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シリアがどうなるか

存在の力を示す時

 存在の力を示す時です。

シリアがどうなるか

 国際関係で重要なのは、シリアです。イスラム世界がどうなるか、共和制がどんな関係になるのか。民族を超える求心力を示せるかどうか。
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情報メディアのツール、形式、価値

『世界の文字の歴史文化図鑑』より

情報メディアは、コード化された目に見えない形式でメッセージを保存すると同時に、次々に、物質的で、知覚可能、操作可能な形式に変換することで、これらのメッセージを人間に伝える。つまり、読むことのできない書き込みと読むことの可能な文書とを結び付けているのである。このため情報メディアの発展には、物理学(情報機器)、記号論理学(情報処理装置)、詩学(表現形式)の分野に同時にまたがって、絶えず繰り返される技術革新が不可欠なものとなる。こうした技術革新は、書くという行為を、いまだかつてないほどに産業界と深くかかわらせることとなった。この技術革新を行なうためには、構造的に、莫大な機械および人的手段が必要となり、その技術を用いるためには、ますます機器設備の利用が必要とされるようになっていったためである。

こうして技術は進歩を続け、社会的コミュニケーションのための型や規範を担う技術や経済におけるシナリオを次々に書き換えていくことになった。とりわけ、ハードウェアの小型化、新しい機器の使用、機械の処理能力の向上、高度で相互運用性のあるネットワーク・プロトコルの創出、自動的なドキュメント検索手続きの改良などが、その発展に貢献することになった。なかでも、グラフィックや、文字、解釈にかかわる操作を絶えず形式化し、再利用しつつ、情報工学を、株取引から、学術論文の発表、恋人探しに至るまでの、あらゆるコミュニケーション空間を支配する力を持つ「侵略的テクノロジー」へと変えた決定的な要因は、ソフトウェアエ学であると言える。

こうした変化はひじょうに速いテンポで進んでいった。レーザーの実用化が始まり、初期のIC(集積回路)が誕生したことで、データの大量処理が可能となったのは1%O年代初頭のことである。マウスは1%O年代末に普及し、1975年には腕時計に液晶が使用され、1984年にはアイコンが一般大衆向けのソフトウェアに登場した。 CD-ROMが発売されたのは

1986年のことである。ネットワーク間の情報交換プロトコルであるTCP/IP(トランスミッション・コントロール・プロトコル/インターネット・プロトコル)は1972年に開発されていたが、ドキュメントの標識であるHTML(ハイパーテキスト・マークアップ・ラングージ)が開発され、画像とテキストのグローバルネットワークが可能となったのは1989年になってからのことである。

しかしながら、こうした歴史的変遷をたんに技術上の問題のみに帰すべきではない。この間、つねに、書記をめぐる考察が行われてきたのであり、書くという行為、表記記号、読むこととその社会的機能に関する概念が問題とされ続けてきたのである。以下、簡潔に述べてみよう。まず最初は、ハイパーテキストという形式に憑かれた時代であった。この形式は、テキストのオーバーフローを、開かれた、ツリー構造によって示すものであるが、そのアプローチの特徴とは、文書を結びつけていくことにあった。ついで、新しいコミュニケーション方式を誕生させる契機となる、マルチメディアの時代がやってくる。そこではユーザーをヴァーチャルな世界に入り込ませることを可能にする、ポスト文字としての記号の世界が、文字に、しばしば対比させられていた。しかし「CD-ROM」によって圧倒的な優勢を誇ったマルチメディアにおける記述の研究開発は、「ネットワーク」の登場によって急激に影を潜めることになる。ネットワークの支持者たちは、国境も規制もなく、誰もが、膨大な文書作成に「参加」できるという利点を掲げ、それまでのマルチメディアの形式研究開発の勢いを失わせたのである。これが「ウェブ2.0」である。

しかし少し距離を置いてみると、これらのかくも多様な、理想の書記についての概念は、何よりも、書記に関してそれぞれが持っていた知的、美的、政治的概念を示すものであるように思われる。これらのイデオロギーは、時には書記を書記それ自体として、時には書記以外の、「コンテンツ」、「バーチャリティ」、「コミュニティ」などの理論モデルによって評価してきたが、つねに書記に価値を置いてきたことにかわりはない。確かにこういった理論モデルは、言説を方向づけるだけでなく、対象や、その利用法をも生み出すため、ひじょうに重要なものであると言える。しかしこれらの理論モデルの示す志向性は、普及の要因の一つではあるものの、分析対象としてはみなしにくくもしている。例えば、「ウェブ2.0」は、「編集する」インターネットから「社会的な」インターネットヘの大きな転機とみなされているが、しかし「ウェブ2.0」においても読ませるという行為は依然として決定的な要素なのであり、以後「ウェブ1.0」にれは架空のものであり、因果関係を説明するために「事後的に」作り出されたものである)と名づけられることになる時代におけるのと何ら変わってはいない。

それゆえ、これらの規範となる理論モデルは、ディスプレイ上における文書文化の一部をなすものであり、その変遷を重視する必要があるとはいえ、形式、動作、装置の実際の騰きを理解したければ、他の対象に頼る必要がある。つまりこれまで本書が示してきた、書くことの領域にである。
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『存在と時間』目次 2

