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「私とは誰か」から考えよう

『私とは何か』池田晶子

グローバリゼーションやらITについて、世の中賑々しいですね。世界的に、いろいろと猛烈な勢いで動いているようです。でも結局、人類全体としてこれらの事柄を、何のために何をしているのか、みんな全然自覚していないと思う。掛け声は勇ましいんですけれども、自分が何をしたいのかということは、まるっきり自覚していない。

結局、そういう曖昧の規模が派手になってるだけで、人類全体としては、いよいよ愚劣化が進んでいる。そして個人の人生の空疎化も進む。ですから、グローバリゼーション、インターネット、IT云々なんていうのは、私から見れば、まったく無意味に思えます。

こういった流れの根本には、人類の長い思い込みとしての物質主義、科学主義があります。つまり、目に見えるものだけが存在する、目に見えないものは存在しないという思い込みです。目に見えないものとは何かというと、要するに精神です。人類全体が精神の存在を忘れている。だから精神が貧困化する。その流れの一分枝として、バイオテクノロジーみたいな、生命科学と経済性が結びついている状況がある。お金があればいくらでも生き延びられるという。こんなふうになってしまうと、逆に、生命はちっとも価値ではなくなる。

IT革命で、バラ色の未来みたいなことが言われてますが、一方で無意味な少年犯罪や殺人が確実に増えている。このギャップはいよいよ広がるI方じやないですか。バラ色の未来と無意味な人殺し、この両方が同時に存在することが、近未来の社会です。それをどうにかしたいと思うなら、精神の原点に返るしかない。

そのためには、ひとりひとりが考えるしかないでしょう。精神というのは自分がそこに存在して、なにゆえに生きているのかを考えるためのものです。ひとりひとりが自分で考えて、それを知る以外にないのです。

一番わかりやすいのは、自分が死ぬということを考えること。明日は必ず死ぬという状況になってみれば「自分の人生なんぞや」と、少しは考えるかもしれない。私はもう考えることが宿命みたいなものですが、どなたでも生きて死ぬ限り、同じ問いは何かのきっかけで必ずもつはずです。

それと教育についてですが、誰ができるのかという現実的な問題としては、手遅れかもしれません。私にできることとしては、哲学の本を書いて、子供たちに届けるということをしています。日本では現在は、宇宙や存在における人生の意味と意義を、大きな視点から説ける人がいませんから。昔はいたんでしょうけど、最近は、学校の哲学も専門分化してしまって、人々からおよそ関係ないところにあるわけですから。微力ながら、私なりに努力してるわけです。

国家や民族やイデオロギーは過去の遺物となるし、またなるべきだと考えてます。そういったものは、人がこの世で生きるための、たんなる便宜です。それに気がつかない。あるいは忘れてる。ですから、こんなものはただの便宜だということを自覚しつつ生きればよいのであって、国家や民族が目的になるのは話が逆です。

要するに、自分のアイデンティティをそういう国家とか民族なんかに預ける愚かさですよ。この愚かさは有史以来のものですが、懲りずにその失敗を繰り返そうとしている。左翼が終わったから右翼にするなんていうことは、結局左のものを右にしただけの話でしょう。全然賢くなってない。少しは自分の頭で考えたらどうでしょう。

人間は皆、ひとりで生きて、ひとりで死ぬ。単独の精神性をひとりひとりが自覚する。自分とは誰かということをひとりひとりが考えるところから新しい人類の歴史ははじまるし、変わるんです。

精神性を自覚するといっても、集合的な精神性になると、これもダメです。集団になってしまうと、それはそれで宗教なり、イデオロギーなりということになりますから。そうでなくて、自分はひとりなんだということを徹底的に自覚すること。そこで必ず人類の歴史は変わるはずです。

これはものすごくスパンの長い話で、百年になんか収まらないんですけれども、変わり目はここにしかないんですよ、絶対に。

単独の精神性は、個人主義ということとは違います。あれ間違いです。個人とは何かということを考えていないから間違える。「じやあその個人とは誰なのか、自分とは誰なのか」と問うと、答えが返ってこないはずですから。私とは誰かと問いつづけることが、竹学なんです。たんに考えることといってもいいでしょう。哲学というと、難しい学問みたいですから。自分とは誰かとか、生きて死ぬとはどういうことかとか。それだけなんです。

ですから「私は日本人である」、とりあえずそれでもいいですよ。たしかに国籍はそうなんだから。けれども、私は日本人であるといっているところの私とは誰なのかということなんです。

日本人なんて、ただの属性ですよ。「私」とは誰ですか。これはデカルトの問いでもあります。

そう考えると、ギリシャ時代から三千年かかって、人類は変わったのかというと、ちっとも変わってないように思えます。人間が生きて、死んで、ここにいるということ、つまり人間の本質というのは不動なんです。

動いているのは時代の側であって、人間が動いているわけじゃない。そのことをみんな忘れているから、変わってると思って慌ててるけれども、ほんとはなにも変わってないんです。そういう不動の視点の側から見ると、現代の新潮流なんて、全部ただの風景みたいに見えるんですね。哲学をするとは、動じない自分をそこに所有することなのではないでしょうか。

それと今後の日本についてですが、もはや国家として機能しなくなっているんではないかという気もします。もちろんこれはただの想像ですから、哲学的な根拠のあることじゃないですけれども。優秀な人はみんな海外に出て行くだろうし、残った人たちは外国の経済植民地に住んでるようなものじゃないのか、という気がしますね。

いずれにしてもシステムや政治をいじったところで、そこにいる人間の精神が変わっていないのだから、変わりようがないと思います。人々の精神を根本から鍛え直さないと、なにも変わらない。

