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第10章は「私の物語」

第10章は「私の物語」

 その最初になぜか他者の世界を意識するのか。なぜ他者の世界が存在するのか、生きているけど存在するのか、生き残れるのか。

10.2「哲学の世界」

 他者の世界のベースは哲学です。哲学からのヒントはふたつ。存在と歴史です。存在するならば 社会はどうなる? そして時空間のキーワードは何か? 哲学では課題解決は望まない 存在の 意味を問うだけです それに対する答えは 他者が決めることです。

10.3「数学の世界」

 存在と無は、数学の世界では無限次元のなかの任意の3次元で表現できる。無限次元が故に 次元の 拡大縮小は自由にできる。死はその三次元の消滅。そのアナロジーは 超国家と個人に当てはめるそこまでです。端と中核がくっついた空間が可能になります。それでトポロジーの次なる空間を作り出します

10.4「歴史認識」

 歴史を三つに分けると①依存の時代、②今、③自立の時代。その変節点を迎えるかどうか人類は試される。進化の準備は整ってる。

「海底に人」で想像するものって何?

 海底に人が歩いているのかな。

 ニュースはあまりにも短縮している。おかしく思う。

10.5「私の分化」と10.6「私の統合」

 ハイアラキーから配置に変換するプロセスを示す。それらを自分の場合に則して示す。それが可能になる前提は存在の力です。

 分化で自分自身をバラバラにしていく。そして 発信していく。内なる世界でそれを行っていく。それが生涯に亘る教育過程。それは空間のある一点から近傍を作り、チェーンで伝播していく様。それらから意味ある空間を作るのが統合。コミュニティは大きな役割を果たす。

10.7「全てを知る」

 生きてる間の一つの目標がこれです。全ててどこまで? 知るってどういうこと? 放り込まれた以上、これが役割です。

 知るために、すべての項目を未唯空間に集めて、分類してきた。それらを未唯宇宙で展開しようとしている。知ってどうするのか。答えを最初からあるんじゃないのか。考えていると答えがやってくる、その感覚を楽しんでいるだけかもしれない。

10.8「私の世界」

 どうでもいいという 到達点 存在と無から存在の無に向かう。決して、独我論ではない独我論。言葉では表現できない。だから、語らない。
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スマホが入ってきて二ヵ月

循環への拘り

 なぜ循環にこだわるのか。ローカルとグローバルの役割を明確にするため、思考と行動を別にするため、ハイアラーキーでない行動パターンを得るため。だけどそれらは結果ですよね。やはり 次元の圧縮に関すること。ベースにあるのはトポロジーでの近傍系の連鎖。それは点から空間を作り出す。

FBへのメモ入力

 布団に潜って頭を回転させている。こんなこともできる 環境になってきた これは私のために作られたものです。活用しましょう。背景で面白い。言うことが変わってくる。

いくちゃんのミュージカル

 あさひなぐで拗ねているのもかわいいけど、才能が見えてこない。のだめカンタービレでピアニカを吹いてる、いくちゃんが見てみたい。街の中を幸せを振りまく姿も魅力的。

 音大生の青春をコミカルに描いたら、一番合っている。20歳というのはマンガののだめの年齢と合っている。上野樹里以上にリアルに描けます。

ローカルとグローバルの差

 ローカルとグローバル・それを内なる世界と外なる世界に当てはめてみたけど、それって、合ってるの? ともに境界はオープンで混ざり合わないものだけど。

 なんとなくヘーゲルが「昇華」にこだわったような感覚がわかるような気がしてくる。学校ではなぜヘーゲルはこんなにこだわるのか、と感じていた。池田晶子さんはそれを「蝶のように舞う」という表現をしていたので見方が変わった。

一日が実質的に短い

 こんなことしてるとまた 眠たくなって、一日が短くなる。放り込まれた存在として与えられた時間なのに、こんなことの繰り返し。

スマホが入ってきて二ヵ月

 スマホから変わった生活。スマホは私のために用意されていたんだ。最終的に未唯経由で奥さんを動かした。奥さんの生活は何も変わっていない。あえて、変えようとしてない。

 そう考えると パートナーの沈黙は何を意味するのか。

ICレコーダーの書き起こしも変わってきた

 Google音声入力でかなりのことができる。テキストの入力に比べると、頭から直接言葉が出てくる。書き起こしと異なり、テキストが見れるのがいい。ただし、丸とか点とかをどう表現すれば反応してくれるのかわからない。

 その部分が分からないから、いつもキーボードに戻している。Googleのことだから、何かあるはずです。そのぐらいが用意してくれてるんでしょうね。

 ここまで来ると 何を誰に話したのか 自分でもわかんない。

他者において 内なる世界はあるのか?

 いくちゃんとひめたんからそれを少し感じる程度。彼女らは内なる世界から行動をしている。その他としては、池田晶子さんとか、ウィトゲンシュタインなど哲学者から感じるだけです。たぶんそれ以外は作り物なんですよ。また、眠たくなってきた。

9.5「内なる世界」

 9.5「内なる世界」は 私ではなくて他者の内なる世界を確立しようというもの。

9.6「外なる変革」

 9.6「外なる変革」は個人が自立して、家族が変わり、教育制度が変わり、そして仕事が変わる。その プロセスを描くもの。

9.7「形態が変わる」

 9.7「形態が変わる」というのはそれらの変化から政治形態が変わる。急進的なものが集まって一気に変えるというプロセスでなく、ゆっくりとした変革になる。

 全てが関係しながら 各自の理想形に向かって変わっていく。「ゆっくりした変革」という言葉が自分の中から出てきたときに、その内容が分からなかった。

9.8「社会の様相」

 9.8「社会の様相」では、そのために各自が明確に理想形を持たないといけないことを示している。
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多様化の流れは家族制度を変革させる

アリーになぜか親近感

 アリーはフトゥーワの守護者。なぜか アリーに親近感を持ってる。だけど、ムハンマドの甥なんだ。それはアテネのソホクリスのイメージがあるから。

ヘーゲルの時代はハイアラキーの時代

 「主と奴」の比喩はハイアラキーが前提となってる。そこに限界を感じる。

メディアは国民にこびる

 満州事変の勃発を契機に最も劇的に変わったのは、新聞メディアです。それまでの立憲政治の下での軍縮を支持する立場から、軍部が主導する戦争支持へと一転した。なにがあったのか? 国民の雰囲気に従ったのでしょう。

ノーベル平和賞は胡散臭い

 ノーベル賞という存在が絶対の普遍的価値を持つものではなく、欧米的な価値観の押し付けと感じる人々も世界には少なくないことを浮き彫りにしている。「考え方」が変わると、すべての言動に変化が出てきます。

フィンランドのシスの精神は日本の大和魂なんだって

 極北の寒冷地にすぎなかったフィンランドは、スウェーデン、ロシアといった大国に支配された歴史を経て、一世紀前に独立を果たした。北の端の新興国家は紆余曲折しながらも困難な現実に立ち向かい、豊かな社会を築いていった。

