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OCR化した8冊

『ザ・プラットフォーム』

 プラットフォームとは何か?--IT企業、国家、ボランティア活動

  プラットフォームとは何か

  IT企業のプラットフォームに注目する二つの理由

  プラットフォームが私たちの生活を左右する

  今までの世界で最大のプラットフォームは「国家」

  阪神淡路大震災に見た原点

  持続的な仕組みをつくる

 プラットフォームの「共有価値観」--グーグル、アップル、フェイスブックを根本から読み解く

  プラットフォーム運営に欠かせない視点「共有価値観」

  巨大IT企業の共有価値観を読み解く

  幸せなグーグルの共有価値観

  「グーグルグラス」のコンセプトビデオに込められた哲学

  「マインドフルネス」の目指す世界

  グーグルはなぜ自動運転車をつくるのか?

  アップルの哲学を読み解く

  グーグルVSアップルの根本的な違い

  共有価値観がわかれば世界が見える

  フェイスブックの共有価値観

  フェイスブックはなぜユーザーを広げたのか

  マイスペースVSフェイスブックで勝敗を分けたもの

  人間関係が劇的に変わった

  薄く広くつながることのメリット

  フェイスブックが情報の流れを変える

  フェイスブックはなぜオキュラスを買収したのか

  人間関係のOSになる

『図書館の基本を求めて』

 民営化された図書館のカウンターサービス

 図書館民営化の実態を、現場から検証する

  カウンターサービスの弱体化--民営化された各地の図書館の実態から

  何がカウンターサービスの弱体化を招いているのか

  行き過ぎた分業化

  内側から見るサービス現場の実態

  直営の図書館ではどうか--図書館職員のあり方が問われる

  なにが民営化の土壌をつくったのか

  競争原理を超えて

  職員と利用者の接点の大切さ

  民営化という神話

  [参考資料]民営化(指定管理者制度・カウンター委託)の問題点

 「こんな民営化なら認める」のか

『世界史で読み解く現代ニュース〈宗教編〉』

 イスラム教の歴史から見えてくる世界

 身近に感じるアラブ文化

 ムハンマドがアラビア半島の人々を改宗

 ムハンマドが神から預かった言葉は『コーラン』に

 六つの信ずべきこと、五つの守るべき行い

 生活と行動の規範

 ムハンマド後のイスラム世界--後継者(カリフ)の誕生

 カリフの指導でジハードが始める

 スンニ派とシーア派の誕生

 ウマイヤ朝がイスラムを拡大

 アッバース家が正統を主張

 イスラム帝国の成立--アッバース朝

 イスラム帝国の分裂

 イスラム教から見た十字軍の行動

 キリスト教の聖地を奪回するという十字軍の活動をイスラム教徒側から見る

 クルド人武将サラディンがエルサレム奪還

 キリスト教がイスラムを駆逐したレコンキスタ

 キリスト教とイスラム教のせめぎ合い、コルドバの「メスキータ」

 世界に広がっていったムスリム商人

 ムスリム商人がイスラム教をインド、東南アジアヘ

 ムスリム商人が東から西へ伝えたもの

 砂糖とイスラム教の関係

 薬としても常用された砂糖

 ウィーン包囲の失敗が、カフェ文化とボスニアの悲劇を生む

 イスラム教の歴史を知る価値

『人口減少×デザイン』

 人口減少の16の疑問

  人口はどれくらい減るの?

  どのくらい子どもを産まなくなっているの?

  少子高齢化と人口減少はどういう関係なの?

  どこの人口が減るの?

  地方から大都市にどれくらい移動しているの?

  結婚しない人が増えているの?

  日本人の結婚離れが進んでいるの?

  若者の恋愛離れが進んでいるの?

  『出会いがない』から縮婚しないの?

  『お金がない』から結婚しないの?

  結婚する時期が遅くなっているの?

  夫婦あたりの子どもの数が減っているの?

  『お金がない』から産まないの?

  子どもを産む時期が遅くなっているの?

  『不妊』に悩む央婦はどのくらい増えているの?

  「子育て」と「仕事」の両立は難しいの?

 提言:人口減少問題へのアプローチ

  提言1 女性中心の小さな経済をつくる

  提言2 縁を深めるローカルシステムを築く

  提言3 会社員女性をハッピーに

  提言4 ふるさと愛を最大化する

  提言5 非地位財型幸福をまちづくりのKPIにまちづくりのゴールって何だろう?

『ソーシャルメディアの罠』

 ソーシャルメディアの罠

  同調圧力の罠

  依存の罠

  疲労の罠

  思考停止の罠

  激情化の罠

 コミュニケーションを問い直す

  コミュニケーションは何のために

  広報の世界は信頼関係がカギ

  組織はコミュニケーションに支えられている

  「まちづくり」には信頼関係が詰まっている

  信頼関係の難しさ

『本願寺白熱教室』

 「葛藤する存在」が作り出す公共性--欲望から公共圏の可能性を考えよう

 なぜ、わたしたちは「他者への想い」をもつのか

 ゴータマ・ブッダの個人完結する目覚めと他者の欠落

 大乗仏教は「他者」を悟りの要件とした

 他者の再発見

 ゴータマ・ブッダの謎説き ゴータマに映る「他者」の姿

 親鸞に見る他者救済の不可能性と他者への想い

 葛藤する存在としての人間と「公共性」

『「エネルギー自治」で地域再生!』

 再生可能エネルギーで地域再生を

 買取制度がもたらした再エネの急速な普及

 「集中型システム」から「分散型システム」へ

 再エネによる地域再生という可能性--「エネルギー自治」とは何か

『日本イスラム大戦』

 「イスラム国IS問題を解決する方法は、三つしかありません」

 「第一の方法は、軍事力でイスラム国を殲滅すること。徹底的にイスラム国を叩き、地上から抹殺する。核兵器でも使って一掃してしまう」

 「イスラム国ISを国として認め、攻撃するのを止める。しかし、イスラム国をいまの地域に封じ込める」

 「世界がイスラム国ISに全面降伏して、イスラムに改宗することです。もちろん、日本もです」
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未唯宇宙項目の見直し 4.歴史 4.1~4.3

