未唯への手紙

未唯への手紙

アメリカのエネルギー戦略

2016年10月31日 | 4.歴史
隔週で、月曜の朝は大変

 昨日はらじらーと乃木中を繰返して見ていて、3時くらいまで起きていた。朝、起きても、見ていて、午前中を潰した。

ミュージカルを目指す生ちゃん

 将来、何になりたいか、ハッキリしている人ほど、アイドルとしてもしっかりやっていけます。ひめたんだけはアイドルとして、終わりたい。彼女は特殊なケースです。妹のすぅーとの関係があります。

 ミュージカルと女優を目指している生ちゃんたちは一つのカタチを作っています。損為に、何でも吸収していく。そのすごさを持っています。生活の為の橋本が一番、特殊です。ゴールが見えたら、モチベーションがなくなる。

アメリカのエネルギー戦略

 エネルギー問題というのは何なのか。アンバランスと言うことなのか。アメリカがロシアに対して取っているエネルギー戦略は、太平洋戦争のきっかけとよく似ている。

 あの頃は、日本は80%までもアメリカから輸入していた。スマトラなどにも石油はあるけど、輸送ラインが保証されていない。アメリカの戦略に引っかかった。当時の郡部ではこれ以外の道はなかった。

9.5「サファイア機能」

 機能を曖昧にするのではなく、明確にしていく。機能は配置そのものではなく、配置間の関係から成り立ちます。

 内なる世界での思考から行動へ、つまり、エンパワーメント。内なる世界から外なる世界への働きかけ、インタープリテーション。外なる世界から内なる世界の思考に対してのファシリテーション。この中身を全て、変えます。

内なる世界を仕切るのは女性

 街に出てもわかるけど、乃木坂もそうだけど、女性の力は内なる世界を表しています。男性は高々、しれている。自分たちのマスターベーションである、外なる世界の企画と行動。エネルギーもその範疇に入る。ここはリアライゼーション。

 物作りはリアライゼーションだけですだけです。外なる世界よりも内なる世界に置いていくのか。つまり、女性の力。

 彼女らの拠点はスタバです。また、チームでの活動。つまり、内から変えていく力。

9.6「サファイア革命」

 革命と言っても、配置の世界にゆっくり変えていく物語です。

OCR化した6冊

2016年10月30日 | 6.本
『図解による民法のしくみ』

 所有権はどういう権利か

  物権の分類

  所郵権の意義

  物権的請求権

 所有権と所有捲の限界

  相隣関係

  公道に至るための他の土地の通行権(1)

  公道に至るための他の土地の通行権(2)

  隣地の竹木

  建物築造

 所有権の取得

  所有権の取得原因

  無主物先占、遺失物拾得、埋蔵物発見

  添付

  不動産の附合

  動産の附合

  混和

  加工

 所有権の共同所有

  1 共同所有の諸形態

  2 共有

  3 共有物分割

  4 合有、総有

  5 建物区分所有

『徳川家が見た戦争』

 なぜ日本は無謀な太平洋戦争を始めたのか

  圧倒的な開きがあった日米の国力

  六十年間で倍増した日本の人口

  急速な人口増がもたらした食糧難

  貧困者を直撃した食糧難

  食糧難解決のための移民政策

  ハワイやブラジルヘ出稼ぎ渡航

  失敗に終わった満州国への移民

  石油備蓄を進めた海軍

  失敗に終わった人造石油

  石油を断たれ、開戦を決意

  物資が断たれて敗戦の道へ

『これがソーシャルワークという仕事です』

 現代社会において必要なソーシャルワーク

  本章の全体像

  いまの日本社会

   超高齢社会--人口という観点

   格差社会--経済・労働という観点

   中間集団(家族・地域・職場)の機能衰退--社会という観点

   経済成長と再分配--政治という観点

  現代社会における諸問題

   格差が問題である理由

   貧困・つながりの喪失が生み出す問題

  貧困問題への対応の難しさ

   見えにくい

   理解しにくい--自己責任論と社会的責任論の対立

   他人事

  諸問題を引き起こす要因

   自然的不平等と社会的不平等

   今日において社会的不平等(理不尽な格差)を生み出し、それを固定化する考え方

  社会的不平等を正すソーシャルワーカー

   不平等と正義

   不平等に対する理解

   ソーシャルワーカーがめざす正義

   正義を支える考え方(根拠)

  7 一人ひとりの尊厳と人権を平等に守るソーシャルワーカー

   尊厳--比較不能な絶対的な価値、かけがえのなさ

   人権--人間の尊厳を守るために、人カ注まれながらにもっている権利

  8 だから、ソーシャルワークが必要です

『低欲望社会』

 日本が変わる最後のチャンス

  一人っ子が加速させる「低欲望」化

  なぜ変わらなくてはいけないのか?

  「18歳成人」が日本人を作り変える

  とにかく「心理」を和ませよ

『EU分裂と世界経済危機』

 EU分裂はさらに進むのか

  低下するEUのプレゼンス

  必要とされる制度・政策の調整

  英国との経済関係は多様

  注目される労働市場の変化

  強化された防波堤

  欧州における危機の火種

  自己資本規制の落とし穴

  ユーロ危機と南北の亀裂

  財政ルールの運用を巡る対立

  欧州各国を苦しめる財政赤字

  各国に広がるEUへの支持離れ

  イタリアがユーロ離脱を問うリスク

  ユーロ圏ならではのインパクト

  フランス大統領選のゆくえ

  反EUを掲げる国民戦線

  難民危機に揺らぐドイツ

  ドイツにおける反EUの機運

  ドミノ離脱を予感させる材料

  EU分裂は不可避なのか

  EU離脱は万能薬ではない

『世界情勢地図』

 「国際共同体」という命題

 「一極世界」という命題

 「多極世界」という命題

 混沌とした世界」という命題

 国境を越える移民

 エコロジー問題

 テロ

 米国から見た世界

 フランスから見た世界

 ドイツから見た世界

 ベルギーから見た世界

 ポーランドから見た世界

 トルコから見た世界

 ロシアから見た世界

 中国から見た世界

 イスラエルから見た世界

 地中海諸国から見た世界

 アラブ世界から見た世界

何でもバラされる時代

2016年10月30日 | 7.生活
何でもバラされる時代

 橋本、生田、生駒は10月14日に函館に居たみたいです。ツイッターとか函館新聞に載っています。ネットでいくらでも追っていける。

 ななみんは、札幌で1日署長をやった後に、移動したみたいです。それから函館からハヤブサで帰ったみたいです。星野と松村と秋元が函館山に居たのを目撃されているので、そこで合流したのでしょう。放映は3週に亘ってされます。

