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イスタンブールで奥さんが迷子になった 2/2

カバナの町の朝の散歩です。駐車場があります。訪れる人が多いのでしょう。漁港ではなく、フェリー乗り場に使っている。魚はいない。長時間座っているので、腰が痛い。バス・ターミナルでトイレを借りて、誕生石を買ってきた。それぞれ1.5ユーロです。本当に小さいお土産です。フロントは6時のモーニングコールを始めました。地方都市の方がアメリカライズされているし、駐車場があります。新たな可能性です。

ツーリストに聞きたいのは旅の目的です。奥さんに言わせると、「旅」以外の目的はないと明確です。何か目的があると思うけど、単にはまっている人もいる。こういう場合も共依存してはいけない。私の場合は、生まれてきた時から目的を探しています。

アテネの市民は本を読まない理由を考えて見た。未来を作るのは、学習です。その中核が本と図書館です。もしかすると、オスマン・トルコに占領されていた「奴隷根性」の性かもしれない。未来を見ずに自らの生存を第一優先にする。ギリシャの姪の旦那から探ってみましょう。

ギリシャ・トルコ国境を越えます。時間がかかっています。大勢が来たときには、こんなことでは対応できない。それともショップでモノを買わせるためですか。トルコに入りました。急に暑くなった感じ。バスを替えるのに、バタバタです。

トルコで何を見いだそう。アテネのように知り合いがいなくて、国際遺産を回る旅で何を感じるのか。ギリシャよりも豊かな大地を感じる。農業よりも観光に力を入れている。
本『死とは何か』池田晶子のDLを読んでいます。私がブログで書いている理由は、彼女が本を出版しているのと同じです。書き残しておきたい。「本当の孤独というのは、自分は何者でもない、他人に証明されようがされまいが、自分は自分でしかないという、絶対的な事実を認めるところにしかない。」

「孤独に耐える」というと、社会的な役回りや自己イメージのウソを見抜いていった果てに残る、「何者でもない自分」こそが、本来的な孤独、きわめて豊かなものであるからです。内に広がるこの空間の豊かさを味わおうとせずに、外に他人を求めにゆくなんて、なんてもったいないことか。

「自分を味あう」ということは。ひとりはつまらないからとつき合うつまらない他人なんかより、はるかに面白いことだと言えます。なぜなら、この「何者でもない自分」とは何なのか、内側へ向かい探索を始めれば、果てというものがない。このような事態を私は「思索する」、自分を思索することだと言っているが、この自分を思索することの面白さこそ、孤独であることの特権です。

存在しているのは自分なのです。「自分」だけなのです。「自分」というのは、言うまでもなく、この自分、他の誰かではない自分が、その意味で、こどくであるのは当たり前のことです。

トルコは国の方針が明確なのと、それに従っていれば、大丈夫という国民の心情を感じた。特に、ケマルに対する信頼感をガイドから感じます。

もうじきイスタンブールです。奥さんがトルコで最初に行ったのは、犬じゃらしです。昼食のカフェテラスに子犬がいました。靴の紐をくわえさせて、遊んでいました。奥さんの得意分野です。

イスタンブールのトプカプ宮殿でスルタンが集めたモノを見ていた。ダイヤはでかかった。トプカプ宮殿の図書室は休憩室みたいです。本はありません。持ってこさせるのでしょうか。

イスタンブール市内のトラムは4両編成です。1500万人都市です。トウモロコシはおいしくなかった。冷めているモノを渡された。現地の人間のように、自分で選ばないといけない。

奥さんたちが迷子になりました。ガイドが速くて、後ろを見ずにどんどん行ってしまうし、ツアコンはバケッジ・ロスト対応でツアー客のチェックを怠っています。。途中の曲がり角を直進したのでしょう。迷子者は25名中8名です。

私には、奥さんの行動パターンは分かるので、ガイドには「交差点に居るはずだ」と言ったら、その通り、居ました。

その後のバザールは時間がなく、両替のみで、すぐにアンカラに向けて移動です。両替時に、奥さんの対応力が発揮されていました。後に「ここ語」と名付けた、指さしを日本語の組み合わせです。
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イスタンブールで奥さんが迷子になった 1/2