  第二編 現存在と時間性
   第四十五節 現存在の準備的な基礎分析の成果と、この存在するものを根源的に実存論的に解釈するという課題
   第一章 現存在が全体的であることの可能性と、死に臨んで在ること
    第四十六節 現存在らしく全体的で在ることを存在論的に捉えたり規定したりするのは、 一見、不可能であるかに見えること
    第四十七節 他者の死が経験できることと、ひとつの現存在を全体として把捉する可能性
    第四十八節 未済と終わり、全体性
    第四十九節 死の実存論的分析を、死の現象について考えられる別の解釈から峻別する
    第五十節 死の実存論的かつ存在論的な構造の素描
    第五十一節 死に臨んで在ることと現存在の日常性
    第五十二節 終わりに臨んで在ることの日常的な様態と、死の万全な実存論的概念
    第五十三節 本来的に死に臨んで在ることの実存論的な素描
   第二章 本来的な在りうべき在り方を裏付ける現存在にふさわしい証と果断さ
    第五十四節 本来的な実存的可能性を裏付ける証の問題
    第五十五節 良心の実存論的かつ存在論的な基礎
    第五十六節 良心の呼び声としての性格
    第五十七節 気遣いの呼び声としての良心
    第五十八節 呼びかけを理解するということと負い目
    第五十九節 実存論的な良心解釈と通俗的な良心解釈
    第六十節 良心がその証となる本来的な在りうべき在り方の実存論的な構造
   第三章 現存在の本来的に全体として在りうべき在り方と気遣いの存在論的な意味としての時間性
    第六十一節 現存在固有の本来的に全体として在る在り方を定義することから時間性を現象的に洗い出すまでの方法上の行程のあらまし
    第六十二節 現存在が実存的かつ本来的に全体として在りうべき在り方とは先駆ける果断さである
    第六十三節 気遣いの存在意味の解釈のために得られた解釈学的状況と、実存論的分析作業全般の方法上の性格
    第六十四節 気遣いと自己性
    第六十五節 時同性が気遣いの存在論的な意味である
    第六十六節 現存在の時間性と、そこから生じる実存論的な分析をさらに根源的に反復するという課題
   第四章 時同性と日常性
    第六十七節 現存在の実存論的体制の根幹と、この体制の時間的解釈についての大まかな構図
    第六十八節 開示性全般の時間性
    第六十九節 世界=内=存在の時間性と、世界の超越の問題
    第七十節 現存在固有の空間性の時間性
    第七十一節 現存在の日常性の時間的な意味
   第五章 時間性と歴史性
    第七十二節 歴史の問題の実存論的かつ存在論的な提示
    第七十三節 通俗的な歴史理解と現存在の歴史生起
    第七十四節 歴史性の根本体制
    第七十五節 現存在の歴史性と世界=歴史
    第七十六節 史学の実存論的な根源は現存在の歴史性にある
    第七十七節 以上での歴史性の問題の提示とディルタイの一連の研究ならびにヨルク伯爵の構想との連関
   第六章 時間性と、通俗的な時間概念の起源としての時間内部性
    第七十八節 これまでに行なった現存在の時間的な分析が不完全であること
    第七十九節 現存在の時間性と時間の配慮
    第八十節 配慮される時間と時間内部性
    第八十一節 時間内部性と通俗的な時間概念の成立
    第八十二節 時間性と現存在、ならびに世界時間の実存論的かつ存在論的な連関と、時間と精神の関係についてのヘーゲルの見解との対比
    第八十三節 現存在の実存論的かつ時間的な分析作業と、基礎的存在論が提起する存在全般の意味を問う問い
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『存在と時間』目次 1

