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ブログを荒唐無稽にしていこう

普通の人から見ると、自分のブログを荒唐無稽にしていきます。

何しろ、これは「まだ見ぬ人へのメッセージ」なのです。それは今いる人なのかもしれません。分かる人が出てくるはずです。そういう人には分かるようにしていきます。だから、オープンです。偶然を求めます。

出てくるのは、私がなくなった後かもしれません。「未唯への手紙」は元々はそのシナリオです。誰かが渡してくれることを望みます。

書き記したものをどうするかということを楽知の帰りに考えていました。

ある女性の話で、厳格な父親が亡くなった時に、母親と娘はしばしの開放感を味わった。その時に父親が書き記していたものが多くあり、母子でどうしようかと思案したけど、結局は燃やしてしまったというものです。

多分、その中に様々な思いが書かれていたかもしれません。そうして、一つの思考がなくなっていきます。

だから、自分史にするか、ブログにしておかないと通じません。出版よりもホームページにまとめた方がメッセージとしてつながるかもしれません。

それが、文献をつなげていくザナドゥ空間であれば、さらに使いやすいかもしれません。誰かが拾うかもしれない
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複雑性は調和をとるもの

複雑性は拡散するものと収束するもの、それぞれの立場のものが同時に動いて調和を取るということです。調和はなくてもいいけど、破滅する方向に向かわないための理論です。

普通は片一方だけするとスパイラルを起こし、どんどん拡散していくか、収縮していきます。複雑性ではもう一方でそれをコントロールします。だから、情報を発信する方と受信する方の関係、受信した方が情報を発信する場合は、従来ならば、フィードバック回路のような挙動になるものが、その双方の上からThink Globallyにてコントロールしていて、その結果どうなるかをシナリオ化しているので、受信する方と発信する方が利益を受けながら、コミュニケーションしていきます。

何となく、多様性を持って多様性を制するみたいなところがあります。だから、トポロジーに合うのでしょう。

これは経済のやり方とも、よく似ています。そのためにはそれぞれのパラメータをぶつけて、どのような挙動をするかということを見るというThink Globallyという視点が必要です。ロハスとか、名古屋のゴミ処理で感じている、Act Locallyだけに押し付けているやり方では複雑性を感じることはできません。

これを用いて、サファイア構造における複雑性でのやり方に進んでいきます。
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図書館協議会で息巻いていた

三浦さんが総務に替わり、仕切っていました。館長とはいい感じです。

図書購入費は例年どおりに中央館で1.3億円、ネットワーク館で0.8億円です。これで発行図書の8割は購入できます。これさえ確保できれば、新刊書愛好者の私は満足です。言うことはありません。

しかし、図書館愛好者の私には言いたいことが多くあります。どのように変わっていくかの方向だけは見届けないといけません。変わっていく図書館ではなく、(みんなを)変えていくための図書館でなければいけません。

この豊田市図書館の良さをもっと、世の中にアピールできないのか。世の中にアピールしてこそ、市民からの意見が聞けます。

そのためには、全国図書館大会、マスコミに対してのアピールをするとか、全国駅前図書館会議みたいなものを主催するとか、名前を上げることと「おいでん」などでの市民アピールを市役所としてやっていかないといけない。まあ、その前に市役所の連中に本を読んでもらわないといけません。最低限!

具体的には、図書館ホームページをポータル化して、その効果を訴えることです。ニューヨーク公共図書館(NYPL)のように、市民サービスとしての図書館のポータルは個人認証で一歩踏み込んだサービスが可能になります。

昨年から始まった、予約状況照会は単なるサービスではありません。個人認証に基づくサービスです。個人の了解の元では様々な情報を提供できます。仕掛けた図書館の人にその認識がないだけです。NYPLでは本の延滞金の回収とか有料情報検索に活用しています。

これを日本で最初に仕掛ければ、アピール効果は大きいです。現行の年間2億のコンピュータ費用で十分まかなえます。私に任せれば。

名大の女性の助教授は今回も来ていません。折角、委員ならばこういうときに来て、意見を言わないといけない。学術経験者は議長と副議長は来るけど、すぐ手を抜きます。さもなくば、本当に来たい人に、その権利を渡すべきです。
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ベッドの上で感じた「孤立と孤独」

今朝、足がつっている時に感じたのは、「孤独と孤立」です。トイレに行きたくとも行けずに、ベッドの上にいました。

今は人とのつながりをほとんど感じていません。ここから救える道はありません。だから、考えることだけです。この孤立感をもとに考えることに集中させます。他のことはしません。

だから、今は中に向かう力をベースにします、中に入れれば入れるほど、次に外へ向かう時の破壊力になります。余計にわかりにくくなるという考え方もあるけれど、自分ができることはそれしかありません。

どうも、部屋に入ると考えられません。だから、外で考えます。だから、帰宅時間が遅くなります。退社時間は早いけど。部屋では本を読むだけにします。ネットにつなげてもいまは誰ともつながっていないから、会社のメールは必要ありません。

