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数学を学ぶ理由がやっとわかった

数学を学ぶ理由がやっとわかった。見えている周辺のことから全体を知り、内部に取り込み、全体そのものを作り出す。21歳の夏休みの四方さんからの宿題「自分の数学を作りなさい」が解けました。
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数学の結論って何なのか

「世界哲学」そんなこと言ってるからいつまでも 哲学は結論が出せない
数学の結論って何なのか そういえば四方さんが言っていた 数学者だから3桁の掛け算ができるんでしょうね これが世間の感覚 数学の結論は 根底を変えること 個から全体を作ることができれば世界は変わります
知の世界とは個が目的を設定でき それを達成しようとする世界
知の世界では 行動することは 選択肢を阻害する 行動しないことが ベスト
YouTube は日中韓のなすり合い 優越感の押し付け 何の意味を持ちはしない
玲子が言っていた トルコと ギリシャの感情は日本と韓国の感情と一緒 ギリシャはトルコに占領されていた
独仏共通歴史教科書は共通の認識を持つため作られた 日韓では無理ですね 国内歴史が客観的なものでなく それぞれが 物語ですから
数学とは何か 個から部分を作り 全体を作る 個は点であり人である そして 全体から超を作り出し 個と超でもって全体を挟み込むことで安定をもたらす そんなことは 数学大図鑑には何も書いてない
奥さんへの買い物依頼
水   88
お茶 148
卵パック       98
焼豚チャーハンの素    108
豚ブロック肉  413
てりやきノリ   358
いか塩辛      258
ベーコンブロック         500
ハンバーク    
シューマイ    198
白桃ゼリー   109
ガーリックライス         458
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論理に矛盾があるのは当たり前

論理に矛盾があるのは当たり前 何しろ論理だから
 ナチが失業率を下げるために行った方法 女性を家庭に 男性を兵隊に 軍需産業という産業
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『ハイデガーの超政治』

『ハイデガーの超政治』

 『ハイデガーの超政治』

轟孝夫

ナチズムとの对诀/存在·技術·国家への問い

学長就任演説「ドイツ大学の自己主張」

学問の必然性

以上で見たように、超政治は既存の哲学や学問に取って代わるものとして位置づけられていた。それゆえ超政治に初めて言及される覚書二九でも、それは「学問の変貌」と結びつけられていたのである。ハイデガーはさらに、覚書四八で「知の変貌の準備」について語っている。十年を必要とするこの準備は「現実の教師のうちに、また教育共同体のうちに現れる知の育成(Wissenserziehung)のある様式を要求する」(GA94,122)。そして彼は覚書五一で、このような「知の育成」の役割を大学に課している。「大学がわが民族に今後もなお属するべきならば、知の育成というその任務は今なお、まったく別の仕方で、根源的に根を下ろし、明瞭にされ、鋭くされる必要がある――わが民族の存在の根本様式としての知の苦難から」(GA94,123)。すなわち、大学は今や、存在者全体を耐え抜くという知の根源的なあり方に根差した教育を展開すべきだと言うのである。

ハイデガーは大学をこうした「知の育成」の場にすることを目標として、フライブルク大学の学長に就任するのである。あの悪名高い学長就任演説「ドイツ大学の自己主張」(以下「自己主張」と略)で示されているのは、まさにこの知の育成の構想であり、結局これこそ「黒ノート」ではほとんどその名前が言及されるにすぎなかった超政治の具体的な内容を示している。それゆえ彼は第二次世界大戦後に自身のナチス加担について釈明するときも、自分が学長職を引き受けた理由は学長就任演説に示されていると述べ、つねにその参照を促すのである(GA16,430,654)。本節では以下で、この学長演説「自己主張」に示された新たな知の構想と、それに基づいたナチズムに対する彼の姿勢を明らかにしたい。

この演説の冒頭でハイデガーは、「ドイツ大学の自己主張」を「ドイツ大学の本質への根源的で「共同的な意志」と規定する(GA16,108)。そうだとすれば、この「自己主張」の意味を明らかにするには、まず「ドイツ大学の本質」を解明する必要がある。彼によると、ドイツ大学は「学問に基づいて、また学問によってドイツ民族の運命の指導者かつ守護者を教育し、陶治する上級学府を意味する」(GA16,108)。したがってドイツ大学の本質への意志は、まずは「学問への意志」として、また同時に「ドイツ民族の歴史的、精神的課題への意志」として規定される。つまりドイツ大学の本質への意志は、学問とドイツ民族の運命を同時に意志するものでなければならないのである。

ハイデガーによると、このことが達成されるのは、「われわれ――教師と学生が、一方で学問を自身のもっとも内的な必然性に晒すときであり、また他方でドイツの運命をまさにその究極の苦難において耐え抜くときである」(GA16,108)。ここで学問を内的な必然性に晒し出すこととドイツの運命を究極の苦難において耐え抜くことという二つの課題が提示されている。大学がおのれの本質を意志するということは、この二つの課題を担うことを意味するのである。前節で見たように、ハイデガー的意味での真の学問、すなわち形而上学が民族の歴史的存在をあらわにするものである限り、学問の必然性を取り戻すこととドイツ民族の運命を担うことという二つの課題は結局のところ、こうした形而上学の遂行に収斂していく。実際、以下でも示されるように「自己主張」では、学問の本質が民族の精神的世界の開示として規定されることになる。

ハイデガーが学問の必然性について問うとき、この問いの背景には、今日の学問からはその必然性が失われているという現状認識がある。つまり現代において学問は何のために存在し、また何のためになされているのかが見失われていると言うのである。しかしこうした学問の必然性を取り戻すには、当時、ナチスが喧伝していた「新しい学問概念」のように「あまりに今日的な学問〔自由主義的な学問〕に対して、その自律性と無前提性を疑ってかかる」だけでは不十分である(GA16.108)。この新しい学問概念は、すでに前節でも触れた政治的学問概念を指している。これは「価値判断からの自由」という自由主義的な学問理念に反対し、学問は決して自律的で無前提的な営みではなく、民族にとって有用なものでなければならないと主張する!である(GA16,656)。

ここでハイデガーは、「単に否定するだけで、ここ数十年間を越えて振り返ることもしない、こういったふるまいは、まさしく学問の本質を求める本物の努力を装うだけのものになってしまう」と批判する(GA16,108)。つまり政治的学問概念は、ここ数十年のあいだに学問がすっかり細分化、専門化されてしまい、その意味が見失われつつある状況を批判的に捉え、学問に対して民族への貢献という意味で政治的であることを求めるものだが、ハイデガーはそうしたやり方によっては学問の真の必然性を取り戻すことはできないと言うのである。

ギリシア的原初への回帰

さて、そうだとすれば、われは学問の必然性をいかにして取り戻すべきだろうか。ハイデガーがここで問うているのは、学問の意義とは何なのか、そもそもそれは何のために存在するのかという問いである。この問いに対して、ハイデガーは学問が真に存在しうるのは、「われわれがふたたび、われわれの精神的歴史的現存在の原初(Anfang)の力に服するとき」だけだと答えている。そして彼はこの「原初」を次のように説明する。

この原初はギリシア哲学の勃興です。このときに西洋の人間は民族性に基づいて、自分の言葉によって、はじめて存在者全体に反抗し、存在者全体をそれが実際にそのようなものとしてあるような存在者として問い尋ね、把握します。あらゆる学問は哲学です。(……)あらゆる学問は哲学のかの原初にしっかりと結びつけられています。学問はこの原初から、学問の本質の力を汲み取るのです(……..)。(GA16108f.)