 『存在と時間』より
  諸言
  序論 存在の意味を問う問いの提示
   第一章 存在の問いの必要性と構造と優位
    第一節 存在を問う問いをあえて明示的に反復するのが必要であること
    第二節 存在を問う問いの形式的構造
    第三節 存在の問いの存在論的な優位
    第四節 存在の問いの存在相上の優位
   第二章 存在の問いを練り上げる上での二重の課題、考察の方法と概略
    第五節 現存在の存在論的な分析の作業とは、存在全般の意味を解釈する地平を洗い出すことである
    第六節 存在論の歴史の解体という課題
    第七節 考察の現象学的方法
     A 現象の概念
     B ロゴスの概念
     C 現象学の予備概念
    第八節 論考の概略
  第一部 現存在を時間性へと解釈し、時間を、存在を問う問いの超越論的地平として解明する
  第一編 現存在の準備的な基礎分析
   第一章 現存在の準備的な分析の課題の提示
    第九節 現存在の分析作業の主題
    第十節 現存在の分析作業を人間学や心理学、生物学から峻別する
    第十一節 実存論的な分析作業と未開の現存在の解釈、「自然な世界概念」を獲得するのに伴うさまざまな困難
   第二章 現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般
    第十二節 世界=内=存在の略図を内=存在そのものに着目して描いてみる
    第十三節 世界を認識することは、内=存在を基盤とし、かつ内=存在のひとつの様態であり、これを例にとって内=存在ということを示してみる
   第三章 世界の世界性
    第十四節 世界全般の世界性の理念
   A 身のまわりの世界に固有の世界性と世界性全般の分析
    第十五節 身のまわりの世界で出会う存在するものの存在
    第十六節 世界の内部に存在するものからは、身のまわりの世界が世界に即応していることが窺われる
    第十七節 指示と記号
    第十八節 帰趨と有意性、世界の世界性
   B デカルトにおける世界の解釈と対比して世界性の分析の特質を明らかにする
    第十九節 「延長する物」として規定された「世界」
    第二十節 「世界」の存在論的規定の基盤
    第二十一節 デカルト流の「世界」の存在論に対する解釈学的検討
   C 身のまわりの世界に備わる「まわり」という性格と現存在の「空間性」
    第二十二節 世界の内部で手許に在るものの空間性
    第二十三節 世界=内=存在の空間性
    第二十四節 現存在の空間性と空間
   第四章 共同存在と自己存在としての世界=内=存在、「ひと」
    第二十五節 現存在とは誰なのかを問う実存論的な問いの設定
    第二十六節 他者の共同現存在と日常的な共同存在
    第二十七節 日常的な自己存在と「ひと」
   第五章 内=存在そのもの
    第二十八節 内=存在の主題的分析という課題
   A 現の実存論的構成
    第二十九節 情態性としての現=存在
    第三十節 情態性のひとつの様態としての恐れ
    第三十一節 理解としての現=存在
    第三十二節 理解と解釈
    第三十三節 解釈の派生的な様態としての言明
    第三十四節 現=存在と語り。言語
   B 日常的に現を在る在り方と現存在の顛落
    第三十五節 巷談
    第三十六節 好奇心
    第三十七節 曖昧さ
    第三十八節 頽落と被投性
   第六章 気遣いが現存在の存在である
    第三十九節 現存在の構造全体の根源的な全体性を問う問い
    第四十節 現存在の格別な開示性としての不安という根本的情態性
    第四十一節 現存在の存在は気遣いである
    第四十二節 現存在とは気遣いだとする実存論的な解釈を、現存在の前存在論的な自己解釈から裏付ける
    第四十三節 現存在、世界性、実在性
     a 「外的世界」が存在し証明されうるのかという問題としての実在性。
     b 存在論的問題としての実在性。
     c 実在性と気遣い。
    第四十四節 現存在、開示性、真理性
     a 伝統的な真理概念とその存在論的な基盤
     b 根源的な真理の現象と伝統的な真理概念の派生的性格
     c 真理の在リようと真理の前提
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正月休みは退職後のシミュレート

正月休みは退職後のシミュレート

 なんか、退職後のシミュレーションをしているみたいです。やる気があるけど、全然進まない。寝ていても疲れるだけです。

 どこでも本が読めるようにしたことで、どこでも本が読めなくなっている。

 スタバにしても、相手のことを考えるから、まずいのであって、自分の子とwしか考えないのであれば、一日に何回行こうとも自由です。それが退職後の姿でしょう。

資本主義の爆弾

 資本主義の中にある爆弾。利潤を追求すればするほど、利潤率は上昇するけど、大局には徐々に低下する。全ての存在が爆弾を抱えているという、ヘーゲル哲学の核心は次のように変えることができる。

 単独してするのではなく、相互に関連し合い存在である。ヘーゲルのこの考え方が存在の力になるかどうかが肝心です。これが意思の力になると、非常にまずいことになる。

存在することの意味

 一日からの哲学については、ザ・ザイン、存在することの意味を将来にどうつなげていくのか。本当に人との関係がなければいけないのか。人との関係がつくれるのか。作れるとしてのそのための前提条件があるのかないのか。

 一番大きいのは、そう考えて、社会を変えていくのに意味があるのかないのか。多分、ないでしょう、。単に自己満足でしょう。そして、全てを知りたいことにどうつんがるのか。今、一番大きいのはこの部分かもしれない。なぜ、全てを知りたいと思ったのか。

 唯一の人との関係が経たれたときに、そう考えたい。全てを知りたいと。存在というものと、時間軸、過去・現在・未来というものに根源的な在り方が見えてくる。

時間は均一ではない

 時間が均一でないのは、<今>という時間が突出していることから分かります。過去も均一ではない。時間軸は意味を持たない。

 これは単なる、主観的なモノではなく、客観的にも時間は均一ではない。コード化されます。人類が生まれて来るまでと、生まれてきて、記録を残すようになってきた時と現代との間に均一な時間があるとは思えない。そんなまどろっこしいことをやるわけがないでしょう。

 その意味では、1億年ぐらいが1万年ぐらいにワープすることも可能だったんです。だから、進化できたんです。日常の変化から、進化を追っていくようなことはできません。1年が一日のように、1億年が1万年のように、1万年が百年のように過ぎていきます。

私以外は循環の中にいる

 人間は死すべきものである。それ以外のものは循環の中にいる。そこには主体性がない。ここの人間も同じようです。私だけが違います。

 そこから、先に進めると、日常性と非日常性。これは昔から考えてたことです。日常性の中に非日常性があり、非日常性の中に日常性がある。そういう動的な存在行動が人間の本質です。

