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父の日に「いくちゃんのミニスティック」を

父の日に「いくちゃんのミニスティック」を

 未唯から「父の日に何かいる」と聞かれた。色々と考えた挙句、「いくちゃんのミニスティック」が思い付いた。Great Cometには持って行けないけど、ライブビューイングには持っていける。座りながら 黄色を振り回す。それならできる。

 行けば何かが起こる 偶然は必然 それが信念

マイナーはメジャーを求めよ

 なぜ、マイナーはマイナーを求めるのか。マイナーはメジャーを! メジャーはマイナーを! ベビーメタルは世界征服を試みた。

紙とペンに回帰した

 紙とペンに回帰したので、リュックを持ち歩いている。アナログは嵩張る。
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何周か回って、紙とペンに戻ってきた

アンチウイルスのアプリがウイルス

 アンチウイルスのアプリがスマホの邪魔をしている。外出時も通信を勝手に行なうし、コマーシャルをどんどん繰り出してくる。ウイルスがあると決めつけて、アンチソフトを入れさせようとしている。頭にきたのでつぶすことにした。

何周か回って、紙とペンに戻ってきた

 スマホとアプリの時代は終わった。320のキーワード空間を紙で作り出す。未唯宇宙の仕様に当たります。

 紙の良さは何なのか。決めつけなんでしょう。書いてしまったという後悔と同時に、割り切り。そこからの客観性。

今日はゴミの日?

 今日は5月30日。ごみゼロの日。完全庭刷られている。

いくちゃんの目は先の世界を観ている

 ミュージカルの指導を受けている、いくちゃんは先の世界から、新しい自分を見ている。ミュージカルに対する評価は気にしていない。同窓会の時の話題にすればいい。

言葉の因数分解

 言葉の因数分解をしています。言葉の最小単位は何なのか。概念とどのように結びつく。それらが作り出す空間。「内なる世界」は全ての関係がなくなる魔法の言葉。

 言葉の組み合わせはイメージそのもの 。それで新しい空間が無限次元空間のなかに生まれる。言葉の連想にはきりがない。同じことを述べてる。項目は変えるのではなくて深くする。その覚悟です。なぜ、その言葉なのかの心理分析をしている。

「無」から考えます

 「存在と無」で「存在」から考えることが多かったけど、今は「無」から考えます。その方が自然です。なんしろ無から始まったんだから。

内なる世界と他者の世界

 これは仏教の小乗と大乗の関係に似ている。他者は関係ないと思ってもお節介したくなる。そこから内なる世界を見ていくと飛躍が生まれる。

 自分編と言いながら、なぜ、他者のことばかり述べているのか。他者は存在していないのだから、言うことを自体に意味がない。自分のことを考えるのを避けている。なにしろ主体そのものがなくなる存在だから。
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他者の世界への関わり

他者の世界への関わり

 他者の世界とのスタンスは難しいですね。入り込んでもしょうがないことは分かりきっています。お節介にならないようにといっても、全てがお節介なんでしょうね。

茶色のパンツは膨張色?

 みのりさんが茶色のパンツをはいていた。珍しいですね。今まで、なかった。

アテネの玲子さんは守られている

 松坂屋でばったり会った妹に、玲子さんの様子を聞いてみた。アテネ駅前のカフェで気を失ったとのこと。

 カフェで日本人の女性が気を失っていたら、ビックリするでしょうね。周りのギリシャ人三人でスマホでソホクリスを呼び出した。この発想は日本にはないですね。

 ギリシャ人を見直しますね。日本人ならば、警察に任せますね。
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未唯空間第10章 私の物語

