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人の活性化

未唯へ

 一つのことを考えるのに、64倍考えます。8×8です。

 無条件に知りたいというので、一番分かりやすいのは、愛です。相手を知りたい。だけど、愛は冷めるものです。

4時からの夢

 4時からの夢の中で、全てがつながりました。それを仕掛けなくても、そうなります。そうならないと、崩壊する。そんな確信を得ました。

販売店の危機感とパートナー

 販売店の経営者の危機感にどう訴えるか。それを具体的なカタチにしていく。そのためのツールはネットワーク会社の営業で本当に出来るのか。それをどうやって変えていくのか。

 その辺はインタープリターである、パートナーの力を使うしかない。パートナーの意識をそちらの持たせないといけない。展開するだけではダメです。

 これを機に、インフラのベースを作ることです。インフラというのはハードではない。思いです。そうすれば、つながるも最終目標が一緒だから、どこかでつながります。そのためにはネットワークの先進性を強調するしかないでしょう。一本の線をいかに強く、多様にしていくのか。

 目的は地域の活性化です。直接、地域に働きかける方も考えていく。二方面です。

 重要なのはパートナーがやらなくても、ネットワーク会社がやらなくても、地域主体になっていくということです。やれば、自分たちの成果になります。そうならなかったら、どうなるか.それは簡単です。崩壊です。

 皆、バラバラでお客様とつながろうとする、従来通りの仕事をしようとする。そんな会社をだれが信用するか。競争相手は職種を超えて、一杯出てきます。

 今日の検討会で、ネットワーク会社が書かないのであれば、私がここにアップします。一つ一つを積み上げないといけない。スケジュール通りでやってくださいと言っても、スケジュールの中が皆バラバラです。だから、今回のように明日までですかと、白を切られるのです。

人の活性化

 依存する枠組みを外から与えられないと成り立ちません。それだけではスパイラルが増すだけです。だから、人の数を減らすか、一人一人が活性化するのか。店舗の活性化から地域の活性化。そして、人の活性化に来ています。

 その意味では寿命と言うのはいいことかもしれない。そういう思いを全てなくして、ゼロから始める。ゼロから始まっているのか。カントは内なるものから人間の活性化を願ったけど、今の世界は逆になっています。

 地域との活性化とか店舗の活性化だと、すぐ前には見えないけど、そんなものができるといいなぐらいだった。人の活性化だと、目の前に居る人間、家族、組織の連中、そういうものが活性化できるとは思えない。

 それをするのは多分、宗教家です。法然のように、これを唱えれば、活性化する。前向きに生きていける。

 哲学者はそんな簡単な言葉では表せない。出来たとしても、それで活性化できないでしょうね。カントが純粋理性批判にしても、7巻も書いても、理解できる人は少ない。
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地域活性化

店舗活性化から地域活性化

 彼らは言っていることを何にも理解していない。それを指摘したのに、「相談している甲斐がない」どうしようもない。やれるものなら、Gとやってみなさい。ネットワークで必要なのは。責任問題と多様性をどう活かすかです。

 私の地域の活性化、そのための店舗の活性化、それを販売店の経営者が考えられる.それがない限りは何をやってもムリです.ムダです。Sが何を考えられるかどうかは関係ないです。その代行としてのSは無視します。言っていることも含めて。その上で、パートナーとGが組むなら、それはそれでいいです。それだけの組織です。

 本質的なところは何も解決しません。販売店にとってのメリットにはなりません。社会のメリットにもなりません。単に仕事したというだけです。無線LANをやる理由は、つながるにつなげるためです。あまりにも、キャパシティが小さいから、どうでもいいです。

 自分のことをやるけど、相談されたら、それなりに返すけど、当てにしてはいけません。自分が言ったことをそのまま返しても。その時は反発するだけです。だけど、一つずつ、積み上げていかないと、会議は意味がない。

何も仕掛けない

 今みたいな営業ではその場その場です。どんぐりの背競べです。何も考えていない。全体を。下から全て、自分の痕跡を消します。いつでも居なくなれるようにします。何も仕掛けない。

なぜ、本はあるのか

 なぜ、本を読むのか。なぜ、本があるのか。それは人間の知識の範囲です。何の意識もなく、生まれてきた人間が総力をあげて、闘うことができるのか。神が命じたから、行動するのか。それはムリです。自らの内的な義務として、行動できることです。そのために本がある.だけど、それに従わない。

 なぜ、国が生まれ、組織が生まれたのか。依存するからです。その方が楽だからです。次から次へと生まれてくる人間にそんな意識はない。教育と言うカタチでその意識の中に全て、入れ込みます。その中で、分類されます。両方とも依存しています。
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店舗の活性化