未唯へ。偶然の偶然で来てしまった町カバナにいます。昨日の夜、回ったが何もなかった。ここに導いた、何かを見つけよう。

今日の日程はカバラ⇒イクサラ⇒イスタンブール⇒アンカラです。イスタンブールの宮殿とバザール以外はバス移動です。トイレが心配です。

ホテルの部屋の空調は動かない。皆の部屋がそうなっている。ツアコンに聞いたところ、雨で外気温が下がっているので掛からないでしょうとのこと。ベテランのツーリストに聞いたら、「それは言い訳だ」と言っていた。外気温22度でエアコンは要らないというホテル側の論理でしょう。ツアコンからエアコンの話がありません

この15日間のツアーには多種多様な人が居ます。一部、自分の手柄を早口に話します。人の身の上も名前も興味がない、彼らは孤独を癒すために、参加したが、さらに寂しいので、人にくっついている。奥さんに関係図を作ってもらおうか。私には「そんな人がいる」だけで、そんなことは覚えていません。奥さんは相づちを打ちながら、丁寧に聞いています。多くの話し相手を持っています。私は、その奥さんの「おとうさん」になっています。私は「おとうさん」という名前ではありません。

本来ならば、ヘッサロニアの街から15時間の夜行寝台特急で、朝8時にイスタンブールに着く日程だった。ゼネストで欠便です。バスでの移動に変わりました。特急一等寝台の代わりに、バスで、イスタンブール到着が朝8時から夕方4時になり、夕食だけで、宿泊地のアンカラまで移動です。旅好きな連中はイスタンブールに乗り入れる列車が、今回のツアーの目玉みたいでした。

それに対する、ツアコンの言い訳を10分ぐらい聞いていた。列車からバスになったことの説明は、旅慣れたツーリストへの心情的な訴えで、寝台特急料金とバス代との差額分の請求を避ける意図が見えていた。その意図のために、アイスランド噴火のロンドンでの思いで話と自慢話が延々と続いた。うんざりです。

私たちは、そんなことは偶々、ありました。本来、知るはずのない、ギリシャ・マケドニア地方の港町、カバラに来ています。私の「仕組まれた偶然」理論からすると、ここに何かあるはずです。今のところ、エアコンの件だけです。4時には外へ出たいけど、ルームキーが一つしかありません。私が持っていくと、奥さんは電気が使えません。さて、どうしようか。

「仕掛けられた偶然」はどこにあるのか。直接的に現れるのか、長い思考時間で、何かを発見するような間接的なものかもしれません。毎日が「仕掛けられた偶然」だから、アンテナを高くして、いくことかもしれない。それでも十分です。
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メテオカ修道院に見るギリシャとトルコとの関係 2/2

女性の修道院を見て、歴史的な意味が分かった。男性の修道院は16世紀に破壊されたが、すぐに修復された。女性の方はそのまま放棄された。やはり、オスマン・トルコは奴隷の宗教として、息抜きとしてギリシャ正教は位置づけられた。

メテオナではオスマン・トルコとギリシャの関係を感じていた。「修道院は16世紀にオスマン・トルコに破壊された。16世紀から再建された」と聞いたときに2つの違和感を感じた。①なぜ、オスマン・トルコはこんなちっぽけな存在をわざわざ破壊したのか? ②破砕されたのに、すぐに再建されたのはなぜ?

①を通訳に聞いたら、周辺の宗教的な影響をなくすためと言っていた。そんな力があったのなら、19世紀の独立まで、再建させなかったはずです。それらの謎を解く鍵はトルコの戦略です。「ギリシャ正教会をギリシャ支配の道具とする」その論理からすると修道尼の存在をイスラムが許すわけはありません。だから、19世紀まで破壊されたままであった。

ラリッサという、小さな町を通過している。町の中心に4つ星ホテル。一つの町で、駐車場規制をすれば、流れが変わるかも。ギリシャは小さな単位で動くしかない。ギリシャ正教の教会は町外れに作られていた。壁画だらけなんでしょう。ここがエネルギーになることはないでしょう。

