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技術史断片

『科学史・科学論』より

ワットは蒸気機関に分離復水器を導入したことで、単動式だったピストンの運動を上下とも蒸気で動かす複動式機関に仕上げた(図1-3)。ジェームズ・ワットの蒸気機関は、人:気圧機関の熱効率の問題を解決した結果、大気圧に依存しないまさに蒸気力だけの動XJ機械を実現することになった。蒸気機関の出現は、人力と畜力と自然力(水力・風力)に頼っていた人間の生産活動を大きく変えた。

蒸気機関の出現による機械化の進展はコークス法などの製鉄技術の進歩に支えられていた。職を奪われることを恐れたイギリス労働者(手工業者)たちが機械の打ち壊し(ラッダイト)運動を起こしたのは、早くも19世紀初め(1810年代)のことであった。蒸気機関は紡績機や織機を動かしただけでなく、蒸気機関車や蒸気船も走らせた。石炭を燃料とした蒸気機関に対して、石油を燃料とする内燃機関がやがて登場した。自動車を走らせるには大がかりな蒸気機関は不向きだったからである。しかし蒸気機関車は世界に張り巡らされた鉄道網によって長く地上輸送の主力であった。

石炭が燃える石として文献に現れるのは、中世半ば過ぎのことである。鉱山の開発が盛んになるルネサンス期から石炭はなくてはならないものになっていった。 18世紀末には、石炭ガスを利用したガス灯が出現した。一方、黒く特異臭を放つ「燃える水」のことは古くから知られていた。日本では古くは天然のアスファルトが「燃える土」と呼ぱれ、江戸時代には「くそうず」(臭水の誂りとされる、草生水、草水の当て字の記述あり)と呼ばれる燃える水が知られていた。天然のアスファルトはエジプトでミイラの防腐剤として用いられていたとされる。油田の記述は、13世紀のマルコ・ボーロにまで遡るとされている。しかしそれは燃料として長く利用されることはなかった。原油の軽溜成分が薬品として利用されることがあっただけである。18世紀半ば過ぎにはコークス精製過程で生じる、石炭油が灯油として利用されるようになった。

原油の分溜成分が灯油に利用されるのは19世紀後半のことである。 11世紀頃蒸留技術の発達していたアラビアではそれとは知らずにガソリンに近いものの精製に成功していたとも伝えられている。 19世紀半ば過ぎ、原油が地下から無尽蔵にくみ出せることが分かり、原油を燃料として利用する研究が加速した。世界初の油田はペンシルヴェニアのドレーク油田(開発者に由来)である。 1893年にディーゼルによって発明された内燃機関にはピーナッツ油なども使用されたが、石油燃料(重油、軽油)の開発と時を同じくして20世紀に実用化が計られた。原油精製技術の発達によって、揮発性に富んだ燃焼力の高いガソリンが得られるようになり、自動車をはじめ小型機械を動かす燃料として普及した。石油は今や石炭をしのいで、天然ガスと共に化石燃料の中核に位置づけられ、高度文明社会に不可欠なエネルギー資源となっている。人類が石油の価値に気づいてからまだ1世紀半にしかならない。

石油は、原子力と違いエネルギーだけでなく、プラスチック(合成樹脂)や合成繊維を初めとする高分子化合物の製造に欠かせない原材料として用途は大きい。しかし成形のし易さや丈夫さなどの利点から20世紀に大量に普及するようになった石油系化学製品は、腐敗しにくく分解されにくいために生態系への悪影響が深刻化した。環境問題への取り組みの成果として、21世紀には石油系プラスチックに代わる植物性プラスチックも開発されている。しかしながら石油が現在なおその高い利用価値と偏在する稀少性ゆえに世界中が奪い合う資源であることに変わりはない。その一方で、天然資源には限りがあり、地球温暖化の原因ともなるので、石油に代わる環境に優しい再生可能な代替エネルギー(太陽光、風力、地熱、波力など)の開発・利用が急がれる。原子力の利用には安全管理の徹底と核分裂で生成し残留する放射性物質の処理技術の開発推進が大前提となる。

人類の未来を見据えたエネルギー利用が模索されている中、温暖化の原因とされる二酸化炭素排出抑制と称して、バイオエタノール燃料が注目されたが、原材料が食料、とりわけ主食となる農作物と競合する場合、環境にやさしいと言う理由だけでは、将来性のある技術開発ではあり得ないだろう。遺伝子組み換えなど最先端技術を導入しても農地活用に依存する農業生産には限界があり、エネルギー需要に応えられる増産を期待することには無理がある。農業の活性化どころか、営利が優先されれば供給バランスが破綻することにもなる。燃料の原材料には廃材やトウモロコシの芯などの利用こそが先端的な技術開発と言える。