つまり学問は哲学というその原初に立ち返るときのみ、その意義を取り戻すことができると言うのである。この哲学は今の引用箇所では、自分の言葉によって存在者全体に反抗し、それを把握することと規定されている。つまりここでもハイデガーが一九二〇年代終わり以降、形而上学として論じてきた存在者全体を捉える学が問題になっていることがわかるだろう。

ハイデガーはこれに続く箇所で、原初における学間の本質を明らかにするために、伝説上、最古の哲学者とされるギリシアの神ブロメテウスが、古代ギリシアの代表的な悲劇作家アイスキュロス前五二五前四五六)の悲劇「縛られたプロメテウス」のなかで語っている「しかし、知は必然よりもはるかに無力である」という言葉を参照している。これはプロメテウスが人間に火を与えたためゼウスの怒りを買い、罰として山頂に縛り付けられている状態で述べたという設定になっている。ハイデガーはまず、この言葉が「事物についてのいかなる知も、あらかじめ運命の圧倒的力に委ねられていて、この圧倒的力の前では無力である」ことを述べていると解釈する。

しかし如は単にこのような無力に甘んじているだけではない。まさにこの無力ゆえに「知は自分に能う限りの反抗を展開せざるをえず、その反抗に対してはじめて存在者の隠蔽性の総力が立ちはだかり、知は実際に無力をさらけ出す。かくしてまさに存在者はそのなぞめいた揺るぎなさにおいておのれを示し、知におのれの真理を委ね渡す」(GA16,109)。つまり原初の知とは「運命の圧倒的力に委ねられ」つつ、それをあらわにすること、すなわちおのれの意のままにできない存在者の存在を開示し、そのことにおいて自分の無力をあらためて自覚することを意味するのである。

すでに前節でハイデガーが超政治を原初への還帰として捉えていることを指摘した。彼が「自己「主張」で求めているのも、ギリシア哲学という学問の原初への還帰である。しかもこの原初は存在者全体を問い、把握することとして規定されている。つまりここで問題となっているのは、前節ですでに形而上学、超政治として論じられた知そのものである。学問の必然性は存在者全体に圧倒されながらも、それに対して問うという仕方で立ち向かわざるをえない点に存するのである。
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『哲学の課題』

 『哲学の課題』

樫山欽四郎

ヘーゲルと現代

どこに問題があるか

ヘーゲルについてということですが、いろいろ問題がありますので、ある一つの問題に限って話をします。ヘーゲルというのは一方では非常に歓迎されているが、他方では徹底的にきらわれている。そういう思想家なんです。有名なヘーゲルの言葉に「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」というのがありますが、これは諸君も聞いたことがあると思います。これは『法哲学』の序文の中に出てくる非常に有名な言葉です。この言葉がたいへん評判が悪くそういう評判が常識となって一般に受け入れられている。普通の考えで言うと、理性的に考えられたものがそのまま現実であり、現実的なものはそのままわれわれの考えること(理性的なこと)に一致していると言ったことになるから、現実はそのままでよろしい、ということになる。絶対的な手放しの現実肯定になるというのです。こういうふうに受け取られているために、この言葉は非常に評判が悪いのです。しかしよく考えてみると、なぜそういうことを言ったのか、よく理解されていないわけです。だから評判が悪い。フェアニュンフティヒ(vernünftig)というのは、つまり理性的であるというのは、普通の意味でわれわれが常識的に理性という言葉でいっている意味でなくて、後からわかりますように、弁証法的な意味に使われているわけです。現実という意味もやはりそうです。フェアニュンフティヒというのはドイツ語で言い換えるとすれば、ヴェーゼントリッヒという意味に近い意味で使われているのです。ヴェーゼンというのは普通、本質と訳しておりますけれども、本当は実在という意味です。普通実在といえばリアリティーのことですが、そういう意味ではなく、本質的な意味での実在、本当の実在というような意味です。ですからリアリティーという言葉でいうのとは意味が違います。今そのことには触れないことにします。本当の意味で実在(真理)であるものは、当然、現実にあるということで、本当のものはやはり現実になるということですね。ところが、普通現実ということで考えている場合、それがよくわかっているかというとそうとは言えない。本当の現実とは何かということは、実は一番わからない165難しいことです。だからその現実ということでもヘーゲルは非常に厳密に考え、定めています。それを今ここで説明すると長くなり、かえって混乱してわかりにくくなりますので、やめますが、とにかくヘーゲルは現実ということを自分の考えの流れの中で弁証法的に考えているわけです。普通に常識的に受け入れられた現実がそのまま理性的だなどと言っているのではない。だからその思索の流れの中で理解しないと、とんでもないことになってしまいます。ヘーゲルのように考えるということは、物事を流れの中で考えるということなんです。だから広く言うと歴史の中で考えるということです。歴史的に動いていく、その動きの中で考えていく。だから歴史的な動きの意味にとらないとわからないところが出てくる。このことは、これからお話しすることでわかってもらえると思います。そういうわけで、この言葉一つをとってみても一方では非常に賛成されるけれども、他方では極端にきらわれてきたのがヘーゲル哲学です。最近でもたとえば、バートランド・ラッセルという人はヘーゲル哲学を一言のもとに、はねつけています。この人は二十世紀のイギリスの代表的な思想家ですが、にべもなく、ヘーゲルというものを打ち消しています。

