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やはり、トルコの動向が気になります

未唯へ。世界がどうなっていくかが気になりますか? たまには気にしてくださいね。

イスラム社会との関係で、今、トルコとのことが気になっています。本当なら、今すぐ「とんでイスタンブール♪」なのですが、元気とお金がありません。ということで、テレビと本で情報収集しています。その気になると、トルコ関係の情報は多くあります。カオスの中から軸を探るのは数学者の特権です。 

「NHKスペシャル 沸騰都市④「イスタンブール」激突ヨーロッパかイスラム化」を期待して見ました。先回の沸騰都市③「ダッカ“奇跡”を呼ぶ融資」ほどのエネルギーは感じません。むしろ、悩んでいる都市を感じます。

ケマル・アタチュルクが国の平和と発展のためにはイスラム的な社会体制を捨て、徹底した西洋化を図ってきたが、半世紀にわたりトルコを受け入れないEUへの反発と共に、イスラム主義が噴き上がっている。

本によると、トルコは3つの力で作られた。匈奴とかチンギスハンの中央アジアからの勢力、アラブ社会からのイスラム教、ギリシャ・ローマのヨーロッパのキリスト教。ローマ帝国はグローバル化した後に、フランク帝国などのゲルマンに敗れたが、結局取り込んでしまったが、アラブ世界には征服された。相容れなかった歴史がある。

新しい動きとして、中東のイスラム諸国からトルコのEU加盟を望む声が数多く上がっています。ヨーロッパとイスラムというグローバル世界の確執がトルコというローカル世界でどのような変化を起こしていくかが、大きな実験になっています。じっくり、軸としてのトルコを見ていきます。

地域担当がポータルをテーマで部長報告をしたみたいです。出席した担当者は、「あまりにも分かっていない」と頭にきて途中退場してきました。

地域担当にはグローバルがローカルを支援するという心はありません。与えられたものを販売店に説明することと、販売店から文句を言われたら、そのまま「伝える」だけです。自分の「しごと」を作り出して、それでやったことにすればいい、というスタンスです。

その意味では、土曜日の市民参画のメンバーとよく似ています。この会社も地域も何もせずに過ぎていくのです。彼らにとって、取り巻く世界のことはどうでもいいことなのでしょう。それよりも目の前の「行動」です。

だから、トルコと同様に観察します。
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エコットにはファシリテーターが必要です

未唯へ。土日は本を読むので忙しい。トートバックに12冊入れて、豊田市まで出向き、スタバとオーガニックまでで5冊読了し、図書館に返本。エコットの市民参画のミーティングまでの間に『図書館戦争 別冊』を読んでいました。図書館に順番待ちして、3か月でやっと届きました。どう見ても、ラブコメですね。だけど、勇気がもらえます。

ミーティングの時にエコットと市民のつながりを考えた時に、『さがみはら夢プロジェクト2050』が手元にあるのを思い出しました。市民アンケートを行って、「さがみはら」市の方向を見つけ出そうという市民参加型のプロジェクトです。フィンランドのハメンリンナの環境学習で行われていることの日本版です。速読・多読というのは、さまざまな偶然を作り出してくれます。

スタバのバリスタのYUKさんの久しぶりに会いました。相変わらず、元気でした。就活の様子を聞いたら、TOYは最終面接まで行ったけど、ダメでした。AISに決まり、3月31日までスタバに来るそうです。技術職だから、AISの方がやりがいがあると思います。笑顔で頑張って!

エコットのミーティング参加者は前回よりも減っていました。私は慣れているが、そうでない人にはきついでしょう。人数ではありませんよ。今回は「理念」がテーマです。3年前の市民会議を思い出して、イヤな予感です。具体的にやることには慣れているけど、ちょっと抽象的になると、カオスの世界に入り込んでしまう人が多いのです。彼らはすぐ感情的になるので、なるべく、自分を圧させるようにしました。

この3年間で、社会の構造がかなり分かって来ました。グローバルが分かずに、ローカルの中で考え、行動してもループするだけです。グローバルを含めた循環のなかで、それぞれの場所にいる人のことを考えないとダメです。「自然の中で暮らしたい」「食糧自給率を100%にしたい」「こんなものを作ればいい」という考えを全体の中に位置付けることが大切です。そこから、さまざまな循環が見えるようになり、エコットが存在する理由が見えてくる。

本当に、私のインタープリターがほしい! 相手の心の反応で私の心が痛みます。それと枝廣淳子さんのようなファシリテーターが出てくることがエコットには必要です。「図書館戦争」に興味を持ってくれるような人が! あなたにファシリテーターになってもらいたい。
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ブログも2年半ですね。読者はあいかわらず二人です