未唯へ

 14文字で夢がイメージできる。

クルマの役割

 クルマの通信のハブを願います。近傍のスマホのハブになります。だから、基本は衛星通信です。社会全体をトポロジーで満たします。近傍です。

近所の店舗の無線LAN

 iPad2の接続を頼んだけど、ショールームのスタッフに頼んだけど、分からないということで、事務室のスタッフに頼んだけど、降りてきません。ちゃんと、伝わっているのか。

 au-Wifiの案内は内側からしか見れません。外から見えないようになっています。配線を見たら、無線LANと有線LANがごっちゃになっています。

 店の真ん中に座っているけど、何の反応もない。営業スタッフの目つきが悪い。20分前に聞いたけど、何の接触もないので、カウンターに申し入れ。あのスタッフではどうにもならない。地域の活性化も店舗の活性化どころではない。何も活性化できていない。人の活性化が一番出来ていない。

 充電装置とつながっているけど、クルマはない。スタッフ側はまるで状況は分からないみたいです。押し付けられたものでは何も出来ない。

死んだ店舗の姿

 何しろ、日曜日の店舗の姿、あの死んだ姿が目に焼き付いています。

 自分が与えられたものだけをやる。目の前だけのことをやる。本を読むことをしない。ライブラリは関係ない。誰かのために考えることもしない。だから、コラボレーションも必要ない。

 こんな内なる世界ならば、ほかりだしてしまいたい。矛盾が増すだけです。これは夢と一緒です。目を醒ませば、全てが終わる。単にそれだけです。
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豊田市中央図書館から18冊借りました

未唯へ

 やっぱり、全国の店舗の活性化です。全てをまとめることです。

 長かった。2時間半です。2時間の出遅れです。

 休日だから、暖かだと思ったけど、やはり寒い。

 偏屈な老人にならないと言っても、それはムリですね。何しろ、偏屈な中学生だったんだから。

コンビニの充電スタンド

 電気充電スタンドを使った、キャンプ場の方がはるかに現実的です。

 軽でもって、充電の口を一緒のモノを使って、販売店の無料チャージを使えば、クルマの中で電気生活ができます。だれも文句が言えません。

豊田市図書館で2時間遅れで、新刊書コーナーで借りた18冊。やはり、物足りなさを感じますね。だけど、カントの純粋理性批判7が残っていた。

 548.29『はじめてのiPad2』 図書館に頼んでいたモノが届いた。これは買ってしまっていた

 548.29『大人のためのiPadの楽しみ方』800本以上のアプリを試した65歳の最高齢ITライターが書いた

 909『人気のひみつ、魅力のありか』21世紀こども文学論

 538.86『図解くらべてわかる航空管制』

 404『人間にとって科学とはなにか』

 913ミズ『ALWAYS三丁目の夕日'64』

 289.3『クレオパトラ』

 770.9『拍手しすぎる日本人行列してまで食べないフランス人』

 933.7『デッド・オア・アライヴ』

 933.7『デッド・オア・アライヴ』

 134.2『純粋理性批判7』 これを手に入れるために、今回の図書館があった

 914.6『意味の変容 マンダラ紀行』

 210.7『昭和史の天皇』和平工作の始まり

 498.32『喫煙と禁煙の健康経済学』タバコが明かす人間の本性

 589.7『ニンテンド・イン・アメリカ』世界を制した驚異の創造力

 365.5『日本人の生活時間・2010』NHK国民生活時間調査

 291.99『沖縄の歩き方』

 492.91『はじめてのICU看護』カラービジュアルでみてわかる!
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若者の生活を守るためには より深刻な「置き去り層」

『二極化する若者と自立支援』より

もっと深刻な層が「置き去り層」だ。「学校、企業、仲間、国の制度(生活保護、社会保険など)、家族も含め、『社会とのつながり』が希薄な層」(Social Exclusion)だ。例えば、大学や高校の中退者、無業、高卒、フリーター、失業者、ワーキングプアなどの若者の一部だ。

文部科学省の調査によると、高校の中退者は、約6万6000人に上る。大学の中退者は、NPO法人「NEWVERY」(東京)の調査では、大学生の8人にI人に上る。不登校児童は、文部科学省の調査によると、小中学校で約12万6000人、高校で約5万3000人に上る。

「置き去り層」を象徴するケースがある。20代前半のAさんの例だ。Aさんは、一時路上生活者だった。様々なくつながり〉から置き去りにされた、象徴的な例だと実感させられた。Aさんは高校2年の時、突然、父親から、自分が里親であることを告げられた。Aさんの母親は、誕生後失踪。父親はAさんが産まれる前から行方不明だった。高校まで特に不自由もなく育ててくれた、「親」からの突然の「縁切り宣言」だった。「父親」はすでに児童養護施設への入所手続きを終えていた。I週間後、「何か何だかわからないまま」、施設に入所させられた。施設への入所前後から高校にも行かなくなった。そして間もなく高校を中退した。

だが、中退後、今度は、児童養護施設から退所を命じられた。児童養護施設は原則18歳未満までが入所対象だからだ。「そういう決まりだから」。滞在の延長を求めるAさんに、施設の職員は、つれなくこう告げた。