ハイアラキーの元では、自由と平等はトレードオフ

 「自由」と「平等」に絶対の価値があるなら、それらはいずれも「絶対的に」守られるべきであるが、このふたつは両立しない。必ず矛盾を生じさせる。そうなると、どちらかの価値を毀損させてでも、片方の価値を守らなければならなくなる。その時点で、価値は絶対でなく相対的なものとなる。

多様化の流れは家族制度を変革させる

 家族が多様化しているといったとき、それ以前には、それほど多様ではなかった、ということを含意しています。

戦争は宇宙で始まり、一瞬で終わる。

 衛星攻撃兵器は、米中戦争が起きた場合に大きく影響しそうな加速要因のひとつだ。宇宙戦争の偉力はクリーンで破壊的。ネットワークが攻撃対象。

あさひなぐを観に行った

 豊田シネマであさひなぐ。観客は3人そんなもんでしょ。映画鑑賞のために、5時間無料 駐車場があるみたいですね。

 映画を豊田市で見えるとなると名古屋へ出かける理由がなくなります。Iさんが確実に居るという保証が欲しい。
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OCR化した10冊

『米中戦争前後』

 戦争にいたる道程

  中国が起こした四つの限定戦争

   朝鮮戦争(1950~53年)

   中ソ国境紛争(1969年)

   台湾海峡危機(1996年)

   東シナ海と南シナ海

   火花は大火事になる危険をはらむ

   サイバースペースに潜む戦争の加速要因

   米中の全面戦争は一気にエスカレートして起こる

   シナリオ1:海上での偶発的な衝突

   シナリオ2:台湾の独立

   シナリオ3:第三者の挑発

   シナリオ4:北朝鮮の崩壊

   シナリオ5:経済戦争から軍事戦争へ

『社会学入門』

 「働くこと」の社会的な位置づけ

  「生活手段」から「生きがい」へ

  「働いて稼ぎを得ていない」人たちがたくさんいる

  働かなくてよいのが「良い社会」?

  「無償」の労働という考え方

  有償労働と無償労働の配分の問題

  ケア労働の配分における国ごとの違い

  「働かざるもの食うべからず」とはかぎらない

  変わる「お金持ち」のイメージ

  職業が人事?

 家族であるとはどのようなことか

  家族の多様化

  家族定義問題

  家族定義問題への対応

  記述のための方法としての「家族」

  家族に期待される規範

  子育て支援と家族規範

  子育て支援のインタビュー調査

  成員カテゴリー化装置

  「家族丿集合と「人生段階」集合

  家族支援としての子育て支援

  子育て支援の実践的解法

  家族概念の用法を分析する意義

 社会において「死」はどのようにみえるか

  「死」をみえるようにする

  死のポルノグラフィ化

  「死と死にゆくこと」の社会学

  グラウンデッド・セオリー・アプローチ

  病院でつくられる死

  死の定義づけ

  死に備える

  人びとの方法論

  告知の社会学的研究

  救急医療における意思決定過程

  死にゆく過程を生きる

  生を継承する

『ひとまず、信じない』

 政治論 覚悟を決めない政治家たち

  「自由」そのものに価値があるわけではない

  「可能性」にがんじがらめにならないために

  政治家にこそ人格を要求しない

  国家の繁栄への投資

  人類にのみ許された問いかけ

  使命のために覚悟を決めるということ

  結局は政治家も優先順位を決めることから逃げている

『物語 フィンランドの歴史』

 二度の対ソ連戦争--第二次世界大戦下、揺れる小国

  大戦前夜--ソ連の危機意識と領土交換要求

   ソ連のドイツ不信とフィンランドヘの提案

   ソ連との交渉

   分かれる意見、交渉決裂

  「冬戦争」の勃発--侵略への抵抗と善戦

   戦争の勃発、挙国一致内閣の成立

   テリヨキ〝傀儡〟政権の樹立

   「冬戦争の驚異」--フィンランド軍の善戦

   冬戦争終結と「シス」の共有

  ヒトラーヘの接近--ナチス・ドイツからの支援

   バルト三国のソ連併合とドイツヘの接近

   「バルバロッサ作戦」への参加要請

  「継続戦争」による侵攻--大フィンランド構想の夢

   旧国境を越える--大フィンランド実現ヘ

   ロシア・カレリアでの「同化」政策

   戦局転換--戦争からの離脱の決断

   戦時下の社会、北欧各国への子どもの疎開

  21世紀、フィンランドという価値

   グローバル化する犯罪の余波

   少子・高齢化と少数移民社会からの変化

   フィンランドという価値

『考える練習帳』

 「考える」と何かいいことがあるか?

  考えることには、多くのメリットがある

  「考え方」が変わると、すべての言動が変化する

 世界が変わって見える

 「先が読める」ようになる

 「自由に」なれる

 AIとうまく共存できス

 仕事や勉強ができるようになり、人生が楽しくなる

 「考える」ことの使用上の注意

『ノーベル賞の舞台裏』

 平和賞--政治への影響とあやふやな理想

  五十年の孤独、情報を求めて

  銃弾が生んだヒロイン

  平和の寵児

  平和賞受賞者の課題

『日本ナショナリズムの歴史』

 軍縮から戦争支持ヘ一転した「新聞」

  日独伊三国同盟で決定づけられた太平洋戦争への道

  若者たちを戦争に向かわせた〝死の宗教〟

  結果は見えていた「無謀な戦争」

『内乱の政治哲学』

 ヘーゲル(一七七〇-一八三一)

  「精神」と「知性」

  「自己意識」と「欲望」

  「必要の体系」

  「主と奴の弁証法」

  ヘーゲルの『魂論』翻訳--同一物の二側面としての「能動/受動」

『フトゥーワ』

 家族、同胞と共に生きること

『資本主義の終焉』

 私的所有と国家

  私的所有の概念

  私的所有権と国家権力

  国家と私的所有の矛盾

  国家と貨幣

  矛盾の現代的深化

  貨幣の民主的管理をめざして

 私的領有と共同の富

 資本主義以後の社会--勝ち取られるべき未来の展望

 政治的実践について
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資本主義の終焉 私的領有と共同の富

『資本主義の終焉』より

社会的労働によって生みだされる共同の富は、無限に多様な使用価値として供給されている。それは、ナイフやフォークから、建設用の更地、都市の全域、われわれが搭乗する飛行機、われわれが運転する自動車、われわれが口にする食料、われわれが住む家屋、そしてわれわれが着用する衣服までと、ありとあらゆるものにわたっている。この共同の富を、あるいはその富に凝固させられた社会的労働を、私的に領有し蓄積することは、二つのまったく違うやり方から生じる。

第一に、今では違法と見なされかねない無数の活動が存在する。たとえば強奪、窃盗、詐欺、汚職、高利貸し、略奪行為、暴力、強制、そして疑わしく怪しげなさまざまな市場慣行(独占、市場操作、買い占め

価格操作、ポンジ・スキームなど)である。第二に、自由に機能する市場において、個々人が強制をこうむることなく取引しあうという条件の下で、法的に認可された交換を行なうことから、富を蓄積する場合もある。

 資本の流通と蓄積を研究する理論家は、このうちの第一の種類の活動を排除するのか通例である。それは、「正常」で正統な資本主義的市場機能から外れた異常な出来事と見なされるからである。彼らは、社会的富の私的領有と蓄積とについては、第二の様式だけが正統で適切だと仮定したうえで、資本の流通・蓄積モデルを組み立てるのである。

