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liferayの解析

liferayの解析

 liferayの解析を会社のパソコンで行ったら、制限の多いこと。完全に仕事なのに、こんなところを制約する必要があるのか。あまりにも素人的な発想です。

 iPADで行うことにしました。アドレスはツイッターで伝えます。メールを使わなくても、簡単にできます。ドキュメントについては、キンドルが入れば、メールで飛ばすことができます。多様な手段が個人の武器になっていきます。それをコミュニティにつなげていきましょう。

 liferayを使えば、市民ポータルが簡単にできます。オープンソースと到着点としても最適でしょう。社会を変えるためのツールになります。その趣旨で、皆で機能を作り上げていけばいいのですね。

 それにしても、liferayの範囲は大きいですね。Linuxの考えをポータルとしてきています。ブログとかツイッターもかなりのレベルで活用しています。組み込んでしまえばいいのです。そう見ると、SFDCの世界はクローズドですね。人が入りすぎている。マーク会長の周辺は先進的だけど、日本の環境は従来型です。

店舗でのエコ環境

 研究開発部署の時にR&Dを行った人から、店舗のエコ環境を作るにあたって、販売店ネットワークを使いたいという話があった。

 店舗でのエコを考えたときに、最大のエコは車を使わないことです。

 お客様も使わなくてもいい状況を作ると同時に、自分たちが率先することです。新しいコミュニケーションを作り出すことです。どっち道、来てもらえないし、行っても出会えない。そこをどのようにつなげていくのか。お互いがあまりにも空振りが多い。

 店舗だけをエコにしてもしょうがない。エコですよと言っても、お客様には響かない。地域でのコミュニティでの電気の供給のある意味、拠点にしていかないといけない。店舗が地域の核になるために、早めに、エコの考え方を出していくということです。そのぐらいのことは考えていかないと。

 社長になった途端に、売るためにどうするのか、それが正義になるけど、そんな偏ったことをしていては、持ちこたえないですy。

 何しろ、線を一本引くだけでも、かなりの調整が必要です。それでも、文句を言ってきます。ましてや、端末を置くようなことをしたら、儲かるはずはない。インフラを共用することに徹することです。

 たとえば、端末の電気代を誰が出すのかということも考えておかないといけない。私は6千台の端末を配った時に、苦労しました。店舗の人たちは分かっていないし、先を見ていない。

新店舗での交通渋滞

 インターそばにバローとヤマダ電機ができたので、道路が渋滞しています。近距離のバスなのに、20分遅れです。これらのどこがエコなんですか。

 だから、途中で降りて、歩くことにしました。交通手段の多様化の方がエコです。

豊田市図書館の6冊

 4時半に図書館に着いた。

 あまりにも、新刊書がなくて、愕然! 月末だから、予算が無くなったのか

 『ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った』だけは、予約してあったので、確保しました。あまり、明確にはドイツの立場は書かれていなかった。

 全然足りない。来週は午後年休で行きましょう。

 141.7『メリットの法則』行動分析学・実践編

 501.6『原発ゼロ社会!新エネルギー論』

 023.1『文庫はなぜ読まれるのか』文庫の歴史と現在そして近未来

 338.29『ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った』

 982『桜の園/プロポーズ/熊』チェーホフ

 953.7『最初の人間』カミュ
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社会を変えるとは

『社会を変えるには』より

「社会を変える」というのはどういうことか、という問題につきあたります。

議会で多数をとることが「社会を変える」ことだ、という人がいます。日経平均株価や会社の業績を上げることが「社会を変えること」だ、という人もいます。永田町や霞ケ関の人脈が変わることが「社会を変えること」だという人も、政界や新聞の政治部には多そうです。職場で昇進したり、ネット上で評判になったりすることが、「社会を変える」ことだという人もいるでしょう。

こう見てくると、「社会を変えること」というのは、所属している「われわれ」によって違う、ということがわかります。逆にいうと、現代では「われわれ」がばらばらになって、島宇宙のように乱立しているので、これを変えれば社会が変わる、というものがなかなか見つかりません。