退所後、アルバイトで貯めたお金を使って安い家賃のアパートで一人暮らしをはじめた。生活費はアルバイトで稼いだ。だが、今度は、「仲間」に裏切られた。遊び仲間の男性から、執拗にお金をせびられるようなった。夜中に雨戸を開けて家に入ろうとすることもあった。アルバイト先にも来るようになった。仕事も行けなくなった。家で待ち伏せされるのが怖くて、家に帰れなくなった。テレビも、服も置いたまま、家を出た。店長は相談に乗ってくれなかった。仕事も辞めた。「恐喝を受けている」。警察に相談したが、相手にしてくれなかった。

「家族」「里親」「福祉」「仲間」「仕事」「警察」……。Aさんは、こうした〈つながり〉から排除された。「行くところがない」。所持金もほぼゼロ。路上生活者になった。寝る場所は、公園、コンビニエンスストア、公民館の駐車場……。ゝ不ットカフェは、リクライニングシートで仮眠を取ることができ、シャワーの付いた施設もある。何より、1500円程度で一晩明かせる。ただ、そのネットカフェさえ、「高くて入れなかった」。

水とトイレは公園の施設を使った。食べるのは、日に一食。コンビニエンスストアの倉庫には「廃棄用」の食べ物がある。コンビニでアルバイトをした経験があるから知っていた。時折、その食べ物を「拝借」した。万引きを繰り返したこともあった。「このまま犯罪者になっていくのかなあ」。そんな思いが頭をもたげたことも珍しくなかった。

ハローワークに足を運んだ。ただ、身寄りも、家もない自分に紹介される仕事は、建設関係の住み込みの仕事だけ。住まいは6畳I問の3人の共同部屋。自分以外は、60代と40代の男性が同居人だった。10代の若い自分は「若造」。仕事中はもちろん、仕事が終わっても、雑用をこなすよう命じられた。「パンツを洗え」。こんな雑用までこなした。嫌になった。2ヵ月単位の仕事を、3日で辞めたこともあった。「もう死ぬしかないのかな」。そんな考えも浮かんだ。
Aさんは最近、知人の紹介で生活保護を受給し始めた。ただ、この数年で受けた傷は重く、精神疾患を抱えた。彼は目を伏せながら、言葉を振り絞るようにこう話す。「先が見えない」。

Aさんのようなケースは決して例外ではない。

30代のBさんは10年近く、住所不定のフリーター生活を続けている。泊まり先は、ネットカフェや公園などだ。Bさんは高校卒業後、大学に入学した。だが、「大学に行く意義が見いだせず」、間もなく大学を中退。親から「出て行け」と言われ、家を出た。以来約10年以上経過した。ネットカフェは、会社員や若者がくつろげる場として都市部を中心に広がっている。リクライニングシートがひとつ備え付けられた「個室スペース」があり、そのスペースの机の上にはパソコンもあり、テレビも見られる。マンガもあることから、「マンガ喫茶」と言われることもある。カップラーメンやパンなどを自販機で購入できる。なかには、シャワーの付いたところやマッサージ器、ダーツゲームを楽しめる場所もある。

カフェで一晩を明かす時、Bさんは、個室の机の下に、下着などの入ったバッグを置き、シートを後ろに下げて眠る。机の上には携帯電話。携帯には随時、派遣会社から翌日の仕事の連絡がメールで入る。文字通り生活の「命綱」だ。引っ越し、工事現場、イペント設営など、紹介される仕事の多くは、「日雇い」だ。お金がない時は、「路上」で過ごす。例えば、昼は、「健康ランド」の昼割引で風呂に入り、図書館で寝る。食事はデパート地下の試食でしのぐ。「寝床」については、夏場は公園などだ。厄介なのは、冬場だ。公園で寝ると凍死する可能性もあるからだ。だから、冬場は、あてもなくひたすら歩き続ける。そして、1時間ごとにコンビニエンスストアで暖をとる。親しい友人もいない。なぜなら、職場を転々とするためだ。家族とも音信不通の状態だ。ネットカフェで使うインターネットは、「外」の世界とつながるための貴重なチャンネルとなっている。「死んでもだれもわからないでしょうね」。そうつぶやく。

住む場所がなく、ネットカフェなどに寝泊まりする若者について、厚生労働省は2007年8月、実態調査を発表している「厚生労働省9aoo7」。この調査は07年6月から7月にかけて実施。全国のネットカフェやマンガ喫茶計約3000店を対象とした聞き取り調査と、東京23区と大阪市で利用者計362人に対して行った面接調査の結果を踏まえ、人数などを推計したものだ。

調査結果によると、ネットカフェの利用者は、全国で一晩約6万900人。その大半は、仕事や遊びで遅くなった「一時利用者」だったが、帰る家がないため日常的に泊まる「ネットカフェ難民」が、推計約5400人いることがわかった。その内訳を就業形態別に見ると、アルバイトや1日単位の仕事をする「旦雇い派遣」など、非正規労働者が約2700人と半分を占める。失業者(約1300人)も含めると、大半が不安定な就労状態にある。年齢別では、20歳代が27%、30歳代が19%と半数近くが若年層。50歳代も23%で、中高年でも広がっている。平均手取り月収は、東京で10万7000円、大阪で8万3000円。ネットカフェ以外では、路上、ファストフード店、サウナでも寝泊まりしている。