ヘーゲルの亡くなったのは一八三一年ですから現在までに約百三十年以上たっているわけです。その間いったいどういう取り扱いを受けてきたかというと、死んで、しばらくするとほとんど顧みられなくなってしまいました。十九世紀の後半以後はマルクスがヘーゲルを取り上げたために、マルクス主義の基礎になっているという意味で、取り上げられるということはありますけれども、それだけのことで、ヘーゲルをヘーゲルとして研究するということは行なわれませんでした。いわゆるオーソドックスの哲学では、ほとんど問題にされなかった。二十世紀に入ってから、一九一〇年頃、新カント学派のヴィンデルバントという人がヘーゲルをもう一度考え直す必要があるということを、『プレルーディエン』という本の中で書いています。しかし本当にヘーゲルが積極的に問題にされたのは、一九三〇年前後です。現在一般に流布しているヘーゲル全集は、そのころグロックナーという人が編集したものです。それでは、一九三一年にヘーゲル百年忌に際して起こってきたこのヘーゲル復興運動というのが、ずっと今日まで続いているのかというとそうではありません。それもいつの間にか立ち消えになってしまった。ところが今度の戦争がすんでから、急に研究が盛んになってきて、今まではほとんどヘーゲルを問題にしなかったフランスにおいてさえ取り上げられるようになってきた。最近数年の間には驚くほどヘーゲル研究の書物が各国で出版されている。十九世紀のある時期にイギリス人でヘーゲルを問題にした人々があります。有名な人ではブラッドリーとかカーライルとかいう人々です。しかし本国ドイツでは、十九世紀の後半からほとんど忘れられたかのごとくであった。それが現在では、いま言ったように盛んになってきた。戦後あいついでヘーゲル研究の書物が出ている。われわれが全部読もうとしても追いつけないほど出ている。だからヘーゲル理解のうえでも非常に歴史があるわけです。

どうして過去において、一方で非常に賛成されたかと思うと他方で反対されたかというと、そこには、そういうような二面が兼ね備わっていたためだと言えましょう。だからその二面のどちらかだけを取り出すと、極端な賛成と反対が出てくることになります。右と左の思想のどっちからも受け入れられそうなことが書いてある。だから一方でマルクスに非常に大きな影響を与えているかと思うと、反対に他方では、国家哲学に利用され、そのためプロイセンの御用哲学であるということまで言われている。ところが、不思議なことに、戦争中に日本でヘーゲルに関する本が、発禁になったことがあります。ちょっと考えるとなぜだかわからないのです。務台理作先生の『ヘーゲル研究』という書物は戦争中に出ていた。これが発禁になってしまった。どうして発禁になったのですかと先生に尋ねたことがあるのですが、どういうわけかわかりませんということでした。よく考えてみると、国家というものは世界史の中に流れ込んでしまうという思想が、ヘーゲルの歴史哲学に出てくるため、国家至上主義からいけないと見られたのではないかと、私は判断しています。そういうことを文部省あたりで考えたと思うのですがね。あの当時でも一方の人はヘーゲル哲学は御用哲学だということを言っている。だから国家主義の方からは認められてもよさそうだけれども、無視された。このことはヘーゲルという思想家が非常に大きく怪物的であるということにもなります。そのために理解の仕方でいろいろなことが出てくるというわけです。これは人から聞いた話ですから本当かどうかわかりませんが、西田幾多郎という人はヘーゲルを研究し、『論理学』を何べんも読んだといわれますが、そのことを頭に置いて西田哲学を読むとそういうことが感じられます。そういうので、ヘーゲルはいろいろな人からいろいろに見られるように、いろいろなことを一つにごたまぜにしているとも言えそうです。よく言えば、多くの複雑なことを考えぬき、それらを体系的に実によくまとめ上げていると言えます。だからどこをとってみても、その部分に非常に人を引きつけることを言っているわけです。問題のどれをとってみても何か考えさせるものをもっている。いろいろな解釈、いろいろな意見を成り立たせるようなもとがあるわけです。そこでそのようなことを通して、何が話されたかということ、それを私が理解した限りにおいてお話をしておきたいと思うのです。

さきほど、話しましたように、ヘーゲルが死んでから、ヘーゲル右派とヘーゲル左派というものに分かれたとされています。ヘーゲル左派のほうからはマルクスが出ている。ヘーゲル右派のほうは宗教哲学、国家哲学に向かっている。ルードヴィッヒ・ハイムという人の『ヘーゲルとその時代』という本は、徹底的にヘーゲルをやっつけている。つまりヘーゲルというのはプロイセンの御用哲学だと言っている。なぜそういうことを言われるようになったかということ、そこにある問題を指摘したいと思います。

フランス革命とヘーゲル

その前に、そのことを理解してもらうために年代的に当時のことを言っておきましょう。ヘーゲルが生まれたのが一七七〇年で、亡くなったのは一八三一年。それからフランス革命が起こったのが一七八九年、ナポレオンがヨーロッパそしてドイツを征服したのが一八〇五年、一八〇六年にナポレオンはドイツ帝国を認めないと言っている。その意味において、ドイツは一応崩壊したわけです。さらに一八三〇年にフランスの七月革命が起きており、一八三一年にヘーゲルは死んでいるわけです。そうするとフランス革命というのはヘーゲルがちょうど、だいたい諸君と年齢があまり違わないときに起こったわけです。そのことはわれわれ日本にとって中国で革命が起きたということとは違うものがあります。そこのところを理解してもらいたい。中国とわれわれとは密接な関係にあるけれども、中国で革命が起きたということをわれわれが考える場合と、ドイツ人が、フランスで革命が起きたことを考える場合とでは、そこに非常な意味の違いがある。われわれは太平洋の岸辺に立ってみても、別にはっきりとそこを国境線だとは思わない。ところがドイツやフランスの場合だと足を一歩踏み出したら、もう他国の領土に入ってしまう。そういう状況の中で、国と国とが接してるのです。そういう関係にある隣国に大きな革命が起きたということは、たいへんなショックだったにちがいない。私のような老人なら感じないかもしれないが、諸君くらいの年齢のときにすぐ傍で革命に出会ったということを考えてもらいたい。ヘーゲルは、ナポレオンがドイツに攻め込んできたとき、その太鼓の音をききながら、『精神現象学』を書いたという話が残っています。