精神を鍛えるといっても、新保守主義なんかの精神主義とは違います。そこは混同しないようにしてはしいんです。なにかの主義を掲げることではなく、ひとりひとりが考えるということです。哲学をするということです。可能性があるとしたら、そういったことを若い人に教えていくことだけだと思います。いずれにせよ、時間切れという感じがしますけど。

この状況は、どうやら日本だけじゃないみたいで、人類の全体が百年ぐらいでその存亡をかけた、一種のこれは通過儀礼みたいなものではないか。百年ぐらいが勝負という感じがします。混乱の末に滅んでいるか、あるいは、精神性を自覚した新たな人々が少しずつ増えて、流れを変えていくかのどちらかだと思います。おそらくこの百年でしょうね。

でも、こういったことをもっと大きなスパンから見ると、人類発生してから四万年、地球の誕生からは四十六億年ですか、たかだか百年の間で何かどうであろうと、まあ宇山の。風景みたいなものでしょう。「自分が死ぬ」ということと「宇宙が存在する」ということについて、しっかり哲学しておくと、こういう視点が可能なわけです。

哲学が人類を短時間で変えるようだったら、それはたんなるイデオロギーです。哲学はいかなるイデオロギーでもありません。

だから時間がかかる。とにかく時間がかかる。ひとりひとりの人間の精神を確実に変えていくんですから。だって、いま六十億人いるわけでしょう。すべての人が目覚めるまでには六十億年かかります。

つまり、弥勒菩薩の救済と同じこと。永久革命って、私が言うのはそういうことなんです。無限に時間がかかるけど、道はそれしかない。それだけは断言できます。

ですから、宇宙史の側から見れば、いろんな時期とかいろんな失敗とかをこの人類が経験するのもいいのかなというように見ることもできます。私はそういう視点ももってますから、とくに慌てるということはなくて、失敗しても、まあたまにはいいかなと、またやり直しの人類が出てくるだろうって、そんなふうに考えてます。
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崩壊願望

『死とは何か』池田晶子

崩壊願望

 とりあえず「神様」がこの宇宙を在らしめたと仮定してみる。宇宙というのが唐突なら、私たちが日々暮らしているこの人生のもとと言ってもいい。人生のもとは両親の行為で、ただの自然現象だから、神など要らないと思えるなら、その人は、こんなこの世に文句のあろうはずもなく、水を泳ぐ魚がそうする自分を疑わないように、平気で生きているはずだけれども、私たちのたいていは、人生がこんなふうであることについて多かれ少なかれ疑問を持つか、深い哀しみを覚えている。そんなとき私たちは、それと気づかずじつは、人生のもととしての神様に異議を唱えているのである。「運」を云々するときは、「神の計らい」の存在を、暗々裡に認めているのである。

 で、この私、こんなふうなのがじつに気に入らない。と言うのが、まだ奇妙なら、生まれたから死ぬまでは生きているというまるで理由のない行為を日々私たちに強いている真犯人を深く憎んでいると言い換えよう。「運」などというよく考えるとわけのわからない表現を、最後には余儀なくさせるかのものを、ふざけた奴だと思うのだ。生まれてきたのも死んでゆくのも神の御意志、どんな苦難も試練と忍ぼう、こう思えるのが信者というもの。ところがこの私、望んで生まれたわけではないのに、ひたすら死へと追い立てられて、ふりかかる災難や病苦もまた誰も自ら望むはずもないのなら、人間の「意志」などどこにある!と、こう憤らざるを得ないソンな性格である。「生命は尊い」だと馬鹿を言っちやいけません。生命は尊くも卑しくもないただの自然現象です。にもかかわらず私たちはどうも意志らしきものをもあわせもっているから、人生を真剣に問い質すなら、どうしても「神」を問い詰めざるを得なくなる。神を問い詰めているのは、自然の本物としてのこの自分の脳髄でしかないはずなのにー。これは絶対におかしい、こんなおかしな宇宙など御免蒙りたい、神様の御手元にノシつけてお返ししたい、これこそこの私の、最後に残る意志である。

 人生と宇宙がこんなふうである限り、そこで何をしようと結局は大差ないから、私には格別してみたいということがない。そうでなければ、私こそが神となり、全然別の宇宙を在らしめるか、いやいや、いっそ、何ひとつ在らしめない「無」の神となること、一切合財を「無」に帰すること!

 救い難く破滅型の人間の、これが、(ほんの、ささやかな)願望です。 1992年2月

どうして哲学なのですか

 私は大学で哲学の勉強をしていた。出たあとも、ひたすら考えてばかりいた。考えるって何をって、あなた、存在とは何ぞやとか、認識は可能なりやとか、究極的真実在如何とか、まあ飽きもせずそんなことばっかりをですよ、ええ。お金についてのあれこれが、人間にとって考えるべき大事な何かだなんて全然思わなかった、いまもそう。

 結構な御身分でなによりというなぜそれが結構な身分なのか納得できなかったから私は考えていたのであるが。 平たく言えば、いかに生きるかを考えるよりも、なぜ生きるのかを考えるほうが、論理的に先ではないか。ごく普通にそう思っていただけである。でも、これ、全然普通じやなかった。世の人みな、生活は、仕事は、お金のことは、「しなければならないものだ」と最初っから深く思い為していたのだった。でも--なぜ?

 私はなぜ生きているのか

 宇宙はなぜ在るのか

 在るとは何か

 「リストラ」とか「インフラ」とか「リエンジニアリング」とかの言葉、いっぱい出てるけど、なんか異星人の言葉みたい。それはたぶん、そういう言葉に馴染んでいる人々にとって、私の言う「純粋精神」とか「純粋認識」とか「存在論的不可能性」とかがそんなふうに響くのと同じような感じなんだろ。

 さすがにそれくらいのことはわかるのだ。だから私は編集者に訊いたのだった。

 「なんで私なんですか」

 「ほんとに私でいいんですか」

 宇宙が存在することに意味がないのだから、我らの人生にもじつは大して意味はない。生活も、仕事も、お金のことも、「絶対にしなければならない」なんてことは、ほんとはないのだ。だからこそ私は、それぞれの人がそれぞれの人生観によって生きているその人生について、「べき」とか、「せよ」とか、「あらねばならぬ」とか、他人が言うことの意味がわからないし、言ってもやっぱり意味がないと思うのだ。「いまこそ哲学を」と人は言う

 でも、どの哲学?