10.1 他者の世界

 1 他者がいる

  1-1 多くの人がいる
  1-2 他者として認識
  1-3 内から見ていく
  1-4 他者との関わり

 2 提案したい

  2-1 情報共有で変わる
  2-2 情報をいかす
  2-3 知恵をいかす
  2-4 場の設定

 3 存在の意識

  3-1 依存している
  3-2 ハイアラキー
  3-3 個人として自律
  3-4 個人がつながる

 4 中間の場

  4-1 個人が分化
  4-2 場で支援
  4-3 状況を把握
  4-4 まとめる

10.2 哲学の世界

 1 哲学者

  1-1 ソクラテス、デカルト
  1-2 カント、ヘーゲル
  1-3 ハイデガー
  1-4 哲学から得たもの

 2 歴史哲学

  2-1 自由のプロセス
  2-2 啓示
  2-3 存在の力
  2-4 平等な社会

 3 存在で考える

  3-1 社会の閉塞感
  3-2 個と全体
  3-3 平等への道
  3-4 新しい関係

 4 哲学で考える

  4-1 意思の力の世界
  4-2 家庭から個人
  4-3 存在の教育
  4-4 新しい仕事

10.3 数学の世界

 1 存在は無

  1-1 <今>ここ
  1-2 宇宙がある
  1-3 無限次元空間
  1-4 無が全て

 2 集合は点

  2-1 集合は点、点は集合
  2-2 全体と個は同一
  2-3 中間の存在
  2-4 中間のみが実体

 3 超国家は個人

  3-1 国民国家は中間
  3-2 数学で最適解
  3-3 EUは超国家
  3-4 配置された個人

 4 点としての個人

  4-1 点の意識
  4-2 個人は超国家
  4-3 家族・教育・仕事
  4-4 平等な社会

10.4 歴史認識

 1 歴史上の人間

  1-1 宗教者
  1-2 カリスマ
  1-3 革命家
  1-4 ルサンチマン

 2 歴史の進化

  1-1 自由の獲得
  2-2 数学のアナロジー
  2-3 ツールの進化
  2-4 個人を武装化

 3 歴史の<今>

  3-1 <今>生きている
  3-2 歴史からみる
  3-3 時間は加速する
  3-4 <今>しかない

 4 宇宙から見る

  4-1 宇宙の歴史
  4-2 多重宇宙
  4-3 試される人類
  4-4 到達点の設定

10.5 私の分化

 1 分化を示す

  1-1 めざめる
  1-2 自律する
  1-3 つながり
  1-4 幸せを求める

 2 配置の考え方

  2-1 配置される
  2-2 要望する
  2-3 支援する
  2-4 組織への攻勢

 3 伝播する

  3-1 循環を意識
  3-2 つなげる
  3-3 融合していく
  3-4 近傍を形成

 4 境界を越える

  4-1 コンパクト性
  4-2 ユニット活動
  4-3 行政の活用
  4-4 企業を活用

10.6 私の統合

 1 拠点

  1-1 企業活動拠点
  1-2 市民コラボ
  1-3 ソーシャル活用
  1-4 活用技術

 2 未唯宇宙を展開

  2-1 統合イメージ
  2-2 未唯空間から宇宙
  2-3 他者の巻き込み
  2-4 他者に関与

 3 展開のシナリオ

  3-1 開かれた世界
  3-2 特異点追求
  3-3 個人から変革
  3-4 家族・教育・仕事

 4 本質を追究

  4-1 配置を実践
  4-2 シェア社会
  4-3 世界の状況把握
  4-4 平和を為す

10.7 全てを知る

 1 未唯空間に記す

  1-1 存在と無
  1-2 私は私の世界
  1-3 私の空間を表現
  1-4 シンプルな生活

 2 未唯宇宙に展開

  2-1 配置で再構成
  2-2 存在で覚醒
  2-3 位相構造
  2-4 宇宙に飛び出す

 3 知る意味

  3-1 知り得たこと
  3-2 <今>ここに存在
  3-3 知ることの意味
  3-4 存在の理由

 4 先に進む

  4-1 私がいない世界
  4-2 問われれば応える
  4-3 山を下りる
  4-4 次の頂き

10.8 私の世界

 1 独我論

  1-1 用意された偶然
  1-2 哲学・数学・歴史
  1-3 宇宙を超える
  1-4 他者に語らない

 2 宇宙に旅立つ

  2-1 内なる世界
  2-2 他者の世界
  2-3 多重宇宙
  2-4 未唯宇宙

 3 存在の無

  3-1 孤立と孤独
  3-2 存在の無
  3-3 真理はある
  3-4 私は存在する

 4 どうでもいい

  4-1 大いなる意思
  4-2 生まれてきて
  4-3 存在と時間
  4-4 自己肯定
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キーワード空間の作り時

キーワード空間の作り時

 無印の1日1ページのノートを使って、項目の属性を記すことに下。

 今は、キーワード空間を作り時ですね。一つの言葉は部位になり得る。部品を扱うよりもはるかに難しい。
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OCR化した10冊

『スマート・ジャパンへの提言』

 日本は限界費用ゼロ社会へ備えよ

  次の2世代で車の8割はなくなる
  モビリティ・インターネットの先行者たら
  あらゆる建物がIoTのメードとなる
  IoTインフラをどうやってつくり上げるか
  スマート・ヨーロッパ
  地政学から生物圏へ
  地球規模のウェルビーイング
  アジアから始まる
  日本の資産
  日本がなすべきこと
  レカシーを残そう

『欲望の資本主義2』

 資本主義は拡大し続ける
 大気汚染がきれいな空気を商品化した
 「内なる他者」を探して
 マルクスではない新たな左派の理論が必要だ
 トランプを過小評価してはならない
 トランプぱ正しいメディア理論を持っている
 強力な勢力を代弁する「偽りの他者性」
 市場自体が外部性
 なぜ世界は存在しないのか
 今こそ哲学が復活する時
 AIに統一した倫理観を与えられないのなら
 グランドセオリーがないと世界は滅亡する
 グランドセオリーが必要です。

『科学技術と政治』

 移行マネジメント--技術の社会導入のダイナミズム

  移行の分析枠組み

   移行とは何か
   移行の段階
   移行の重層的メカニズム

  移行マネジメントにおける仕掛け

   移行アリーナ
   戦略的ニッチマネジメント
   共進化
   フレーミング(問題定義)の役割
   移行の行き先設定

  都市レベルでの共進化の事例分析

   北九州市のエコタウン構築事業
   富山市のコンパクトシティー構築事業

『デジタル資本主義』

 資本主義のゆくえ

  交換様式・技術文化によって変わる将来像
  シナリオ1:デジタルがCを強化する「純粋デジタル資本主義」
  シナリオ2:デジタルがCとDの両方を強化する「市民資本主義」
  シナリオ3:デジタルがDを強化する「ポスト資本主義(潤沢さの経済)」
  日本のデジタル化のゆくえ
  デジタルを経済社会の問題解決に生かす
  人間の主観世界の重要さ

『友情の哲学』

 家族と友情

  家族を論じることの難しさ
  高齢化社会の中の家族
  家族という制度そのものの不安定化(流動化)
  友達のような家族関係

『天声人語』

 夏と旅と本

 モスルでの勝利宣言

 書店ゼロの自治体が2割に

 英雄ゲバラの子

 文庫本のたのしみ

 ロシア革命100年

 予想もつかないABC

『人もお金も自然と集まるファンクラブビジネスの始め方』

 事務局を人選する

  人選で大切な4つのこと
  スターが自分で行ってはいけない
  細かく気配りができ誰にでも平等に接することができる人
  スターの成長と共に事務局も成長を

 事務局スタッフとして見るべきポイント

  スタッフの適正を見極めるポイント

   スターを私物化せず、イエスマンにならない人
   熱烈なファンはダメ
   スターから特別扱いを受けたい願望があり、そしてそれを会員に見せる人はダメ
   新しいことをどんどん受け入れられる人
   どんな会員とも分け隔てなく付き合える人
   特定の会員と個人的な深い付き合いをしない人
   先を見据えられる人
   常に沈着冷静な人
   判断力がある人
   俯瞰で全体を見渡せる人

