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テーマの完結性

豊田市の飲食店

 駅前のサブウェイが土曜日に閉店するそうです。豊田市には合わないですね。スタバだけが異常です。滞在できるからでしょう。食事するだけでは駅前はダメです。

 うどん屋:「オーダー待ち」と言ったら、ちゃんと待つように。なぜ、聞きに来ない。

テーマの完結性

 テーマの細目をもう少し、絞り込みましょう。表現豊かに。テーマの完結性を求めます。テーマの完結性を追求して、項目の幅を拡げます。ジャンルに捉われない。そのための多層化です。それを私の世界のすべてに入れ込みます。

 項目の完結性よりも項目のコンパクト性を狙いましょう。コンパクトは開であると同時に、閉である。対応するメインをどこに入れ込むのか。雑なものは雑にしておきます。雑なものはエクセル側で管理しておきます。

あと2か月の生活

 12月です。1月末、退社とすると、2カ月です。一カ月間で、パートナーがどこまで成長するか。なるべく、食べないようにしましょう。

 取りあえずの習慣。土日の10時~12時までは元町スタバにします。パートナー記念です。

 午後は図書館へ行くパターンと家で入力するパターンを事前に決める。家での入力の時に、どうしても、モノを食べる。あれはどうにかしないといけない。決まったものしか食べない。

 朝はスタバのコーヒーとクッキーにしておきましょう。折り合えず。

 退職後の昼をどうするか? 自費ではきつすぎるので、未唯と同様に家で食べましょう。食べない生活にシフトします。
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国家戦略特区に住民自治の考えをどう活かすか

『国家戦略特区』より 国家戦略特区と住民自治

第一に、憲法第九五条との関連である。住民自治の復権の観点からも、国家戦略特区法に憲法第九五条を適用する可能性を探るべきだ。そのメルクマールは、住民自治の保障の趣旨からすれば、前述の那覇地裁判決における「駐留軍用地特措法は一の地方公共団体の組織、運営又は機能について他の地方公共団体と異なる定めをした法律ではなく、同法が一般的∴佃象的性格を有しており、沖縄県のみに適用される特別法になっていない」という形式的な理由ではなく、実質論として「当該立法が適用されることによって、特定地域住民が不利益を負う場合」には第九五条の適用がありうるという方向で、再構成する必要があろう。

政治的・市民運動的にも、国家戦略特区が憲法で保障された住民自治、さらに憲法第九五条の精神に反しているという問題提起は、一定のインパクトをもつであろう。

第二に、条例制定の直接請求・住民投票条例である。地方自治法第七四条は、選挙権を有する者すなわち住民が条例の制定または改廃の請求をすることができると定める。地方議会においても選挙で選ばれた議員が議会において条例を制定すること(間接民主制)となっており、それを補完するものとして認められているのだ。とくに、首長選挙や議員選挙時に争点となっていなかった事項について、議会に白紙委任したことにならないことから、間接民主制と両立する制度である。

その手続きは、地方公共団体の選挙権を有する総数の五〇分の一以上の連署をもって、その代表者から、地方公共団体の長に対し、条例の制定または改廃を請求できるとする(I項)。請求があった場合、地方公共団体の長は直ちに請求の要旨を公表しなければならないとされ(2項)、請求を受理した日から二〇日以内に議会を召集し、意見をつけて議会に付議し、その結果を代表者に通知し、公表しなければならないとする(3項)。議会が付議された事件の審理を行うにあたっては、代表者に意見を述べる機会を与えなければならないとする(4項)。なお、議会が条例制定を否決すれば、争うことはできない。

直接請求の一形態として、住民投票条例を求めることも可能である。つまり、国家戦略特区採用の是非について、住民投票を行うという主旨の条例制定請求である。また、個別政策についての住民投票条例だけでなく、常設型の住民投票条例を採択している市町村もある(二〇一三年三月三一日現在、五三市町村)。そこでは、その要件にあたる住民の連署によって住民投票の実施を求めることになる。

今後、国家戦略特区に指定された市町村で、住民の意思を反映させる取り組みの進展を期待したい。

第三に、選挙での争点化である。二〇一四年二月の東京都知事選挙では、「アベノミクス、安倍首相の暴走をストップ」を掲げ、国家戦略特区構想についても一定の争点化か行われた。その結果、問題点が住民に理解される端緒となったと言えるだろう。