 時系列がバラバラですね。何でもバラされる時代です。素直にだせばいいのに。


地中海諸国・アラブ世界から見た世界

2016年10月29日 | 4.歴史
『世界情勢地図』より ⇒ 将来の変革の核になるのは地中海連合だと思っている。ギリシャ、レバノン、トルコなどが中心

地中海諸国から見た世界

 海洋学、気候、地理学の面から地中海を定義し、この海を囲む国の一覧(27カ国、アドリア海と黒海を含む場合はさらに増える)を作るのは容易である。その反面ローマ帝国以降は、政治・宗教・言語・文化が国によって大きく異なり、対立関係にすらあることは一目瞭然だ最も大きな分裂の元となったのは、7世紀に、新しい宗教であったイスラムが地中海南岸と東岸を征服し、その後数世紀にわたりスペインのほぼ全土も支配したことである。分裂はいまだに続いているうえに、地中海世界のイスラム圏はトルコ人とアラブ人の国に分かれ、アラブ世界はさらに各国に分かれている。同じように「キリスト教」圏もカトリックの国と正教の国に分かれた。1948年以降は、イスラエルの存在も加えなければいけない。同国とアラブ諸国との国交は正常化されておらず、パレスチナ国家の建国を待つほかない状態が続く。

 地中海北岸のヨーロッパ諸国は、世界中でも最も発展した豊かな国々を含んでいる。南岸諸国は天然ガスと石油がある(アルジェリアとリビア。エジプトにも少々)かないかによって、国民総生産(GNP)の値はさまざまである。しかし、国連の人間開発指数によると、これらの国はまだ開発途上の段階にある。

 南岸諸国とかつての宗主国(フランス、英国、イタリア、スペイン)との関係をみると、表面上は争いは鎮静化し(フランスとアルジェリア間など)、両者の関心は未来へと向かっている。

 EU(欧州連合)は、ヨーロッパと地中海沿岸一帯の国々の間との経済的・人的相互依存の関係を認識しており、約30年前から地中海南岸に対して、支援政策や友好政策を展開し、さまざまな協定を結んできた。1995年以降は「バルセロナ・プロセス」と呼ばれる野心的な連携の取り組みを進めている。南岸諸国はこのプロセスによる財政支援を評価しているが、より条件付けの少ない支援を期待している。EU市場への参入拡大を求めるとともに、移住のほぼ全面的な自由を望む声も高まる一方だ。米国はとりわけ地中海をデリケートな地帯(イスラエルの安全保障問題、テロとの戦いなどから)だとみなしており、第7艦隊の監視下に置いている。

 ロシアは15年間の沈黙の後、再び地中海に自国の艦隊を配備するようになった。地中海に対する視線は多種多様である。

 主としてヨーロッパ諸国の、特にフランスのさまざまな組織が、国や地域相互の違いや困難を克服する壮大な「地中海政策」のために活動している。そうした活動には、地中海諸国全体を包括するものもあれば、ヨーロッパ側の地中海諸国に重点を置くものもある。2011年以降、「アラブの春」はチュニジア以外では暗転した。シリアの内戦は2015年に20万人以上の死者を出し、中東全体が崩壊の危機に瀕している。

アラブ世界から見た世界

 7世紀に出現し、8世紀にはすでに3大陸に広まっていたアラブ文明は、中世には、競争相手であるキリスト教文明よりも活発で影響力があった。肩を並べる水準にあったのは中国文明(国外には広まっていなかった)だけであったといわれる。

 ところが、15世紀にはヨーロッパから駆逐された。16世紀になると、オスマン帝国が中東を統治するようになる。アラブ人はある程度の自治を許されたとはいえ、その後4世紀にわたってオスマン帝国に支配されることになった。 19~20世紀にかけて、北アフリカはフランス、英国、イタリアの植民地にされた。第一次世界大戦中はオスマン帝国がドイツと同盟を結んだので、アラブの大部分は連合軍側につき、独立の実現を期待した。しかしその望みは叶わなかった。サイクス・ピコ協定に基づき、フランスと英国が保護国として中東を分け合い、1917年のバルフォア宣言によって、パレスチナにユダヤ人国家を造る道が開かれた。

 アラブはオスマン帝国による支配から、ヨーロッパによる支配へ移行した。裏切られたという思いに、屈辱感が加わる。第二次世界大戦後のイスラエル国家の樹立は新たな衝撃であり、アラブはヨーロッパの罪を肩代わりさせられているという意識を持った。そして、建国直後のイスラエルとの戦争(1948~1949年)に負けたことで、さらなる屈辱感を抱くようになったのだ。

 汎アラブ主義運動は、この時期から反西洋および(あるいは)反イスラエルを呼びかけるようになる。エジプトのナセル大統領は1956年にスエズ運河を国有化し、それに反発して出動したフランス軍と英国軍は、米国により有無を言わさず撤退させられた。この国有化と強制撤退は、西洋への報復とみなされた。だが、1967年の六日戦争(第三次中東戦争)の結果、アラブ軍は完敗し、さらなる屈辱を味わうことになる。ここから、アラブ・ナショナリズムの苦悶が始まった。ナショナリズムの失敗、社会とアイデンティティの危機、そして米国に迎合するエリート層の腐敗に対する非難を背景に、イスラム原理主義運動はこの時期から発展しはじめたのである。

 この地域の人々の大半が今日もなお、イスラム教徒の結束よりもアラブの結束を求めているにもかかわらず、アラブ世界の国々は互いの激しい競争意識に起因する大きな政治的分裂の最中にある。また、別の矛盾もある。米国は政治・軍事・財政の面でイスラエルと、イスラエルによるパレスチナの占領を支援しており、さらにイラク戦争の当事者でもあるため、アラブ社会には反米感情が蔓延している。しかし、アラブ諸国の政権のほとんどは、米国と安全保障の協定を結んでいるのだ。イスラエル・パレスチナ紛争の長期化と、パレスチナ国家の不在が、アラブ世界の世論を勢いづけてきた。また、この状況はかなり以前から、アラブのいくつかの体制によって、国内の民主主義の不在や社会問題を隠蔽する建前として利用されてきたし、イスラム主義者からも、別のやり方で利用されている。

 さらにイラク戦争が、過激化と不満の新たな原因を加えてしまった。外部から押しつけられた民主化は不可能でもあり無謀でもあったことが、明らかになった。チュニジアを除けば、「アラブの春」は尻すぼまりになるか、混乱を招く結果になった。イラク、シリア、リビア、イエメン、エジプトでは暴力が横行し、国力のかなりの部分が失われている。戦略上の衰退は長期に及ぶだろうか、それとも一時的なものだろうか? イスラム/イスラム主義の戦いが激化するなか、市民社会を取り戻すことはできるのだろうか? 独裁体制が至る所で再び生まれるのだろうか?