  仕上げは効果的な立ち上げイベントやキャンペーンを

『若い読者のための哲学史』

 質問し続けた男 ソクラテス

 バラ色の現実 カント

 ミネルヴァのフクロウ ヘーゲル

 命がけの信仰 キルケゴール

 言葉に惑わされる ヴィトゲンシュタイン

 疑問を抱かなかった人 ハンナ・アーレント

『習近平が変えた中国』

 中東化する新疆ウイグル自治区~暴力の構造化、連鎖する憎悪~

  問題の背景
  ウイグル人とは
  新疆での騒乱1990年代--バレン郷事件、イニン事件
  2009年7月ウルムチ騒乱
  国際化するウイグル問題一

『習近平帝国の暗号2035』

 金正恩が習近平帝国を滅ぼす

  「全中国が射程内に」という脅威
  北京方向をあえて映した弾道ミサイルからの映像
  周永康の無期懲役、張成沢の処刑で崩れた中朝の信頼
  米朝戦争には「中立」、権益確保へ占領も
  「朝鮮半島は中国の一部」--衝撃の習発言
  「一帯一路」で張驀を持ち出す--武帝を倣う危うさ
  「習・王連合」は歴史好き
  朝鮮半島で橋頭堡確保へ
  天皇陛下も高句麗ゆかりの高麗神社参拝
  広開土王の碑と金日成の厚顔の領土要求
  中国のメンツをつぶす--習近平の鬼門は金正恩
  核実験は習近平への脅し
  17年4月の核実験は阻止
  トランプも顔負けの中朝による罵り合い
  中国は日韓への米戦術核兵器搬入を全力で阻止
  中国内には対北朝鮮政策で反省の声も
  文在寅訪中、中韓それぞれの思惑
  「インド太平洋戦略」で一騒動
  習近平特使への北朝鮮の無礼な仕打ち
  「米東海岸狙り核搭載ICBMの完成」--平昌五輪前に挑発
  「核戦争に備えよ」--真珠湾攻撃と広島原爆を例示
  北京の地下核シェルターは今も
  中朝関係の〝歴史秘話〟
  毛沢東が金日成に謝罪した特殊な関係
  北朝鮮の核開発の根本原因は中国
  「米朝戦争に備えよ」--驚愕の全軍臨戦訓令
  隋、唐、マッカーサー倣り渡海作戦
  海軍陸戦隊も山東半島で訓練
  17年末までに腹固めた習近平
  朝鮮族200万人、扱い間違えば崩壊の引き金
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ミネルヴァのフクロウ ヘーゲル

『若い読者のための哲学史』より

「ミネルヴァのフクロウは夕暮れにのみ飛ぶ」。これはゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770~1831)の考え方だ。だが、どういう意味なのだろう。実は「どういう意味なのだろう」という疑問は、ヘーゲルの著書を読むと何度も浮かんでくる。ヘーゲルの著書は難解だ。カントのように、多くが抽象的に表現され、そのうえヘーゲル自身の造語が頻繁に使われている。誰も、おそらくはヘーゲルでさえも、すべてを理解してはいないだろう。だが、フクロウのくだりは、解読しやすい。へーゲルは、人間の歴史から得られる知恵と理解は、一日の出来事を日が暮れてから振り返るように、ずっとあとになって得られるものだと述べているのである。

ミネルグァはローマの知恵の女神で、賢いフクロウと関連づけられることが多い。ヘーゲルが賢かったか、愚かだったかについてはいろいろ議論されているが、影響力をもっていたのは確かだ。歴史の展開にはパターンがあるというヘーゲルの見方はカール・マルクスに刺激を与え、変化を起こした。マルクスの思想がきっかけとなって、20世紀初頭にヨーロッパで革命が勃発したからだ。だが、ヘーゲルは多くの哲学者の反感を買った。ヘーゲルの著作を、用語を不正確に使う危険な例として扱う者もいた。バートランド・ラッセルはヘーゲルの著作を軽蔑し、A・J・エイヤーは、ヘーゲルの文章のほとんどはまったく意味がないと断言した。エイヤーにとって、ヘーゲルの著作は無意味な散文にすぎず、まったく魅力がないものだった。一方、ピーター・シンガーらは、ヘーゲルの思想はとても深く、著作が難解なのは、向き合っている概念が独創的で、とらえどころがないものだからだと主張した。

ヘーゲルは、現在のドイツにあるシュトゥットガルトで1770年に生まれ、フランス革命の時代に育った。フランス革命によって君主制が打倒され、新しく共和制が確立されたのを、ヘーゲルは「栄光の夜明け」と呼び、学校の友人とともに記念樹を植えた。この時期の政治的な不安と急進的な変革は、ヘーゲルの残りの人生に影響を及ぼした。基本的な前提が覆される可能性があること、ずっと変わらないように思えるものもそうとはかぎらないことを感じたからだ。それにより、思想は、時代と直接、結びついていて、歴史的背景と無関係に理解するのは難しいという知見につながった。ヘーゲルは、自分が生きているうちに、歴史に決定的な段階が訪れたと信じた。また、個人としては、無名の状態から、名声を得られるようになった。裕福な家の家庭教師だったヘーゲルは、その後、学校の校長になり、最終的にはベルリンで大学の教授になった。著書のなかには、自分の哲学を学生が理解できるようにとつくった講義用のノートを元にしたものもあった。ヘーゲルは、亡くなるまでに、当時もっともよく知られ、もっとも高く評価された哲学者となった。ヘーゲルの著作の難解さを考えれば、きわめて驚くべきことだ。ヘーゲルの教えを理解し、意見を交わし、政治的、形而上学的な意味を明らかにしようとした熱心な学生たちがいたおかげである。

ヘーゲルは、イマヌエル・カントの形而上学の影響を受けながらも、真の物自体は現象の向こうにあるというカントの見方を否定するようになった。経験をもたらす知覚の向こうに物自体があるのではなく、心が形づくる現実がまさに現実であり、その向こうには何もないと主張した。だが、現実が固定されたものだということではない。ヘーゲルにとっては、すべてが変化の過程にあり、その変化は自己認識の漸進的に高まりによって示される。自己認識が、生きている時代によって固定化されるのだ。

