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市民にたいする戦争 根なし草にする

『ヨーロッパの内戦』より 市民にたいする戦争

二つの世界戦争は内戦の特徴を帯びるが、それはまずこれが全面戦争として行なわれたからである。一九一五年に現われたこの語は、あらゆる西欧言語で急速に一般化し、二〇年後、ドイツの将軍エーリヒ・ルーデンドルフの同音異義名の著作によって認知された。全面戦争は定義からして古典的な境界を越えて、伝統的に軍事的領域から除かれていた市民社会の場に侵入した。そうなると、もうたんに前線だけでなく、後方でも戦うことになる。潜水艦は戦いを海中に持ち込み、空爆は都市を襲った。大陸全体が軍事作戦の舞台になった。市民は戦争に巻き込まれ、軍隊のために生産し、敵の爆弾の標的にもなった。かくして、戦争は「生存競争」に変わり、ルーデンドルフからすると、そのため、それが真の「道徳的正当化」となる。第一次世界大戦で、経済は戦争経済に変わり、「自由放任」の自由主義的公準を再検討に付した。労働者は後方の活動的「労働民兵」となり、女性は、徴兵された男に代わって、祖国への義務の名において大挙して生産活動に入った。文化はプロパガンダに変わり、メディアは検閲に付され、写真報道や映画はュニオン・サクレ[神聖同盟。祖国防衛のための一種の大同団結]を守るため政府の管理下に置かれた。政府は宣伝情報事務局を創設し、イギリスの歴史家J・アーノルド・トインビーやイタリアのジョアッキーノ・ヴォルペのような知識人が「軍服」で勤務していた。一七九二年から、戦争の論理は国家総動員の論理である。「yuニオン・サクレ」は「十字軍理念の世俗化の試み」にすぎない、とジョン・ホーンは強調している。しかし、一九一四年は戦争の「国有化(総国民化)」、つまりたんに王朝だけでなく国民の問題であることにおいて、また軍事が市民的領域に伝染することにおいて敷居を越えた。この意味において、全面戦争は大陸全体に内戦(市民戦争)として課される。それはこれが、同じ共同体、同じ国家に属する敵対勢力を対立させるからではなく、関係諸国すべての市民社会に深く影響するからである。それゆえ、アレクサンドル・コイレは近代戦争を、その国家にもたらす社会的・経済的・政治的・人口的大変動のため「一種の革命」と見ていたのである。

以前あった戦闘員と市民の規範的区別を壊したのは、近代的な破壊手段の性質そのものである。一九一四年、中欧帝国は経済封鎖に見舞われ、紛争末期に多数のドイツ市民の命を奪うことになるが、その数は推計により異なり、四二四、〇〇〇~八〇〇、〇〇〇人である。前線に近い都市はすぐ軍事的標的になる。そして猛烈に爆撃されるか、ときには破壊される。それは、一九二四年、エルンスト・フリードリヒが小冊子『戦争には戦争だ!』で、多くの詳細な事実で示しているとおりである。占領地域の住民はしばしば義務労働を強いられるが、他方、敵対国の国民は潜在的な「第五列(スパイ)」と見なされ、望まざる外国人として拘禁される。かくして、フランス、ベルギー、ハプスブルク帝国のガリツィアにおいて、占領軍による住民の強制移送の最初の形態を見ることになる。市民にたいする戦争は「その目標が戦場の戦争とは異なる本物の戦争である」、とステファーヌ・オドワン=ルゾーとアネット・ベッケールは強調している。戦争が終わると、誰も、ヨーロッパ社会がどの程度このとてつもないトラウマに揺さぶられたか、無視することはできなかった。すなわち、ひと世代が塹壕で倒れ、国民は貧困化し、国家は借金を背負い、貴族的エリートは失墜し、外交・交易関係は断たれ、政治制度は大きく揺さぶられ、既存体制は反乱運動で異議を申し立てられたのである。

衰退しつつあるオスマン帝国下で、トルコ政府が「スパイ」行為をした廉で百万人以上のアルメニア人を虐殺したのは、こうした戦争の風土においてである。長い迫害の歴史は、トルコ民族主義を急進化し、外来少数民族への敵意を絶滅の企てに変えた全面戦争の文脈において、悲劇的なエピローグを迎えた。アルメニア人は、キリスト教徒として敵ロシアの同盟者であり、ロシア皇帝軍の共同国籍の徴募兵の連帯者であることを咎められたのである。この二十世紀最初のジェノサイドの形と手段は古風だが、その実行は一般化した暴力と全面戦争がもたらした大量死への慣れという危機的文脈から生じた。オスマン帝国内での社会的・経済的・文化的役割のため、アルメニア人は青年トルコ党が推進する民族的均質化過程の大きな障害となっていた。それは近代的民族主義の名において行なわれた最初のジェノサイドであり、多民族から成る旧帝国に代わって出現した西欧型の国民国家の出生証明書なのである。

同じような論理は、戦争末期、中央ヨーロッパとバルカン半島で起こった民族浄化大作戦にも働いている。これは、ハンナ・アーレントが『全体主義の起源』において示しているように、市民権や諸権利のない新しい範躊の人間を生み出した。難民と無国籍者である。一九一四年以前のヨーロッパの秩序が誇りにできた正当性は国民的ではなく、例外を除いて、王朝的、帝国的であった。その崩壊から立ち現われた国家の正当性は、とくに中央ヨーロッパでは、住民の宗教的・民族的・言語的・文化的増蝸に呼応するどころではなかった。国民国家モデルを軸とした新しい政治制度のなかで位置を見出せない少数民族は多かった。古い国際関係機構の分裂が戦後の危機を拡大し、内戦と革命の爆発的混淆を招いた。宗教戦争時代の先人、たとえばプロテスタントのヨーロッパに受け入れられたユグノーとちがって、二十世紀の無国籍者は孤立していた。一九一九年以降、中欧帝国の解体を是認する講和条約の帰結のひとつは、ほぼ一千万人の強制移動である。約百万のドイツ人が旧プロイセン帝国から奪われた領土(ポズナニ、ポンメラニ、高地シュレージェン)から追放されるか、内戦にさらされたバルト諸国から逃げ、二〇〇万のポーランド人が生地の外に新たにつくられた国家の境界内に移動、送還された。旧ロシア帝国の内戦は二〇〇万人以上のロシア人とウクライナ人の大移動を引き起こした。ルーマニア、チェコスログァキア、ユーゴスラヴィアに倣って、ハンガリーはハプスブルク帝国の解体から生まれた国から数十万の自国民を受け入れたが、他方、多数が内戦のためブダペストを離れ、その第一波はベーラークンの共産主義者から逃げ、第二波はホルティ元帥の抑圧を免れようとするものだった。住民の交叉した移動と強制大移動は旧オスマン帝国でもやはり重要だった。ローザンヌ条約(一九二三年)〔旧戦勝国とトルコ共和国のあぃだで締結された講和条約〕はトルコに住む二〇〇万人以上の正教徒のギリシア人とギリシアに住む四〇万のトルコ人の追放を定めている。ギリシアは難民に侵入され、以後人口の四分の一を占め、アテネとテッサロニキは人口が二倍になった。ヌイイー条約(一九二三年)〔パリ郊外のヌィィーで戦勝国とプルガリァのあぃだで締結された講和条約〕によって、五二、〇〇〇人がブルガリアからギリシアに移り、三万人が逆のコースをたどった。

