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図書館風景

未唯へ。久しぶりに土曜日に図書館へ行きました。あなたも図書館に行きなさい。私が新刊書を選ぶ時に、その本に関心があるだろうと思われる女性の顔が浮かんだ時には借りるようにしています。

金曜日は出張で図書館に行けなかったので、今朝10時のオープンに合わせて来館。その時点で3階・5階あわせて、300人ぐらいが列をなしていました。期末試験と暑さ逃れで、目一杯混んでいます。すごい図書館です。

この図書館はオープン時から5年間ぐらい、返本ボランティアをしていた時は土曜日の10時の開館に合わせて、中で待機したりしていました。その時よりも人は増えているし、貸出冊数も日本有数です。

図書館に行って、メインストリートを派手な化粧の女子高校生風が連れ立って歩いているを見るのは楽しいですね。日本も捨てたものではないという気になれます。

ただ、残念なのはアウトソーシングの女性を仕切っていたKIMさんがいなくなったことです。彼女の仕切りはすばらしかった。新人教育などは本当にてきぱきをやっていました。借りる時に目を合わせて、一言二言の会話が楽しみでした。

開場コントロールはKIMが行っていた。入口が2箇所にあり、閲覧席は600あるので、300人の初期入場でも数は足りるのですが、やはり、いい場所とかグループとかの条件で、走り出してしまうのを20人ごとに区切って入れるようなコントロールをしていました。優しく、誰にも文句を言わせないという雰囲気で。

今日の開場コントロールは気の弱いNAKさんです。案の定、NAKさんは、人の勢いに押されて、ノーコントロールで開場してしまいました。後からクレームが来ないといいけど。慰めておきました。

新刊書から、選んでいたけど、金曜日組に荒らされていたので、専門ぽい本になってしまって、20冊に収めました。普段は金曜日に来ているので、人のことは言えません。まあ、日曜日に新たな観点で、10冊借りることにしました。

午後からは、「図書館友の会」を作るための参考資料として、『プロが教える・よくわかるNPO入門』335.89フクのポイントのOCRを行っていました。この本は、企業とか行政とかにタイアップするコツが書かれていた。本来は『本』が好きであり、『本』の存在に意味が持てる人が『本』の本来の使命を果たす組織でないといけない気がした。
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茨城の販売店でのポータル検討

未唯へ。今日は茨城へ日帰りです。グループウェアをやめて、ポータルに一元化したいということで進めてきた販売店です。

グループウェアを5年以上やってきて、大量データの保管の仕方とか、フォーラムの使い方とか、店舗で使ってもらうための仕掛けをしてきた販売店です。

こちらの趣旨としては、「ポータルありき」でそれをどう使っていくのかの具体的な話が進んでいると思ったら、どうも「よく分からない」「グループウェアは更新した」とかの情報が他から入ってきたので、女性と訪問しました。

今回の確認の内容は3つのレベルです。

個人認証が単独でできたのか? 来訪することを受けて、担当者を決めて、不明な点を電話のやり取りをすることで完了していました。

ポータルのベース機能をマニュアルだけで使えるか? 従来からシステム全体を担当している部長が一番好奇心を持って、やっていただいていました。その感想としては、「難しい」ということでした。マニュアルが縦になっていることもあり、画面イメージが分からないということでした。女性が確認したところ、さまざまな試みがされているが、ポートレットを「発行」するといった、新しい概念のところが抜けていました。来週、新しいバージョンのQAタイプのマニュアルを作ります。

最後に、自社のライブラリの部分について、どうするかを話そうとしたら、どうも話がおかしいことになっていました。要するに、自社のグループウェアを基本にすることに決めているみたいです。方向転換されています。「情報共有」の概念はどうしても、後回しになるし、無視しようとすれば無視できるものです。何となく、仕事を変えることを仕掛けないということです。

そこで、例の「知恵」と「力」の構図が浮かびました。効率的に販売するとか、情報共有して、やらされ仕事でない環境にすることよりも、力で、数で売り込む方向にかなり振られています。この力の方向にするときには、ポータルは意味を持ちません。なぜなら、自分たちのコンテンツをいかに共有しようかという知恵が原動力だからです。「何しろ訪問せよ!」では本社とつながっている必要はありません。

気になるのは訪問されるお客様の心理です。40年前と異なり、ブランドイメージを壊す可能性があります。本当はこのソーシャル部分のツールに興味があります。
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二十世紀は<知恵>から<力>へ向かった