歴史全体を、小さく折りたたまれた長い紙切れだと考えてみよう。何か書いてあるかは、すべてを開いてみるまでわからない。最後の最後に何か書かれているかも、開いてみなければわからない。どう開くかには、あらかじめ決まった方法がある。ヘーゲルにとって、真理とはつねに自己理解という目標に向かって進み続ける。歴史は決して偶然のものではない。どこかに向かっている。振り返って見渡せば必然だったことがわかる。こうした考えは、初めは奇妙に思えるかもしれない。読者のみなさんの多くは、ヘーゲルの意見に賛成できないかもしれない。歴史とは、たいていの人にとってヘンリー・フォードが言うように「ただ次々と事が起こる」のに近い。全体的な計画などなく起こる出来事の連続だ。歴史を研究して、過去の出来事の原因と考えられるものを見つけ、将来、何か起こるかを予想することはできるかもしれない。だが、それは、ヘーゲルが考えたような必然的なパターンがあるのではなく、歴史がどこかに向かっているということではない。さらに、歴史が徐々に自己を認識するということでもない。

ヘーゲルの歴史研究は、哲学の研究と無関係ではなく、哲学の研究の一部であり、しかも主要な部分だった。歴史と哲学は複雑に絡み合い、より良いものに向かって進んでいるとヘーゲルは考えた。そう考えたのは、ヘーゲルが最初ではない。宗教ではたいてい、キリストの再臨のような終点に歴史が向かっていると説明される。ヘーゲルはキリスト教信者だったが、教義の正統とはほど遠い解釈をした。ヘーゲルが考えた歴史の終点は、キリストの再臨ではなく、それまで誰も認識しなかったものだ。それは、理性の発達をとおして、徐々に、必然的に生まれる精神の自己意識である。

だが、精神とは何だろう。また、精神が自己を意識するとはどういうことだろうか。精神はドイツ語で「ガイスト」だ。その正確な意味については、学者たちのあいだで意見が分かれている。「心」と訳したほうがいいという者もいる。ヘーゲルはすべての人間のひとつの心といった意味で使っていたようだ。ヘーゲルは観念論者だった。この精神あるいは心は根源的なものであり、物質的な世界に表出するのだと考えた(対照的に、唯物論者は物質が根本だと考える)。ヘーゲルは、個人の自由が徐々に拡大するという観点から、世界の歴史を語り直した。人間は、個人の自由から、一部の人々の自由を経て、誰もが政治的に自由になり、社会に貢献できる世界に向かっている、と。

思考を進歩させる方法のひとつとしてヘーゲルが考えたのは、ある考えとそれに反する考えとの衝突だ。ヘーゲルは、みずからの弁証法に従えば真実に近づけると信じた。まず、ある考え、つまり命題(テーゼ)が提示される。すると、それに対する異議、すなわち反対命題(アンチテーゼ)が示される。このふたつが衝突して、複雑な第3の見解、すなわち両方の統合(ジンテーゼ)が現れる。さらに、たいていは、この過程が繰り返される。新しいジンテーゼがテーゼになり、それに対するアンチテーゼが立てられる。精神による完全な自己理解に到達するまでそれが続く。

すなわち、歴史の主眼は、精神がみずからの自由を理解することになる。ヘーゲルは古代中国やインドの専制君主のもとに生きた人々をとおして、この推移を辿った。こうした「東洋人」はみずからが自由だと知らずに生涯を過ごした。このうえない権力をもつ統治者のみが自由だったのだ。ヘーゲルから見れば、普通の人々は自由ということさえ知らないかのようだった。古代ペルシア人は、自由についてもう少し高度な認識をもっていた。ギリシャに敗北したことによって、自由についての認識が進んだのである。ギリシャ人と、のちのローマ人は、先人よりも自由に対する意識が高かった。それでも、奴隷を使っていた。このことから、彼らが、裕福な者や権力のある者だけでなく、人はすべて自由であるべきだということを完全には認識していなかったのがわかる。ヘーゲルは著書『精神現象学』(1807)の有名な一節で、主人と奴隷の争いについて論じている。主人は自意識をもつ個人として承認されたいと思い、そのために奴隷を必要としている。だが、奴隷も同じように承認されるに値することに気づかない。この不平等な関係は、片方が死ぬといった争いにつながる。だが、それは自己破壊である。結局、主人と奴隷は互いを必要とし、互いの自由を尊重しなければならないとわかるようになる。

しかし、ヘーゲルは、精神の真価を自覚するきっかけとなるキリスト教の信仰によってのみ、純粋な自由が可能となると主張した。ヘーゲルの時代に、歴史はその目標を実現した。精神はみずからの自由を自覚し、その結果、理性の原理によって社会の秩序がつくられた。これはヘーゲルにとって、とても重要なことだった。真の自由は、適切に構成された社会からのみ生じるからである。ヘーゲルの著書を読む人の多くが不安に思うのは、ヘーゲルが描いた理想的な社会では、有力者の社会観に合わない人は、自由の名のもとに「理にかなった」生き方を無理やり、受け入れなければならないのではないか、ということだろう。そういった人々は、ルソーの言葉によると「強制的に自由にさせられる」ようになる。

すべての歴史の最後に、ヘーゲル自身が真理の構造に気づいた。著書のひとつの最終ページで、そうした理解に到達したと思ったようだ。それは、精神が初めて自己を理解した瞬間だ。プラトンと同じように、ヘーゲルは、それ以降、哲学者を特別な存在だと考えるようになった。プラトンは、哲学者が王となって、理想の国家を統治すべきだと考えていた。ヘーゲルはそれとは対照的に、哲学者はある種の自己理解に到達できると考えた。それは、真理とすべての歴史を理解することでもあり、デルポイのアポロン神殿に刻まれた「汝自身を知れ」という言葉を実行するひとつの方法でもあった。人間の歴史が究極的にいかに展開するかを理解するのが哲学者だ、とヘーゲルは信じた。哲学者は、弁証法によって漸進的な目覚めが引き起こされるのを理解している。突然、哲学者の前ですべてが解明され、人間の歴史の目的が明らかになる。精神は自己理解の新しい段階に入る。それがヘーゲルの理論だ。

ヘーゲルの崇拝者は多かったが、アルトウル・ショーペンハウアーはそのひとりではなかった。ショーペンハウアーはヘーゲルを、哲学者として認めていなかった。主題に対して、真剣に誠実に取り組んでいないと考えたからだ。ショーペンハウアーに言わせれば、ヘーゲルの哲学は馬鹿げている。一方、ヘーゲルはショーペンハウアーを「無知で忌々しい」と評した。
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質問し続けた男 ソクラテス