王が社会を代表している、という観念をみんなが共有している社会では、王を替えるか倒すかすれば「社会を変える」ことになりました。議会の政党配置が社会を代表している、という観念が共有されていた時代は、議会で多数派をとることが社会を変えることでした。現代で、それにあたるものはないと言ってもいいかもしれません。

しかし、現代の誰しもが共有している問題意識があります。それは、「誰もが『自由』になってきた」「誰も自分の言うことを聞いてくれなくなってきた」「自分はないがしろにされている」という感覚です。これは首相であろうと、高級官僚であろうと、非正規雇用労働者であろうと、おそらく共有されています。それを変えれば、誰にとっても「社会を変える」ことになる、とは言えないでしょうか。
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ケニアに行きましょう

やはり、ケニアに行きましょう。

昨日、Oのグアムの旅行の話を聞いていて、そう思いました。私にとって、旅行とは何か。

偶然が私を導いてくれる。何かを見せてくれるものです。9月のベルギーでもそう思いました。

ケニアのコミュニティを見てみたい。当然、自然はあります。そちらは奥さんに任せましょう。

その時に、奥さんがいると安定します。誘いましょう。来年の真ん中ぐらいで。
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近代自由民主主義とその限界 フッサールの現象学

『社会を変えるには』より 近代自由民主主義とその限界

ここで、思想の話に戻ります。不確定性原理が提唱された時代のドイツでは、ハイデガーの哲学や、フッサールの現象学も広まっていました。現象学は、あとで述べるように、現代の思想や社会学に大きな影響をおよぼします。

現象学を説明しますけれども、私はフッサールの思想を解説する自信はありません。フッサール自身が時期によっても書いていることが変わっているうえ、彼の直弟子のあいだでも解釈が分かれていたりします。この本で必要な範囲で、だいたいこういう考え方だとわかっていればいいだろう、ということをお話しします。

近代の基本的な考え方は、「主体があって客体を認識する」というものです。これは物理学でも、経済学でも政治学でも同じです。

それをもとに、自然科学も社会科学も、このように考えてきました。この世のことは、物体Aと物体Bのそれぞれの運動を観測すれば、その相互作用として把握できる。経済というものは、A社が原料を買って、加工してB社に納入し、消費者のCやDに販売する。政治過程は、企業Aが政治家Bに働きかけ、政策Cになって議会を通過する。こういう考え方を前提に、近代的な社会科学は成りたっているわけです。

現象学は、それは成りたつのかを問いました。しかし、「この世のことはわからない」という不可知論かというと、そうではありません。実際にわれわれには、ものが見えています。それはどういうことか。ものを認識するというのはどういうことか。そういったことを考えます。

そこでフッサールとその後継者が提唱した考え方は、主体と客体、「私」と「あなた」はあらかじめ存在するのではなく、「志向性」のなかで事後的に構成されるのだ、ということでした。この考え方を、私なりに説明します。

けんかをすると、「あなたがそんな人だとは思わなかった」ということがしばしばおきます。近代科学の考え方では、私は「あなた」を誤って認識していた、今回新しい観測データが入ったので正確な認識に改めた、ということになります。

ところが、そういう考え方をすると、けんかはもっとひどくなります。「私だって君がそんな人間だとは思わなかった」とか「あなたの認識は間違っている」と、相手は言い返します。それに対し、「あなたの認識のほうこそ間違っている」と応じて、おたがいに罵りあうようになります。

近代的な考え方では、どちらかが正しいか、あるいはどちらも間違っているとしても、どこかに正しい「真実」があって、それを人間は把握できるとされます。離婚訴訟などは、どちらの認識が正しいのかを立証しようとします。

かといって、記憶は変形しやすいし、それぞれが言っていることは、誤認やうそがあるかもしれません。そこで、殴られたときに医者にかかった診断書や、録音しておいた罵りあいなどの、証拠を提出して「真実」に迫ろうとします。くりかえしになりますが、これは「私」と「あなた」を正確に観測すれば、その相互作用として世界を把握することができる、という考え方を前提にしています。

しかし、「私」と「あなた」を正確に観測することなど、できるのでしょうか。当事者どうしで不可能なら、第三者に意見を言ってもらうこともできますが、それだって観測者は人間です。