足がつった時に思ったことのもう一つは、このように様々な機能が落ちてくることへの諦観です。だけど、考える力だけは落とさないようにしましょう。だから、もっと考えましょう。それしかありません、
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「持続可能な地域づくり」セミナー

場所は県庁と市役所のそばでファーストフードがなくて、コンビニでパンを買ってロビーで食事。場所が悪いよね。NPOも大変です。こんな休日に人が来ない所を根城にしているのだから。

「地域の未来」の頑張っている人を応援するという概念を述べていた。何となく、1848年のカルフォルニアでリーバイスを作るような発想です。そんな分かったようなマーケティングの教科書的なことを言ってないで、金鉱を掘りに行きましょう。

仲間を増やすにはどうするかという質問がありました。これは環境学習施設でも、よく話題になります。私みたいに結局一人の世界でやってきた人間にとっては、さほど気にならないけど、「皆と」やってきた人には気になるみたいで、毎回質問が出ます。答えはいつも「そうですね~」です。

単に増やすのかがポイントです。そのための手法がまだできていません。それをすることで儲かるということをいろいろな面で見せていかないといけません。今のやり方をしている人にそのやり方の変えることによって、どういう風に具体的に儲かるのか、今まで当たり前であったことをどのように変えていくのかというところです。

それと、教育がポイントだという人は多いです。特に教育者または教育経験者。けれど、自分たちが変わっていないのに教育が変わるはずはありません。変えさせられるはずはありません。自分たちは何が一番、今までの価値観をひっくり返すのか、隠れていた価値観を出すのか、それによってどのように変わるのか。それにどのように気づくのか。

それと、今は人類の最盛期であることにが強調されました。

これにはロマンを感じます。自分が生まれてきたのが、単なる歴史の1ページではなく、意味あるページであることを実感することに。99年7月のノストラダムスの前にもビートたけしが同様のことを話していた、それにより、自分が生まれてきたのが、偶然とかではなくて、必然であることを実感できます。

それを見るために生まれてきたのです。そのときにメッセージとしては単に見れという話なのか、変えろという話なのか、壊せという話なのかはよくわかりませんが。

単に見ていればいいのですけど、最低限でもそのレポートは書かないとまずいですよね。

人類は今がピークと感じるのはいいことです。だけど、そうしゃべっている人が本当にそう思っているかは別物です。彼らは今がピークだからこうしないといけないとは言うけど、もっと深いところを求めないといけません。

過去、何千万年(この年数は調査対象にします)の間に蓄積されたエネルギーを勝手に使って、繁栄してきた生活、その反面ではそのエネルギーの獲得で不安定になってきた地球そのもの。南極条約のように共通の資産にすることもできたけど、その前に戦争を始めてしまった。

今も自分達の中だけで、循環する社会を作るための取り決めをしようとしています。そこに知恵ができないのであれば、人類は滅びればいいです。それは私のメッセージです。
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共依存について

先週の楽知の帰りのクルマで「共依存」の話をしていた。それは家庭環境での関係に良くあるパターンです。お互いがお互いを助ける“いい関係”ですね。

だけど、私は「共依存」は好きにはなれません。「密の関係」に縛られたくないし、自分が他の人と同じだということが証明されていないというトラウマがあります。だから、依存しあうという狭いループで解決しようとするイメージが好きになれません。

私の場合は、私の周りが全て作られたものという気持ちに時々なります。これは心理学でも述べられているし、映画にもなっています。昔の手塚治虫のマンガにもありました。そうならば、「だから、どうせよ」というものを見せてもらいたい気がしています。

私はよく、この「共依存」という言葉を使います。依存したくないし、依存されたくもない、自分は自分だという気持ちもあるけど、もう少し概念としては大きなものと思っています。この社会空間を規定するパラメーターと思っています。

「未唯への手紙」の中でも、これに一項目当てるつもりでいます。分析が必要な項目だと思っています。そんなときに、図書館で「わたしって共依存?」493.74カワを新刊書で見つけました。

映画・小説の中に「共依存」を扱っているものは多くあります。映画『陽のあたる場所から』を「共依存の映画」と名づけたら、その途端にその言葉にみんなが飛びついたことに驚いて、この本を書いたそうです。それほど、今日的には興味ある概念になっています。

クルマでの会話でもあったけど、「共依存」の夫婦の子どもは「共依存」の関係が当たり前だとして行動する。それが食い違いの元です。それを防止するには、「家族を捨てて、家族を作る」ことが重要みたいです。

まあ、「未唯への手紙」の中で一つのテーマとして展開していきます。精神分析者として。
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2週間ぶりの図書館

図書整理日が終わって、今日からまた図書館ですね。朝、開館30分前に行ったら、高校生の行列ができていました。試験対策でしょう。並ぼうとしたら、ダラダラとしていて、どこか最後列か分からず、並びようがなく、スタバで一休み。