自民党一人勝ちの現状で衆議院選挙が政治日程にすぐには載ってこないとすると、二〇一五年春の統一地方選挙が、国家戦略特区に手を挙げた市町村、およびその計画がある市町村の住民の意思を示す大きな機会となる。そこで問題点をあぶり出し、反対する議員を多く当選させる必要がある。

たとえば原子力発電所の再稼動反対と即時廃止については、地方議会議員、その候補者によるネットワークが形成されている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)についても活発な反対運動が行われてきた。国家戦略特区はTPPの前倒しとも言われている。TPP交渉で米国が要求する規制緩和策や非関税障壁の撤廃を前倒しにする側面をもつからである。

ところが、国家戦略特区については反対運動が盛り上がっていない。その背景には、十分な情報公開がないなかで、既得権益の岩盤を打ち破れば新たな経済成長が起こり、暮らしがよくなるという、政府のみならずメディアも含めた誘導があるように思えてならない。

繰り返しになるが、一九九〇年代以降の労働関連の規制緩和が不安定雇用と低賃金を生み出した。それによって大企業が内部留保を溜め込んで格差が拡大し、日本の消費支出が低下し、デフレ現象を惹起したのではないのか。規制緩和が日本の暮らしにどのような影響をもたらすのか、注意深く観察し、情報を発信していかなければならない。
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「悪の凡庸さ」について

『自然資本経営のすすめ』より 接続可能性の課題:限り合う自然資本

これまで、消費拡大を続ける物質文明のなかで、地球の「生物圏」と「地殻」にある自然資本は限りあるもので持続可能性がいかに危ぶまれているかということをいろいろな視点から述べてきました。それらは、すべてサプライ・サイド(供給側)の課題でした。自然資本経営を進めようとするとき、そこに立ちはだかるディマンド・サイド(需要側)の問題があります。それは、消費者としての人々の価値観です。このディマンド・サイドの意識の変化なくして自然資本経営は難しいのです。

そのことに気付かせてくれるのが「悪の凡庸さ」です。

ナチス・ドイツの第三帝国時代、一九○六年生まれのユダヤ人哲学者、ハンナ・アーレントという女性が一九三三年パリに亡命しました。そして一九四一年、パリがドイツに占領されるとアメリカに亡命しました。一九六〇年にナチの超A級戦犯、アイヒマンが逃亡先のアルゼンチンでイスラエル諜報機関に逮捕されて裁判にかけられることになりました。彼女はその歴史的な裁判に立会い、ザ・ニューヨーカー誌に取材レポートを発表しました。そのレポートが全世界に衝撃を与えたのです。その衝撃は裁判の審理過程とか、その判決(絞首刑)ではなく、彼女の造語の「悪の凡庸さ」(the banality of evil)についてなのです。ヨーロッパのユダヤ人を何百万人(四五〇~六〇〇万人といわれる)も強制収容所に送った極悪非道な悪魔としての犯罪人、アドルフ・アイヒマンを、なんと、「ただ単に上司の命令でやっただけで、極めつきの悪魔でもなんでもなく、ごく普通の小心で凡庸な一市民に過ぎなかった」というのですから、彼女はたちまち世界中のユダヤ人同胞を含む多くの人たちから激しい非難をあびることになりました。しかし、彼女はアイヒマンを擁護したわけではなく、なんの悪意もなくごく平凡な一介の市民でも体制とか「主義」、組織の命令にしたがって、平然と、職務として徹底的に邪悪なことを平然と遂行するということを主張し続けました。そして、ナチズムという全体主義を導いた大衆社会を批判したのです。裁判の過程に立会い、感情に流されることなく冷徹に思考力を働かせて得た結論でした。