ここで当時の他の思想家のことを考えてみると、アダム・スミス(一七二三―一九〇)が例の『国富論』を書いたのは一七七六年ですから、ヘーゲルの青年時代には世の中に出ていたということを考えなければならない。それからキルケゴールの生まれたのは一八一三年で、亡くなったのは一八五五年ですし、ニーチェが一八四四年か一九〇〇年まで生存していました。マルクスの『経済学批判』が出たのは一八五九年です。そこで、だいたいそういうような年代表を頭に入れておいて聞いてもらいたい。一八〇六年にドイツはナポレオンによって、一応解体されるのですが、その後ナポレオンがモスクワから逃げだしてくることによって、盛り返していきます。それから王政の復古などがあり、一八三〇年にまた革命が起きている。さらに一八四八年に三月革命が起こる。ヘーゲルは一八三一年に死んでいますから、生まれてから死ぬまで革命の動乱の中に生きておって、そしてドイツの崩壊を目のあたりに見ているわけです。その後またもう一度ドイツが盛り返して、ビスマルクがドイツを統一するのですが、そのときはもう死んでしまっている。そういう状況の中で、ああいう思索をやったということを考えてもらいたい。ドイツというところは、諸君、歴史で習って知っているでしょうが、今日でも連邦国家ですね。ドイツが統一されたのは過去において三回ありますけれども、その三回というのをどういうふうに解釈したらいいかということについては、いろいろ意見がありますが、とにかくそういうのがドイツという国です。要するに連邦国家であって、ドイツの中には、よその国の王様が支配していたところがあるという状況です。だから統一ドイツというものが生まれるということが、ドイツにとって非常に難しいわけです。現在だって大きく東と西に分かれているのみならず、西も依然として連邦国家です。とにかくフランス革命を境にしての動乱という歴史的な状況の中で思索が行なわれていったということを、どうか頭において聞いていただきたいと思います。ヘーゲル右派とヘーゲル左派とに分かれたと言いましたが、他方そのことはフランス革命に対して、どういう態度をとったかということに関係してくるわけです。ヘーゲルはフランス革命をどういうふうに扱ったかということに関係してくるわけです。いま言ったように、フランス革命というものは、ナポレオンが亡びた後にも王政が復活したりして、革命のはじめに人々が想像したとおにはなっていません。このことと関連してフランス革命の精神というものに対し、哲学的に、思想的にどういう態度をとったかということ、これがまず問題になることなんですが、そのことを話す前に次のことを知っておいてもらいたい。

③十八世紀の自然主義

一八三〇年にオーギュスト・コントが『実証哲学』という本の出版を始めているわけです。ヘーゲルの死ぬ少し前です。そこでヘーゲルが死んでから実証主義というものが起きてくることになりますが、これによってヘーゲル哲学というものは、古い形2而上学をそのまま蒸し返したのであって、科学的な現在では役に立たないのだということにされてしまった。オーギュスト・コントの考えによれば人類の思想は三段階に変わったことになる。最初に神話、その次に形而上学、第三に実証主義の時代がくる、ということで、形而上学の時代はもう終わったのだといっている。そういう意味で、ヘーゲル哲学というものは意味をなさないのだということになる。つまり形而上学(ヘーゲル哲学)などは意味がない。それは単なるスペキュレーション(思弁)の世界であって、現実の世界ではないということで、退けられてしまう。もともとフランス革命を導いてきた思想というものが、いわばオーギュスト・コントのポジティヴィズムにつながっている。フランス革命の思想は英国の思想にも連なり、やがてポジティヴィズムに展開していくことになる。だから没後、そういう十九世紀の思想からヘーゲルがいろいろ批評されたわけです。そこでそういう意味で後にポジティヴィズムに展開する、経験論や自然主義という十八世紀の思想に対して、ヘーゲルがどういうふうな態度をとったかということに問題の重点があるわけです。ヘーゲル右派とか左派とか言いますが、それらは近代のそういう思想傾向とフランス革命に対して、ヘ―ゲルがどういう態度をとったかということに関係してくるわけです。フランス革命の歴史的な話というのは私の任ではないのですけれども、あの当時のフランスの思想は十七世紀から始まって、十八世紀に至る間につくられていったわけです。それではフランスの思想の根底をなしているものは何であったかということの問題ですが、これは広い意味での自然主義的合理主義であるといってよいと思います。この自然主義といわれているところのものは一見明瞭なように見えますが、実は必ずしもそうではないわけです。たとえばルソーが「自然に帰れ」ということを言った場合に、その自然というものは何を指しているのかというと、これは必ずしも明瞭ではない。それからルソーに影響を与えたロックが「人間の平等」ということを言っている。生まれつき人間が平等であるということは、逆に、生まれつき人間は不平等であるというふうに言い換えてもおかしくはない。つまり人間は生まれつき平等であるということを言うのは、ある立場があって、その立場から考えて、言われたことです。その生まれつきという場合には、自然的主体として、権利の主体として、法的人格として、平等であるということをいっているわけです。けれども、それをロックがそういう根本的な意味のものと考えておったかというと非常にあいまいになってくるわけです。いずれにせよ、自然的存在として平等であるという、そのことに基づいて考えている。ルソの場合は人間は生まれつき善であるというふうに考えている。人間は生まれつき善であるというふうにルソーには書かれているわけです。そういう意味の自然です。そういう意味の自然を前提として、その自然の方向から考えてそれに合わないものに対する徹底的な批評を続けていくということですね。それがフランスの自然主義というところからでてくるわけですが、ルソーなんかの場合は必ずしもそれは徹底した実証の立場から行なわれたのではない(ルソーはボランタリストですからそういう意味で人間をむしろ意志的に考えていた)。そういう考え方の底に流れていたものが後にコントに大きな影響を与えるわけです。そういう形で自然ということが非常に大きな意味をもっていた。その場合には、いま言った意味で生まれつきということを言うわけですが、後に啓蒙時代になると、いっそう強調されてそれが国家の問題として考えられるようになります。そうなると自然主義的な意味に合致した限りでの国家でないようなものは、すべて間違っているという思想に転じていくわけです。

この考えの中には二つの傾向があるわけです。自然的にものを考えるという考えには二つの傾向がある。一つはイギリスに育ったもので、自然法則というものを知って自然の法則を適用していけばやがて自然を征服することができる。そういう意味で知識というものは力である。だから力にならないような知識はだめだという考えが出来上がっている。もう一つはフランスに発達したもので、デカルトなどが全体として世界の唯一の原理というものを立てようとする。デカルトで言うと合理的精神というものになりますが、やがて自覚という形で把握されるものですが、そういう全体として統一をもった一つの世界を見ようとした。そういうわけで当時ヨーロッパに二つの自然観があったわけです。いずれにしても自然主義的なものの見方が、人間に対し、国家に対し大きな意味をもって考えられていた。そういうわけでそれがその当時の社会に対する批判の原理となっていたわけです。そこでそれが批判という形をとって現われるとどういうふうになるかというと、自然の原理というものに従って社会というものが考えられるということです。こういう考えは古代社会には全然ないわけで、中世にもそういうことはない。ソクラテス、プラトン、アリストテレスという人たちですらポリスから独立した人間を考えることができなかった。つまりアテネ、スパルタ、テーベなどの都市国家から離れて、人間を純粋に人間自身として考えることはできなかった。だからソクラテスが死ぬときに国法に従って死んでいったのは、初めからポリスを離れた自分を考えることができなかったからです。ソクラテスはいつでもポリスの中で考えていた。したがって人間がポリスというものをつくりかえることはできないと考えていた。ポリスというのは初めからあるもので、ポリスをつくりかえるなどということは考えられさえもしなかった。つまり自分はポリスの中で大きくなってきてポリス以外に自分の生きるところはないと考えて生きていた。それからまた中世77の封建社会においては、封建貴族は封建貴族、武士は武士ですから、そこにそういうものを離れて一般化した形で人間それ自身というようなものを考えていくということはできなかった。