そもそも、「私」も「あなた」も、日々変化しています。機嫌がいいときの「あなた」と、悪いときの「あなた」は違います。前者が誤解だった、後者がほんとうだった、正確な認識が達成された、という考え方に立てば、「そんな人とは思わなかった」ということになりますが、そういうものでしょうか。永遠不変の「あなた」の本質など、わかるのでしょうか。

むしろ、こう考えられないでしょうか。「あなた」の本質などというものは、人間には観測できない。ただ、そのときそのときに、この世に現れた(現象した)姿が見えるだけだ、と。

じつは「現象」と訳されている言葉は、古代ギリシャでは「イデア」と対置される、移ろいやすいこの世に現れた影のようなもの、という意味の言葉でした。それは無視して本質を把握すればいい、という考え方もあります。しかし現象学は、その移ろう現象とはどういうものであるのか、どう向かいあえばいいのか、を考えたわけです。そしてこの現象学が、「理性を行使する主体」という考え方が崩れたあとの思想界に、影響を与えていくことになります。

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近代自由民主主義とその限界 フッサールの現象学

『社会を変えるには』より 近代自由民主主義とその限界

ここで、思想の話に戻ります。不確定性原理が提唱された時代のドイツでは、ハイデガーの哲学や、フッサールの現象学も広まっていました。現象学は、あとで述べるように、現代の思想や社会学に大きな影響をおよぼします。

現象学を説明しますけれども、私はフッサールの思想を解説する自信はありません。フッサール自身が時期によっても書いていることが変わっているうえ、彼の直弟子のあいだでも解釈が分かれていたりします。この本で必要な範囲で、だいたいこういう考え方だとわかっていればいいだろう、ということをお話しします。

近代の基本的な考え方は、「主体があって客体を認識する」というものです。これは物理学でも、経済学でも政治学でも同じです。

それをもとに、自然科学も社会科学も、このように考えてきました。この世のことは、物体Aと物体Bのそれぞれの運動を観測すれば、その相互作用として把握できる。経済というものは、A社が原料を買って、加工してB社に納入し、消費者のCやDに販売する。政治過程は、企業Aが政治家Bに働きかけ、政策Cになって議会を通過する。こういう考え方を前提に、近代的な社会科学は成りたっているわけです。

現象学は、それは成りたつのかを問いました。しかし、「この世のことはわからない」という不可知論かというと、そうではありません。実際にわれわれには、ものが見えています。それはどういうことか。ものを認識するというのはどういうことか。そういったことを考えます。

そこでフッサールとその後継者が提唱した考え方は、主体と客体、「私」と「あなた」はあらかじめ存在するのではなく、「志向性」のなかで事後的に構成されるのだ、ということでした。この考え方を、私なりに説明します。

けんかをすると、「あなたがそんな人だとは思わなかった」ということがしばしばおきます。近代科学の考え方では、私は「あなた」を誤って認識していた、今回新しい観測データが入ったので正確な認識に改めた、ということになります。

ところが、そういう考え方をすると、けんかはもっとひどくなります。「私だって君がそんな人間だとは思わなかった」とか「あなたの認識は間違っている」と、相手は言い返します。それに対し、「あなたの認識のほうこそ間違っている」と応じて、おたがいに罵りあうようになります。

近代的な考え方では、どちらかが正しいか、あるいはどちらも間違っているとしても、どこかに正しい「真実」があって、それを人間は把握できるとされます。離婚訴訟などは、どちらの認識が正しいのかを立証しようとします。

かといって、記憶は変形しやすいし、それぞれが言っていることは、誤認やうそがあるかもしれません。そこで、殴られたときに医者にかかった診断書や、録音しておいた罵りあいなどの、証拠を提出して「真実」に迫ろうとします。くりかえしになりますが、これは「私」と「あなた」を正確に観測すれば、その相互作用として世界を把握することができる、という考え方を前提にしています。

しかし、「私」と「あなた」を正確に観測することなど、できるのでしょうか。当事者どうしで不可能なら、第三者に意見を言ってもらうこともできますが、それだって観測者は人間です。