さて、この「悪の凡庸さ」の思考を現代消費文明社会に当てはめてみると、「悪の凡庸さ」を発生させる源がいろいろとあることがわかります。それは、経済成長至上主義であり、金融帝国主義であり、市場原理主義であり、過剰消費を煽るコマーシャリズムです。これらは、自然豊かな発展途上国で資源収奪を行い、それにともなう人権・労働・環境・腐敗など深刻な問題を引き起こす消費文明の源なのです。ルワンダ、ウガンダ、コンゴ民主共和国における紛争にともなう大虐殺。まさにJ買源の呪い‘がいまも続いています。しかし、限りなく便利さ快適さを提供してくれる現代消費社会の恩恵を受けている先進諸国の善良な市民が、スマホ、自動車、家電製品などのサプライチェーンの最上流で起きている貧困や、熱帯雨林などの森林破壊、そして先住民族の強制移住、奴隷労働、児童労働などの人権侵害に間接的に加担しているとはつゆ知らず日常生活を送っているのです。現代消費社会の倫理的欠陥ともいえましょう。アイヒマンは自分が犯した罪に対する自覚もなかったということです。彼のような人間は、どこでもいつでも存在するということなのでしょう。

大衆社会を操る現代消費拡大文明の目に見えない全体主義が自然資本経営の前には立ちはだかっているといえるのではないでしょうか。
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公立図書館こそ、指定管理者制度の導入を

『公共ファシリティマネジメント』より 「直営vs民間」の不毛な対立を超えて~公立図書館こそ、指定管理者制度の導入を

画―的な日本の図書館と社会変化に対応する米韓図書館

 筆者はこれまで、国内外の多くの公立・公共図書館を見てきたが、その経験から確実に言えることは、我が国の図書館においては、ハードウェアとしての「館」(建築、インテリアデザインとも)は、地域特性を考慮した管陛的なものが整備されるようになってきたものの、ソフトウェアは、閲覧、貸出・返却、読み聞かせを中心に、それはどの個性が発揮できていないことである。

 逆に最も印象深かいのは、ニューヨークのマンハッタンの中心部にある「ニューヨークパブリックライブラリー」である。この図書館は、100年以上を経たネオゴチック建築の素晴らしさはもちろん、数百万点の閉庫書架にある資料が、20分程度で閲覧可能になる一方、貸出は行わないという調査研究に特化した図書館である。当初から、様々なデータベースの利用も無料であった。ライブラリーツアーに参加すれば、数十年前に身寄りの無い移民が、この図書館の経済・投資データを活用し、近くのウォールストリートで莫大な財産を築き、亡くなったときに、その全財産を図書館に寄付したおかげで、現在でも無料で誰もが利用できるという説明も聞くことができるにの図書館は、ニューヨーク州からの補助はあるものの、公立ではなく財団で運営される公共図書館である)。

 また、10年程前には、米国の主要大学における図書館のメインフロアからは「図書」が消えて、コンピュータとラウンジを配置した「ラーニング・コモンズ」に変わっていたことにも、知的生産・交流手法の変化への対応を学ぶことができる。

 そして、韓国の図書館をみれば、国立デジタル図書館が整備され、また、中核的図書館には数十台のコンピュータが配置されて、無料で誰もが使える状況にある。一方で、放課後の児童を始め、近隣の市民が気楽に立ち寄れる180㎡程度の「小さな図書館」がまちの津々浦々に整備され、幼少の頃から英語に慣れるために英語の絵本を揃えて楽しみながら学習する「子ども英語図書館」まで、様々な形態と規模の図書館が整備され、我が国の図書館とは全く違う環境にも、驚かされる。

 韓国の地域や利用者の特性に対応した、様々な図書館サービスの展開は、韓国の図書館法をみると、その理由がわかる。

 日本の図書館法は、自治体が設置する「公立図書館」とその他の「私立図書館」しか定義されていない(一般に使用されている「公共図書館」は、法律的には存在していないことに注意)。しかし、韓国の図書館法は、公共図書館として、自治体が設立した図書館、民間団体が設立した図書館の他に、小規模文庫、障がい者図書館、病院図書館、兵営図書館、刑務所図書館、子ども図書館を個別に定義するとともに、大学図書館、学校図書館、専門図書館というように10以上のカテゴリーに分類している。また、条例で定めれば、使用料も徴収できるという規定もある。そして、図書館政策への対応として、大統領府のもとに「図書館情報政策委員会」を設置し、「図書館発展総合計画」と「用途別施行計画」の作成も義務づけている。当然、国と自治体には財源の確保を義務付けるが、日本の図書館法では、国が「補助できる」という規定しかない。