もしわずかにできたとすれば、それはキリスト教の中でのことです。けれどもこの場合でも十八世紀に生まれた思想で言うような形においてではない。自然の原理に従って人間を形成していくことができると同時に社会を形成していくことができる、つまりつくり直していくことができるというような考えは、古代や中世ではとても考られないことであったわけです。これを人間個人の問題に直して考えると教養、自己形成です。Bildungというのはドイツ語でbildenの名詞化です。ビルドゥングを教養といっております。要するにこれは自己形成ということなんです。この自己形成の原理になるものが自然であるというふうに考えられていたわけです。そういう形で考えられる自己形成を行なうと同時に、社会も人間の手によって自己形成を行なうことができる、そういうふうに考えられたわけです。当時のいろいろな人によって言うことが多少違っているけれども、そういういろいろな思想を通してやはり一貫した考えが流れていたわけです。それが極度にはっきりした形をとって現われてきているのが啓蒙時代である。

 第一章 私を「存在」に変える
放り込まれたので、孤立 と孤独で生きている
存在を考えること で目的が与えられ る
内なる世界を作り、 他者の世界を見ていく
私は私の世界にい る。 存在者として生きる
外のなる現象を内なる世界で解明する
現象から空間の軸を抽出する
宇宙の旅人として空間から知をめざす
全てを知ることで 存在の無に至る
 第6章 本・図書館を「知」とする
図書館は共用のシンボル
考えることで知の世界をつくる
存在を考えて個は覚醒する
中間の場は考える環境を作り出す
知の拠点でコメント文化を作り出す
個の目的達成のために教育を再編成
本を分化・統合して知の体系を作る
個の知で人類の平等をめざす
 第8章 クルマ社会は「共有」とする
車を移動手段として共有
行政は地域にサービスする
個の覚醒と自立を支援する
個の共有する意識を育てる
コミュニティに意識と知識を蓄積する
地域は個の多様性に対応する
車は個と共有をつなぎ合わせる
クルマを共有して境がない社会にする
 第9章 社会の変を「変革」とする
集中から分散して循環させる
多様化に市民の多様性で対応
超える存在でグローバルに対応
部分の循環と全体の循環をシンクロさせる
危機意識で全体の状況を把握する
個の覚醒で家族・ 教育・仕事を変える
個の目的達成で全体の平等を目指す
有限な存在ならば共有が前提になる
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 『哲学 100の基本』

『哲学100の基本』

岡本裕一朗

世界は謎に満ちている

哲学は探究する時領域を限定することがありません。その理由は、哲学がもともと「すべて」を問い直すことにあります。この「すべて」を表現するのが、「世界」です。したがって、哲学では「世界」という概念がしばしば登場します。

しかし、哲学者たちが「世界」という言葉を使う時、必ずしも一義的ではないことに注意しておきましょう。つまり、「世界」の意味は多義的であることが、最初に確認しておく点です。

それぞれの哲学者が同じ「世界」という言葉を使っても、想定している「世界」が違うのです。

言いかえると、哲学者たちはそれぞれ構想する哲学の違いに応じて、「世界」を定義してきました。

したがって、「世界」を考える時は、正しい答えを見つけようとするのではなく、むしろ哲学者たちが「世界」の意味をどう定義しているのかこの点に注意を払う必要があります。

「世界」という言葉は、ギリシア語やラテン語では「コスモス」に当たり、調和のとれた全体を指していました。

調和がとれた全体であれば、小さくてもコスモス(ミクロコスモス)と呼ばれ、マクロコスモスと対比されました。一般には、ミクロコスモスは人間を指し、マクロコスモスは大宇宙を意味しています。

ただし、宇宙という言葉には、「ユニヴァース」という別系統の言葉があり、「コスモス」とは区別して使われます。しかも、哲学者によっては、「コスモス(世界)」と「ユニヴァース(宇宙)」を対比する場合もありますので、注意が必要です。

このように、何を「世界」と考えるかは、異なっていますが、「秩序をもった全体」という点で、共通の構造があります。その一つは、全体を構成する要素があることです。

また、それぞれの要素が他の要素と関係をもち、秩序を構成することです。さらに、それらの要素が全体としての世界においてあることです。こうして、「要素一秩序全体」として「世界」を理解することが、重要な視点になります。このパートでは、哲学者たちの有名な世界論を提示しますので、こうした視点を念頭に置きながら、それぞれの「世界」を確認してください。

学校概念としての哲学と世界概念としての哲学

近代の哲学者であるデカルト*は、「世界論」を構想し執筆したのですが、ガリレオ裁判のために、その出版を断念しました。

その時、デカルトが構想した世界論は、地動説を取り入れた自然学だったのです。デカルトが考えた「世界」というのは、「宇宙」であることが分かります。

ところが、デカルトは自伝とも言うべき『方法序説』の中で、別の「世界」について語っています。学校で学んだ「書物の学問」と対比する形で、「世界の書物」について語るのですが、この時の「世界」は人の世界という意味での「世間」です。そのため、「世間という大きな書「物」と訳されています。

こうした「世間(世界)の学問」と「書物の学問」の対比を踏襲しているのが、カント*です。カントは「世界知(Weltkenntnis)」という言葉を使いながら、「単に学校のためのみならず、生活のために役立つ」知識と説明しています。そのため、この言葉には、「世間知」という訳が使われています。「世界」は人々の世界として、「世間」を意味するのです。

こうした使い方を鮮明に打ち出すのが、「世界(世間)概念としての哲学」という考えです。カントは、主著である『純粋理性批判』の「方法「論」の中で、「学校概念」と「世界概念」を区別して、次のように述べています。

哲学という概念は、一つの学校概念にすぎない、すなわち、学としてのみ求められ、そのさいこうした知識の体系的統一以上の何ものかを(中略)目的としてもつことのない認識の体系という学校概念にすぎない。しかし、さらに世界概念(conceptuscosmicus)というものがあるのであって、この世界概念は、哲学という名称の根底にいつでも置かれていたし、とりわけ、この概念がいわば人格化されて、哲学者という理想において一つの原型として表象されたときには、そうである。