ギリシャ第二の都市テッサノニに到着しました。ギリシャ人の第二の都市はテッサノニではなく、オーストラリアのシドニーです。中国的な発想で、海外とのネットワークを使って、世界と人的ネットワークでつながればいいのに。

この大地はどう見てもヨーロッパのものではない。ギリシャ正教もヨーロッパのものではない。トルコにつながっていくことを考えばいい。

一日はなくならない。イスタンブールに着くのは午前中から4時になるからと言って、その日がなくなるわけではない。「仕掛けられた偶然」です。何かがあるはずです。かといって、一生懸命、探す必要はない。向こうからやってくるのではなく、幸せのロジックです。

スタバのラテが飲みたいと思っていたら、夕食の街、バカラのモニュメントの前にあることを奥さんが発見しました。モニュメントで20分の撮影時間だったので、バスから降りて走りました。道路を横断するのに一苦労、先客がモタモタしていた。自分の順番がきたのは、集合5分前です。トールラテを頼みました。同じ応対・同じ味です。急いで帰ったら、2分遅れです。慌てて乗り込んだら、数名しか居なかった。

折角、撮影タイムを潰して、スタバ#42に行ったのに、夕食レストランのための停車場所の真ん前に、スタバ#62がありました。奥さんの話題の種が増えました。
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メテオカ修道院に見るギリシャとトルコとの関係 1/2

未唯へ。今日はポメラにかけましょう。これ一つでいきます。私のカメラです。一つひとつ、丁寧にシャッター(文章)を切っていきます。

今日の日程は、メテオラ観光⇒テサロニキ⇒寝台特急『フィリア・ドストリック(1等個室寝台)』⇒イスタンブール⇒アンカラの予定が、ギリシャのゼネストで、列車がストップになった。急遽、メテオラ観光⇒テサロニキ⇒カバラ宿泊になりました。また、長距離バス移動です。

ギリシャのゼネストは、私をある場所に連れていく為と考えることにしました。

メテオカ修道院、あんな上に作ったのか、逃げていったのか、なぜ、自分だけの問題にカタチを付けたのか。なぜ、私はここにいるのか。これが最大のテーマです。「偶然は意図されている」

朝、一人で散歩した時に、メテオカはシルエットしか見えない。あんな高いところまで、歩くのはしんどいけど、奥さんが喜ぶだろうから登ります。実際はバスで近くまで行くので、楽でした。

メテオナはなんかトリック絵みたいです。岩が隆起してきた。奇岩のトリックです。ローカルの最たるものが、裏側でつながっている。オスマントルコはなぜ、修道院を壊したのか。何を恐れたのか。たぶん、上にあるからでしょう。見下ろされることがイヤだった。

一人で来たら、ずっと黙っているのでしょう。メテオライメージで残すことが人の心に残ると信じていた。行動でしょう。考えることは多様性を持つ。

メテオラ修道院では、すべての壁に絵を描いています。何を焦っているのか。誰に伝えたいのか。自己満足なのか。こんなところに閉じこもって、グローバルとの関係を切れたのか。道元のように、ブッダのように、言葉は残っていない。継承する事が役割だった。

ガイドに、オスマントルコがこの修道院を破壊した理由を聞いた。少しの人数しかいないのに宗教的な影響力を気にした。織田信長の比叡山攻略と同じか。メテオラ近傍への影響力が力にならなかった。Think Globally、Act Locallyでいいんでしょう。それなら、コマーシャリズムに乗らないでおいた方がいい。オスマントルコはギリシャ正教を「奴隷の宗教」として、認めていた。なぜ、壊したのか? やはり宗教的なものではなく、地理的なものだと思う。
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ギリシャ分析

未唯へ。今日の日程はアテネ⇒デルフィ遺跡⇒カランバカです。

今回の旅には多くの偶然があった。奥さんの意志、未唯の病気、姪との接続で日程が決まった。あわせて、ポメラでの入力です。最大の偶然は地球が生まれたことと、私に意志があるということです。この企画を探り、形にするために生きている。その意思がなくなる時が、地球も私も終わる時です。