「置き去り層」も、不安定な就労になりがちだ。労働政策研究・研修機構が調査した「大都市の若者の就業行動と移行課程」(2006年)によると、高等教育を中退して正社員になった人はわずか14・7%、アルバイトかパートが59」8%と最多だ。高校中退の場合も同様で、正社員になった人は12・8%、アルバイト・パートが50・6%と最も多い。
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ナチス政権下の政治と社会

『ドイツ史と戦争』より

ナチス政権下の政治と社会

 ヒトラー新政府のまえに重大な障害となって立ちはだかっていたのは、社会民主党と共産党であった。新政府は、一九三三年三月五日に総選挙を行うことを決定した。そして投票日直前の二月二十七日夜、ベルリンの国会議事堂が炎上した。政府は放火の元凶は共産党だと断定し、ただちに全土にわたって共産党や社会民主党の弾圧が行われ、幹部の逮捕や機関紙の発行禁止などが行われた。だが戒厳状態とテロ・弾圧のもとで総選挙が行われたにもかかわらず、ナチスは二八八議席(得票率四四パーセント)にしか達せず、保守与党の国家人民党をふくめてやっと総議席六四九の過半数を超える三四〇議席(五二パーセント)であった。そして社会民主党は一二〇議席(一八・二パーセント)、共産党は八一議席(一二・三パーセント)と根強さを示した。しかし新国会においては、いわゆる「全権委任法」が、共産党と一部の社会民主党の議員を排除したうえで可決・成立した。これは「民族と国家の困難を除去するため」という名のもとに、議会の承認なしで政府に立法権や条約締結権を委ね、ヒトラーの独裁体制を合法的に確立する重大な一里塚であった。つづいてナチスの一党独裁体制の整備をめざして、諸政党は次々と解散させられ、新政党結成禁止法によってナチス以外の政党は消滅し、ここに一党独裁の体制が確立された。さらに名実ともにヒトラーが統治の頂点に立つのは、彼が首相就任から一年数カ月後である。彼は大統領ヒンデンブルクが死去すると、大統領職を廃止し、自らが総統(フューラー、統率者)と称した。それは、国民の絶対的信頼をえた指導者を意味し、いわば大統領・首相・党首を一身に体現するものであった。こうして、単なるナチスー党支配というよりも、ヒトラーに対するカリスマ的信奉にもとづく独裁体制が成立した。この独裁体制は、歴史上「指導者国家」とか「総統国家」とかいわれている。こうした体制は、警察・治安の組織を支柱としたが、その中核には秘密国家警察(略称ゲシュタポ)があり、それはナチスに敵対する分子の調査・撲滅をはかる組織であり、ヒトラーの護衛隊から発足した親衛隊と並んで暴力支配の二大支柱となった。

 ナチス国家は以上に述べたように、弾圧と迫害と抑圧の体制と理解されているが、それは事態の一面である。他方で体制の支持を確保するために、国民各層の統合をはかる諸策が講じられたことを見落としてはならない。まず注目されるのは、労働組合の解散・破壊ののちに、かわって階級闘争の克服をめざすとして「ドイツ労働戦線」が結成された。この組織は、法律相談から職業教育やリクリエーションにいたる多方面の活動を行った。とりわけ「歓喜力行団」(リクリエーション組織」は、演劇・音楽会・スポーツ・旅行などを行い、労働意欲の促進をはかるとともに、逆に家庭や休暇にいたるまで統制の網の目におくものであった。これはナチス体制下における最大の大衆組織となっていく。さらにナチス政府は、大規模な失業救済(ワイマール末期には数百万の失業者群があった)やアウトバーン(高速自動車道路)の建設などの公共事業が推進され、さらに軍備拡張計画が大々的に行われるようになると、一九三七年には失業者は姿を消し、ほぼ完全雇用の域に達するようになる。

 農民についていえば、すべての農民団体が解散されたあと、「全国食糧身分団」に再組織された。ここでは、とくにナチスが掲げる「血と土のイデオロギー」が強調され、農業生産体制が推進された。他方、手工業者の場合に類似の役割を果たしたものとして、「手工業全国身分団」が組織され、また小売業者には「商業全国身分」が設立された。こうした各層別の全国組織は、それぞれナチスの核心的イデオロギーである「民族共同体」の分肢をなすものと位置づけられた。

