アフリカは脱・国民国家に向かう
アフリカは今、変わろうとしています。無線というインフラを簡単に作ってしまうというやり方です。コミュニティが必要なところをつなげていく。身一つで動けるアフリカの若者。核戦争のために生まれたインターネットがアフリカの人々の武器になっている、
そうなってくると、資本主義は変わらざるを得ないです。国民国家はインフラを提供することで成り立っている。グローバルでのツールでインフラが出来てしまうことで、国家の分配機能は働かなくなる。
フィンランドのノキアに行った時に、ヨーロッパ大陸のインフラは簡単にできるし、国家を超えてしまう、と言っていた。平坦な大地にアンテナを立てれば、簡単につながる。日本のように、一つずつ、電信柱を立てる必要はない。
日本はなまじ狭いから、ちょこちょこと移動しようとする。アフリカ大陸は広大だから、簡単には移動できない。ガタガタ道をランクルかバスで移動するしかない。だけど、インターネットならば、無線でどこまでもつながります。
部族はあるけど、国家はない。単一民族ではなく、部族の集合体です。そして都市しかない。
アラブの春もこのことを示している。インフラが変わってきたから、マーケティングが変わります。日本だけが、窮屈なインフラのもとにある。人口は減るしかないのに、戦争を仕掛けようとしている。
グローバル化した後に生まれた国、例えば、南スーダン共和国、は一気に国民国家を抜く可能性を持ちます。国という単位をどう見るかです。南スーダン人の多くがスーダンに住んでいる。逆もあります。旧ユーゴスロバキア状態です。これを整理して、それぞれの国に入れるのはナンセンスです。
人口密度はまだまだ狭いのだから、そこに居ればいい。それを横につなげていく。今までは、物理的なインフラしかなかったけど、今後はソーシャルな支援がネットで可能になる。雇用も社会保障も受けられるようになります。アフリカ大陸から新しい人類を生み出せばいい。いつの日か、出アフリカ(エクソダス)する日まで。
そこでは、国民国家という概念はないです。国民国家を持てば、争いになります。自由が失われます。アフリカほど、ノマドに合う土地はないでしょう。
東欧の経験をアフリカに移植すればいい。それで、エイズを撲滅すれば、共有の意識が生まれます。大陸でありながら、部族がコミュニティとして、都会とのバーチャルな関係を生み出します。都会は国とグローバルな世界を作り出します。
企業の役割もハッキリしています。中国とかチュニジアのメーカーがインフラを提供します。電気の方は、サハラ砂漠のような環境を活かせば、自然エネルギーに対応できます。生活向上のために、二人っ子政策を守れば、資源は十分です。
クルマはどうなっていくか
その時に、クルマがどうなっていくかです。中国の時は、クルマの所有制度に対して、共産党がMBA的な見通しから、制限すべきだった。シェアすればすむのに、自転車の替りに車のようなカタチで、一気に増えてしまった。アフリカは今からですから、理念をハッキリさせれば、アフリカ全域で実現できます。
何しろ、クルマの移動できるような距離ではない。それこそ、バーチャルでないとこれは成り立たない。部族の範囲をベースに軽車両を使っていけばいい。アフリカ全土に高速道路を作る必要はない。それなら、無人飛行機と飛行場でインターネットのハブのようなカタチにする。電信柱は不用です。
日本では、インフラが重荷になります。第二新幹線を作ったところで、この狭い国土がさらに狭くなります。インフラは壊れることを前提にしないといけない。フクシマの二の舞です。
そう考えると、位相化はグローバル化と同じです。国民国家というデカルト平面がグローバル化で位相空間になっていく。その意味では、アフリカ大陸で大きな数学実験が始まります。デカルト平面を経なくて、位相空間を作り出す。デカルト平面に囚われている日本は最後の最後に崩壊する。
アフリカは今、変わろうとしています。無線というインフラを簡単に作ってしまうというやり方です。コミュニティが必要なところをつなげていく。身一つで動けるアフリカの若者。核戦争のために生まれたインターネットがアフリカの人々の武器になっている、
そうなってくると、資本主義は変わらざるを得ないです。国民国家はインフラを提供することで成り立っている。グローバルでのツールでインフラが出来てしまうことで、国家の分配機能は働かなくなる。
フィンランドのノキアに行った時に、ヨーロッパ大陸のインフラは簡単にできるし、国家を超えてしまう、と言っていた。平坦な大地にアンテナを立てれば、簡単につながる。日本のように、一つずつ、電信柱を立てる必要はない。
日本はなまじ狭いから、ちょこちょこと移動しようとする。アフリカ大陸は広大だから、簡単には移動できない。ガタガタ道をランクルかバスで移動するしかない。だけど、インターネットならば、無線でどこまでもつながります。
部族はあるけど、国家はない。単一民族ではなく、部族の集合体です。そして都市しかない。
アラブの春もこのことを示している。インフラが変わってきたから、マーケティングが変わります。日本だけが、窮屈なインフラのもとにある。人口は減るしかないのに、戦争を仕掛けようとしている。
グローバル化した後に生まれた国、例えば、南スーダン共和国、は一気に国民国家を抜く可能性を持ちます。国という単位をどう見るかです。南スーダン人の多くがスーダンに住んでいる。逆もあります。旧ユーゴスロバキア状態です。これを整理して、それぞれの国に入れるのはナンセンスです。
人口密度はまだまだ狭いのだから、そこに居ればいい。それを横につなげていく。今までは、物理的なインフラしかなかったけど、今後はソーシャルな支援がネットで可能になる。雇用も社会保障も受けられるようになります。アフリカ大陸から新しい人類を生み出せばいい。いつの日か、出アフリカ(エクソダス)する日まで。
そこでは、国民国家という概念はないです。国民国家を持てば、争いになります。自由が失われます。アフリカほど、ノマドに合う土地はないでしょう。
東欧の経験をアフリカに移植すればいい。それで、エイズを撲滅すれば、共有の意識が生まれます。大陸でありながら、部族がコミュニティとして、都会とのバーチャルな関係を生み出します。都会は国とグローバルな世界を作り出します。
企業の役割もハッキリしています。中国とかチュニジアのメーカーがインフラを提供します。電気の方は、サハラ砂漠のような環境を活かせば、自然エネルギーに対応できます。生活向上のために、二人っ子政策を守れば、資源は十分です。
クルマはどうなっていくか
その時に、クルマがどうなっていくかです。中国の時は、クルマの所有制度に対して、共産党がMBA的な見通しから、制限すべきだった。シェアすればすむのに、自転車の替りに車のようなカタチで、一気に増えてしまった。アフリカは今からですから、理念をハッキリさせれば、アフリカ全域で実現できます。
何しろ、クルマの移動できるような距離ではない。それこそ、バーチャルでないとこれは成り立たない。部族の範囲をベースに軽車両を使っていけばいい。アフリカ全土に高速道路を作る必要はない。それなら、無人飛行機と飛行場でインターネットのハブのようなカタチにする。電信柱は不用です。
日本では、インフラが重荷になります。第二新幹線を作ったところで、この狭い国土がさらに狭くなります。インフラは壊れることを前提にしないといけない。フクシマの二の舞です。
そう考えると、位相化はグローバル化と同じです。国民国家というデカルト平面がグローバル化で位相空間になっていく。その意味では、アフリカ大陸で大きな数学実験が始まります。デカルト平面を経なくて、位相空間を作り出す。デカルト平面に囚われている日本は最後の最後に崩壊する。