分化と多元化

 多元化は近代の特徴です。多様化すればするほどそれが必要です。グローバルが対抗するやり方です。組織化に対して、多様化して、分化すること。それが明確な目的な目標になっていないことが、今、環境哲学な必要な理由です。

 多元化しても、個人の中ですべて、統合化することを人間の中で行ってきた。見て、聞いて、考えていきます。特に考えることが重要な理由です。別なものが統合化されてつながるのは、考えるからです。他人とつながることよりもも、自分の中でつながることで、それでもって、形作られます。そこで足りないものがあったら、それをつくり出すこと。

 自己を多元化することが、流動化する社会において、生存戦略として、一定の有用性を持つ。この多元性というのは、他人に合わせることではない。自分の中の近傍を増やすことです。点から近傍へ。その概念を持っていれば、自分というものがありながら、面積になっていきます。それらがつながることは意味があります。

 点が点である限りは意味を持たない。点が集合になり、集合が点になり、また集合とつながっていく。点と集合との関係です。生活のあらゆる局面が一点に絞られ、組織化されるよりも、色々な観点がゆるやかにつながっている方が、全体の安定に寄与する。
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フェアな未来に向けた連帯

『フェアな未来へ』より ヨーロッパの存在価値とは

EUはグローバルな資源の公正を進めるべくパイオニア的な役割を果たしてきたが、それを可能にしたのは紛れもなく、ヨーロッパ内部における緩やかな統合である。グローバル社会という枠組みのなかで生じたコスモポリタン的政策の開幕が、ヨーロッパ内部における自己定義をも強固にした。EUはその創設当初から、地理的領域が暗示する以上の大きな思想に駆動されてきた。ヨーロッパ統合の精神的父といわれるジャン・モネを突き動かしたのは、「よりよい世界に貢献したい」という願望であった。

「協調を重視する世界パワー」としてのヨーロッパは、同盟を築き、ネットワークをかたち作ることに力を尽くさなければならない。国家間政策ではすでにそうした方向に動きだしている。近隣の国に対する恐怖がきっかけで結成された地理的な同盟が、世界的な目標を互いに追求するための国家の連合に取って代わられることもますます多くなっている。もちろん、真正の全世界的な同盟はいまだ私たちの視野には現れていない。当面は、強大国と覇権国とが協調しあうようなことはないだろう。こうした現状に対する唯一可能な戦略は、京都議定書という国際法的な枠組みが現に存在するように、必要とあらば米国を外してでも各国が共同で重要課題に着手し、米国に対してはいつでもそこに戻ってこれるよう門戸を開いておくことだ。つまり、たとえ米国政府が資源の公正政策に消極的であっても、まずは意欲的な国々が多数集まって調整しあい、グローバルな問題の解決に立ち向かっていくことである。グローバルな場で満場一致の解決法を! -これを普遍主義だとみなすのは誤った理解のし方だ。現状を考えれば、私たちには「Xを除いた普遍主義」という戦略を追求することしかできない。対人地雷禁止条約も国際刑事裁判所規程も、ヨーロッパとカナダが米国の参加を待っていたなら決して成立することはなかっただろう。このふたつのケースは、米国という強大国が参加しなくてもヨーロッパやカナダ、日本、そして南の諸国だけで価値ある協定を生みだせることを証明した。

再生可能エネルギーのための国際組織の設立は、促進が期待されるこの種の世界規模プロジェクトの代表格といえる。ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)や国際原子力機関(IAEA)などの原子力協力プログラムに現在割かれている資金の相応分を他のエネルギー政策に振り向けるには、一握りの先進工業国の協力だけで十分なのである。実際、国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の設立をめざす付属文書はすでに出来上がっており、二〇〇三年四月にはドイツ連邦議会が関連組織の創設を承認した。ただ残念ながら、二〇〇四年六月開催の再生可能エネルギー国際会議(ボン)ではこの計画を前進させることはできなかった。米国とサウジアラビア抜きで最後まで貫きとおせる勇気がなかったことが主な原因である。

しかしながら二一世紀の多層的な国際社会にあっては、国民国家だけがそうした戦略目標の達成に寄与しうるパートナーではない。近年、市民社会の立役者も数多く国際政治や外交の舞台に登場してきている。とくに公正と環境の領域でその浸透が目立っている。こうした役者たちの多くは各分野のスペシャリストとしてグループを形成し。高度な専門性を生かして国際政策の調整に力を注いでいる。国家や産業界に加えて、いまや個々の市民社会組織が、国際問題に取り組む第三の役者として脚光を浴びはじめているのである。

NGOが国際政治の舞台で力を発揮するようになったのは、一九九〇年代の初め、リオ地球サミットに世界中から多くの市民運動家が駆けつけた頃からである。第一回国連環境開発会議=リオサミット(リオデジャネイロ、一九九二)、世界人権会議(ウィーン、一九九三年)、世界人口会議(カイロ、一九九四年)、世界社会開発サミット(コペン(ーゲン、▽几九五年)、世界女性会議(北京、一九九五年)等、国連主催の一連の会議には何千人もの市民社会の担い手たちが参加した。第二次世界大戦以来の国際関係に、市民社会組織は新たな性質を付与することとなった。NGOによって代表される権益の多くが、彼・彼女らの行動なしには声なき声に終わってしまうものである。例えば、海洋の珊瑚礁汚染やタスマニア〔訂数回〕の原生林汚染などに対する怒りの声もそのひとつだ。くり返し声を上げるNGOの存在は、EUの貿易政策に対するものも含め、政治を批判的にチェックする「社会の良心」の役割を果たす。

