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分化と統合のトポロジー

位相空間として扱う

 この世界は、数学ではできているけど、他の世界ではできていません。それに人類が耐えられるかどうか。遺伝子から変えていかざるを得ない。自分の家族のところから全体をどう考えていくのか、共有の問題とかを含めて。

 位相空間でありさえすれば、次元の異なるサブ空間を組み合わせることができます。何が特異点なのか、特異点だけの空間を作り上げて、全体の統合を図ります。現実の空間からばらして、それを理想的な空間に再構成する。そのロジック自体を現実の世界に持ってくるのか。

分化と統合のトポロジー

 アメリカでの実験とヨーロッパでの実験。それに対して、日本という特殊な世界での実験を始めることができるのか。日本の場合は他の国との関係というよりも、国内で位相空間を作り出すことです。それができれば、アジアの国、中国辺りでそのまま使えます。

 その時に、ネットワークと情報共有が重要な役割を果たします。グローバルとローカルをどうつなぐのか。関数そのものです。連続性を保証します。

 それと全体というものをどう見せていくのか。見えてくるのか。そして、最終的には、一番ローカルなものとグローバルなものとがくっつく世界。それがLL=GGの世界、それをどうイメージしていくのか。これはネットワークなしにはできません。

情報共有の必要性

 情報共有が必要なのは、日露戦争後の日比谷焼打ち事件を繰り返さないためです。日本が勝ったのかどうか分からない日露戦争で、勝った!勝った!のプロパガンダで国民は舞い上がった。賠償金の期待が外れての焼打ち。かといって、全てのモノを開示するわけにはいかない。それをどういうカタチでやって、それぞれのところがどういう結論を出していくのか。それをどう組み立てていくのか。

 それはすべて、情報共有をどういうレベルでやっていくのか。個人レベル、グループ単位、地域単位なのか。それを行動にどういうカタチでつなげていくのか。全て関係します。

サファイア社会に向かう

 情報共有で肝心なのは、ThinkとActに分けることなんでしょう。いかに考えるか、考えたものをいかに意思決定するのか、それをどうまとめていくのか、それをローカルとグローバルでどういうバランスでやっていくのか。それをどう循環させるのか。すべて、サファイアにかかっています。

 グローバルな水準での共同の社会的責任が強調される。国家主体の多極主義から、市民社会や企業などのアクターがグローバルな社会組織に潜在的な貢献を果たす多極主義に移行する。

 これらのアクターが新しいグローバルな規範、人権、労働慣行、健康、腐敗是正、そして環境への責務を前に進めることで、大企業の経営や国家政策の取組みを促す。つまり、ローカルから起こしたもので、具体的なモノを横展開させることで、全体を変えていくためのネットワーク。

存在の力で多面性

 グローバル・ガバナンスのためには、グローバルを意識する人間が必要である。これはどういう人間なのか。そこで、先の遺伝子を変えることが出てきます。自分の範囲を広く持つ人間、グローバル市民が要求される。

 今まで、人間は民族、宗教、国家にアイデンティティを持っていたけど、もっと多くの、多様なアイデンティティを持つ可能性をもつ。それができるのは存在の力です。つまり、数学、職業、ジェンダー、階級、趣味、そういったもので価値観を持ちます。トルコとギリシャの市民の間でも価値観を共有できます。
 
 そういう多層的なアイデンティティを持って、柔軟性と多様性を確保して、グローバル・ガバナンスに可能性を与えます。例えば、著作権のための海賊党のようなパーティを作っていけばいいかもしれない。グリーンは環境のために作られた。
 民族とか国家とか宗教とは別の多様性です。それでもって、自分たちはどうしていくのか。グローバルな共同体というのは、そういうカタチになる可能性が十分あります。そうならないためには本当は遺伝子を変えないといけない。
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グローバリゼーション、民主主義、国民国家のトリレンマ

日本に相対性がない

 そう考えると、日本には出口がないです。誰も入ってこないし、誰も出ていかない。こんな国が戦争をしたら、自滅するしかない。

 中央集権国家である日本を分割するとなると、県という単位になるのか。分割したものが相似形であってはダメです。イメージとしては、やはり、判断でしょう。

 それぞれがどのような特徴を持つのかというよりも、それが本来のカタチであることにしていく。相似形でやると、島根・鳥取みたいなカタチになります。

 企業というのは、国の単位よりも世界の単位で持たせる。統合の方に行きます。メーカーのなかも、販売の方は完全に分割します。統括権は持ちません。グローバルとして、単に徳島をサポートするだけです。徳島は徳島で生きていきます。

 複雑にするのは、都市と田舎の関係です。大阪が特にそれが顕著になります。困難な状況に陥る関係を持っています。

トリレンマ

 スーパーグローバリゼーションと民主主義と国民国家のトリレンマ。これらの3つに内の二つを取るしかない。その組み合わせで三つのケースがある。そういうことですか。グローバリゼーションが避けられないとしたら、民主主義をとるのか、国民国家を取るのかになります。民主主義はとらざるを得ない。だから、国民国家を変えていくしかない。

 自由の保証単位でなくなった国民国家。完全なグローバルな世界とローカルで構成していくしかない。資本も労働力も国を超えてしまう世界で国民国家は存在できるのか。枠として存在するのか。ここで、抜けているのが、民族主義です。それと宗教です。心の拠り所です。