 どの哲学のことを人は、あらかじめ求められるべき価値としていまさら求めているのか。

 野球哲学、料理哲学、経営哲学、世に哲学はかずかずあれど、人は、哲学真髄、その本来が、いかになんの役にも立たないかを知らない。哲学の文章をものする私がビジネス誌の読者の方の、唯一お役に立てることがあるとすれば、それである。すなわち、哲学はかくまで役に立たない。

 だって、そうじやないですか。仕事とか、お金とか、いのちとか、誰も疑いもしない世にも自明な価値が、「なぜ自明なのか」と疑い考えているんだから、これが役に立つはずがないじやないですか。哲学と人生とは、じつは真っ向相反する関係にあるのですよ。世の人ずっとそのこと勘違いしてきている。

 とはいえ、役に立たないことを知っている、これ、けっこう役に立つのですよ。なぜって、守るものがないから、恐れることもないんですもの。敵は常に我が心中にあり。
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備考に見る「人生と運命」

『人生と運命 3』より

本文のスターリングラード攻防戦とドイツ第六軍の壊滅よりも、備考の方が「人生と運命」を表している。

フリードリヒ・パウルス(一八九〇-一九五七)。一九四二年一月よりドイツ第六軍司令官。第六軍がスターリングラードで包囲されたのち、元帥に昇格、直後にソヴィエト軍に降伏して捕虜となった。ニュルンペルク裁判では検察側証人として出廷。抑留から解放後、東ドイツのドレスデンに移住して死去。

ソロモン・ミホエルス(一八九〇-一九四八)。ソヴィエト・ユダヤ文化の中心人物であり、稀代の名優にして国立モスクワ・ュダヤ劇場の芸術監督だった演劇人。一九三九年、ソ連邦人民芸術家、四六年、スターリン賞受賞。四二年につくられた反ファッショ・ユダヤ人委員会初代委員長に選ばれた。ドイツと戦っている赤軍あてに外国のユダヤ人から募金を集めるためアメリカなど海外に派遣され、成功を収めた。四八年一月、ベラルーシ共和国ミンスクで、おそらくスターリンの指示により自動車事故を装って殺害された。

一九五二年、ユダヤ民族主義により国家への裏切とスパイ活動を企てたというでっち上げによる裁判により、反ファッショ・ユダヤ人委員会関係のユダヤ人十五人が逮捕され、十三人が銃殺刑、一人が獄中死、一人が釈放された。ズースキン以下ここに挙げられた人々は、ヌーシノフ、ヴォフシ以外は本件の被告であった。ヴェニアミン・ズースキン(一八九九―一九五二)は国立モスクフ・ユダヤ劇場の俳優、演出家で、長年ミホエルスと共演してきた。ミホエルスの死後、国立モスクワ・ユダヤ劇場が四九年に閉鎖されるまで芸術監督をつとめた。四八年、病床にあるところを逮捕、五二年、銃殺された。

ダヴィド・ペルゲリソン(一八八九-一九五二)。ウクライナ出身のイディッシュ語作家。革命と内戦期のユダヤ人インテリゲンチャの運命をえがく小説を書いた。一九二一年、ベルリンに移住して雑誌編集に従事、三四年に帰国。半自伝的作品『ドニエプル川のほとりで』など。四八年逮捕、銃殺刑。

ペーレツ・マールキシ(一八九五-一九五二)。ウクライナ出身のイディッシュ語詩人、作家。一九四八年、ともに逮捕されたゴフシテイン、クヴィートコとともに、かつてはキエフの叙情詩三人組と呼ばれた。ウクライナのユダヤ人迫害をテーマにした詩集『堆積』はとくに有名。戦時中はソヴィエトヘの愛国心を謳った詩をつくった。四八年逮捕、銃殺刑。息子のシーモン・マールキシ(一九三一-二○○三)はジュネーヴ大学の文献学の教授となり、『人生と運命』のスイスでの最初の出版(一九八〇年)に尽力した。

イサアク(イツィク)・フェフェル(一九〇〇-五二)。内戦や社会主義建設をテーマに簡潔で叙情的な詩をイディッシュ語で書いた。反ファッショ・ユダヤ人委員会秘書として、赤軍支援の募金を目的とするミホエルスのアメリカ旅行にも同行した。逮捕後、自分は国家保安省(MGB)の秘密職員であり、ミホエルスの見張り番だったと自白し、自分だけ隔離審理を要求したが、死刑をまぬがれなかった。

イサアク・ヌーシノフ(一八八九-一九五〇)。文芸・文学史研究者。ウクライナとポーランドにまたがるヴォルイニ県に生まれる。イタリアとスイスの大学で哲学と文学を学ぶ。一九二五年からモスクワ大学で文学を教え、キエフのウクライナ科学アカデミーの労働者文化学院の活動にも参加する。イディッシュ語の雑誌や『ソヴィエト大百科事典』『文学事典』に執筆し、『イディッシュ文学史』の未刊原稿を残す。反ファッショーユダヤ人委員会関連の裁判とは別に四八年に逮捕され、獄中死。

ミローン・ヴォフシ(一八九七―一九六〇)。スターリンの主治医、モスクワ大学教授、クレムリン病院長、赤軍軍医総監をつとめた。ミホエルスの従弟。一九五三年一月、「医師団事件」で逮捕、スターリンの死後に釈放された。