『若い読者のための哲学史』より

およそ2400年前、質問をしすぎたせいで死刑に処せられた男がアテナイ(アテネ)にいた。ソクラテスである。哲学者はそれ以前にも大勢いたが、哲学が学問とされるようになったのはソクラテスが登場してからだ。もし哲学に守護聖人がいるとすれば、それはソクラテスだろう。

ソクラテスは獅子鼻の、ずんぐりした、みすぼらしい身なりの変わり者で、人づきあいもうまくなかった。不細工で、しばしば不潔でさえあったが、頭脳は明晰であり、人を引きつける強い個性をもっていた。アテナイの人々は、ソクラテスのような人物はこれまでもいなかったし、今後も二度と現れないだろうと考えていた。ソクラテスは類まれな人物だった。しかし、面倒くさい人でもあった。自分自身を、人を刺して悩ますアブにたとえた。アブは人をひどく傷つけはしないが、いらいらさせる。もっとも、アテナイの人すべてがそう思ったわけではない。ある人たちはソクラテスを好み、ある人たちは危険な影響を与える人物とみなした。

ソクラテスは若い頃、スパルタやその同盟国を敵とするペロポネソス戦争で、勇敢な兵士として戦ったことがある。中年になると、足をひきずりながら市場を訪れては、ときおり人々を呼び止め、答えるのが難しい質問をした。それが多かれ少なかれソクラテスがしたことだが、質問は剃刀のように鋭かった。単純なもののように思えて、実はそうではなかった。

たとえばエウテュデモスとの対話がある。ソクラテスは、人を欺くことは道義に反するか、とエウテュデモスに尋ねた。エウテュデモスは、もちろん、と答えた。疑う余地のないことである。だが、ソクラテスはふたたび尋ねた。もし、きみの友人がとても落ち込んでいて自殺するかもしれないときに、きみがその友人のナイフを盗んだとしたら?それは人を欺くことではないのか? もちろんそうだ。だが、それは道義に反するのではなく、むしろ道義にかなっているのではないだろうか。人を欺いたとしても、良いことであり、悪いことではない。それはそうだ、とエウテュデモスは困惑して言った。ソクラテスは賢明な反証を用いて、人を欺くことが道義に反するというエウテュデモスの常識的な考えがどんなときにも当てはまるわけではないことを示した。エウテュデモスは初めてそれに気づいたのだ。

市場で出会う人たちに、あなたがたは知っていると思い込んでいるだけだということを知らないのだ、とソクラテスは繰り返し示した。たとえば、ある軍の指揮官が「勇気」の意味を知っていると自信たっぶりに話しはじめたとする。だが、ソクラテスと20分ち一緒にいれば、大いに混乱してその場を去ることになる。指揮官は当惑したにちがいない。ソクラテスは、人が真に理解できることの限界を明らかにすることや、生きる基盤となる仮説を問い直すことを好んだ。いかに知らなかったかを相手が認めて会話が終わればそれでよし。理解していないのに理解していると信じ続けるよりはるかにいい。

当時、アテナイでは裕福な家の息子たちは学者のところへ送り出された。学者は生徒に弁論術を教える有能な教師だった。授業料は高かった。一方、ソクラテスは授業料を要求しなかった。それどころか、何も知らない自分がどうして教えることができるだろうか、と言った。それでも、生徒はソクラテスのもとに集まり、彼の話を聞こうとした。そのため、ソクラテスは他の学者たちに好かれなかった。

ある日、ソクラテスの友人のカイレフォンがデルフォイにあるアポロン神殿を訪れた。そこでは老女の巫女が神託を受けて、来訪者の質問に答える。答えは謎かけであることが多かった。「ソクラテスより知恵のある者はいるか?」とカイレフォンは尋ねた。「いない」と巫女が答えた。「ソクラテスより賢い者はいない」。

ソクラテスは、カイレフォンにこのことを告げられても、初めは信じなかった。ただ当惑した。「こんなに何も知らない自分がアテナイで一番の賢人のはずはない」そして、何年も、自分より賢い者がいるかどうかを人々に熱心に問い続けた。やがて、神託の意味がわかった。巫女は正しかった。多くの者はそれぞれがやっていることに長けている。大工は大工仕事が上手だし、兵士は戦いについてよく知っている。だが、彼らは真に賢いわけではない。白分たちが何を言っているかを実際にはわかっていないのだ。

「哲学者」という言葉は「知恵を愛する人」という意味のギリシャ語に由来する。本書で紹介する哲学における西洋の伝統は古代ギリシャから始まり、世界に広く伝えられ、東洋の思想からも影響を受けた。哲学で重んじられるのは議論や論証や問いによって得られる知恵であり、重要人物が正しいと言ったからというだけで単純にそれを信じることではない。ソクラテスにとって、知恵とは多くの事実を知ることではないし、作業の方法や手順を知ることでもない。わたしたちの知の限界も含めて、わたしたちの存在の本質を理解することだ。こんにちの哲学者がやっているのは、おおむねソクラテスがやったこと、つまり、難しい質問をし、理由や根拠について考え、実在の本質について、また、いかに生きるべきかについて自分白身に問いかけ、そうした重要な問いに答えを出そうとすることである。とはいえ、現代の哲学者は、ソクラテスとは異なり、およそ2500年にわたる過去の哲学者たちの知恵の恩恵にあずかることができる。本書では、ソクラテスが始めた西洋哲学の伝統にのっとって、主要な思想家がどのようなことを述べてきたかを見ていこ

ソクラテスを賢人たらしめたのは、問いを続け、つねに自分の考えについて議論を交わしたことである。自分か何をしているかを考えることにこそ生きる価値がある、とソクラテスは述べている。家畜であれば存在について考えなくてもいいが、人間はそうではないのだ。