未唯へ。20世紀を知恵と力で傾向を見ました。『二十世紀』209.7ウンから題材をとりました。

一九〇〇年代=知恵
 知恵 無線通信;キュリー夫人;ライト兄弟;アインシュタイン理論;ロシアー九〇五年;フォード

一九一〇年代=力
 知恵 パナマ運河;ロシア革命;第一次世界大戦
 力  メキシコ革命;石油トラスト;タイタニック号;『西部戦線異状なし』

一九二〇年代=知恵
 知恵 ラジオ時代;ハリウッド映画;ワイマール文化;大西洋無着陸横断飛行;不確定性原理
 力  禁酒法;『日はまた昇る』;世界大恐慌

一九三〇年代=力
 知恵 摩天楼時代;ニューディール政策;ケインズ革命;「ゲルニカ」;ニューヨーク博
 力  『怒りのぶどう』;ユダヤ人大虐殺;長征;スターリンの大粛清;スペイン戦争

一九四〇年代=力そして知恵の芽生え
 知恵 暗号解読;亡命者の文化;キンゼー報告
 力  第二次世界大戦;原爆投下;『異邦人』;冷戦と鉄のカーテン;赤狩り;イスラエル建国;中華人民共和国成立

一九五〇年代=力から知恵へ
 知恵 ポスト・スターリン;テレビ時代;ティーンエージャー
 力  朝鮮戦争;マッカーシー;スターリン死す;インドシナ戦争;宇宙開発レース;キューバ革命

一九六〇年代=やはり力へ
 知恵 『沈黙の春』;ビートルズ;キング牧師;パリの五月革命;ヒッビーの夏
 力  ベルリンの壁;キューバ・ミサイル危機;ケネディ暗殺;ヴェトナム戦争;「六日戦争」;文化大革命;〈プラハの春〉

一九七〇年代=力のあと
 知恵 フェミニスム;ホメイニ革命;小平時代
 力  変動相場制;ニクソン失脚;ヴェトナム戦争;第四次中東戦争;オイル・ショック;統一教会CIAの闇;アフガニスタン

一九八〇年代=力と知恵
知恵 情報革命;ポストモダン;ペレストロイカ;ベルリンの壁
力  レーガンの時代;サッチャーの破壊;「スター・ウォーズ」計画;チェルノブイリとエイズ;イラン・コントラ;天安門;文化戦争

一九九〇年代=力へ
知恵 ソ連邦崩壊;〈ニューエコノミー〉
力  湾岸戦争;ロサンゼルス暴動;ユーゴ紛争;パレスチナ;テロリズムの世紀末;コロンビア介入

やはり、力=数の時代になっている。壮絶な戦いです。
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20年後からの見た今

未唯へ。役員の就任の挨拶で、「20年後の人から見た時に、自分たちがどう映るのかを考えてみましょう」というメッセージがありました。

その役員は40年前の初心に戻ろうということを述べられました。40年前だと、日本のモータリゼーションが始ったところです。クルマの数が少ないので、一台一台に対して、知恵を出して、思いを込められる時代でした。

それに比べて、現在はクルマの数が増え、その位置づけ自体が変わり、決して、いい印象だけではなくなっています。クルマがソーシャルな存在になっています。20年後の若者に何を残したいのは、数が増えても、我々は知恵を出すことができることを証明することです。

20年後から、今を見たときに非難されるとしたら何があるか?

「20年前のメーカーは結局は、自分たちのクルマを作ること、その絶対的な有利を確保するために、汲々としていた。社会の中のクルマのミッションを理解していなかった。自分達だけで楽しんだいた。単に効率化だけに「知恵を使っていた。」

「2027年の今、クルマ社会が崩壊して、日本はアジアのなかで存在理由がなくしている。これは彼らが『内なる力』を求めたからだ。なぜ、あの時にソーシャルな世界への『智恵ある提案』をしなかったのか? そうしたら、巨大になったインドと中国に対しても『数が力でない』ことを示して、彼らの暴走が止められたのに。」

つまり、メーカーとしての責任だけを果たすだけでなく、社会的存在として、アジアの中の日本を意識して、お客様と一緒にクルマ社会を考えていく時です。今ならできるのです。

そのためには、フィンランドにおける「ノキア」のように、国民から信頼され、協力したくなるような、率先した行動が必要です。それはお金よりも知恵です。ノキアの会議の仕方は、いかに智恵を出すのかを基本に行動し、必要な時に人が集まり、決定し、それぞれが散らばると同時に、自分の場で行動を開始するというものです。