4.1 民主主義

 全体主義

  ナチの生成過程

   民主主義から生まれた
   まとめるための手段
   歴史に関心をもった
   全体主義という政治形態

  合法的に全権掌握

   国家権力を掌握
   地方を中央に直属
   国民はナチを選択
   依存に対するメリット

  沈黙の螺旋

   小さなこととして無視
   孤立を恐れる心
   黙るように強制
   全体を支配

  個人が全体を支配

   時代の影響を受ける
   世の中の不満を代表
   預言者とアジテーター
   Act Globallyを実現

 共産主義

  マルクス思想

   格差の時代の資本論
   レーニンの思想は徹底
   トロッキーがカタチに
   スターリンと大祖国戦争

  毛沢東が農民支配

   農民を支配
   中国全体を取り込む
   広大な中央集権国家
   中華思想は引き継ぐ

  中国共産党の政治体制

   中国を経営する
   地方主権の経済力
   アフリカで人権弾圧
   ネット革命の可能性

  中間層は分裂寸前

   農村の10億人は消費中心
   GNP向上で繋ぎ止め
   快適を求める市民階層
   他民族支配

 グローバル化

  中央集権が始まり

   廃藩置県で国家に集中
   徴兵制で強力な陸軍
   日清・日露戦争で対外進出
   ローカルでアメリカ進出

  グローバル企業の覇権

   ヨーロッパ諸国の争い
   アメリカ支配の時代
   ロシアはエネルギー戦略
   グローバル企業を擁護

  グローバルに対抗

   グローバル化と多様化
   ローカルから反発
   公共図書館という民力
   グーグルはローカル支援

  格差拡大への抵抗

   集中で格差が生まれる
   地域は圧迫
   グローバル化と民主主義
   国の格差を超越

 多様化

  イスラムは健全
   ムハンマドの問題意識
   六信、五行で生き抜く
   生活を守るために闘う
   アラブの春とイスラム国

  民族・宗派対立

   民族問題
   宗派問題
   自己防衛のジハード
   民主化とイスラーム復興

  自立のために戦う

   ローカルから収奪
   ローカルは国に依存
   国の格差は拡がる
   ローカルは枠組みを壊す 

  地域から多様化

   知恵で多様化を起こす
   ソーシャルが活性化支援
   SNSは支援ツール
   エジプト革命で威力

4.2 歴史認識

 自由を求めて

  人口増加がきっかけ

   植民地という市場
   ローカルの争い激化
   民族としてのまとまり
   グローバル志向

  中央集権

   権力を集中
   フランス革命
   自由とは何か
   富の分配

  グループ生成

   ナショナリズム
   ジンメルの社会分化論
   グループが社会を左右
   自由を保証組織

  自由を保証するもの

   軍事と法律
   自由と平等の関係
   民主主義で公正な社会
   資本主義で市場の効率性

 国民国家

  政治制度

   オリエントの専制政
   ギリシャ・ローマ共和政
   ゲルマンの君主政
   フランス革命

  自由の意識

   自由人は専制君主
   平和と自由
   キリスト教で自由を認識
   自由が束縛になった

  支配の歴史

   東西の力関係
   一神教の力
   征服の歴史
   所有の歴史

  国家の歴史

   西洋の優位性
   国民国家の歴史
   戦争と平和の歴史
   歴史への関心

 歴史の見方

  歴史の要素

   歴史をどう捉えるか
   歴史はつながっている
   歴史哲学から見る
   個人の歴史認識

  歴史と偶然

   歴史の偶然
   偶然に意味をみる
   歴史の方向の見定め
   歴史における進化

  歴史における仮説

   歴史は多くの仮説
   TGALという循環
   EUはTGALで、ナチはTLAG
   循環に従った動き

  歴史を動かす

   未来予想に基づく行動
   未来からシナリオ
   大きな視点で歴史を見る
   地域が歴史を動かす

 歴史は加速

  国を超えた課題

   科学技術では対応困難
   静脈系までのシステム
   宗教・民族・国家の争い
   クライシスで変化の加速

  多様なローカル

   新Local meets Global
   歴史の転回点
   新Global meets Local
   ローカル変革が発生

  グローバル化の拡大

   世界認識
   超国家がローカルと結ぶ
   EUにおける実験
   欧州は不安定になる

  個人の変革

   組織、国を超える
   組織は不安定化
   ローカル主体で安定化
   共有意識の覚醒

4.3 国というもの

 国に対する意識

  革命家の存在

   国を超える
   未来を見る
   歴史を動かす
   殺される

  民族意識

   家族が一番狭い社会
   国民性を作る
   環境社会で明確な意識
   危機感から共有意識

  宗教意識

   ムハンマドは歴史を変革
   ムスリムの力が浸透
   偶然が歴史を創り出す
   宗教は国を超える

  社会意識

   メディアが意識を作る
   ソーシャルネットが配備
   コミュニティの情報共有
   市民がつながる

 戦争と平和

  国家の形態

   農業国家
   遊牧国家
   都市国家
   国民国家の意味

  民族で独立

   巻き込まれる小国
   独自路線
   民族で独立
   民族浄化

  民族での選択

   日本のアジア侵略
   日本の集団的浅慮
   ウクライナ問題
   国の命運

  超国家という道

   国民国家の限界
   環境、エネルギー、平和
