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兵庫県立図書館

朝、10時15分に神戸駅から販売店へ行く約束でしたが、起きたら行動したので、9時過ぎには神戸駅には着いてしまいました。

駅の案内板に「中央図書館」という表示があったので、たまらずに歩いて、大倉山の神戸市立中央図書館に向かいました。駅に図書館はこちらとある街は素敵です。すぐに反応してしまいます。

3年ぐらい前に一度、来ていたのですぐ場所はわかりました。

9時15分から開館ということで、玄関で待っていました。図書館の開館を待つのは好きです。ロサンゼルスでは1時間早く着いたので、前のビルのスタバに入りました。それがスタバを知った最初です。

相変わらず、年寄りで時間を持て余した人たちが多いです。それと2階の震災文庫が有名です。未だに新刊書もあり1・17文庫は健全です。10時過ぎには駅まで戻り、販売店へ。

3時過ぎに仕事が終わったので、明石まで足を延ばして、兵庫県立図書館に行きました。こちらは事前に調べてありました。明石城の中にあるといった感じです。感覚は宮城などと同じですけど、駅から10分ぐらいだから赦しましょう。宮城・香川は遠すぎます。

県立図書館の前に明石市立図書館があるのでびっくり。こういうところでは、どうしても、滞在型は市民図書館に譲ってしまうので、調査型になることが多いのです。県立はやはり、調査型になっていました。あまり、ゆっくりできるタイプではありません。

市立図書館は今日まで図書整理のために休館で、使い分けの仕方が調査できずに残念でした。残念でした。

兵庫県立図書館の特徴は事務室が全てオープンになっていました。事務風景が全て見えています。全員でリファレンスするとかオープンとかではなく、偶々そうなったという感じです。

それとびっくりしたのが、「図書館学」のコーナーです。10棚×3段の資料と世界の図書館月報などの雑誌の多さです。それも図書館の範囲が兵庫に限定されていることです。

他の図書館では、全国の図書館報を集めたものがありましたが、ここはほとんどが兵庫です。それも昭和20年代のものもあります。こんなのは単なるノスタルジーです。情報ではありません。

県立図書館は本当に存在意義と職員の意識とのギャップが難しいです。どうしても、中途半端になってしまうのと、自分の範囲で権威を作ろうとしますね。愛知県立図書館もそういう傾向にあります。
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自殺したくなったら図書館へ行こう

読んでいる本に「自殺したくなったら図書館へ行こう」という記述がありました。フレーズが気に入りました。誰がどういう意味で言ったかはGoogleで検索してもピーンときません。まあ、勝手に使わせてもらいます。

自分の経験からすると、本当にそのとおりだと思います。図書館では自分の考えに言葉を与えられます。

東富士から名古屋に来て、まるで受けいられなかった時にエドガール・モランの「複雑性とは何か」に愛知県図書で出会いました。

名古屋の販売システムのあり方はおかしいと思うのに、誰もそれでいいと思っています。それで成功してきたから、文句を言うな! 言うなら外すぞ!

その時に「複雑性とは何か」に出会い、私は間違っていない。私のやり方が21世紀の方法であることに確信を持てました。

もう一つは、デカルトの「情念論」です。感情というものに悩んだ時に、感情を冷静に見ているデカルトを知りました。「方法序説」に続いて写経(全ての文字をタイプイン)して、心が落ち着きました。

この本との出会いが本屋でできるのであればいいけど、今の本屋には期待できません。図書館を知っていたために、それが可能になったのです。

同じように、皆にその体験をしてもらいたくて、図書館活動をしています。ちなみに、日本は一人年間4冊でフィンランドは21冊の借出冊数です。
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技術編の作成

会社では朝8時から4時までサファイアネットワークの技術編を作っていた。何が従来のものと異なるかを販売店に知ってもらえないかと思ってました。本当に難しいけど。

元の資料はネットワーク会社が作り上げたものです。そこには、自分達の仕事しかかかれていません。なぜ、そうするのか? それによって何が変わってくるのか? 本当に苦労したところがどこなのか? それをもとにして、自分達がどちらに向かいたいのか? どう変わりたいのか? などがまるで記述されていません。

単に頼まれたから作りましたみたいな表現です。感動がありません。技術書には本来感動が必要です。

大学1年の時に、教養部が封鎖されて、古川図書館で、高木貞治さんの「解析概論」を毎日読んでいました。そのために、豊田市駅⇒知立⇒名古屋駅⇒栄⇒名古屋大学前の片道2時間強の往復をしていました。本当に重たい本でした。

その本の定義のあとに「!」が書かれていました。ここにオレは感動したということが表現されていて、本当にびっくりしました。感動があるから、数学はできるんだと思いました。

ちなみに、古川図書館は隣の豊田講堂のスピーカーからは全共闘の「インターナショナル」大音声が時々してくるが、東山の風が吹き渡る、本当に気持ちのいい図書館でした。図書館は環境と思った最初の図書館です。