 私の考えでは、経済学の教科書で吹聴されているこうした虚構は、教えるには都合がよいが、人を誤った方向へと根本的に導くものなのであり、われわれは、このような仮定をもう覆してかまわない。そして社会的労働とその生産物とを領有するこれら二つの形態には、共生関係があるということを認めた方がよい。私がこう主張するのは、一つには次のような単純な経験的根拠にもとづいている。すなわち、世界貿易のなかでとても重要な役割を果たしている麻薬カルテルや武器密売業者、あるいは、さまざまなマフィアやその他の組織的犯罪集団に向き合わずして、資本の世界を認識しようとするのは馬鹿げているからである。近頃のアメリカにおいて不動産市場が暴落した際には、無数の略奪的慣行を確認するのはきわめてたやすかった(これに加えて、銀行による組織的な違法行為--たとえば銀行ポートフォリオにおける資産評価の偽造--、資金洗浄、ポンジ型資金供与、利率操作なども最近暴露された)のであり、これらの出来事を偶発的な異常事態だとして棚上げするのは不可能である。

 しかし、これらの明白な経験的理由以上に、略奪にもとづく経済が、基本的に資本が資本であるための核心にあると考えられる有力な理論的根拠が存在する。略奪は、私的な「人格」(つまり企業などの法人組織)によって共同の富の大部分が領有され蓄積されるのを促し、しかもこれを持続させる。社会的労働によって生みだされる価値を、生産に際して直接的に略奪することは、このような略奪行為の一種でしかない(ただし主要なものではある)。

 銀行家は原則、たとえば自分の利潤や莫大なボーナスの出所には関心を抱かない。その出所が、借り主を虐げて法外な家賃を搾りとる賃貸住宅管理業者への融資なのか、あるいは取引先から法外な料金をふんだくる商人からなのか、利用者を編すクレジットカード会社や電話会社からなのか、住宅所有者から抵当物件を不当に差し押さえる住宅ローン貸付会社からなのか、あるいは労働者を冷酷に搾取する製造業主からなのか、そうしたことはどうでもよいのである。政治的左派に属している理論家たちは、マルクスの政治経済学についての自分なりの理解からそれぞれインスピレーションを得ているものだが、彼らは通常、これらの領有形態のうち、最後のもの〔製造業主による労働者の搾取〕を、ある意味、他より根本的なものとして重視してきた。だが資本の歴史的発展が示すところによれぱ、資本はこれ以外のありとあらゆる方法によっても共同の富を領有できたのであり、この点で資本には計り知れない柔軟性があるということである。労働者は職場での階級闘争を通じて高い賃金を手にするかもしれない。しかし、この賃金も、賃貸住宅管理業者やクレジットカード会社や商人によって、たちどころに奪還されるかもしれない。ましてや税務署に奪われてしまぅのは言うまでもない。銀行家が、莫大な利益を得る独自の詐欺行為を仕組むことさえある。そしてこの人物が逮捕されたとしても、ほとんどの場合、損害を被るのは銀行(つまりその株主)であって、銀行家自身ではない(銀行家が実際に刑務所に入ったのはアイスランドだけであった)。

私的領有と社会の解体

 共同の富が私的に領有されていくこの過程の核心には、すでに見たような〔一つの〕矛盾した状況がある。貨幣が社会的労働(価値)を表象し象徴するということだ。貨幣は社会的価値を表象するが、これとは逆に、そもそも貨幣を領有できるのは私人なのである。この事実が意味するのは、貨幣は(それが価値の保存手段としても価値の尺度手段としても首尾よく機能すると仮定すれば)私人の手で無限に蓄積できるということである。そして貨幣が社会的権力の貯蔵庫であるかぎりでは、一群の諸個人への貨幣の蓄積と集中ぱ、次の二点に対して重要な意味をもつようになる。一つは、私利私欲が社会的に構築されるという点であり、もう一つは、資本主義的階級権力が、程度に差はあるものの、集団的まとまりをもって形成されるという点である。

 資本主義以前の社会は、社会に対する危険性を認識していたがゆえに、共同の富に対する見境のない私的な領有と活用とを制限する一方で、あらゆるものの商品化と貨幣化にも抵抗しようとした。こうした社会で非常によく理解されていたのは、貨幣化が、共同体を構築するそれ以外の諸手段を解体してしまい、その結果、マルクスが述べたように「貨幣が共同体になる」ということであった。われわれは依然として、こうした移行によるさまざまな結果を耐え忍んでいる。だが、これらの古い社会がこの闘いについに敗北したからといって、われわれは、共同の富の私的領有を抑制するさまざまな手段について検討することを思いとどまるべきではない。というのも、見境のない領有や投資が、環境的・社会的諸帰結を顧みることなく行なわれているという面からすれば、私的領有は巨大な危険性を示しており、資本そのものの再生産のための諸条件を脅かしてさえいるからである。

 このような主張は、あまりにも自明であるかもしれない。しかしながら、貨幣計算の内側では、はるかに不吉なことが起こっている。「略奪による蓄積」の政治力学と諸実践は、資本が資本であることを証明するものだが、貨幣計算は、このような政治力学や諸実践を実際に覆い隠してしまう。われわれは、貨幣の機能を検討した際、価値と価格が区別されることによって一つの乖離がどのように生じるのかを理解した。つまり貨幣は、社会的労働という現実から乖離してしまい、社会的労働による生産物であろうとなかろうと、あらゆるものに対して虚構の値札を貼ることができる。開墾されていない土地であろうと、良心であろうと、貨幣のために売ることはできるのだ! それゆえ価値と価格の乖離は量的であるばかりでなく(たとえば価格は、需要と供給の何らかの不均衡に反応して、即座に上がったり下がったりするかもしれない)、それは質的でもある(たとえば価格は、名誉や忠誠心や忠義といった非物質的な特徴にさえ付けることができるかもしれない)。資本が時とともにその範囲を広げ、その深みを増すにつれて、この乖離の隔たりも深まっている。

 あらゆる著述家のなかでも、この現象の特徴を最もはっきりと理解し、それがもたらす「社会に対する危険」を認識した人物は、おそらくカールーポランニーであろう。彼は、ハンガリーからの亡命者で社会主義的傾向をもった経済史家兼人類学者であり、マ>\カーシズムという苦難の絶頂期にあったアメリカで自分の研究と著述活動を行なうことになった人物である。後世に大きな影響を与えたその著書『大転換』は、一九四四年に出版されたにもかかわらず、今日においても画期的意義のある文献である。ポランニーの指摘によれば、資本を機能させ価値を生産するにあたっては、労働市場や土地市場、そして貨幣市場が必要不可欠である。