ジェノサイドの生残りの三〇万人以上のアルメニア人は戦後トルコから出た。ドイツが始めて、次にソヴィエト・ロシアが白軍移民にたいして行なったように、多数の難民が出身国から国籍を剥奪されたので、一九二一年、国際連盟は難民高等弁務官事務所を創設し、ノルウェー人フリチョフ・ナンセンを長として、無国籍者に必要な書類を交付したが、とくにロシア人とアルメニア人がその恩恵にあずかった。この大量の故国喪失者に、一九三三年からはナチ・ドイツを逃れるユダヤ人が加わり、やがてオーストリアとチェコスロヴァキアのユダヤ人がつづき、その総数は、第二次世界大戦には約四五万人に達した。一九三九年、ほぼ同数のスペイン共和派がフランス国境を越えた。この大変動は、国境の再編で政治的対決と内戦の結果を承認したヨーロッパの危機の所産であった。

ハンナ・アーレントにとって、無国籍者の出現、この法的な認知・保護のない個人は近代性の逆説を示すものであった。彼らは啓蒙主義の哲学が公準とした抽象的な人間性を体現し、また同時に、「アウトロー」でもあるが、それは彼らが法に反したからではなく、たんに彼らを市民として認めうるいかなる法もないからである。「法の道具としての国家から国民の道具としての国家への変化」は無国籍者がたんに祖国を失っただけでなく、新しい祖国をもつことができなくなるという、前代未聞の状況を生み出した、と彼女は述べている。「数十万の無国籍者の到来によって国民国家にもたらされた最初の重大な侵害は、保護権、かつて国際関係の領域で人権の象徴として現われた唯一の権利が破棄されたことである」。それは、歴史の皮肉からか、エドマンド・バークのような保守派を正しいとするような状況である。一七九〇年から、彼は啓蒙哲学が説いた人間性という普遍的概念を意味のない抽象観念として批判し、これにたいして、「イギリス人の権利」、すなわち、英国貴族に代々遺産として伝わった具体的な特権を対置しな。政治的権利を奪われたので人間社会から追放された「アウトロー」として、無国籍者はしばしば収容所に拘禁された。またアーレントはこうつづけている。政治的共同体、より正確には国家という実体に属さないで存在することを唯一の欠陥とする、この人間集団の拘禁は、一九三〇年代のヨーロッパにおいて、この「余分な」存在をナチの絶滅収容所に送るというプロセスの第一歩であった。「ガス室を稼働させる前に、ナチは問題を綿密に検討し、いかなる国もこうした人びとを引き受けるつもりがないことを発見して大満足だった。知っておかねばならないのは、完全な権利剥奪の状況が、生存権が問題にされる前に生まれたことである」。

無国籍者の運命に関するこのアーレントの考察は、第一次世界大戦とヨーロッパの瓦解から生まれた文脈におけるュダヤ人ジェノサイドの前提を見定めている。しかしまた、歴史の舞台にこの大量の無国籍者が突然出現したことには、ヨーロッパの内戦の前兆がある。政治的共同体から追放されたアウトローとして、無国籍者は内戦における敵といくつかの特徴を共有するが、ただしそれは、戦闘員ではなく、保護のないアウトローという身分のため、彼らは先験的に犠牲者の役割を強いられるという違いを除いてである。それゆえ、彼らは、一九一四年から始まるヨーロッパの危機の象徴的存在となるのである。
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ドローンとカミカゼ

『ドローンの哲学』より ドローンとカミカゼ

ヴァルター・ベンヤミンはドローンについて考えていた。一九三〇年代中葉に軍事思想家たちがすでに思い描いていた遠隔操作飛行物体についてだ。この事例は、ベンヤミンにとって、近代産業を特徴づける「第二の技術」と、先史時代の技術にさかのぼる「第一の技術」との差異を示すものだ。彼によれば、両者を分かつものは、一方が他方にくらべて劣るとか古風かどうかにではなく、「傾向性の差異」にある。「第一のものは人間をできるだけ関わらせるのに対して、第二のものはできるだけ関わらせない。言ってみれば、前者について讃えるべきは犠牲をはらう人間だが、後者については、電波によって遠隔的に指令を受ける、パイロットのいない飛行機である」。

一方には、犠牲の技術が、他方には、遊戯の技術がある。一方には、全面的な関わりが、他方には、全体的な離脱がある。一方には、生を有した行為の特異性が、他方には、機械的な挙措の際限なき反復可能性がある。「一回かぎり--これが前者の技術の標語である(失敗すれば取り返しがつかなくなるし、成功すればその犠牲は未来永劫模範的となる)。一回などはどうでもよい--これが第二の技術の標語だ(その目標は、絶えず変化を加えつつ、使用経験を繰り返すことにある)」。一方には、カミカゼが、すなわち、一回かぎりたった一度の爆発で自壊する自爆攻撃犯が、他方には、何事もなかったかのようにミサイルを繰り返し放つドローンがある。

カミカゼでは戦闘員の身体が武器と融合しているのに対して、ドローンでは両者は根本的に分離している。カミカゼにおいて私の身体は武器である。これに対して、ドローンでは、私の武器は身体をもたない。前者は行為者の死を伴うが、後者はこれを絶対的に排除する。カミカゼの実行者にとって、死は確実であるのに対し、ドローンのオペレーターにとって、死は不可能である。この意味では、これらの二つは、死に晒されるという脅威についての二つの対立した極を表している。これら二極のあいだにいるのが、死の危険に晒された人間という古典的な戦争の戦闘員である。

「自爆攻撃」と言われるが、その対義語はなんだろう。自分の生命を危険に晒すことなく爆発によって殺害を行なえる者を指す固有の表現はない。こうした人物にとっては、たんに、殺すためには死ぬことが必要ではないばかりでない。この場合には、殺しつつ殺されることが、不可能なのだ。

ペンヤミンが右の進化論的な図式に言及しているのは、実際にはそれをさらに転覆させるためにほかならないのだが、そうした進化論的な図式とは逆に、カミカゼとドローン、犠牲兵器と自己保存型兵器は、先史時代の後に有史時代が来て一方が他方を追い払うように、直線的な時系列上で一方の後に他方が来ているわけではない。逆に、両者は、二つの相対立する戦術が歴史的には相互に呼応しながら結合して出現している。

一九三〇年代中葉、無線通信会社RCAの技術者が日本の兵器についての記事を読み、極度の不安を覚えた。日本人が、自殺飛行機のためのパイロットの中隊を形成しはじめたことを知ったのだ。パール・ハーバーの悲劇的な奇襲のはるか前に、この技術者ツヴォルキンは、この脅威がどれはどのものかを捉えていた。「もちろん、この方法の実効性については論証の余地があるが、しかしこのような部隊で心理的な訓練が可能になれば、この兵器はもっとも危険なものとなるだろう。こうした方法がかの国で導入されるかどうかを予期するのは困難なので、われわれとしては、問題の解決についてはわれわれの技術的な優越性を信頼しなければなるまい」。当時のアメリカにはすでに、航空魚雷に使用できる「無線コントロール飛行機」の原型はあった。しかし、問題は、この遠隔操作マシンが盲目であることであった。「それらを操作する基地との視覚的なコンタクトが断たれてしまうと、その実効性は失われてしまう。明白なのは、日本人はこの問題への解決を見つけたということだ」。彼らの解決、それがカミカゼだ。パイロットには目がついており、死ぬ備えができているため、パイロットはマシンを最後まで標的に向かって導くことができるのだ。

しかし、ツヴォルキンは、RCAにおけるテレビ開発の先駆者の一人でもあった。そして、もちろんそこにこそ解決策があったわけだ。「自殺パイロットと同じ効果を実質的に得るための可能な手段の一つは、無線でコントロールした魚雷に電気の目をつけることだ」。そうなれば、オペレーターは標的を最後まで見届けることができ、無線指令によって接触点まで視覚的にその武器を導くことができるだろう。