   価値判断が異なる国家
   日本はアジアで孤立

 地域と国

  均一な分配はムリ

   国民国家の使命
   国債8000兆円
   均一な分配は非効率
   地産地消

  独裁の動き

   個人が全体を統一
   若者に魅力的な国家
   全ての要求を政策に反映
   市民は沈黙の螺旋

  地域から発信

   地域が収奪の対象
   個人が意見を発信
   ローカルの意識変革
   地域が自律

  地域が主役

   枠組みの変換
   支配から支援へ
   政治形態が変わる
   GlobalからLocalに

 政治形態

  共有意識

   公共図書館で体現
   ソーシャル組織
   地域での生涯学習
   ローカルに根付いた力

  アラブの春

   イスラムと向かい合う
   コラボが生み出す
   アラブの春
   アラブの春その後

  情報共有

   市民コミュニケーション
   国と市民をつなぐ
   コミュニティ集合
   グローバルと接続

  新しい民主主義

   民主主義は賞味期限切れ
   範囲限定の直接民主制
   アラブ民主主義のカタチ
   資本主義も変質
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「イスラム国IS問題を解決する方法 森詠

『日本イスラム大戦』より 森詠

 「イスラム国IS問題を解決する方法は、三つしかありません」。        

 「第一の方法は、軍事力でイスラム国を殲滅すること。徹底的にイスラム国を叩き、地上から抹殺する。核兵器でも使って一掃してしまう」

 「第二の方法は、イスラム国ISを国として認め、攻撃するのを止める。しかし、イスラム国をいまの地域に封じ込める」

 「イスラム国がテロに走るのは、追い詰められているからです。周囲がいっさい手を出さず、静観する」

 「第三の方法は、世界がイスラム国ISに全面降伏して、イスラムに改宗することです。もちろん、日本もです」

 「第二の解決方法にも関係するのですが、イスラム国ISを、文字通り、イスラミテック・ステイト(ISLAMITEC・STATE)、つまり、彼らの主張を認め、国として対すべきだということです」

 「たしかに、イスラム国は普通の国のように、首都が定まっておらず、領土も確定していませんし、国境もありません。世俗的な意味での国民国家とか、民族国家ではありません」

 「アラブ・イスラム世界は、遊牧民たちの世界で、古来から都市国家で成り立っており、もともと領土や国境など気にしないのです」

 「欧州諸国のように国境に境界線の仕切りを造り、厳密に国境を守ろうとしますが、アラブ世界では広い砂漠や土漠ばかりなので、厳密な境界線を引く意味がない。国境の検問所は、幹線道路にしかなく、だだっ広い砂漠は厳密な国境などなくて出入り自由になっている」

 「いまのアラブ諸国の国境線といっても、先の二度にわたる大戦で、帝国主義国家の欧州列強が、アラブを植民地化し、勝手に分割して線引したものです。アラブ人からすれば、そんな欧州列強が引いた分割線を国境とすることなど、本当なら受け入れたくない。そもそも、現在のアラブ諸国の国境は、第一次世界大戦中に、英仏露三国で結ばれた、オスマン帝国領の分割を約した秘密のサイクスーピコ協定に基づくものです」

 「さらに第二次世界大戦後、英仏米などが、パレスチナの地に、ユダヤ人を入植させ、アラブの反対を押し切って、イスラエル建国を支援した。こうした帝国主義国が勝手にアラブの地を植民地支配し、戦後、アラブが民族独立した後も、政治的にも経済的軍事的にも旧宗主国としての影響力を保ちつつ、アラブ世界を支配し続けようとする目論見に、イスラム国ISは激しく反発しているのです。イスラム国は、そうした欧米中心の戦後レジームからの脱却を目指していることも、我々は理解しておかねばなりません」

 「イスラム国が、たとえ自国領だと国境線を書き直して引いても、旧宗主国をはじめとする国際社会が認めないでしょう。イスラム国はそれを知っています。だから、あえて国境を固定化しない。砂漠の町に勝手に首都を置き、おおざっぱに、どこからどこまでは我が領土だと宣言している。勝手に他国の領土内のIS支配地域を、その地域の州に仕立てて州知事を任命したりしたりしています」

 「それは我が国のように、歴史的に農耕民族の定住型近代国家の見方からすればそうですが、彼らはそうした近代国家とは別個の国家観に基づいて国創りをしているのです」

 「遊牧民は一ケ所に定住しない砂漠の民です。移動した先のオアシスにテントを張って、そこに腰を落ち着かせる。その地が気に入れば、土煉瓦造りの家々を建てて、市場を開く。次第に人が集まり、砂漠の町になる。アラブの町や村は、そうした都市を中心に出来て来た。もし、盗賊や敵に攻められたりして、そこが住みにくくなったら、他の地へ移動する。新たな土地にまた都市を造り、そこで生活する。町や都市ごとに国家を創り、全体を統一するような国など必要がなかった。イスラム国も、そうした非定住型の都市国家なのです」

 「そんなことをいったら、いまのシリアやイラク、リビアは、どうなりますか? 一応首都に政府はあり、行政機構や軍隊もありますが、いずれも領土の一部はISイスラム国に占められていて、全土を実効支配していない。イスラム国ISの支配地域は、国家内国家となり、国境はなきがごとしです」

 「イスラム国には、カリフを名乗るイスラム最高指導者アブーバクル・アルーバグダデイの下、政府があり、法廷もあれば、経済省も内務省も国防省もある。軍隊や警察までもある。武力で占領した地域の住民に、イスラム法であるシャリアを厳格に適用して統治しています。たしかに人々に選ばれ尭議員で構成される議会はないけれども、カリフを長とする宗教指導者たちの会議もある。モ(メッド以来のカリフ制のイスラム帝国の復活をめざしているのがイスラム国ISなのです」

