『新版 原子力の社会史』より
周辺地域住民への影響について主要なものを五点に整理してみる。
第一に、住民の間で急性放射線障害の症状が確認された者は、二〇一一年七月末現在でまだ出ておらず、もちろん死亡者も確認されていない。しかし地震・津波で負傷したり瓦傑に埋まった被害者のうち、迅速に現地で救助活動かおこなわれていれば助かったかもしれない人々が犠牲になった。福島第一原発から二〇キロ圏内では放射能汚染のため救助活動がほとんどおこなわれず、原発事故のために生命を落とした住民が少なくなかったとみられる。
第二に、福島原発事故は十数万人にのぼる周辺住民に、避難行動・避難生活を強いることとなった(半径二〇キロ圏内の市町村だけで七万八〇〇〇人が居住していた)。そうした住民のなかには、避難行動・避難生活により生命を落とした人々も少なくないとみられる。とくに老人や病人には難儀だったであろう。無事だった人々も例外なく家族・住居;エ地・職場・学校等の生活基盤を完全に失うか、もしくは大きく損なっている。それに加えて遠方に避難した人々を除く多くの避難住民は、事故拡大リスクに直面しつづけた。冷却水注入によって三基の原子炉は三月下旬以降、小康状態を保ってきたとはいえ、巨大余震など何らかのきっかけで事故が再燃する可能性が残っているからである。かりに事故がこれ以上拡大しなくても、放射能汚染のためにチェルノブイリ事故のときと同様、避難住民の多くは数年から数十年にわたり故郷に帰れない可能性が高い。
第三に、警戒区域(福島第一原発から半径二〇キロ圏内)や計画的避難区域(年間二〇ミリシーペルト以上の被曝が予想される区域)など政府が指定した地域の範囲外に居住する人々のなかにも、自主的に避難した人々が多い。そうした人々は高い放射線レペル、事故拡大の危険、子供の健康への配慮等の事情を総合的に考慮したうえで、それぞれ判断を下したと思われるが、東京電力や政府から何の保護・補償・支援も得られていない。
第四に、福島県の相当部分は、原発事故によって高濃度に汚染された。放射線管理区域(年間五ミリシーベルト相当)に匹敵する被曝線量の地域が、福島市・郡山市も含めて広範囲に広がっており、被曝による健康リスクや、それを最小限にするための対策によって生活上の不自由が生じている。なおこうした福島第一原発の近郊地域に住む人々にも、事故拡大リスクが汚染地域住民と同様に、覆いかぶさってきたことは否定できない。
第五に、福島県とその周辺地域の農畜産業者や水産業者が、農地や家畜を失い、あるいは生産物の出荷停止を強いられることによって大きな被害を受けている。そのなかにはいわゆる風評被害も含まれる。もちろん農畜産業や水産業だけでなく、周辺地域の商工業への打撃も大きい。
首都圏住民を含むより広範囲の人々への影響について、これも五点に分けて整理する。
第一に、首都圏住民等は事故拡大リスクに直面した。もし格納容器の爆発的破壊などが起きれば、風向き次第では首都圏一帯が高濃度汚染地域となり、放射線防護をせねばならず、さらには疎開の可能性をも検討せねばならなかったからである。とくに小さな子供を抱えた家族にとってこれは真剣に考慮すべき問題であった。遠方に家族・親族等の疎開先のあてがあるならば、疎開はきわめて現実的な選択肢であった。なぜなら首都圏等では三月には放射能問題のみならず、計画停電問題や物資不足問題なども重なっており、また学童の授業がおこなわれない期間でもあったので、疎開はごく自然な選択肢であった。結果として首都圏にさほど高濃度の放射能が降らなかったことは、疎開が必要なかったことの根拠にはならない。「予防原則」が防災の基本である。
第二に、首都圏住民の食生活にも大きな影響が出た。三月には飲料水の摂取が一部で制限された。また福島県を中心とする東北・関東地方でとれた農畜産物や海産物が放射能で汚染され、その安全性についての懸念が高まり、なかなか解消されなかった。
第三に、首都圏住民を含む関東地方全域の住民は、東京電力の「計画停電」(輪番停電)によって大きな被害を受けた。交通機関も数カ月にわたって減便を余儀なくされた。鉄道駅に設置されているエスカレーターの多くが停止され、心臓や足腰が弱いか、あるいは痛めている乗客は、筆者を含めて苦難を強いられた。東京電力は三月一四日から管内を五つの地域グループに分け、地域グループごとに実施時間を設定して、一日三時間から三時間半程度の強制的な停電を実施した(それが一日二回におよぶことも多かった)。ライフライン施設と呼ばれる停電による社会的影響の大きな施設(病院など)も例外ではなかった。ただし東京二三区内は北部の一部地域をのぞいて対象外となった。東京電力がどのような顧客を重視しているかが、これによりおのずと浮き彫りになった。つまり大口需要家に過度の負担をかけず、東京に本社をもつ大手企業を優遇するという姿勢である。計画停電は週末をのぞいて、三月二八日までの二週間にわたってほぼ全日実施された。その後は時折実施される程度となった。東京電力はようやく四月八日になって、今後は原則的に実施しないと発表したが、三週間以上にわたる国民生活への影響は甚大であった。なお東北電力は計画停電を実施しなかった。