哲学の学説を知ることは、学校概念としての哲学にすぎないのです。むしろ、哲学の知識が、世界(世間)の中で有効に使えるようになる必要があるわけです。それを体現した人こそが、はじめて「哲学者」と呼ばれるようになる、と述べています。

ここでカントは、「世界概念」という言葉にわざわざラテン語を付加して、「conceptuscosmicus」と表現しています。このcosmosが、世界市民(コスモポリタン)につながることは、注目しておく必要があります。これは、コスモス(cosmos)と市民(polites)から作られたものです。カントは、永遠平和論で、コスモポリタンの立場を強調していますが、このためには、「世間知」や「世界概念としての哲学」が必要なのです。

カントによれば、哲学の目標は、学校概念としての哲学、つまり哲学説の物知りにあるのではありません。むしろ、世界市民になりえるように、「哲学する」ことを身につけ、世界(世間)の中で活用できることが大切なのです。これがカントの考える「哲学者」のイメージです。とすれば、哲学者は哲学研究者とは区別されなくてはなりません。

学校概念としての哲学・・・哲学説の体系的知識・・・哲学研究者(モデル)
世界概念としての哲学・・・世間知としての哲学・・・哲学者(モデル)

だとすれば、職業的に哲学を研究するのでないかぎり、目指すべきは「世間知」としての哲学なのです。哲学を世界(世間)でどう活用できるか、これが哲学の試金石になりそうです。

意志と表象としての世界

世界は人間にとってどんな意味をもつのか?この問題を極限にまで突きつめたのが、ドイツの哲学者ショーペンハウアー*です。彼は『意志と表象としての世界』を1819年に出版しましたが、この本は生涯にわたって何度も検討されています。そのため、正編第2版と続編が1844年に刊行されました。ショーペンハウアーにとっては、『意志と表象としての世界』がすべてなのです。

しかし、世界が「表象」や「意志」とされるのは、どうしてなのでしょうか。この二つは、カント*が「現象と物自体」を区別したことにもとづいています。カントは世界を考える時、「現象」と「物自体」に区分したのですが、それに対応するようにショーペンハウアーは「表象」と「意志」に分けたのです。すなわち、現象=表象と物自体=意志という対比です。

「表象としての世界」という考えは、人間の認識のあり方を見れば、無理なく理解できます。というのも、人間にとって現象している世界が、「表象」だからです。しかし、ショーペンハウアーには、さらに「意志としての世界」というアイデアもあります。

そして、もっともショーペンハウアーらしいのは、こちらの思想です。なぜなら、「意志」は「物自体」とされているからです。しかし、そもそも「意志」として何が考えられているのでしょうか。

ショーペンハウアーが「意志」を考える時、特徴的なのは人間の意志に限定しないことです。その他に、動物の本能、植物の運動、無機的自然界のあらゆる力のうちで、盲目的に活動しているものが「意志」と呼ばれています。盲目的で、衝動的な世界が、意志の世界なのです。

しかも、もっとも重大なことは、ショーペンハウアーにとって、意志の世界が苦悩に他ならないことです。「苦悩は人生から生じるのであり、人生はまたこの意志の現象に他ならない」と言います。ショーペンハウアーによれば、意志の世界では、欲望に終わりがなく、退屈と苦悩に苛まれることになります。そのため、次のように発言されることになります。

われわれの生存の状態はきわめて悲惨であるから、こんな状態でいるくらいなら完全に存在しない方が断然望ましいであろう。

意志にかんするこうした考えは、「厭世主義(ペシミズム*)」と呼ばれますが、最近では「反出生主義*(生まれてこない方がよかった)」と言われることもあります。

したがって、彼の最終的な方向は、「意志の否定」となるのですが、これは同時に「世界の超克」になります。しかし、問題なのは、これが具体的に何を意図しているかです。単純に考えると、「自殺」が一番分かりやすいですが、ショーペンハウアーはこの方法を採用しません。むしろ、解脱や悟りといった境地ですが、正直なところ、必ずしも納得できる結論かどうかは分かりません。

人間は世界内は存在である?

20世紀において、「世界」という概念を印象的な形で哲学に導入したのは、ドイツの哲学者ハイデガー“です。彼は、1927年に出版した『存在と時間』の中で、人間(現存在)と呼ばれる)を「世界内存在」と規定し、従来の考えを厳しく批判したからです。

しかし、「世界内存在」と言われても、常識的な意味で考えると、ほとんど無意味な規定のように見えます。「人間が世界のうちに存在しているのは当たり前ではないか!」というわけです。その規定で、ハイデガーは何を意図しているのでしょうか。

対比的に想定されているのは、デカルト“が「世界」と呼ぶ宇宙的な自然です。自然科学で取り扱うような宇宙が、デカルトの世界です。こうした自然科学的な世界に対して、ハイデガーはまったく違った「世界」を打ち出しています。

ハイデガーが想定する「世界」は、人間が道具を使うという場面で説明されています。たとえば、ハンマーは、釘を打つというような用途(「~のため」)のもとで、使用します。

また、釘を打つのは、家を造るためです。こうして、それぞれ「~の「ため」という指示連関の全体ができ上がるわけです。

ハイデガーは、このような指示連関の全体性を「有意義性」と呼びますが、これが「世界」と呼ばれるわけです。

ハイデガーはその状況を、独特の言葉づかいで、次のように表現しています。読み取りにくいですが、道具を使う場面を考えて読んでください。

現存在が、おのれに指示するという様態においてそのうちでおのれを先行的に了解している場、これが、存在者を先行的に出会わせる基盤なのである。おのれに指示しうう了解することがそのうちでおこなわれる場が存在者を適所性という存在様式において出会わせる基盤なのだが、そうこた場が世界という現象なのである。

ハイデガーは、デカルトのような自然科学的な世界(宇宙)の中での存在者のあり方を「事物存在(Vorhandenscin,手前存在)」と呼び,道具的な有意義性のもとで理解されている存在者のあり方を「道具存在(Zuhandensein、手もと存在)」と呼んで区別しています。こうした道具的な存在者を有意義性のもとで了解しつつ使うのが人間であり、そのあり方を「世界内存在」と呼ぶのです。

このあり方は、物理的な自然を事物として観察する態度ではなく、もっと親密な形で世界とかかわる交渉と見なされ、いわば理論以前的な実践的な態度だと考えられています。こういう実践の中で全体として解されているのが、「世界」というわけです。