ミハイル・トムスキー(一八八〇―一九三六)。労働組合活動出身の革命家。全ソヴィエト労働組合中央評議会の議長をつとめた。一九二四年のレーニンの死後はスターリン派によるトロツキー、カーメネフ、ジノヴィエフの追い落としに加担したが、二八年からブハーリン、ルイコフらとともに批難の矛先が向けられた。第一次モスクワ裁判期間中にピストル自殺。

ソロモン・ロソーフスキー(一八七八-一九五二)。ロシア社会民主労働党員として革命運動に身を投じ、労働組合運動指導者として著名。一九〇九年フランスに亡命。二月革命後帰国し、二一年、コミンテルンの後援で設立された国際組織プロフィンテルン(赤色労働組合インターナショナル)書記長に就任。第二次世界大戦中は外務次官をつとめる。四九年、反ユダヤキャンペーン中に逮捕され、銃殺。

エルンスト・テールマン(一八八六-一九四四)。ドイツの労働運動指導者。一九二五年、共産党党首。二度、大統領選に出馬した。三三年、国会議事堂放火事件後、ゲシュタポに逮捕され、拘留ののちブーヘンヴァルト強制収容所で、おそらくヒトラーの個人的指示により殺害された。

オーシプ・ピャトニツキー(一八八ニ-一九三八)。一九〇二年以来のレーニンの密接な同志。二一年に創設されたコミンテルン内のスパイ組織である国際連絡部(OMS)の長に就任した。三七年、党中央委員会で公然とエジョフを非難し、ブ(ーリン擁護を試みたのち逮捕、粛清された。

ヴィサリオン・ロミナーゼ(一八九七-一九三五)。グルジア生まれのボリシェヴィキでスターリンの古い友人。一九二一年のクロンシタットの反乱鎮圧に関わる。二五-二六年、共産主義青年インターナショナル書記長。二七年、コミンテルンにより中国共産党の武闘路線を促すべく中国に派遣される。のちにスターリンの海外政策やカフカスの農業集団化を批判。トロツキー-ジノヴィエフ裁判の準備段階で召喚され、青年運動指導者たちの逮捕を知り、自殺。

マルテミアン・リューチン(一八九〇-一九三七)。シベリア生まれの古参ボリシェヴィキ。一九三二年、「スターリンとプロレタリア独裁の危機」と題された約二百頁の文書を発表、「リューチン事件」と称され、これがソヴィエト共産党内での最後のスターリン批判となった。本人は十年の懲役刑を受けたが、大粛清期に銃殺、近親者も流刑・処刑された。

アレクサンドル・シリャープニコフ(一八八五-一九三七)。古参のボリシェヴィキで全ロシア金属労働組合委員長をつとめた。一九二〇年代、レーニン、トロツキーらの中央指導部を批判した労働者反対派を率いた。三三年、党から除名、三五年、三十五年の懲役刑が科せられ、翌年、罪を認めないまま処刑された。十月革命の回想録が有名。
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パートナーの業務移管

スタバの風景

 Iちゃんは休憩中だそうです。他のバリスタから告げられました。あのスタバでは、Iちゃんと私は有名みたいです。

 スタバに行くと、Iちゃんが居る時は、バリスタが呼びに行きます。後ろでペコっとあいさつします。カウンター担当のバリスタではないので、遠慮しています。

 「会えてよかった」と言われると、私はまだ、存在しているという感覚です。

パートナーの業務移管

 パートナーの業務移管が終わりました。

 最初は、維持と開発しかなかったけど、途中から企画は必要だということになりました。今回の移管は維持の部分です。企画の内容は不明です。

 移管先の当室のGを見ていても、全然、感覚が悪いです、パートナーは彼らに気を使って、まとめてきた。すごいもんです。受ける方の問題が多すぎる。

 以前、大量配信も維持に渡した途端に、本来の機能は停止しました。それだけの器しかないから、しょうがない。組織の弊害です。

 今のように、仕組みを変えない時に、それでいいわけがない。だから、全体からスポイルされようとしている。自分たちの枠を決めて、その中に棲みついている。

 ネットワーク会社に対して、パートナーの行った成果は私が行います。誰からも認められることではない。影で行います。それで十分です。

パートナーの企画

 パートナーとしては、自分が企画してきたものが崩れていくモノを見ているかもしれない。

 歴史を帰るところとつなげられるようにしましょう。パートナーの企画を応援しましょう。

 電算部でやることも決まらないから、Hの望んでいることものを洗い出します。行動は、私ではなく、本来、やるべきところを見つけて、そこでやってもらいます。私は繋がるをつなげる。

パートナーの武器

 パートナーの武器は、Hはわがままであること、言っていることとやっていることが違うということ、システムとはアンマッチであることを実感していることです。

 Dの展開をしたが、システムとは合わなかった。ユーザーニーズで変えられるコンテンツから発想しないといけない。Gの勝手な思い込みで、展開が中止になったが、Hの問題は解決していない。

 お客様との様々な接点をそれぞれのところで別々に作っている。それらの全体システムが考えられていない。作りたいから作っているだけです。

 Dにしても、Hに聞いていれば、変わってきたけど、建前で作ってきた。挙句に使われない。それがパートナーのトラウマになっている。

 作るための組織に入り過ぎて、狭くなってしまった。使う方の仕組みを作りましょう。広い世界に行きましょう。

存在を考える

 ここまで来ると、本当に存在を考えないといけない。

 池田晶子さんは、皆が私と同じように考えていると思っていた。ところが誰も考えていなかった。この驚きはよくわかります。あの位、素直に書けると一番いい。哲学者になればよかった、と感じる瞬間です。

 内なる歴史ならば、世界がどうなろうと関係ないよね。この結論になりそうで、こわいです。全てが無になる。意思とはならないけど、無になります。

 今は存在をなくしたい。これは本音です。だから、Iちゃんの「会えてよかった」の言葉は響きます。
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ユーザー要件とシステム要件

