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宇宙は人間に「ちょうどよく」できている

『人間って何ですか?』より 宇宙は人間に「ちょうどよく」できている

「時間」「空間」「物質」は同時にできた

 夢枕 この宇宙で人間はどこに位置するのか。また、もし役割があるとするならどういう役割を持って生じたのか。あるいは石ころと同じで、基本的には何の役割もないのか。今日はそのあたりのお話を伺おうと思っています。

 佐藤 私たちにとって物事の始まりの極限というのは「宇宙の始まり」ですよね。「時間」「空間」という時空の始まりやその中にある「物質」の始まりなど、色々区別して考える人もいますが、でも私たちが「宇宙」と言った場合、まさにその三つすべてを指します。三つを作ることが宇宙の創生なのだということなんですね。

 夢枕 そのどれかが先んじてあったということは、基本的にないと考えていいんですね?

 佐藤 同時にできたんだと思います。

 夢枕 時間、空間、物質の三つですか?

 佐藤 はい。物質はエネルギーとも言えます。

 夢枕 何もない状態からまったく同時にその三つが生まれるのは、非常に興味深いです。

 佐藤 私たちは、何かがまったく「無」の状態から発生することが基本的には正しいことだと、感覚として知っています。しかしこれを証明することは、ほとんど不可能です。限りなく何もない状態の時間や空間の中にも「何か」があるわけですけれども、それがない状態を考えたとするならば、「無」から何かが生まれる瞬間というのは量子力学的にしか説明できなくて、その瞬間のことを私たちはちょっと曖昧な言葉で「無の状態からポッと生まれた」という表現をするんですね。

「完全に何もない状態」は物理学的に存在しない

 夢枕 先生の本で読んだのですが、それは「揺らぎ」の中でどちらかに振れ、その瞬間にポッと宇宙の「何か」が始まったということでしょうか?

 佐藤 ええ。つまり宇宙は「無」の状態から量子力学的な、いわゆるトンネル効果でポッと生まれてきたんです。「無」とは常に、量子的な時空が生成と消滅を繰り返している状態ですが、その中で、あとで説明しようと思っている「インフレーション」に成功したものだけが、現実に我々がいるような巨大な宇宙になった。その前は「無」の状態から時空が、ボコボコ生まれては消えているような状態です。それが量子的な揺らぎです。時間も空間もエネルギーもあるようなないような混沌とした揺らぎの中で、その揺らぎがトンネル効果で巨大に膨張して宇宙が生まれてきた、というのが現在の考え方です。

 夢枕 その「無」というのは、どう捉えたらいいんですか? 出典はちょっと記憶の彼方のことなんですが、例えば、仏教以前のインドの哲学にあったと思うんですが、「無」というのはそこにあったものがなくなった状態を指すんだと言うんですね。つまり「無」というものは「ものがない」ということで、この場合、〝もの〟という存在があることによって、それがなくなった状態である「無」が成立するんだ、と。これに対して絶対的な「無」の場合は「無もない」という意味で無をふたつ重ねて「無無」と言ったりしてたと思うんですが。

 佐藤 「無」という言葉の定義は、物理学では極めて明快です。エネルギーも、時間も空間もないような状態を考えなさいと。けれどその「無」の状態といえども実はカッコつきの「無」であって、哲学者の言うような完全に何もない状態は、物理学では決して許されないわけです。物理学が許す最も「何もない」状態とは、実は揺らぎが伴っている状態であって、その揺らぎがないような状態はあり得ません。

 夢枕 では、揺らぎというのは「無」と「有」の間を揺らいでいる状態なんですか?

 佐藤 まさにそうなんです。その意味では真空も、物理学的に見るとそれは空っぽの空間ではなく、何かが生まれてはまた消えていくような物理的な実体があるわけです。

 夢枕 その話はすごく飲み込みやすくてリアルに感じます。本当に何もなかったら何も生じないだろうと思っていましたので、揺らいでいると聞いたときにすごく安心しました。

 佐藤 真空の状態では物質エネルギーの容れ物である時間も空間も存在していますが、さらに、その容れ物も生成と消滅を繰り返している状態を合わせて考えたのが、物理で言う「無」という概念です。物理的な自由度、つまり変化の生じる可能性が存在するところには、必ず「揺らぎ」が存在するんです。

 夢枕 真空というのは宇宙の始まりのときだけでなく今現在も揺らいでいて、この瞬間にもそこで何かが生じたり生じなかったりしているんですか?