飛行機のキャビンには、パイロットの電気的網膜だけを残し、身体のほうは、別のところ、敵の対空防衛兵力の射程外に遠ざけておくのだ。このような遠隔画像と遠隔指令された飛行機とを連結させる原理でもってツヴォルキンが発見したものこそ、のちになるとスマート爆弾ないし軍用ドローンと呼ばれることになる方式なのである。

ツヴォルキンの文書で特記すべきなのは、彼が、ドローンの祖先を反カミカゼとして構想していた点だ。しかも彼は、自分の理論的な考察の冒頭からそうしているのだ。それは論理的な、定義上の観点からばかりではなく、わけても戦術的な面でそうだ。すなわち、ドローンはカミカゼに対し解毒剤として呼応すると同時に、双子星としても呼応するというのだ。ドローンとカミカゼは、爆弾をその標的まで導くという同じ問題を解決する、対立した二つの実践的な選択肢を提示する。日本人が彼らの犠牲的道徳の優越性によって実現しようとしたもの、それをアメリカ人は彼らの物質的なテクノロジーの優位性によって成就しようとしたわけだ。前者が心理的な訓練や、英雄的な犠牲の道徳によって到達しようと期待したものは、後者にとっては、純粋な技術的な方策によって実現すべきものであった。ドローンの考えの起源は、生きるか死ぬかについての倫理的-技術的な経済のなかにある。そこで、テクノロジーの力が、もはや要求しえない犠牲の代わりをなすわけだ。一方には、大義のためには自らを犠牲にする備えをもった戦士という価値があるのに対し、他方には、もはや幽霊のようなマシンしか残らないのである。

今日、このようなカミカゼと遠隔兵器の対立がふたたび現れている。自爆攻撃と幽霊攻撃の対立だ。こうした極は、まずは経済的に設定される。そこで対置されるのは、資本とテクノロジーを所有する者たちと、戦うためには自分の身体しかもはや残っていない人々である。しかし、このような物質的かつ戦術的な二つの体制には、倫理的次元の二つの体制、すなわち一方の英雄的犠牲の倫理と、他方の自己の生命の保存の倫理が対応している。

ドローンとカミカゼは、道徳的感性についての二つの対立したモチーフのように、たがいに呼応しあう。鏡で向かいあう二つのエートスだ。それぞれは他方のアンチテーゼであり、悪夢であるというわけだ。少なくとも表面的に見て、この差異においては、死に対する関係をどう考えるかが重要だ。自分の死か他者の死か、犠牲か自己保存か、危険か勇気か、脆弱性か破壊性か。一方は死を与え、他方は死に身を晒すという、死に対する関係についての二つの政治的-情感的な経済だ。しかしそれはまた、恐怖についての対立した考え方でもある。つまり、二つの恐怖の見方だ。

『ワシントン・ポスト』紙の編集者であるリチャード・コーエンは、次のような見方を示している。「タリバンの兵士に関しては、彼らは自分の生命を大事にしないだけではない。それだけでなく、彼らは自爆攻撃で自分の命を無駄に浪費しているのだ。アメリカのカミカゼを想像するのは困難だ」。さらにこう主張する。「アメリカのカミカゼなど存在しない。われわれは、自爆攻撃の実行犯を讃えたりはしないし、テレビカメラで子どもたちの行進を写して父親の死についてほかの子どもたちが嫉妬するように見せつけることもしない。われわれにとって、それは厄介なことだ。ひるんでしまう。率直に言って、おぞましいことだ」。さらに愛想よくこう付け加えている。「しかし私たちはあまりにも生命を大事にしようとしすぎているのかもしれない」。

「厄介」で、「ひるんでしまう」、「おぞましい」こと、それはつまり、戦いのなかで死ぬ備えができていること、それを誇りとすることである。兵士の犠牲という古き偶像は台座を失い、直接敵の懐へと落ちてゆき、最悪の引き立て役、道徳的な恐怖の極みとなる。自己犠牲は理解できない下劣なものとなり、もしかすると、そこにはむしろ死をものともしない態度があるのではないかと考えもせず、即座に生命の軽視と解釈される。これに対して、生命への愛という倫理が対置されるわけだIそして、ドローンはおそらく、その完璧な表現なのだ。究極の愛嬌というべきか、「われわれ」こそ、しばしば過保護すぎるかもしれないが、雛を温めるように生命をこんなにも大事にしていると自分で認めているのだ。これはどの自己満足が虚栄心を疑わせるのでなければ、こうした過度の愛はたしかに大目に見ることのできるものかもしれない。というのも、著者が掲げるのとは異なり、「われわれ」が大事にしているのは、われわれの生命なのであって、すべての生命一般ではないからだ。思考可能なものの地図のなかの空白のIコマのように、アメリカのカミカゼを思い描けない理由は、それが撞着語法だからだ。そこでは、生命は自らを否定することはできない。なぜなら、否定できるのは他者の生命だけだからだ。

ガザの精神衛生プログラムの責任者であるエヤド・エル=サラジは、あるジャーナリストから「パレスチナの人々は、自分の近親者の生命であっても、人間の生命を大事にしないというのは本当なのでしょうか」と問われ、次のように返答している。「もしあなたが敵にも人間性があると信じなければ、自分自身に人間性があるとどうして信じることができるでしょうか」。

恐怖には恐怖を。自分の生命を失う危険に身を晒すことなく人を殺すことは、自らが手にかけた犠牲者と運命を共にしつつ人を殺すことよりも、どの点でおそるべきことではないのだろうか。いささかの危険もなく殺人を可能にする武器は、その反対物よりも、どの点でおぞましくないのだろうか。ジャクリーヌ・ローズは、「クラスター爆弾を上空から投下することは、西洋の指導者たちにとっては、よりおぞましくないだけではなく、道徳的に優位なものと考えられている」ことに驚愕し、こう問うた。「自らが手にかけた犠牲者と共に死ぬことが、犠牲者を死なせつつ自分自身だけそこから免れることにくらべて、いっそう罪が重くなる理由は、明白なものではない」。ヒュー・ガスターソンは次のように付け加えている。「火星からきた人類学者ならば、中東では多くの人々が、アメリカのドローンによる攻撃を、リチャード・コーエンにとっての自爆攻撃とまさに同じようにして感じとっていると指摘できるだろう。そこでは、ドローンによる攻撃は卑怯な行為と広くみなされている。というのも、ドローンの操縦士は、自分が攻撃する人々から殺されるリスクを微塵ももたずに、ネヴァダ州のエアコンの効いた温室という安全な場所から、地上の人々を殺しているのだから」。

タラル・アサドは、「西洋」社会において自爆攻撃が引き起こした恐怖は以下の点に基づくと述べている。すなわち、自爆攻撃の実行犯は、その行為によって、配分的正義のメカニズムをすべてアプリオリに禁じてしまう、という点だ。つまりこういうことだ。それは、自らが手をかけた犠牲者と共に死ぬこと、たった一度の行為で罪と罰とを凝結させることであるが、それによって罰を与えることが不可能になり、それゆえ、刑法的に考えられる正義の根本的な権限が無効になってしまうのである。「自分がしたことを償う」ことができなくなるのだ。

操縦士なきマシンによって引き起こされる管理された死という発想がもたらす恐怖は、おそらくその類似物にも関わるだろう。ガスターソンは次にように述べている。「ドローンの操縦士が自爆攻撃の鏡像であるのは、それが、われわれの典型的な戦いについてのイメージから--方向は逆なのだが--逸れているという意味において慾」。
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第二次ポエニ戦争とイベリア半島