今回の旅は奥さんの思いを主体に考えています。25日は皆が羨む、アテネ観光、26日はエーゲ海で泳いだこと。これはスイミング仲間に意味があります、私のポメラを説明するときの奥さんは面白いです。私からの感想としては、同じように感じていることです。あの人には全部、分かっているのかもしれない。

今のところの最大の成果は偶然の中の意図と正面から向かえるようになったことです。

細々とした光で、隣の奥さんに気を使いながら打っています。考えることと行動すること、ローカルとグローバルを実感できれば、目的は遂行できた。

6時からパルテノン神殿が見えるところまで散歩。道が分からなくなった時に、地図を出して、「ここ、ここ」で教えてもらっていた。「Excuse me」ぐらいは言わないと。

バス移動の間に、この間の思考の続きでファシリテーションとインタープリテーションを考えていました。

トイレ休憩でエスプレッソが飲めた。これは水分が少なくて済みます。

ギリシャらしい風景が続きます。ギリシャの風景の中で風に吹かれているだけで幸せです。このボルボ製のバスは最新式ですね、ガイドをビデオで映す設備もあります。

デルフィ遺跡で修道院を見学。修道師がケータイを持ちながら、急いで出てきた。キリストの生涯にはさほど興味がない。その周りの人たちが彼を使った理由には興味がある。ギリシャ正教会は抑圧された分、まともに残ったかもしれない。

ギリシャの風景を見ているとアテネに1/3の人が集まっている訳が分かる。小さな街の自給自足。オリーブと山羊と反物で暮らしている。自己主張はできない。

デルフィ遺跡です。遺跡は遺跡ですね。虚構です。ギリシャは未だに虚構の中にいるのでしょう。そこに、日本人が来る理由は不明です。日本には虚構はありません。

アーモンドの木の下で座っていたい。見るのではなく、感じていたい。奥さんはバックをおいて、競技場の後を見に行った。日本の想像力では見えないでしょう。教会も真ん中で寝ると何かを感じるかもしれない。異なる空間の異なる時間を求めるのは無理ですね。

アーモンドの木の瞑想は、この旅の目的になり、人生の目的なり、生まれてきた理由になり、地球が生まれた目的につながった。私はアーモンドの木の下で考えていた。同じ時間に奥さんは競技場まで登っていた。考えることと行動すること、それぞれ得たものは異なる。

ギリシャは山が多い。それがローカルを発達させたけど、グローバルができなかった。そして、グローバルにやってきた。ローカルは喪失した。イタリアのように列車は不可能です。新しいつながりがギリシャを新しい盟主にするかもしれない。そのためにはスコラを再結集しないと。

カランバカまでの4時間は寝てしまった。あまりにもカーブが多すぎて、本も読めなかった。

宿泊はディバニメテオラ・ホテルです。「地球の歩き方」に掲載されている料金は4万円です。全部で20万円のツアーなのに、どうなっているのでしょうか。
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仕掛けられた偶然 3/3

今日は「地中海一日クルーズ」です。アテネの近くの三つの島に行きます。奥さんは「エーゲ海でバタフライ!」と張り切っています。奥さんのこんな笑顔を見るのは20年ぶりです。私はサポート役に徹します。

アテネの港に向かう間も、「仕掛けられた偶然」がリピートしています。

こんなことを感じて、書いている、私の思想を一部の言葉だけで抑圧するならば、抗議します。思想は公開が基本です。個人の内に閉じこめるものではない。それが完成しているかどうかにかかわらず。思想である限りは完成はない。

私の意思はちっぽけな意思には負けるわけに行かない。グローバルな意思が守ってくれます。

なぜ、偶然は意図されるのか、そのレベルに大小があるのか、「神は超えられる試練しか与えない」というけど、それらは、偶然の中に仕掛けられた意図を見ているのか。その時に与えられるものだけ見ていてはいけない。考えれば、先の先が見えてきます。

未唯への手紙の続編は「意図された偶然」です。これは皆に伝えたい。誰が意図したのか。悪い意図なのか、よい意図なのか。目的をもった意図なのか、目的のない意図なのか。意図を知った人はどう振る舞えばいいのか、そのまま、意図に従うのか、意図に反逆するのか、意図が何かをつきとめるのか。