 佐藤 はい。色々な物理現象を解析するときに、真空にはその揺らぎがあるということを必ず取り込んで計算をしないと正しい値が出ません。ただひとつだけ、真空の概念に関しては技術的に大変な困難があります。実は、宇宙にある真空のエネルギーを計算することが、今のところできません。そしてこれが、よく言うダークエネルギー(暗黒エネルギー)の謎に大きく絡んでいるんじゃないかと思っているんです。
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宇宙は人間に「ちょうどよく」できている

『人間って何ですか?』より 宇宙は人間に「ちょうどよく」できている

「時間」「空間」「物質」は同時にできた

 夢枕 この宇宙で人間はどこに位置するのか。また、もし役割があるとするならどういう役割を持って生じたのか。あるいは石ころと同じで、基本的には何の役割もないのか。今日はそのあたりのお話を伺おうと思っています。

 佐藤 私たちにとって物事の始まりの極限というのは「宇宙の始まり」ですよね。「時間」「空間」という時空の始まりやその中にある「物質」の始まりなど、色々区別して考える人もいますが、でも私たちが「宇宙」と言った場合、まさにその三つすべてを指します。三つを作ることが宇宙の創生なのだということなんですね。

 夢枕 そのどれかが先んじてあったということは、基本的にないと考えていいんですね?

 佐藤 同時にできたんだと思います。

 夢枕 時間、空間、物質の三つですか?

 佐藤 はい。物質はエネルギーとも言えます。

 夢枕 何もない状態からまったく同時にその三つが生まれるのは、非常に興味深いです。

 佐藤 私たちは、何かがまったく「無」の状態から発生することが基本的には正しいことだと、感覚として知っています。しかしこれを証明することは、ほとんど不可能です。限りなく何もない状態の時間や空間の中にも「何か」があるわけですけれども、それがない状態を考えたとするならば、「無」から何かが生まれる瞬間というのは量子力学的にしか説明できなくて、その瞬間のことを私たちはちょっと曖昧な言葉で「無の状態からポッと生まれた」という表現をするんですね。

「完全に何もない状態」は物理学的に存在しない

 夢枕 先生の本で読んだのですが、それは「揺らぎ」の中でどちらかに振れ、その瞬間にポッと宇宙の「何か」が始まったということでしょうか?

 佐藤 ええ。つまり宇宙は「無」の状態から量子力学的な、いわゆるトンネル効果でポッと生まれてきたんです。「無」とは常に、量子的な時空が生成と消滅を繰り返している状態ですが、その中で、あとで説明しようと思っている「インフレーション」に成功したものだけが、現実に我々がいるような巨大な宇宙になった。その前は「無」の状態から時空が、ボコボコ生まれては消えているような状態です。それが量子的な揺らぎです。時間も空間もエネルギーもあるようなないような混沌とした揺らぎの中で、その揺らぎがトンネル効果で巨大に膨張して宇宙が生まれてきた、というのが現在の考え方です。

 夢枕 その「無」というのは、どう捉えたらいいんですか? 出典はちょっと記憶の彼方のことなんですが、例えば、仏教以前のインドの哲学にあったと思うんですが、「無」というのはそこにあったものがなくなった状態を指すんだと言うんですね。つまり「無」というものは「ものがない」ということで、この場合、〝もの〟という存在があることによって、それがなくなった状態である「無」が成立するんだ、と。これに対して絶対的な「無」の場合は「無もない」という意味で無をふたつ重ねて「無無」と言ったりしてたと思うんですが。

 佐藤 「無」という言葉の定義は、物理学では極めて明快です。エネルギーも、時間も空間もないような状態を考えなさいと。けれどその「無」の状態といえども実はカッコつきの「無」であって、哲学者の言うような完全に何もない状態は、物理学では決して許されないわけです。物理学が許す最も「何もない」状態とは、実は揺らぎが伴っている状態であって、その揺らぎがないような状態はあり得ません。

 夢枕 では、揺らぎというのは「無」と「有」の間を揺らいでいる状態なんですか?