未唯へ

 74.1。3日間で▲2。ウエストは84で、あまり下がっていない。2は下がり過ぎです。糖尿が進んだのでしょうか。ウエストは腹が空いている時に、運動しないと下がりません。土日は豊田市への歩行です。

 未唯空間の小さいモノを持って、歩きながら考えましょう。それを日課にします。

店舗の活性化を図る

 HがiPadを使いたいなら、相手がキャリアでも、それに対応していく。SFDCでの成功事例も横に展開していく。スポンサーは電算部でもeでもいい。グーグルでもいい。問題はいかにして、店舗を活性化するかです。

歴史は何から変わるか

 歴史は何から変わるのか。どういう風に変わるのかのシナリオです。できたら、2015年からコミュニティと言うように、年数も入れたい。

 複雑性からすると、今の段階で、どこまでできているのか。2015年にポコっと、コミュニティが生まれるわけではない。環境社会とかコンパクトシティなどから、追い込んでいかないといけない。もう一つは、ローコスト・ローエネルギーがコミュニティに繋がっていく。

 歴史的に見ると、ムハンマドのように、啓示を受けて、核の部分ができてくる。次のステップは、それに対して、大きな力が働いて、抵抗勢力が味方になってくる。共和制ではないけど、崩壊するときは警察権力は、民衆の方に立ちます。ベルリンの壁の崩壊もそれで可能になりました。

 そのためには、鬱積しているモノを明確にしないといけないでしょうね。エジプト革命が、今後どうなっていくのかも扱っていきます。

 市民を動かす、最初の大きなものは危機感です。危機感をどこまで共有できて、市民を動員できるか。では、どんな社会なのかも示します。サファイア社会をそのまま使います。その中で循環しています。

 今の民主制度とどういう風に異なるのか、それを本当に維持できるかも示します。その後の事例のところで、ヒントをもらいます。

 ギリシャは同一価値観で、地中海諸国と連合を作っていって、どうなるのか。エジプトは、第二革命が起こった後、どうなるのか。中国の分裂の方法はどういうカタチが望ましいのか。それに対して、日本はどうするのか。

 日本はどういう形でコミュニティ社会になっていくのか。県という単位なのか、市の単位なのか、道州単位なのか。その後に、メーカーがどう動くのか。拠点があるところは、その地域で生きていくカタチになるのでしょう。

 ローコスト・ローエネルギーを日本の中だけでやって、力がつくのか。世界にアピールするだけでいいのか。それらが、第8章に繋がっていきます。第7章はシナリオを言いながら、ヒント出しになります。

 第8章は内なる世界だから、思う存分変えていけばいいけど、それだけの発想力があるかどうかです。

個人が変われば、社会が変わる

 個人がどう変わるのか、社会がどう変わるのか。個人が変われば、社会がが変わるという予言を信じましょう。個人が考えることで変わるとしている。

 個人が変わることのベースは、私は誰なのか、生きているのか、死んでいるのか、と言った哲学的な要素です。そこから、社会での在り方、個人のベースではないから、社会をどう見ていくのか。組織に依存している人たちがどう変わっていくのかが最初でしょう。

 第7章のように、シナリオにするわけにはいかない。どれぞれをわけてやるしかない。これはこれで難しい。最終的には、そんなことはどうでもいいという答になるかもしれない。何しろ、内なる歴史なんだから、ここはひとつ、踏ん張りましょう。

ユーザー要件とシステム要件

 ユーザー要件とシステム要件が当室と電算部とは合わないみたいです。これらがあるから、邪魔なんです。ユーザー要件だけでできる社会を望みます。

 全体の仕組みは必要だけど、システム要件と言うのは、作ることが前提です。ユーザーが自分で組み立てればいいというのが、ベースになっていく。

 当室からのユーザー要件を確認します。Oの場合は、自己満足が多い。とりあえず、Oのユーザー要件を見せてもらいます。それに対応する電算部のシステム要件も。組織を超えて出しゃばります。そこだけです。何もしません。
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地域の「自立」とは何か

『若者たちの震災復興』より グローバル化の先のローカル化

地域の「自立」とは何か

 ところで地域再生というテーマが論じられるとき、地域の自立ということがしばしば話題となるが、そもそも地域の「自立」とは一体何だろうか。単純に考えれば、ある地域がほかの地域に「依存」することなく存続していけるという意味であり、通常は、経済面あるいは財政面において、ほかの自治体や国の支援を受けることなく存続していけるといった意味に理解されている。

 しかし一方、「都市一農村」という切り口からこの問題を考えてみると、一般に都市というものは食料等の調達を農村からおこなっており、それが食料面で「自立」することはほぼ不可能である。そしてこの限りで言えば、あえて単純化するならば、“農村は都市なしでもやっていけるが、都市は農村なしではやっていけない”というのが基本的な事実である。すなわち明らかに都市は農村に「依存」している。

 実はこの関係はいわゆる先進国と途上国の関係によく似ている。一見、「先進国」のほうが“進んで”おり、さらには「途上国」のほうが先進国の“援助”を必要としているように見える。しかしそれはむしろ逆であって、歴史の展開を見れば明らかなように、実は「先進国」の側こそが、「途上国」の存在を常に必要としてきたのであるー一打)最初は資源の調達先として、②続いて商品の販売先として、③さらに工場移転など資本の投資先として。

 もう一つ重要なポイントがある。それは、農村と都市との間にはある種の「不等価交換」とも呼べるようなメカニズムが働いており、これは単純に言えば農産物など自然の価値ないし価格が、その本来の価値に比べて低く評価されているという点である〔詳しくは広井(2009a)参照〕。

