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ユダヤ人の群衆シンボル

『群衆と権力』より

ユダヤ人たちほど理解することの困難な民族はほかにない。かれらは祖国なき民として、地球上の人びとの住む全地域に広がった。かれらの適応能力は有名であり悪名高いが、かれらの適応の程度は千変万化である。かれらのうちにはスペイン人やインド人や中国人が見られた。かれらは言語と文化を携えて国々を次々と遍歴し、それらをかれらの財産以上に頑固に守りっづけている。愚かな連中は、ュダヤ人はどこでも変らぬという作り話を語るが、かれらをよく知る者はみんな、かれらのあいだに他のいかなる民族におけるよりも、はるかに多様なタイプがあると考えるに違いない。ュダヤ人たちのあいだに見られる、その性質と外観との双方における変化の広大さは、もっとも驚嘆すべき現象のひとつである。かれらのなかにはもっとも良い人間たちと、もっとも悪い人間たちとが見られるという人口に諸矢した説は、この事実を素朴なかたちで表現したものにほかならない。ュダヤ人たちは他の民族と異なってはいるが、実は、かれらはお互い同士もっとも異なっているのである。

ユダヤ人たちは今なお存続しているという理由によって驚嘆されてきた。かれらはどこにでも見出される唯一の民族ではない。アルメニア人たちは確かに同じように広汎な分布を示している。かれらも最古の民族ではない。中国人たちの歴史はかれらのそれよりもはるかに大昔にさかのぽる。だが、古い民族のなかでは、ュダヤ人たちは長いあいだ遍歴しつづけてきた唯一の民族である。かれらの歴史はおおむね跡形もなく消えざるをえぬ運命の連続であったが、それにもかかわらず、かれらは今日では、かつてよりももっと多くの人数で生存している。

数年前までは、かれらは領土的にもあるいは言語的にも統一されていなかった。かれらの大部分はもはやヘブライ語を解さなかった。かれらは多数の国語を用いて話した。何百万人ものかれらにとって、その古い宗教は空っぽの皮袋となった。かれらのあいだのキリスト教徒の数さえ次第に増大しつつあったし、それはとくに知識人たちにおいて著しかった。そして、いかなる宗教も信奉しない人びとの数はそれをはるかに上廻った。皮相な言い方をすれば、通俗的な意味での自己保存という観点から、かれらは自分たちがュダヤ人であることを人びとに忘れさせ、また自らもそれを忘れるために、全力を尽した。だが、かれらはそれを忘れることはできない。かれらの大部分はそれを欲してもいない。人びとはこれらの者たちがどのような点でュダヤ人たりっづけるか、何がかれらをュダヤ人たらしめるか、かれらがくわたしはュダヤ人だ〉というとき、かれらの感じる絆の究極の性質は何か、をたずねたいという欲求に駆られる。

この絆はかれらの歴史の最初から存在していたのであり、歴史の進展のなかで驚くほどの一本調子でくり返し作りだされてきた。すなわち、それは出エジプトである。この伝承の実際の内容を思い浮かべてみよう。民族全体--数の上では確かにそうであるが、むしろ人びとの巨大な集まりと呼んだ方がいいllが、四〇年間荒野を遍歴する。かれらの伝説上の祖先は《海辺の数えかたき砂のごとく》夥しい子孫を約束された。今この子孫は存在し、荒野の砂また砂のなかを遍歴する。海はかれらを通し、かれらの敵たちを呑みこむ。かれらの目標は、かれらの剣がかれらのために征服するであろう、約束の地である。

この何十年ものあいだ荒野を行く集団というイメージは、ユダヤ人たちの群衆シンボルとなった。それは当時と同じような明白さと包容力を失なわずに存続してきた。この民族は、かれらが住みつき、それから四散する前に、いっしょにいる自分たち自身を見ている。かれらは移動中の自分たち自身を見ている。このような緊密状態において、かれらは自分たちの律法を受けとった。群衆というものが常にある目標をもつとすれば、かれらももっていた。かれらは多くの冒険をおかしたが、これらはかれらのすべてに共通していた。かれらの形成した群衆は、裸の群衆であった。ふつう人間たちを孤立的な生活におちいらせるさまざまな要素は、かれらの環境のなかにほとんどひとつも存在しなかった。かれらの周囲には砂しか、あらゆる群衆のうちでもっともむきだしの群衆しかなかった。砂のイメージほど、遍歴する行列が抱いたに違いない、荒野のなかの孤立感を強調するものはないであろう。しばしばその目標は忘却され、群衆は崩壊の危機に直面し、懲罰あるいは訓誠によって目ざまされ掌握されて、団結を取り戻さなければならなかった。
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スイス人の群衆シンボル