資源の公正をめざすヨーロッパの戦略は、市民社会を代表する南北のNGO--例えばオックスファム、グリーンピース、FoF、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、アムネスティーインターナショナル、第三世界ネットワークなどーと連携することで、初めてより強い影響力と社会的基盤を得ることができる。とくに各国政府が調査研究、説得外交、ネットワーク化などで影響力を強めたいと切望するとき、こうした団体とつながりを作ることが大事となる。事実、三〇〇近くの環境市民団体からなる気候アクションネットワークの存在なくして、気候変動枠組み条約も京都議定書も現在のかたちでは成立しえなかっただろう。各国政府とNGOとの連携は、対人地雷禁止条約や国際刑事裁判所規程の成立に向けたキャンベーンにおいても主要な駆動力となった。また、二〇〇三年九月開催のWTO閣僚会議(カンクン)では、南の諸国政府が、不公正な貿易ルールやグローバルな自由貿易に対抗するためにNGOとの同様の連携を積極的に模索した。

NGOと政府とのより広範な協力関係は(イブリッドな組織-NGoでも政府間組織でもない組織-としても結実している。初期の例としては国際自然保護連合(IUCN)が挙げられる。IUCNは一九四八年にユネスコ(国連教育科学文化機関)傘下の機関として誕生した、スイスに事務局を置く組織である。IUCNのメンバーになれるのは国内のNGOや国際NGO、政府や政府関連機関であり、メンバー国でない国の国家機関も参加することができる。こうしてIUCNは一四〇カ国から一〇〇〇近くのメンバーを集めることができた。さらに、IUCNモデルを適用した成功例としては世界ダム委員会(WCD)が挙げらにび。政府、産業界、NGOから構成されるこの団体は、一九九八年に組織されて以来、巨大ダムの建設に関する社会的、エコロジー的基準を作成し提案してきた。その成功の秘密は、組織の独立性を維持させたこと、ダムの支持者・非支持者の双方を広く取りこんだこと、組織の透明性をできる限り確保したことにある。このことは「グローバルな政策ネットワーク」を通じた国際問題の解決において重要な先行例となった。このネットワークでは、個々の領域で重要な活動をしているすべてのプレーヤー(政府、企業、市民社会の代表)がともに連携しあい、それぞれにとって受け容れ可能な解決法をみちびきだす。これは、非階層的な構造を持つ市民社会組織が積極的に連帯すればグローバルガバナンスにかかわる複雑な問題でも解決への道が開けることを明確に示唆するものだ。
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時間の原点としての「現在」

『時間の本』より

しかし、「定義の問題」がどうであろうと、われわれは、実際、日々の生活において時間を体験している。時間はどのような形で存在するのか、時間が均二かどうか、時間はIつしかないのか、複数の時間があるのかといった問題とは関係なく、われわれが時間を体験していることは確かである。自分が小学生であったのは何年前であり、初めて映画を観だのは幾つの時であったか、自分の過去として覚えている。そして、その過去が今ここにある自分にまで連なっていると思っている。あるいは、友人たちとサッカーに興じているとき、ボールを追う一瞬一瞬の中で時間が経過するのを体験する。

そこには、過去のさまざまな原因によって時間が〈過去↓現在(↓未来)〉と流れるのか、あらかじめ決められた未来があってそこに向かって〈未来↑現在(↑過去)〉と流れるのか、あるいは、そのような流れではない別の形かはわからないとしても、「現在」という「時間」を感じていることは確かである。あるいは、〈過去〉も〈未来〉も、「現在」の自分かいるから想定できるのだという意味で、〈過去〉も〈未来〉も実在しているわけではなく、あるのは「現在」のみで、流れる時間など存在しないと考えてもいっこうに構わないが、「現に」私がここにいることを知っていることだけは確かなのである。そして、この「現に」いる私は、時間がどのようなものであれ、食事を摂り、運動し、友人と話をするすべてにおいて、あるいは、音楽を聴き、読書に耽るなかで、この「今」が過ぎ去ろうとしながら、なお「今」があることは感じている。

このように、誰もが体験しているはずの時間が、どんなものかと考えてみると、奇妙なことではあるが、よくわからないのである。そのために、「時間」については、これまでに数えられないくらいの考察がなされてきたことも事実である。過去に原因があって世界が動いていくとする仏教思想(しかし、ナーガールジュナの『中論』のように時間を否定するものもある)があるかと思えば、最後の審判にむかって時間が流れるとするキリスト教思想(これも、神の永遠性は存在するが、時間は虚妄であるというアウグスティヌスのようなものもある)があり、さらには、運動自体をも否定しようとしたエレア派のゼノンの論理もある。そもそも、いま論議をしている相手の経験している時間とこの私の経験している時間とは、果たして同じと言えるのだろうかと考えると、まさに時間についての言説は百花瞭乱の趣を呈するのである。