 しかし、労働、土地、貨幣は明らかに商品ではない。〈……〉労働は人間活動の別名にほかならず、人間の生活そのものの一部なのである。したがってそれは、販売のために生産されたのではなく、まったく違う理由から生みだされるものなのである。また、その活動を生活の他の部分から切り離したり、蓄積したり、転売したりすることも不可能である。同様に、土地は自然の別名にほかならず、人間によって生産されたものではない。最後に、実際の貨幣は、単に購買力の印にほかならず、一般にげっして生産されたものではなく、銀行メカニズムあるいは国家財政メカニズムによって存在するようになるものである。これらのいずれも、販売のために生産されたものではない。労働、土地、貨幣を商品とするのは、まったくの擬制なのである。

 労働、土地、貨幣を商品にするというのは擬制なのだが、この擬制が大手を振ってまかり通ることができるようになると、ポラソニーの見解では「社会は壊滅することになる」だろう。

 市場システムが人間の労働力を処理するということは、それによって、「人間」という名札に結びつけられたその人自身の身体的、心理的、道徳的特性を、市場システムが処理することを意味しよう。人間は、文化的な諸制度という保護膜を奪われ、社会的にむき出しの存在となることに耐えられず、朽ち果ててしまうだろう。すなわち人間は、悪徳、堕落、犯罪、飢餓による激烈な社会の解体の犠牲となって、死滅するのである。自然は元素にまで分解されてしまい、街や景観は冒涜され、河川は汚染され、軍事的安全性は危地に陥れられ、食料と原料を生産する能力は破壊されるだろう。〈……〉〈そして最後に〉貨幣の不足と過剰は、未開社会における洪水や旱叙のように、事業にとって災厄となることが明らかになる。〈……〉いかなる社会も、そのなかにおける人間と自然という実体や、あるいはその企業組織が、市場システムという悪魔の挽き臼による破壊から守られていなければ、むき出しの擬制によって成立するこのシステムの影響に一瞬たりとも耐えることができないだろう。

 これがポランニーの結論である。さまざまな保護制度が、かつての数十年単位の闘争を通じて、多大な努力とともに創設された。ところがその多くが、この数十年にわたる新自由主義的な政治力学と諸政策によって廃止されるにつれて、今やわれわれは、わが物顔の資本が生みださざるをえない「悪魔の挽き臼」の最悪の特徴にますますさらされることになる。ポランニーの恐れていた崩壊が多数生じているが、この点については数々の証拠が、われわれの周囲に見受けられる。だが、それだけではない。ますます多くの人間が、自ら構築してきた文明の根底にある野蛮さを嫌悪し、それから背を向けるにつれて、強烈な普遍的疎外感も、はるかな脅威として迫ってくる。こうした事態については本書の結論で論じるつもりだが、それは、資本主義と資本の両者の存続を脅かすような、最も危険なーおそらく致命的でさえある--三つの矛盾の一つなのである。

 労働、土地、貨幣の商品化がどのように歴史的に実現してきたかは、それ自体、長きにわたる痛ましい物語である。これを概説したものか、マルクスか『資本論』で簡潔に叙述したいわゆる「本源的蓄積」の歴史である。労働、土地、貨幣を商品に転換することは、暴力、不正行為、強奪、詐欺などにもとづいていた。共有地は囲い込まれ、分割され、私有財産として競売にかけられた。金や銀は、資本の歴史上、最初の貨幣商品になったが、それらは南北アメリカから盗みだされたものである。労働者は自分の土地から強制的に立ち退かせられて、「自由な」賃金労働者という地位に迫いやられた。彼らは、まったくの奴隷や年季奉公人ではなかったが、資本によって自由に搾取されることができた。このような略奪は、資本が創設される際の基盤であった。しかし、はるかに重要なことを言えば、こうした略奪が無くなることはけっしてなかった。それは、植民地主義が呈した卑劣な特徴の核心にあったばかりではない。まさに今日でもなお、土地、水、天然資源のアクセスをめぐる略奪の政治力学と諸政策--その大部分は、企業と国家の癒着した権力によって支配されている--が、世界的な不安の巨大なうねりのなかで、その根底をなしているのである。アフリカ、ラテンアメリカ、そしてアジア各地で起きているいわゆる「土地争奪」(中国で現在進行中の大規模略奪など)は、略奪による蓄積という政治が、ポランニーには想像すらできなかった形で猛威を振るっているという、まさにそのもっとも明白な兆候なのである。アメリカでは、土地収用戦術がとられたのと併せて、住宅に対する差し押さえが残酷なまでに続発した。それは多くの人々から使用価値を奪っただげでなく(何百万人がホームレスになった)、ようやく手にした貯蓄も資産価値も奪い去った。これらが住宅市場に埋め込まれていたからである。年金や医療保障、教育権、福祉手当などが失われたことは言うまでもない。このすべてが指し示しているのは、徹底的な略奪の政治経済学が資本主義世界の中心地においてさえも健在であるということだ。これらの略奪の諸形態は今や、ますます実行されつつあるが、そのご立派な口実となっている緊縮財政政策が、病んでいる資本主義を健常だとされる状態に引き戻すために必要とされるのは、皮肉な成り行きである。
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資本主義の終焉 国家と私的所有の矛盾

『資本主義の終焉』より 私的所有と国家

個人化された私的所有権レジームは、資本が資本であるためのその基礎に位置している。この法的インフラを欠いては、交換価値も貨幣も現在のような形では機能しえないという意味で、それは必要条件であり必要な構造なのである。しかしこの権利レジームは諸矛盾に覆われている。貨幣の場合のように、その矛盾は単一ではなく複合的である。この理由の一つは、使用価値と交換価値との矛盾、そして貨幣とそれが表象する社会的労働との矛盾が、個人化された私的所有権レジームにまで波及しているからである。

矛盾の第一のそして最も明確な領域は、個人の私的所有権の「自由」とされる行使と、国家の強制的規制権力の集団的行使とのあいだにある。後者によって、個人の私的所有権およびそれを非常に緊密に編みあわせる社会的結びつきは定義され、成文化され、法的形態を付与される。個人の法的定義と、これに由来する個人主義文化は、交換関係の増大、貨幣形態の出現、資本主義国家の発展とともに発生した。しかしながら、最も狂信的なリバタリアンと最も極端なアナーキスト以外は、次のことに同意するだろう。個人化された所有権と法の諸構造を維持するためには、国家権力に似たものが存在していなければならないということである。フリードリヒ・ハイエクのような理論家によると、そのような構造こそが、強制なき個人的自由を最大限保障する。だが、これらの権利は施行される必要がある。そしてまさにここで、強制力と暴力の正統な行使を独占する国家は、私的所有権レジームに対するいかなる侵害も抑圧し取り締まることを求められる。資本主義国家は、獲得した暴力手段の独占を用いて、自由に機能する市場を介して表明される個人化された私的所有権レジームを保護し維持しなければならない。中央集権化された国家権力が、分権的な私的所有体制を保護するために使われる。しかし、強大な企業と機関にまで人格性や法律上の個人という地位が拡張されるなら、民主主義的に分散した所有にもとづいて万人の個人的自由が保障される完壁な世界というブルジョアのユートピア的夢想が堕落するのは明らかである。