アウシュヴィッツヘの道

 戦争が終わったあと、すでに戦争中から明らかになりつつあった「アウシュヅィッツ」の実相が知らされるなかで、人びとは「ホロコースト」の凄絶さと残虐性におののいた。「ホロコースト」とは、ユダヤ教において神前に供える獣の丸焼きを意味するが、ナチスの残虐な反ユダヤ主義の別称となった。ナチスの反ユダヤ主義はつとに知られていた。だが、それはヨーロッパのどこにでも見られた、単なる社会意識としての反ユダヤ主義ではなかった。一九二五年にニュルンベルク法が制定され、ユダヤ人の排除や差別が国家の法律として制定されたのである。当初はユダヤ人商店の公職からの追放やドイツ人との結婚の禁止などが行われた。独ソ戦とともに、ユダヤ人を居住地から東方へと大量追放し、財産を没収し、強制収容所に隔離した。だがユダヤ人の大量殺害「ホロコースト」への道は、ナチスの反ユダヤ主義という思想・意識だけの産物ではなかった。そこには戦争と戦局の困難という客観的情勢なしには、あれはどの大量殺害の道は開かれなかった。すなわち戦争によって食糧不足が深刻化しまた迫害されているユダヤ人による復讐が憂慮されるようになると、ユダヤ人の大量殺害が日程に上ってきたのである。一九四二年一月二十日、ベルリン郊外のヴァンゼー湖畔で、政府・ナチ党幹部の会議が行われ、「ユダヤ人問題の最終解決」が議された。「最終解決」とは、ヨーロッパ・ユダヤ人総体の絶滅を意味する「隠語」であった。一九四四年七月二十日、敗北の見込みが濃くなるなかで、一部の軍人・政治家によって、未遂に終わったとはいえ、ヒトラー暗殺と新政権樹立のクーデターが計画されるほどになった。「もしや敗戦の場合には」ということが意識されるようになると、「やっておかなければ、やられるという」という強迫の意識が募るのは避けがたかった。アウシュヅィッツ強制収容所のガス室大量虐殺をけじめとして、殺害されたユダヤ人総数は五〇〇万を超えるという。ここに象徴される反人道的残虐性は、ナチスだけの罪なのか、ナチスを生みだしたドイツとドイツ人の罪なのか、さらには広くヨーロッパ文明に根ざすものなのか、いまだ議論は続く。
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市民社会の力学の事例--バングラデシュ、ドイツ

『世界政治を読み解く』より

バングラデシュ

 アジアの最貧国の1つであるバングラデシュは、NGOが開発、保健、教育、家族計画、環境などの領域で活発な働きをしている国でもある。バングラデシュの事例は、発展途上国において平等と不平等の力学が独自の様相を示すことを例証するものである。すなわち、①国家の統治能力が低いという状況において、NGOは種々の社会サービスを提供することで、多大な社会的な貢献をなしつつも、②強力なNGOがリソースや人材を吸収することによって、国家の統治能力の向上が阻害されるという事態が生じている。

 バングラデシュの政府は、低い統治能力によって特徴づけられる。統治能力の未発達は、歴史的にみればイギリスの植民地支配やパキスタン時代の後遺症であるが、直接的には社会的貧困の帰結である。中央政府は、支出に対して不足する収入を海外からの開発援助で充当し、地方政府は厳しい財政状況に直面している。人口の約半分は農村に住むが、富農層などの一部を除いて、その多くは貧しい。貧しい農村住民の祖税負担(国税と地方税)は小さいものとならざるを得ず、政府の財政規模も小さくなる。したがって行政システムは、非効率的であり、社会サービスを住民に提供する能力を持たない。

 まさにここに、バングラデシュにおいてNGOが大きく発展する主たる要因がある。バングラデシュの行政組織が頼りにならないとして、国際機関や先進諸国は、開発援助を政府でなくNGOに提供することを好む。また近年の「人間開発」への重視は、こうした傾向に拍車をかけている。かくしてNGOは、貧困撲滅、保健医療の充実、教育の保障、環境問題などの取り組みにおいて、バングラデシュ社会にとって非常に重要なサービスの提供者となっている。強力なNGOは、日本のNGOとは比較にならないほどの規模の財政基盤、専門職員、経営組織を有している。

 平等と不平等の逆説的な力学は、バングラデシュの事例にも観察できる。バングラデシュのNGOは、社会サービスを提供することで、貧困やそれと結びついた不平等を克服し、平等化に貢献している。このことは、市民社会が平等化への推進力となることを示している。しかしこの平等化には、負の側面が伴う。それは, NGOの発展と国家の低い統治能力の悪循環にほかならない。国家の低い統治能力は、NGO中心の市民社会を促進する方向に作用する。しかしこの作用は、NGOによる国家の機能的代替を推進させるだけでなく、援助資金や優秀な人材をNGOに集中させ、結果として国家の機能的弱体化をもたらす。さらには、平等と不平等の逆説的力学は、NGOに多大な財政的支援を行う国際機関や先進諸国を考慮に入れると、国境を越えるグローバルな性質を帯びているともいえる。このようにバングラデシュの事例は、NPO・NGOを万能視する市民社会論に修正を迫るものであり、市民社会と国家の関係を重視する相互作用モデルの有効性を示唆している。