『B.C.220年帝国と世界史の誕生』より ローマ帝国の形成とスペイン 前三世紀のローマとイベリア半島

戦争前から先住民と接触があったのは、カルタゴ人である。前出のハスドルバルは、早くからイベリア人と友好的な関係を築くことに心を砕いていた、と伝えられる。彼はイベリア人のある部族長の娘と結婚し、全イベリア人から「至上の将軍」または「王」と呼ばれた。また、前にも述べたとおり、カルタゴ・ノウァを建設した。そしてそこに、カルタゴとの往来に至便な大規模港湾施設を整え、さらに「王宮」を造営した。

ハスドルバルはまた、前二二六年頃にローマとのあいだに、イベリア半島の勢力範囲をめぐる条約を結んだ。この条約の内容や意図については、現在も論争が続いている。しかし、どうやらカルタゴ人は半島東部のエブロ川を、武器を携えて渡河しないと約定したらしい。ピレネー山脈と並行して南下し、地中海にそそぐエブロ川は、その西にイベリア半島のほぽ全域を控えている。他方、その東でピレネーの切れ目を越えればガリアの地(現在のフランスなど)だ。条約の目的は措くとして、ローマもイベリア半島におけるカルタゴの勢力を承認していたということは確かなようである。このように、すでに第二次ポエニ幟争勃発より一〇年ほど前から、バルカ一門はイベリア半島南部において一門の地歩を確立し、さらに半島のほかの部分に勢力を拡張しつつあった。

とはいえ南部以外では事情は異なった。

ハスドルバルの死後、義弟のハンニバルが後継者となり、ハスドルバルの方針を引き継いだ。ハンニバルもまたイベリア人部族長の娘を妻とし、半島南部で先住民との良好な関係構築に腐心した。その一方で、ハンニバルは前二二一年から軍を率いて北上し、ドゥエロ川とエブロ川のあいだのケルトイベリア人ウァッカエィ族などを攻撃して降伏させている。彼のこの行動は、ハスドルバルが生前から立てていた方針を踏襲したものだった。北部の先住民(おもにケルトイベリア人)は、軍事力で服属させるべき相手だったのだ。カルタゴ人は、イベリア半島内部の小世界ごとに対応を変えていたということである。

ところで、前二一八年の宣戦布告後、ローマの将軍プブリウス・スキピオがいったんイベリア半島に向かったが、イタリアに進軍したハンニバルを追って、自分もイタリアに戻ったことはすでに述べた。しかしこの時彼は、軍の大部分をイベリア半島に向かわせ、自分の兄グナエウスにその指揮を任せた。そして結局は、プブリウス自身も前二一七年にはイベリア半島に戻り、イタリアでのハンニバルの席巻を尻目に、イベリア半島で作戦を継続することになったのである。これはなぜだろうか。

理由は、イタリア半島のハンニバル軍にとっての主要な輯重補給源が、なんといってもイベリア半島だったことにある。具体的にはまず武器、食糧、金銭である。ハンニバルは先のイベリア半島制圧の過程で、降伏した諸都市の居住地から、多くの食糧、金銭を略奪するか、あるいは供出させていた。もう一つ、バルカー門がイベリアぶで開発した鉱山がある。ここから産出される銀は、カルタゴの幟賢を賄石た。ハンニバルは、イベリア半島からこれらをイタリアに輸送させようとしていた。もう一つ重要なのは、イベリア半島が、戦闘に必要な人員をカルタゴ側に供給していたことである。ハンニバル軍には、アルプスを越えてイタリアにはいった時点で、一万二〇〇〇人のカルタゴ歩兵とならんで八○○○人のイベリア人歩兵がいたという。またハンニバルはイベリア防衛のために半島に残した弟ハスドルバル(義兄と同名の人物)の手元に、五七隻の軍艦、二一頭の軍象、一万二六五〇人の歩兵を残したが、そのなかにも多くの先住民がいた。さらにアフリカ本国の防衛のためにも、多くのイベリア先住民が派遣されている。これらイベリア出身の兵は、一部はカルタゴの要請に応じて各部族から供出され、一部は傭兵としてカルタゴに雇われていた。

このように、戦争中もイベリア半島は、ハンニバルにとって重要な意味をもった。したがって、先住民との関係維持も、戦争に勝つために必要不可欠なものであった。しかしその関係が単純でないこともわかる。相手によっては供出される兵を頼り、または傭兵として雇用関係を結びつつ、別の相手とは彼らの都市から金品を略奪したり、人質をとったりしている。こうした相違は、基本的に南部のイベリア人と、北部のケルトイベリア人とのそれぞれの小世界に対応している。しかしそれぞれのなかでも部族単位で、友好的関係と軍事力による強制の微妙なバランスの違いがあった。第二次ポエニ戦争中のカルタゴ人とイベリア先住民の関係を見渡していえることは、少なくともこの時点でカルタゴがイベリア半島全体を統治しているとか、先住民を一律に支配したとかといった状況は、そこにはなかったということである。

これは、イベリア半島に本格的に進出してきたローマ人にもあてはまる。みてきたとおり、ローマ軍がイベリア半島で作戦を展開したのは、戦略上の必要性があったからだ。この段階で、イベリア半島を恒常的に支配しようという意図はない。はじめて足を踏み入れるイベリア半島で、スキピオ兄弟がまず取り組まねばならなかったのは、現地住民のなかに作戦上の協力者を見出すことであった。

最初にイベリア半島に上陸した兄のグナエウスは、まず沿岸部の先住民諸部族の居住地を攻略した。しかしその後は、住民を懐柔し、そこから兵員を得てエブロ川流域への進軍をおこなっている。弟のプブリウスが到着して、前二一七年の夏頃までめざましい勝利をあげたのち、ハスドルバルの人質となっていた先住民の有力者子弟が、スキピオ兄弟のもとに逃亡してきた。遅くとも前二二二年までには、口ーマ人もまた現地住民を傭兵として雇い入れていたようである。逆に前二一六年にはハスドルバルに対して、本拠地であるグアダルキヴィル川流域の諸部族(つまりイベリア人)が、反乱を起こしている。この年、カルタゴ本国がハスドルバルに対し、兄を援護するためにイタリアに渡るよう指令を送った。しかし、ハスドルバルは断った。理由は、自分がイベリア半島を離れるという噂が流れただけで、カルタゴ側にとって致命的な打撃になるであろう、というものであった。つまり先住民の、ローマ側への寝返りの怖れがぬぐえないということである。

しかしそれは、先住民が全面的にローマ人側に味方したということではない。スキピオ兄弟は、そのことを極めて厳しいかたちで思い知らされた。前二一一年、すでにグアダルキヴィル川流域にまで迫っていた彼らは、別動作戦をとっていた。この時、ハスドルバル軍に対峙していたグナエウスのイベリア人傭兵が、ハスドルバルの扇動によっていっせいに脱走し、グナエウスは後退せざるをえなくなった。一方、プブリウスの軍は、カルタゴと同盟関係にあったヌミディア王国(現在のアルジェリア北部一帯)の軍に包囲されていた。そこへ、ハスドルバルに与するケルトイベリア人スェセタニィ族とイレルゲテス族が、ハスドルバルの救援に近づいているという情報がはいった。プブリウスがこれを迎え撃とうと陣を離れたタイミングで、ヌミディア軍が彼の軍を急襲した。ローマ軍は敗北し、プブリウスは戦死した。さらに、弟と合流しようとして移動中だったグナエウスの軍も追撃されて、潰走のなかでグナエウスも戦死した。