第四に、東京電力・東北電力管内はもとより日本全国の企業や住民が、二〇一一年夏において電力不足問題に直面することとなった。東京電力・東北電力については政府の電力使用制限令大口需要家に一五%削減を義務づけるもの)が七月一日から三七年ぶりに発動された。石油危機たけなわの一九七四年以来のことであった。東日本太平洋岸のすべての原発が運転停止となり、火力発電所も多くが地震・津波の被害を受けたので、この二社については電力需要がピークを迎える夏期の電力不足は避けられなかった。だがそれ以外の電力会社も大きな影響をこうむった。都道府県知事は運転中の原発について停止を命ずる権限をもたないが、定期点検等で停止していた原発の運転再開に関しては慣例的な拒否権をもつ(ただし法的裏付けはない)。地元自治体が運転再開への合意をしぶれば、全国の原発は定期検査のたびに無期限の停止状態におちいり、やがて全機停止することとなる。そうした状況下において、原発依存度の高い電力会社は電力需給逼迫問題に直面する可能性があるのである。
第五に、福島原発事故の収束・復旧と損害賠償に要する費用は数十兆円に達するとみられ、復旧までに要する歳月としては数十年が見込まれる。たとえば三〇年間で五〇兆円というのは現実的な見積りである。東京電力を会社清算し資産を売却してもI〇兆円程度しか回収できない。株式、社債、融資については金融業者に債権放棄してもらうのは当然だが、正味の資産をすべて一般公開入札で売却しても、損害賠償および事故処理・復旧のための費用のごく一部しか返済できない。残りの大半は政府が数十年にわたり返済していくしかないので、巨額の国民負担が発生するのは避けられない。単に原子炉施設の解体・撤去をおこなうだけでなく、周辺地域の汚染した表土の回収・処分を徹底的におこなうならば、数百兆円を必要とするかもしれない。その重荷が日本の財政破綻をもたらすおそれもある。それが回避されても大幅増税による国民負担増とそれによる一層の景気低迷はさけがたい。
周辺地域住民への影響について主要なものを五点に整理してみる。
第一に、住民の間で急性放射線障害の症状が確認された者は、二〇一一年七月末現在でまだ出ておらず、もちろん死亡者も確認されていない。しかし地震・津波で負傷したり瓦傑に埋まった被害者のうち、迅速に現地で救助活動かおこなわれていれば助かったかもしれない人々が犠牲になった。福島第一原発から二〇キロ圏内では放射能汚染のため救助活動がほとんどおこなわれず、原発事故のために生命を落とした住民が少なくなかったとみられる。
第二に、福島原発事故は十数万人にのぼる周辺住民に、避難行動・避難生活を強いることとなった(半径二〇キロ圏内の市町村だけで七万八〇〇〇人が居住していた)。そうした住民のなかには、避難行動・避難生活により生命を落とした人々も少なくないとみられる。とくに老人や病人には難儀だったであろう。無事だった人々も例外なく家族・住居;エ地・職場・学校等の生活基盤を完全に失うか、もしくは大きく損なっている。それに加えて遠方に避難した人々を除く多くの避難住民は、事故拡大リスクに直面しつづけた。冷却水注入によって三基の原子炉は三月下旬以降、小康状態を保ってきたとはいえ、巨大余震など何らかのきっかけで事故が再燃する可能性が残っているからである。かりに事故がこれ以上拡大しなくても、放射能汚染のためにチェルノブイリ事故のときと同様、避難住民の多くは数年から数十年にわたり故郷に帰れない可能性が高い。
第三に、警戒区域(福島第一原発から半径二〇キロ圏内)や計画的避難区域(年間二〇ミリシーペルト以上の被曝が予想される区域)など政府が指定した地域の範囲外に居住する人々のなかにも、自主的に避難した人々が多い。そうした人々は高い放射線レペル、事故拡大の危険、子供の健康への配慮等の事情を総合的に考慮したうえで、それぞれ判断を下したと思われるが、東京電力や政府から何の保護・補償・支援も得られていない。
第四に、福島県の相当部分は、原発事故によって高濃度に汚染された。放射線管理区域(年間五ミリシーベルト相当)に匹敵する被曝線量の地域が、福島市・郡山市も含めて広範囲に広がっており、被曝による健康リスクや、それを最小限にするための対策によって生活上の不自由が生じている。なおこうした福島第一原発の近郊地域に住む人々にも、事故拡大リスクが汚染地域住民と同様に、覆いかぶさってきたことは否定できない。