市場交換の領域には数多くの問題が存在する。それゆえ国家は、私的所有と個人の諸権利を保護するという単純な「夜警」的役割を大きく越え出ることを余儀なくされる。まず、集合財と公共財(高速道路、港湾、水道、廃棄物処理、教育、公衆衛生など)を供給するという問題が存在する。物的・社会的インフラの分野は広大で必要不可欠であり、国家は、それらの財を直接生産するか、あるいはその供給を義務づけ規制するか、このいずれかで関与せざるをえない。これに加えて、保護すべき機関を管理するだけでなく、その安全を保障するためにも、国家装置そのものが構築されなければならない(したがって、軍事カや治安維持能力をつくりだし、徴税を通じてこれらの活動のための財源が調達されなければならない)。

国家は何よりも、多種多様な住民を、しばしば反抗的で手に負えない住民を統治し管理する方策を見つけださなければならない。多くの資本主義国家にとってそのための手段は、強制と力に訴えるというよりも、民主的な手続きと統治性のメカニズムとによって同意を引きだすことに帰着した。このことから、私見では誤りであるが、民主化と資本蓄積のあいだには本質的な結びつきがあると考える人も現われた。しかしながら、一定のブルジョア民主主義が、資本主義における統治形態としては総じてより効果的で有効なものであったことは否定できない。だがこのことは必ずしも、資本が一社会構成体の経済エンジンという支配的地位に上りつめたことの結果ではない。こうした結果を生んだ原動力になったのは、より広範な政治的諸力の存在であり、集団的な統治形態を見いだそうとする長期にわたる努力のおかげである。その結果、個人の自由と自律を求める民衆と、専横になりがちな国家の専制的権カとのあいだの葛藤が有効に対処されたのである。

次に、市場の失敗にどのように対処すべきかというかなり普遍的な問題が存在している。市場の失敗が生じるのはいわゆる外部効果のせいであり、外部効果は、市場において(何らかの理由で)算入されない実質費用と定義される。外部性が最も顕著な分野は公害である。企業や個人は、自分たちの活動を通じて大気や水や大地の質に有害な影響を与えても、それによって発生する費用を支払わない。外部効果には他の形態(肯定的なものと否定的なものの両方がある)もあって、いずれもそれに対処するには通常、個人的行動よりも集団的行動を必要とする。たとえば、住宅の交換価値というのは外部効果の影響を受げやすい。近隣区域におけるある家屋に対して投資したり、あるいは投資を引き揚げたりした場合、そのことは隣接する周囲の住宅の価値に何らかの(肯定的ないし否定的な)影響を与えるからである。この種の問題に対処しようとする国家介入の一形態か、土地利用規制である。

ほとんどの人は、強力な否定的外部効果を生みだすこのような活動を管理し規制するために、国家やその他の形態の集団的活動が正当であると認めている。これらの事例においてはいずれも不可避的に国家は、個人の自由の行使と私的所有権を侵害せざるをえない。ここでは使用価値と交換価値との矛盾か、分権的な個人の私的所有権の自由な行使と、中央集権化された国家権力との関係にまで波及して、それに深い影響を与えるようになる。唯一の興味深い問題は、国家による侵害はどこまで進むのか、そしてこの侵害かどこまで進めば、同意の構築(不幸にもこの過程はナショナリズムの醸成をともなうが)よりも強制にもとづくようになるのか、ということである。いずれにせよ、このような機能を果たすには、国家は暴力の正統な使用に対する独占権を有していなければならない。

この独占は、次の点でも露わになる。すなわち国家は、その前資本主義的な形態にあっても、資本主義的な形態にあっても、何よりも戦争を遂行するための機関であったのであり、世界を舞台にした地政学的対立関係に巻き込まれ、地経学的な戦略化に従事することを余儀なくされてきた。新たに出現し常に進化しつづけるグローバル国家間体制という枠組みの内部で、資本主義国家は、外交、貿易、経済の優位を求め、同盟関係の追求に関わる。その目的は、所有権保有者の居住領土内に富を集積しつづける力を強化することによって、国家自体の富と権力(あるいはより正確に言えば、その指導者と少なくとも一部住民の、富と地位と権力)を確保することにある。そのさい戦争--古典的には、他の手段による外交と定義される--は、地政学的・地経学的位置を決める決定的手段となる。そこでは、国家という領土的境界内に富や競争力や影響力を集積することが独自な目的になる。
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言葉にできるのは思考の一部

言葉にできるのは思考の一部

 言葉にできるのは思考の一部。考えにできるのは言葉の一部。

 思考は広大 言葉は狭い そして行動はひとつだけ。だから行動はしない。

 行動は可能性を奪う。原爆開発は間違いだったけど、科学者は作ってみたかっただけなんでしょう。そのために雑多な物を寄せ集めた。機密も何もあったもんじゃない。そして、現在は、人工知能で同じことをしようとしている

未来方程式

 情報共有とソーシャルでつくる未来は別のカタチになる。コミュニティでのシェア社会。それが未来方程式

 作る世界ではなく使う世界。人間を含めた、効率的な 社会。それに人類はいつ気づくのかな

第8章「小さな変革」

 第8章は小さな変革 のとりあえずの結論

8.7「分化と統合」

 そこに至るプロセス。これはデカルト空間からトポロジーに変わるのと同じ変革を起こさせる。

8.8「クルマ社会」

 使うことに徹した地域のインフラの実験。その際に、ハイアラキーだから多様化とグローバル化が阻害要因になる。自立した市民が配置の考えで臨むならば、状況は一変する。

 国民国家、企業、それらのハイアラキーの仕組みは壊れていく。国家の前に家族制度、教育制度、仕事が変質していく。そして国家 日本が一番最後でしょうけど。

時間はどこへいくのか

 朝5時過ぎに仕事しとって次に 起きたら、なぜ11時なのか。6時間はどこいった

未唯がやってきた

 今日もみゆいるんだ。あーちゃんと。だったらエプロンの焼き芋を買ってくればよかった。ほっかほか感はないけど大きくて暖かい。昨日はアイスだったので、一日一つは買ってこよう。

あさひなぐを観に行こう

 明日こそあさひなぐ 何も考えなくて寝るための映画館だけどいくちゃんが出てきたら見ちゃうだろうな。

 ウィットゲインシュタイン のように 興味の無い映画にしましょうか
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イスラームの騎士道精神 家族、同胞と共に生きること

『フトゥーワ』より 家族、同胞と共に生きること

フトゥーワとは、家族、同胞と共に生きることである。自らの手元に残っているものが水一滴であったとしてもそれを惜しみなく同胞に分け与える者こそフトゥーワを実践するものである。

称賛はアッラーのみに属す。アッラーこそ、「フトゥーワ」の道、すなわち彼から命じられた義務である善行の全てへと導き、明らかな道をお造りなさった御方。またアッラーは、「フトゥーワ」の道から忌まわしき行為、欠陥を取り除き、最も高い段階へと引き上げた。「フトゥーワ」を持つ、誠実さの御板に記された全ての遣わされた預言者たち、アッラーに近き清浄な者たちに満足された。彼らは真理の道におり、アッラーから命じられた義務を遂行し、「フトゥーフ」を体現する者の階梯に座している。