このように、先住民の動向いかんによっては、ローマ軍が破滅する結果にもなったのだ。戦況自体は、前二一○年にプブリウス・スキピオの同名の息子がイベリア半島に着任して、ローマ側に好転した。このスキピオが、のちにカルタゴ本拠地を叩いて、長く苦難の連続だった第二次ポエニ戦争をローマの勝利に導いた人物である。彼はその功績を讃えられ、スキピオー・アフリカヌスと呼ばれた。しかし、やはりアフリカヌスと呼ばれた養孫、小スキピオと区別して「大スキピオ」とも呼ばれるので、ここでも彼をそう呼ぶことにしよう。大スキピオはギリシア圏の夕ラコ(現タラゴナ)を拠点としつつ、カルタゴ・ノウァ攻略に成功し、カルタゴ軍を一気にグアダルキヅィル川流域に押し返した。ついで前二〇八年には、グアダルキヴィル川上流バエクラ(現在のカスロナ近く)でのハスドルバル軍との戦闘を制した。さらに前二〇六年初頭にイリパ(現在のセヴィリア近く)の戦いで、カルタゴ軍の最後の抵抗を打ち破った。

ここで大スキピオ着任以降の、先住民の動向をみておこう。大スキピオがカルタゴ・ノウァを攻め落とした時点で、カルタゴ側に味方していた先住民のなかからローマ側に走る者が続出した。例えば、父のプブリウス敗死の際には、ハスドルバル側たったイレルゲテス族もそうである。大スキピオは彼らに、カルタゴ・ノウァの戦闘で確保した、同族の女性たちを返還したという。彼女たちは、おそらくハスドルバルに人質として差し出されていたものであろう。バエクラの戦いを制した大スキピオのもとには、さらに多くの諸部族が集まった。彼らは大スキピオを、自分たちの王と呼ぼうとした。大スキピオはこれを断って、「将軍」と呼ぶように求めた。

しかし、すべての先住民が彼の側についたわけではない。イリパの戦いでは、スキピオ側には、ケルトイベリアのある部族の首長クルカスなる人物がいた一方で、カルタゴ軍のかたわらには、グアダルキヅィル川流域のトゥルデタニィ族が並んでいた。史料でトゥルデタニィ族と呼ばれる人々のなかには、その実さまざまな部族が含まれていたと考えられている。グアダルキヴィル川流域の広範川なイベリア人が、カルタゴ側についたということであろう。ローマの勝利が明らかになった時、トゥルデタニィ族の首長らは、カルタゴ側将軍に対して、夜陰にまぎれて撤退するように助言したという。この助言に従った将軍たちは、わずかな兵員とともにかろうじてスキピオの追撃を逃れ、アフリカに逃げた。イベリア半島における、ローマのカルタゴに対する勝利が決定したのであった。大スキピオは翌年に帰国して執政官に就任し、その後前一八○年代半ばまで、元老院最大の発言力を保ち続けた。

ここまで、第二次ポエニ戦争のイベリア半島における、カルタゴ人、ローマ人と先住民との関係を追ってきた。以上からみえるのは何よりも、第二次ポエニ戦争中に先住民はカルタゴ人、ローマ人双方に対して多様な関係を結んでいたということである。地域による違いもあっただろう。また、カルタゴ人の場合はとくに、戦前の関係も影響したようである。しかし戦前からカルタゴ人と友好関係にあったグアダルキヴィル川流域のイベリア人ですら、場合によっては反乱を起こしている。どちらの陣営とどんな関係を結ぶかは、最終的には状況に応じて部族ごとの判断で決められていたようである。彼らはカルタゴ人に与して、カルタゴ人のリーダーを「王」と呼ぶこともあったが、ローマ側が優位に立つとローマ側に走り、その将軍をまた「王」と呼ぼうとした。日和見といえばそうであろう。しかし別の見方をすれば、第二次ポエニ戦争前および戦争中のイベリア人諸部族は、他者とどう向き介うのか自律的に決めつつ、部族の利害を護っていたということである。カルタゴ人もローマ人も、その先住民を支配していたとはいいがたい。彼らにできたことは、そうした先住民諸部族とどう向き合い、どう利用することができるのかを考え、行動することであった。それを読み誤れば、スキピオ兄弟のように破滅を招くことになったのだ。
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豊田市図書館の30冊

367.7『ジェロントロジー宣言』「知の再武装」で100歳人生を生き抜く

222.07『「知識青年」の1968年』中国の辺境と文化大革命

150『依存的な理性的動物』ヒトはなぜ徳が必要か

369.28『ひきこもりでいいみたい』わたしと彼らのものがたり

230.7『ヨーロッパの内戦--炎と血の時代一九一四-一九四五年』

331.74『厚生経済学と経済政策論の対話』福祉と権利、競争と規制、制度の設計と選択

289.1『海軍大将井上成美』

210.75『マーシャル、父の戦場』

281.04『日本史・あの人の意外な第二の人生』

320.4『誰のために方は生まれた』

135.5『カオスに抗する闘い』ドゥルーズ・精神分析・現象学

319.1『日本よ、情報戦はこう戦え!』

324.01『人間の学としての民法学』2 歴史編:文明化から社会問題へ

323.14『憲法が変わるかもしれない社会

289.1『天を相手にする 評伝 宮崎市定』

141.2『あなたはなぜ「カリカリベーコンのにおい」に轢かれるのか』においと味覚の科学で解決する 日常の食事から摂食障害まで

493.76『私たちは生きづらさを抱えている』発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音

538.7『ドローンの哲学』遠隔テクノロジーと<無人化>する戦争

C31『自動車業界の動向としくみがよ~くわかる本』業界の最新動向、課題と戦略を俯瞰する!

770.4『街に出る劇場』社会的包摂活動としての演劇と教育

953.7『ゲリラ 国家崩壊の三日間』

210.76『【戦後史の解放Ⅱ】自主独立とは何か 前編』敗戦から日本国憲法制定まで

210.76『【戦後史の解放Ⅱ】自主独立とは何か 後編』冷戦開始から講和条約まで

396.25『もう一つの太平洋戦争』米陸軍日系二世の語学兵と情報員

726.1『労働者のための漫画の描き方教室』

104『落語-哲学』

209『B.C.220年 帝国と世界史の誕生』歴史の転換期1

191『神がいるなら、なぜ悪があるのか』現代の神義論

407『13歳からの研究論理』知っておこう! 科学の世界のルール

002『学ぶということ』続・中学生からの大学講義1
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グレートコメットのポスタービジュアル解禁

グレートコメットのポスタービジュアル解禁

 今日から帝劇でグレートコメットのポスタービジュアルが解禁になった! モバメより。「帝劇」ではなく、「東京藝術劇場」

 1812年のピエールとナターシャの現場にタイムスリップできるとは! 50年前の夢。

 今回のミュージカルは、本当に現場に居られる!

 中学生の頃、会いたかったリュドミラサベリーエフがそこにいる。全盛期のソ連が五年掛けて作り上げた「戦争と平和」。 ナポレオンのロシア遠征を暗示させるグレートコメット、ハレー彗星とロシアの大地。

余らせてどうする

 ノートとペンがいっぱい余ってる。死ぬまでを逆算して使い切りましょう。奥さんも同じ思いだと助かるんだけど 湯上がりにタオルを二本使ったと言って文句言われている。

人事に関する原因と結果

 ある室長が来て、組織がガタガタになったのではなく、 組織がガタガタだから、そんな室長が来た。原因と結果はしっかり観ないといけない。
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数学はすごい.他はだらしない

数学はすごい.他はだらしない

 「次元の呪い」を解くためにトポロジーは作られた。本は相変わらず、一次元に縛られている。車は二次元で走っている。数学者はすごい。
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OCR化した2冊

『WHAT HAPPEND 何が起きたのか?』

 調査網

 連邦政府のしたこと

 トランプのチームがしたこと

 ロシアがしたこと

 真実をめぐる争い

 そして今?