未唯へ。このブログも2年半になります。未唯の二十歳の誕生日に「私がそれまでに知ったこと、感じたこと、考えたこと」をまとめて、未唯の世代に渡すために書き始めました。

20年前に沼津駅前の喫茶店のカウンターで、心を空っぽにして、無心でフルートの音が出すために、心の中にあるものを全て書きだすために、雑記帳がベースになっています。

このブログの読者は二人です。私を客観的に見ている「もう一人の私」と、私の思いをカタチにしてほしい「未唯的な女性」です。このメッセージを「未唯的な」女性に届けたくて書いています。

「未唯的な」女性に、本当にやってほしいことは、「内にこもる人にどのようにして希望を与えていくのか」を考え、実現していくことです。この社会はあまりにも先が見えません。環境問題も政治・経済もグローバリズムで覆われています。若者は防衛的に引きこもっています。彼らに本質的なことを考える勇気を与えてほしいのです。ローカルで実現する人とグローバルで考える人が組織の壁を超えないとできません。

2012年の次世代ネットワークのキーワードとして、インターネット(社会)のノウハウをイントラネット(企業)に持ち込むのかを考えていたら、面白い本が手元に届きました。『NGNが変わるネットワークの未来』です。従来のNGN(New Generation Network)の本はネットワーク屋が儲かる仕組みを独善的に書いているので避けていたが、この本は「産消逆転」現象を一つのキーワードとしています。

「産消」とは産業(イントラ環境)と消費(インターネット環境)の関係を表します。従来はイントラの方が優位であったものが、インターネットの方が優位になってきたので、産業(イントラ循環)を変えないといけないということです。これをサファイア循環に当てはめると、ローカルでの変化をうけて、グローバルが変わらざると得なくなっているということです。

グローバルは内から変わることはできないが、ローカルが変われば変われるということが実証されようとしています。

2012年のイントラネットのあり方のメインとなる概念です。グローバルのイントラが変われば、その上のアプリケーション、サーバを変えることができます。

あとは「未唯的な」人がローカルをどんどん変えれば、社会が変わっていきます。
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7月は本質的なことしか考えないことにします

未唯へ。今年も半年がすぎます。今の体制になっては何も進んでいません。社会の情勢に押されているだけです。彼らは計画の計画ばかりやっています。どうみても、将来に対しては、素人の集まりです。答が出る前に答が来てしまいます。

半年、それなりに付き合ってきたが、これではだめなので、自分の世界に一人で戻るつもりです。私には時間がないので、やらないといけないことだけに絞ります。

一つ目は将来イメージを明確に作り上げます。本当は現実のものとして、作り上げて、皆に見せたいけど、そのためにはお金と時間がかかります。おカネがかかるものは時間がさらにかかります。そんなものはすっとばします。ローカルな現場のカオスに対して、ローカルでの理念(サファイア循環)とさまざまな情報に基づいて、将来像を作ります。

情報を集めるのは得意だし、アイデアを出すのも好きです。そのために、雑記帳とか、ICレコーダを使っています。そこへの蓄積だけで終わってしまうことが多い。それらの膨大な情報から明確な答を組上げることに専念します。

二つ目は、生活規範をかならず守ることです。デカルトは自分の思索を優先させるために、生活で起こるさまざまな葛藤に対して、反発するのではなく、従順にさせた規範を作り出した。生活での安定を表面上ではかります。

これは少し、変わって見える部分は「エコ」でごまかします。紙の資料は使わないとか、検討会に出ないとかはすべて、「エコ」にします。本当は「エゴ」かもしれないけど、シンプルな方に振ります。シンプルというのは、死んだ時に、その人の存在をすみやかに撤去できることを指します。

三つ目は、全ての“力”の実態を自分の存在を賭けて、明らかにします。真正面から見ていきます。天安門の戦車の行進に対して、真前で見るようなものです。とりあえずのターゲットは政府と市役所、マスメディア、そして、この会社です。

ここ6年ほどの速読・多読で生まれたサファイア循環から、現象を単なる原因と結果と見るだけでなく、循環としてみられます。その循環の基本となる、内なるもののローカルと外なるもののグローバル、考えることと行動することを明確に見られます。

これらを武器に、“現実の世界”の構造を見ると同時に、どのようにすれば、社会が変わり、それぞれの人が変われるのかを表現していくだけです。
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ライブラリとポータルの微妙な関係