『群衆と権力』より

国民的な団結力という点で議論の余地の全くない国家はスイスである。スイス人たちの愛国心は、一カ国語しか話さない多くの国民よりも強烈である。スイスにおいて話される四つの言語、州間の格差、それらの異なる社会構造、今なお歴史の語りぐさになっている戦争をひきおこした新旧両教の対立-Iこうしたこともスイス人たちの国民意識を甚だしく弱めることは不可能である。それはさておき、かれらが共有している群衆シンボルはがれらの山々である。それは常にかれらの眼前にあり、他のいかなる国民のシンボルも太刀打ちできぬほど毅然としている。

スイス人はどんなところからでも、かれらの山々の頂きを見ることかできるか、その山なみが」段と完璧な姿で見える地点がいくっかある。それらの地点からあらゆる山々がいっしょに見られるという感情は、そのような場所に神聖さを与える。時おり、前もって予報することも人間の力で左右することもできない晩方に、山々か煌々と輝きだすことがある。このとき、山々はもっとも神聖に見える。山々の近よりがたさ、峻厳さかスイス人に安心感を与える。峰はいくっも分れているが、下の方では山々はひとりの巨人の身体の四肢のようにつながっている。山々は一個の身体であり、その身体が国そのものなのである。

過去の両大戦の際のスイス人の防衛計画は、このような国民とアルプス連山との同一視を奇妙なかたちで表わしている。攻撃をうけた場合には、あらゆる豊かな土地、あらゆる都市、あらゆる生産の中心地は無抵抗で放棄されることになっていた。軍隊は山々へ退く手筈になっており、そこで初めて戦うことになるであろう。人びとと国土は犠牲に供されてしまうように見えるであろうが、スイスは山々に立てこもった軍隊によって依然として代表されたであろう。国民の群衆シンボルは国そのものとなったであろう。

スイス人たちがもっているのは、特別な種類の堤防である。かれらはオランダ人たちのようにそれを自ら建設するには及ばない。かれらはそれを築かず破壊せず、海がそれに押しよせることもない。山々はそびえ、スイス人たちがなすべきことは、それらの山々を徹底的に知りっくすことしかない。山々のあらゆる区域が登単と、旅行の対象となる。アルプスは磁石のように作用し、それを讃美し探険する点でスイス人たちにひけをとらぬ人びとをあらゆる国々から引きつける。アルピニストたちはどんな国からやってきた者でも敬虔なスイス人たちに似ている。スイス人たちの軍隊は、山々における短期的定期的な勤務期間の後で世界じゅうに散開されて、スイスの威信を維持しつづける。スイスの独立を保持する上での山々の実際的な貢献度を研究することは有意義であろう。
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ドイツ人の群衆シンボル

『群衆と権力』より

ドイツ人たちの群衆シンボルは軍隊であった。だか、その軍隊は単なる軍隊以上のものであった。それは行進する森なのであった。近代の国家において、森に対する感情がドイツにおけるほど生き生きと保持されてきた例は類を見ない。直立する木々の整然かつ厳然たる姿、木々の緊密さと豊かさかドイツ人の心を深い神秘的な喜びで満たす。昔から今日に至るまで、ドイツ人は祖先たちの暮していた森の奥深くに分けいることを愛好しつづけている。森においてドイツ人は木々と一体になった自分を感じるのである。