ただ、時間を考える際に、最も困難であるけれども重要なことは、自分があると感じている「現在」から出発しなければならないことである。先ほど、私は、「現に」私がここにいることを知っていることは確かだと言ったが、この「現に」「ここに」いるとはどういうことかという考えを突き詰めていくと、「現在」というものが浮かび上がってくるのである。

ところが、この「現在」が、すでに序章で述べたことであるが、現在でありながら過ぎ去っているものであり、同時に未だにないものでもあるということ、「現在」という有限な一瞬でありながら、同時に、過ぎ去った「過去」とこれから来る「未来」とにかかわっているのである。言い換えれば、「時間」とは、「現在」という一瞬でありながら、「過去」あるいは「未来」と切り離して分割することができないところに成り立つものであるということである。

しかも、こうした「時間」に対して、それは単なる主観によるもので、社会生活において共通した時間(例えば、テレビやラジオの時報や、歴史学的に検証され、世界共通のカレンダーとして示されている年月日など)こそが本来の「時間」だと言う者もいるかもしれない。

「あなたが今感じている現在という時間は、あなただけのもので、あなたが死ねば終わってしまうけれども、あなたが死んでも、世界は存在し、時間は流れるのです」というわけである。たしかに、われわれは、社会生活において共通しか時間のもとに生きている。その共通時間がなければ、電車やバスの時刻表も作れず、万能手帳やモバイルにスケジュールも書き込めない。その共通時間のおかげで、友人とカフェで合う約束をして、久しぶりで楽しい話もできるのである。だが、そのとき、その友人の時間と、私の時間は、同じだと言えるだろうか? 同じであることを、どう証明できるのか? そもそもわれわれが考えている時間とは、一つしかないと言えるのであろうか? 時間は一つではなく、複数あるのではないだろうか? 各人各人が個別の時問のなかにいるのに、共通していると思っているだけなのではないだろうか?

そうしたなかで、カントは、古くから客観的に考えられていた時間を、われわれの主観によるものであり、人間に共通した直観の形式であるとした。直観の形式であるというからには、時間は主観の側のものであって、「客観的」対象の側のものではない、すなわち、「物自体」の形式ではないということである。与えられた客観の形式ではなく、われわれが対象を受け入れるときの、主観に内在する形式であるということである。カントによれば、この対象を受け入れる形式は、対象ごとにあるのではなく、人間の直観形式としての時間はすべて同じであるという。そして、異なった時間というのは、この同一の時間がそれぞれの状況において現れる部分だと考えたのである。一定の長さの時間というのは、それらのものの根底になっている唯一の時間が、条件によりて制限されたものにほかならない。したがって、根底にある直観の形式としての時間は一つであり、その制限されたかたちが個々の異なった時間だというのである。こう考えて、初めて、時間の無限性が説明されうるとしたのである。
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資本主義3.0に向けて

『グローバリゼーション・パラドクス』より 資本主義3.0をデザインする

資本主義が持続してきた秘訣は、そのほとんど無限と言っていい柔軟性にある。市場と経済的活動を支えるのに必要な制度についてのわれわれの理解は、資本主義がそうであるのと同様、何世紀にもわたって進化してきた。何度も革新していく能力によって、資本主義は周期的な危機を克服し、カールーマルクスらの批判を越えて長生きしてきた。グローバル経済というプリズムから資本主義を見ると、われわれがとの本で見てきたような転換が起きつつあるのが見て取れる。

アダムースミスが理想とした市場社会は、「夜警国家」以上のものを必要としていなかった。分業を促進するために政府がなすべきすべてのことは、所有権を強化し、治安を維持し、国防のような限定された公共財の提供に必要な、わずかばかりの税を集めることである。二十世紀初頭の第一次グローバル化を通じて資本主義は、自らを維持するのに公的制度はあまり必要ないという理解に基づいて運営されてきた。実際には、政府の行動範囲は、時にこの理解を越えていた(ビスマルクが一八八九年にドイツで老齢年金を導入した時のように)。しかし政府は自らの経済的役割を、あくまで限定された領域にとどめるべきだと考えていた。これを「資本主義1.0」と呼ぶことにしよう。

社会が民主的になり、労働組合や他の社会集団が、資本主義の悪と見なすものに対抗して組織されるにつれて、新しい、もっと拡張された統治のビジョンが開花してきた。アメリカでは、進歩的運動が先頭になって、巨大企業の独占を阻止する反トラスト政策が最初に登場した。大恐慌の後には、積極的な金融・財政政策が幅広く受け入れられた。福祉による援助や社会保険の提供は、政府の重要な役割となった。今日の先進国で国民所得に占める公的支出の割合は増え続け、十九世紀の終わりには平均一〇%以下だったのが、第二次世界大戦の前には二〇%を超えた。第二次世界大戦によって社会福祉が精緻に整備されるようになった結果、公的部門の支出は平均で国民所得の四〇%を超えて拡大している。

この「混合経済」モデルは、二十世紀の誇るべき達成だ。国家と市場の間に打ち立てられた新しいづフンスによって、先進国は一九七〇年代まで社会的団結、安定、そして繁栄の前例のない時代を体験した。これを「資本主義2.0」と呼ぼう。