EU分裂はさらに進むのか

2016年10月29日 | 4.歴史
『EU分裂と世界経済危機』より EU分裂はさらに進むのか

ドミノ離脱を予感させる材料

 本章では、英国のEU離脱がEUに及ぼす影響を、英国に続くEU離脱やユーロ離脱が起きる可能性も含めて考えた。

 ここまで見てきたとおり、離脱のドミノを予感させる材料には事欠かない。単一通貨を導入した国々の間では格差が固定化しているからだ。

 EUは、南欧の国々に対しては「経済的な繁栄」という暗黙の約束を果たすことができず、失業の高止まり、貧困の増大を許している。また、2010年以降にたびたびユーロを揺さぶったギリシャ政府の過剰債務問題も、解決とは程遠い状況だ。

 逆に、ドイツ、オランダ、北欧など、経済パフォーマンスが相対的に良い国には、債務危機国の支援負担、移民や難民の増大、ECBの長期にわたる超金融緩和策への不満が募っている。

 そしてEUは、経済の長期停滞を許しているばかりでなく、テロ・難民危機という新たな脅威に対しても、有効な対策を打てていない。米国の調査会社「ピューリサーチセンター」が、16年4~5月に英国を含む10のEU加盟国で行った調査では、経済政策以上に難民問題への取り組みに対して強い不満が示された。最も高いギリシャでは94%、それに次ぐスウェーデンでは88%が、EUの難民対策に不満と答えている。EUの難民対策、とりわけ難民受け入れを加盟国で分担する対策は、中東欧の反対を押し切ってドイツ主導で決定した経緯があり、束西の亀裂にもつながった。

 17年春に総選挙を控えるオランダでは、15年秋以降、難民への国境封鎖やEU離脱を掲げる自由党(PVV)の支持率が、マルク・ルッテ首相率いる自由民主国民党(VVD)を抑えて1位に躍進した。この現象も、より効果的な対策を求める民意の表れだろう。

 中道右派や中道左派など主流派への支持離れ、反移民・反EUや反緊縮を掲げる政治勢力への支持拡大に加えて、加盟国がEUを巡って国民投票を行う傾向も続きそうだ。

 15年7月にはギリシャでEUの支援条件への賛否が、16年4月にはオランダでEUとウクライナが調印した政治・経済面の関係を強化する「連合協定」への賛否が問われている。そして、16年6月には英国がEU残留か離脱かを問う国民投票を行った。

 これらは、EU条約の改正などのために必要とされる国民投票ではなく、法的拘束力もない諮問的な意昧合いのものだ。しかし、いずれも結果はEUに対してノーを突きっけるものだった。本稿執筆時点では結果が判明していないが、16年10月2日にハンガリーで予定されるEUの難民受け入れ枠の是非を問う国民投票も、ノーという結果に終わりそうだ。

 英国の調査会社「イプソスモリ」が、英国の国民投票前の16年5月にEU加盟国8ヶ国で行った世論調査では、「自国もEU残留か離脱かを問う国民投票を実施すべき」と答えた割合は、イタリアやフランスで過半を超え、その他の6ケ国でも4割前後に達した。ただ、「今、国民投票が実施された場合、離脱支持に票を投じる」と答えた割合は、最も高いイタリアでも48%、それに続くフランスが41%、スウェーデンが39%と過半を超えた国はない。最も低いのはポーランドの22%、スペインが26%、ベルギーが29%だ。

 つまり、EUに対する意見を表明する機会は持ちたいという意欲が高まってはいるか、離脱への意欲が強いとまでは言えないようだ。

 EUは、加盟国に政治的には民主主義、法の支配、人権の尊重という条件を満たすことを求める。だが皮肉にも、そのEUが民主的正当性を問われ、民主主義に揺さぶられているのが現状だ。

EU分裂は不可避なのか

 以上のように、離脱のドミノを予感させる材料には事欠かない。とはいえ、筆者は、英国に続いて離脱の道を歩み始める国が、近い将来に現れることはないと考えている。

 第一章で明らかにしたとおり、英国は「離脱に最も近いEU加盟国」だった。経済面だけでなく、政治・軍事・外交面でも大国だ。また、独自の中央銀行制度を維持し、実際にイングランド銀行(BOE)は離脱ショックの緩和に役割を果たした。

 欧州が世界の中で一定のプレゼンスを維持するためには、単一市場が必要だ。EU圏内の中小国にとっては、EUの単一市場を離れて関税や非関税障壁を設けることで、近隣諸国に比べて優位性が低下することのリスクは大きい。

 また、単一通貨ユーロを導入し、より深く統合に組み込まれた国々にとっては、イタリアのリスクで触れたとおり、離脱のハードルは極めて高く、コストも大きい。とはいえ、このまま域内格差の拡大、失業や貧困の問題を解決できないままでは、離脱に追いやられる国も出てきかねない。EUはユーロの制度を改善しなければならないだろう。

 ただ、その道のりは平坦ではない。ギリシャの過剰債務問題でも、債務の肩代わりを禁じるEU条約への抵触、何よりも支援国側の民意に配慮すれば、元本削減などの抜本的な負担軽減が図れない。場当たり的との批判は免れないだろうが、その時々にできる範囲で調整していくほかない。

 第一章で見たとおり、EU予算は、英国の国民投票キャンペーンで離脱のインセンティブのひとつとなっていた。しかし、残留のインセンティブとして働く国もある。北欧や西欧の国々は、英国と同じく拠出金が受け取る補助金を上回るが、中東欧の加盟国では補助金の受け取り超過となっている。

 その規模は、最も大きいブルガリアで国民総所得(GNI、居住者が国内外から1年間に得た所得の合計)比5・3%、第2位はハンガリーの同4・4%と続いている。

 ハンガリーのオルバン政権は、EUの基本的な価値観とは相いれない政策を採り、EUとしばしば対立してきた。ポーランドでも2015年11月に右派政権が誕生している。しかし、この両国は、EUから補助金が受け取り超過になっていることに加えて、単一市場へのアクセス確保の重要性から、EUを離脱する意図はないと思われる。世論調査によると、難民対策にこそ不満を持っているものの、国民のEUに対する見方は好意的だ。

EU離脱は万能薬ではない

 また、安全保障の面から、欧州統合への深い関与を望む国もある。

 北欧では、ノルウェーはEU未加盟、スウェーデンはEU加盟国だがユーロ導入は見送り、デンマークは英国と同じくユーロ未導入の権利を保持しており、唯一、フィンランドがユーロを導入している。一方、中東欧では、ポーランドやチェコなどは導入に慎重な構えだが、バルト三国がユーロを積極的に導入した。

 北欧や中東欧に見られるこうした選択の違いは、経済規模が小さいということだけではなく、ロシアに隣接し、支配されてきた歴史と関わっている。つまり、フィンランドやバルト三国は、安全保障の観点からもEUへのより深い統合を望んでいるのだ。

 さらに、創設メンバーの国々はEUの制度設計に深く関わり、そこから得ているベネフィットも大きい。たとえばフランスは、EU予算の最大の支出項目である農業関連の補助金を最も受け取る国だ。また、ユーロ危機対策が独仏主導の形をとって進められたように、意思決定においても、大国は人口を基準に決まる閣僚理事会の投票権が示す以上の影響力を行使する。