木々の整然たる分離と垂直線の強調とによって、ドイツの森は蔓性植物かあらゆる方向に入り乱れて成長している熱帯地方の森と画然と区別される。熱帯地方の森のなかでは、眼は前景に吸いつけられる。そこには色彩と生命に満ち、秩序あるいは規則正しい反復に対するどんな感覚をも閉めだしてしまう、生成のケイオティックな不安定な塊りがある。これに反して、温帯地方の森は顕著なリズムをもっている。眼ははっきり見える木々の列に沿って、一定の遠方に吸いこまれる。それぞれの木はいつも人間よりも高く、生長しっづけ、ついには巨木となる。その不動の姿は戦士の毅然たる態度と多分に共通している。一本の木においては、樹皮は甲冑に似ている。同じ種類の多くの木々が二緒に生えている森においては、樹皮はむしろ軍隊の軍服を連想させる。ドイツ人にとっては、無意識のうちに軍隊と森とがあらゆる点で互いに融合していた。他の国民には軍隊の空しさ、味気なさと映るかもしれないものが、ドイツ人には森の生命と輝きとをもちっづけた。ドイツ人は森の中では決して恐れなかった。ドイツ人は他の多くの仲間たちのなかで守られていると感じた。ドイツ人は木々の峻厳さと直立性とを自らの規律とした。

閉じこもっていた家から森に逃げこんだ少年は、そこならひとりきりで夢を見ることかできると考えながら、実際には自分の軍隊への入隊を前もって体験していたのである。森のなかで、かれは自分の手本となる誠実な素朴な率直な姿をした他のものたちを見出した。それぞれが他のすべてのものと似ておりIIそれぞれがまっすぐに伸びているからI、しかも高さと強さにおいては全く異なっている。このような少年時代の森のロマンチシズムがドイツ人に与える効果は、決して過小評価されるべきではない。ドイツ人はそれを数えきれぬほどの詩歌から吸収したが、それらのなかに現われる森は、しばしば〈ドイツの〉という形容詞を冠されている。

イギリス人は海にいる自分を想像することを好み、ドイツ人は森のなかにいる自分を想像することを好む。かれらの国民的感情の相違をこれ以上簡潔に表わすことは不可能である。
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イギリス人の群衆シンボル

『群衆と権力』より、イギリス人の群衆シンボル

自らの本性をあまり公然と誇示することはないが、しかも今日の世界において、もっとも安定した国民的感情を保持する国民をまず取りあげることが適切であろう。すなわち、イギリス人である。海がイギリス人にとってどんな意味をもっているかは誰でも知っている。充分に知られているとはいえないのは、イギリス人の海に対する関係と、イギリス人の人口に謄戈せる個人主義とのきわめて密接な関連である。イギリス人は自分自身を小グループの人びとと共に一隻の船に乗っている船長と看なし、かれの周囲もかれの足下もすべて海だと看なしている。かれはほとんどひとりきりでいる。船長として、かれは多くの点でかれの船員たちからさえ隔離されている。

海は支配されるために存在する。この観念は決定的である。さまざまの船が孤独な個人たちと同じように巨大な海面に孤立して浮かんでいる。そして、それぞれの船はその船長に擬人化される。かれの命令権は絶対的であり、疑問の余地かない。かれが舵をとる針路は、かれが海に下す命令にほかならない。その命令が船員たちを通じて遂行されるという事実が、服従しなければならぬのは実は海だということを人びとに忘れさせるのである。船長は目的地を決定し、海はまるで生きもののようにかれをそこへ運ぶIもっとも時化やその他の敵対行動もないわけではないが。海の巨大さを考えれば、海が誰に服従するかは、かなり重要な問題である。服従は目的地かイギリス領のどこかであるときには、海にとってより容易となる。その場合には、海はコースと自分の乗り手とをよく知っている馬のように振舞う。別の国民の船は借りてきた馬に跨った未熟な乗り手のようなものである。馬はその主人か乗っているときよりずっと行儀が悪くなる。海はまたあまりに大きいので、海を御する船の数も重要になってくる。

われわれは海そのものの性格を考察する場合、海の蒙る変化がどんなに夥しく、激しいものであるかを忘れてはならない。海はその変化という点において、人間たちの係りあうどんな動物の群衆よりも多様である。そして、海にくらべれば、狩人たちの森や農夫たちの畑はまことに害のない安定したものである。

イギリス人の災難は海において経験されてきた。イギリス人はしばしばその死者たちか海底に眠っていると想像しないわけにはいかなかった。こうして、海はイギリス人に変化と危険とを提供した。

イギリス人の家庭生活は、海での生活の埋めあわせである。安全と一本調子とかその本質的な特徴である。誰もが、海へ行くときを別とすれば、いかなる変化に遭遇しても離れることなど考えられない自分の持場をもっている。誰もが自分の財産と同様に自分の習慣を信頼している。
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ネットワーク管理部署との打ち合わせ。とりあえず、先に進めた