ソクラテスは、哲学者にしては珍しく、どんなことも書き留めるのを嫌った。話すほうが書くよりちはるかにいいと考えた。書いた言葉は問いに答えることができない。読んだ者が理解できないときに、何も説明ができない。面と向かって話すほうがずっといい、とソクラテスは主張した。会話では誰を相手に話しているかを考慮して、言いたいことを伝えるための工夫ができる。ソクラテスが書くことを拒んだために、この偉大な哲学者が何を信じ、議論したかは、愛弟子プラトンの書を通じてしかわからない。プラトンはソクラテスと彼が質問した人々との一連の会話を書き留めた。それらは『プラトンの対話篇』として知られている。哲学書としてだけでなく、文学としても偉大な作品だ。ある意味で、プラトンはその時代のシェイクスピアたった。ソクラテスが交わした会話を読めば、彼がどのような人であり、どれほど賢く、また、どれほど激しい怒りを抱いていたかを感じとることができる。

複雑なのは、プラトンがソクラテスの言葉を正しく書き留めたのか、あるいはプラトン自身の考えを「ソクラテス」という名の登場人物に語らせたのかどうかがわからないことだ。

ソクラテスのではなくプラトンの考えだと多くの人が信じているもののひとつは、世界は目に見えるものとは異なるということだ。現象と実体の間には大きな違いがある。わたしたちの多くは現象を実体だと勘違いしている。わかっているつもりでいても、実はわかっていないのだ。世界が本当はどんなものかを理解しているのは哲学者だけだとプラトンは信じていた。哲学者は感覚ではなく、思考によって実在の本質を知るからだ。

プラトンは、それを立証するために洞窟の比喩を用いた。架空の洞窟で、人々が壁に向かい、鎖に繋がれている。彼らは目の前でゆらめく影を実体だと信じている。しかし、そうではない。彼らが見ているのは背後の火の前に置かれた物体が投じる影だ。彼らは壁に映った影を本物の世界だと思って、これまでの人生を過ごしてきたのである。やがて、ひとりが鎖から逃れ、火のほうを向く。初めは視界がぼんやりとしているが、そのうちに自分がどこにいるかがわかりはじめる。よろめきながら洞窟から出て、ようやく太陽を見る。その後、洞窟に戻り、外の世界について話すが、誰にも信じてもらえない。自由になった男は哲学者と同じように、現象を越えたものを見たのである。普通の人々は実体についてほとんど何も知らない。なぜなら、深く考えることなく、目の前のものを見て満足しているからだ。しかし、現象は人の目を欺く。目に見えるものは影であって実体ではない。

この洞窟の話は、後に「プラトンのイデア論」として知られるようになるものと関係がある。例をあげるとわかりやすいだろう。これまでに見た円について考えてみよう。そのなかに完璧な円があっただろうか。いや、完璧な円などなかった。完璧な円ならば、円周上のすべての点が中心から等距離にある。現実に存在する円は決してそうではない。だが、わたしが「完璧な円」と言えば、何を意味しているかはあなたもわかる。それでは「完璧な円」とは何だろうか。プラトンなら、「完璧な円」とは円のイデア(概念)だと言うだろう。円とは何かを理解したいなら、円のイデアについて考えなければならない。実際に描いた円や、目で見た体験は、すべてどこか不完全なものだからだ。同様に、善とは何かを理解したいなら、個々の例ではなく、善のイデアに意識を集中するべきとプラトンは考えた。哲学者は、このように抽象的な方法でイデアについて考えるのに適している。普通の人々は、感覚に頼って世界を把握するので、道を間違えやすい。

哲学者は実体について思考することに長けているので、政治力をもち、政治に責任を負うべきだ、とプラトンは信じた。『国家』という有名な著書では、想像上の完璧な社会について述べている。哲学者は社会の頂点に位置し、特別の教育を受ける。その一方で、みずからの楽しみを犠牲にして、市民を治める。哲学者の下には国を守るように訓練された兵士、その兵士たちの下に労働者がいて、3つのグループは完全に均衡を保っている。それは理性が感情と欲望を抑制する、均衡のとれた精神に似ている、とプラトンは考えた。残念ながら、プラトンの社会モデルは反民主的で、嘘と権力が人々を支配することになるだろう。芸術の大半は、実体の虚偽表現として禁止される。画家が描くのは現象であり、現象はイデアを正しく表さない。プラトンの理想的国家では、すべての面で上から厳しくコントロールされる。それは、こんにち全体主義国家と呼ばれるものである。大衆に投票権を与えるのは、乗客に船の舵取りをまかせるようなものだとプラトンは考えた。どうするかを知っている人にまかせるほうがずっといい、と。

5世紀のアテナイは、プラトンが『国家』において描いたのとはまったく異なる社会だった。投票権をもつのは人口のほぼ1割だけだが、ある種の民主主義社会だ。女性と奴隷には投票権が与えられなかったものの、市民は法のもとに平等で、誰もが政治的決定に対して公平な影響力をもてるようにつくられた抽選システムがあった。

アテナイの人々は、総じて、プラトンほどソクラテスを高く評価しなかった。それどころではない。ソクラテスは危険で、政府を故意に弱体化させていると多くの人に思われていた。紀元前399年、ソクラテスが70歳のとき、弟子のひとりメレトスがソクラテスを裁判にかけた。メレトスは、ソクラテスがアテナイの神々を否定し、新奇な神を信奉していると主張した。また、若者に悪い行いを教え、権威に背を向けるようそそのかしているとはのめかした。どちらも重大な告発である。こんにちでは、それが本当であったかどうかはわからない。おそらく、ソクラテスは国の宗教を信じないよう弟子たちに言ったのだろう。また、アテナイの民主主義をからかって楽しんだ証拠はある。ソクラテスの性格ならやりかねないと思われたのかもしれない。確かなのは、アテナイの人の多くが告発を信じたことだ。

ソクラテスが有罪か否かについて投票が行われ、市民501人からなる陪審員団のメンバーの半数以上がソクラテスを有罪とし、死刑を宣告した。ソクラテスが望めば、死刑から逃れることはできたかもしれない。だが、ソクラテスは、自分は何も悪いことはしていない、アテナイの人々は自分を罰するのではなく、むしろ、一生、自分に無料で食事を提供して礼を示すべきだと主張し、まるで「アブ」のように、アテナイの人々を辟易させた。ソクラテスのこの考えは受け入れられなかった。