ドイツ

 移民は、市民社会の力学を明瞭に観察できる典型的な集団であるといえる。 ドイツの事例は、①「ガストアルバイター」と呼ばれる移民労働者の平等化に貢献した経済制度が、環境条件の変化によって、むしろ深刻な不平等を生み出すことになり、②文化的な偏見がさらにこの不平等を強めるという市民社会の力学のパターンを示している。 1950年代から1973年のオイル・ショックにかけて、ドイツが労働力不足を補うために地中海沿岸諸国から労働移民を募集してきた。 ドイツ政府の目論みとは逆に、オイル・ショックをきっかけとする募集停止に直面して、移民労働者の多くは定住化への道を歩む結果となった(ちなみに現在700万人いる移民のうち、最大の移民集団は約200万人のトルコ系移民である)。

 ドイツの政治経済システムは、まずはガストアルバイターの平等化に貢献した。このシステムは、社会的市場経済と協調的労使関係を基調としており、労働組合に一定の影響力を与えてきた。ガストアルバイターに直面した労働組合は、労働市場の二重化による影響力低減を阻止するために、彼らを既存の産業関係に積極的に組み込み、ドイツ人と同等の処遇(「同一労働、同一賃金」および雇用を通じての社会保障制度への加入)を実現したのである。しかし歴史の転轍機は、産業構造の変容を通じて不平等化の道を選択することになる。脱工業化、グローバル化、テクノロジー化という産業構造の変化は、ガストアルバイターを非熟練労働者として大量に雇用した第二次産業(主に自動車製造業と鉱山業)を直撃し、トルコ系移民を筆頭とする非EU国出身の移民の失業率を高める結果となった。職業上の地位と社会保険を直結させるドイツの社会保障システムのもとでは、失業は種々の不利益をもたらす一方で、雇用関係に組み込まれない就労可能な移民の若者が社会扶助を受ける場合には、社会的コストとして指弾される環境が醸成されやすい。

 トルコ系移民の社会経済的不平等は、文化的差異がもたらす不平等によって強化される。伝統的にキリスト教社会であったドイツにおいて、その多くがイスラーム教徒であるトルコ系移民は、文化的に異質な他者としての熔印を押される危険性を抱えており、熔印を押し付ける言説が後を絶たない。たとえば「名誉殺人」事件(家族が娘を家の恥として殺害した事件)や「強制結婚」などは、メディアお好みの話題である。これらのトピックは、表向き個人の尊厳や自由という根本的価値の侵害として扱われているのだが、実際にはトルコ系移民が異質で遅れた文化集団であるとの熔印を押す機能を持つにの場合、〈自由と平等〉の規範原理は移民排斥の道具となる)。こうした熔印は、移民に対する排除の態度を社会的に強め、社会経済的不平等を強化する作用を持つ。事実、トルコ系移民の若者が急進的イスラーム主義に傾斜するきっかけの1つが、社会から排除された経験である。今後そうした若者が労働市場に組み込まれる可能性はいっそう低くなり、経済的不平等をより深刻なものにするであろう。かくしてドイツの事例は、移民の社会経済的な平等化に貢献した制度がのちに深刻な不平等を生み出し、しかも文化的な偏見がこれに拍車をかけるという市民社会の力学が現れる興味深いケースを示している。
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パートナーの思考パターン

地域活性化をミッションに

 思い付きで「地域」と言っているわけではない。数学的な根拠、歴史的な根拠なのです。

 彼らが狙っているのは自分の存続です。単にそれだけです。私は違います。ミッションがいかに違うかがわかりました。私のミッションは「世界を変える」ことです。そして、歴史を変えることです。

 なぜ、「地域」なのか。それがどういうカタチになって、最終形がどうなっていくかを知っているのは、私の特徴です。

ミッションがあれば、暇はない

 グループの中に、仕事がなくて、暇だと言って、人の邪魔をしている人がいます。仕事がないといって、何故、ここのいるのか。何のために生まれてきたのか。そのミッションがあるはずです。それをやればいい。仕事がなければ、ちょうどいい。

パートナーの思考パターン

 メンバーの女性が私のことを「大人だ」と言っていた。多分、パートナーとの関係でしょう。他から見ると、「わがまま娘」と見える。よくやるわ、という感じでしょう。私はパートナーの言うことは全て肯定します。パートナーはちゃんとできます。しっかり考えて、発言します。

 ただし、私が言ったことに対しては、必ず、反発します。その後に、自分のアイデアとして、その意見が出てきます。面白いf\ぐらいです。まあ、それがスタンスなんですね。10年間の付き合いですから。

 私が一番気にしているのか、パートナーが他の人の意見を聞く時に、全てわかった振りをします。本当に分かったかの質問をして、確かめます。

 パートナーには。もっと、広いフィールドを渡したい。この最近の言動を見ていると、人に関することもできるし、アイデアも十分あります。できたら、考える部分を渡したい。どこまでできるかは未知数です。性格に合っているかどうか、わからない。この最近の様子を見ている、非常に可能性はあります。

社会との協調性

 面接の時に、「協調性」というけど、彼らの方が、私に対しての協調性がない。たまには聞けよ。協調性と言っても、職場での懇親会レベルのものではない。もっと大きなところ、社会との協調性、歴史との協調性です。このコップの中では、何の意味も持たなう。

 未唯空間の自分・数学・社会の三つの資料の同期化をはかります。表現と詳細と概要です。歴史編はじっくり、行います。歴史と数学が私の理論づけしています。他の人ではかなわない部分です。歴史編は広いです。同時に世界に広がります。多読しない限りは手に要られない部分です。

 エジプトの話とか、フィンランドの歴史をすると、皆、関心なさそうです。大きいですよ。この小さな日本とは比べようがない。何しろ、日本の方向性を見い出さないと先にいけない。

次はNPO?