「フトゥーフ」への誘い、男らしさの高貴さに応えた最初の者は、天性素晴らしき、家族の長、地表からその名がとられたアーダム(アダム)である。アッラーの御意志の中に彼の名は書かれ、品格の家の中で彼は常に静かに佇み、諸々の光や無謬性の助けを受け、奇跡の冠を頭に被り、廉恥の家にいらっしやった。カービル(カイン)が「フトゥーワ」を捨てた際には、ハービル(アベル)がフトゥーワを受け入れた。シート(セト)はフトゥーワを体現し、全ての悪徳から「フトゥーワ」を守った。イドジース(エノク)は「フトゥーワ」を最も高き場所へと引き上げ、イブリース(サタン)の悪巧みから守った。

ヌーフ(ノア)は「フトゥーワ」を愛し悲しみに生きた、「フトゥーワ」の光によってその身を照らされた。アード(族)は「フトゥーワ」から名づけられ、決っして還らず不品行に戻ることはなかった。フードは同胞との約束を守る美徳をフトゥーワによって示した。サーリフはフトゥーワの助けによって悪徳から身を守った。またアッラーの親しき友イブラーヒーム(アブラハム)はフトゥーワを冠し、偶像を破壊した。イスマーイール(イシュマイル)は峻厳なる王アッラーの命によりフトゥーワをもってその身を捧げ、ルート(ロト)はフトゥーワによって、そこから先は下がることのない高き階梯へと上がった。フトゥーワによってイスハーク(イサク)は最後の審判の日まで崇拝を捧げ続けている。ヤークーブ(ヤコブ)はフトゥーワを固持し、フトゥーワによってアイユーブ(ヨブ)を苦しめていた害は取り除かれた。フトゥーワによってユースフ(ヨセフ)は最も高貴な道を歩き、神佑は常に彼と共にあった。ズルキフル(エゼキエル)はいと高き段階に導かれ、アッラーが嘉し給う善行であるフトゥーワを実践した。シュアイブはフトゥーワの栄光を手にし、フトゥーワによっていかなる疑いの目や恥からも守られていた。ムーサー(モーセ)はフトゥーワの長衣を身にまとい、ハールーン(アロン)もフトゥーワに応え、善き言葉を話した。碑文と洞窟の眠り人たちはフトゥーワによって高貴な者とされ、恵みの家へと導かれた。フトゥーワによってダーウード(ダビデ)の心臓は長きにわたり鼓動し、礼拝における前屈と平伏を味得した。スライマーン(ソロモン)はダーウードからフトゥーワを受け継ぎ、フトゥーワによって人間とジン(幽精)を使役した。ユーヌス(ヨナ)はフトゥーワの条件を理解し実践した。ザカリヤーはフトゥーワによって清浄なる源へと至った。ヤフヤー(ヨハネ)はフトゥーワに対して誠実であったことから困難から守られ、フトゥーワを大切にしたことから、不安や苦痛を感じることはなかった。イーサー(イエス)はフトゥーワによって闇を正しき光で照らしたことからアッラーの霊、救世主と呼ばれた。フトゥーワによってムハンマド--彼に祝福と平安あれ--には確かな勝利が与えられ、信徒たちの長である彼の義兄弟、彼のおじの息子(アリー)をフトゥーワの守護者とした。

アッラーよ、この言葉(フトゥーワ)を正しく実践できるように私たちをお助けください。この(「フトゥーワ」の)絆の恵みを私たちにお与えください。我々を真理の民としてください。最も誉れ高き道を歩かせてください。

「自分の主との会見を願っていた者は、善行をなせ、そして自分の主の崇拝に何ものも並びおいてはならない。」(クルアーン18:10)

「『称賛はアッラーに属す、子を持たず、王権において彼に共同者がなく、また卑小さからの後見のない御方に』。そして、彼の偉大さを称えよ。」(クルアーン17:111)

永久の恵みをお与えになるアッラー唯独りにのみ称賛は属す。いかなる力も権能も至高なるアッラーのみに属す。称賛はアッラーのみに属す。彼こそは選良の崇拝者に恵みの徴をお見せになり、アッラーの命令に従うようお導きになり、反抗することから遠ざけお救いになった。そして彼ら崇拝者の階梯はアッラーの「親しき友」イブラーヒームー彼に平安のあらんことを--の階梯と同じものであると教えてくださった。

すなわちそれは、「フトウーワ」である。

「彼らは言った。『われらはある若者が彼ら(偶像)について(悪く)言うのを聞いた。イブラーヒームと言われる(者である)』」(クルアーン21:60)

アッラーは「フアター」(若者、「フトゥーワ」を体現する者)の称号を選良の崇拝者にお与えになった。なぜなら「フトゥーワ」を冠し、またそう呼ばれる者は、自分自身、同胞、財産、子供をアッラーのために捧げ、自分が持つ令てを、真に全てを持つ者であるアッラーに捧げ、現世とそこにあるものを捨て去ったからである。そこからアッラーはアッラーの友の選良を「ファター」の名でお呼びになった。

「まことに彼らは彼らの主を信ずる若者たちであり、われらは彼らに導きを増し加えた。」(クルアーン18:13)

「フトウーワ」を体現する者は、いかなる仲介も証拠も必要とせず、アッラー唯独りのためにアッラーを信じ、豊かな導きをアッラーから与えられアッラーに近き宿処に立つに至ったのである。

「われらの主は諸天と地の主であり、われらは彼をさしおいてどんな神にも祈ることはない。そうなれば(アッラー以外に祈れば)、大法螺を言ったことになる」(クルアーン18:14)

そして真なる御方(アッラー)は彼の衣を彼らに着せ、アッラーの高貴なる守護のもとにひきよせ、アッラーの方向にある優しさへと向かわせた。

「われらは彼らを右側に、また左側に寝返りさせ」だ(クルアーン18:18)

このように、「フトウーワ」の道にある者は、真なる御方(アッラー)の守護の中にある。

フトゥーワとは、同胞たちと親しき交わりを結び、彼らの望みに応えることである。アナス・イブン・マーリクが伝えるところのハディースより、

預言者曰く、「信仰者に柔和に接し、小うなことでも大さなことでも彼の現世の必要を満たすために行動した者には、アッラーによって最後の審判の際に奉仕者がもたらされる。」

フトゥーワとは、無礼には善行で返答し、悪業を罰しないことである。アブー・アフワスの父が伝えるところのハディースより、アブー・アフワスの父が「預言者よ、ある男の許へ行き、助けを得られなかった場合、私も同じことを彼にするべきでしょうか?と聞くと預言者は『否』と答えられた。』

フトゥーワとは、同胞の欠点をあら捜ししないことである。ムアーウィヤが伝えるところのハディースより、

預言者曰く、「もしお前がムスリムの欠点を執拗に探すようであれば、彼らを破滅させてしまうか、破滅させかけるだろう。」

フトゥーワとは、同胞の内で信頼している者の家に、招待なしに訪れることである。アブー・フライラが伝えるところのハディースより、

「アブー・バクルとウマルが座っていたとき、預言者が彼らの許にやって来て『なぜここに座っているのか?』と尋ねた。アブー・バクルとウマルは答えて曰く『空腹です、(あなたに真理をもたらした)アッラーの使徒よ』、テブー・フラィラも)『私の魂がかの手の内にある御方(アッラ-)に誓って、私も、空腹によりここに来ました』と言うと、預言者は『アンサールの者の家に行きなさい』ど言われた。」