19世紀末に誕生したガソリン機関は、自動車と飛行機という新規の輸送機関の出現と時を同じくしていた。自動車の完成に不可欠だったのは小型エンジンであり、今一つはゴムタイヤだった。天然ゴムの加工は難航し、ダンロップのゴムの空気タイヤは最初自転車に使用された。ガソリンエンジンを搭載した自動車の開発競争は19世紀終わりベンツ、ダイムラー、そして20世紀にはフォードが乗り出して本格化していった。ヘンリー・フォードが開発した大量生産体制、フォード式ライン生産は自動車だけでなく、流れ作業による組立式の機械の量産を可能にした。 20世紀にはガソリン自動車が花形となり、21世紀は電気自動車の開発が本格化している。
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私たちの世代のなすべきこと

『貧困の終焉』より 私たちの世代の挑戦

ジェファソン、スミス、カント、コンドルセ。彼らの啓蒙思想のビジョンをさらに前進させること--これは私たちにとってまたとないチャンスである。私たちの世代のなすべきことを啓蒙思想家の表現を借りて説明してみよう。

 ・人民の同意のもとに、人類の幸福を推進できる政治体制の構築にとりくむ。

 ・科学、テクノロジー、分業化の恩恵を世界中に広めるような経済体制の構築にとりくむ。

 ・永久平和をかちえるために国際協力の促進にとりくむ。

 ・人類の生活改善を目的とした、人間の理性にもとづいた科学技術の推進にとりくむ。

どれも壮大で大胆な目標であり、だからこそ過去二百年間、目標でありつづけた。しかし、いまや、あと少しですばらしい実を結びそうなものも増えている。啓蒙時代に解きはなたれた民主化革命は、いまや世界人口の半数以上におよんでいる。カントがもっていた独立国家連合のビジョンは、加盟百九十一カ国の国連によって実現した。コンドルセのいう、自動的に進歩へと向かう科学革命は着々と進行し、人類にとって最大かつ最長の苦しみをのりこえる手段として役立ちつっある。なかでも、「経済的な繁栄を広める」というスミスの考え方は、すぐにでも実現できそうだ--極度の貧困がこの世からなくなるまで、あとわずか二十年。

二十世紀を通じて、そして二十一世紀になっても、知識人のあいだでは、啓蒙運動を失敗と見なし、人類にとって脅威でさえあるという言説が流行した。人間は理性ある生き物ではなく、不合理な感情につき動かされる生き物なのだというのだ。批判的な立場の人びとによれば、啓蒙思想は人類の進歩を予測したのに、実際に起こったのは悲惨な戦争、ホロコースト、核兵器、環境破壊ではないか、と。今日の学者のなかには、「進歩は幻想である--人類の生活や歴史を、理性ではなく、感情を通して見たにすぎない」という人もいる。これはまちがいであり、私にいわせれば、危険な誤謬でさえある。経験に照らしても、これは誤りだといえる。人間のニーズを満たす科学やテクノロジーの大きな進歩は現実そのものであり、過去二世紀のあいだ連綿と続いてきたからだ。たしかに惨事はあり、未解決の課題が山積していることも事実ではある。しかし、たとえ国同士の戦争や極度の貧困がまだ残っていても、世界的な生活水準が向上したこと、世界人口に占める極貧層の割合が減ったことは誰にも否定できない。完璧にはほど遠いにせよ、進歩したことはたしかなのだ。

啓蒙思想の楽観論に惑わされて、別の道にさまよいこんだ思想家もいた。迷いは二つあった。一つは必然性についての勘違いである--人間の理性がかならず感情に勝つと思いこんだのだ。オーギュスト・コントのような十九世紀の実証主義者は、進歩の必然性を信じたため、人類が戦争や蛮行に逆戻りしたとき、啓蒙思想の遺産に疑問をもたざるをえなかった。もう一つの迷いは、暴力についてたった。集団的強迫観念によって、理性と進歩にもとづく社会がすみやかに構築できるという誤解である。レーニン、スターリン、毛沢東、ポル・ポ卜らは、社会の進歩という名目で残酷な暴力をふるった。彼らはおびただしい数のし、祖国の社会に混乱と貧困を招いた。

進歩を批判する人びとのいうことも、ある程度はわかる。進歩は可能だが、必然ではない。理性は、社会の幸福を促進するが、ときには破壊的な感情に負けることもある。だからこそ、人間社会は理性の光に照らして築かなければならない。それはまさに、人間行動の不合理な部分をコントロールし、縛るためなのだ。その意味で、啓蒙思想のいう理性とは、人間の内にある理性に反する部分を否定するのではなく、人間は不合理や感情にとらわれながら、それでも理性を制御することができ、それによって--科学、非暴力活動、歴史的な省察によって--社会制度の基本的な問題を解決し、人間の幸福を向上させることができるという信念にほかならない。
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中国と東欧・ロシアを比較する

『貧困の終焉』より 五百年の遅れを取り戻す--中国の場合

一九八九年の東欧、または一九九一年のソ連との違いを考えてみよう。この両方の地域では、自由化すべき非国営企業は存在しなかった。誰もが「鉄の茶碗」をもっていて、すべての企業は国から補助を受けていた。国家予算や銀行への圧力はそのころから大きく、マクロ経済の不安定さも見逃せなかった。さらに悪いのは、ソ連と東欧の大半がすでに多額の海外債務を抱えていたことである。そのために新たな貸付金で財政をたてなおすことができなかった。それどころか、海外の債権者はソ連に借金の返済を求める始末だった。