 このように、EU加盟国はそれぞれに個別の目的や利益があってEUに加わっている。

 選挙や国民投票の機会に、有権者がEUの政策にノーを突きつけることはこれからもあるだろう。主流派離れという政治の流れも、しばらくは止まりそうにない。

 特に政治情勢がそもそも不安定で、経済・雇用情勢が厳しく、銀行システムにも問題を抱えるイタリアは心配だ。EUの中核・フランスの経済が振るわないことにも不安を感じる。EUの中で英国と似たような立ち位置をとってきた北欧の国々では、英国の離脱に続こうという機運が高まりやすいように感じられる。

 それでもEU離脱、ユーロ離脱は万能薬ではない。離脱すれば新たに対処せねばならない問題も生じる。テロや難民危機も、一国で対処するより、圏内で協力体制を探る方が効果的だろう。そう考えると、英国以外の国が、離脱へと一気に突き進むことは考えにくい。

日本人の低欲望化の傾向

2016年10月29日 | 5.その他
『低欲望社会』より 日本が変わる最後のチャンス

一人っ子が加速させる「低欲望」化

 私は2007年に『大前流 心理経済学』(講談社)という本を書き、日本は国民の心理をコントロールすることが経済をコントロールすることと同義語になった世界最初の国である、と指摘した。もちろん、人々の心理や世論の動きというものは古今東西どんな社会においても重要なのだが、バブル崩壊後の日本では、「カネ、土地、人」という「繁栄のための武器」はすべて手の内に持っているのに、それを全く使おうとしない日本人固有の心理によって経済が衰退の一途をたどっていることに警鐘を鳴らしたのだった。

 今の日本人の家計の特徴をひと言で言えば、個人金融資産だけでも約1700兆円とGDPの3倍もあるにもかかわらず、時価の3%配当が見込める株式投資のほうには向かわず、雀の涙ほどしか利息がつかない定期預金に入れっぱなしになっているのが現状である。だが、これはどう考えても経済学的には非合理的な行動である。バブル期に株や不動産に投資して大きな負債を背負った苦い経験から、投資に関しては「莫に懲りて鱈を吹く」的な習性が身についてしまったのかもしれないが、とにかく多くの日本人が現預金をただ蓄え続けているのである。

 それに加えて、本書で論じてきたような日本人の低欲望化の傾向というのは、単なる経済現象というよりも、日本中のあらゆる面で表面化してきている社会現象と言ってよいと思う。たとえば、全国平均の空き家率が13・5%に達して過去最高になったとか、超低金利の住宅ローンがあっても借りる人が増えないといったことは統計上で表われているが、その背景にあるのは、「責任を取りたくない」「責任を持ちたくない」「自分自身の責任を大きくしたくない」という20代・30代の日本人の考え方である。そのため、会社に入ってもあまり出世したくないとか、結婚したらそれが重荷になる、家を買ったら一生借金で苦しむことになる--そんな考えが先に立つようになっている。私は今も世界各国を視察や講演で飛び回っているが、世界中を見渡してみても、こういう国民性は見たことがない。

 たしかに、1980年代のヨーロッパでは、それに近い光景を目の当たりにした経験がある。ポルトガルやスペイン、あるいは北欧諸国やスイスなどでも憂誉で退廃的な空気がたちこめていて、当時バブル景気に沸いていた日本やアメリカとは対極にある、〝斜陽〟国家の現実を垣間見る思いだった。

 しかし、そのヨーロッパもEUができてから大きく様変わりした。それまでは競い合い、いがみ合っていた隣国同士が同じ経済圏に集約された結果、日本はもちろんアメリカよりも巨大な経済力を有し、世界に対して影響力を持つようになった。個々の国の財政事情を見れば決して楽観できる状況ではないが、今やかつてのヨーロッパの憂僻な空気というのは、ほとんど感じられなくなっている。

 そんなEUの現状からすると、当時日本がアジアの中で圧倒的なリーダーシップを持っていたうちに、〝グレートアジア〟や〝日本円の経済圏〟を作っておけばよかったのに、と今にして思うが、そのチャンスはもはや失われている。それゆえに、今の日本の問題は日本だけで解決しなくてはいけなくなっているのだ。

なぜ変わらなくてはいけないのか?

 それでも私は、日本が抱える「低欲望社会」という課題は克服可能だと考えている。その鍵は、本書でも述べたような本格的な移民社会の実現だ。

 現在、日本の労働人口は毎年40万~60万人というペースで減っている。これだけの人口減少を移民で補おうとすれば、10年間で400万~600万人もの移民を受け入れていくことになる。発想や感じ方、生活習慣が全く異なる人たちがこれほどの規模で増えていけば、間違いなくこの国の風景は一変するだろう。

 だがもちろん、移民社会への移行は簡単ではない。

 欧米では、すでに多くの移民を受け入れているが、たとえば風刺週刊誌『シャルリー・エブド』襲撃テロ事件やパリ同時多発テロ事件が起きたフランスのように、イスラム系人口だけでも総人口の10%近くまで増えてくると、様々な社会問題が噴出してくる。それらを想定して、移民のための学習環境や住環境、あるいは雇用・資格制度を整備していかなくてはならず、決して一筋縄ではいかない問題である。それでも、そこまでやらなくては今の「低欲望社会」は変わらないと思う。

 なぜ変わらなくてはいけないのか? 〝狭いながらも楽しい我が家〟で、皆が貧しくとも平等に生きていければよいではないか--という意見も聞こえてきそうだ。

 だが、島国である日本は、諸外国に比べて同質性社会になりやすい。それは、非常に刺激が少ない社会であり、積極的に外の世界へと雄飛していく進取の精神に富んだ人間を生みにくくなる。その上、今後ますます本書で述べたような「内向き・下向き・後ろ向き」な若者が増えていくようになるのだ。それに加えて、ますます少子化が進展する中で、一人っ子家庭も増えている。一人っ子の彼らは、家庭の中でも競争することがないから、家の中で思う存分、自分の好きなことをやり、好きな時に飲み食いをして、ゲームやおもちゃを独り占めしている。いわば「低欲望社会」の縮図がそこにある。戦前、戦後の日本人にバイタリティがあったのは、兄弟がたくさんいて、競争しなければ食事にもありつけなかったからだ。また、長男以外は家を継げず、外に飛び出して食っていかなくてはならない環境の影響もあった。

 一方、同質的で内向きな社会は、その中に閉じこもっている分には居心地が良い。だが次第に幼稚化し、人間として退化していく。そうやって一人一人の目線が下がっていけば、必然的に社会や国家もまた弱体化せざるを得ない。そして、ある日突然、居心地が良かったはずの〝ゆりかご〟は、〝墓場〟へと変貌するだろう。いわゆる「茄でガエル現象」だ。

 それに対して、異能の人材がどんどん集まるような社会は、刺激に満ちて、向上心が個人のモチベーションを支えるようになる。端的に言えば、フィリピン人家政婦が日常にいることが当たり前になり、子育ても彼女たちに一部を担ってもらうような社会になれば、日本でもバイリンガルの子供がどんどん増えていくだろう。そうして育った子供たちは、いとも簡単に国境を越え、世界中で活躍するようになるに違いない。