そもそも、「私」も「あなた」も、日々変化しています。機嫌がいいときの「あなた」と、悪いときの「あなた」は違います。前者が誤解だった、後者がほんとうだった、正確な認識が達成された、という考え方に立てば、「そんな人とは思わなかった」ということになりますが、そういうものでしょうか。永遠不変の「あなた」の本質など、わかるのでしょうか。

むしろ、こう考えられないでしょうか。「あなた」の本質などというものは、人間には観測できない。ただ、そのときそのときに、この世に現れた(現象した)姿が見えるだけだ、と。

じつは「現象」と訳されている言葉は、古代ギリシャでは「イデア」と対置される、移ろいやすいこの世に現れた影のようなもの、という意味の言葉でした。それは無視して本質を把握すればいい、という考え方もあります。しかし現象学は、その移ろう現象とはどういうものであるのか、どう向かいあえばいいのか、を考えたわけです。そしてこの現象学が、「理性を行使する主体」という考え方が崩れたあとの思想界に、影響を与えていくことになります。

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近代自由民主主義とその限界 トクヴィルのアメリカ論

『社会を変えるには』より 近代自由民主主義とその限界

自由民主主義は、どういう社会条件のもとで定着していったのでしょうか。

アメリカを旅行し、民主主義で安定している国としてアメリカを描いたのが、一九世紀フランスの思想家トクヴィルの『アメリカの民主政治』でした。これを読むと、民主主義にはどういう社会条件が必要かわかります。

トクヴィルがあげたアメリカの社会条件は、次のようなものです。

第一に、アメリカは土地が広く、先住民に文明が勝利している。各自が自由にどんどん耕しても、耕す土地はいくらでもあるから、闘争にならない。最初はみんな裸一貫で移民したのだし、みんなが競って耕せば格差もそんなに大きくならない。だからみんな平等で自由でも、権力が小さくていいわけです。

現代のアメリカでも、実際には格差が大きいにもかかわらず、アメリカは自由の国だ、不満があるならベンチャーを興せ、フロンティアを開拓しろ、という考え方は根強いです。

第二にトクヴィルが注目したのは、自治組織としてのタウンシップが身近で、参加意識が非常に強いことでした。

ここでのタウンシップを「村」と訳すか「町」と訳すかむずかしいのですが、ここでは「開拓村」としておきましょう。人数は二〇〇〇人くらいで、直接民主主義が成りたつくらいに小規模です。それで農業をやっているという意味では、いわば農村です。けれども、歴史や身分制があるわけではないという意味では、都市のような側面を持っています。全員が平等に入植して、自由意志で参加してタウンの一員になったという人工的共同体です。

アメリカにはもともと、プロテスタントの教団単位で開拓した地域も少なくありませんし、メイフラワー号の誓約が建国の始まりとされるように、自由意志で契約して国を作ったのだという自負があります。開拓村の中央にはしばしば教会があり、民会(タウンーミーティング)が開かれました。自由で平等な人びとが、自発的に全員参加している「われわれ」が各地にあるというわけです。

日本ではまず国家があって、そこから地方に分権すると考えがちです。しかしアメリカは、まずタウンがあり、タウンが連合してステイトができ、ステイトがイギリスと独立戦争を戦うために連合してユナイテッド・ステイツになった国でした。ですから、まず地方の共同体で人びとが権力を作り、それが集まって国ができると考えます。

トクヴィルが注目したのは、このタウンシップで直接民主主義的な政治参加が行なわれていることでした。さらに権力が分権化されていて、ステイトやタウンで自治を行なっているため、中央政府が強力な権力を持っていなくても成りたっているというのです。

また持ち回りの公務がたいへん多い。政府が警察や裁判所を作らなくとも、みんなが交代制の保安官と陪審員になります。タウンシップには行政をやる行政委員、教育を担当する学務委員などのほか、徴税官、会計官、警官などがいますが、民会で選ばれて持ち回りします。こうした公務員には、固定の報酬はなく、奉仕行為をやった度合いに応じて報酬が払われます。公務を引受けない場合は罰金です。

タウンシップの議会はありませんが、これらの公務員が選出であるうえ、誰でもタウン・ミーティングの召集を要求できます。行政委員は行政の中核ですが、タウン・ミーティングでは司会権しかありません。