 「総理、中国の指導者も、北朝鮮の指導者も、民主的な選挙で人民に選ばれた人たちではないでしょう。いずれも独裁国家です」

 「サウジもクウェートも、UAE、カタール、バハレーンなどアラブ諸国もすべて王制です。議会らしきものがあっても、国民が選んだ議員ではなく、部族長の集まりだったり、王が上から選んだ人たちだ。形だけは近代国家の体をなしているが、中身は、イスラム国ISと大差ない非民主的な国家です」

 「アラブ社会は三つの層から成り立っています。第一の層は地域ナショナリズム。旧植民地国家の名残の地域国家です。シリア、レバノン、イラクなど、それぞれの地域の形だけ民主的国民国家の顔を持った地域国家です。シリア人とかイラク人とか、ヨルダン人とか、それぞれの地域国家の国民であるアラブ人です」

 「第二の層がアラブ全体に共通するアラブ民族主義です。アラブ民族主義は各地の部族主義に裏打ちされています。

 そして第三の層がイスラム・ナショナリズムです。アラプ世界の理解が難しいのは、いろいろな局面で、その三層のナショナリズムが交互に顔を出すからです」

 「ロレンスは著書の中で、アラブの民について、こう書いています。アラブの民は、砂漠の砂のようなものだと」

 「砂はぎゅっと掌で握り締めている間は、一つにまとまっている。しかし、少しでも手を緩めると、砂は指の間から、さらさらと零れ落ちて、ばらばらになる」

 「アラブの民は砂粒なので、なかなか一つにまとまることができない。ところが、アラブ民族主義を唱える強力な指導者や独裁者が登場して権力を取り、ぎゅっと砂を握ると、それまでばらばらだった砂は一つの塊になる」

 「かつての欧米の植民地から、ようやく地域ごとに独立したアラブ諸国はみなそうです。イラクの独裁者フセイン大統領、シリアの独裁者アサド大統領、リビアのカダフィ大佐、エジプトのナセル大統領などを見れば、お分かりでしょう?」

 「この砂に少しでも水を加えれば、湿り気を帯びた砂はさらに握りやすくなり、一つの塊になりやすい。その水がイスラム教だと考えれば理解しやすいでしょう」

 「アラブ世界は欧米の先進資本主義社会からすれば、近代化が遅れている社会ではあります。アラブの春で、チュニジアを皮切りにして、リビア、シリア、エジプト、バ・レーンヘと民主化の波が広がって行きましたが、それは欧米型の民主主義の教育を受けた学生や市民たちごく一部の運動でした。だから、独裁者は倒したものの、本格的な体制の民主化にはならなかった。独裁者が倒れたら、国民はたちまち砂粒のようにてんでんばらばらに散ってしまった。代わって、各地ではさまざまな部族勢力やイスラム過激派が、勝手に武力で自分たちの領地を拡げ出した。チュニジア、リビア、シリアの情勢をご覧いただければ、お分かりでしょう」

 「非常に難しいですね。欧州や米国、日本のような自由主義や民主主義がアラブ世界に根付くには、かなりの時間が必要でしょう。百年や二百年では足りず、おそらく千年かかるかも知れない」

 「しかし、それは欧米型の民主主義による国創りを考えるからで、アラブ・イスラム世界には、これまでの欧米型民主主義とは違ったアラブ・イスラム的民主主義による国創りがなされるのではないか、と私は思っています」

 「それが、イスラム国ISが唱えるイスラム帝国、イスラム宗教国家なのです」

 「イスラム国は、資本主義もキリスト教も、共産主義も自由主義も、いずれも理想の社会を創れなかったではないか、と主張している。それらすべてを超えるのが、預言者ムハマッドの唱えるイスラムだとしているのです。カリフの下、イスラム法シャリアを厳格に守るイスラム国家を地上に実現しようと。かつてのサラセン帝国のように西はイペリア半島、北アフリカから、中央アジア、東南アジア、中国に至るまでの大版図のイスラム帝国を創ろうとしているのです」

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「集中型システム」から「分散型システム」へ

『「エネルギー自治」で地域再生!』より 再生可能エネルギーで地域再生を

ところで、前節で触れた「分散型エネルギーシステム」への移行とは、具体的に何を意味するのでしょうか。その第一の要素は、再エネの普及がもたらす、電源そのものの分散化傾向です。太陽光、バイオマス、小水力、風力など、再于不の発電設備はいずれも、それ単体としては小規模で、しかも日本全国に分散して立地する傾向があります。再エネが増えれば増えるほど、電源は分散化する傾向にあります。

第二の要素は、分散した電源を、今度はネットワーク化するとともに、ネットワーク内での電力需給調整を成り立たせる情報通信技術(ICT)が必要になります。「分散型電カシステム」が「集中型電カシステム」と異なるのは、後者が電力会社の「中央給電指令所」(電力会社が、保有するすべての電源に関する情報を集約し、その稼働/停止を中央から操作することで、電力需給を垂直的な指揮命令系統の下にコントロールするための指揮所)によって運営されるのに対し、前者は分散した電源をつないでネットワーク化し、ICTによって分権的/水平的に制御する点にあります。「スマートグリッド」は、それを可能にするための要素技術の一つです。

第三の要素は、「電気」、「ガス」、「熱」といった、これまでは相互に分離され、物理的に異なるネットワークに属していたエネルギーシステムが、地域レベルで相互に融合し、ネットワーク化が図られていく動きを指します。「パワー・トゥー・ガス「Power to Gas」という言葉がいま、欧州のエネルギー関係者から盛んに発せられます。これは、再エネ発電から生じた余剰電力を用いて、①水を電気分解し、水素を生成し貯蔵・再利用を可能にする方法、あるいは、②水の電気分解で得られた水素と二酸化炭素を触媒により化学反応させ、メタンを生成する方法を指します。