ソーシャルワーカーが不平等をなくす

2016年10月29日 | 7.生活
未唯宇宙第10章

 そうなると、第10章は個人の課題です。ハッキリ言って、私の問題です。

 19.2「哲学が変わる」。哲学を書いているけど、哲学に他者は存在しない。

 10.3「意識の変革」。これも私から始める。

 10.4「配置と位相」。これがちょっと歪になる。分化から統合に向かう。そこでの位相を示すことになる。これは10.5「変節点」に向かう為のロジック。

 10.6「個人=超国家」。これは存在と無と同値です。第10章の納め方が難しい。ゆっくりと作り上げましょう。

自業自得殺人

 これは、主に奥さんが旦那がしたいようにさせることで寿命を短くさせるもの。積極的に味噌とか覚醒剤を飲ませなくても、甘いものが好きならふんだんに与えて、糖尿病をすすませることでなくなるようにさせることはできる。

 奥さん本人は、その間にジムなどに通って、身体を鍛えておく。亡くなった時に、「自業自得」と表現する。離婚で争うよりも、全財産が確実に入ってくる。

ソーシャルワーカーが不平等をなくす

 ソーシャルワーカーで不平等がなくなることはあり得ない。構造から変えないといけない。配置の考え方にしないといけない。なぜなら、ハイアラキーの社会では自由と平等がトレードオフだからです。

 正儀の問題ではなく、ハイアラキーの世界では、自由と平等はトレードオフ。配置の世界へのゆっくりした革命が必要。本来、大きな枠の問題を個人の問題にして、ソーシャルワーカーという仕事を勝手に増やそうという魂胆です。

日本はなぜ、米国に負けたのか

 太平洋戦争は困難になったから起こったわけではない。ましてや、そのために負けたのではない。負けたのは起こしたから負けたんです。

未唯宇宙第9章

2016年10月28日 | 3.社会
未唯宇宙第9章

 第9章は地球的規模の課題だけど、これをどう証明しようか。というよりも、理論的なものと感想ですね。「全て」に関わります。

9.2「多様化」

 画一性は言えるけど、多様性は難しい。とりあえず、国家は画一性、地域は多様性としましょう。それらの上の概念と下の概念、社会と市民が変わりうる。

 多様性を受け入れられるのは地域であって、そのベースは個人です.個人が覚醒しないと、地域は多様性に対応できない.それができれば、社会全体を画一性から脱することができる。ただし、リテラシーは必要です。

配置の考え方

 配置の考えをやった時に、技術者ではないけど、自分とその近傍を固めて、それをマルチにつなげていく。これをやる為には、従来のハイアラキーのように役割を与えられて、その中で自己防衛するのとは、まるで違う発想になります。技術者のように、拠り所がないと、なかなか難しい。

 これはアイドルでも同様です。与えられたものは何もないです。自分で切り開かないとダメです。運営はいい加減です。運営は選考基準を出せない。もっと、大きなモノの流れによって変わってくる。「大人の事情」と呼んでいるものです。先は見ていない。個人を育てることはしていない。

 私の場合は電算部に入ったのが一つの特徴です。そこは、電算部がデータベース技術などで会社のシステムをを変えようとしていた。そのために個人の発想が重要視されていた。やりたいことをやれる人間を育てていた。その時期だったから丁度良かった。

 その組織も安定してくると、ハイアラキーが出てきて、組織は衰退に向かう。

興奮を維持するには

 この時系列での変化を社会のどう適用していくのか。変えることはできても、維持することは難しい。

 これもアイドルでも同じです。瞬発的に変えることはできるけど、その興奮を維持する。興奮は維持できるわけない。飛鳥も言っていたけど、熱するものは冷める。だから、常に冷めることを考えてやっていく.これが彼女の世界観です。

 先を見ていることのすごさみたいなものでしょう。これに気づいた人は飛鳥を推します。彼女が選抜に定着するまでに3年掛っている。そういう個人的な意見は組織は吸い上げられなかった。それを吸い上げる手段ができつつある。ブログとかモバメとか、好き嫌いのチームでの活動が可能になっている。そこでハッキリさせます。

大きなモノと小さなモノが同期化

 大きなモノと小さなモノが同期化するのが、今後の特徴です。大きいものを動かすのに、ハイアラキーでは動かせない。これは運営が示しています。確固たる判断基準がない。やりながら考えて、変わっていく世界です。

配置にはトレードオフがない

 今までは自由を求めてとか、格差是正を求めて、社会を変えることが政治運動だったけど、自由と平等がトレードオフである以上は、自由は格差を生みます。それを是正する方向を上から示すことができない。

 だから、下から持ち上げていくんです。変革はできるけど、維持していく為にどうすればいいのか。それぞれの個人が変わっていくしかない。覚醒するしかない。その覚醒を維持するするにはどうすればいいのか。

配置なら意外なモノがつながる

 その思考回路は全て、一つのグループの中にあります。重要なのは、一番下と上をシンクロさせることです。その為に想像力が必要。イマジネーション。お互いに見えないものだから、上から見たら個人は見えない、個人から見たら上が見えない。それが共存すること。

 その関係は自分の中に存在と宇宙からの無が共存していることが示している。最初と最期が一緒になる。ふつうの平面ではつながっていないものがつながる。それが空間認識です。クラインの壺ではないけど、ウチと外が一緒、端の端と真ん中の真ん中が一緒。これを端的に示したのが宇宙です。宇宙の果てと地球の中の一個人がつながっている。

「心はどこにあるのか」という問い

 私の場合は「心はどこにあるのか」という問いに対して、浮かんだイメージです。皆は心臓と可能とか言うけど、私の場合は、身体の真ん中と宇宙の果てが同一だという感覚だった。

ウィトゲンシュタインのようなまとめ方

 説明もハイアラキーである必要はない。跳べばいい。受け側で構成すればいい。最後に残すものもそういうカタチになります。ウィトゲンシュタインのように、わかる人にはわかる。それ以外の人には関係ない。

9.3「グローバル化」

 これは日本の場合です。国境を越えられない民族がどういう運命を辿るのかを示す。つまり、日本の未来像。このまま行くのか、それとも思い切って世界に出て行くのか、その境目です。どちらでも好きな方を選べばいい。ただし、従来通りにはいかない。

 ヨーロッパには国境はない。国民国家を維持できない。コミュニティと超国家というカタチになります。コミュニティをどう活かすかはグローバル化に対応した個人の覚醒によって異なります。となると、グローバル化に対して、超国家はどう見ていくのか。

 日本での危機はここにあります。太平洋戦後もグローバル化していません。ローカルなままに来ています。国が固まりすぎている。

 それと世界での国の組合せを考えていきます。地政学ではなく、価値観からグループ化します。

サファイア三部作

 9.4以降は、次のサファイアにいきます。サファイア循環、サファイア機能、そしてサファイア革命です。これは外側ではなく、内側の循環を変えていくものです。

 サファイア循環は配置にとっては重要なところです。ハイアラキーがないところでは、ここがどのように配置されて、自分の近傍を作って生きていくのか。中の方向を決めています。