こういった仕組みなので、参加意識も強いし、自発的に「われわれの法と秩序」を守ろうという意識も高い。そのためみんな平等で自由でも、権力が小さくて問題ないというわけです。

さらにトクヴィルがあげた三点目は、法律家や上院議員が知恵をもっていて、貴族の代役を果たしているということでした。アメリカ社会には、こうした人びとが貴族の代役をしていたことにトクヴィルは注目したわけです。

第四にトクヴィルがあげたのは、アメリカでは宗教が強く、理念的な結びつきも強いということでした。タウンで日曜にはみんな教会に集まり、寄付も行なわれます。誰か困っている人や、地域で問題が生じたら、教会に集まって解決がはかられます。国家そのものも、建国宣言という理念をもとに、全体を束ねようとしています。こうして、自由で平等なのに「われわれ」意識が作られるわけです。

以上のような条件が成り立っているために、アメリカでは、権力が小さくても民主主義が安定しているというのです。個々人が自由なのに平等、権力から自由なのに参加意識が高い。自由主義と民主主義が両立していて、貴族が「代表」しなくとも地域社会が運営されるわけです。これが、現代の自由民主主義の原点とも言えるでしょう。
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近代自由民主主義とその限界 アダム・スミスの経済自由主義

『社会を変えるには』より

テーマになったのが、経済と政治の関係です。経済活動のためには、政府はよけいな介入をしないほうがいい、権力はできるだけ小さいほうがいい、というのが経済自由主義で、これが現代の経済学の主流の考え方になりました。

その元祖が一八世紀イギリスのアダム・スミスでした。ここで問題は、それでは格差が生じて「われわれ」ができないのではないか、争いが絶えなくならないか、ということです。

人間が自然状態、つまり政府がない状態でも争わないとみなすなら、権力は小さくてすみます。究極的には、政府はいらないという無政府主義になります。ホッブズよりもロック、ロックよりもスミスのほうが、自然状態でも人間は争わないと考えました。

しかしそれは、人間が賢くて万能だから争わない、という考えではありません。スミスは、人間の理性能力をあまり信じていませんでした。人間ひとりひとりは愚かでも、神が見えざる手で導いてくださる、というのが彼の考えでした。

スミスによると、「宇宙の大機構」や「一般的幸福」などというものは、「神の職分であって人間の職分ではない」。人間には「いっそう卑近な、力弱さと理解の狭溢さに適した仕事」があり、それは自分や家族などの幸福だと述べます(『道徳情操論』)。その担い手は、中下層の生産者、なかでも農民でした。

なぜスミスがこのように述べたかというと、スコットランド出身のスミスがイングランドに留学したさい、イングランドの農民の勤勉さと、貴族の大学教授の無能さが印象に残ったためのようです。そのため、国を豊かにするのは貴族ではなく、中下層の生産者たちだと考えました。

それまでは、平民は労働に追われて理性などない、貴族や僧侶が理性によって神意をくみとって平民を導かねばならない、と考えられてきました。ところがスミスは、中下層の生産者が大切だと述べたわけです。

スミスによると、人間の原動力は利己心ですが、他者の幸福を喜び、他人の不幸を悲しむ同感(シンパシー)も神から与えられています。シンパシーは「同情」とも訳されますが、古代ギリシャからある言葉で、後半部分はテレパシーとも共通しています。

スミスによると、自分がほしいものと、他人が望むものを交換するというのは、人間に特有の性向です。これは、神が人間に与えた利己心と同感が、交差するところから発生するといえます。他人が喜ぶものを作って交換するのは、自分がほしいものを手に入れる利己心からであると同時に、相手が喜ぶと自分も嬉しいという同感のためでもあります。人間はこの二つの神授の本能に導かれて、ある人はパン屋になり、ある人は肉屋になって、おたがいに分業し、他人が喜ぶものを生産して、自分が消費するものと交換します。

人が喜ぶものを作らなければ、自分がほしいものは手に入りませんから、利己的になればなるほど、相手の気持ちをくみとる同感も働いて、分業が進み生産が増えていきます。政府がよけいな介入をしないで、自由にまかせれば、「見えざる手」に導かれて幸福が訪れます。個人が利己的に利益を追求すればするほど、世の中は乱れるどころか共存共栄する、という自由主義経済学の基本的な考え方がここから始まりました。つまり人間が自由になっても、権力が介入しなくても、「われわれ」ができるのです。

