『群衆と権力』より
ユダヤ人たちほど理解することの困難な民族はほかにない。かれらは祖国なき民として、地球上の人びとの住む全地域に広がった。かれらの適応能力は有名であり悪名高いが、かれらの適応の程度は千変万化である。かれらのうちにはスペイン人やインド人や中国人が見られた。かれらは言語と文化を携えて国々を次々と遍歴し、それらをかれらの財産以上に頑固に守りっづけている。愚かな連中は、ュダヤ人はどこでも変らぬという作り話を語るが、かれらをよく知る者はみんな、かれらのあいだに他のいかなる民族におけるよりも、はるかに多様なタイプがあると考えるに違いない。ュダヤ人たちのあいだに見られる、その性質と外観との双方における変化の広大さは、もっとも驚嘆すべき現象のひとつである。かれらのなかにはもっとも良い人間たちと、もっとも悪い人間たちとが見られるという人口に諸矢した説は、この事実を素朴なかたちで表現したものにほかならない。ュダヤ人たちは他の民族と異なってはいるが、実は、かれらはお互い同士もっとも異なっているのである。
ユダヤ人たちは今なお存続しているという理由によって驚嘆されてきた。かれらはどこにでも見出される唯一の民族ではない。アルメニア人たちは確かに同じように広汎な分布を示している。かれらも最古の民族ではない。中国人たちの歴史はかれらのそれよりもはるかに大昔にさかのぽる。だが、古い民族のなかでは、ュダヤ人たちは長いあいだ遍歴しつづけてきた唯一の民族である。かれらの歴史はおおむね跡形もなく消えざるをえぬ運命の連続であったが、それにもかかわらず、かれらは今日では、かつてよりももっと多くの人数で生存している。
数年前までは、かれらは領土的にもあるいは言語的にも統一されていなかった。かれらの大部分はもはやヘブライ語を解さなかった。かれらは多数の国語を用いて話した。何百万人ものかれらにとって、その古い宗教は空っぽの皮袋となった。かれらのあいだのキリスト教徒の数さえ次第に増大しつつあったし、それはとくに知識人たちにおいて著しかった。そして、いかなる宗教も信奉しない人びとの数はそれをはるかに上廻った。皮相な言い方をすれば、通俗的な意味での自己保存という観点から、かれらは自分たちがュダヤ人であることを人びとに忘れさせ、また自らもそれを忘れるために、全力を尽した。だが、かれらはそれを忘れることはできない。かれらの大部分はそれを欲してもいない。人びとはこれらの者たちがどのような点でュダヤ人たりっづけるか、何がかれらをュダヤ人たらしめるか、かれらがくわたしはュダヤ人だ〉というとき、かれらの感じる絆の究極の性質は何か、をたずねたいという欲求に駆られる。
この絆はかれらの歴史の最初から存在していたのであり、歴史の進展のなかで驚くほどの一本調子でくり返し作りだされてきた。すなわち、それは出エジプトである。この伝承の実際の内容を思い浮かべてみよう。民族全体--数の上では確かにそうであるが、むしろ人びとの巨大な集まりと呼んだ方がいいllが、四〇年間荒野を遍歴する。かれらの伝説上の祖先は《海辺の数えかたき砂のごとく》夥しい子孫を約束された。今この子孫は存在し、荒野の砂また砂のなかを遍歴する。海はかれらを通し、かれらの敵たちを呑みこむ。かれらの目標は、かれらの剣がかれらのために征服するであろう、約束の地である。
この何十年ものあいだ荒野を行く集団というイメージは、ユダヤ人たちの群衆シンボルとなった。それは当時と同じような明白さと包容力を失なわずに存続してきた。この民族は、かれらが住みつき、それから四散する前に、いっしょにいる自分たち自身を見ている。かれらは移動中の自分たち自身を見ている。このような緊密状態において、かれらは自分たちの律法を受けとった。群衆というものが常にある目標をもつとすれば、かれらももっていた。かれらは多くの冒険をおかしたが、これらはかれらのすべてに共通していた。かれらの形成した群衆は、裸の群衆であった。ふつう人間たちを孤立的な生活におちいらせるさまざまな要素は、かれらの環境のなかにほとんどひとつも存在しなかった。かれらの周囲には砂しか、あらゆる群衆のうちでもっともむきだしの群衆しかなかった。砂のイメージほど、遍歴する行列が抱いたに違いない、荒野のなかの孤立感を強調するものはないであろう。しばしばその目標は忘却され、群衆は崩壊の危機に直面し、懲罰あるいは訓誠によって目ざまされ掌握されて、団結を取り戻さなければならなかった。