今回のギリシャ・トルコ・エジプト15日間は「偶然」の塊だった。定年になった2月には何もなかった。記念にどこか行こうかというのを奥さんが言いだしたのが、3月です。未唯がポメラを買ってくれたのも3月です。5月になって、新聞広告にあった、「この旅行がいい」とポツリと奥さんが言った。それに対して、自然に「そうしよう」と言い返した。

奥さんが行きたいと言うなら、どこでも行くつもりでした。日程は未唯の手術との関係で、6月25日(金)の一点しか残っていなかった。1か月前に決めました。なぜ、奥さんが急に変わったのかは不明です。妹から「KAYちゃん、どうしたったの」と言われた。そんなことはどうでもいいです。奥さんが決めたことだから。

それから、1ヶ月、図書館通いと読書を絶って、朝3時起きを励行して、集中力を高めました。好きではない関連部署に出向いて、ヒアリングを行い、販売店シアリングの内容をまとめ上げました。よく、短時間に仕上げたものです。旅行の翌週月曜日に部長ヒアリング・説明すれことにしています。

その時点で、偶然にも、土曜日の昼間にアテネに到着することが分かったので、アテネの姪にメールした所、案内してもらえることになりました。ギリシャ人の旦那から、現地でギリシャのことが聞けます。未唯空間の歴史編第5章のヒントになります。

行動すれば、「偶然」は起こります。それらがすべて「仕掛けられている」のでしょう。少し、「真理」に近づけた気がした。
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奥さんはエーゲ海に浸っていた

未唯へ。今日は考えたことを書くことと奥さんが楽しめることを中心にします。島と海を楽しみます。今のところ、奥さんとはふつうに話せている。奥さんのストレスは大きいでしょう。

ホテルの場所も朝食も満足です。部屋もそこそこです。姪夫婦の気遣いは最高です。

今日の日程は【エーゲ海1日クルーズ】です。イドナ島⇒ポロス島⇒エギナ島と回ります。ガイドブックと異なり、遠い島から先に行く魂胆です。

朝、3時のアラームで起床。奥さんから怒られた。3時半から4時まで入力。その後、寝てしまって、奥さんに6時に起こされた。どうにか支度して、6時半過ぎからパルテノン神殿に向けて、散歩。ゼウス神殿までの間、黒犬と白犬が一緒についてきた。彼らは道路を渡るために、我々を利用しようとしたみたいです。アテネの街には持ち主のいない犬と猫が住みついています。アテネオリンピックの時に、すべて集めたが、殺さずに、そのまま、街に放したそうです。ドイツなら、理由を付けて殺しているでしょう。

アテネの許容度を犬で感じている。街の中に、多く犬・猫が居る。それを街全体が許している。これもインフラです。

ギリシャがグローバリズムの先の超民主主義の時代に先頭を行ける可能性は、完全な都市国家とその連合。そして、グローバルとしてのEUの最大活用でしょう。

日本のインフラは行き過ぎている。社会の変化はいいけど、それが国民の幸せにつながっていない。インフラの拡大に対して、規制(自己規制は完全に規制)に向かっています。インフラと規制をもっとゆったりなものにしないと。そのためにきたのかもしれない。

2時間半かけて、最初のイドラ島へ。船の中で、奥さんは数独を始めました

船の外にはいい風が吹いてきます。奥さんはワンセグを聴きながら、寝ています。あと、1時間ぐらいで一番遠い島につきます。私は写真を取るとか、時間を有意義に使うとかを考えないようにしています。ゆったりと考えることを優先させます。

イドラ島到着直前に、奥さんは水着に着替えました。「エーゲ海でバタフライ」が夢だそうです。皆が泳いでいる所を見つけて泳ぎ始めました。岩場で、波があったので、泳いだというよりも、つかった感じです。本人は満足しています。その間、私は荷物の見張りです。写真も2枚撮りました。満足そうでした。