さらにスミスが生産者の徳として重視するのは、古代ギリシャから生産者の徳とされていた、勤勉や節制です。人間は利己心に導かれて勤勉に働き、節制に努めれば、生産が増え、貯蓄と投資が進み、世の中は豊かになっていきます。

スミスによれば、生産者が多くなって、非生産者が減るほうが豊かになる。非生産者というのは、貴族、教会、芸人、教師、医者などです。道路、学校、宗教施設なども、営利のほうがいいものに人が集まり、不要なものは消えていきますから、堕落が少ないと考えていました。国家の役割は、生産者の活動のルールを守る司法と、あとは国防と公共施設が中心になります。

とはいえ、ほんとうにそれだけで世の中がまとまるのでしょうか。一つには、スミスが生きた一八世紀のイギリスは、ホッブズが生きた一七世紀のような戦乱と革命の時代ではなかったので、こういう考え方をしたのかもしれません。その後の歴史を見ても、自由主義経済学がはやるのは平和の時代で、戦争や恐慌があるとはやらなくなります。

またスミスの思想には、いまの自由主義経済学とは違うところもあります。スミスの考える生産労働は、生活に必要なものや便利なものを作ることで、使用人などのサービスは、生産労働に入れません。

この論理から言うと、神を信じていないのに自由主義経済学を唱えるというのは、ほんとうはおかしい。人間の理性能力はたかがしれている、みんな利己的に動きなさい、政府は小さくてもよい、それでも「万人の万人に対する闘争」にはならない。そんな理想が成りたつのは、他者の幸福を喜び、不幸を悲しむ同感の本能を、神が植えつけているというのが前提です。つまり、神が「われわれ」の存在を保証しているのです。ロックも自然状態で人間は共存できると述べていましたが、やはり「同感」が人間にはあるという前提でした。

とはいえ、スミスの考え方は、政府はできるだけ小さいほうがいいという自由主義と、経済学の結びつきを作りました。これがその後の、資本主義と自由民主主義の結びつきという、現代の主流となった思想の下地になります。
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近代自由民主主義とその限界 「民主主義の元祖」ルソー

『社会を変えるには』より 近代自由民主主義とその限界

一八世紀フランスの思想家ルソーは、近代民主主義の元祖ともよばれます。そしてルソーは、ホッブズやロックとはかなり違う、「われわれ」の作り方を構想しました。

ところで、自由主義と民主主義は、どこが違うのでしょうか。ごく簡単にいうと、自由主義は権力から自由になるのがいいという考え方。民主主義は、みんなで権力を作るのがいいという考え方です。

ですから自由主義では、権力はできるだけ小さく、できるだけ税金が安く、人びとが自由になればよい。しかしまったく自由勝手では、ルールのない闘争になってしまい、結果として自然権が守られないかもしれない。そこで、しかたなく合意のうえで、人工的に権力を作る。

ところが近代民主主義では、みんなで「われわれの権力」を作り、「われわれの意志」が反映されて運営されることが目的になります。「われわれの権力」になれば、よい権力ですから、大きくてもいい。税金をたくさんとっても、規制をしても、みんなの合意で福祉政策などをやってくれるならよい、という考え方になります。

では近代民主主義では、その「われわれ」とは、どうやって作られるのでしょうか。古代だったら、村とかポリスとか共同体そのものがありますから、そこで全員参加で民会を開けばいい。しかし近代になって国が大きくなったら、民会には集まれません。ルソーは直接民主主義しか民主政とは認めませんでしたが、民主政は貧しい小さな国に向いていると考えていました。

ルソーが考えたのは、「われわれ」がばらばらになってきたときに、心から愛着がもてる「われわれ」を作るにはどうしたらいいか、ということです。それは同時に、多数決をとって数の多いほうを「民意」とするしかないのか、それでは「われわれの意志」とはいえないではないか、という問題にもつながります。民主政は古代からありますが、この問題を考えたのが、ルソーが近代民主主義の元祖とよばれるゆえんです。