 もしかすると、NPOをいいかもしれない。2030年を考えるのであれば。会社では2015年までしか見れません

 マーケティングをもっと、定義しないといけない。曖昧すぎます。歴史ライブラリの役割をもっと、ハッキリさせましょう。過去を保証することが歴史ではない。未来への思考です。
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ソーシャルワーク理論の展開 エコ・システム理論

『社会福祉学』より

システム理論とは、部分と全体が分かちがたく結びついて無数の「まとまり」(システム)を形成し、それらの「まとまり」がまた相互に結びついているという見方に基づいて人間と社会をとらえようとする考え方である。このように部分と全体を有機的に関連づけて理解しようとする視点そのものは、アメリカの人間科学や社会科学全般においては、1930年代頃から台頭した「ゲシュタルト心理学」や「文化とパーソナリティー論」などを通じて発展した視点であり、広い意味では機能主義の伝統に連なるものだといえるだろう。

このような視点を人間と社会の分析に応用すれば、部分と全体、すなわち個人と社会は分かちがたく結びついているのであるから、個人への働きかけと社会への働きかけは究極的には同じものとしてとらえられるし、いずれが欠けてもうまくいかないものとして解釈できる。こうして、個人と社会いずれに働きかけるべきかをめぐって対立していた1970年代のアメリカのソーシャルワークの文脈では、システム理論は分裂しかけた実践を統合する理論的枠組みとして受容されていったという側面があるだろう。また、高度な専門性を追求することによって専門分化していくなかで、1つの専門職としてのアイデンティティをいかにして維持していくのかという専門職集団としてのジレンマを解決するうえでもシステム理論は有益だった。

1940年代から経営学などの組織研究で用いられていたシステム理論を、ソーシャルワーク実践に適用しようとしたのは、ゴールドシュタインや、ピンカスとミナハンである。ゴールドシュタインの著書も、ピンカスとミナハンの共著もともに1973年にアメリカで出版された。また、この頃からジャーメインやサイポリンたちによって、システム理論に生態学の視点を加味してソーシャルワーク実践に適用しようとする動きが生まれ、1980年にはジャーメインとギッターマンの共著によって「生活モデル」(life mode1)として発表される。「システム理論ソーシャルワーク」と「生態学的生活モデル・ソーシャルワーク」は、同じものなのか、違うのかという点では議論もあるが、現在の入門的なソーシャルワーク論においては、エコ・システム理論(ecogical system theory)として、両者は一括して扱われることが多い。

ところでエコ・システム理論は、ソーシャルワークの「理念知」とどのように関わっているのだろう。まず、その人間観についてだが、「システムのなかの個人」「環境のなかの個人」「状況のなかの個人」といった考え方が重視されている。これは利用者個人を責めないという点で、かろうじて「性善説」を維持した人間観だといえるだろう。しかし、伝統的なソーシャルワーク理念からいえば、利用者による積極的で主体的な「状況や環境」への働きかけを期待できる理論でなければならないだろう。エコ・システム理論とも整合的な側面のある「行動変容アプローチ」は、強化子などによる条件づけや、状況や環境を操作することによって、個人の望ましい行動を強化しようとする。もしも個人を、条件づけによって左右されたり、環境に適応するだけの受動的存在としてとらえるのであれば、ソーシャルワークの伝統的な人間観とは矛盾することになる。

また、エコ・システム理論と「社会正義」の接点はきわめて見いだしにくい。エコ・システム理論における「社会問題」とは、「環境と個人の交互作用における不調」、あるいは「社会的汚染」(social pollution)という概念でとらえられ、あたかも水槽内の生態系バランスの崩れのようなものであり、このバランスの崩れをどこまで「社会の不正」として糾弾できるのか定かではない(ジャーメインほか1992)。こうした疑問は残るものの、個人と社会を一体のものとみなして、その双方に働きかけようとするエコ・システム理論は、ソーシャルワークの[理念知]と対立するものではなかったといえるだろう。
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アメリカ新世紀、あるいはテロの時代

