で確かめ、判断する
 政府による介入
 中国版・国家資本主義
 新しい中央指令経済
 勝者はいるのか
 デジタル化がもたらす変化はまだ続く
 解き放たれるイノベーション
 一〇億人規模の新しい消費者
 急変するセグメント
 資源の奪い合い
 目下の課題を整理する

『しなやかな日本列島のつくりかた』
 「赤字鉄道」はなぜ廃止してはいけないか
 データに基づいて議論する
 衰退する鉄道網
 「赤字鉄道」は本当に赤字なのか
 鉄道の優位性
 ネガティブ・チェックの横行
 日本のポジティブ・シナリオ
 無個性化という危機
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

公立図書館は公であるべき

公立図書館は公であるべき

 コミュニティのための図書館サービスをなにしろ、保証させる。管理当局が地元の図書館の民営化を決定した場合には、徹底的に、コミュニティ化を進める。

 図書館において重要なのはコミュニティです。まだ、カタチになっていない、この可能性を民間企業で出来るとは思えない。民間企業の場合は、その不透明性が問題になる。それと目的が利潤だということです。

 コミュニティは色々なところに拡がっていかないといけない。そのために同化させてしまう可能性がある。

朝のIスタバの会話 5分40秒

 ワクワクとして、お待ちしていました →いや、また、また → 本当です。嘘とかは言えないもんで。

 後ろで誰か呼んでくれるといいなと思っていた。呼んでくれたので、ヨカッター。

 昨日は二胡だったんですね → 二胡はいいなと思った → 単純だから深い!

 どのくらいレッスンするのか → 先生と1対1で1時間です。ぶっつけ本番です → 私はフルートを音を出すのに大変だった。1時間ぐらい、別室で音出しをやっていた → 合奏しませんか → 20年以上前のことですよ

 今日はライトノート。

 今日は3時から起きていて、5時前から眠たくなって、そのまま来たから、体がだるい → 調子狂ってしまいますね → Iさんのおかげで身体が覚めました

 今日は12時までですよ → また、直行して、お邪魔します。

 昨日は帰る前にパートナーから相談があった。1時間ぐらい話したけど、話の聴き方がまるでなっていなかった反省している。余分なことを言ってしまう。

 どう話せばいいのか。Iさんのように、素直な表現で、相手の身になって話すことに心がけないといけない。

ワクワクという言葉の威力

 ワクワクの対義語はドキドキですね。

 車検誘致でワクワクしながら、待っているスタッフがいたら、その店に必ず行きます。フェースブックで品川さんに確認しましょう。そういうスタッフの能力を認めるかどうか。店舗で何が起こるのか。

 物理的な接触の機会を楽しみにする。その前はバーチャルな関係を作っておけばいい。

 ここでも重要なのは、「お客様ひとり」の概念です。

ライフログ

 ライフログである雑記帳はもうじき、777冊です。それに対して、何のメリットがあるのか? というよりも、これは何なのかをまとめておきます。

ローマ共和政の軍隊

 ローマ共和政の軍隊については、①ローマ市の人口動態の持続力 ②兵を動員する能力 ③新しい戦術を開発するローマ人の資質の三つだそうです。ローマの重層兵団の最前列に重装備の費用を払えるだけの人間、最富裕層が第一列を占めていた。

 リーダーが先頭に立つ。これがローマの強さの秘訣なんでしょう。

昼のIスタバでの会話

 朝、ワクワクと言われた。私はドキドキしていた → うれしい。ありがとうございます。

 スマトラのします。

 もう、そろそろ、来るかなと思っていた → だから、昼一番できた → ありがとうございます

 先客がいたので待っていました → 全部、目で追っていました。目で合図していましたね

 三つのスタバの雰囲気は異なるよね。駅前はフリーの客が多くて、もう一つのスタバは狭くて集中している。ここは座って、飲んでいくお客様が多い。一番落ち着くのはここですね → 本当にうれしいですね

 金曜日はジャンケン大会にしましょう。ジャンケンしてどうするかはあるけど → わかりました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