船の中では、思い出を作るために、演出がされている。大型クルーズでの船旅ノウハウが転嫁されている。島の存在理由も様々です。最初の島は車・バイク乗り入れ禁止です。滞在型を狙います。次の島は半島が目の前です。観光客と同時に、通勤客を狙います。頻繁にフェリーが行き来しています。最後の島はステイタスです。アテネの宮殿より40年前に立てられた宮殿と教会の奇跡です。そして、独立戦争当時の仮の首都というプライドです。
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カイロからアテネ。姪夫婦とアテネ散策 2/2

そろそろルクソール 乗客はギリシャの勉強を始めている。カイロに着くのは8時です。アテネに向けて飛び立つのは11時半です。3時間半、空港にいます。時間を二重に使うものがないと、旅行は大変です。

ナイル川上空です。川の痕跡と砂漠が交差している。砂の造形になっている。そこにも人が居る。ナイル川が氾濫した後が砂漠に刻まれている。

カイロ空港には、1時間早く着いたけど、アテネ行きの便は4時間後です。カイロは魅力的な女性が多い。

エジプト⇒アテネのチェックの厳重なこと。ポメラ用に大量に持ってきたバッテリーがひっかかった。奥さんはエジプト航空のナイフ・フォークでひっかかった。この国はなにを警戒しているのか。

出発直前になって、ゲートの変更があり、皆で移動すると、再度変更、その時点で30分遅れです。本当に「アテネ行き」かを二度確認して、搭乗したところ、席の数が足りない。飛行機を変えたので、人数はあるけど、席の配置が異なっている。「フリーシート」と急に宣言してきた。訳の分からない放送があって、飛行機はとりあえず、動き出した。ろくな飛行もできないのに、セキュリティ、セキュリティと言っている。商売の本筋を守れ! 動き出したけど、エアコンが効いてこない。

15時にアテネ空港に到着。まあ、ぶじに着いてよかった、というところですね。姪と旦那にアテネ空港で拾ってもらって、一安心。町の中を案内してもらって、ホテルへ。チェックインをすませて、部屋へ。すべて、ギリシャ人の旦那にやってもらった。一緒にペルセオイリスを歩いて観光へ出発。ホテルの場所が観光向きでした。こんな安いツアーで信じられないと、姪が言っていた。

私の心理状況を奥さんが姪に話していた。すべてわかっている。持ってきた「るるぶギリシャ編」で紹介されているワイン屋は旦那の所であることが判明。日本に来た時に渡すことにしました。

場所を移動する度に、必ず、トイレに連れていってもらった。ポメラを見せて、私がデジタルから超アナログログになっていることを話した。ギリシャ人はアナログで十分だと思っている。

ギリシャ人にはインフラがなくても生きていける。アテネの下町と商店街を歩きながら感じた。ギリシャの暮らしの中を連れていってもらった。姪と旦那が役割分担しながら、気を使っていることがよく分かった。

アメリカ大使館前を通過した時に、ギリシャ人が大使館を襲った時のことを話した時に、旦那は運転しながら、「バンザイ」のジェスチャーをしていた。ギリシャ人がアメリカが嫌いなのは、世界の盟主だからです。彼らのプライドが許さないでしょう。要するに、「やっかみ」だと、姪から説明がありました。

タベルナ[居酒屋]でのギリシャ料理の時も、人間ウォッチができるように、ギリシャ人の食べ方とか交渉の仕方とかも教えてくれた、食事後に、私の中の眠りのスイッチが入ってしまった。ちょっと、目をつぶると持って行かれそうになる。立ちながら寝てしまう状況です。アテネの夜景が見える所に移動するときに寝てしまった。階段を上がるのに睡眠と苦闘していた。
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カイロからアテネ。姪夫婦とアテネ散策 1/2

未唯へ。ゴビ砂漠の上を超えています。歩いたら大変です。私は寝る気はありません。奥さんに言わせると、「気がつくと、寝ている」と言ってました。6時間の時差を修正しました。