①の水素については、燃料電池の燃料や、将来的には燃料電池車や水素自動車の燃料として活用が期待できます。②のメタンであれば、欧州では天然ガスのガスパイプラインがすでに張り巡らされていますので、このパイプラインを通じてガス供給に資することが可能になります。こうして、これまでは「電気は電気」、「ガスはガス」としての利用しかできなかったのですが、再エネによって生み出された余剰電力を、天然ガスやメタンに変えて貯蔵し、それを利活用できるようになれば、電気とガスの境界をまたぐ融合が将来的に見えてきます。

分散型電力システムを成り立たせる第四の要素として、「コージェネレーション(熱電併給。以下、コジェネ)」を挙げることができます。欧州では冬の暖房のために木質バイオマス等で温水をつくり、それを熱導管を通じて地域の需要家に送る「熱供給システム」が構築されています。各家庭では、この温水を導管で各部屋に回して暖房を行っているのです。この点で熱供給はもともと、地域に密着した分散型エネルギーシステムとして機能しています。

しかし、この熱供給システムは単体ではエネルギー効率が良いとはいえません。熱が大気中に大量に放出されて未利用のまま終わってしまうからです。そこで、熱エネルギーを用いて発電事業も併せて行うことにすれば、エネルギー利用効率を一挙に九〇%近くにまで高められます。コジェネによる発電の促進は、都市内部の需要地近くに立地するより小規模な熱源を、「発電所」として活用することを意味します。コジェネを推進すればするほど、都市内部に分散型コジェネ電源が増えることになります。それは必然的に、電力供給システムの「分散化」を促進することにつながります。

最後に第五の要素として、分散型エネルギーシステムの下では、エネルギーを最適管理する主体が分散化する傾向を指摘することができます。これは、配電網をペースとして、地域レベルでエネルギー構成を最適化していくには、そのための意思決定やガバナンスの仕組みを分散的/分権的なものにせざるをえなくなることに対応しています。

これまでは電力会社が、自らが保有する電源に対して、中央給電指令所から指令を出すことで電力需給をコントロールしてきました。しかし、電力システムの分散化が進展し、ガスや熱との融合が起きてくると、地域ごとに何か最適なエネルギー構成なのかは異なるので、中央給電所からの一律管理が困難になります(もちろん、不要になるわけではありません)。

また、電力自由化で今後、発電事業への新規参入者が大量に発生した場合、電力会社からのコントロールに服さない電源が多数生まれることになります。これをどのように管理し、全体としての電力需給を調整するのでしょうか。答えは、「市場化」に求めるより他ありません。電力自由化によって、電力生産が無数の分散した主体によって担われるようになればなるほど、彼らは、それぞれが独自の意思をもって電力需給の決定に参画してきます。これらをもはや、中央からの一方的な指令でコントロールすることはできません。したがって、電力会社内でこれまでは完結していた計画経済的な電力需給調整の仕組みはいずれ終焉を迎え、電力市場における価格調整メカニズムを用いた、市場経済的な需給調整の仕組みに移行せざるをえなくなります。

こうして、「分散型エネルギーシステム」への移行は、需給調整における市場のさらなる活用をもたらし、電力生産への大小様々な主体の「参加」と電力市場における「民主化」が進展することになります。さらに、彼らの利害を調整し、電力需給の均衡をもたらす意思決定のメカニズムとして、電力システムにおける一層の「市場化」の推進が、必要不可欠になることは、ほぼ間違いないでしょう。
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テーマとジャンルの関係

テーマとジャンルの関係

 テーマとジャンルの最下層は統一項目だということ。それでキッチリ、かたを付けます。完璧に同じようにします。言葉を選びます。そのための調整です。それが出来れば、空間としては面白いです。

 さあ! 第4章からやりますか。先はないな。ゆっくりとじっくりとやるしかない。そこから何が言えるのか?

水中ウォーキング

 スポーツとして、とりあえず、水中ウォーキングを行います。雨の日を中心に。一回、500円も掛かるのがネックです。一日の生活費の半額です。
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ゴータマ・ブッダの個人完結する目覚めと他者の欠落

『本願寺白熱教室』より 「葛藤する存在」が作り出す公共性--欲望から公共圏の可能性を考えよう

ゴータマ・ブッダは、六年間の出家修行の末、三十五歳のときに菩提樹のもとで宗教的な目覚めを完成したと伝えられている。

そのときの彼の言葉:「為されるべきことは為し終えられた」、あとは完全なる涅槃、すなわちこの身体が滅びるのを待つのみ、と言う。彼が目指していたいわゆる「解脱」、さまざまな苦しみからの解放や、「涅槃」、煩悩の止んだ平安の境地は、まさにこの時点で完成、完結したのである。

ここから私たちは、次のことを確認しておこう。ゴータマ・ブッダの宗教的な目覚めとは個人で完結するものであり、そこには他の人々、現代的に言えば「他者」への関心はない。だから、ゴータマ・ブッダの宗教的な目覚め、彼の解脱には、原理的に「他者」は関わりがないと言えよう。実践的な慈悲の思想は、彼の宗教的目覚めの必要条件には含まれていない、ということだ。

そもそも、彼の認識によれば、「怨憎会苦、愛別離苦(嫌なヤツにも会わなければならず、愛おしい人たちとは別れざるを得ない苦しみ)」であり、つまり「他者」との関わりは苦をもたらすだけである。だから、弟子たちには人間関係を断ち切り、「ただ一人、犀の角のように歩め」と勧めるのだ。

ところが不可解なことに、目覚めが完成したすぐ後、ゴータマ・ブッダは解脱の喜びを味わう瞑想を数週間にわたって続けるのだが、瞑想するゴータマ・ブッダの意識に天上界の神である梵天が登場し、人々に教えを説くよう懇願し、一方で悪魔たちは、彼に説法などせずに、そのまま完全なる涅槃を遂げるよう誘惑する。もちろん、梵天も悪魔たちも、現代的にはゴータマ・ブッダの心の葛藤だと解釈されているが。そして、彼は躊躇しつつも、とうとう教えを説くことを決心する。

しかし、そもそもおかしいではないか? 「他者」を遠ざけて、宗教的な目覚めを完成した人物が、目覚めの後に、なぜこのように葛藤するのだろうか?