機能の分離と組み合わせ

 武雄市立図書館の「実験」は、図書館行政に大きなインパクトを与えたことは確かであるが、公共施設全体にとっても、これまで欠けていた「ミッション」に関する議論が必要であることを示した点でも大きな意義がある。

 前述したように、従来の図書館は、施設は管吐的でも、サービスは非常に似通って、共通していたのが実情であった。しかし、図書館の利用形態を観察すると、市民は様々なサービスを求めていることがわかる。

 まず、図書の貸し出しであるが、その大部分は文芸書と実用書である。そして、子どもへの読み聞かせ、レファレンス、新聞・雑誌の閲覧、調査研究、学習スペース、そして、限定的ではあるが、飲食である。

 これらの機能は、一つの「図書館空間」において、フルセットで提供する必要はあるだろうか。予約をインターネットで行い受け取り・返却するには、札幌市の「大通りカウンター」のように、主要駅前のカウンターのみでよいだろう。

 同様の海外事例として、台北市では、貸出機能に特化した「無人図書館」が市内の交通利便な場所に設置されている。

 一方、子どもへの読み聞かせは、公民館でも近くの「集会室」でも可能であり、親同士の子育て交流機能も果たすことができる。雑誌・新聞の閲覧ならば公民館でもよい。逆に調査研究、レファレンスは、全般的な要望に応えるためには、50万冊以上の蔵書を持ち、大学院修士号を取得したような専門司書を配置した(県立図書館のような)大型図書館が必要であり、これは人口40万人程度(中核市)以上でなければ対応できないだろう。生徒・学生向けの学習スペースは、様々な身近な公共施設を活用できるし、民間の有料サービスも提供されている。

 図書館の機能を考えれば、必ずしも、一般にイメージされる図書館ですべて実現する必要は無いことがわかる。また、すべての機能を利用するために図書館を訪れる市民はほとんどなく、大部分の市民は一つないし、二つ程度の機能を求めて来館するのであるから、部分的な機能は、庁舎、学校、公民館、博物館などで実現できることにもなる。

 武雄市立図書館は、人口5万人の地方都市において、「都会的な雰囲気を昧わえる快適な公共空間」を「図書館」という概念で実現した成功例である。ただし、他の地方都市で、同じようなサービス提供が可能かどうかは、質の高い施設、マーケティングやマネジメント手法にすぐれた企業、設置自治体の状況などの要素を十分に考える必要がある。公共施設マネジメントの観点からは、武雄市立図書館の成功は、サービス(機能)と施設の組み合わせのイノペーションととらえるべきではないだろうか。
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考えることについて

『ヴィトゲンシュタインの言葉』より

他の誰も自分のようには考えてくれない

 自分独りでじっくりと考えなければならない。他の誰も、自分のようには考えてはくれないのだ。

 自分の頭に帽子を乗せるのが自分だけであるように、考えることはつねに自分がしなければならない。

きみがいいと思ったら、それでいい

 誰かがそれはくだらないと言ったのかい。頭から否定したのかい。すばらしいと賛成してくれたのかい。

 否定されようが、賛成されようが、きみがいいと思ったら、それでいいじゃないか。否定も肯定もたんに表現にすぎない。言葉にすぎない。誰かから何と言われようと、それで事実がほんの少しも変わってしまうわけじゃない。