未唯へ。今日で11月も終わります。結局、「何も」起こらなかった。つまらないですね。

午前中にネットワークと販売店を加筆する。パートナーの持っている世界とつなげる。CITもITマも主導権は持っていない。これ以上に販売店の動きを見ていく。こんなことをバスの中で練っていた。バスの中に本もワンセグも持ち込まないで、ボ~と考えるのが得意になりました。

入れたつもりがポットがバックの中に入っていなかったので、グランドドリップにする所をトールラテにして、ビス一をスタバの中で食べていました。レシートを見て、トールラテとグランデドリップのカップ値引きと同じ値段の370円だということに気付きました。グランデドリップは何倍も飲めるから得ですね。

昼までに、ネットワーク管理部署およびネットワーク会社への方向性の資料作成のポイントをまとめた。相手の立場になって、思い切りロジックを作り出すのは得意ですね。

まとめるに当たって、大きな流れとして、「ネットワーク」という言葉の使い方を明確にしたい。ネットワーク管理会社が意識している部分と、私は会社の流れに作ろうとしている「ネットワーク」が異なります。後者は「つながり」そのものです。

取りあえず、キックするのは狭義の部分に映像ライブラリを追加した形にします。ネットワーク会社が新ネットで商売する部分はそちらで決めてもらいます。我々は広義のネットワークに現在の地点からつなげていきます。

「店舗へ情報共有」に横展開と吸い上げの進め方は、当面、ポータル・ライブラリの活用で、要望を明確化する。お客様とのコミュニケーションが活発化した時点で、SNSとの仕組みとの連携をはかる。お客様とメーカーの流れをメーカー主導で作成します。店舗内の活動との連携としては、当室と他室では異なる。改善活動の一環として、ICTを入れるのか、結果としてICTを入れるかの差です。販売店での対応のなかで決めていく。

「お客様とつながりたい」については、インターネットなどを使って、要望を販売店は実体化している。メーカーとしては、見ていくことが必要です。この各社の様々な動きをシステム化のアプローチをおこなって、ネットワークの影響度を見た。①情報提供については、まずは個別に行い、サーバの集約時にネットワーク対応する。②状況把握については、カルテのような便利な道具が出来るまでは従来の作業に我慢してもらう。③SNS・口コミ対応については、販売店主体での活動なので、メーカーは関与できない。④販売店単独もあるが、メーカー機能との関係も出てくる

メーカーとの情報共有の個別の機能は当部・営業統括などの運用になる。お客様とメーカーがスルーになることが最大のポイントになる。運用主体として、当室などの事務局機能が必要になる。

ネットワーク本体は2012年計画を進めていく。インフラ機能についてはネットワーク会社の役割確認が必要。その上で2012年に実施することをハッキリさせます。それに基づいて、販売店の要求レベルの確認を行う。

2012年のネットワークインフラに乗せるアプリについては、ネットワーク会社分担を想定。それに併せて、販売店要望レベルの確認。カルテについては当室テーマ、映像ライブラリはネットワークテーマにする。それぞれ、他室と開発していく。

パートナーには「ゲスト」として、参加してもらいました。なかなかまとまりのあるミーティングでした。
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カザフスタン共和国と朝鮮人

『ソヴィエト後の中央アジア』より

朝鮮人は中央アジア諸国の領土内に、第2次世界大戦の前に移住させられた。旧ソ連では、朝鮮語で教育を行うことも1937年-1938年に禁止された。カザフスタンと中央アジアの諸国へこの時期に連行された朝鮮民族のための学校は設立されず、朝鮮人たちは口シア語で教育を受けることになった。カザフスタンにおける離散朝鮮人の指導者の一人G.N.キム教授の観測によると、現在のカザフスタンで朝鮮語での学校が組織される可能性は極めて低い(ゼロに近い)。このため、朝鮮人の若年層からの要求もなく、カザフスタン政府への要望も存在しない。現在の朝鮮人たちの数世代前は、ロシア語の教育を受けており、現在の世代の朝鮮人もロシア語による教育システムに完全に単一化されてしまった状態で勉学を行っている。