この話は、伝統的に「梵天勧請」と言われる出来事の理由、必然性に関して多くの研究者がさまざまに推論してきたが、私は納得できる解釈に出会ったことはない。唯一、やや説得力ある解釈は、菩提樹のもとでの解脱の自覚から梵天勧請による説法の決意までのプロセス全体をゴータマ・ブッダの宗教的目覚めであるとする、中村元の解釈である。ただし、この解釈には文献的な根拠はない。いずれにせよ、なぜ彼が「他者」に教えを説きはじめたかは、相変わらず謎である(としておこう)。

本章では、この謎解きを一つの軸にしながら、新たな公共性の理論を構築してみたいと思う。人間ゴータマが「説きはじめる」ことを決断した結果、仏教が誕生し、やがて大乗仏教という新しい宗教運動が胎動することとなる。ゴータマ・ブッダの悟りの謎解きをしながら、その悟りが、その後の人類史に何を生んだのかを見ていこうと思う。
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信頼関係の難しさ

『ソーシャルメディアの罠』より コミュニケーションを問い直す

コミュニケーションにおける信頼関係の難しさについて触れておきたい。

難しさを説明するとき、それを阻むものを考えると、比較的イメージできる。では、コミュニケーションの大きな目的である信頼関係を阻むものとは、いったい何だろうか。

まず考えられるものは、相手をよく知らないことによる「無理解」が挙げられる。相手への先入観、思い込みによる勘違い、勝手な解釈による誤解、そしてそもそも相手への無関心が、「無理解」につながる。たとえば、大昔からよく言われるフレーズに「今どきの○○は」という決めつけが出てくる。このようなフレーズが使われる場面をイメージすると、そういってしまうことが言う側にとって楽なのである。ステレオタイプに単純化してしまうことは、一方にとっては実にわかりやすく、深く考えなくても済む。そのようなメリットは確かにあるだろう。しかし、これこそ、まさに「バカの壁」に他ならない。気をつけたいものである。

次に考えられるものとしては、相手に対する「悪意」が挙げられるだろう。相手に対して、嘘をつく、都合の悪いものを隠ぺいする、また意図をもって一定の方向へ誘導する。これらが、悪意のなせる技だと考えられる。先に述べた「同調圧力」やマスコミを絡めた「沈黙の螺旋」、さらにプロパガンダなどは、悪意の程度はさまざまだが、相手を自分の都合の良いようにコントロールしたいという思いに基づいている。インターネット上ではソーシャルメディアを通して、このようなことが比較的やりやすい環境が整っている。先に「激情化の罠」でも述べたが、インターネットが普及する以前よりも、「悪意」を形にし、容易に撒き散らしやすい道具立てや環境はすでにある。ちょっとした心の隙が、「悪意」に取り込まれないよう、十分注意しておきたいものだ。

さらに、「自己保身」や「自己愛」が考えられる。どちらも程度の問題であり、「自己愛」のない人間などいない。しかし、それらが過度になることによって、相手が見えなくなってしまう。そして、上から目線で相手と対したり、一方的に依存する関係になってしまったりと、アンバランスな関係を生みやすくしてしまう。Twitterでのつぶやきや、Facebookでのコメントには、実に「自己愛」がふんだんに盛り込まれているものが少なくない。本人にとって多少のストレス解消になるメリットは認めるとしても、信頼関係を損なうことは間違いないだろう。誰もが、気をつけておきたい点だ。

それでは、以上述べてきた阻害要因に対して、信頼関係につなげるためには、どのような姿勢や考え方が求められるのだろうか。

「無理解」に対しては、しっかりと向き合って対話するしかない。対話の大切さについては、詳しく後述したいと思うが、相手から多くの情報をいかに引き出せるかにかかっている。その意味で、対話には「聞く力」が試される。さらに発展的に捉えれば「取材力」ともいえるだろう。

同時に、自分のことを可能な限りオープンにすることも、対話には重要である。普段接している大学生を見ていて、相手に対して「探り」を入れることは割によくやるが、自分のことを相手ヘオープンに伝えることが、かなり苦手な印象を受ける。自分をオープンにすることが、相手もオープンにさせやすくなるといった経験が不足しているのかもしれない。いずれにしても、対話を通して双方のリアルな情報を、どれだけ共有できるかが信頼関係には重要である。

「悪意」に対しては、どうすればよいのだろうか。ただ、ひたすら相手に「善意」と「誠実さ」を期待しても虚しい気がしてしまう。結局のところ、「悪意」は自分に返ってくることを、お互いに理解するしかないのではないだろうか。堅実な経営を心掛けている多くの企業の場合、経営の透明性を高める努力をしている。単にオープンにするというより、誰がどこから見ても恥ずかしくない状態を常に維持する環境を仕組みとして作る。このことにより、「悪意」が入り込みづらくすることにつながると期待する。個々の人間の場合は、さしずめ匿名ではなく実名でコミュニケーションをする。立場を明らかにし、場合によっては顔出ししてコミュニケーションをすることで、かなり「悪意」が入り込める余地が縮小するのではないだろうか。「悪意」に関しては、モラルに訴えるのではなく、それができなくなる環境をいかに作れるかが、鍵のように思っている。