 そしてすでに述べてきたように、今回の大震災が明るみにしたのは、まさに東京などの大都市圏が地方ないし農漁村に物質循環において安価に依存しているという構造だった。

 思うに戦後日本の場合、農村から都市へ大きな人口移動があり、また都市が無際限にスプロール化し都市と農村の明確な境界がなかったりするので、ヨーロッパなどに比べて都市と農村の関係は一見“連続的”であるようにも見える。しかし実際には、工業化の路線をひた走り、事実上農業という分野を脇に置き、食料は国内の農村よりも海外から調達する比重を高めていったため、以上のような都市と農村の「相互依存関係」が忘れ去られていったのではないだろうか。

 先ほど少しふれた、私が昨年おこなった地域再生に関する全国自治体アンケート調査では、「今後の地域再生・活性化において特に鍵となるポイントは何か」という設問への回答において、大都市圏では「地方自治体の財政面での自立性や分権を通じた権限強化」が多く、逆に地方都市や農村部になると「国による適切な支援(交付税、補助金等)」が相対的に多かった。

 これはある意味で、地域の自立ということについての見方が、大都市圏と地方中小都市、豊村部の間でまったく異なっているということである。しかしこの場合、もし大都市圏が、食料等のマテリアル・フローにおいて農村部に「依存」している状況を見ていないとすれば、それは先進国が途上国に依存している状況を無視して、途上国の債務問題を批判するのと同じことになりはしないか。

 今あらためて「地域の自立」とは何かというテーマを問い、相互依存関係にある「都市一農村」がともに持続可能であるように、都市から農漁村への適切な再分配政策ないし支援政策を考えていくべきではないだろう。

コミュニティ経済の時代へ

 最後に、「コミュニティ経済」という視点について簡潔にふれておきたい.

 私はこれからの時代において、資本主義の進化の帰結として、「コミュニティ経済」というものが非常に重要になってくると考えている。コミュニティ経済とはいわゆる「コミュニティビジネス」よりも広い意味で、基本的には“経済の地域内循環”、つまりローカルな地域においてヒト・モノ・カネが循環していくような経済のあり方をさすが、同時に以下のような側面ももっている。

 そもそもコミュニティというものは“真空”に存在するものではなく、人びとの生産活動や日常生活のなかに、ある意味でごく自然に存在するものであろう。また、商店街などを想起すればわかるように、かっては経済活動自体がある種の「コミュニティ」的性格ないし相互扶助的な要素をもっていた。しばしば言及される“三方よし(=売り手よし、買い手よし、世間よし)”という近江商人の家訓などもそうした発想に近いものと言えるだろう。

 こうした視点を踏まえ、これからの時代においては、「コミュニティ」をできる限り何らかの経済活動と結びっけながら生活のなかに組み込んでいくような対応や政策が重要になっていくのではないだろうか。

 このことを別の角度から見ると、コミュニティを「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」の二者に分けて考えた場合、農村社会ではこの両者は重なり合っていたが、戦後の高度成長期においてこれらは急速に分離していった。一方、たとえば今回の震災被害にあった東北の漁村のコミュニティというものは、漁業という生産活動と不可分のものであり、「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」が不可分に融合している。都市部では上記のように高度成長期を中心に両者が分離していったわけだが、コミュニティの再生が求められるこれからの時代は、この両者を再び融合させていく方向が重要なのではないか。

 そのなかには、たとえば「福祉商店街」ともいうべきアイデア、つまり歩いて楽しめる商店街をケア付き住宅ないし公的住宅(高齢者・障害者のみならず子育て世代や若者向け住宅を含む)や福祉施設等と一体的に整備しつつ、世代間交流やさまざまなコミュニティ活動の拠点にするような方向かありうるだろう。これぱ買い物難民”減少にも貢献するとともに、若者の雇用(ないし中間的労働市場)などにも意義をもつ可能性がある。同様に、都市型農業と結びついたコミュニティ経済、鎮守の森や自然エネルギー拠点整備とリンクしたコミュニティ再生等々といったさまざまな対応や政策を進めていくことが重要だろう。

 こうしたコミュニティ経済の領域は今後大きく生成し、その輪郭はなお未開拓であるが、そこでは貨幣と非貨幣がクロスするとともに、内部で循環する経済を地域に生み出し、ひいてはおそらく都市と農村をつなぐ機能も担うことになっていくだろう。

 コミュニティ経済という大きな視野のなかで、若者支援や農山村再生、ひいてはこれからの日本社会のあり方を構想していくことがいま求められている。
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営業の正義とネットの大義

ネットワーク会社のミッション

 組織が動かなかったら、第二ラインを作るしかない。組織と言っても、人です。その人が動かなかったら。そういう意味ではHから、ネットワーク会社、管理部署、電算部とつながえるネットです。ものを展開する時は、その反対に動かします。

 主体はHです。何を本来すべきなのか。Hでの大容量通信はメーカーからは始まりません。ネットワーク会社はさほど、作ることは必要はない。事務局的に横に展開していくことです。事務局機能はパートナーのために考えたことです。ライブラリもポータルもパートナーに押し付けたカタチです。

 管理部署に対しては、ネットワーク会社が使えるようにする、Hで使えるようにする。そのための条件を言ってもらいます。ネットワーク会社のミッションです。今の営業ではそれを理解しないでしょう。だけど、今のままではダメです。

 東京のHで分かったのは、Hとネットワーク会社は対であることです。その中に、メーカーが入らなくてもできるはずです。

営業の正義

 ネットワークの大義を押し通す。これをやるのはどこなのか。当室ではない、営業の正義の下に居ます。そのための調整をどうするかです。管理部長の権限ではなく、ネットワークの点検です。その先にあるモノも見せていけないとムリでしょう。東京を超えた先に何があるのか。