そのために、フィンランドでは教育体系も環境学習も生涯学習も、知恵あるものに変えてきたのです。20年後の若者へのメッセージとして、「日本のおける、この会社の役割」「この会社における、日本の役割」を明確にするところからはじめませんか! それが日本を活性化するものになっていきます。これが私のメッセージです。
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会社で「智恵を殺す」もの

未唯へ。今日はある人の一言で頭に来ていました。この会社組織が「知恵を殺す」姿勢になってしまったと痛感しました。

自分たちが「企画」という名前のもとに、インパクトのある仕事は何もしていないのに、私のことを「開発」、「ネットワーク」だからという名前だけで、「お仕事」を押し付けようとします。

そのラベルだけで、自分を安全地帯に退避させているつもりなのでしょう。結果として、私のミッションもあなたのミッションも果たされていません。私をこんな所に封じ込めておきながら、「開発」「ネットワーク」の「お仕事」だけに興味があり、それ以外のことはムシする組織からは何も生まれてこない。

私のミッションはもっと大きいです。それを理解できないのは、あなたの能力不足であり、この組織の限界です。昨日に続いて、愚痴です。この「限界」が「知恵を殺す」派と「知恵を生かす」派の壮絶な戦いです。

つまり、会社で「知恵を殺す」のは、ラベル貼りです。私の場合は、電算部での事務電算、東富士での技術電算を自分で求め、ユーザーとか設計者と一緒になってシステムを作ってきました。その経験から得たもので、名古屋の環境で最大限の提案を行っています。これは名古屋の文系の連中には考え付かないことです。ましてや、旧態依然たる、電算部の連中に理解できるはずがない。

それなのに、「開発」「ネットワーク」という名前の下に、矮小化して、そのなかでしか存在していないような態度です。そういう彼らは「サラリーマン」として、そこにいるだけです。本を読むこともしません。

それでもやっていけるのです。「知恵を殺す」ことを自分に対しても、他人に対して行い、それを「お仕事」にしているからです

それに比べて、「知恵を生かす」派は本当に不利です。なにしろ、自分の仕事をなくすのが仕事です。新しいシステムを作り出した時に、間接要員を少なくします。自分の仕事をその中に求めることはしまません。このようにして作り出した「全体最適」に対しても、サポートセンターとか、販売店との接点とか、「知恵を殺す」派が入り込んできます。

だから、負けるのは分かっています。その限界まで戦うしかないでしょう。本当は「笑顔」が好きなのに、どんどん笑顔が減っていきます。知恵のもとである女性の笑顔が、職場からなくなっています。
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つまらない。やはり、智恵を使っていこう

未唯へ。やはりDSは買うことにします。かなりの出費です。だけど、昼間は奥さん、休みは私のための「マシン」は必要という結論です。お金を出しますので、エイデンに寄った時に、買って来てください。

今日は気の迷いで、グループの送別会に出席してしまいました。この間の「中締め会」のいい思い出があり、何か新しいものが見つかるかと思い、出席にしました。

名古屋の送別会は、東富士とは異なり、送られる人をメインにするわけでなく、勝手にグループで飲んでいるというタイプです。

6時半という開始時間に到着したら、誰もいません。一番端の席で座って本を読んでいました。メインの人が来たのが20分後です。これは早いほうです。前回は30分以上も誰もこなくて、店員さんと首をひねっていました。今回、最後の人が来たのが、1時間半後です。誰も文句を言いません。

彼らは「仕事で遅くなった」とか「帰るときにつかまった」ということで、これは正当な理由としています。「仕事」と送別会に差をつけています。遅くなるほど、その人は「仕事」をしていることになります。それを競っているみたいです。「仕事」というのは、そんなにすごいことなのでしょうか? 

最近、はまっている『愚か者ほど出世する』の冒頭の問いかけを思い出しました。「われわれが習慣的にしていることのなかには意味のないことがごまんとあるのに、みんなはそれに気づいているのだろうか、それとも気づいていないのだろうか。みんながみんなバカであるわけではないのだから、そんなことはどうでもいい、なんてことはありうるのだろうか。」

ここの環境で「智恵を生かす」のはムリです。せめて、智恵を生かした「仕事」をしてもらいたいものです。

今日は月9の「プロポーズ大作戦」の最終回でした。家に帰って録画映像を見ながら、今までの宴会で何をしていたかを考えていました。話し相手がなく、ポツンと座っています。お気に入りの女性が皆のところを回っているのを、目で追いながら、食事を片付けています。終了30分前ぐらいに、やっと、その女性が来て、「しょうがないなあ」と言って、相手をしてくれる。最後までそこで話しているという風景です。