「自己保身」や「自己愛」に対しては、相手を利することが自分に返ってくるような相互利益を考えることが大切である。ゲーム理論の中で「囚人のジレンマ」といった考え方がよく紹介される。損得を考えると、結局のところ相手のことを考え、協力し合うことが、最も賢い選択であることが示されている。自分にしか目がいかず、相手が見えなくなってしまうことが、いかにお互いの利益を損ねてしまう可能性が高いか。それを、お互い学ぶしかないのかもしれない。

また、「自己愛」は他者への依存である場合も考えられる。信頼関係は、対等な関係であることが基本である。その前提を損なわない範囲で、お互い認め合える工夫を考えることも、ときに必要だろう。信頼関係を築くことは難しい。それを長く維持することは、さらに難しい。しかし、なぜ難しいのかをある程度理解し、常に意識しながらコミュニケーションを行う癖をつけることによって、阻害要因をかなり遠ざけることができるのではないだろうか。

最初から、信頼関係など無理だとシニカルに諦めてしまえば、どんなにコミュニケーションを重ねても、長続きのしない偏ったものになるに違いない。

この章で、考えてきたことを振り返るとき、コミュニケーションというもののスケールの大きさとともに、信頼関係という永遠のテーマがコミュニケーションと深く関わっていることに、改めて気づかされる。
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同調圧力の罠

『ソーシャルメディアの罠』より

同調圧力の罠から述べよう。冒頭で女子大生のコミュニケーション風景を眺めてみたが、その中で最も強く感じられるのが、この同調圧力である。

人間にとって、他人や仲間と同調することは、ときに必要である。仲間で何かを決めるとき、仕事である課題解決の方向を見出すとき、そのほかいろいろな場面で同調する。それが、協調であったり、妥協であったりと、意味合いはさまざまだが、相手の意見、場の主流となる考え方を受け入れることは少なくないだろう。

そこで、最初に社会心理学での「同調」といわれる考え方を、まずおさえておきたい。

同調とは、「判断、態度を含む広義の行動に関して、他者あるいは集団が提示する標準や期待にそって、他者あるいは集団の標準と同一あるいは類似の行動をとること」だ。そして、同調は「内心からの受容をともなったもの(内面的同調)」と、「外面だけの同調(外面的同調)」とが区別されるという。

また、同調行動が起こる要因には、他者の判断や行動を参考にしようとする「情報的影響」と他者からの賞罰を考慮することによる「規範的影響」の2つがあるそうだ。前者では「他者の情報源としての信憑性」が、後者では「他者との好意的関係またはそれへの希求」が同調を促進する。

このようにみてくると、同じ同調でも、内心から信用して同調する場合と、うわべだけで嫌われたくないから心ならずも同調する場合まで幅広い。女子大生がゼミの場で見せる同調傾向は、どちらかというと空気を読んで周りに合わせようとすることが多いため、規範的影響による外面的同調の色彩が強い。ただ、ゼミというオフィシャルな場であることや、人数が10名程度で、メンバー間でかなり結びつきの強さが認められることから、同調傾向がより強まるのも無理はないともいえる。

ただ、彼らのソーシャルメディアでの状況を考え合わせると、「規範的影響」がさらに強化され、リアルなゼミの場面での同調傾向をさらに強める関係が作られていることを感じる。それは、とくに彼らの世代が子ども時代を過ごしてきた環境を踏まえると、「いじめ」の与えてきた「規範的影響」は看過できないレペルにあり、大学生になってもそのような仲間関係であり続けているからである。

考えてみれば、LINEにしろFacebookにしても、同調傾向を強める方向に働く同調圧力を発揮するものばかりが目に付く。LINEの頻繁なやり取り、とくに「既読機能」を通したそれぞれの存在確認は、同調圧力に間違いなく機能している。Facebookの「いいね」機能による同調の強制、さらに申請・承認を迫る「友達機能」の頻繁な働きかけも、それらを無視することはかなり勇気が必要だろう。なぜなら、彼らが日々利用するソーシャルメディアの現実的な広がりは意外と狭く、そこをうまく乗り切っていかないと、リアルな日常場面にも直結するからである。

若者ばかりではない。社会人でも職場での関係、仕事を通した取引先との関係で、ソーシャルメディアを通して同調圧力をかけられる場面は少なくないだろう。「既読スルー」に関するLINEのフリーアンサーで、「すぐコメントを求められる。返事に迷う(とくに目上、先輩)」といったコメントに、同調圧力の強さを改めて感じる。「「いいね」が少ないとかわいそうな気がする」「「いいね」のやりとりも億劫になり、とりあえず登録しているだけ」のようなFacebookのコメントにも同調圧力の匂いを感じてしまう。

では、なぜ同調圧力がソーシャルメディアを通して機能しやすくなっているのだろうか。少し考えてみよう。

同調による関係を強めることによって、手に入れられるものとは何か。まず挙げられるのは、自己防衛だろう。いじめのことを考えてみればわかりやすい。味方として固まることによって、集団の中で身を守りやすくなる。他には、孤独の解消ではないかと考える。1人でいることは、ある意味で自己責任が常に問われることでもある。人とつながることによって、責任への負担感が相対的に減るとともに、一緒でいることの安心感が生まれる。

しかし、その反面、口を閉ざし、うわべだけの関わりになりがちである。そして、それが当たり前の行動スタイルになってしまえば、そこから抜け出すことは容易ではなくなる。

ソーシャルメディアを絡めた同調圧力は、世論にも少なからず影響を及ぼすだろう。マスコミ理論の中に「沈黙の螺旋理論」がある。これは、1980年代にノエル・ノイマンにより提唱された、以下のような考え方である。