刑は、身体が徐々に麻痺するドクニンジンの毒を飲むことだった。ソクラテスは妻と3人の息子に別れを告げ、それから弟子をまわりに集めた。たとえ難解な問いを発するのをやめ、静かに暮らす選択肢があったとしても、ソクラテスはそれを拒んだだろう。静かな暮らしよりも、死を選んだのだ。すべてに疑問を抱くよう告げる内なる声に背くことはできない。そこで、毒杯をあおぎ、まもなく死んだ。

しかし、『プラトンの対話篇』のなかで、ソクラテスはいまも生きている。質問を続け、物事の本質とは何かを考えるのをやめるよりも死を選んだこの気難しい男は、その後もずっと哲学者たちに刺激を与え続けている。

ソクラテスは周囲の人々に直接的な影響を与えた。弟子であるプラトンは、ソクラテスの死後、師の精神を守って教え続けた。プラトンのもっともすぐれた弟子がアリストテレスだ。アリストテレスは、ソクラテスとも、プラトンとも異なる思想家だった。
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AmazonのEchoで問いを発する「ソクラテス」

メディアは進化していない

 6月になれば ワールドカップ一色になる。「日大」は忘れられる。メディアは今のネタがあれば、食っていける。今は暗いから、次は明るくするというシナリオでしょう。何のためにメディアを作ったのか。

未唯の結婚式がなくて良かった

 FBに泣きそうもない父親が、結婚式で泣いたという。やはり未唯の結婚式がなくて良かった。あまりにもシュール。

 泣くのはやはり映画館。この間のライブビューイングでは思いっきり泣けた。あの空間なら泣ける。それにしても、乃木坂で泣くことは多すぎる。

今日はいくちゃんのモーツァルトのデビュー日。21歳で モーツァルトの悪妻の役。どこまでできるか。将来から見てるいくちゃんだから、可能なこと。

パートナーからの電話

 1年ぶりにメール&電話。出だしからまるで変わってなかった。販売店を見ていないメーカーは駄目ですね。社長は方向を間違っている。自工程完結では、新しい社会を作ることはできない。そういった悔しさみたいなものがメーカーに伝わっていない。

 電話の中で珍しく、いくちゃんの「Great Comet」の話をしていた。これだけが今の楽しみ。

AmazonのEchoで問いを発する「ソクラテス」

 ソクラテスは書き留めることが嫌いだった。書いてある言葉は 問いに答えることができない。そのことはAmazonのEchoで 解決できた。Echoは新しい本の形態になる。バックには巨大なデータベースが存在する。

 問いによって、個人の存在の力を現実なものにしていく。そうすれば、社会は変わる。

 販売店のシステムの進化を考えるとしたら、データベースを代弁するEcho。提供することになる。これこそが進化の形態です。

 「ソクラテス」という名前のEcho。問いを発して、その答えに対して、深く考えて行くためのシステム。ソクラテスの教育の在り方そのもの。知らないことを知るためのシステム。
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言葉に惑わされる ヴィトゲンシュタイン

『若い読者のための哲学史』より

1940年にケンブリッジでルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889~1951)が行った講義のどれかに参加すれば、目の前に立つのが並外れた人物であるのがすぐにわかっただろう。ヴィトゲンシュタインに会った人のほとんどは、彼を天才だと思った。バートランド・ラッセルはヴィトゲンシュタインを「激しやすく、深みがあり、強烈で、威圧的」と評した。ウィーン出身の小柄なヴィトゲンシュタインは鮮やかな青い目をもち、底知れない真剣さをまとい、行ったり来たりしながら学生に質問をしたかと思えば、立ち止まって何分間もじっと考え込んだ。誰もそれをさえぎろうとしなかった。ヴィトゲンシュタインは事前にメモを準備して講義をするのではなく、学生の前で問題について考え、一連の例を用いて何か重要なのかを引き出そうとした。学生には、哲学書を読んで時間を無駄にするな、と言った。そんな本を真剣に読んでいる者は、部屋の遠くへそれを放り投げて、提起されている問題についてじっくり考えるべきだ、と。

ヴィトゲンシュタインの最初の著書『論理哲学論考』(1922)は番号を振った短い節で記されていて、哲学というよりも詩のように読める。おもなメッセージは、倫理と宗教におけるもっとも重要な問題は人知を越えたところにあり、それについて意味のある話ができないなら、沈黙しなければならないということである。

後期の作品の中心となるテーマは「言語の魔力」だ。言語は哲学者をあらゆる混乱へ導く、とヴィトゲンシュタインは信じた。哲学者は言語の虜になる。その混乱の多くをセラピストのように消し去るのが自分の役割だ、とヴィトゲンシュタインは考えた。ヴィトゲンシュタインが注意深く選んださまざまな例の論理をたどると、哲学的な疑問が解消されるという。とても重要に思えたものが、もはや問題ではなくなるのだ。

ヴィトゲンシュタインは、哲学的混乱のひとつの要因は、すべての言語が同じように機能するという想定、つまり言葉は単に物事を指すだけという考え方にあるとした。また、多くの「言語ゲーム」、すなわち言葉を用いて行うさまざまな活動があるのを読者に示したかった。言語に「本質」はなく、その用法のすべてを説明できる共通の特徴などひとつもないのである。

たとえば結婚式で親族に会えば、身体的特徴が似ているために、互いに血がつながっていることがわかるかもしれない。ヴィトゲンシュタインはそれを「家族的類似」と呼ぶ。あなたは、たとえば髪や目の色が同じなど、どこかが母親と似ているかもしれないし、背が高く痩せていて、それがあなたの祖父と似ているかもしれない。また妹とは髪の色と目の形が同じかもしれないが、妹は母親とは目の色が異なるかもしれない。全員が遺伝子上のつながりがあると一目でわかるような共通する特徴はないが、何人かはある特徴を、別の何人かはまた別の特徴を共有している。ヴィトゲンシュタインは、そうした部分的な類似点があることに興味を引かれた。そして、家族的類似に関するメタファーを用いて、言語の重要な働きについて説明した。