 佐藤 まさにそうなんです。その意味では真空も、物理学的に見るとそれは空っぽの空間ではなく、何かが生まれてはまた消えていくような物理的な実体があるわけです。

 夢枕 その話はすごく飲み込みやすくてリアルに感じます。本当に何もなかったら何も生じないだろうと思っていましたので、揺らいでいると聞いたときにすごく安心しました。

 佐藤 真空の状態では物質エネルギーの容れ物である時間も空間も存在していますが、さらに、その容れ物も生成と消滅を繰り返している状態を合わせて考えたのが、物理で言う「無」という概念です。物理的な自由度、つまり変化の生じる可能性が存在するところには、必ず「揺らぎ」が存在するんです。

 夢枕 真空というのは宇宙の始まりのときだけでなく今現在も揺らいでいて、この瞬間にもそこで何かが生じたり生じなかったりしているんですか?

 佐藤 はい。色々な物理現象を解析するときに、真空にはその揺らぎがあるということを必ず取り込んで計算をしないと正しい値が出ません。ただひとつだけ、真空の概念に関しては技術的に大変な困難があります。実は、宇宙にある真空のエネルギーを計算することが、今のところできません。そしてこれが、よく言うダークエネルギー(暗黒エネルギー)の謎に大きく絡んでいるんじゃないかと思っているんです。
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べトナム戦争とその後の社会主義経済体制 ★戦場から市場へ★

『東南アジアを知るための50章』より

フランス領植民地だったインドシナ3国は、いずれも1945年に独立宣言しているが(カンボジア:3月12日、ラオス:4月8日、ベトナム:9月2日)、それでただちに民族独立・統一が達成されたわけではなかった。再植民地化をねらって侵攻してきたフランス軍と戦わなければならなかった。ベトナムでは46年12月からホー・チ・ミン率いるベトナム民主共和国とフランスとの戦争が始まった。ベトナムは54年5月のディエンビエンフーの戦いでフランス軍に勝利したものの、同年7月のジュネーヴ協定により、北緯17度線を暫定的軍事境界線として南北に分断されることとなった。ラオスは1953年10月22日に正式に独立したが、革命勢力のパテート・ラオ勢力と王国政府の支配区に二分されることになった。冷戦の東西対立の構図がベトナム、ラオスにもち込まれることとなったのである。カンボジアは53年11月9日にシハヌークが完全独立を宣言し、非同盟中立の道を目指した。

南ベトナムでは1955年にアメリカの支援によりゴー・ディン・ジェム政権が樹立された(ペトナム共和国成立)。ジュネーヅ協定では2年後の56年に南北統一のための総選挙が実施されることになっていたが、ジェム政権の反対によって実施されなかった。その間、北ベトナム(ベトナム民主共和国)では、べトナム労働党(現在の共産党)の指導の下、土地改革(54~56年)や、58年から農業集団化と商工業の社会主義改造などの社会主義経済体制化が進められ、61年からは第一次5ヵ年計画が実施された。

北ベトナムは1959年に南部を武力解放する方針(労働党15号決議)を決定し、南部への補給ルートであるホーチミン・ルートの建設に着手した。南部の人々を結集するための受け皿として南ベトナム解放民族戦線が60年12月に結成されるとともに、労働党の南部中央局が61年1月23口に、ベトナム南部解放軍が61年2月に設立された。社会主義陣営は北ベトナムに対し、ソ連が肘年から軍事援助を開始し、最新式の戦闘機や戦車、重火器などを供給した。中国も兵器、食糧、現金などの援助とともに、65年から秘蜜畏に中国人民解放軍の義勇軍を送り、その数はのべで32万人にのぼるともいわれている。