フトゥーワとは、用意された食べ物に文句をつけないことである。アブー・フライラーアッラーが伝えるところのハディースより、

「預言者は決して食べ物に文句をつけることはされなかった。食欲をそそられれば食べ、なければ食べられなかった。」

フトゥーワとは、人格の高貴さである。なぜなら、それは天国の民の行いだからである。アナスが伝えるところのハディースより、

アナスが病にかかり、彼の同胞がアナスの許を訪れたとき、アナスは彼の従僕に言った。「同胞に持って行きない。たとえそれが一切れのパンであったとしても。なぜなら私は預言者がこう言われるのを聞いた『まことに寛容とは天国の民の行いである。」」
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「主と奴の弁証法」

『内乱の政治哲学』より ヘーゲル(一七七〇-一八三一)

そこで肝心のヘーゲルの『精神現象学』における「自己意識の自立性と非自立性」の節における「主と奴」の比喩であるが、私の見立てでは、アリストテレスの『政治学』における悪名高い自然的奴隷制の擁護の一節がヘーゲルの念頭にあったのではないかと思われる(『哲学史講義』には、この一節への言及は見当たらない)。それは統治や支配の形態である「ポリス的支配」「王的支配」「家政的支配」(主人的支配」におけるそれぞれの支配関係、つまり「政治指導者/市民」「王/臣下」「家長/家族」「主人/奴隷」の最後のものに関わっている。そこでアリストテレスは、主人と奴隷の関係は、「生活に不可欠な必要」(『政治学』)を中核とするものであると述べているが、言うまでもなくこれは、われわれが先に見たプラトンの『国家』において、国家を構成する成員が「われわれの必要」にしたがって選定されるとされていたことを踏まえたものである。だが、興味深いことに、ちょうどヘーゲルが『哲学史講義』においてこれを要約する際、「必要」に基づく成員を耕作者や手工業者など生産者に限定したのと、このアリ。ストテレスの奴隷の規定は符合していることである。言いかえれば、アリストテレスは先のプラトンの三階層のうち守護者とその補助者をひとまとめに主人的なものとし、生産者を奴隷的なものに当てはめて、しかも「必要」を後者に限定したーあるいは、少なくともヘーゲルはそう理解した可能性があるIということができよう。

しかも、『政治学』では、奴隷は「生活に必要なものを供するための肉体による奉仕を行うものとされている。これは先の『国家』のヘーゲルによる要約において、生産者について「生活と労働」への言及がなされていたことを想起させる。そして言うまでもなく、奴隷が肉体労働によって主人に仕えていることは確かである。だが、『政治学』においても、家政運営の全般を統括する主人は、個々の家政運営の作業を遂行する奴隷を監督するが、それは『国家』と同じく、基本的に「技術」を媒介にしたものであり、もちろんそこにはむき出しの力関係があるとはいえ、具体的な作業において発揮される諸技術の統括がその中心をなしている。奴隷が自然的道具だというやはり悪名高い比喩も、道具は、あらゆることをなすのではなく、それぞれ固有の機能をもつという技術的連関において言われているものである。

さて、以上のような「主と奴」をめぐる『政治学』の記述が、ヘーゲルの『精神現象学』の自己意識をめぐる「主と奴」の記述に何らかの示唆を与えたことは、充分検討に値することではないだろうか。だが、ここで私が問題にしたいのは、以上の考察をもう一歩進めて、ヘーゲルにおける「必要」および「労働」という概念の成立と、前者の「欲望」への変貌という事態を考えるうえでも、何らかの手掛かりとなるのではないかということである。

そのうちもっとも大きいと私に思われる手掛かりは、アリストテレスが「主と奴」の関係を対比したさまざまな比喩のうち、「魂と身体」の比喩である。「魂が身体を支配するのは奴隷に対する主人のやり方によっており、知性が欲求を支配するのは、ポリス的・王的なやり方によっている)(『政治学』)という一節である。アリストテレスは比喩の使い方には敏感なところがあった。したがって、ここでも「魂」の「身体」に対する関係を「知性」の「欲求」に対する関係とは次元の違うものとして扱っている。というのは、アリストテレスの区分にしたがえば、「魂」対「身体」の関係は、「形相」対「素材」の関係であるのに対して、知性と欲求はともに魂の能力として、強いて区分すれば形相の働きだからである。そして、前者にはlogos的―それは、「理由」「言葉」「比率」という三つを兼ねた意味で「合理的」--な介入の余地は存在せず、文字通り力づくや習慣づけといった非理性的な方向付けを必要とするのに対して、後者はまさにlogos的な指導で充分だという違いがある。

では、翻って『精神現象学』における「主と奴」の関係はどうだろうか。もちろん、その最初の契機は主人に対して奴隷の抱く「恐れ」である。だが「奉仕と服従という訓練」を通して、奴隷は「労働」という形成的な働きを遂行する。というのも、「労働は、妨げられた欲望であり、保留された消失である--つまり労働は形成する」(『精神現象学』同、一四九頁)からである。もちろんこの場合の「欲望」は、主人の欲望であって、奴隷の労働は「主の意識における欲望に対応する契機」(同、一四八頁)であるにすぎない。だが、こうして「労働」という形成的な働きを獲得した奴隷は、「自立した存在として自己自身を直観するようになる」(同)。そして「自分自身の努力によって自己を再発見することで、自分の意味/感覚(哨自)をうるのである」。こうしたヘーゲルの論述を見ると、アリストテレスにおける「主と奴」の説明に含まれる「魂と身体」の比喩をより丹念に描いたものということができるのではないだろうか。ちなみに一八一七年の『エンチクロペディー』の一節には、「この直接性は、同時に自己意識の身体性である。そして自己意識が自分自身の自己感情と、他者に対する自己の存在と、自己を他者と媒介する関係とをもつのは、すべて自分の記号および道具としての身体性においてである」(『エンチクロペディー』四三二節、船山訳、下・四七頁)と言われている。

問題は、奴隷の労働がアリストテレスにおけるように「生活の必要」ではなく、主人の「欲望」との関係で規定されていることである。もちろんここにはヘーゲルの「主と奴」の比喩をどのようなものとして解するかというより根本的な問題が含まれている--というより、そもそもこれは従来、別表現による同一事態の記述もしくはモデル描写と解されてきたような気もする。いずれにしても、先のウィギンズの指摘にあったように、個人のレベルの「欲望」を社会レペルにおいては「必要」へと変換するための装置として、相互承認をはじめとするここでの間主観的・社会的場面設定が使われているという疑いは消えない。