1989年の国勢調査の結果を見ると、カザフスタンにおける朝鮮人のリテラシー能力)のレヴェルは高かった。たとえば、16歳から29歳までの1000人当たりの高等教育の能力のある朝鮮人は138人(カザフスタン全体での数値は69人)、不完全ながら高等教育相当の能力のある者の数は68人(同34人)、私立の中等教育程度の能力のある者は169人(同203人)、公立の中等教育程度の能力のある者は442人(同508人)、不完全ながら中等教育の能力のある者は148人(同175人)、初等教育の能力のあるものは4人(同7人)、初等教育の能力を有していない者は4名であった。つまり、近年朝鮮人全体のリテラシー能力の程度は高く、朝鮮人のほぽ100%が中等教育程度の知識があった。現在、カザフスタンにおける学校で、全体として16,000-18,000人の朝鮮人学生が教育を受けており、彼らのうち5,000-5,500人が小学校で、5,000-6,000人が中等教育、また5,000-6,000人が高等教育課程で教育を受けている。

カザフスタンにおける離散朝鮮人の大部分、80%近くが都市部で生活している。現在カザフスタン国内の10万人ほどの離散した朝鮮人のうち2万人(全体の5分の1)がアルマトウ市で生活している。カラガンダ州、パブロダル州、ウラル州などで生活する朝鮮人のうち90%も、都市部で生活している。高いレヴェルで都会化した朝鮮人たちが有する、教育水準の機会をより完全に活用する機会が与えられている。

カザフスタンの高等教育機関では、1997年-1998学年度に合計4,340人、1998-99学年度には4,747人の朝鮮人学生が教育を受けていた。専門学校では1998-99学年度に794人の学生が教育を受けた。全体として、16-22歳の朝鮮人若年層の50%が高等教育または私立中等教育機関で課程を履修した。このデータから、カザフスタンの独立達成以降、様々なレヴェルの教育課程で学習している朝鮮人の数は、非常に少数であるとはいえ、減少していたことを示している。

朝鮮人は、これまで述べてきたように、カザフスタンではロシア語で教育を受けてきた。彼らの母語は朝鮮語であるが、口語の形でのみ残っており、年齢の高い人々が話しているのみである。カザフスタンでは、朝鮮語で週刊誌が1誌、20分間のラジオ番組、朝鮮語劇、[アリラン]歌唱楽団がある。同様に、大学の東洋学部の学生のための1,2冊の文学作品が出版されているだけである。旧ソ連中央アジア諸国全体における朝鮮人と同様、カザフスタンの朝鮮人の言語は、朝鮮語の東北方言に属しており、この言語は「高麗語(koremar)」と呼ぱれている。祖国から遠く、言語的に孤立した形となったこの言語は、現在朝鮮人の家庭内でコミュニケーションに用いられる言語へと変わってしまっており、これを使用する朝鮮人の数も徐々に減少している。1970年の国勢調査では64%の朝鮮人が朝鮮語を母語とみなしていたが、1979年には56.1%、1989年の国勢調査では51.7%の朝鮮人が高麗語を母語とみなした。しかし母語と言うとき、この言語がわかる、または話すことができるという意味ではない。1970年代以降、圧倒的多数の朝鮮人の母語問題を解決し始めたロシア語により、高麗語は流通しなくなっている。

今日では、カザフスタンではフリースクールの、または日曜日学校としての朝鮮語教室に5,000-6,000人の若い男女が参加している。同様に、朝鮮語はカザフスタン国内ではカザフスタン国立大学、アルマトウ大学、クズルオルダ・上カメノグルスク大学、カザフスタン国際関係学大学、カザフスタン国立安全保障・行政アカデミーなどといったいくつかの大学や研究所で、朝鮮語を学習した専門家が配属されている。
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スタバダイエットで、体重▲10Kg、腹囲▲10cmを達成!

未唯へ。今日もリクが玄関でウンチしていたね。5時ごろに騒いでいたので、匂いがした。帰ってから、分かったのは、あなたの靴の中にもしていたみたいですね。それで食事制限です。私はさっそく自分の靴を玄関先から退避させました。

健康診断は10時から1時間かかった。ナースの計測のテンポが悪い。暖かい部屋の次は寒い部屋です。朝食なしだから、腹が減ってきた。

結果として、前回計測に比べて、体重▲10Kg、腹囲▲10cmです。メタボの腹囲より、かなり下回りました。これもスタバダイエットのお陰です。グランドドリッピ×2=370円+100円、マカダミアビスケット一枚=180円と会社の昼食、家での夕食で過ごしていました。名駅地下街、豊田市駅前、元町のスタバに感謝します。