未唯へ。今日は8時になぜか、我が家の4人とりくが揃っていましたね。こういう時に“きな粉餅”があるといいのかなと思って見ていました。
帰りのバス待ちに、バスセンター6階の「無印」に時々寄ります。「無印」前の喫茶店のケーキがおいしそうです。ケーキセット1つで3時間ぐらい話していた。ウサギのラテアートを撮ったりしました。一緒に行ってくれる人がいないのでさびしいですね。

4時起きは続けています。寝るのは10時にするつもりです。6時過ぎのバスならば、8時半には夕食を終えられるが、8時前になると、10時前です。寝るのが忙しいです。

販売店のライブラリーの解析を行っています。5年前から展開したシステムに販売店が入れ込んだ生データを見ています。ポータルのライブラリに移行時の問題点の確認です。現場の生データを見ながら、販売店の人が何を考え、試行錯誤しながら、作り上げていったものに触れるのは大好きです。

その内容を見ながら、ライブラリとポータルの関係を改めて考えました。今更ながら、「今」というものを意識します。「今」というのは、過去でも未来でもないのが「今」であることと、「今」しかアクションはできないという事実を感じます。というのは、現在のライブラリには、今と過去と将来が混在しています。その意味では本社の人にとってのライブラリで、店舗の人のものではありません。

情報を受ける店舗の人にとっては、「今」の情報だけが必要なのです。過去とか未来は本社に任せればいいのです。アクションできるのは「今」しかないのだから、「今」の情報を見て、知って、考えて、行動するものにどこまで絞れるか、です

ここでライブラリを持っている販売店とそうでない販売店でポータルの使い方が変わってきます。ライブラリに、本社の情報を入れ込んでいる販売店は、そこから今の情報を選び出し、メッセージとしてポータルで発信することになります。ライブラリを持っていない販売店は、「今」発信することをハッキリさせれば済みます。「今」が過ぎれば、ライブラリに保存すればいいのです。もしかすると、ライブラリを持っていないところが先行できる可能を持ちます。

そこで、ライブラリを見ながら、それらをパターン化して、ライブラリからポータルを抽出するマニュアルを販売店と一緒に作ろうと思います。これは時間との勝負です。
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歴史が書きたい

未唯へ。あなたの人生にシナリオはありますか? あなたぐらいの年に、自分の人生のテーマを決めました。20・30代は数学、40・50代は社会学、そして、60・70歳代は歴史学です。これはそれぞれが発想できる年齢に合わせています。速読・多読も歴史学のために、好奇心でオールジャンルの新刊書を読み込んでいます。「未唯への手紙」の目的に一つは歴史観を作るためです。

先週、借りた本の中に、『なぜ歴史が書けるか』201マスがありました。これは指針になります。

歴史家はどのようにして歴史を書くのかということを書いています。「歴史家は、資料を読んで個人の行為や事件のなかにあった動機や叙述を通して追体験し、そこで生じた感動をもって歴史を物語る」

ヘロドトス(前485-425)の『歴史』は「人間界の出来事が時の移ろうとともに忘れ去られ、ギリシャ人や異邦人の果たした偉大な驚嘆すべき事情の数々も、やがて世の人に知られなくなるのを恐れて、自ら研究調査したところを書き述べたものである」と自ら、説明している。

同時代のツキュディデスもペロポネソス戦争を歴史は繰り返すと考える人たちのために記録しています。「私の記録からは伝説的な要素が除かれているために、これを読んで面白いと思う人は少ないかもしれない。しかしながら、やがて今後展開する歴史も、人間性のみちびくところひたたびかつての如き、つまりそれと相似た道程を辿るのではないか、と思う人々がふりかえって過去の真相を見凝めようとするとき、私の歴史に価値を認めてくれればそれで充分であろう。」

これらは私と動機が一緒です。私は人類のピークからカタストロフィーに向かう過程を示しましょう。その原因と結果をサファイア循環から見つけ出せます。

歴史の原因と結果については、「歴史家は、無数の史実が散乱し流動するカオスの中からある史実を取り上げて原因とみなし、これに対応する結果とみられる他の史実を見つけ出す。すなわち、散乱し流動する史実は、本来原因でも結果でもないが、歴史家がこれを原因または結果とみなし、その因果関係を整理し、カオスに秩序を与える。どれを原因とし、どれを結果とみなすのかは、歴史家の判断と選択次第である」と著者は述べています。

この考え方は数学で空間を創造するのと同じです。これなら、私もできるという勇気をもらいました。
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サファイア循環で新しく分かったこと