 次期ネット展開を止めるかどうかの分岐点です。ネットワーク会社は総力を挙げて、これに対応しないと、どうにもならない。

 パートナーがやることを少なくします。知恵を出すしかない。システム会社の担当に、ネットワーク屋として、プレッシャーを掛けることです。その意味では維持できないということ。我々はこれだけ考えたけど。これだけ考えたというのは管理部署です。プレッシャーを掛けます。

 ネットワークの大義を持っているのは、やはり、管理部署です。関係者はネットワーク会社の部長と東京担当です。来年9月にするにしても、いかに条件闘争するかです。ネットワーク会社から納得するまで提案させましょう。

 定期点検を効率的に行わないと、1年で設置は不可能。一年で行うのはネットワークの大義です。管理部署からの権限を営業が持つというところです。6年前は営業の戦略的な意図がなかった。工事などの技術がベースだった。

 ネットワークの思いとか大義が分からなくなっている。ネットが進みすぎたといっても、世の中に比べたら、遅くなっている。それはネットワークの問題であって、営業の問題ではない。そこは、メーカーとしてどうして行くのか、イントラネットをどうしていくのかを管理部署が押さえていかないといけない。

 パートナーは、このままでは窮地に陥る。Sには何回も説明していく。ネットワーク会社の存在理由のために。ネットワークの大義のために、ネットワーク会社に他人事ではなく、関与します。営業の意識などにも入ります。

 武器はパートナーが作った道具です。茨城に行って、何を早く行くこと、早く決めること.6年間で2時間の止めることを認めさせること。パートナーがどこまで、意識しているか分からないけど、それをやってきた。それは現在の課題を予知していた。そのための準備をしてきたが、営業スタッフは理解していなかった。

 営業にネットワークの大義を吹き込みます。これはHのシステム担当のために行っている。私は先を見て、考える。店舗でのネットワークの強化は確実に必要です。大量データを送ることもあるけど、もっと単純なことです。インターネットとの親和性です。イントラをどういうところに持っていくのかは、管理部署の責任です。

新しいミッション

 それを実行する部隊としての、ネットワーク会社です.ここの関係をハッキリさせます。その上でアプリとしては、eと電算部の分をインフラとして、載せて行きます。

 その時に、当室が参画するなら、パートナーが必要となります。アイデアを持っているけど、組織に囚われている。幻想を抱いている。今までは、組織を超えていた。気付いていないだけです。組織の中だけにいる人間にはネットワークができるはずがない。ネットワーク会社に対して、色々なアイデアをHのために出して、実現してきた。
ネットワークの大義

 営業の正義に勝てる部署はメーカーにはない。ネットワーク会社はその範疇から離れている。ネットワークの大義で行動できます。商売道具としてのネットワークとして、Hのシステム担当者を味方にすれば、自分たちに合ったことをしてほしい。

 では、ネットワークの大義とは何か? 一年で敷設することです。世の中と同等のネットワークをイントラとして、切り替える。システム担当者と営業本部のネタを上げていく。納得するまで説得する。それがネットワークの大義なんでしょう。自社店についても同じです。人任せではダメです。
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歴史編を通しで語る 3

7章は社会編と一緒になったテーマ

 具体的に変えるシナリオです。

 先ずは、社会コミュニティを作り出して、それで従来の組織を吸収していくという、新しい市民社会です。それに対して、政府などのグローバルは崩壊している。それでローカルと支援する所にどこまで持って来れるかどうかです。

 グローバルをどう変えていくかです。崩壊したままではなく、全体効率を求めないといけない。グローバルのグローバルが必要にはなります。依存している社会から自立する社会へ。そこでの企業の役割が難しくなってくる。

 地域独立を前提とした時に、今までのモノづくりだけはなくなってくる。地域の中に入り込んで、いい町を作り出すことの存在感です。政府は単に事務局化すればいいです。

 それらを踏まえて、サファイア社会というものをイメージします。サファイア社会はローカルから始まります。ローカルの活性化からインタープリター、そして、グローバルでのモノづくりし、ファシリテーターしていく循環です。

 ガラッと変わって、未来へのシナリオは各国が抱えている問題をどのように、サファイア社会にしていくかの具体例を示します。

8章は内なる歴史

 ここで色々なシミュレーションをしていきます。内なる歴史は実際の歴史を変えるのが難しいので、自分の中でシミュレーションするために生まれてきたのでしょう。

 内なる世界なら、エジプト第二革命も起こすこともできる。そこでシミュレーションして、平和になるかとか、新しい政治形態が維持できるかどうかです。

 そのシミュレーションを通して、要件をハッキリさせます。歴史のポイントは国を超えていることです。まだまだ、始まった所です。
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歴史編を通しで語る 2

4章は前半の締めくくりとして、次の時代を考えます

 だから、8章で「内なる歴史」を述べます。4章で、その前振りをします。私という観点をここに入れ込みます。私の役割です。何しろ、歴史は分かりにくい。概念の部分を私が決めていくしかない。ポイントは歴史は循環する。循環する部分は端折ることができる。

 ローカルに時空間がある限り、多様な意見になります。なぜ、そうなったのかを、歴史ライブラリの中に入れ込みます。本とかを歴史観でまとめる形態は未唯空間のスタイルで生み出す。歴史ライブラリで、結論に対して、トレースできるようになる。

 次に、歴史をサファイア循環の観点から解明します。具体的なものをサファイアに入れ込みます。その次に未来へのシナリオを書きました。この辺は書ききれていない。

 歴史への観点の最大のポイントは、多くの人が平和に生きている未来を創造することです。ここまでが4章です。前半を終わります。

 ここまでやってきた感想としては、割と真っ当かなと思います。やはり、ローカルとグローバルの関係で見てしまいますね。私の役割だけが何となく、違和感ですが、歴史を見たりするときには必要です。これは歴史観との関係です。