12月はネットワークの設計にはいります。販売店は独自に行うこととメーカーとして行うことの境界線を明確にします。。

ネットワーク管理部署に電話して、政治決着する日程を調整したら、2週間後までない、ということでした。誰のための仕事をしているのか。こういう部署に販売店の要望を預けるわけにはいかないけど、そこは堪えて、日程調整を実施。

販売店との要件の確認、と言うより、詳細設計のためのアポ取りに入りました。ヒアリングも最初に行った、札幌の販売店2社に電話。主旨は伝わりにくい。システム会社の方はかなりの警戒感です。現在のことは話題にしていないのに、勝手に警戒しています。

販売店としては、お客様とのコミュニケーションの神戸の販売店、ライブラリの次のステップの横浜の販売店、自社店で頑張っている千葉の販売店に声を掛けてみます。
販売店の要望のレベルの目処をつけよう。こういうときも、ネットワーク管理部署は電算部に〝ナシ〟をつけよという。考える人も居ないところの責任にするのは、あまりにも無責任です。

私が要望を他室に渡して、そこから電算部に渡したもので、ネットワーク管理部署は動くそうです。いつからこんな雑な組織になったのか。自ら、販売店の要望を聞くというスタンスを示したのは10月初めですよね。どういう変質ぶりなのか。そんな所で保身を図ってもしょうがない。

Oが神戸方面に出張ということで、関連事項の先行会社に「ついで」訪問したらと、助言したら、言い訳だけの返答でした。最後の最後に作ることになったら、出ていくそうです。メーカーとして、販売店は常に見ていかないといけない。

私は、「お客様とのコミュニケーション」の最前線と認識して、自分でアポを取って出かけます。現場で考えないと、販売店の考えているレベルが見えてこない。ヒアリングして分かったのは、販売店はメーカーのシステムは当てにしていない。

このまま、販売店を他っておいては、ライブラリの二の舞になる。販売店はグループウェアとか、ファイルサーバーに流れた。このレベルでバラバラになるのは、情報の流れからすると滞留です。同じことを繰り返さないようにしたい。販売店でのメリットをはっきりさせます。

データベース会社からの情報収集を行いました。依頼しておいた部分の説明がなく、通り一遍の内容であった。クラウド時代のデータベース屋に期待するのは、従来のシステムで囲んだ「データ」をいかにクラウドに開放するか、の一点です。データは作るためにあるのではなく、使うためにある。使える環境にデータを持ち込めるようにしてほしい。

24階ラウンジで放課後の検討会。Oで時間が取られているそうです。対応しましょう。
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スウェーデン国王グスタフ・アドルフ

『戦闘技術の歴史』より

私は、フィンランドを属国にして、ヨーロッパを暴れ回ったグスタフには馴染みがある。彼の戦闘方式と亡くなった時の様子を示す。

スウェーデン方式が打ち立てられるまで、ヨーロッパの戦場を支配していた戦術体系は二つで、オランダ式とスペイン式がそれだった。この二者はいずれも、歩兵の展開と戦闘術および砲兵の配置を中心に据えたもので、騎兵は側面に追いやられ、複雑なばかりで効果のない旋回射撃をおこない、やがて命令が下れば逃げる敵兵を追走するだけの存在になっていた。そして両方式とも火力が重視されていた。

グスタフ・アドルフは、自国がポーランドとの戦いで得た教訓を実戦に生かした。彼は、スウェーデン軍には三つの根本的な改革が不可欠であると痛感していた。火力を増強すること、騎兵・歩兵・砲兵を連携のもとに活用すること、騎兵の衝撃作戦を復活させること、の三点である。 グスタフは、訓練を積んだ騎兵がすぐれた馬を駆って猛然と突撃すれば、騎兵が再び戦いを勝利に導く存在になりうると考えた。そして徐々に新方式を発展させ、一六二〇年代半ばのヴァルホフの戦い、メーヘの戦い、ディルシャウの戦いでその効果を試した。