 ウォーターゲートよりも悪い

『競争戦略論』

 競争力と環境規制

  競争力と環境保護をめぐる誤解

  資源生産性から環境対応を考える

  環境対応が企業にもたらすメリット

  環境規制はなぜ必要なのか

  敵対的環境規制の弊害

  よい環境規制はイノベーションを誘発する

  これからの企業の環境対応

   自社の環境影響を把握する
   直接費用だけでなく機会費用を把握する
   イノベーションによって生産性を高める
   規制や環境保護主義に対する考え方を改める

  環境対応で過渡期にあるグローバル経済

 戦略とインターネット

  インターネットは何を変えたのか

  問うべき根本問題

  戦略の原則は変わらない

  ゆがめられる市場シグナル

   売上げのゆがみ
   コストのゆがみ
   株価のゆがみ
   財務指標のゆがみ

  戦略の原点に回帰する

   インターネットと業界構造
   インターネットの歓迎しがたい影響
   市場拡大・収益性低下
   ネットオークション事業の教訓

  インターネットの神話

   スイッチングコストの神話
   ネットワーク効果の神話
   ブランディングの神話
   補完型提携の神話
   アウトソーシング効果の神話

  インターネット競争の未来

  インターネットと競争優位

   業務効果
   戦略ポジショニング

  戦略の不在

  補完としてのインターネット

   誇張されすぎている対立
   補完性を活用して成功した企業
   相互補完性が生まれる理由
   独立した別事業とすることの弊害

  ニューエコノミーの終焉

   戦略の将来
   伝統的企業もドットコム企業も
   「どれぐらい同じなのか」を問う
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何が起きたのか? ロシアがしたこと

『WHAT HAPPEND 何が起きたのか?』より ⇒ ヒラリー対トランプではなく、ロシアの陰謀

ロシアが何をしたのかという問題になる。ハッキングと盗んだメッセージを〈ウィキリークス〉を通じて公表したことは、すでに分かっている。だがそれははるかに大きな作戦行動の一部でしかなかった。民主党下院全国委員会もハッキングを受け、全国あちこちの下院地区でブロガーや記者たちに不利な情報を流されていた。精巧な作戦だ。これは始まりにすぎなかった。

公式のインテリジェンス・コミュニティーの報告によると、ロシアの宣伝工作の作戦は「秘密の情報作戦--サイバー攻撃など--と、ロシア政府の職員の秘密活動、公費を受けているメディア、第三者の媒介、有料のソーシャル・メディア利用者あるいは〝荒らし〟を混ぜ合わせることだった」という。それがどういう意味か、詳しく見ていこう。

最も単純なものは、伝統的な公費によるメディアだ。この場合は、RT(ロシア・トゥデイ)やスプートニクといったロシアのネットワークがこれにあたる。[クリントンとISISは同じ資金を受けている]というような悪意あるクレムリンの主張を、電波やソーシャル・メディアによって全世界に拡散する。スプートニクは頻繁にトランプと同じツイッターのハッシュタグ、#CrookedHillary(不正まみれのヒラリー)を用いた。RTの影響力がどの程度なのかは分からない。〈デイリー・ビースト〉(米のネットメディア)は、RTが影響力を誇張しているという記事を載せた。RTの影響力はわたしたちの想像以上なのかもしれないが(たぶん数十万ぐらいか)、選挙結果そのものを左右するほどではないだろう。だがRTの宣伝工作が、アメリカのFOXニュースやブライトバート、〈アレックス・ジョーンズのインフォウォーズ〉(訳注:アレックス・ジョーンズは先述の陰謀論者)などのメディアに取り上げられ、フェイスブックに載ったら、その影響力は格段に上がる。それが選挙運動中に頻繁に起きた。トランプとそのチームもロシア。の主張を大げさに広めるのに手を貸した。

ロシアはまた、あまり伝統的でない手段でも宣伝工作を行なった。何千ものフェイク・ニュースや、フェイスブックやツイッターで攻撃する、個人的な〝荒らし〟を使ったのだ。インテリジェンス・コミュニティーの報告によれば、「ロシアはクリントン長官の名誉を傷つけるための作戦の一部として、RTと同様にトロールも用いた……ロシアのプロのトロールと繋がっていると見られるソーシャル・メディアのアカウント--これらは、以前はロシアのウクライナでの行動を支援していた--が、二〇一五年一二月からはトランプ次期大統領を支持し始めた」トロールたちがでっちあげた話は、教皇がトランプを支持しているなどという見え透いた嘘もあったが、単なるわたしの悪口やトランプを称賛するものが多かった。その内容は再びRTの後援を受けて拡大し、FOXのようなアメリカのメディアに取り上げられた。

ロシアは鍵となる州の、投票先を決めていない有権者に働きかけようとして、インターネットを悪用することにした。

わたしたちがオンラインで見るものの大半は、フェイスブックやツイッター、グーグルの検索結果などにどんな内容が現われるかを決めるアルゴリズムに支配されている。これらのアルゴリズムの一つの要素が「人気」だ。たくさんの利用者が同じ投稿を見たり、同じリンクをクリックしたら--そして大規模な個人的ネットワークを持つ〝影響者〟がそのようにしたとしたら--それが画面に出てきやすくなる。このプロセスを操作するため、ロシアはアメリカの「投票先を決めていない有権者」と見せかけた偽のツイッターやフェイスブックのアカウントで「その場をあふれさせた」。トロール(実在の人物)によるアカウントもあれば、自動化されているものもあったが、いずれにしても目的は同じだ。口シアの右翼の宣伝工作の規模と人気を意図的に拡大することだ。自動化されたアカウントは、ロボットを略して「ポット(bot)」と呼ばれる。ロシアはこれを大々的に利用した。サザン・カリフォルニア大学の調査員たちは、二〇一六年九月一六日と一〇月二一日のあいだに送られた全ての政治的ツイー卜のうち二〇パーセント近くが、ボットによるものだったと突き止めた。それらの多くがおそらくロシアの仕掛けたもので、情報委員会の会長代理であるマーク・ワーナー上院議員によると、この戦略によってサーチエンジンが「圧倒」され、有権者たちへのニュース配信に「ヒラリー・クリントンは病気だ」とか「ヒラリー・クリントンは国務省から金を盗んでいる」などという情報が流れた可能性もあるとのことだった。

フェイスブックによると、もう一つの重要な戦略として、偽のアフィニティ・グループ(活動家集団)やコミュニティーのページを作り、オンラインで会話を誘導して、知識のない利用者を引きこむというものがあった。たとえば、偽の〈ブラック・ライヴズ・マター〉のグループが民主党をKKKや奴隷制と繋げるような悪意ある攻撃をし、アフリカ系アメリカ人の投票率を下げようとする。ロシアがしたのは、そういうことだ。たとえば、有名なトランプ支持者の福音主義的主教、オーブリー・シャインズは、民主党は「この国に奴隷制、KKK、人種差別法をもたらした」といってわたしを攻撃するオンラインのビデオを作った。これは保守的なメディア企業シンクレア・ブロードキャスト・グループによって、全国の一七三もの地方テレビ局で、右翼の宣伝とともに流された。シンクレアは今では二二三局に成長し、アメリカの世帯の七二パーセントで視聴されている。