 難しいのはサファイアに至る道です。教育と企業をつなげる就職よか雇用、教育の変革、家庭のあり方の変化、それぞれがバラバラに行なっている。最終形を見ずにここで行なっている。これをどういう手順で変えていくのかがサファイアの大きな課題です。

9.5「サファイア機能」

 9.5「サファイア機能」はサファイアの理論的なカタチを示します。これは主に仕事を通じて獲たものです。

 これに数学的な感覚を入れ込まないといけない。汎用化すると同時に、様々なケースに当てはめる為に。

9.6「サファイア革命」

 だから、革命と言っても、一気に変えるのではなく、方向を持って、ゆっくりと変えていく。確実にそれぞれの方面から変えていく。家庭、仕事、家庭とか政治形態などが連動して変わっていく。そのための母体をきっちりと提示しておくのが、その前です。

 現時点のロジックで足りないのは、教育、家庭、就職などが変わっていくのを総合的に扱う部署(事務局)です。それぞれは生活編とか、本・図書館とかで扱っているけど、変革をどのように連動させていくのかをここで述べていきます。

 サファイア革命では政治形態などの部分を扱っている。大きな部分です。では小さな部分はどう扱うのか。配置ではそれらの関係は同値です。

 それは地域インフラに入れておきますか。書き記す場所がない。行政の部分は生活と教育にしていきましょう。ここで行政を挙げる必要は特にないから。国の中の企業ではなくて、環境としての企業にポイントを置きます。

新刊書が皆、薄い。今週末はラクができる

 月末と言うこともあって、内容の薄い本が多い。YAも漁って、22冊。明日には処理を終えそう。

社会的不平等を正すソーシャルワーカー

2016年10月28日 | 3.社会
『これがソーシャルワークという仕事です』より 現代社会において必要なソーシャルワーク ⇒ 正儀の問題ではなく、ハイアラキーの世界では、自由と平等はトレードオフ。配置の世界へのゆっくりした革命が必要

 社会的不平等を正すソーシャルワーカー

  社会正義はソーシヤルワークを導く核心的な価値の1つです。この社会正義とは「社会の全てのメンバーが同様の権利、保護、機会、義務、社会的な利益をもつために不平等が確認され、是正されなければならないという考え方のことであリ、差別、抑圧、不平等に立ち向かい、抑圧された状況にある人々の権利を擁護する行動が含まれる」というものです。

  何だか難しいことが書かれていて、よくわからないと思います。実は、ソーシヤルワークにおけるこの分野の研究は必ずしも進んでいるわけではなく、社会正義の意味は広範囲におよび、かつ曖昧です。定説があるわけではありません。そこでここでは、ロナルド・ドゥウォーキンという哲学者(法哲学)の考えを参考にしながら説明を試みたいと思います。

  (1)不平等と正義

   平等の根幹には「等しいものは等しく扱う」という考えがあります。「等しい」とは「同じ」という意味です。これを人間にあてはめて考えると「同じ人間は同じに扱う」となります。こうした平等こそが「正義」ということです。逆に、不平等とは等しく(同じ)人間なのに等しく(同じに)扱わないことです。そして、不平等とは不正義ということです。
   これらの意味を考え合わせると、「社会的不平等とは、同じ人間なのに、社会の仕組みや対応が、等しく(同じに)扱っていない」ということになります。そして、ソーシヤルワークは社会的不平等(不正義)に対して、その不正を正す仕事ということになります。

  (2)不平等に対する理解

   ソーシャルワーカーは一人ひとりの身体的、または能力的な「違い」を「個性」として尊重します。ジョン・スチュアート・ミルが「ひとびとが個性的であれば、その営みも個性的になるので、同じプロセスをとおして人間の生活も豊かで多様になり、活気に満ちる。……中略……個性が発展すればするほど、各人の価値は、本人にとっても、ほかの人びとにとっても、ますます高くなる」というように、「違い」は「個性」であリ、その個性を発展(成長)させることが、その人の幸せ(価値)と社会の豊かさ・活気につながります。

   ソーシャルワーカーが問題とするのは、身体的、または能力的な「違い(個性)」ではなく、①その人の力ではどうすることもできない不利な状況(不運)、②その不運は社会の仕組みにより正すことができるのにしようとしないこと(不正)です。ソーシャルワーカーは、「社会的不平等」は「不運」と「不正」によって生まれていると理解します。だから、そうした不平等を正そうとします。

  (3)ソーシャルワーカーがめざす正義

   ソーシャルワーカーは正義をめざします。正義は社会がもっておくべき特質(根本にある規則)であリ、その中心にある性質が平等です。ドナルド・ドゥウォーキンは、市民がもっている権利のなかでもっとも根源的なものは、「平等な者として扱われる権利(treatment as an equal)」であリ、平等を「平等な配慮と尊重を受ける権利」と表現しました。人間は苦痛を感じたり失望を抱いたりする存在です。だから、国(政府)は、国民を等しく配慮を受ける権利がある者と扱わなければならず、その権利を保障する責務があります。また、人間は自らの意思に基づいて人生を切り拓いていく存在です。だから国(政府)は、そうした本人の意思や人生に対して、等しく尊重を受ける権利がある者と扱わなければならず、その権利を保障する責務があります。
   これを基盤にして考えると、ソーシャルワーカーがめざす正義は、「まず、一人ひとりがもっている潜在的な可能性(力)が発揮できる機会を等しく保障すること(平等な尊重)、次に、傷ついたときや困難な生活に陥ったときに一自ら生きていこうとする意欲や自尊心を失わないことに配慮しつつー、その生活困難に等しく対応すること(平等な配慮)」となります。

  (4)正義を支える考え方(根拠)

   ①「権利と責務(責任)」のネットワーク

   近現代社会では、私たち一人ひとりは自由意思をもち、それによって何らかの契約を行ったところに権利と責務(責任)が生じます。社会福祉のサービスにも契約制度といった、福祉サービスを契約によって生じる権利と責務(責任)ととらえる制度があります(その典型が介護保険制度です)。

   私たちは誰もが、ある社会のなかに生まれます。どのような環境に生まれてくるのかは、本人にはどうすることもできません(本人には責任がありません)。また、障がいをもって生まれたり、困難な生活環境に生まれるのは、まったくの偶然です。

   本人にはどうすることもできないのに そのことで著しい不利益を被るのはおかしなこと(理不尽)です。また、自分がそうなっていたかもしれないのです。そう考えると、国(政府)や私たちには、理不尽で偶然に被っている生活困難に対応する責務(責任)があることがわかります。