これらの新戦術の衝撃はきわめて大きく、教練指導者や軍事理論家は早々に真剣な戦状分析をおこない、スウェーデン方式に基づく教範を出版した。スペイン方式はたちまち時代遅れとなり、それとともに旋回射撃も廃れた。スウェーデン騎兵は、従来通り二挺の短銃を携行したが、突撃時に発砲するのは最前列の騎兵だけで、しかも一挺だけをごく近距離で撃ち、それ以外の騎兵の短銃の使用は、非常時のみに限られていた。

敵軍と戦うため、スウェーデン王グスタフは軍を率いて難なくフロスグラーベン川を越え、歩兵約一万三〇〇〇、騎兵六〇〇〇余りを、ブライテンフェルトの戦いと同様の方式で配置した。ただし各部隊をよりコンパクトにして機動性を高め、縦長を浅くして隊形を横に広げ、戦闘への寄与の乏しくなる後列兵士を減らし、実質的戦力を増やした。グスタフもまた、軍の最右翼の基点を狭い植林地と定めて全体を二線の横隊に展開させ、その正面に沿って野砲二〇門を分散配備した。この二線はともに、中央部に歩兵六個旅団、その両翼にそれぞれ騎兵六個戦隊という展開である。そして一部隊二〇〇名からなるマスケット銃兵の部隊五個を、両翼第一線の騎兵部隊の間に挟んだ。左右の翼にマスケット銃兵一〇〇〇名ずつという数は、ヴァレンシュタイン軍のマスケット銃兵の数をはるかにしのいでおり、グスタフ軍の兵員への着実な投資を証明するものだった。

グスタフ・アドルフは、左翼の態勢を立て直すべく左へと馬を進めていた。その途中、またも垂れ込めてきた霧の合間から、昧方の歩兵旅団の一つが激しい攻撃に苦戦するのを見て、ただちにスモーランド連隊に助勢を命じ、みずからも少数の護衛兵を伴って接戦に身を投じた。正面にいたグスタフは一番の標的となり、マスケット銃の弾丸が左腕に命中した。さらに一発がグスタフの馬に当たり、馬はパニックを起こして暴走し、グスタフを護衛兵から引き離して乱戦のまっただなかへと運んでいった。グスタフは脇腹を刺され、騎兵の短銃で背中を撃たれ、前のめりになって鞍から落ちるが、片足があぶみに絡まって引きずられる。どうにかそれを外し、瀕死の重傷でうつ伏せに倒れた彼の側頭部に、さらにとどめの短銃弾が撃ち込まれる。右目と耳の間だった。

グスタフの遺体は、夜の間に発見された。かの塹壕に折り重なる死体の下敷きになっていた王は、シャツ以外のすべてをはぎ取られた姿だった。剣を使う騎兵格闘の主唱者は、銃弾に倒れた。だがグスタフ・アドルフの取り組んだ改革-とりわけ騎兵の機能を高めるために導入した改革や、訓練を施した戦闘技術--は見事に実を結んでいたといえる。
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創発自己組織系という戯言

『地球文明の危機』より 

甘利 大変面白い話を聞かせていただきました。創発自己組織系ということで、物質の話も生命の話も、そしてお話にはならなかったけれども文化も含めて、宇宙が発展してきたという話でした。一つお尋ねしたいのは、最後のほうに絶滅の話が出てきたのですが、創発的自己組織化とは「では、絶滅を含んでいるのか」ということです。絶滅も自分の内部に含んでいて、それこそ創発的に絶滅するということですか。

伊東 そうなんです。絶滅することもあるんですね。だけれども、そこで新しいことも起こっているんです、ともいいたいわけです。

甘利 例えば星が落っこちてきたとか、そういう外部要因による環境変動ももちろんあるでしょうが、やはり内部要因によって絶滅することは十分にあり得る。その論理が知りたい。

伊東 それもあるけれども、この図が教えてくれるのは、人間がこうして形成されるまで、えらい多くの苦難の道だったということですよ。こんなに危ないところを、よくここまで来たものだ、と。P/T境界では、90パーセントがなくなっているのです。

 そこを哺乳類が生き残って、それが多様化して人間になってきた。この命の歴史の貴重さというものを考えてしまう。だから、これが終わっていいとか、ここで人間をおしまいにしましょうというのは、僕にいわせるととんでもない話です。こんな素晴らしい、何というか、危険を冒し、新しい創造を行う、創発自己組織的なものが、たかが300年のちょっとした迷った道に入りこんで滅んでたまるか、ですよ。だから、それを回避する方策をこの場で考えようというのでしょう?