もちろんここに従来の解釈通り間主観的な社会的関係を見ることは、依然として妥当性を完全に失うものではない。というよりこの二つは決して両立しえない解釈の選択肢ではない。実際、『イェーナ体系構想』と呼ばれる初期のヘーゲルの考察には、「交換」と「労働」がともに一つの「内的行為」として、自己自身の人格を直接的に把握する営みとして「行為論」の文脈で語られている(『イェーナ体系構想』)。「交換」と「労働」という主題のためか、そこでは「欲望」より「必要」の方が優勢的な使われ方をしている。これに対しては、「自然成長的欲望が社会的欲求によって置ぎ換えられ克服される」(幸津・前掲書、ただし、ここで言われる「欲求」はわれわれの「必要」のことである)という説明が与えられているが、これは『イェーナ体系構想』の当該箇所の、ヘーゲルによるイギリス国民経済学--とりわけその「社会的分業」--のまとまった考察を踏まえたものである。同じイエナ期の草稿『人倫の体系』(一八○○)に関して、熊野純彦は(やはりわれわれの文脈では「必要」と呼んでいるものを同じく「欲求」としているが)、そこで「普遍的に相互的な物理的依存性の体系」とされている「欲求の体系」は、各人の欲求が自足的でないことによる労働の分割、つまり分業を前提するとともに、その欲求そのものが社会的に引き起こされるという点で、二重の意味で社会性を帯びていることを指摘している。そしてそのうえで、こうしたイエナ期の考察との対比において、「そのかぎりでは、「欲望」を論じる『精神現象学』の手つきはむしろ特殊であり、その欲望論は、あらかじめ欲望と労働の社会性を捨象した抽象的な「欲求」論のようにも映じよう」という、論者特有の繊細で鋭敏な指摘を行っている。われわれの文脈においては、この「抽象性・非社会性」こそ、『精神現象学』における「主と奴の弁証法」において試みられるべき「行為論」的読みの可能性と結びついているように思われる。
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軍縮から戦争支持ヘ一転した「新聞」

『日本ナショナリズムの歴史』より

満州事変の勃発を契機に最も劇的に変わったのは、新聞メディアです。それまでの立憲政治の下での軍縮を支持する立場から、軍部が主導する戦争支持へと一転したからです。

朝日新聞社は二〇〇七年から翌年にかけ、「新聞と戦争」と題する調査・取材記事を連載しました。満州事変から太平洋戦争にいたる戦争の時代を通じての自社の報道を検証した記事で、その成果は単行本『新聞と戦争』(○八年、朝日新聞出版)にまとめられていますが、それによると、日ごろから石原作戦主任参謀と親しかった同社の奉天通信局長は、早くも事件発生の翌朝、第一報を打電します(以下、引用文は現代仮名遣いに変更、傍線、引用者)。

 --「三四百名の支那兵が満鉄巡察兵と衝突した結果ついに日支開戦を見るに至ったもので明らかに支那側の計画的行動であることが明瞭となった。」

関東軍の発表そのままの内容で、事実は全く逆さまでした。しかしこの報告が同日の朝発行の号外に掲載され、翌々日の社説もそれを追認します。

 --「すでに報道にあるが如く、事件は極めて簡単明瞭である。暴戻なる支那側軍隊の一部が、満鉄路線のぶっ壊しをやったから、日本軍が敢然として起ち、自衛権を発動させたというまでである。」

この一節を引用して、「新聞と戦争」の取材班はこう言い切っています。

 --「その後も朝日新聞は……自ら事実を掘り下げることはなかった。/報道機関が本来の役割を果たさなかったことが、軍部の暴走を許した。」

実は、朝日新聞の論調は、事変の直前まで軍部に対し批判的な立場をとっていたのでした。

事変の前年、一九三〇(昭和5)年の1月から4月にかけ、ロンドンで軍縮会議が開かれます。前回ワシントン条約での主力艦(戦艦、空母)の保有制限につづき、補助艦(巡洋艦、駆逐艦、潜水艦など)の保有量を協定する会議でした。折からの世界大恐慌の中での軍縮会議です。

この軍縮会議に際して、海軍は米英に対する比率を、前条約の六割を上まわる七割とするよう要求していました。日本側のこの要求に対し、米国は六割九分七厘(六九・七%)まで譲歩します。ほとんど七割(七〇%)です。ところが、これを受け入れた政府に対し、海軍は高齢の東郷元帥をかついで猛然と反対運動を巻き起こします。この問題は結局、政府が補充予算を講じることによって落着しますが、このとき朝日新聞社説は次のように主張して海軍の横暴を批判したのでした。

 --「軍費の負担軽減から国民を救い、過大軍備による戦争の危険から国家を救わんとする軍備縮小会議の目的精神からいえば、軍縮条約によって剰したる国費は、再び軍備には使用すべからざることが本則でなければならぬ。軍縮条約によって縮減したる軍備をもって不足なりとし、その欠陥を補充することは、軍縮会議の効果を無にすることであり、軍縮条約の精神を揉闘することである。」

この社説は5月25日付、事変四ヵ月前のものですが、事変直前の8月8日にも、朝日新聞社説はこう述べていました。

 --「すくなくとも国民の納得するような戦争の脅威がどこからも迫っているわけでもないのに、軍部はいまにも戦争が始まるかのような必要を越えた宣伝に努めている。なるほど満蒙問題は決して穏やかではないが、しかしその権益を保護するに、武力がいったいどの程度役立つかを、考え直してみる必要があろう。」

 「武力がオールマイティーであった時代は、すでに過ぎ去っている。しかも軍部はしいて内外の情勢を察知せんともせず、時代の転変も隣邦の実情をも度外視して、ただ昔ながらの夢と現とを混沌しているようである。」

このように説いていた朝日の社論が、先に見たように、事変の勃発をさかいに一転したのですが、一転したのは朝日だけではありませんでした。『東京日日新聞』(現・毎日新聞)の事変勃発直後の社説のタイトルは次のとおりです。

 9月20日「満州に交戦状態--日本は正当防衛」

 9月23日「満州事変の本質--誤れる支那の抗議」

 9月27日「時局は極めて重大だ--国民的覚悟を要す」

軍部(関東軍)の発表をそのまま追認し、戦争支持・全面協力体制に入ったことがわかります。他の新聞も同様でした。

たんに言論による支持だけでなく、各新聞社は軍支援のキャンペーンに取り組みます。再度、前掲『新聞と戦争』からの引用です。

 「9月23日の大阪朝日には、こんな記事が出る。

 ▽『私は未熟な見習看護婦ですが、どうぞ満州の礦野に戦う人々の看護のために満州へやって下さい』と若い女性が大阪府知事に願い出た。

 ▽大阪・飛田遊郭の娼妓たちが満州の兵士を慰めようと、いち早く慰問袋を作り始めた。」

 「こうした記事を読んだ読者が『自分たちも』と、各地で慰問運動を拡げた。

 10月16日、朝日新聞社は、『我が権益擁護と治安維持に努める満州の軍に『慰問の微意を表するため』、社として1万円を供して慰問袋2万個を贈ると社告。あわせて一般からの慰問金の募集も行うことを発表した。翌日から慰問金寄託者の名前を連日、新聞紙上で報じる。

 さらには原田棟一郎取締役らを慰問使として満州に派遣し、慰問袋の目録を関東軍に渡した。」

こうして、新聞社がまず火をつけ、二部読者がそれに呼応し、その動きを新聞社がとらえて拡大し、それにまた大衆が応えて、メディアと国民が一体となり、互いにあおり、あおられて、以後、足かけ一五年にわたる戦争の時代へとなだれ込んでいったのでした。
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