それでは、古代の昔に戻ったらよいでしょうか。ルソーは、いまさら人間は原始には戻れない、と述べます。そこで彼は、「われわれ」を作る方法を考えました。

ルソーもまた、社会契約論をその手段として使います。しかし彼の社会契約は、ホッブズやロックのものとは、そもそも目的が違います。ホッブズやロックは、自然権を守るのが目的で、契約して国家を作るのはあくまでその手段です。ところがルソーの場合は、契約のときにいっさいの自然権、身も心も財産も全部を共同体に譲渡して、「われわれ」を作るのが目的です。

これはある意味、集団出家のようなものです。家の私物は全部置いてきてくれということです。そして「私」というものがすべてなくなった状態になると、共同体に「共通自我」が生まれる。それが「一般意志」を持つと説きました。

この一般意志というのは、構成員の意志の単純総和である「全体意志」とは異なります。デュルケームの「社会」が、個人の寄せ集めを超えた「実在」であるように、一般意志も個人の意志の寄せ集めを超えた「もの」です。デュルケームは「社会」を「もの」としてあつかわなければならない、と述べましたが、ルソーも一般意志を「もの」にたとえています。

一般意志はみんなの心が一つになった状態ですから、分裂したら一般意志ではありません。またルソーによれば、党派という部分的結合の単位で意志を作っても、それは社会全体のなかでは特殊意志にすぎません。その党派が数的な多数派を形成したところで、ある特殊意志が支配的見解になるだけですから、一般意志ではありえません。

もちろん、無関心などは許されません。ルソーは「ひとたび誰かが国事について、『おれの知ったことか』と言い出したら、国家の運命はもはや尽きたものと観念すべきである」といいます。全員が心の底から参加しなければなりません。投票だけやってあとは知らん顔の代議制など、もちろん評価しません。

つまり、構成員全員がこの世の「私」を投げうつ契約をすれば、一般意志という、個人の寄せ集めをこえた「われわれ」を作れるというのです。この一般意志が法を作れば、政府はそれを執行するだけでよい。すでに究極の民意が成立したのですから。そして市民たちは、そうしてできた「われわれの国」を守るためなら、みんなが戦争におもむき、一人も逃亡など考えません。

ルソーの夢は、近代民主主義なのでしょうか。ファシズムではないかと言う人もいます。ルソーは一般意志ができたあとは、市民たちに義務を愛するようにしむける「市民宗教」が重要になり、それを信じられない者は追放すると述べています。また一般意志がうまくできないときは、「神のごとき立法者」(哲人王なみの能力を持っ合唱の名指揮者のようなものと思われます)が法を強制して、一般意志を創ってもいいとも述べていました。一般意志ができるのが目的なので、一般意志にもとづいているのであれば、統治体制にはあまりこだわらなかったようです。

いずれにせよ、このルソーの思想がフランス革命を導き、近代民主主義の元祖になった、ということになっています。たしかにフランス革命軍はとても勇敢で、愛国歌を歌いながら革命戦争を戦い、「自由・平等・友愛」の国是を公立学校で教えこむ体制がその後に作られました。現代でも、フランスは、市民の政治参加を奨励する国として知られています。
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未唯宇宙コメントの入れ込み

現在の制度は変えられる

 なぜ、哲学をやるかは簡単です。根本から考えると、今の制度は偶々です。

 それを皆は、昔からそうなっていると思い込んでいる。日本の家族制度もできたのは、大正時代です。明治も江戸も状況はまるで異なります。

 考えれば、また、どんどん変わります。既存のものは何もありません。

 これは歴史も一緒です。600万年から530万年までの間に、地中海は40回以上、閉じたり、開けたりしました。最後は530年前です。

 その時に、紀元前かどうかはゴミです。高々、0.2万年の誤差です.