この集中力ならば、未唯への手紙もまとまる気がします。
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「どうする「理数力」崩壊375.4ツツ

本自体はありきたりでした。そこで考えたことを述べます。

「理数力崩壊」というけど、皆はまだ数学の魅力を知らない。世の中に出ている「数学の本」を時々借りてくるけど、数学の「空間というのは創るものであり、変えていくというもの」ということを表現しているものがありません。

そのベースはトポロジーであり、それがつながりを定義して、全体を見えるようにして、どのようにすれば変わるのかということを示しているのに、だれもそれを言い出そうとしない。

変えるためには目標がなければダメです。考えていく人と目標と理念をつなげていかないといけません。

それがあれば、何に使えないかとかを言わなくてもいいし、会社で考える時も商売を考える時も、企業化するときも世の中の動きと含めて考えられます。

その考えるための思考力のための道具。そういう総合力で数学を位置付けないといけません。

理数力を養うことで、今の環境問題にしても、どういうカタチにしていくのか、それがどうなっていくのかという想像力を働かせる力になっていくことを述べないと、目標がハッキリしません。

そうでないと、目の前のことを動かすだけです。自分のことを主張するだけです。

最後に、理数力というけど、理科にそんなに力があるのでしょうか。そんなものは20世紀に置いてきた方がいいです。
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事業説明会での感想

事業説明会での感想といっても、説明ばかりで面白くなかった。

そこで、「ゴミと循環」について考えていた。発言できない時はひたすら聞いていることはしません。自分の頭は勝手に回っていきます。

本当に清掃工場まで来る手順が変えられないか? 市民生活で分けることが本当に必要なのでしょうか? ゴミの発生元は市民ではなくて、メーカーだとすると、まずはそこへ返さないといけないでしょう? ゴミの発生元が市民だとすると、そこでの活動がメーカーの生産方式に直結するものでないといけないでしょう?

そういうことに、市民の活動がつながっていかないと、「それで・・・」の世界になってしまいますけど。

もう一つ考えたのは、環境の拠点(ポータル)をいかにすりこますのかです。私の感覚は市民参画の実現です。

今回も市役所から具体的にやることが出てきたから、以前と異なって、先に進んでいると感じた市民が多くいた。何となく、会社の指示待ちの感じです。

作る人、説明する人、見る人・・・これらを渾然一体にするためのポータルを想像していました。そのためには、まずはインフラ部分のネットワークと情報共有するための個人認証がいるのかな?

理念がないNPOは市役所の代理人なのかもしれない。

参加する市民の少なさを気にする人が多くいたが、作る人、説明する人、見る人が渾然一体になれば、複雑性のやり方で縁から一気に様相が変わってきます。気にするよりも、なぜ、ここにいるかを明確にした方がいいという気がします。

だから、この市民活動も「きっかけつくり」だけではダメで、その結果として、「何を変えていくのか」で動けるかです。複雑性で動かすのであれば、先を読む必要はさほどありません。偶然だけで十分です。
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複雑性での系の安定

サファイア構想を販売店に説明している時に、この最近、「系の安定」という言葉が自然に出てきます。

サファイアのメリットは複雑系での系の安定化のような予感がします

コミュニケーションはどう見ても複雑性です。どう反応するか。情報を渡すだけならいくらでもできるが、それに店舗がいかに反応していくのか、その反応を本社がどう生かしていくのか、そのためにはシステム化をどう進めるのか。

これは完全に複雑性です。自己組織化の範囲に入ります。そのためにどうしたらいいかです。

複雑性を信頼して設計していきます。これは難しいけど、それしか方法がありません。そのときに重要なのは自己組織化と周辺からの変革です。もう一つは閉空間ではなく、開空間からのアプローチです。

複雑性での安定性というところまで抽象化を進めると、自分の中で会社での業務とか市民活動とか環境問題の範囲を超えてしまいます。

だから、今はそれらの範囲を超えて、自分のミッションを再構築させます。系の安定のために複雑性への設計をすることが私のミッションかもしれません。
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もう一人の自分が生まれた理由

もう一人の自分が生まれた理由を考えてみました。本当は考えていたら、だから生まれてきたのだと妙に納得したんですけど。

なぜ、もう一人の自分ができてきたかと言うと、自分が人を信じていないからです。

なぜ、コミュニケーションできないかというと、皆が自分と同じだということを信じていないからです。

皆が同じように心を持っているかをどのように証明しているのか。これはよく分からない。どう見ても証明はできていません。もっと疑わなくてはいけない。

これはもう少し、ゆっくり考えていきます。

作るのは私の仕事ではない

ポータルにしても、作ることに飽きています。

サファイアは去年の末に考えて、自分の中ではほとんど全てができています。

その頃が考えたピークで、ここのところ、その発展形を中心で考えています。まだ、基本ができていないのに。

もうできているものだから、後は作ってもらえばいいものです。そのために、信頼できる人に任せます。細かいところは私にはわからないし、そこまで規定するつもりはありません