安田 でも、地球に生命を維持するというのは神の意思かもしれないけれど、人類が絶滅しても地球から命はなくならないわけだから、人類を絶滅させようとするのが、神の意思かもしれないわけでしょう。

伊東 そうですかね。僕にいわせれば、神の意思なんてないですよ。いいですか、神の意思といっているのは皆、人間がつくっているんです。安田さんもそういっているではないですか。

安田 いや、人類が誕生する前に、すでに生命は存在するわけだから、その生命の連鎖をつくったのは人類ではないです。

伊東 ああ、そういう意味か。それはおっしゃるとおりです。僕もそう思います。僕にとっての神はこういうふうな生命の流れを押してきた、この奇跡の源泉、力、それが神です。だから、神は白髭を生やしたおじいさんか何かで、「こうやれ」とか「宇宙よ、なれ」なんていっているんじゃないんだ。この創発自己組織系を推し進めてきているもの、これが神です。
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ソーシャルグラフ

『ソーシャルメディア維新』より

「ソーシャルグラフ」とは、ユーザーとユーザーの人間関係はもちろんのこと、興味の矛先であるモノとヒトとコトの関係性など、さまざまなオブジェクト(物、目標物、対象)とサブジェクト(主題、題名)の関連性のことだ。

しかもこれらは相互の位置関係や、時間などの変数によっても変化する。ソーシャルメディアのコンテンツは、このソーシャルグラフによって流れる。ソーシャルグラフのあり方によって、ソーシャルストリームの流れが決定していくのである。

言い換えると、「検索エンジン対ソーシャルメディア」、あるいはズバリ「グーグル対フェイスブック」とは、「(イパーリンク対ソーシャルグラフ」のコンセプトの重要度の戦いであるといっても過言ではない。ソーシャルグラフを把握できるのであれば、ソーシャルストリームを自分たちのビジネスにうまく利用することが可能になる。

フェイスブックは、いまや世界最大のソーシャルグラフを保有している。彼らのソーシャルグラフは、原則として実名で参加しているユーザーの所在地や電話番号、性別、趣味嗜好などが細かく登録されており、しかもツイッターやブログのRSSフィードなどを直接フェイスブック内にインポートできることから、5億人という規模だけではなく、データの緻密さという点でも群を抜いている。

最近ではツイッターも、登録する個人情報をより細かく記載することを勧めるようになっており、少なくとも同じメールアドレスで複数のアカウントを取得することができないので、サービス提供者からすれば個人が容易に特定できるようになってきている。ツイッターもソーシャルグラフによるウェブの構造変化に気がついているのだ。

ソーシャルグラフ自体は粗いものであっても、インターネット上にすべて公開されていることで、他のサービスとリンクされやすい。逆に、非常に詳細な個人情報を持ち、精緻なソーシャルグラフを持っているフェイスブックではあるが、それらをすべて外出しすることは現状むずかしい。相反する悩みであるといえるだろう。

そこでフェイスブックも最近、個人情報の公開設定を、原則すべてのユーザーに公開することを標準とするように仕向けている。

ツイッターにとっての強みはもう1つある。それは、ツイッターにおける人間関係は一方通行であり、双方向であることを強いていないことだ。フェイスブックにしてもミクシィにしてもソーシャルグラフの起点になっているのは、互いにその関係性を承認するという行為だが、ツイッターにはそれがない。そのゆるさゆえに、たとえば芸能人や政治家が情報を公開する際に、彼らとファンもしくは支持者だちとの関係性が非対称であることが許される。従ってツイッターはフェイスブックをはるかに凌ぐ速度でソーシャルグラフを拡大できるのだ。

フェイスブックとしては濃くて深いソーシャルグラフを保持できる代償として、ツイッターなみの拡大速度を持つことができないという、悩ましい問題を抱えている。

フェイスブックが最終的にめざしているのは「人間関係を基盤とした検索エンジン」の確立であり、グーグルの検索ではカバーできない人間の頭の中の暗黙知を引き出すのが狙いだといえるだろう。

これが対グーグルを意識した機能開発であることは、現状ではフェイスブッククエスチョンズが、外部の検索エンジンから検索できない設計になっていることからもうかがえる。グーグルを完全に打倒するにはグーグルを超える(あるいは超えていると思わせる)検索サービスを提供するのが一番だ。
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