こうした虚偽のグループが全国的に広がっているのを知って、インターネットで嫌がらせを受け、〈パンツスーツ・ネイション〉のようなオンラインでのコミュニティーを絶対に非公開にしている、何百万人もの支持者のことを考えざるを得なかった。彼らが、そして我が国が、こんな目に遭ってはいけない。

これらを足し合わせると、多面的な情報戦が見えてくる。マーク・ワーナー民主党上院議員が、うまく要約してくれた。「ロシアは何千人ものトロールやボット・ネットを雇って大々的に嘘の情報やフェイク・ニュースを広め、ソーシャルーメディアに誤情報をあふれさせた。それらがアメリカのマスコミやネットワークによって拡大され、何百万もの国民に影響を与えた」

事態は悪化した。『タイムズ』によると、ロシアは宣伝工作の目標を投票先を決めていない有権者に定め、投票所に行くな、あるいは第三の候補者に投票しろと訴えた--そのためにフェイスブックに広告を出資しさえした。候補者の応援に外国の資金を使うこと、選挙運動を外国の団体と協力することは法に反するので、連邦選挙委員会の長官はこの件を徹底的に調査するよう命じた。

投票先が未定の有権者たちが盛んな攻撃にあったのが分かっている。ワーナー上院議員によると、「ウィスコンシン州やミシガン州で、女性とアフリカ系アメリカ人が狙われた」という。ある研究で、ミシガン州だけで、選挙前の最終日のツイッター上の政治的ニュースの半分近くが嘘か宣伝工作のものだったことが分かった。いみじくも、ワーナー上院議員は言った。「どうしてこんな選挙区のことまで詳しく分かったのだろう?」

面白いことに、ロシアは予備選挙でバーニー・サンダースを支持した有権者を、特に狙おうとした。親サンダースのメッセージ・ボードやフェイスブックのグループに偽のニュースを載せ、いわゆ〝バーニー兄弟〟による攻撃を拡大した。ロシアのトロールたちはわたしが殺人やマネー・ロングリングをし、密かにパーキンソン病を患っているという話を広めた。フェイスブックで読んだからといって、誰がそんな話を信じるのかと思ったが--だがどれが正しいニラースで、どれがそうでないか、見極めるのが難しいこともある--ものすごく怒っていれば、自分の意見を裏づける話をすぐに信じてしまうだろう。元アメリカ国家安全保障局(NSA)のヘッドで、引退したキース・アレクサンダー大将は、下院議会に、ロシアの目的は明快だったと語った。「彼らがしようとしていたのは、民主党内のクリントン派とサンダース派に亀裂を生じさせ、アメリカ国内で共和党と民主党にも亀裂を生じさせることだ」たぶんこのせいで、第三政党の候補者が二○一六年には二○一二年より五〇〇万票も多くを獲得したのだろう。これがロシアと共和党の狙いで、実際にそうなった。

CNN、『タイム』、そして『マクラッチー』紙によると、司法省と下院議会は、トランプの選挙運動のデータ分析作業--クシュナーが先導した--が、全てを首尾よく進めるためにロシアと協力していたかどうかを調査中だという。下院情報委員会における民主党のトップである、アダム・シフ下院議員は、彼らが「誰を狙うかという点で協力していたのか、タイミングや、その他あらゆる点において協力していたのかどうか」を知りたいと発言した。もし協力していたのなら、これも不法行為だ。

酷い話はもっとある。選挙運動中、ロシアのハッカーは二つの州の選挙システムに侵入したことが分かっている。この作戦行動は、予想以上に大規模なものだった。二〇一七年六月、国家安全保障局の職員は下院議会で、二一もの州で選挙システムが狙われたと話した。ブルームバーグ・ニュースの報道によると、その数は三九にもなっていたそうだ。漏洩したNSAの報告書によると、全国の一〇〇人以上の選挙職員のアカウントに侵入があった。そのうえハッカーたちは、選挙日に投票所係員が使用したソフトウェアにまでアクセスしていた。投票者の選挙登録情報にアクセスしようとしたのだろう。特定の投票者の記録を消すか、改竄し、そのデータをさらなる宣伝工作に悪用した可能性もある。『タイム』によると、盗まれた投票者の情報がトランプ陣営に流れているかどうか、調査中だという。

こうした事柄が時間をかけて少しずつ明らかになるので、どれほど衝撃的なことか理解できない人も多いのではないかと思う。だがよく考えてみてほしい。ロシアが我が国の選挙システムに侵入し、投票者の情報を削除あるいは改宣しようとした。国民なら誰でも、背筋の凍る思いだろう。

そこで終わるはずはない。『ワシントン・ポスト』によると、ロシアは選挙に影響を及ぼそうとして、旧式の文書偽造という手段も利用した。『ポスト』は、モスクワが内密にFBIに、「民主党全国大会会長と、融資家や寄付者への補佐役であるジョージ・ソロスとのあいだで、司法長官リンチが電子メールの調査においてわたしに便宜を図るとする会話が交わされた」という偽文書を送りつけたと述べた。ありえない話だ。ジム・コミーはこの文書が偽物だと知っていたかもしれないが、『ポスト』には、彼はそれが公表されて非難の対象とされるのを心配したとある。偽造とはいえそのような文書があるという事実が、前の節で述べたように、長きにわたる手順を無視していいという言い訳となり、彼はわたしを貶める悪名高き七月の記者会見を開いたのだろうか。ロシアによってあんな愚行に導かれたとしたら、愕然とするばかりだ。

この物語にちょっとスパイ小説的な味つけを加えるなら、選挙以来、多くのロシアの職員が不運な事故に遭っている。選挙日当日、ニューヨークの領事館で一人の職員が死体で発見された。最初は、屋根から転落したという説明だったが、のちに心臓発作を起こしたという話になった。一二月二六日、トランプの狼雑な書類を集める手助けをしたと思われる元KGBスパイが、モスクワで、車内で死体で発見された。二月二〇日、アメリカに派遣されていたロシア大使が、これまた心臓発作で急死した。ロシア当局はサイバー作戦で働いたサイバーセキュリティー専門家と二人の情報職員を逮捕し、アメリカヘのスパイ行為で有罪とした。わたしに言えるのは、プーチンの下で働くのはストレスの多いことだろうというだけだ。

信じられない話だと言いたい気持ちは分かる。夫が夜更けまで読んでいるスパイ小説の中のようだ。ロシアがウクライナでした行為を知っていても、アメリカに対してこれほど大規模な秘密活動を行なうとは驚きだった。だが圧倒的な証拠があり、インテリジェンス・コミュニティーの調査は信頼できる。

それ以上に、今ではロシアが同じような作戦を他の西側の民主国で行なっていることが分かっている。アメリカの選挙のあと、フェイスブックはフランスとイギリスで何万もの偽のアカウントを発見して削除した。ドイツでは、議会のメンバーがハッキングされていた。デンマークとノルウェイでは重要な省が被害に遭ったという。オランダでは選挙でのコンピューターの使用をやめて、手作業で票を数えることに決めた。特筆すべきなのはフランスで、エマニュエル・マクロンの選挙運動が大統領選挙直前に大規模なサイバー攻撃に遭い、すぐにわたしに対する攻撃と比較された。だがフランスはアメリカでの出来事を見ていたので、多少の準備ができていた。マクロンのチームは偽のパスワードを用いてロシアの攻撃に対抗し、違うファイルで偽の文書を流して、ハッカーたちを混乱させ、その行動を阻止した。盗まれたマクロンの電子メールがオンラインに発表されたとき、フランスのマスコミはわたしのときのような衝撃的な記事にすることを拒否した。フランスの法律では選挙間近の報道が監視されるためだ。フランスの有権者たちも、わたしたちの過ちから学んでいたようだ。彼らは右翼の親モスクワ的候補者であるル・ペンを拒絶した。わたしたちの不運が、フランスその他の民主制を守る役に立ったのは嬉しいことだ。少なくとも、少しは意味があったということだ。
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NOGIMETAL