比べるのは悪い癖だ

 比べる癖はよくない。比べて価値の優劣を決めたがる悪い癖はもうやめよう。

 どんな人にもどんな物にも、それぞれ自分にとっての価値や美しさがあるのだから。

 たとえば、デザインのすぐれたソファと、恋人と行く劇場の入場券。この二つの価値を比べることは途方もなくナンセンスだ。

 お金で買えるものにしてもこういうふうに比べることなんかできない。だから、わたしたちのたいせつなものに関しては、言うまでもないことだ。

考えるとは、映像をつくり出すこと

 考えるということは、要するに自分で何か映像をつむぎだしていくということだ。

 何かが、あたかも自分の眼にはっきりと映るかのようにしていくのが「考える」ことだ。どんな人でも、結局はそういうふうにして考えている

直線的に考える癖がある

 わたしたちはいつも直線的に物事を考える癖がある。

 したがって、たとえば自分の将来について思いをめぐらすとき、今の自分の状況から将来がどう直線的につながっていくかというふうにまっすぐな線を引いて考えることが多い。

 また、世界がこれからどうなるかということを考えてみるときですら、今の世界の動きがさらに進展していくという前提で未来の予想を立ててしまうのだ。

 今の世界の動きから突如として変貌していくとか、そのつど世界が変化を続けていくといったふうに考えたりはしないものだ。しかし、実際の世界はそういうふうに動いているのではないか。

別のルールで考えろ

 障碍があるからといって苦しんでいるのか。障碍があるから断念をするのか。その障碍に負けそうになっているのか。

 だとしても、どんな障碍も乗り越えることができる。

 そのために、頭を切り替えろ。すっかり切り替えろ。これまでの考えをすっぱり棄て、世間で考えられていることをもすっぱり棄てるのだ。そして、まったく別のルールを使うのだ。今までのルールではなく、別のルールで考えるのだ。

 この道でたどりつけなかったら、別の道を行くというように。そこには、今きみの前に立ちふさがっている障碍は存在しえないのだから。

つまらない考えに揺さぶられていないか?

 風が吹いてきて、木を揺さぶる。風は大木をも揺さぶる。

 わたしたちもそんな木々のようなものだ。つまらない考えに、くだらない考えに、どうしようもない思いに、心を揺さぶられている。

難問は雑草のように根こそぎ引き抜け

 地面にちょろちょろとしか生えていない雑草を引き抜こうとしてもまったく手に負えないときがある。大きくて複雑な根が土の中に深くはびこっているからだ。

 難問とはえてしてそういう厄介なものだ。今までのやり方で解決できるものではない。目に見えるところだけ対処していてもどうにもならない。根こそぎ引き抜く必要がある。

 そのためには、これまでになかった新しいやり方で対処しなければならない。その新しいやり方を考え出すために自分がまったく新しい人格にならなければならないほどの。

常識の中に逃げるな

 生きている限り、さまざまな問題が立ち現われてくるものだ。その問題と真正面から取り組め。格闘せよ。決して逃げるな。

 常識を持ち出してきて、その問題の解決としてしまうな。常識にしたがえばこうだから、という言い訳をするな。誰もが知っている常識はその場の人々をなだめはするが、実際の解決にはならない。

 だから、問題の泥沼にどっぷりとつかり、じたばたしながらも必死に闘え。そしてようやく勝って、自力で泥沼から這い出るんだ。

本当に理解するには生活経験が必要だ

 「それは学校で習ったから知ってる。こっちのほうはまだ習ってないから知らない」と、子供たちは言うものだ。しかし、子供たちが言う「知ってる」とは、理解しているという意味ではない。ただ、そういう言葉があることを知らされたという程度でしかない。

 彼らが何かを本当に理解するためには、生活の経験がもっと必要になる。というのも、子供にしても大人にしても、自分の体験、自分の生活と噛み合っているものしか充分には理解できないからだ。知性だけでは理解できない。
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心について