ハイデガーの独特の言葉づかいのため、やや分かりにくいかもしれませんが、同じ「世界」といっても、事物性の総体と見るか、有意義性の連関と見るかによって、まったく違った様相を帯びてきます。ハイデガーは、道具性という使用にもとづいて、個々のものおよびその連関の全体を、「世界」と呼んだのです。

ハイデガーはその状況を、独特の言葉づかいで、次のように表現しています。読み取りにくいですが、道具を使う場面を考えて読んでくださ

現存在が、おのれに指示するという様態においてそのうちでおのれを先行的に了解している場、これが、存在者を先行的に出会わせる基盤なのである。おのれに指示しつつ了解することがそのうちでおこなわれる場が、存在者を適所性という存在様式において出会わせる基盤なのだが、そうした場が世界という現象なのである。

ハイデガーは、デカルトのような自然科学的な世界(宇宙)の中での存在者のあり方を「事物存在(Vorhandensein、手前存在)」と呼び、道具的な有意義性のもとで理解されている存在者のあり方を「道具存在(Zuhandensein、手もと存在)」と呼んで区別しています。こうした道具的な存在者を有意義性のもとで了解しつつ使うのが人間であり、そのあり方を「世界内存在」と呼ぶのです。

このあり方は、物理的な自然を事物として観察する態度ではなく、もっと親密な形で世界とかかわる交渉と見なされ、いわば理論以前的な実践的な態度だと考えられています。こういう実践の中で全体として了解されているのが、「世界」というわけです。

ハイデガーの独特の言葉づかいのため、やや分かりにくいかもしれませんが、同じ「世界」といっても、事物性の総体と見るか、有意義性の連関と見るかによって、まったく違った様相を帯びてきます。ハイデガーは、道具性という使用にもとづいて、個々のものおよびその連関の全体を、「世界」と呼んだのです。

世界は成立していることがらの総体である

「世界」という概念を、きわめて短い表現で簡潔に示しているのが、オーストリア出身の哲学者ヴィトゲンシュタインです。彼が『論理哲学論考』の冒頭で「世界」について与えた規定は、「世界」という概念の意味を考える時、誰もがふまえるべき論点になっています。『論理哲学論考』という本は、論理的な厳密性にもとづいて番号づけが行なわれていますが、その中でもっとも原理的な位置を占めるのが「世界」に関する規定です。次のように述べられています。

1.世界は成立していることがらの総体である。
1.1世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。
1.11世界は諸事実によって、そしてそれが事実のすべてであることによって、規定されている
1.12なぜなら、事実の総体は、何が成立しているのかを規定すると同時に、何が成立していないのかをも規定するからである。
1.13論理空間の中にある諸事実、それが世界である。
1.2世界は諸事実へと分解される。

この表現で、「世界」がどのようなものか、明確に示されていますが、あまりに簡潔なので、かえって分かりにくいかもしれません。たとえば、「成立していることがら(wasderFallist)」とか、「事実(Tatsache)」とか「もの(Dinge)」と言われても、奇妙な表現に感じるのではないでしょうか。いったい、何が言いたいのでしょうか。

まず、「成立していることがら」というのは、現実において実際に成立していることを意味しています。たとえば、私には兄弟がいますが、他のこと(一人っ子であること)も可能だったでしょう。可能性としては、さまざまありますが、現実にはそのうちの一つが起こったわけです。こうして現実に成立していること、それをすべて集めたものが「世界」というわけです。

つぎに、「事実」と「もの」が対比されています。「事実」というのは、「ものがかくかくである」ということを表わしています。「猫」とか「犬」などは、「もの」に当たりますが、「猫が木に登る」とか、「犬が吠える」というあり方は、事実になります。ヴィトゲンシュタインによると、ものの総体が世界ではなく、「ものがかくかくしかじかである」という事実の総体が、世界なのです。

したがって、世界は全体だとしても、「もの」をどんなに集めても世界にはならないのです。ここで「事実」というのは、言語的に言えば、単語ではなく、文で表現されるものです。文で表現される事実を要素として、世界は成り立っているのです。

ヴィトゲンシュタインが定義した「世界」は、一見したところ抽象的に感じますが、「世界」を考える時、もっとも包括的な規定といえます。

 第3章 社会を「世界」に変える
全体が個を成り立たせる世界
個の自立を支援する中間
存在の意識から個の覚醒を図る
多様化に対応して中間を自立させる
個の目的をコミュニティで共有する
個の目的達成を支援するコミュニ ティ
個の目的達成を中間の目的とする
合意して行動するユニット構成

 奥さんへの買い物依頼
もも肉          262
食パン8枚   118
ドミチキプレート          498
刺身            480
卵パック       228
牧場の朝      168
焼きそば      198
味噌もつ鍋   358
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哲学にとってすべてを表現するのが「世界」

 哲学にとってすべてを表現するのが「世界」
 そうなると私は私の世界が成り立つ
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自分の数学を作りなさい

 21歳、学部3年の夏休みの宿題は「自分の数学を作りなさい」だった インバリアントで空間を割る 必死になって作っていた ひよりこうだよ 空間を相手にしたかった 50年間 それをなんかやってきた 数学は作るもの
 今日の奥さんへの買い物依頼 結果
11月9日(木)  ¥4710 本当に生活できない
ジンジャーエール
そうすいの素
味のり
お茶
ブルコギ
さば味噌煮
チキンラーメン
コーンクリーム
イカ塩辛
豚ももしゃぶしゃぶ
ししゃもフライ
チョコレート効果
食器洗剤
 てれさはすごい スーパーアイドルを目指してる のは本気なのかもしれない 福神になってもミーグリの勧誘を真剣にやってやる #池田瑛紗

 奥さんへの買い物依頼
ジンジャエール           148
雑炊の素      98
味のり         398
お茶 138
ブルコギ       350
柿   399
さば味噌煮   278
チキンラーメン           368
コーンクリームポタージュ          298
イカ塩辛       298
豚ももしゃぶしゃぶ      408
ししゃもフライ 278
チョコレート効果         598
食器洗剤替え 298
卵パック       248
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数学とは個からなる

 数学とは個からなる 全体を作り出すこと
 本を処理するとは 概要 から詳細へのプロセス つまり 歴史とは逆の方向
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『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』

『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』

独我論

論理空間を構成する対象について論じていた人が、あるいは真理操作の基底となる要素命題についてそれまで論じていた人が、ふいに「だから、独我論は正しいってわけだ」などと言い始めたならば、やはりとまどうだろう。「なぜいきなり独我論なんだ」と聞き返さずにはおれない。『論考』五・六一五・六四一がまさにそうなのである。それまで論理と命題の意味について論じていたウィトゲンシュタインが、突然こう切り出す。