 それと、ここまで来たら、何をするかです。だから、後半を続けます。

5章はクライシスから始めます。

 歴史はクライシスで変わってきた。3.11は歴史にとって、クライシスでしょう。20世紀も21世紀もクライシスが続いている。

 もっと、ゆったりした変化かなと思っていたけど、歴史は急激に変わるもんです。変わろうとしないところがありると、歪んでしまうから、分かりにくいのも確かです。何しろ、歴史が変わるのが早いです。

 鬱積しているものがあると、一気に吐き出します。明治の日本がそうであり、中国の共産主義もそれに当たります。そして、エジプトも鬱積しているものがあった。

 クライシスに対して、グローバルでの対応が有効でないことが判明した。地域から変えていかないといけないことだけが分かってきた。グローバルからすると、ローカルは自分で再生すればいい。グローバルで変わる必要はない、と甘えていた。

 ローカルが活性化するとどうなるかを見ていない。分配するという、国の機能そのものが働くなったエネルギー。地産地消になった時に、国が邪魔になります。もっと、大きな単位で存在すればいいだけです。行政も小さくすればいい。とってかわることも可能になる。

 そこから、ローカルの自立が始まります。この部分は社会と殆ど、同じになっています。歴史という観点で見直していかないいけない。それらから、歴史は変わるという仮説をしています。

 何から変わるのか。偶然から始まるでしょう。どのように変わって、それでどうなるのか、を見ていくことにした。そこを考えたのが、5章です。

6章は歴史として社会構造を見ていく

 次に6章です。歴史として社会構造を見ていきます。国家以前から民主主義に至る道、それはローカルがグローバルに取り困れる過程です。それをLocal meets Globalとしました。

 そして、グローバルの限界を向かえている、テロへの道とか、国家統合などの道が考えられている。基本はグローバルの財産をローカルにいかに分配していくかです。Global meets Localです。グローバルは分配する機能をなくしている。

 ローカルも分配を待っていてはしょうがない。自分たちで道を切り拓いていくしかない。そこで、新しいLocal meets Globalが出てきます。これはグーグルのような支援があると同時に、地域にしても、トルコのように、農業から観光立国に変えていくようなやり方が対応していきます。新しい価値観でのまとまりを作っていく。

 その結果として、地域が活性化して、それで社会の再構成を狙っていく。この部分はどう見ても、社会編のテーマですね。再構成については、仕事編の機能分析しているので、それを当てはめてみました。ネットワークとライブラリとコラボレーションの三つの機能で考えてきました。

 このままではダメだという危機感です。それで動き出すかもしれないけど、そのあとの幸せのイメージを同一価値観にすることです。ここまでが6章です。
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歴史編を通しで語る 1

歴史編1章。先ず、歴史への関心を持つ。

 ナチの戦間期に興味をもった。なぜ、ドイツがナチに支配されたのか。強制的な部分とそうでない部分があり、そうでない部分が多かった。国民の支持を得た。その裏で、共産主義との戦いから全体主義を選んだ。

 ワイマールという民主主義はその時点では崩壊していた。そのあとに、全体効率として勝る、民主主義が力を得た。民主主義はグローバル化していく方向に動いた。全体効率からすると自明です。

 それに対して、ローカルは反発する。当初はローカルと吸収していった。そして、押し込めようとした。さて、このあと、どうなるのかというのが、1章です。

そんな歴史を分析したいというのが2章です。

 歴史に学ぶために、多くの本を読みました。といって、グローバルな視点で書かれている本は少ないです。歴史は時空間だから、ある時点の、ある場所のことの詳細がかかれている。

 その中でも、ジャック・アタリの「21世紀の歴史」は特殊でした。未来から見た時の21世紀の歴史を書いています。これは1章の問題意識とよく似ています。

 歴史の場合は、国を扱うことが多い。国には、色々な特色があります。多様性を持っています。環境問題でフィンランドのハメリンナに行って、EUとか、バルト三国との関係とかを習いました。

 歴史を見るときに、天文学のように、多くの星雲があり、次元も空間も異なるものが散らばっている。それを並べ、シナリオ化すれば、過去と未来が見えてくる。それでもって、歴史の仮説を立てました。これは割と簡単です。色々な仮説を試みた。実証が難しいだけです。

 グローバルの流れを予測するのは簡単です。さほど、選択肢はありません。ローカルとの関係からすると、どうしても複雑性になります。複雑性では、変化は周縁から起こるとしている。歴史の周縁を見ていかないといけない。

 逆に言うと、周縁を見ていけば、次の変化が見える。もう一つ、大きな観点は未来から見るということです。今から見ていても、多様すぎて見えてきません。ここまでが2章です。

3章は具体的に歴史の行方を見る

 歴史の行方を見るのに、どういうファクターがあるかです。一番大きいのは国です。国を成り立たせる国民の意識から始めました。国民意識を成り立たせる、個人・グループの意識です。

 国民意識は戦争の形態に影響を与えた。貴族から国民参加、そして全体の犠牲に変わっていった。その次は、国としてのまとまりです。何のために、国ができたのかはそれぞれ異なります。多様な国として、組合せが行ってきた。

 大国はグローバリズムの争いを勝手に行ってきた。小国は知恵を使って、生き残る方法をとってきた。グローバルは限界を感じている。それをどう突破するか。グローバルのグローバルとしての国家連合も出てきたか、結局、ローカルのローカルで決まっていく。

 アメリカの公共図書館のように、中間市民層が一つの方向です。全体主義というのは、若者にとっては、魅力的なやり方です。ナチでは多くの若者が参加した。ただ、その閉鎖性のために、拡大する軋轢と内部への圧迫が来てしまう。

 ローカルからの意識に向かいます。アメリカを含めて、ローカルの知恵を使って、全体効率と部分最適を求めていく。以上が3章です。

 それらが合っているかどうかと、その先を示すのが4章です。前半の締めくくりです。歴史も仕事も「私」という観点がないと、言い切れない。
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