『ヴィトゲンシュタインの言葉』 より

愛は実験できない

 愛はあたかも感覚であるかのように錯覚されるだろう。しかし愛は、感覚ではない。

 なぜならば、痛みのような感覚はあとからつねってみたりして実験することができるからだ。

 愛はそういう感覚とはちがって実験することができない。

愛とは相手を操作することではない

 もし、それが正しい愛情ならば、愛する人をいつも自分の手の内でもてあそぶようなことはしないのではないだろうか。

 いくら熱く愛していようとも、相手は自分の玩具ではない。そしてまた、愛という理由だけで相手を支配することはできないはずだ。

 愛する相手もまた、一人の人間だ。そうである以上、偶然や危険、不安、自己超克、苦悩や歓喜を、すなわち人生そのものを知るべきだろう。

 それなのに、相手のためとして自分がすべてをしつらえて人生を操作しようとするのはあまりにも傲慢なことだろうし、愛することとはまったく別のことなのではないだろうか。

愛こそが幸福そのもの

 愛されると嬉しい。愛されないと淋しい。

 愛されなくても、愛することができれば満たされる。

 愛が欲しくて見つめる。少しでも愛が感じられれば、胸が暖かくなる。

 愛するものがあれば夢中になれる。

 そういう愛の代わりになるものはこの世に何もない。幸福と呼ばれるものの中には必ず愛が含まれている。

 いや、愛こそが幸福そのものなのだ。

隣人愛も利己心を免れない

 利己心がわずかでも含まれていない隣人愛というものはあるだろうか。苦しむのなら、善に加担して苦しみたい

 どうしても苦しまなければならないというのならば、自分の中に住む善と悪の闘いにおいて善のほうに加担し、そこから生まれてくる苦しみに甘んじたい。

 自分の中に住む悪とまた別の悪の醜い闘いで苦しむよりずっとましだと思うから。

 独創性とは、新しい土地あるいは新しい種子

 独創性は、二つのものにたとえられる。

 たとえば、土地だ。誰も知らなかった新しい土地を発見するのが一つの独創になる。

 もう一つは種だ。多くの人の足が踏んできた古い土地であっても、そこに新しい種を蒔けば、今まで見たこともない花が咲き、誰も知らなかった実を結ぶ。

 本能は理性に勝る

 実際に人を動かしているものは、なんといってもまず本能である。

 理性的判断が働き、それが人の行動を左右していくこともあるが、その力の強さはどうしても本能の次になってしまう。

 誰もが人生の悩みを抱えている

 賢い人も愚かな人も、誰もが悩んでいる。多くの人は悩みなどないような顔をしたり、にたにたと笑っていたりするけれど、それぞれに悩み。があるものなのだ。

 自分が悩むときとちがう顔をしているように見えたとしても、誰もが人生の悩みを抱えている。ただ、その表情がそれぞれ異なるだけにすぎない。

 自尊心は身体に支えられている

 人を支えている尊厳。たとえば、自尊心や威厳といったもの。それらはたんに崇高に見える概念ではない。

 それどころか、自分の身体が満ち足りていて正常な場合にのみ、そのような概念を人は持ちえるのだ。

 疑うのならば、そういった概念を持っている人を縛りつけ、その指、両足、鼻、耳などを削ぎ落としてみればいい。いったい、彼の自尊心や威厳はいつまで前のように保たれているだろうか。
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会社の未来予測

スケジュール表

 スケジュールは本当に難しい。どうすればいいのか。まあ、ふつうの雑記帳と思えばいいでしょう。過ぎたら関係ないのだから。

パートナーの相談メール

 昨夜、10時半にメールが入っていた。会社に寄って、この時間に帰ったとのこと。私は寝ていた。4時半にメールを打ち返した。

 あのGに関しては、所在亡きという言葉がぴったりです。多分、疲れ切って来るのでしょう。申し訳ないけど。

会社の未来予測

 この会社はどんどん商品が売れなくなる。これだけは確かです。商品の性でも、販売店の性でもない。メーカーとして、全体を見てないことから起こることです。それが大きな誤解で隠される。

 なぜ、こうなるか分からない内に、どんどん状況は悪化します。現在のマクドナルドの二の舞です。集客を焦って、色々なことをやるけど、それがお客様に届かない。多分、一人負けみたいになっていく。全体を考えて、先を見ることを皆が行わないといけない。

 それを防ぐジャンヌ・ダルクがパートナーと信じている。

 AKBフェスティバルに7万人が集まる時代です。あの小さな人間が伝わるかどうかわからない。小さいことを意識していることが救いです。やはり、人との関係がメーカーにとってもキーです。スタッフの笑顔がマックを救う! 技術を頼ってはダメです。

多層化表現の次元

 どのレベルで合致するかは大きさによって違います。それを表現します。

 3レベルまで可能です。

10時からのスタバ相談

 自分たちが何をしたらいいのかは、地域の担当でやり方が異なるので、室にどう渡していくのか。状況だけは知ることが役割。偶々、言ったら、言われたのではコミュニケーション不足です。長野は来店型でやってきた。今後のタブレットで地域社会にどう絡んでいくかの支援はしないといけない。