ユダヤ人たちほど理解することの困難な民族はほかにない。かれらは祖国なき民として、地球上の人びとの住む全地域に広がった。かれらの適応能力は有名であり悪名高いが、かれらの適応の程度は千変万化である。かれらのうちにはスペイン人やインド人や中国人が見られた。かれらは言語と文化を携えて国々を次々と遍歴し、それらをかれらの財産以上に頑固に守りっづけている。愚かな連中は、ュダヤ人はどこでも変らぬという作り話を語るが、かれらをよく知る者はみんな、かれらのあいだに他のいかなる民族におけるよりも、はるかに多様なタイプがあると考えるに違いない。ュダヤ人たちのあいだに見られる、その性質と外観との双方における変化の広大さは、もっとも驚嘆すべき現象のひとつである。かれらのなかにはもっとも良い人間たちと、もっとも悪い人間たちとが見られるという人口に諸矢した説は、この事実を素朴なかたちで表現したものにほかならない。ュダヤ人たちは他の民族と異なってはいるが、実は、かれらはお互い同士もっとも異なっているのである。
ユダヤ人たちは今なお存続しているという理由によって驚嘆されてきた。かれらはどこにでも見出される唯一の民族ではない。アルメニア人たちは確かに同じように広汎な分布を示している。かれらも最古の民族ではない。中国人たちの歴史はかれらのそれよりもはるかに大昔にさかのぽる。だが、古い民族のなかでは、ュダヤ人たちは長いあいだ遍歴しつづけてきた唯一の民族である。かれらの歴史はおおむね跡形もなく消えざるをえぬ運命の連続であったが、それにもかかわらず、かれらは今日では、かつてよりももっと多くの人数で生存している。
数年前までは、かれらは領土的にもあるいは言語的にも統一されていなかった。かれらの大部分はもはやヘブライ語を解さなかった。かれらは多数の国語を用いて話した。何百万人ものかれらにとって、その古い宗教は空っぽの皮袋となった。かれらのあいだのキリスト教徒の数さえ次第に増大しつつあったし、それはとくに知識人たちにおいて著しかった。そして、いかなる宗教も信奉しない人びとの数はそれをはるかに上廻った。皮相な言い方をすれば、通俗的な意味での自己保存という観点から、かれらは自分たちがュダヤ人であることを人びとに忘れさせ、また自らもそれを忘れるために、全力を尽した。だが、かれらはそれを忘れることはできない。かれらの大部分はそれを欲してもいない。人びとはこれらの者たちがどのような点でュダヤ人たりっづけるか、何がかれらをュダヤ人たらしめるか、かれらがくわたしはュダヤ人だ〉というとき、かれらの感じる絆の究極の性質は何か、をたずねたいという欲求に駆られる。
この絆はかれらの歴史の最初から存在していたのであり、歴史の進展のなかで驚くほどの一本調子でくり返し作りだされてきた。すなわち、それは出エジプトである。この伝承の実際の内容を思い浮かべてみよう。民族全体--数の上では確かにそうであるが、むしろ人びとの巨大な集まりと呼んだ方がいいllが、四〇年間荒野を遍歴する。かれらの伝説上の祖先は《海辺の数えかたき砂のごとく》夥しい子孫を約束された。今この子孫は存在し、荒野の砂また砂のなかを遍歴する。海はかれらを通し、かれらの敵たちを呑みこむ。かれらの目標は、かれらの剣がかれらのために征服するであろう、約束の地である。
この何十年ものあいだ荒野を行く集団というイメージは、ユダヤ人たちの群衆シンボルとなった。それは当時と同じような明白さと包容力を失なわずに存続してきた。この民族は、かれらが住みつき、それから四散する前に、いっしょにいる自分たち自身を見ている。かれらは移動中の自分たち自身を見ている。このような緊密状態において、かれらは自分たちの律法を受けとった。群衆というものが常にある目標をもつとすれば、かれらももっていた。かれらは多くの冒険をおかしたが、これらはかれらのすべてに共通していた。かれらの形成した群衆は、裸の群衆であった。ふつう人間たちを孤立的な生活におちいらせるさまざまな要素は、かれらの環境のなかにほとんどひとつも存在しなかった。かれらの周囲には砂しか、あらゆる群衆のうちでもっともむきだしの群衆しかなかった。砂のイメージほど、遍歴する行列が抱いたに違いない、荒野のなかの孤立感を強調するものはないであろう。しばしばその目標は忘却され、群衆は崩壊の危機に直面し、懲罰あるいは訓誠によって目ざまされ掌握されて、団結を取り戻さなければならなかった。