『最終兵器の夢』より

二〇〇一年九月十一日、民間航空機四機をハイジャックした十九人の男たちは、ボーイング社製の飛行機を意図的に選んだわけではなかった。ボーイング社が爆撃機から宇宙兵器まで、アメリカの超強力兵器生産における中心的な役割を演じてきたことも、おそらく思考の中にはなかったであろう。飛行機を兵器として使い、何千もの無防備な民間人を殺す案を練っている時、彼らはフランクリン・D・ローズヴェルト大統領の一九三九年の言葉のもつ皮肉を思い浮かべることもなかったはずだ。口ーズヴェルトは、飛行機を使って何千もの無防備な市民を殺すことは「すべての文明人の心を痛めてきたし、人類の良心に深い衝撃を与えてきた」と述べた。ところがその間、ボーイング社の工場の組み立てラインからは「空の要塞」B-17が次々に生み出されていたのだ。第二次世界大戦初期の最強の兵器であったB-17は、じきに「平和の担い手」と名づけられた爆撃機に取って代わられる。「超空の要塞」B-29という名でよりよく知られている、このはるかに強力な爆撃機は、日本の数々の都市を焼き払い、広島と長崎には原子爆弾を落とした。それに続いて、核装備の爆撃機が続々と登場するー-ボーイング社のB-50、B-36、B-47から、クリントン政権時代に巡航ミサイルでイラクを破壊した最新版のB-52まで。しかし、ボーイング機をワールド・トレード・センターやペンタゴンに突入させた十九人の心におよそ浮かばなかったのは、自分たちの行動の結果として、ボーイング社が何十億ドルも儲けるということだったのではないか。

二〇〇一年九月十一日の事件は、アメリカ政府が「アメリカ新世紀」計画を全面的に実行に移す絶好の機会を与えた。これは、超強力兵器とアメリカの想像力の歴史に深く根ざした計画である。アメリカが軍事的優位に基づいて世界覇権を打ち立てようとする野心。それはこれまで種々の条約によって抑制されてきたのだが、こうした条約をブッシュ政権は数カ月のうちに体系的に打ち壊していった。条約の残骸は今やツインタワーの残骸のような様相を呈し、そこから不吉な悪臭を放つのは、危険な空想と現実から成る未来である。

二〇〇一年十二月十三日、アメリカ政府はロシアに対して、弾道弾迎撃ミサイル制限条約から撤退すると公式に通達した。翌月、二〇〇二年一月二十九日の一般教書演説で、ブッシュ大統領はイラクとイランと北朝鮮を「悪の枢軸」として非難。その「大量破壊兵器」が「深刻で増大しつつある危険」を引き起こしていると述べた。イラクは十五年前に大量破壊兵器をすべて破棄し、核兵器はおろか原子力発電の計画さえも捨てたのに対し、北朝鮮とイランは核開発を積極的に続けていた。三国の中で唯一核開発の能力のなかったイラクを侵略したことは、残り二つの国への教訓となったであろう。アメリカの攻撃を避けるには、大量破壊兵器を持たなければならない、できたら核兵器を持だなければならない、と。ほかにアメリカの攻撃を防ぐ手段などないではないか?

二〇〇二年十二月、イラク侵攻のために軍を配備するのと同時に、アメリカは北朝鮮との合意から一方的に撤退すると表明した(北朝鮮は、その合意に基づいて核兵器開発を中断していた)。それが破られたことで、アメリカがイラク侵攻中の二〇〇三年、北朝鮮は核拡散防止条約から撤退する計画であると正式に宣言した。一方、イランは急速にウラン濃縮計画を加速させかが、それは純粋に平和利用のためだと主張した。

北朝鮮とイランに核兵器による抑止力追求の動機を十分に与えたうえで、ブッシュ政権はこうした国々の原始的な核開発計画を口実として用い、ミサイル防衛というブラックホールに何百億ドルもの金を注ぎ込み始めた。その結果、この両国がもたらしかねない危険をはるかに超えて、アメリカは危険な国になった。

このような「ならず者国家」からの攻撃を防ぐ手段としてのみ示されているが、アメリカの壮大なミサイル防衛計画は、アメリカが無敵かつ全面的な世界覇権を勝ち得るための究極の「防衛的」兵器として意図されてきた。弾道ミサイルの攻撃を防げるミサイル防衛システムは存在しない。しかし、アメリカが先制攻撃を仕掛け、敵の兵器庫を破壊した後であれば、防衛は可能だ。破壊を免れたミサイルで敵が攻撃してきたとしても、いつどこからミサイルが発射されるかが明白なので、それを迎撃することは容易なのである。このようにアメリカのミサイル防衛の「盾」の本当の目的は、最も恐ろしい剣を抜くこと。つまり、核兵器による全面的な先制攻撃なのである。

目指すのはその先制攻撃を始めることではなく、あらゆる潜在的な敵に対して武力で威圧できるように、先制攻撃の可能性を示すことだ。これは、ポール・ウォルフォウィッツとディック・チェイニーが一九九二年に表明した戦略だが、その基本がミサイル防衛なのである。「戦略の方向転換が必要である。いかなる潜在的な敵も今後現われないようにすること。そこに照準を合わせなければならない」。この「アメリカ新世紀」の企画者たちの言葉によれば、アメリカが兵器を持つ目的は戦争を抑止することではなく、「潜在的な敵が、地域的・世界的により大きな役割を担いたいと望むことさえ止めさせる」ためのものなのである。
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