要するに皆とコミュケーションを取ることは出来ず、特定な相手とのコミュニケーションを好むということです。だから、私には宴会は向きません。
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モビルスーツがガタガタ

未唯へ。ボディ・ケアには気をつけてくださいね。体は借り物ですよね。

今週は元町のバス停までクルマ通勤にしています。アキレス腱の調子がよくありません。私は自分の体をモビルスーツと表現しています。私の場合は体と精神が明らかに分離しています。自分が思っている自分は皆が見ている自分とは異なります。だから、女性の心にもなれます。

ここに来て、体(モビルスーツ)がガタガタです。

耳鼻咽喉:3ヶ月に1回ぐらいのめまい。かなり慣れてきて、めまいのスイッチが入る音が聞こえるようになりました。その時は何しろ、寝るようにしています。

視力:右眼は生まれる時に眼球を傷つけて、矯正不能です。左眼一つでやってきたが、どうにかクルマの運転ができる程度です。

歯:一番の悩みです。本当にガタガタで、上の歯の差し歯を支える歯がいかれかかっています。大学入学のときは虫歯が一本もなかったのに。

体重:本当に減らないですね。ストレスからの診療室のKOZさんから禁止されている間食が増えています。歩行もアキレス腱のトラブルで、休止しています。

心臓不整脈:定期検査で告げられ、24時間のホルター心電図の精密検査をしたが、とりあえず問題なしでした。実は「未唯への手紙」を書こうとしたのは、20年前に心臓の調子が悪くて、このままでは未唯が二十歳になるまで生きられないと思って、手紙の残そうと思ったのが始まりです。

前立腺肥大:定期検査でPSAの値が大きいということで、検査入院しました。結果は前立腺ガンではなく、肥大でした。出張の時はトイレを見つけるたびに入っています。会議も1時間おきにトイレです。バスも後ろの席は揺れるので危ないです。

右足:アキレス腱が痛む。無印のスニーカーを履いていて、どうも傷つけたみたいです。その後も長時間歩いていると、その後に痛んで、歩行に支障をきたします。

これ以外に、高血圧とか脳尿病があります。これが上のかなりの部分の原因なんでしょう。

本当に、このモビルスーツは疲れます。「転校生」とかソフトバンクのCMとか最近のドラマのように、交換できたらいいのに! 

だけど、どの体に変わっても悩みはありそうだから、とりあえず、突っ張っていくしかないですね。何か他人事みたいな感じはなくならないので、本気にはなれませんね。
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グーグルは進化か、退化か

未唯へ。Web2.0という言葉を知っていますか。新しいWebの環境で、世の中が変わるというメッセージだそうです。従来のWebとの違いは、ユーザーからの発信があり、それらが集まって、「知」の再生成を行うことらしいです。この一番の勝ち組がグーグルということです。

『グーグル革命の衝撃』007.35ニツを読みながら、グーグルは本当に進化なのか、を考えていました。グーグルは人類が知恵を生かすことを否定して、知恵を殺す道具ではないのか

私はグーグル大好きです。自分が貯めてきたものを掘り出してくれるツールです。だけど、自分の中にコンテンツがない人にとっては、自分の頭で考えなくなる道具ではないのか?

その本の中では、インターネットを通じて簡単に情報を手に入れられる時代の危うさについて警鐘を鳴らしている。学問的な疑いの直感は、その人の頭の中で多様な知が関連付けられ、構造化されて初めて働くものです。知を構造化することとは『常識を疑う確かな力』を養うことであり、大量の情報を保有することではない。

グーグルは、情報を整理する手段でしかなく、構造化された「知」とは異なるものであり、頭の中に相互に知が関係し合って全体像を作るという構造とは全く違う。

我々は、ある意味で大変に不幸な時代に生きている。苦しんで物事を調べ、思考し、やがて自らのオリジナルな発想にたどり着くという人生最大の楽しみをほとんど知らずに生きている。私にしても年に1500冊の本を読んでいる理由はこの楽しみと自分の使命のためです。答は自分の中にしかないと思っているから本を通して、会話しているのです。

この問題の怖いのは、人々が検索で見つけた情報を、自分のオリジナルなものであるかのように発信し、それが一斉に一つの方向だけに動きはじめていることです。こうした「ネット世論」が暴走したときに、知恵は殺されます。

グーグルでもう一つ恐いのは、資料とか本をアメリカに握られてしまうことです。バークレー図書館の調査からの帰りの飛行機の中で、そのような状態になった時に、日本の図書館はいかに対応するのかを真剣に考えていました。対応するためには、ローカルでの知恵を生かすことです。地方の図書館で地元と一緒に本を武器にすることです。人が出向き、本が並んでいるところから、自分の目で見て借りていくことです。
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ポータルインフラの方向性