一方、アメリカは「南ベトナムにおける共産主義の浸透を止めるため」、1961年5月に「軍事顧問団」を派遣し、翌62年2月には南ベトナム軍事援助司令部を設置した。64年8月、米海軍の駆逐艦に北ベトナム軍による攻撃があった(トンキン湾事件)として、米議会ではトンキン湾決議が可決され、米軍の大規模介入への道が開かれた。翌65年3月には海兵隊をダナンに上陸させ、地上軍の本格的投入が始まった。同年2月には北爆も開始された。66年・67年と戦争はエスカレーションし、米軍の投入は最盛期の68年には54万人にまで膨れ上がった。西側諸国からは、韓国軍、オーストラリア軍、タイ軍、フィリピン軍、ニュージーランド軍なども64年から参戦するようになった。

戦局の大きな転換点になったのは、1968年のテト攻勢である。革命側はサイゴンやフエなどの南部の諸都市に大規模な攻撃を仕掛けた。革命側は都市を占拠し続けることはできず軍事的に多大の損害を被ったが、南ベトナムとアメリカに大きな衝撃を与え、パリ和平交渉開始(5月)へと道を開いた。69年1月に就任したニクソン米大統領は、北ベトナム政府との秘密和平交渉を開始した。73年1月には北ベトナム、南ベトナム共和国臨時革命政府(69年成立)、南ベトナム政府とアメリカの4者の間でパリ和平協定が締結された。同年3月には米軍はベトナムから撤兵を完了した。北ベトナムは南ベトナムの完全制圧を目指すホーチミン作戦を75年3月から開始し、怒濤の勢いで4月30日にはサイゴンを陥落させた。南ベトナム政府の最後の大統領となったズオン・ヴァン・ミンはベトナム南部解放軍に無条件降伏した。ここにベトナム戦争は終結した。翌76年7月、南北は統一され、ベトナム社会主義共和国が成立し、サイゴン市はホーチミン市と改名された。

ラオスでは、1974年4月に第三次連合政府が発足し、同年6月に米軍が撤兵した。さらに王国政府と並んで行政機構を構築していたアメリカ国際開発庁が75年5月、撤収に合意した。同年12月には全国人民代表者大会において王制の廃止とラオス人民民主共和国の樹立が宣言された。

カンボジアではシハヌークが、70年に親米派の口ン・ノルのクーデターにより政権を失った。シハヌークは共産主義を標榜するクメール・ルージュと手を結んで民族統一戦線を結成し、ロン・ノル政権に対抗した。75年4月17日にクメール・ルージュがプノンペンを制圧し、「民主カンプチア」を樹立。同年12月にシハヌークは亡命先の中国から帰国したが、幽閉状態におかれ、実権はクメール・ルージュのポル・ポトが握った。このように75年にインドシナ3国はいずれも共産化した。ベトナム戦争は終結したものの、インドシナに平和が訪れたわけではなかった。
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わたしの生はわたしを超えたところで成り立っている

『生まれたことをどう考えるか』より 生の受動的状況

◇わたしが存在するとはどういうことであるかを知るには、越えがたい高い壁が立ちふさがっている。それは、人間一人ひとりが生きていることは、その根幹において、人間の力を超えたところで成り立っているという面をもっており、そして、その人間の力を超えたところが人間にはきわめて捉えがたいものとしてあるからである。

 人間はだれも、生まれる前、自分で自分を作り出し、ある男女の肉体的交わりを機に、この世界に自分で自分を送り出したのではない。一般にそのような覚えのある人はいない。人間の生は、根本的に、各人のあずかり知らぬところで--超自然的な意図によるのであれ、単なる偶然によるのであれ、何か他の原因によるのであれ--成り立っているのである。

◇あるとき気付いたら、わたしはこのわたしとして存在していた。そのときがいつであったかは、厳密にはわからないが、わたしは、すでに存在し生きているわたしに気付くのである。わたしの生は、わたしのまだ幼い頃、そのような形でわたしに立ち現れた。