 要件書を書いていて、時間が掛かってしまった。次の人で変わってくるので、手を離さないとしょうがない。小集団はグループ全体に絡むのがポイント。皆に意見を言わせるのが目的。マネジメントができていないのが、問題。

玲ちゃんの様子

 会社からは思ったデータが出ないから、改竄することを言われて、ストレスになっていた、それが今回の病気の原因。

 集中治療室から二週間も出られないのは、100%治らないという一般病棟に移さないという方針。何か、娘が刑務所とか入っている感覚になっている。

 娘を助けに、2日から行くことにした。今回は連れては帰れないけど、12/24の日本への切符はとってあるということなので、それで帰ってきたところに、まずは、春先まで残しておきたい。

 妹はギリシャまで娘を取り返しに行く。

 この時に、父親はほとんど出てこないですね。悲しいけど。
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全体を考え、先を見る

未唯へ

 今、ICレコーダーを落としました。ネックにつけていた。気を付けないといけない。

 心のメッセージボード。もっと薄くて、中身が自動的に変わるようなものがスタンドのバリエーションになるのではないか。エイデンで見てきましょう。

 玲ちゃんへのメッセージをどうしようか。「私の希望の星です。ギリシャのために輝いてほしい」こんなことは病人に言うことではない。

スタバコミュニティ

 スレーブ・ポップを目立させるためのツールをハンズで探してきましょう。百均の方がいいかもしれない。これは週末に豊田市で見てきます。

 皆、心を伝えたがっている。それを言葉にすること。負荷のかからない、お客様ひとりに対する言葉。お客さまからのアピール・アンケートのシステムで、ポップをどうするかだけではなく、飾りをいかにシンプルにするのか、私だったらこう思うというコミュニティ。

 スタバ・コミュニティで、いかに自分たちの生活を豊かにするか。スレーブを書いています。これもIさんが私のために書いたものです。「X-LOVE」スレーブをもう少し変えれば、メッセージボートになります。心のメッセージです。問題はその奥にある思いです。お客様ひとりに対する思いです。

 それが伝われば、お客様はぐっつぐらいはいくらでも買います。繋がりを保つために。キャバクラのシャンパンじゃないから。これは握手会と一緒です。だから、握手会の券にしてもいいです。AKBよりもはるかに素敵な人がバリスタをやっています。男のことは知りません。

販売店のコミュニティ

 県を超えたコミュニケーション。チャッターを全販売店に入ります。ベースは販売店内のコミュニケーションに使い、横断的なモノをパートナーが仕切ればいいけど。それはN:Nにしていくためのツールです。新しいコミュニティのためのツールです。

 アンケート結果もその中に入れます。皆の意見を聞いていく。それを販売店の声を聞く、スタッフの立場でもある。

高度サービス業

 常に思って、待っているという姿勢が高度サービス化の基本です。人のために考えること、愛する人のために考えることが好きです。いくらでもアイデアがわいてきます。良く、考えたら、マーケティングも多く読んでいます。

 スタバは進化しないといけないというけど、進化の方向はどちらですか。今、私の持っている進化は技術の進化ではなく、シェアであり、共有です。共有意識を広げることの進化。それをカタチにしていく。システムを使わずに、思いをカタチにすることはできます。

テーマでの多層化表現

 M7教育・仕事・生活とM8環境社会との関係が微妙です。とりあえず、現行通りにしておきます。

民主主義での外部性

 民主主義には、努力やイノベーションに報いるインセンティブが至る所に内在している。人間性の潜在性のより多くの部分を引き出す。市場理論における外部性の問題。

 地球温暖化のコストと結果を考慮していない。インフラについても同じです。外部性として、市場から放逐されている。内側だけで、完結させている。その結果、格差が拡大して、弊害が負の方に展開される。

全体を考え、先を見る

 これらは全体を考え、先を見てないことから起こりうる。では、リーダーだけが全体を考えればいいのか。夫々のところが、自分の範囲を超えて、全体を考えて、先を見ること。その則とった行動。
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言葉の空間