第五に、福島県とその周辺地域の農畜産業者や水産業者が、農地や家畜を失い、あるいは生産物の出荷停止を強いられることによって大きな被害を受けている。そのなかにはいわゆる風評被害も含まれる。もちろん農畜産業や水産業だけでなく、周辺地域の商工業への打撃も大きい。
首都圏住民を含むより広範囲の人々への影響について、これも五点に分けて整理する。
第一に、首都圏住民等は事故拡大リスクに直面した。もし格納容器の爆発的破壊などが起きれば、風向き次第では首都圏一帯が高濃度汚染地域となり、放射線防護をせねばならず、さらには疎開の可能性をも検討せねばならなかったからである。とくに小さな子供を抱えた家族にとってこれは真剣に考慮すべき問題であった。遠方に家族・親族等の疎開先のあてがあるならば、疎開はきわめて現実的な選択肢であった。なぜなら首都圏等では三月には放射能問題のみならず、計画停電問題や物資不足問題なども重なっており、また学童の授業がおこなわれない期間でもあったので、疎開はごく自然な選択肢であった。結果として首都圏にさほど高濃度の放射能が降らなかったことは、疎開が必要なかったことの根拠にはならない。「予防原則」が防災の基本である。
第二に、首都圏住民の食生活にも大きな影響が出た。三月には飲料水の摂取が一部で制限された。また福島県を中心とする東北・関東地方でとれた農畜産物や海産物が放射能で汚染され、その安全性についての懸念が高まり、なかなか解消されなかった。
第三に、首都圏住民を含む関東地方全域の住民は、東京電力の「計画停電」(輪番停電)によって大きな被害を受けた。交通機関も数カ月にわたって減便を余儀なくされた。鉄道駅に設置されているエスカレーターの多くが停止され、心臓や足腰が弱いか、あるいは痛めている乗客は、筆者を含めて苦難を強いられた。東京電力は三月一四日から管内を五つの地域グループに分け、地域グループごとに実施時間を設定して、一日三時間から三時間半程度の強制的な停電を実施した(それが一日二回におよぶことも多かった)。ライフライン施設と呼ばれる停電による社会的影響の大きな施設(病院など)も例外ではなかった。ただし東京二三区内は北部の一部地域をのぞいて対象外となった。東京電力がどのような顧客を重視しているかが、これによりおのずと浮き彫りになった。つまり大口需要家に過度の負担をかけず、東京に本社をもつ大手企業を優遇するという姿勢である。計画停電は週末をのぞいて、三月二八日までの二週間にわたってほぼ全日実施された。その後は時折実施される程度となった。東京電力はようやく四月八日になって、今後は原則的に実施しないと発表したが、三週間以上にわたる国民生活への影響は甚大であった。なお東北電力は計画停電を実施しなかった。
第四に、東京電力・東北電力管内はもとより日本全国の企業や住民が、二〇一一年夏において電力不足問題に直面することとなった。東京電力・東北電力については政府の電力使用制限令大口需要家に一五%削減を義務づけるもの)が七月一日から三七年ぶりに発動された。石油危機たけなわの一九七四年以来のことであった。東日本太平洋岸のすべての原発が運転停止となり、火力発電所も多くが地震・津波の被害を受けたので、この二社については電力需要がピークを迎える夏期の電力不足は避けられなかった。だがそれ以外の電力会社も大きな影響をこうむった。都道府県知事は運転中の原発について停止を命ずる権限をもたないが、定期点検等で停止していた原発の運転再開に関しては慣例的な拒否権をもつ(ただし法的裏付けはない)。地元自治体が運転再開への合意をしぶれば、全国の原発は定期検査のたびに無期限の停止状態におちいり、やがて全機停止することとなる。そうした状況下において、原発依存度の高い電力会社は電力需給逼迫問題に直面する可能性があるのである。
第五に、福島原発事故の収束・復旧と損害賠償に要する費用は数十兆円に達するとみられ、復旧までに要する歳月としては数十年が見込まれる。たとえば三〇年間で五〇兆円というのは現実的な見積りである。東京電力を会社清算し資産を売却してもI〇兆円程度しか回収できない。株式、社債、融資については金融業者に債権放棄してもらうのは当然だが、正味の資産をすべて一般公開入札で売却しても、損害賠償および事故処理・復旧のための費用のごく一部しか返済できない。残りの大半は政府が数十年にわたり返済していくしかないので、巨額の国民負担が発生するのは避けられない。単に原子炉施設の解体・撤去をおこなうだけでなく、周辺地域の汚染した表土の回収・処分を徹底的におこなうならば、数百兆円を必要とするかもしれない。その重荷が日本の財政破綻をもたらすおそれもある。それが回避されても大幅増税による国民負担増とそれによる一層の景気低迷はさけがたい。