今までも、それでやってきました。電算部でも、東富士でも、作る時点になるともはや次のことを考えています。

だから、私の仕事ではありません。
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「うつ」かもしれない493.76イソ

「うつ」は年間3万人以上の自殺者のかなりの部分を占める、死にいたる病です。

以下の九項目のうち五つ以上該当(1か2のどちらかは必ず含まれる)し、それが二週間以上続いていれば「うつ」と判断します。

やってみました。

1、一日中気持ちがしずむ △

2、これまで好きだったことが楽しいと感じられない △

3、急に体重や食欲が落ちる ×

4、眠れない、あるいは眠りすぎる ×

5、ソワソワと落ち着かなくなったり、反対に動作が鈍くなる △

6、毎日体がだるく、なにもする気がしない △

7、自分をダメ人間だと考える ×

8、なにも決められなくなり集中して考えられない ×

9、死にたいと思う △

つぎに『いやな気分よ、さようなら』の「認知の歪みの定義」のチェックがあったので、やってみました。

1. 全か無か思考 × ファジーです

2. 一般化のしすぎ △ 数学者ですから

3. 心のフィルター △ 落差ありすぎ

4. マイナス思考 × プラス思考です

5. 結論の飛躍 △ 選択肢はさほどないもの

6. 拡大解釈(破滅化)と過小評価 △ 自分がどう感じるかが肝心

7. 感情的な決めつけ ○ ほとんど感情で動きます

8. すべき思考 × 自分のミッションと相手のミッションとは区別

9. レッテル貼り × 自分をダメとするレッテルは貼らない.それは存在理由そのもの

10. 個人化 × 決して、自分の性にはしません。

まあ、とりあえずはいいのかな?
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ククーシュカ

「ククーシュカ」を見に行きました。フィンエアーのサイトで紹介があったので、ずっと気にしていました。

元々、「百夜の国の図書館」である「ロバニエミ図書館」http://www2u.biglobe.ne.jp/~damika/map/t_rovaniemen_1.htmlの歴史の中で、ラップランド戦争でドイツ軍に街全体を完全に破壊されたという記述があり、ラップランド戦争には興味があります。

ラップランド戦争の裏にある、フィンランド・ロシア・ドイツの確執とその中でのシス(フィンランド人の大和魂)

●ククーシュカ ラップランドの妖精Kukushka

ラップランドの先住民族サーミ人のアンニは、夫を亡くし、一人でトナカイを飼いながら暮らしていた。ある日彼女は、瀕死のソビエト兵イワンと、事情あってドイツの軍服を着せられ、足枷をはめられたフィンランド兵ヴェイッコと出会い、2人を助けた。

つかの間の共同生活を始めた3人だが、ヴェイッコをドイツ兵と信じて疑わないイワンは隙あれば彼を殺そうとする。問題は、3人の話す言葉が、サーミ語、ロシア語、フィンランド語とバラバラで、お互いの話をまったく理解できないことだった。敵への憎悪と、戦いのむなしさを言い募る言葉がとび交う中、アンニは大らかな愛情で2人をつつもうとするが……。

ユーモラスな展開の内に静かに訴えられる平和への願い、美しくも厳しい風景がときに幻想の世界へ姿を変える詩情。

感じたのは、女性の強さと自然の強さです。男二人が争っている横を洗濯物を持って、歩いていく風景で、そのうしろに広がる自然。争うことが無意味になってしまう構図です。

言葉がつながらないことで男同士は争い。男女間では言葉は必要がない。全身で相手の話を聞き、相手の眼を見て自分の意見をきちんと伝える。

ククーシュカのサイトで、今年末の東京-ヘルシンキの往復切符が当たるクイズを見つけました。早速、応募しました。http://kukushka.jp/campaign.html
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「ハイエスト・ゴール」

スタンフォード大学で創造性開発でハイエスト・ゴール(最高のゴール)を決めて生きなさいというものです。

私にとって「最高のゴール」は何かと言うと、自分に戻ることです。まだまだ終わっていません。最高のゴールに向けて、がんばりましょう。

そのためのステップは以下の8つだそうですので、確認します。

1 情熱と成功を乗り越えよう ⇒ ○ 先を見ています

2 自分自身の道を歩もう⇒ ○ ちょっと勝手すぎるかもしれないけど

3 最高のゴールとともに生きよう ⇒ × 生活と過ごし離しすぎている

4 真の成功を見いだそう ⇒ △ 自尊心が足りなすぎるかも 

5 不安を突破口に変えよう ⇒ ○ 偶然を生かそうとしている

6 心で他人とかかわろう  ⇒ × 本当に信じていませんね

7 あらゆる瞬間にシナジーを感じとろう ⇒ ○ シナジー(バランスがとれた状態よりもはるかにダイナミックな状態)の連続です

8 生産的なリーダーになろう ⇒ × リーダーにはなりません.自分に戻ります。

要するに私はバラバラです。それなりに統一ができています。まあ、「自分に戻る」ようなゴール設定はそうはないでしょう。
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