   社会とは、人と人との結びつきのことですが、その基盤には、権利と責務(責任)のネットワーク(網の目)があるのです。

   ②本人に原因がない偶然がもたらす不利や困難

   「本人に原因・責任がない、偶然がもたらす不利や困難」を、不運であるとか「仕方ない」ととらえる人がたくさんいます。

   困難を抱えている原因が当事者にあれば、それはその人のせい(自己責任)と考えることはできます。正義(正しいこと)には、「ものごとに比例して利益や負担を分配する」という考え(分配的正義)があります。その人に原因があれば、その度合いに応じて責任(負担)を求めることは「正しい」といえます。しかし、その人に原因がないのに、その人に責任(負担)を課すことは「正しい」とはいえません。ソーシャルワーカーはこうした考えに基づき、本人に原因がなく、偶然がもたらす不利や困難を正そうとします。

   ③生活困難に対応する責務(責任)

   ソーシャルワーカーは、本人に原因・責任がある生活困難でも、必要に応じて対応します。その理由は、①理由は何であれ、痛み苦しみに対して 「何とかできないか」という気持ちをもっているから、②人は誰でも判断ミスなどの過ちをしてしまうものだから、③人間一人ひとりは“重みのある”“かけがえのない”存在だから、④誰がいつ、同じような困難に陥るかわからないから(お互い様)、⑤以上で述べたことを理由に、私たちには、そうした困難に対応する責務(責任)があるからです。

 一人ひとりの尊厳と人権を平等に守るソーシャルワーカー

  ソーシャルワーカーは、社会の根本的なルールである正義を実現しようとします。ここでいう正義とは、一人ひとりが等しく配慮され、尊重される状態のことです。そして、「等しく配慮され、等しく尊重される」ことで一人ひとりの尊厳と権利を守ることがソーシャルワーカーの仕事です。ここでいう尊厳と人権とは、次のような意味です。

  (1)尊厳--比較不能な絶対的な価値、かけがえのなさ

   尊厳という言葉は日常では使われませんが、ソーシヤルワークを含めた社会福祉においてもっとも大切な言葉です。この言葉について哲学者の御子柴善之さんは「尊厳には、誰にも侵すことができないという絶対|生と、それを守らなければ毀損されてしまいかねない、という二重の意味が込められている」と述べています。

   誰にも侵すことができない絶対性とは、誰が何をしようとも損なわれることのない「比較不能な絶対的な価値」のことです。たとえば、能力と資産など、私たちが善いと思ったり大切と思ったりしていることのほとんどが相対的な価値です。それはほかの人と比べることができます。これに対して、比較不能な絶対的な価値とは、どちらが大切と比較することができない、とっても大切なもののことです。

   一方、それ(尊厳)を守らなければ毀損されて(壊されて)しまいかねないとは、尊厳それ自体は、誰が何をしようとも損なわれることのない「比較不能な絶対的な価値」ですが、それをみんなで互いに守らなければ、人間は尊厳という絶対的な価値を失い、著しく傷ついてしまう(壊れてしまう)ということです。

   具体的に説明します。尊厳を守らないということは、人間を能力のような相対的な価値でのみとらえる、言い換えれば、人間を奴隷のように、役に立つ道具としてのみとらえることを意味します。

   では、なぜ人間には尊厳があるのでしょうか。その理由は、一人ひとりの人が、その人の死とともに消滅してしまう“かけがえのない世界”を生きているからです。その世界はその人にしか経験できませんし、ほかの人が替わって生きることもできません。一度死んでしまえば、ゲームのように復活する(生き返る)こともありません。それは、本当に尊く厳かなものです。

  (2)人権--人間の尊厳を守るために、人カ注まれながらにもっている権利 人間一人ひとりは、その人の死とともに消滅してしまう“かけがえのない世界”を生きています。この世界に付与された絶対的な価値のことを尊厳といいます。しかし、尊厳はみんなで互いに守らなければ毀損されてしまいます。だから、そうならないように人間が生み出したのが人権(人間が生まれながらにもっている権利)という考えです。

   人間は各自の尊厳を守るために人権という考えを生み出し、法を創ることで、それを権利として保障しようとしているのです。

   ソーシャルワーカーは、一方では一人ひとりの尊厳と人権を守り、もう一方ではそうした尊厳と権利を守ることができるような「責任のネットワーク(支え合いの仕組み)」を創ります。

 だから、ソーシャルワークが必要です

  超高齢社会を迎え、年金収入の少ない人や介護を必要とする人が増えています。格差社会により所得格差や子どもの貧困が広がっています。家族や地域あるいは職場がこれまでもっていた機能が衰退しているため、居場所や支え合い・つながりが弱くなリ、虐待や暴力といった問題も生じています。しかしながら、社会的不平等やこれらの問題に対して、政府の対応は十分ではありません。この状態に対して、ソーシャルワーカーは一人ひとりを等しき重み(価値)をもつ存在と理解し、「平等な配慮と尊重の権利」を実現しようとします。

  社会的不平等のなかで、人としての尊厳が侵され、困難な生活を強いられている人がたくさんいます。ソーシヤルワークは、そうした人の尊厳を守り、支え合いの仕組みを創ろうとします。だから、現代社会にはソーシヤルワークが必要なのです。

なぜ日本は無謀な太平洋戦争を始めたのか

2016年10月28日 | 4.歴史
『徳川家が見た戦争』より ⇒ 負けた原因は戦争をしたから。中国を放棄すれば、道が開けた。

 石油を断たれ、開戦を決意

  一九四一(昭和十六)年、アメリカがついに日本への石油輸出を全面禁止に踏み切った。すると陸海軍とも主戦論が次第に勢いを増す。燃料となる石油がなければ軍艦も航空機も、動くことができない。

  何度もいうが、軍隊にとって石油は命綱だ。石油の備蓄が未だあるうちに、アメリカと戦ったほうがいいというわけである。このころ、陸海軍の戦力だけを単純に比較すれば、国力の差ほど、日米に違いはなかった。

  同年十一月に企画院の鈴木貞一総裁が御前会議で発表した政府の需給見通しがある。それが前ページの上の図である。この「南方作戦遂行の場合の石油需給バランス試算表」によると、海軍を中心に今まで溜め込んだ備蓄分八百四十万トンに、占領した蘭印(現・インドネシア)からの石油分、さらにはわずかばかりの人造石油分が加わると、戦争を開始して三年たった段階でも七十万トンもの石油が残ることになる。

  蘭印から運ばれる一年目の石油量の値が、三十万トンと少なめに設定されているのは、オランダが撤退する際、石油生産施設を破壊すると想定しているからである。需要予測(国内消費量)をかなり甘めに設定するなど、今から見れば辻棲合わせを指摘できるが、数字は一見もっともらしい。

  蘭印の石油さえ確保できれば、アメリカと開戦しても数年間は十分に戦争を継続できる。日本は一気に開戦に傾いた。

  ただ、このような日本側の動きは、アメリカからすれば間違いなくシナリオどおりだったろう。

  前記の『昭和16年夏の敗戦』のなかで、猪瀬はアメリカのフランクリン・ルーズペルト大統領の義勇派兵委員会での演説を取り上げている。時期は実質的な対日石油禁輸を決めた1ヵ月後の一九四一(昭和十六)年七月である。少々長くなるが引用してみたい。