 日本は偶々、国というものと民族が同じと思われている唯一の存在かもしれない。これは大きな誤解の上に乗っかっている。

 民主主義はローカルでしか宿れない。典型的な議論は、直接民主主義なのか、間接民主主義なのかです。間接民主主義はありえない。直接であるためには、人口規模の制約がある。

ポスト国民国家

 国民国家は地域の多様性とグローバリズムに脅かされているという、図式の一つの現れです。それを民主主義と国民国家とグローバリゼーションのトリレンマにすれば、解決策が見えてきます。

 重要なのは、国が持っている自由の保証という契約部分をローカルに落とせるかどうかです。社会保障は特にその傾向が強いです。どの単位で社会保障していくのか。

 国の単位で、労働力の面から何人が何人を支えているのか、というのは大きく異なります。これを小さな単位にするのか大きな単位にするのか。

 市の単位で、自分たちだけで政治を行うというものがアメリカで出てきています。囲い込みます。古代ギリシャのアテネでの都市国家もそういうカタチです。囲い込めば、その中で若者を増やすのか。トルコでは、30代が中心になっています。まだまだ伸びます。それとギリシャを一緒にしたらどうなるか。

国民国家は足かせ

 国民国家を活かしながら、民主主義とグローバリゼーションを融合させるとなると、グローバル化はなしになります。これは、EUの実験でも見られるように、国民国家が足かせになります。その中にある、民族と宗教が複雑に絡み合います。

 アメリカ合衆国のカタチが一番、近いけど、もうすこし、違うカタチを求めないと、国民国家が邪魔になります。アメリカは元々、国民国家を持っていないから、移民という中に、民族も入って、その連邦制になっています。

 グローバル・ガバナンスになった時に、一つのルールで収まるはずはない。分化している世界から、分化と統合の関係、位相的な関係を作り上げて、発展させていくカタチなんでしょうね。
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お客様から友達へ

お客様から友達へのアップ

 朝:「牛乳がまだ来ていなくて、電話しなくていけない」「この後に電話しようと思っている」「お昼は居るので、その時にゆっくり、お待ちしています」「まだ、途中なんで、今日は長居できないけど」「ちょっとだけ用意します」

 昼:「お帰りなさい」「ブレザに、私の笑顔を添えます」「明日のお昼からテイスティングを新しいパートナーに教えるので、います」「12時台は店内をウロウロしている」「明日も頑張ります」「無事にここまでこれてよかった」「忙しいときには断ってくれればいいから」「友達ぽく、今はダメと言って」「わかりました。ありがとうございます」「ブラックは東京に送りました」「グリーンにしています」「ブラックのが合うのに」「★二つになったら、ドヤ顔で見せます」「私の顔でよかったら、撮ってください」「楽しみにしています」

アルゼンチンでのハイパーインフレの教訓

 グローバリゼーションの本質を理解しないと、そこにおける一国での民主主義とグローバリゼーションは両立できない。国内政治は金融市場に大きな影響を及ぼし、国家は世界経済に深く統合される。

 民主主義とグローバリゼーション、そして、ハイパーインフレの関係。

 民主主義の元では、国内政治が最終的に勝利する。唯一の例外は小国。EUのような大きな政治集団の一部である場合。その例はラトビア。民主主義というのは、あくまでも国内、ある制限の元、ある契約の元で成り立つものである。それに対して、グローバリゼーションはそれを超越するモノである。

グローバルでの労働者

 国内と同じ条件で、海外の労働者は十分、働きうる。アメリカの労働者に対して、中国の労働者がしたのは、そういうことである。

 アメリカの場合は、元々、人口が少なかったので、アイルランドの移民と中国の移民を持ってきて、大陸横断鉄道を作ったという経験を持っている。

 あの時点から、グローバリゼーションが動いている。アメリカという国内政治では、もっと安いもの、奴隷制があったから、十分、納得いくものであったのでしょう。だけど、完全な国民国家の元ではそれは成り立たない。そんなのは、ハイパーグローバリゼーションで変わってくる。

貿易が成り立つということ

 貿易自体が、アンバランスから成り立っている。その中で差額を見つけてきている。植民地でない限りは、ただで使えないけど、貿易というカタチで使えば、タダで使えます。

 アメリカの法人税率が35%で、アイルランドはその1/3である。だから、法人はアイルランドに移せば、安くなる。これは一種の貿易です。全世界を一つのルールにするのは難しいでしょう。逆に言うと、地域主権そのものになるかもしれない。

全世界と国の関係の相対性

 相対での問題です。全世界と国との関係。国と地域との関係、そして、地域を連携する話。国家というところに持ってきた視点を全世界にするのと同時に、地域にすることが二極化の話です。ローカルとグローバルが分化するのと同様に統合するというトポロジーの世界に入っていきます。それらは理解してないだけの話で、現実はそうなっている。

 今回の未唯空間で抜き出したロジックそのものは、実際に起こっているモノであり、単にそれを数学的に理解していないだけの話です。また、その数学の延長線上でどうなっていくのかを考えていないだけです。その意味では真理に近いでしょう。

 格差の問題とその解決方法は、この相対性から出てくるかもしれません。国の格差と地域の格差と、ローカルとグローバルは相対だから。

 国というものは、お互いの契約の元で自由を保証するものであった。その国というものが相対になった時にどうなるのか。そして、まとめる単位では、民族が主体である社会、宗教が主体である社会、アフリカ社会はグローバルの中のローカルで見れば、彼らの方が進んだ形になります。これが新しい人類の出生、そしてそこから出てくる出アフリカ(エクソダス)。
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