ゴルバチョフは一九八五年から一九九〇年まで、中国式の漸進主義を試み、非国営部門を自由化しつつ、一方で国営企業の「鉄の茶碗」は温存しようとした。しかし、結果は惨憺たるものだった。中国では国営企業以外で働く人が全労働力の八〇パーセントを占めていたのに対して、ソビエトの場合、国営企業に頼らない労働者はおそらく一パーセント程度だった。したがって、中国で農民たちが郷鎮企業や自由貿易ゾーンに群がったのとは違って、ソビエトには非国営部門に喜んで加わる余分な労働力がなかった。さらに、ソ連では食糧生産量を大幅に引きあげることもむずかしかった。ソ連の国営農場(集団農場とほとんど同じ)は、中国のように農民に引き継ぐことができなかったからだ。ソ連の農場は大規模の資本集約的な小麦生産組織であり、中国のコミューンのような小規模な家族単位の農地が集まったものではなかった。中国の農民と違って、ソ連の農民は国家に放っておかれるのをいやがった。国営企業に雇われた身として、安定は保証されると信じ、国に期待をかけていたのである。

こうして、ゴルバチョフが非国営部門を自由化し、国営部門を解体したとき、事態は最悪になった。新たな部門に人が殺到するようすはなく、ただ給料支払いを求める声が湧きあがり、国営企業の損失がますます大きくなった。国庫の赤字は目に見えて悪化し、国内市場向けの非伝統的な製造業(中国の郷鎮企業のような)が続々と生まれたことや輸出の伸び(中国の自由貿易区のような)でも解消できなかった。ペレストロイカの名のもとに進められた漸進主義的なソビエト・スタイルは、中国の改革のような経済成長をもたらさず、ただ国庫を空っぽにしただけに終わった。

鑑別診断によれば、ソビエト・東欧の経済と中国経済の根本的な違いを少なくとも五つは指摘できる。

 ・ソビエトと東欧の経済は多額の海外債務を抱えていたが、中国にはそれがなかった。

 ・中国には長い海岸線があり、それが輸出主導の経済発展の支えになった。ところがソ連と東欧には長い海岸線がなく、したがって国際貿易に低コストでアクセスできるという利点もなかった。

 ・中国には、海外在住の中国人コミュニティという協力者があった。彼らは海外投資家の役割を果たし、ロールモデルにもなった。一方、ソ連と東欧は一般に、海外在住のコミュニティをもたなかった。

 ・ソ連は改革のスタート時点で、石油生産が急激に落ちこむという経験を味わったか、中国にはそんな経験がなかった。

 ・ソ連はすでに産業化への道をかなりのところまで進めていて、西側(アメリカ、EU、日本)と互換性のないテクノロジーを導入していた。しかし、中国はテクノロジーでは低レペルに留まっていたので、西洋の機械やプロセスを容易に導入できた。

これらの相違点のために、中国とくらべて、東欧や旧ソ連圏の改革はより困難になった。とはいえ、中国の改革がうまかったとか、東欧の改革がへただったというわけではない。ロシアで何が事態の妨げになったかはすでに述べた。ロシアと中国を軽々しく比較するのは早計だとだけいっておこう。中国の改革がロシアに通用するとはかぎらない。皮肉なことにソ連は一九八〇年代後半に中国式の漸進主義を実際に試み、失敗しているのだ。
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岡崎図書館の10冊

幹大の病状

 幹大は救急病棟から一般病棟に移った

豊田市図書館の追加の8冊

 231『ギリシャ文明』神話から都市国家へ

 493.74『希望への道』不安に向き合い自信を作る

 293.6『IBIZA TRAVEL GUIDE』

 016.25『改革と反応』アメリカの生活における大都市公立図書館

 C34.2『つばめマークのバスが行く』時代とともに走る国鉄・JRバス

 493.2『血液サラサラ特効法101』ドロドロ血で血管目詰まり! 突然死を招く前に! 脳卒中、心筋梗塞など命を脅かす病気を防ぐための食事・運動・生活のコツ 

 292.09『シルクロード』砂漠を越えた冒険者たち

 317.3『肚が据わった公務員になる!』新しい仕事哲学と自分の鍛え方

岡崎図書館の10冊

 913.6『正宗』

 778.2『ヨーロッパを知る50の映画』

 491.3『性の健康と相談のためのガイドブック』

 361『基礎社会学』

 335.8『ムスリムNGO』イスラームを知る 信仰と社会奉仕活動

 210.1『〝都〟がつくる古代国家』さかのぼり日本史⑩奈良・飛鳥

 290.9『マカオ』地球の歩き方

 153『48のケースで学ぶ職業倫理』意思決定の手法と実践

 333.6『新・世界経済入門』

 143.7『「若作りうつ」社会』
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