五・六私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。

ここまで『論考』は「私の言語」などという言い方をいっさいしてこなかった。なぜ「私の」言語なのか。そしてその少し後でこう述べる。

五・六二独我論の言わんとするところはまったく正しい。ただ、それは語られえず、示されているのである。

この唐突な展開は、あたかも『論考』が別の話題を論じ始めたかのような印象を与える。しかし、そう思っていると、五・六四一が終わり、六に入って再び真理関数の一般形式についてのコメントが始まる。ふつうに読めば、五・六―五・六四一が前後から切断された飛び地のように見えてしまってもしかたがない。この違和感を取りのぞき、これらの諸節をその前後に自然に接続させるよう『論考』の独我論のありかを読み解くことが、この章の課題となる。

10-1『論考』の独我論は現象主義的独我論ではない

この違和感、五・六一五・六四一が分離してしまっているという感じは、ここでウィトゲンシュタインが「正しい」と共感している独我論をよくあるタイプの独我論、すなわち現象主義的な独我論と解することによって増幅される。あらかじめ述べておくならば、私は『論考』の独我論は現象主義的な独我論ではないと考えている。しかし、そうだとすると、ではそれはどういう独我論なのかという問いがただちに問われねばならない。順に検討していこう。まずは現象主義的独我論なるものを押さえておく。

現象主義は、すべてを私の意識への現れとして捉えようとする考え方である。たとえばいま私には机の姿が見え、その上に何冊かの本が重ねられているのが見え、窓の外では蝉の声が聞こえている。また、少し蒸し暑いと感じ、こめかみの奥に軽い頭痛を感じている。現象主義はこうした現れ=現象だけを受け取る。与えられたものはただそれだけでしかない。

こうして、ただ現れるものだけを厳格に禁欲的に受け取ることにおいて、現象主義は独我論へと踏み込んでいく。現象主義のもとでは、たとえば他人の頭痛などは意味を失う。他人の痛みは私には現れえない。もし私に現れたならば、それは私が痛いということであり、私の痛みでしかない。あるいはまた他人の知覚も私には現れえない。「他人の意識」あるいは「他の意識主体」、そう呼ばれうるようなものは現象主義の受け取る世界にはもはや何ひとつない。他我が消え去り、ただ自我のみが存在する。すなわち、独我論の世界が開ける。

さらに、他人の意識を抹消することによって、現象主義はその現れを「私の意識への現れ」と言うことさえできないことになる。現れはすべて私の意識への現れでしかありえず、それゆえむしろそれを「私の意識」と言い立てることにはポイントがなくなるのである。意識主体たる私は意識の内には現れえない。かりに意識された私がいたとして、それは意識主体たる私ではない。その場合にも、そこで意識された私自身を意識している私がいる。

意識主体たる私は意識への現れを受け取る主体であり、それはそうした現れを超越しているのでなければならない。そして他人の意識は現れえないのだから、私は現れを私への現れと他人への現れとに区別する必要もない。ただ、現れがある。これが現象主義の開く世界にほかならない。

こうした現象主義がその現れの世界を記述するとき、それはどうしたってある独特な言語にならざるをえないだろう。たとえば「彼女はひどい歯痛に悩まされている」という日常的な言い方は、それが痛みを感じる意識主体たる彼女を想定していることにおいて拒否されねばならない。あるいは、「私は少し頭が痛い」という言い方における「私」もまた、現れを受け取る主体としての自我それ自身は現れえないという理由で、消去されねばならない。

現象主義が採用するそのような言語を、ウィトゲンシュタインは『論考』以後の移行期の著作において「現象言語」と呼びもする。ただひたすら現れのみを記述する言語、ウィトゲンシュタインはそれを次のように説明している。

私、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(LW)が歯痛を感じている場合、このことは「歯痛がある(esgibtZahnschmerzen)」という命題によって表現される。しかし、「Aが歯痛を感じている」という命題で現在表現されていることに対しては、「Aは歯痛があるときのL・Wと同じようにふるまう」と言われる。これに類比的に「思考が生じている(esdenkt)」とか「Aは思考が生じているときのL・Wと同じようにふるまう」とも言われる。(『哲学的考察』、第五八節)

意識現象に対して、「私」とか「彼女」といった人称的主語を拒否し、ただ現れだけを記述する。ちょうど「雨が降っている」を英語で‘It’sraining.“と言い、あるいはドイツ語で‘esregnet.’と言うように、いわば非人称化する。それが、現象言語にほかならない。そしてウィトゲンシュタインはこのような言語への関与をかつての自分に認め、それを批判する。

現象言語――あるいは私のかつての言い方では「一次言語」は、いまの私には目標とは思えない。もはやいまの私はそれを必要とも思わない。(『哲学的考察』、第一節)

以前私は、通常われわれみんなが使っている日常言語と、われわれが現実に知っているものを表現する基本言語、すなわち現象を表現する言語とが存在すると考えていた。私はまた、前者の言語体系についても、後者の言語体系についても、語ってきた。私はここで、なぜ私がもはやこの考えに固執しないのかを述べよう。(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』、一九二九年一二月二二日「独我論」の項)

ここで批判されているかつての自分自身として、当然われわれはそれに直接先立つ著作である『論考』を思うだろう。では、『論考』のどこに、『論考』の言語が現象言語であることを示唆するものがあるだろうか。

ここまでわれわれが辿ってきた道筋を振り返ってもらえればそれでよい。私は『論考』の議論をほぼその順序にしたがって拾いあげてきた。よい機会だから、おさらいを兼ねて、『論考』の節番号に即して整理してみよう。

まず一番台で出発点となる現実世界について確認する。世界は事実から成り立つ。二・○番台で世界の可能性へと目が向けられ、それに伴って二・一番台で像に関して一般的に論じられる。

三・○番台で像としての思考について軽く触れたあと、三・一番台から像ということで中心的に考えられている命題についての検討に入る。以下三番台は主として命題の名への分析について論じられ、続く四〇番台で主として命題の意味について論じられる。この三・一から四・○番台までが、『論考』の理論的中心の前半を成す。名前をつけるならば、「要素命題論」と呼べる部分である。

ここで少しインターバルが入り、哲学についてのコメントが挿入される。そしてそのあと残りの四番台では要素命題と複合命題について論じられる。ここからが『論考』の理論的中心の後半になる。名前をつけるならば「真理操作論」と呼べる部分である。そして五番台は、真理操作という観点から論理について論じられる。それが五・五番台まで続く。そして、五・六番台である。
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