未唯へ。この会社のファシリテーターの生き方について、相談を受けています。私で本当にいいのかなと思っています。自分の生き方にはそれなりに自信はありますが、それは「孤立と孤独」が基本になっています。これを他人に押し付けることはできません。ただ、「未唯的な」人には、その思いは伝えていきます。というよりも、聞いてくれる人がいれば、話しています。話しながら、気づいたことを述べます。

Q)なぜ、我々が販売店店舗をサポートするのか。別の会社のコミュニケーションはその会社に任せておけばいいでは。

 グローバルがローカルをサポートして、ローカルを活性化すれば、それがグローバルに反映されて、グローバル自体が変わっていける。つまり、グローバルを変えるのに、ローカルを出発点にさせることが必要です。

 モランの「複雑性とは何か」でも、変革は周辺から起こると説かれている。ロシアの変革もシベリアのラーゲリから始まっています。

Q)なぜ、我々が全てを作りこんで、店舗を標準化する方法ではダメなのか? その方が手っ取りばやい気がするけど

 この手法ではグローバルのACTからローカルのACTに直接つながります。これは、同一の仕事の場合は有効だが、多様な業務に対しては押し付けになってうまくいかない。サファイア循環からすると、AG⇒TL⇒ALの循環に対して、AG⇒ALとなり、TL、つまり、店舗とかスタッフで考える部分がスポイルされてしまうので、多様性を潰すことになります。

 環境問題で、有名な言葉の「Think Globally, Act Locally」も、TG⇒ALではグローバルで考えたことを、ローカルは実施するだけになってしまう。AL⇒TG(ローカルで行ったことを、グローバルが企画に反映する)か、TG⇒AG⇒TL⇒AL(グローバルで考えたことをカタチにして、ローカルを支援することで、ローカルは知恵を使って実現する)という動き方が正解です。

Q)なぜ、こんなにローカル支援に参加する人が少ないのでしょうか?

 今まで、AG⇒ALで来たので、作る人が偉い人だった。この会社はメーカーだから、その傾向が強いのです。いくら作っても、使われなくては意味がないので、社会として配置が変わっていきます。そのためには、展開を図る人をファシリテーターと位置付けることが必要です。
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「見る、知る、考える」ことがバングラデシュを救う

未唯へ。ポータルもグローバルとしてのメーカーがローカルの店舗をサポートすることをサポータ(ル)=ポータルという説明(ダジャレ?)はなかなか認知されません。

「見る、知る、考える」という言葉を、先週、販売店の人にポータルのキャッチフレーズとして作ってもらった、ポータルの本質をよく表している言葉です。「知ることが考えにつながる」って、素晴らしいですね。この言葉がある限り、ポータルの方向性は正しいです。

サファイア循環では二つのプロセスを重視しています。一つはLocal meets Globalで、ローカルを救うと同時に、グローバルに取り込まれる段階を表しています。二つ目はGlobal meets Localです。グローバルがローカルを支援しながら、ローカルの良さを再発見していくというものです。その時に必要なのは「ローカルで考える」ということです。グローバルを使い切るということです。

昨日のNHKスペシャル 沸騰都市 第3回「ダッカ“奇跡”を呼ぶ融資」は考えさせられる内容でした。例によって、ワンセグ・ウォークマンで録画したので、字幕からすべての数字は確認できます。

巨大なNGOブラックがバングラデシュの首都ダッカで行っている活動には二つあります。一つはLmGとして、貧民層への融資を行っている。特にやる気のある女性にお金を「マイクロクレジット」で担保なしで、少額の融資を行っています。

もう一つのGmLとして、村の図書館にインターネットを設置しています。貧民層が世界を見て、自分たちの現状とか、世界の常識を知ることで、自分たちで考えられるようにすることで、単に低コストだけではなく、付加価値とか、地域のよさを考えられるようにしていく活動です。実際に、インターネットが設置される時の映像がありましたが、村の小・中・高生全員と村民で、お祭り以上に盛り上がっていました。その後の状況では、村の青年団が自分たちの出荷したものが都会でいくらで売られているかを調べて、農民に情報を渡していました。

第4回はトルコだそうです。トルコはイスラムとヨーロッパの間で揺らいでいます。トルコがイスラムというローカルと欧米というグローバルとの関係を決めてしまうような気がしています。イスタンブールの状況がどうなっているのかのレポートが気になります。期待しましょう。
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フィンランドの図書館」は私が書きたかった本です