資本主義2.0は、グローバル化の制限を伴うものだったーブレトンウッズの妥協だ。戦後モデルは、国際経済をできるだけ排除するよう求められていた。戦後モデルは国民国家の水準で構築され、運営されていたからである。ブレトンウッズHGATT体制は、国際経済統合の「浅い」形式を設立したのであり、国際資本移動を管理し、貿易自由化を部分的なものにとどめ、社会的にセンシティブな部門(農業、繊維、サービス)の豊富な例外を、途上国と同様に認めていた。数少ない単純な国際ルールに従う限り、各国は資本主義2.0の国内バージョンを自由につくることができた。

このモデルは一九七〇年代から一九八〇年代にかけて擦り切れてしまい、金融グローバル化と経済統合の深化という二重のプレッシャーによって決定的に崩壊しようとしている。ハイパーグローバリゼーションが資本主義2.0に置き換わるというビジョンは、二つの間違った見方に立っている。一つは、世界経済の深い統合を急速に推し進めれば、制度的な下支えが後から追いつくだろう、というもの。もう一つが、ハイパーグローバリゼーションは国内の制度や仕組みには何の影響も、または軽微な影響しか与えないというもの。グローバリゼーションが創り出す危機--金融と正統性の両方で--は、二〇〇八年の金融メルトダウンで絶頂に達したが、これらの想定がとてつもない間違いであることを露わにした。

われわれは、経済グローバリゼーションの力がさらに強くなった新世紀にふさわしく資本主義を再考しなければならない。スミスの効率的な資本主義(資本主義1.0)がケインズの混合経済(資本主義)に転換したように、混合経済の国内バージョンからグローバルなそれへの転換を完遂しなければならない。市場とそれを支える制度のよりよいバランスを、グローバルな水準で構想しなければならない。

この問題の解決--資本主義3.0--は、資本主義2.0の論理をまっすぐ拡張したところにあると考えたくなる。グローバル経済は、グローバル・ガバナンスを要求するのだ、と。しかし前章で見たように、グローバル・ガバナンスという選択は、少なくとも予見可能な未来では、ほとんどの国にとって袋小路である。グローバル・ガバナンスは実現しないだけでなく、望ましくもない。違うバージョンが必要だ。国家の多様性やナショナルーガバナンスの重要性という美点をはっきり認識しつつ、穏健なグローバリゼーションがもたらす少なからぬ便益を保持することだ。必要なのは、ブレトンウッズの妥協を二十一世紀に向けてアップデートすることなのである。

アップデートを行うには、時代の現実を認識しなければならない。貿易はほとんど自由化され、金融グローバル化の悪霊は閉じ込められていた瓶から逃げ出し、アメリカはもはや世界の支配的な経済超大国ではない。主要な新興市場(特に中国)を無視することはできないが、システムのただ乗りを許すわけにもいかない。われわれは、神話的な「黄金時代」には戻れない。高い貿易障壁、強力な資本管理、そして弱々しかったGATTの時代には戻れないし、戻りたいと望むべきでもないだろう。必要なのは、ハイパーグローバリゼーションの追求は誰の得にもならないと認識し、そこから優先順位をつけ直すことだ。このことが意味するものを、本章と次章で列挙していく。
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グローバル・ガバナンスは実現できるのか? 望ましいのか?

『グローバリゼーション・パラドクス』より 世界経済の政治的トリレンマ グローバル・ガバナンスでないとすれば、何が?

国民国家は時代遅れだ。国境は消えつつある。距離は死んだ。地球はフラットである。アイデンティティと産まれた場所はもはや結びつかない。国内政治は、国境を超えた新たな、もっと流動的な形式の代議制に置き換わる。権威は、国内の立法者から規制機関の超国家的なネットワークに移動している。政治権力は、国際的な非政府組織として組織されたアクティビストの新しい波に移ろうとしている。われわれの経済生活の形を決めるのは、巨大な多国籍企業や、顔の見えない国際官僚たちだ。

これに似た話、グローバル・ガバナンスの新時代の幕開けを歓迎したり非難したりする声を、もう何度聞かされただろう。

ところが、二〇〇七年から○八年の最近の危機で出来事がどう進行したのかを見てみよう。危機が大きくなる前に、金融危機を避けるべくグローバル銀行を救済したのは誰だったのか? 世界の信用市場を落ち着かせるために流動性を供給したのは誰だったのか? グローバル経済に財政出動で刺激を与えたのは誰だったのか? 誰が失業を救済したり、その他のセーフティネットを失業者に提供したのか? 補償のルールや、自己資本比率、大銀行への資金注入を決定するのは誰なのか? あらゆることが起こる前に、最中に、あるいは起こった後で最も非難を受けるのは誰か?