  --ここに日本と呼ぶ国がある。彼らは北にあって彼ら自身の石油を持っていなかった。そこでもし、われわれが石油を切断してしまったなら、彼らはいまから一年前に多分蘭印に降りて行ったであろうし、そうすれば諸君は戦争に入っていたであろう。そこで「ある希望をもって、アメリカの石油を日本に行かせている手段」と諸君が呼んでもいい手段があり、その手段は、われわれの自身の利益のために、イギリスの防衛および海洋の自由の利益のために、南太平洋をいままで二ヵ年間も戦争の埓外に保たせるように働いてきたのである。

  ルーズペルトはアメリカが戦時体制を整える時間を稼ぐため、さらにはイギリスがドイツとの戦いに注力できるようにするため、時間を稼ぐ必要があった。だから、日米対立が深刻化しても、すぐに禁輸政策を取らなかったのだ。石油を断たれた日本がどのような行動を取るのか、ルーズベルトは十分に理解していた。

  太平洋戦争は海軍によるハワイ真珠湾攻撃で始まったとされる。しかし、実はこの真珠湾攻撃に先立つこと約一時間二十分、日本陸軍が蘭印侵攻のため、イギリス領だったマレー半島に上陸している。これが太平洋戦争の実質的な戦闘開始である。

  ちなみに、米国戦略爆撃調査団の石油・化学部が、『日本における戦争と石油』(奥田英雄・橋本啓子訳/石油評論社)と題する報告書を戦後にまとめている。そのなかで日本の開戦および真珠湾攻撃について以下のように解説している。

  日本は輸入石油〔その80%強がアメリカからの輸入〕を使って戦争を仕掛けた。真珠湾を攻撃した航空機とそれを太平洋を横断して運んだ戦艦がアメリカ製燃料で行動した確率はきわめて高い」

 物資が断たれて敗戦の道へ

  日本が太平洋戦争に敗れたのは、軍隊が弱かったからなのか。

  それは必ずしも当たっていない。異説はもちろんあろうが、日本軍は貧弱な装備にもかかわらず、懸命に戦った。それでも敗戦した大きな理由の一つは、海外から日本への物資の補給が完全に断たれたことにある。

  九州大学教授の三輪宗弘は、『太平洋戦争と石油』(日本経済評論社)のなかで海軍大将だった野村吉三郎の敗因分析を伝えている。

  野村大将は敗戦後の一九四五(昭和二十)年十一月、米国戦略爆撃調査団の尋問を受けた。「軍事力方面で、日本の崩壊をもたらしたアメリカの大きな影響は何だったと思われますか」という質問に対し、以下のように陳述した。

  --はじめのうちは潜水艦によって、われわれの商船隊が大きな損害を与えられ、後期は空軍と協同した潜水艦が日本の船舶を減少させました。われわれの補給路は切断され、その生命線を維持することはできませんでした。次に日本の飛行機工場は破壊され、われわれは前線に消耗機の補充が十分できなかったが、一般の人々は船舶喪失の重大性の認識が欠けていて、一番大切なのは飛行機の問題だとばかり思い込んでいた。--

  同じく海軍大将だった豊田副武も同じ趣旨の尋問で、「南方の資源からの補給が断たれたことでした。それは主として、船舶の喪失と、輸送手段一般が何も無くなったことからきたものでした」と野村大将と同様の発言をしている。

  国内で所有されていた大型船(百トン以上)の総トン数推移を見ると、一九四三(昭和十八)年度以降、総トン数は右肩下がりとなる。このころ、アメリカ軍は日本の商船暗号を解読、輸送船団の航行情報を把握できるようになった。アメリカ軍の攻撃によって船舶が次々と撃沈されていった一方、生産施設や資材の不足などの理由で、国内での船舶建造はとても損失分を補う状況ではなかった。

  なかでもタンカー船舶の喪失は痛手で、日本に到着した石油量は一九四三年時点で、南方産油量のわずか二十%に過ぎない。太平洋戦争前に軍が描いた蘭印からの石油確保という目論見はもろくも崩れた。

  潜水艦などによる輸送船団への攻撃によって、当てにしていた南方の石油も工業資源も、そして、不足分を賄おうとした輸入米も移入米も、とにかくなにもかもが日本に入ってこなくなった。

  第二次・第二次両世界大戦でドイツと戦ったイギリスは、ドイツの潜水艦Uボートによる輸送船団攻撃の結果、補給物資が国内に入らなくなり、経済は白旗を掲げる寸前まで追いつめられた。アメリカも第二次世界大戦の序盤には、Uボートの攻撃にさんざん苦しめられた。

  このため、アメリカとイギリスは船団航行の方法や護衛艦隊の配置方法などを研究し、商船隊を守る護衛システムを考えた。ソナーなど対潜水艦用の装備を有した護衛専門の駆逐艦の建造も急ぎ、潜水艦攻撃による被害を最小限に食い止めようとした。

  これに対して、日本は輸送船団の護衛について、有効な手を打てぬまま終戦に至った。そもそも陸海軍とも民間商船を守ろうなどという発想自体が希薄だったように思う。

  太平洋戦争末期の一九四四(昭和十九)年に、海軍教育局が戦時輸送船員の教育用に作成した資料に「船員二告グ」がある。

  二十ページの小冊子のなかで、「民間船は脆弱に見えるが、艦艇に比べて予備浮量があるので、容易には沈没しない」「見張りが一番重要になる。旺盛な責任感は心眼を開く」「戦争は無理の連続。勝利のためには金剛精神の発揮が必要」などと、アメリカ軍の攻撃に対し、おおよそ効果があるとは思えない対策を並べ立てている。

  ただし、海軍のなかにも、アメリカ軍の潜水艦による海上封鎖に対し、早くから警告を発していた人もいる。何度も話に上らせて恐縮だが、海軍大将の井上成美がその一人である。

  一九四一(昭和十六)年に出された海軍大臣宛意見書「新軍備計画論」のなかで、当時、海軍中将だった井上は、「アメリカの海上交通制圧によって、国内が物資窮乏に陥る可能性が大である」と述べている。海軍の海上交通確保戦、今でいう「シーレーンの確保」が、日米戦のなかで特に重要になると強調しているのだ。

  しかし、艦隊決戦に勝利することのみを重視した、大井篤海軍大佐(海上護衛総司令部作戦参謀)が呼ぶところの「連合艦隊一本槍思想」に囚われた海軍のなかで、海上護衛について真剣に検討されることはなかった。先見の明に富んだ井上の意見書は無視されてしまった。

  カエサルはかつて『ガリア戦記』(國原吉之助訳/講談社学術文庫)のなかで、「願わしいものなら喜んで本当と思いこむ(人間の一般的な傾向)」と語っている。信じたくない事実を見せられたとき、当時の海軍首脳部は目を閉じてしまったのだろう。

  アメリカに完全に海上封鎖された日本に、もはや戦争を継続する道はなかった。