未唯へ。昨日は東京・横浜出張で横浜宿泊でした。君からは「東京バナナ」、「シューマイ」という注文があったけど、不思議なことに仙台名物「萩の月」でしたね。横浜で待ち合わせたTASさんからのお土産です。月曜日から東京に研修に来ていて、その間、ずっと持ち歩いていたとのこと、TASさんらしいですね。賞味期限が24日ですから、早く食べてくださいね。

東北6県と北海道の店舗をつなぐ、ウェブ会議システムを実際に使っている横浜の販売店で紹介してもらいました。今必要な機能が大きなボタンなどで出てくるもので、教育なしに使えるようになっています。販売店の情報共有のベースとして使えるように考えることにしました。

午前中は、ポータルのベースのソフト会社のMATさんにポータルインフラの方向性についてしゃべっていました。

現在のポータルの認識は「カタチに思いを」状態です。それを支援する機能について確認しました。
①ポータルをバックカラーをオレンジ色だけでなく、各社のカラーに合わせるとか、季節に合わせることができないか⇒インフラは可能なように作られている。
②販売店各社環境におけるサーバとの接続⇒可能。
③「ポートレットの概念がどこまで拡大できるか」⇒7月発表の新ソフトでもPablisherのようにまとまった機能を提供し、インターフェースはポートレットで提供することは可能。

次に、インフラ拡大のために、メール・ブログ・ライブラリへの拡大について確認しました。
①ウェブ化ソフトによるメールのフィルタリングとポータルへのプッシュ⇒方向に合っている
②ブログサーバの可能性⇒7月新ソフトでも可能になる
③Googleサーチ・Google管理でのサービスの提供元としてのポータル⇒未検討

最後に、サファイアの考えに基づくポータルの方向確認をしました。これについては、7月発表の3つの機能で企業の中のWeb2.0実現を提案します。Tags、PassWayでオープンを目指します。できれば、ユーザ会に参画してもらえませんか。

一応、自分の中のポータルのイメージが合っていることと、この会社の形態は特殊だということを認識しました。「カタチに思いを」ベースにして、Sa-ポータルをユーザーに必要な機能を提供するシナリオを作ることにしました。
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10歳と14歳へのメッセージ

未唯へ。エコットに中学生が環境学習に来たそうです。ジャージでインタープリターの座学を聞いている模様がアップされていました。私には、中学生に渡したい思いがあることに思い出しました。

2年くらい前に、エコットの企画ワーキングを行っていました。その時には、市民側の意見は大きく2つに分かれていました。一つは必ず、来訪する小学4年生中心の企画で十分というものです。説明イメージは学校教育の一環での座学の形式です。生徒は「教えるもの」ということで、先生経験者が推奨していました。もう一つは、市民参画にこだわって、土日の参画型の企画も考えて生きましょうというものです。私は当然、後者です。

小学4年生(10歳)について、色々と考えました。そのころに読んだ本に、10歳は「内なる世界から外なる世界に向かう」年と書いてありました。それまで、家庭という「社会」に居たものが、外なる「社会」に気づき、歩き始める。「家」と「木」と「人」の3つを絵に書いてもらうと関係がよく分かると書いてありました。そこで、私が出した企画は10歳の時の絵を残してもらい、エコットに蓄積しておいて、数年後に再訪した時に、比較してもらい、自分の気づきの分析をするというものです。

その時に、14歳バージョンも考えました。その当時、「13歳のハローワーク」とか「14歳の哲学」が話題になっていました。この14歳というのは、将来を決める、重要な年齢です。そこで企画したのが「未来の暮らし」です。これを展示の一番端に作ってもらいました。だけど、これをインタープリターが説明しているのを見たことがありません。

というのは、これは座学ではなく、生徒一人ひとりに考えてもらうための展示なのです。一通り、展示の説明を終え、環境問題を考えた最後に、「それであなたはどんな未来を想像しますか」「その未来に対して、あなたはどう関わりあっていきますか」ということを問うものです。

環境などというのは、技術者に任せればいいという人は、技術者になることもできるし、皆で考えていこうという人は、政治家になることもできるし、家庭の中から変えていこうという人なら、賢い生活者を目指してもいい。これを一番考えて欲しいのは中学生です。

だから、インタープリターを通じて、中学生にメッセージが渡るように、再度、企画に参画しましょう。
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