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底が抜けた

底が抜けた感じ

 底が抜けた感じです。周辺が平面に見えます。その後ろ側がチラチラ見えてきます。このワクワク感を楽しみにします。私にワクワクが本当にできるのか。

 止まりすぎています。反映も読書も。読書は半年単位です。入力をしながらでは、このぐらいのピッチが最高なんでしょう。まだまだ、余分なことをしています。

 この底が抜けた感覚、ものごとが平面にしか見えない。多分、感情の方に入りすぎている。私としては、世の中の人はそういう感情の枠の中にいるんでしょう。それをベースでみるというわけではなく、変な感じです。まあ、今日、Iさんに会って、その辺の感覚を確かめましょう。

トーンを落として話しましょう

 独我論というのも、なかなか難しいですね。もっと、明確に言葉をしゃべらないといけないかもしれません。パートナーのように。

 パートナーのトーンを落とした話し方が気にはなっています。全てを知りたいということに対してのアンチです。私が主人公としか思えないけど。

図書館を本屋に任せられるか

 図書館を本屋を任せるときには、コミュニティが条件です。公立図書館ならコミュニティが必要です。ツタヤが見栄えを良くすることはできるけど、コミュニティの権限を持てるかどうか。元々、皆の力でやるのであれば、本屋である必要はない。

国民国家の自由

 国民国家で自由を求めたが、この自由は束縛であった。本当の自由を求めましょう。意思の自由は欲望に贖う時に生まれる。

 資本主義のわがまま放題が自由ではない。その延長線上にある新自由主義はその範囲ではない。存在の力から生まれてくるものが本当の自由でしょう。やはり、全てを知ることに専念するしかない。もう少し、深くしないといけない。

未来方程式

 未来方程式そのものは日本の歴史だけにとどめておく。そのパラメーターが問題です。それぞれがどう生まれて、どう育ってきて、どういう関係になってきたのか。これは全ジャンルに関係します。

 その因果関係を自分の頭の中で描けるかどうか。かなりのボリュームになります。空間配置は、この頭の二次元では難しいです。

 国民国家から資本主義がどうなるか、グローバル化がどう影響するのか、民主主義は地域主義、それらのファクターがどういうバランスなのか。先人が残した情報共有というパラメーターでどうなっていくのか。そう言うところで、環境社会という、一つの答えが出ます。

 その先は位相空間の答であるLL=GGの世界に入っていく。それが超国家につながっていく。超国家と市民が直結する世界。

 それが存在と無という、自分の中のモデルと一緒になっていく。この空間は二次元とか三次元ではなく、無限次元に近い形になる。端同士がつながることは無限次元でないと考えられない。一番近いのは、立体的なトーラスです。4次元です。

 その意味で、ドンドン、二極化していきます。細かい部分と大雑把な部分がつながって、一点になっていく。その一点と細かい部分が常にやり取りする。これ自体がLL=GGの世界です。アナロジーは空間を超えます。時間を超えます。

 存在の力、情報共有、環境哲学の三つがつながって、具体化します。自由を求めて、国民国家を作ってきた。それが今までの経緯。その中に放り込まれたものは何を為すのか。そのために、国家と契約をするということ。それはグローバル化と多様化で答えが変わってきた。

 それまでは、中央集権ではないけど、国が大きいほど、人が多いほど、安定するというセオリーだった。それは結局、過渡期です。宇宙と同様に膨張するところにおいては過渡期です。膨張の結果として、LL=GGに行く間にどういうカタチを取るのか。それが共有意識で変わってくる社会です。環境社会はグローバルの元にある。

 そこでは社会の位相化を行います。国という単位を超えていく。ヨーロッパみたいに、混ざり合った所は答が出てくるけど、日本のようにディスクリートなところでは答えが難しい。
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