言葉の空間

 言葉で空間を作る。ウィットゲンシュタインはそれをしたかったんでしょう。言葉に距離の概念を入れるのが難しい。数学のアイデアからすると、順列をつけるしかないでしょう。ザッツバーグもフェースブックの最初にハーバードの女子学生を二人並べて、勝敗を決めていた。これなら、距離はできます。

 大学でトポロジーの距離を習ったときは、なぜ、こんないい加減なモノになるのかと想った。それは数字の世界の常識に捉われていたからです。そして、デジタルの時代になるときに、言葉というものはどう定義したものか、難しいものになりました。デジタルを超えた、超アナログの世界で定義するしかないでしょう。

 ヒントは「ウィトゲンシュタインの言葉」にありそうです。

愛知万博の知り合い

 なぜか、フェースブックに浅野さんが載っていた。10年前の愛知万博に知り合った環境カウンセラーです。ものすごく、格好つけていた。今は、ケンタッキーにいるみたいで、格好つけて、ESDにも来ていました。自分が講義している写真が大好きです。

 枝廣淳子のミニ版です。この最近、枝廣さんの講演を聞きに刈谷に行ったけど、光るものがありました。アウトリーチの効果を知りました。

パートナーのメール相談

 パートナーのメール相談の最後に、嘆きが書いてあります。あれが好きかも知れない。嘆きを素直に訴えることができる。

 周りの人には、パートナーの人としてのこわさと面白さを分かっていないんでしょうね。

アテネの玲ちゃん

 アテネの姪に妹が合いに行くということで、頑張っているソフォクリスに「おちこち」を勝ってきたいけど、妹に渡す手段がない。

宇宙人の意味

 私は上司を当てにしたり、マネジメントを期待することはなかった。私という人間が見えていないし、自分の能力も見えてなかった。だから、やるだけやってしまった。

 電算部でさえ、そうです。ゼロで入ったにもかかわらず、私の思考についてこれる人間は居なかった。ロジックだけで作り上げたシステムは完全に動いた。そのロジックを説明を受けられる人は居なかった。

 研究開発部署の時は、プロを相手にして、まるきり、違う発想で違うことをやりました。それで動きました。だから、「宇宙人」という称号をもらいました。それを無視するのではなく、自分たちで使うという雰囲気がありました。才能として認められた。

進化するスタバのために

 我々はお客様ひとりのために、お客様は愛する人のために。スレーブ・メッセージの文化のためには、赤のマジックがいります。ハートは赤です。

 スタバは進化しないと言えないというモチベーション。商品に対しても、お客様の声を届けること。

 330mlという中途半端なボトルではダメです。トール用とかグランデ用とか書かないと、相手に響かない。スタバ内のアンケートシステムで意見を吸い上げる仕組みを使うことです。

 何が違うかというところです。モノだと思うから違わないように見えるのです。人間はもっと変わり映えしないのに異なるように見える。それをやるのがスレーブ・ポップです。
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豊田市図書館の21冊

315.1『日本政治と公明党』政治は誰のためにあるのか

918『古事記』池澤夏樹

318『実践 公共ファシリティマネジメント』ここまでできる

491.6『いまさらですが、無頼派宣言』

490.4『病名がつかない「からだの不調」とどうつき合うか』

493.71『あいだと生命』臨床哲学論文集

336.43『人事評価の「曖昧」と「納得」』

024.8『古本屋ツアー・イン・神保町』

289.3『二人のマンデラ』知られざる素顔

335.21『異業種に学ぶビジネスモデル』

914.6『異性』角田光代

293.88『旅するリトアニア』

332.1『国家戦略特区』徹底解剖 私たちの暮らしはどうなる?

309,02『西欧近代を問い直す』人間は進歩してきたのか

319.1『日本とインドいま結ばれる民主主義国家』中国「封じ込め」は可能か

519『自然資本経営のすすめ』

366.02『ブラック企業と奨学金問題』若者たちは、いま

331『「定常経済」は可能だ!』あなたはまだ、「経済成長神話」にとらわれていませんか。

366.32『いのちが危ない残業代ゼロ制度』働きすぎに歯止めがなくなり、ブラック企業が合法化される!?

295.31『るるぶ ボストン』コンコード レキシントン セーラム プリマス

689.21『旅行年報2014』日本交通公社

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