この旅では、Think Globally、Act Globallyの意味の再確認をすることにしています。ギリシャ・トルコ・エジプトの解析を行います。「行動する」ことよりも「考える」ことをベースにします。「考える」ことは、今居るところから思いを馳せることです。「考える」ことでできないと思っていたことが可能になってくる。多くの可能性を同時に持つことに意味がある。「行動する」ことは、制約を作ることです。人間は一つのことに決めて、成し遂げようとする。

「行動する」と言うことは決めることです。その分、可能性は減ります。この発想自体が「考える」ことのすごさです。どのようにでも考えられる。それに比べて、「行動する」ことで、貧しさ、削除するとか、体面とか、ルールとかに縛られる。私は考える人で、行動する人ではない。本当は考える人でもない。循環を見るだけの人です。救われたいと思えば、私の話を聞けばいい。

もう一つの側面の「ローカル」「グローバル」についても考えていました。「ローカル」とは、自分であり、自分の内側へ向かう力です。誰でもローカルに居たいものです。行動する時はローカルで行うのが望ましい。「グローバル」とは、自分の外側です。見ないでおくと、グローバルから支配されます。グローバルは力そのものです。行き着く先がグローバリズムです。

奥さんは数独を始めました。暗くなったので電気のスイッチを入れました。

次に、サファイア循環のファシリテーションとインタープリテーションについても考えました。何しろ、16時間の移動です。言葉での表現方法はかなりのレベルに行けそうな気がしています。自分が考えたことは「情報」を使わずに、表現できます。それを不特定多数に発信することができます。不特定多数でないと意味がない。その理由は組織のThink Globallyがなくなったことと関係しています。個人が組織に対して、意見を言っても空しいだけになっている。

地図では「黒海」の隣にきています。ヨーロッパですね。シルクロードを通ってきた感じです。中近東のバクダット、テヘラン、ベイルートも下の方に見えます。姪は、「パートナーは大事にしないと」の一言で、こんな遠くまで来ているのですね。

(つづく)
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仕掛けられた偶然 2/3

未唯へ。気持ちがループしたまま、カイロ行きの飛行機に乗りました。飛行機の中では、寝ないことを基本にしています。寝ないでおけば、寝ることもできます。

15日後の結論は「どうでもいいこと」になりそうです。すべての拘りを捨て、この会社を観察して、社会変革の反面教師にする。

総務的発想の連中が「お仕事」している会社を内側から見るのは、「真理」につながります。今回の問題は会社への試金石です。こんなことが見えるのは、「真理」を求める、私にはラッキーです。どうも、完全に会社を超えてしまいそうです。

何しろ、私の考え方は広範です。いくらでも哲学的なことは書けます。「未唯への手紙」は数学的、社会的、歴史的なものです。図書館は公共だから、総務大臣の個人の行動で行うのは可能です。

女性の反応の仕方は独特でした。女性は私を理解することはできない。感情的な動きをしていた。まあ、当り前です。

仕事で得た知見・テクニックを仕事で使うつもりでいたが、聞く耳を持たないなら、社会で使います。社会が変われば、この会社も変わります。そんなことを考えていた。サファイア循環ができた時に、欲が出た。

カイロまで16時間です。いくらでも考えられます。その場で思いをテキストにできる、ポメラを持ってきています。ゴビ砂漠上空で、自分の中では決着が付いた。この会社の未来なんて、小さすぎる。なくても、人類は生きていけます。

彼らのイヤな顔が浮かんでいる。それと女性の嘆きです。これで、周りとの折り合いが悪くなる。

あとは、「仕掛けられた偶然」の意味を明確にすることです。これは15日間の最大のテーマです。

私が本格的に考える時間は朝の3時から5時です。アテネについて、姪夫婦と楽しい時間を過ごしました。「ギリシャは治安が悪い」と皆から言われていたが、姪とメールとかスタバで情報交換していたので、気にしていなかった。むしろ、このタイミングでギリシャが見える「偶然」に感謝している。

偶然のなかに、過去から意図されたものがあるのは、確かです。だけど、地球が生まれた偶然、私がここにいて、考えている偶然は、さらに大きなものが意図したことになります。ならば、偶然から意図を探るだけでなく、意図を超えます。偶然と向かい合いましょう。
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