 もちろん、すでに存在しているわたしに気付く以前においても、わたしは存在していた。あるとき気付いたら、わたしは存在していたというのは、すでに生まれ、成長の道をたどっていた、まだ幼い、自己意識のあいまいであったわたしが、あるときわたしの存在に自覚的に気付くことができるようになった、ということである。

 あるとき気付いたら、存在していたというしかないような、生の受動的状況の中で生きているわたしにとって、とにかくわたしが生きているということは、あるとき突然降ってわいたようなことである。

 なぜわたしはわたしの身体的誕生である受精とともに、自分の存在にただちに自覚的に気付くようになっていないのか。なぜ内面の成長は、遅れてやって来るのか。

◇わたしは自分から生まれたいと意志し望んで、この世界に生まれたのではない。そのような記憶はない。また他方で、生まれたくなく、生まれることを拒否していたのに、無理やりこの世界に生み出されたのでもない。そういう覚えもない。わたしの意志のいかんに関わりなく、あるとき気付いたら、わたしはこのわたしとして存在していた。

◇ほんのわずかな時間意図的に呼吸をしないことはできるが、わたしの心臓や肺が動き、わたしが呼吸するということは、わたしが意識的に作り出していることではない。わたしが眠っている、わたしの意識のない間も、心臓はわたしの体の中で規則正しく動きつづける。

 わたしの意識の状態に関わりなく、呼吸、さらには、体温調節、消化、酵素の分泌など生命維持に必要な営みは、行われている。

 生きているということは、生きている各人の意識とは別なところで成り立っている。自分が生きているということは、根本的に自分が作り出しているようなことではない。

◇わたしは生きるか死ぬかを選択し、その選択通りに実行することができる。もちろん自ら死ぬという選択・実行には、多大な困難が伴うであろうが、場合によっては、意を決し行うこともできる。

 わたしは現在生きる選択をし、骨を折りながらそれを実行しているが、だからといって、わたしは自分の力で自分の生を一からすべて作り出しているのではない。何かによってわたしが生きられるような状況があるからこそ、わたしは生きてゆけるのであり、生きるか死ぬかの選択ができるような状況にもあるのである。

◇わたしが他の場所に生まれず、わたしの生まれた地に生まれたこと、一〇〇年前や五〇〇年前ではなく、わたしの生まれたときに生まれたこと、他の人間を親とせず、わたしの両親のもとに生まれたこと、さらには、わたしが男であり、日本人として生まれたこと、他の生き物としてではなく、人間であったこと、また、他ならぬこのわたし、この自分であり、わたし固有のDNAをもっていること、死すべきものであることなどは、わたしの作り出したことではなく、わたしに与えられたものとしてわたしにあることである。

 わたしは今挙げたような制約の中、抗えない何かのもと生きることを決定付けられている。生まれること、そして、どういうものとして生まれるかは、生まれる者の自由にはならない。そして、わたしはいずれかならず死ぬように決定付けられている。

◇人間は一定の制約のもと、この世界に存在している。

 人間には一定の寿命があり、多くの人は、先進国で、七〇歳から一〇〇歳くらいまでは生きるが、しかし、人間は希望すれば、五〇〇歳までも一〇〇〇歳までも一万歳までも生きられるというのではない。また、人間は何でも見聞きできるのではない。赤外線や紫外線は見えず、人間の目に見える光の範囲は決まっている。一定の光の波長がなければ、ものは見えないのであり、一定の空気の振動がなければ、音は聞こえないのである。原子を肉眼で見ることはできないのであり、どの星も肉眼でくっきり見えるということもない。五〇キロメートル先の小川のせせらぎを、どんなことをしても直接聞くことはできない。さらに、矛盾律をはじめとするさまざまな論理規則に反して、物事を理解したり、推論したり、考えたりすることもできない。運動能力にも制約があり、人間は道具がなければ空を自由に飛ぶことはできないのであり、また、一〇〇メートルを三秒で走ることもできない。そのような一つひとつの制約は、人間が自ら自分に課したものではなく、生まれながら人間に定められているものである。果たしてこのような制約の一つひとつに何か意味があるのだろうか。なぜこのような制約があるのだろうか。
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