未唯空間2.4「空間の条件」

 2.4「空間の条件」は 当初のものから大幅に変わってきた。空間というのは、集合が点になること、不変なものがそれを可能にする。だから定義が逆になりました。これが数学の醍醐味なんでしょう。

 そこで判明したのは未唯宇宙は多重空間だということ。

自由と平等はトレードオフ

 国民国家においては自由と平等はトレードオフ。平等のために共産主義国家を産み出したが失敗した。

 ピラミッドは同時に逆ピラミッドがある。それゆえ中間の存在が重要。そこでクロスする。

トポロジーが証明したこと

 情報共有すなわちインターネットが 座標系の空間を 位相空間に生まれ変わらせる。それをトポロジーが証明した。

NOGIMETAL

 ナゴヤドーム1日目のいくメタルが見たかった。アミューズはきついから、映像が表に出ることはないでしょう。ひめたんが在籍していたら、ミュージックステーションでコラボできたのに。

 リリアンがもあメタルのように 徹底的に やるところも見たかった。

二歳児にとってのコンビニ

 コンビニの下段は 魅力的みたいです 二歳児にとっては欲しいものが全て揃っているし、それを手に取れる。未唯が生まれた頃は コンビニはほとんどなかった。
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インターネット競争の未来

『競争戦略論』より 戦略とインターネット

今後、インターネット技術によって各業界がどのように変わっていくかは、業界によって異なる。しかし、業界構造に影響を及ぼす競争要因について検証していくと、インターネット技術の導入によって多くの業界で収益性が圧迫されるということが見えてくる。

たとえば、どれくらい競争が激化するかを考えてみよう。多くのドットコム企業が廃業に追い込まれているが、その結果、合併が起こり、競争は沈静化していくように思える。しかし、新しいプレーヤー同士が合併する一方で、いまでは既存企業もインターネット技術に詳しくなっており、ビジネスをオンライン上で展開している。新規企業と既存企業の戦い、そしてこれに低い参入障壁が加わったことで、多くの業界では、企業の数が増え、それゆえインターネットが登場する以前より競争が激しくなるという傾向が見られる。

顧客の交渉力も高まっていくだろう。買い手は当初ほどウェブに興味を示さなくなり、オンラインで製品やサービスを販売する企業は、真のメリットを提供できることを証明しなければならなくなる。

プライスライン・ドットコムの逆オークション(買い手が希望条件を提示し、複数の売り手がこれに入札し、買い手は最安値を提示した売り手と取引する)などは、多くの場合、かかる手間に比べて節約できる金額が小さいため、顧客はすでに興味をなくしてしまっているようである。

顧客がインターネットに慣れてくれば、最初に出会ったサプライヤーヘのロイヤルティも次第に薄れていくことだろう。つまり、顧客はスイッチングコストが低いことに気づくのである。

同様の影響が、広告収入を当てにした戦略にも及ぶだろう。広告主は出稿媒体をこれまで以上に吟味して選択しているため、ウェブ広告の成長率は鈍化している。広告主は今後も広告料金を引き下げるために、インターネット広告を専門に扱う新手の代理店の力を借りながら、その交渉力を行使していくだろう。

ただし、悪いニュースばかりではない。技術進歩によって、収益性を強化できるチャンスもある。たとえば、ストリーミング動画の質が改善されたり、低コストの帯域をもっと利用したりすれば、顧客サービスの担当者やそれ以外の従業員が、PCを通じて顧客と直接やり取りできる。

オンライン小売業は、他社と差別化できると同時に、顧客の関心を価格から逸らすこともできる。また、銀行の自動決済サービスもスイッチングコストをある程度引き上げるだろう。しかし一般的には、インターネット技術によって買い手へのパワーシフトが起こり、業界の収益性は低下していくだろう。

インターネットが業界構造に与える影響を考える際には、長期的な影響を検討することが重要である。そのことを理解するためにeマーケットプレースについて考えてみたい。eマーケットプレースは、多数の買い手とサプライヤーを電子的に結び付けることで、購買活動を自動化する。買い手にすれば、低い取引コスト、価格や製品に関する情報の入手しやすさ、利便性の高い購買とその関連サービス、またいつもではないが共同購入の利用といった長所がある。一方サプライヤーにとっての利点としては、販売コストと取引コストの低さ、より広い市場へのアクセス、交渉力の大きい流通チャネルの回避などが挙げられる。

業界構造の観点から見れば、eマーケットプレースの魅力度は、取引される製品によって異なる。eマーケットプレースの利益を左右するのは、ある製品分野における買い手と売り手の間にある力関係といえる。もし、どちらかの数が少ないか、あるいは差別化された製品を所有しているという場合、交渉力も大きくなり、市場で創造された価値のほとんどを獲得できる。しかし、買い手も売り手も多種多様であれば、どちらの交渉力も弱く、そのためeマーケットプレースの運営者が利益を手にする可能性が高い。

業界構造を決定する要素としてもう一つ重要なのが、代替品の脅威である。もし、売り手と買い手が比較的簡単に相対取引できるなら、あるいは自分たち専用のeマーケットプレースを簡単につくれるのであれば、独立系マーケットプレースが利益を高水準で維持することは難しくなる。

最終的には、参入障壁を築けるかどうかが決定的に重要である。何十というeマーケットプレースがしのぎを削っている業界があり、そこでは、買い手も売り手もあえて複数のeマーケットプレースで取引したり、独自の取引所を運営したりすることで、特定のeマーケットプレースに力が偏るのを防止している。このように参入障壁が低いと、業界の収益性が低下するのは必至である。

eマーケットプレース間の競争は過渡期にあり、また業界構造も変化している。そこで創造される経済的価値の大半は、彼らが確立した規格、すなわち技術プラットフォーム、そして情報を結合・交換するためのプロトコルから生まれている。ただし、規格がコ度できてしまうと、eマーケットプレースが生み出しうる付加価値は制約を被るかもしれない。

買い手やサプライヤーがeマーケットプレースに提供するもの、たとえば受注の詳細や在庫状況などの情報は、すぐにでも自社サイトで提供できる。また仲介業者なしでも、サプライヤーと顧客は、オンラインで相対取引を始められる。新技術が登場すれば、間違いなく財や情報の検索と交換はいっそう簡単になる。

eマーケットプレースが優位性や高い収益性を維持できる分野もあるだろう。たとえば不動産や家具など個別性の高い業界では、eマーケットプレースはうまくいく可能性がある。そこでは、独立系マーケットプレースだけが提供できる、新たな付加価値を生み出すサービスが登場するかもしれない。

しかし多くの分野では、eマーケットプレースは、相対取引に取って代わられるか、購買、情報処理、資金調達、ロジスティックスサービスなどに分解されるだろう。他の分野では、市場参加者や業界団体などがeマーケットプレースを買収し、コスト・センターとして運営するかもしれない。このような場合、eマーケットプレースは、自分たちの利益のためではなく、参加者たちに価値ある「公共財」を提供することになる。

長期的には、オープンなeマーケットプレースから、多くの買い手が離れていくことだろう。そしてインターネット技術を活用してさまざまな面で効率を改善しながら、あらためて少数のサプライヤーと密接かつ固有の関係を構築していくのではないだろうか。
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