「ゲーム」という言葉について考えよう。ゲームと呼ばれるものにはいろいろある。チェスのようなボードゲーム、ブリッジやソリティアなどのカードゲーム、サッカーのようなスポーツなどだ。かくれんぼや、ごっこ遊びもそうだろう。どれも「ゲーム」という言葉で呼ぶために、すべてに共通のひとつの特徴、すなわち「ゲーム」という概念の「本質」があるように思われがちだ。だが、ヴィトゲンシュタインは、思い込みをやめて「よく観察するように」と読者を促す。ゲームにはすべて勝ち負けがあると思うかもしれないが、ソリティアはどうだろう。壁にボールを投げて跳ね返ったのをキャッチする遊びは? どちらもゲームだが、敗者はいない。では、ルールがあるのがゲームの共通点だろうか。いや、ごっこ遊びにルールはなさそうだ。共通する特徴になりそうなものすべてに対して、ヴィトゲンシュタインは反例、つまり、その要素をもたないゲームを挙げる。すべてのゲームがひとつの共通点をもつと想定するのではなく、「ゲーム」という言葉を「家族的類似の用語」と捉えるべきだと、ヴィトゲンシュタインは考えた。

ヴィトゲンシュタインは言葉を一連の「言語ゲーム」として説明することによって、言葉がさまざまな意味で使われること、哲学者はすべての言葉が同じような働きをすると考えるせいで混乱していることに対して注意を促した。ハエにハエ取り瓶からどうやって出るかを教えるというのが、グィトゲンシュタインの哲学者としての目的だった。典型的な哲学者は、瓶に閉じ込められたハエのように、壁にあちこちぶつかりながら、あたふたしている。哲学的な問題を「解く」方法は、コルク栓を抜いてハエを出してやることだ。ヴィトゲンシュタインは、哲学者たちが間違った問いを立てている、または言葉に惑わされていると教えたかったのである。

聖アウグスティヌスがいかに言葉を覚えたかについて考えよう。著書『告白』によると、周囲の年上の人々がものを指しては、その名前を言ったらしい。リンゴがあると、誰かがそれを指して「リンゴ」と言う。アウグスティヌスは徐々に言葉の意味を理解し、自分の望みを周囲の人たちに伝えるために言葉を使えるようになった。ヴィトゲンシュタインはこれを、すべての言語にはある本質、つまりひとつの働きがあると思い込む人の事例と捉えた。ひとつの働きとは、ものを示すことだ。アウグスティヌスにとっては、それぞれの言葉にひとつの意味がある。グィトゲンシュタインは、言語をそのように捉えるのではなく、話す人の実生活と関連づけた一連の営みとして考えるよう提案した。言葉は、たとえばいつも特定の役割を果たすねじ回しではなく、多くのさまざまな道具が詰まった道具袋のようなものなのだ。

痛みを感じ、それについて話すときは、当然、感じている特定の感覚を表す言葉を使っていると思うかもしれない。だがヴィトゲンシュタインは、そうした感覚を表す言葉に対する見方を揺るがそうとする。感覚がないということではない。論理的には、使っている言葉が感覚を表すもののはずがないということだ。もし、誰もがカブトムシが入った箱をもっていても中身を誰にも見せないなら、互いに自分の「カブトムシ」のことを話せば、箱に何が入っているかはどうでもよいことになる。言葉は公のもので、意味をなしているかを確認する公の方法が必要だ。子供が自分の痛みを「表現する」ことを学ぶと、両親は子供に「痛い」など、さまざまなことを言わせる。ヴィトゲンシュタインいわく、「痛い」と言うのは、多くの面で、「あー!」と自然に声を漏らすのに等しい。ヴィトゲンシュタインは「わたしは痛みを感じている」という言葉を、自分ひとりの感覚を表していると考えるべきではないとも言う。痛みなどの感覚が本当に自分だけのものなら、それを説明するには自分だけの特別な言葉が必要になるだろう。だが、ヴィトゲンシュタインは、その考え方は筋がとおらないとした。ヴィトゲンシュタインが挙げたもうひとつの例が、その理由を理解する手がかりになるだろう。

ある人が名前のついてない、ちくちくするような独特の感覚に襲われるたびに、記録をつけることにする。そのちくちくするような感覚がするたびに、手帳に「S」と記す。「S」はその人にとって、自分だけの私的言語だ。それが何を意味するのかを、ほかの人は知らない。これは可能なように思える。ある人がそうしているのを想像するのは簡単だ。だが、もう少し考えてみよう。その人は、ちくちくするのを感じたとき、それが本当に記録しようと決めた「S」であり、ほかの種類のちくちくという感覚ではない、とどうしたらわかるのだろうか。以前に「S」という感覚に襲われたという記憶以外には、照らし合わせて確かめることもできない。だが、それでは十分ではないだろう。その人が思い違いをしているかもしれないからだ。言葉を同じ意味で使っていることを示す信頼できる方法とは言えない。

ヴィトゲンシュタインはこの手帳の例を用いて、自分の経験を説明するときに使う言葉は、自分ひとりだけの経験を言葉に結びつけるだけではいけないということを示そうとした。公のものが必要なのだ。自分だけの私的言語をもつことはできない。その考えが正しければ、心とは鍵のかかった劇場のようなもので、ほかの誰も入れないという考えは誤解を招くものになる。ヴィトゲンシュタインにとって、感覚を表す私的言語という概念はまったく意味をなさない。ここが重要で、また、理解が難しいところでもある。ヴィトゲンシュタイン以前の哲学者の多くは、個人の心は公にされないものだと考えていたからである。

ヴィトゲンシュタインの一族はキリスト教徒だったが、ナチスの法の下ではユダヤ教徒とみなされた。ヴィトゲンシュタインは、第二次世界大戦のあいだの一時期、看護兵としてロンドンの病院で働いた。一族は、幸運にも、ウィーンから脱出できた。そうでなければ、アドルフ・アイヒマンの指示によって、死の強制収容所へ送られていたかもしれない。アイヒマンのホロコーストヘの関与と、非人道的犯罪に関するその後の裁判は、ハンナ・アーレントが悪の本質に関して考察する際の主眼となった。
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