すべての答えは同じだ。その国の政府である。われわれは、グローバル化によってガバナンスのあり方が根本的に変化した世界に生きていると考えているかもしれないが、責任をとっているのはいまだに国内の政策担当者である。国民国家が衰退しているという宣伝は、ただの宣伝に過ぎない。世界経済には様々な国際機関--ADB(アジア開発銀行)からWTOに至るまで--があり、まるでアルファべットのスープの中にいるようだが、民主的な意思決定は国民国家の丸太小屋の中にしっかりとどまっている。「グローバル・ガバナンス」はいい響きだが、当分の間は期待できない。複雑で多様な世界では、グローバル・ガバナンスはどく薄いベニア板のようにしか実現できない--そうなるのには確かな理由がある。

グローバル・ガバナンスの新しい形態は興味をそそられるし、いっそうの発展に値する。しかし究極的には、ある根本的な限界を越えられない。政治的アイデンティティや愛着は、いまだ国民国家の枠内にとどまっているのだ。真にグローバルな規範は、どくどく限られた論点においてのみ現れる。そして、望ましい制度をめぐって現に存在する、国による違いは残ったままだ。新しい超国家的メカニズムによって、いくつかの難しい問題が和らぐかもしれないが、現にあるガバナンスには置き換わらない。拡大する経済グローバリゼーションを支えるには十分ではないのだ。

われわれは、世界の政治は国によって分割されているという現実を受け入れ、もっと地に足の着いた選択をする必要がある。一つの国の権利や責任が終わるところで、他の国のそれが始まるという現実を、率直に受け入れなければならない。国民国家が果たしている役割をどまかすべきではないし、グローバルな政治共同体の誕生の最初の目撃者となるのだ、と期待すべきでもない。グローバリゼーションを制約することで、グローバルな政体は分割されるのだと認識し、それを受け入れなければならない。グローバルな規制が機能する範囲は、望ましいグローバリゼーションの範囲に限定される。ハイパーグローバリゼーションは達成できないし、それが達成できるかのように振る舞うべきでもない。

現実に目を開けば、健全で、いっそう持続可能な世界秩序が見えてくるだろう。
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自分史を書くということ

『自分史の書き方』より

本書は、立教大学に2008年に生まれた、シニア世代向けの独特のコース(入学資格50歳以上)、『立教セカンドステージ大学(RSSC)』で開講した「現代史の中の自分史」という授業の実践の記録である。

これは「自分史の書き方」の講義だが、単なる講義ではない。講義で話したことをそのまま実践させる、つまり「自分史を実際に書かせる」ことを主目的とする授業だった。この記録は、随所に学生たちが実際に書いた「自分史」を実例として挿入した。読めばわかるが、これがみんなたいへん面白い。

はじめからそれだけの書き手がそろっていたというわけではない。はじめはハシにもボウにもかからぬような作品が大部分だった。それがみんなあっという間に腕を上げていったのである。

はじめ、この授業をどのように展開するつもりだったか、受講生に事前に配付した「シラパス(授業内容紹介)」には、次のように書いておいた。

これは実践的な授業である。目標は、各自が、自分史を書き上げることに置く。

それも単なるプライペートな身辺雑記的自分史ではなく、同時代史の流れの中に、自分を置いて見る、「自分史+同時代史」としたい。

セカンドステージのデザインになにより必要なのは、自分のファーストステージをしっかりと見つめ直すことである。そのために最良の方法は、自分史を書くことだ。

どの程度の自分史とするか。目標は日本経済新聞の「私の履歴書」あたりに置く。「私の履歴書」は1日およそ400字原稿用紙3枚から3・5枚が30回続き、全部で、100枚程度で終わる。この程度の自分史は、正しい手順に従って少しずつ書いていけば誰でも書ける。

その手順を教える。代表的な「私の履歴書」の構造分析から始める。次に各自の自分史年表と同時代史年表を書く。

この授業では、各自がそれまでに書いてきたものを、相互に読み合い、批評し合うことを随時行うから、恥ずかしいなどの理由でそれができない者は、はじめからこの授業をとらないこと。

右の*印を付けたくだりは、立教セカンドステージ大学の基本コンセプトをふまえて書かれた文章だから、それについて一言しておく。

開講当時、一般社会のリタイア年齢(定年↓年金生活)は、60歳だった。しかし、日本人の平均寿命が男性79歳、女性86歳まで延びている現在、60歳はリタイア年齢としてちょっと早すぎる。むしろ、60歳は人生の中間地点ぐらいに考え、「そこから、人生のセカンドステージがスタートする再出発地点だと考えるべきだ」、というのが、このコースの発想の原点だった。

だが再出発してどこに向かうべきなのか。いま自分たちの未来にはどんな可能性が横たわっているのか。日本は、世界は、これからどうなっていくのか。そして、自分たちはいま何をなすべきなのか。

このような「中間再出発地点」に立ったときに、なすべきことは、「過去(自分と社会の両面。日本と世界の両面)を総括する中締めと、いま自分たちが立っている地点を再確認すること」ではないか。そして「未来の可能性を展望すること」ではないか。

そのために必要なのは、じっくり考えることと学び直すことだ。そのような学びに最適の場は大学だ。そこには人生の学び直しのためのあらゆるインフラ(講座、教師、学び仲間、学び舎)がそろっている。こういう発想に立って開講されたのが「セカンドステージ大学」だった。

だから、コースの重要な一環として、「自分史を書かせる授業があるべきだろう」ということになった。自分史を書かせる講座が作られ、わたしがそれを担当することになった。
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