未唯へ。環境学習視察でヘルシンキへ行った時に、視察の合間に6か所の図書館を探して、回りました。あの時は楽しかった。

『フィンランドの図書館』010.23ニシを見ていたら、その内の5館のレポートが載せてありました。彼らは「海外の図書館に学ぶ」ツアーを1年かかって計画したものです。アポなしで、合間で行った私の方が多くを見て、多くを感じています。私の勘はすごい!と感じると同時に、ヘルシンキが懐かしい。

 ①ヘルシンキ市リクハーデンカツ図書館
  北欧で初めての図書館建築で、1984年までヘルシンキ中央図書館だった。最も華やかな通りであるエスプラナーディ通りから5分もかからない場所にある。
  (私)アアリッカでお土産物を買っていて、閉館5分後に到着、玄関の前で30分、中をうかがっていた。

 ②ヘルシンキ市ライブラリー10分館
  IT利用で、世界の最前列の図書館で、開館は2005年の4月1日の新しい図書館である。IT図書館であり音楽図書館ともいわれている。
  (私)その前身の駅前図書館に二度、訪問した。ディスプレイ中心の図書館でした。

 ③ヘルシンキ市中央図書館
  ヘルシンキ中央駅から鉄道でひとつ目のパシラ駅近くにある。国全体の中心的機能を果たす図書館です。
  (私)玄関でベビーカの女性のために、扉を開いてあげたら、「キートス(ありがとう)」と言われた。それ以来、「キートス」を連発。

 ④エスポー市ラッペンヅァーラ図書館
  エスポー市の年間250万人が訪れる、巨大ショッピングセンターの中にある図書館
  (私)環境学習施設訪問後に、通訳の女性が普段行くショッピングセンターに図書館があるということで、予定変更して、観光バスで乗り付けて、図書館に急行。これこそ、偶然の極み!

 ⑤ヘルシンキ大学図書館
  ヘルシンキ大聖堂の西隣あり、アカデミックだが、地上部は1階から6階までの楕円形の吹き抜け構造
  (私)地下の喫茶コーナーでガラス容器のカプチーノを飲みながら、リナックスもここで生まれたかと感慨にふけっていた。なぜか、最上階の目立つ所にチェムスキーの本があり、反骨精神を感じた。

海外に行くと、不思議に「偶然」が味方する。それは普段の生活も同じで、そう感じていないだけで、「偶然」に守られているのでしょう。
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NPOの地域循環型市民社会の概念を知りたくて、参画したが…

未唯へ。私が反応するキーワードは「循環」です。企業も環境省もNPOも「循環型社会」という言葉を使っています。私も「サファイア循環」を提唱しています。だけど、皆、意味が異なっています。

エコット関係の名古屋のNPOの総会で「地域循環型市民社会」というテーマでディスカッションをするということで、出かけました。今日中に10冊は新刊書を読まないといけないので、8冊の本をバックに入れて出かけました。

NPO元代表は相変わらずでした。「リサイクル」をテーマで20数年行ってきた問題意識は分かりました。相手の新聞社の論説委員が悪かった。論説委員というのは、「論理を説明」できる人だと思っていたが、論理がまるで出来ていません。テーマから意味もなく、どんどん離れていきます。

今回は資料を受け取らず、会話を聞きながら、頭で「循環」を考えてメモを書きました。
 ・地域循環の反対語は「グローバリゼーション」で、紙のリサイクルでは中国との関係です。日本の中のローカルでやってきたものが、東アジアというグローバルに拡大したことで複雑な様相を見せている。
 ・中国は30年前の日本、インドは10年前の中国という世界観で話を進めていたが、あまりにも日本的な見方です。これでは論点が古くて、「循環」は語れません。
 ・「紙は文化のバロメータ」という論点を安易に是認していることにショックを受けました。「紙」の循環を考えるためには、「作る」側の論理だけでなく、「使う」側も一緒に考えないといけません。「車は文化のバロメータ」という単純なことを言う人はいません。
 ・私は新聞は読まなくなりました。本は6年で9400冊、図書館から借りています。紙の資料は配られるが、見ないし、蓄えません。紙を使う環境が変わろうとしています。本1冊を共有する図書館とか、情報共有のポータルの方が、コミュニケーション・コストが安く、低エネルギーの世界につながります。
 ・参加していたNPOのメンバーに振っていたが、彼らの意見は常に、自分が行っていることの説明だけで、紙の「循環」でないことを話し出します。

5時まで残るつもりであったが、1時間のテーマが勝手に30分延ばしたり、タイムキーパーを茶化すようなことを平気でやっていたので、切り上げることにしました。自分なりに、NPOでの「循環」の難しさが分かりました。
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