よく話しをしていたバリスタが今日で豊田市は終わりで、明日から日進に変わるとのことです。松坂屋にスタバができたときのスタッフは全員変わってしまって、平均年齢が下がってきています。以前は、注文すれば、後方に私のマグが用意されていたのに、この最近は「これですか」と聞いてきます。そのうち、「どれですか」と言うことになり、それも面倒になり、マグを預かる制度もなくなるのでしょう。

お客様のマグを預かるというのは、お客様を差別化するという、マーケティングとしてはいいやり方ですが、そこでの問題点はバリスタの能力が一定以上でないと、すぐに底が割れてしまう

今日の図書館の新刊書はかなりのものです。ちょっと競争相手がいて、新刊書の前は人だかりで大変でしたが、3階だけで、15冊を突破してしてしまいました。だから、4階はセーブして7冊にして、5階は物足りなかったけど、7冊にしました。1冊はインターネット予約の本で充当しました。できたら、日曜日に再度借りようかと思います。

特に今回凄かったのは、この間丸善で調べて、頼もうと思っていた本が4冊あったことです。『フラット化する世界 上下』、NHK講座『ブログに挑戦!』『Google誕生』です。『フラット化する世界』は競争相手が上巻を持っていたので、下巻だけを確保して、彼が諦めるのを待って、ゲットしました。

やはり、図書館が一番です。この生活が何時まで続けられるのか? 28日は図書館協議会です。積極的な展開をしかけましょうね。
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メールの未来

サファイアの中にメールをどう取り込もうか、かなり迷っています。今はキャリアサービス会社で通常の単機能のメールサーバを持っています。それとは別に販売店にメーラーを持っています。グループウェアを入れている会社も多く、情報共有でのコストがアップします。

ポータルにメールを出すためには全販売店のメールをカバーできるウェブに対応したメーラーを持とうとしてやってきました。一部の販売店にはその方向を指し示して、個別にメーラーとかグループウェアは必要ありませんとも言ってきました。

ここに来て、方向を変えようとしています。集約したメールをグループウェアで持つとコストが高くなるとか、その機能を生かす陣容が販売店にないなどの消極的な理由がある。それよりもメールがどうなっていくのかをケータイとの関係で社会学的に考えた結果、どうも方向が違うのではないかと直感してきたのが一番の理由です。

この間のブラックベリーのような形態がスタッフにとっては一つの方向で、そのときにメーラーはキャリアサービスで持てばいい。現在の会社が持てないのであれば、海外部門と一緒に持てばいいです。

パソコンの前でポータルを見ているスタッフはイメージできるけど、メールとかスケジュールを見ているスタッフの絵がどう見ても見えてきません。

その時点では、ポータルのコンテンツそのものをケータイに近づけます。2010年ですけど。定年か・・・
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持続型社会も数学を作るのと一緒です。

持続型社会も数学を作るのと一緒です。その際に、どのような位相をいれるかがポイントです。

今の位相の基準をどのように変えたら、新しい位相になりうるのか。それだけで、社会は変わっていきます。

位相を考える時に必要なのはインバリアントです。そのインバリアントを規定して、それが変わることで空間がどうなるかがトポロジーです。数学の醍醐味です。

それと全体を同じ位相にすることは必要ありません。近傍系でその空間の多様性を生かしていくというのが一番うまいやり方です

それぞれがバラバラに作ってきたものを全体としてつなげて、一つにしてしまうから位相なんです。Think Globally、Act Locallyとトポロジーがつながりました。あとは「未唯の手紙」で説明していきます。

それぞれの局所近傍系をつなげていけばいいのです。局所系で座標軸が合わされば関係するものが全てつながってしまいます。これがトポロジーです

ここのところ、20年前とか30年前に考えたことが一つに集まっています。その分だけ、説明がつかなくなっています。だから、「未唯への手紙」で体系立てます。
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ファンカーゴがテレポーションした!

朝、元町までクルマで行こうとして、駐車場に行ったところ、ファンカーゴが忽然となくなっていました。影も形もありません。

家に取って返して、寝ている奥さんに言ったところ、自分で乗って行ったんでしょうと言われた。今週はずっと歩きだから、そんな筈がないと言うのに、「絶対そうだ!」と言い張ります。

だから、騙されたつもりで、元町工場まで歩いていった所、そこにはファンカーゴがありました。昨日は歩きだったはずだから、絶対にこれはおかしい。クルマがテレポーション《瞬間移動》したに違いない!

会社でこの話をある女性にしたところ、一つの説が出てきました。それは奥さんが移動したのではないかというものでした。「あなたはボケてきている」と知らせるためにやったという説です。これも考えれるかな。

いや~、世の中には「自分が生きている」ということ以外にも不思議なことがあるものですね。それとマジックは簡単ですね。
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