未唯宇宙のコメットの入れ込み

 朝、2時半からの作業で、未唯宇宙のコメント違いをすべて修正しました。次のフェーズに入ります。

 現時点で、未唯空間そのものを一度、蓄えます。それで、第8章に充実と、第10章に「社会を変えるには」を織り込みます。ついでに、第9章に「すべてを知りたい」を反映させます。

 だから、今日は印刷が主になります。

北極圏仕様

 Yahoo!で気温が3度であったので、冬の北極圏仕様です。これなら、ロバニエミに対応できたから、上半身は大丈夫です。体重は71Kgを割っています。夕食はセブン・イレブンのおでんとおかゆにしましょう。

原発は変わるのか

 原発は3割を残します。工業用です。企業で責任を持って、維持します。

 地域は自給自足です。その時に、図書館を選んでもいいし、地域交通インフラを選んで飯石、エネルギーを選んでもいい。それは自分たちのコミュニティで決めていけばいい。

 その複合する運動体として、国があれば、そこで対外的なものをしていく。

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近代自由民主主義とその限界 近代的理性とデカルト

『社会を変えるには』より 

近代思想の根幹が、近代的理性という考え方です。有名な「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉を遺した、デカルトがその元祖と言われます。

この言葉は、ちょっと説明が必要です。教科書などでよく書かれているのは、だいたいこんな説明です。デカルトは自分がなぜ存在するのかを考えた。つねって痛いとか、鏡に姿が見えるとかは、錯覚かもしれない。疑いだしたら、何も信じられなくなった。しかし最後に、そう考えている自分が存在することは疑えない、という結論に達した。だから「われ思う、ゆえにわれあり」なのだと。

わかったようでわからない話です。私の解釈を述べると、だいたいこんなことだと思います。

まずデカルトが何もかも疑ったというのが、宗教戦争の時代、かつての価値観が何も信じられなくなった時代を背景にしていた、ということをふまえなければなりません。

デカルトはフランスで生まれますが、彼が生きたのは三十年戦争の時代で、ドイツで戦争に参加したあと、比較的平穏だったオランダに住み、最後はスウェーデンで死にました。しかしオランダに住んで思想をめぐらしていたときも、宗派がらみの政争の渦中で、クーデターや政変があいつぎ、知識人が迫害にあって亡命したりしています。

そういう背景は、彼の著作にはぜんぜん書いてありませんが、へたに具体的なことを書くと、迫害や国外追放にあいかねない時代だったのです。そうしたなかにあって、何か確信が持てるもの、確実なものがほしい、というのが、デカルトの根底にあったと思われます。

そもそもデカルトは、自分だけではなく、この世にあるものすべてが、それそのものでは存在を確かにはできないと考えていました。彼は若いとき軍務で危険にあったり、戦乱のさなかにあった諸国を旅しているのですが、そこでわかったのは、この世にはいろいろな習慣があるけれど、そんなものは結局は移ろいやすい偶然の産物であるということだ、と書いています。

さて、そこで「われ思う、ゆえにわれあり」に戻ります。

「私」というものが確かにある、という感覚を得られるのはどういうときでしょうか。飲んだり食べたりは楽しいけれど、それだけでは物足りない。感覚の喜びはしょせん、自己を支えてはくれません。ではどういうときに「私はある」と感じられるかというと、「あなたと一緒にいるとき」といった、自己を超えたものとつながっているときです。

しかしこの世の「あなた」だの「みんな」などというものは、移ろいやすいものです。あのときのあなたは私に祝福を与えてくれたけれど、いまのあなたは私を苦しめるだけだ、ということはおこりがちです。この場合の「あなた」は、個人でもペットでも、会社でも、家族でも、地域社会でもよろしい。相手が移ろっていくので、いっときの瞬間以外には、「私」を支えることができません。

ひどくなると、「私」が存在するのは、「あなた」や「みんな」と違うからだ、といった発想に至ったりします。他人と違うことを考え、他人と違うことをし、他人と違う服を着て、他人よりも高い地位につく、それが私の「個性」だというわけです。そう思えるのはもちろん一時だけで、他人が移ろっていけば「私」もゆらぐのですから、足場がぐらぐらしているようなもので、どこまで行っても安定が得られません。

ではどうしたらよいか。つながる相手が、永遠に変わらないもの、それじたいが確かな「実在」であればよいのです。つまり「神」とつながることです。デカルトは初期の著作『精神指導の規則』では、自分はすべてについて疑うけれども、「私は存在する、ゆえに神は存在する」と書いています。「私」というものが存在する以上、それを支えている神が実在しなければならない、というわけです。
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