 「ある争点に関する立場Aが立場Bに対し、ひとたび優勢であると認知されると、立場Aの人々は公共的な場でみずからの主張を訴えやすくなり、逆に立場Bの人々は訴えにくくなる。このことが立場AをBに比して現実の意見分布以上に優勢であると認知させるようになる。この過程が繰り返されると、立場Aに対する同調行動が広範に生じ、一方立場Bは沈黙を強いられる…」

少し引用が長くなってしまったが、同調行動が世論レべルに広がることを指摘しておきたいからである。ソーシャルメディアによる同調圧力が、従来のマスコミによる世間への働きかけに加え、ある考え方を補強するように働くとしたら、「沈黙の螺旋理論」も従来より一段と強いものになることが予想される。

ソーシャルメディアは、リアルな現実と当然のことながら無関係ではない。個人や狭い集団における仲間関係にとどまらず、広く世間へも影響を及ぼすだろう。昨今の企業不祥事を絡めた、Twitter上を中心とした企業叩きは、その影響力の大きさを物語る一例である。

いずれにしても、ソーシャルメディアは、すでに内在化された機能により同調圧力を高める方向に働くものであること、さらに社会にも広くその影響を及ぼしかねないものであることを、ユーザーは忘れてはならない。さもなければ、同調圧力の罠にまんまと陥り、周りに縛られ、たびたび振り回されるような関係の中で、生きていかざるを得なくなることが懸念される。
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考えられる体制

考えられる体制

 9時過ぎに駅前のスタバに考えるためにやってきた。あかりさんは7時半から4時までの勤務。パートだと、きついものがあります。Iさんは、4時間ベースでやっていた。

 考える体制に戻しましょう。どんな時でも考えられるための道具は作りました。どっから始めるかです。やはり、歴史編でしょうね。テーマとの交差です。

 一つ一つのレベルを上げるしかないのか。空間配置を楽しむことでしょうね。内容をどう変えたのかではなく、自分がスッキリしたかどうかが問題です。これは毎回、パートナーに言っていることです。

 同じ「国民国家」にしても、ジャンルだと、歴史認識から言えるけど、テーマの場合は政治経済から見ます。そのクロスによって、「国民国家」がどう変わるか。そこからどうして、本質を見ていくのか。そうなるた、やはり、細目をキッチリさせていかないといけない。

コンテンツの一致

 先ずは、三つのタブレットのコンテンツを同期化することです。あのタブレットは印刷物だから、3枚の紙切れがある状態です。

 キンドル・ペーパー・ホワイトは進化しないから、これで行うしかないでしょう。帰りに、エイデンに寄ってきたけど、何も変わっていないし、16GMしか置いていない。私はアマゾンで直接購入したものは、64GMの容量だけに拘った。これは正解でした。

空間配置をカタチにする

 ポイントは配置だということです。近傍系です。その近傍をどうつなげていくのかは、座標系から与えられる。同じ項目をジャンルとテーマで分けていきます。それに実体験です。それが自分の存在とどう関わるのかが、最終的なテーマなんでしょう。

パソコンの使用

 そうなると、パソコンを使うしかない。家でのパソコンに、もう一度、入り込みましょう。それよりも開始すること。8時からの作業開始、それだけを決めましょう。

 図書館へパソコンを持って行くのは、恰好づけだけです。人との接点はスタバだけにします。タブレットには、最新のプレゼンを入れ込んで考えるとしては精々、一時間です。

 家なら、夜の12時までできます。8時から24時まで。「7-11」+1=8-12

さあ!

 歴史から始めましょう。一番大きそうだから。寝る前には、その日までのモノを反映させて、そこで見る。成果を確認することで、一日を大切に!

ギリシャの状況

 玲子さんからメールがないから、スカイプでやり取りしている妹に電話して、状況を入手。

 ソホクリスはまた、シリア国境沿いのレバノンです。玲子は1週間入院。だから、メールが返ってこないのか。
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地域に必要な、女性中心の小さな経済

『人口減少×デザイン』より 提言:人口減少問題へのアプローチ

地域に必要な新しい経済

 20-30代女性の就業率と出生率

  以前から女性に関する気になるデータがありました。都道府県別の女性の就業率と合計特殊出生率に相関があるというデータです(相関係数= 0.473)。右上に位置する島根、福井、鳥取、佐賀、宮崎は女性の就業率と合計出生率が高い、すなわち働きながら産み育てる女性が多い地域です。この背景には、3世代同居などの家族環境(育児・家事を祖父母に任せられる)、地価・物価が安いなどの経済環境(金銭的に多くの子どもを育てられる)、共働きが定着しているという社会文化環境など、様々な要因が考えられます。こうした共働き&子育て環境が整っている地方都市圏に女性が働ける場をつくることは、若年女性の転出を減らし、Uターン・Iターンを呼び込み、育児と仕事の両立や出産を後押しすることにつながる有効なアプローチです。

地域に必要な、女性中心の小さな経済

 それでは、地域にどんな仕事、産業、経済をつくればよいのでしょうか?

 地方に雇用をつくることを考えると、たいていたどり着く結論が大企業の製造拠点誘致と公共事業です。これらの方法がどれだけ地域経済に貢献できるかは、私は専門外なのでここではふれません。問題なのは、この仕組みで生まれる雇用は工場や建設現場で働く作業員など男性中心だということです。人口減少に歯止めをかけるためには、地方圏に20-30代を中心とした出産適齢期の女性が働く場が必要なのです。

 それでは、今地方圏に求められる女性中心の小さな経済とはどういうものでしょうか?

 女性の力を活かし、女性が活躍できる機会の拡大につながる、この経済には3つの特徴があります。

 ①手作業・手仕事のクリエイティブ経済

  この経済圏では、主に手と身体を使って何かを創る行為から経済が生まれます。料理、裁縫、お花、お菓子、こうした細かい手作業を伴う趣味を仕事にするのはいつの時代にも夢のある働き方の1つでしょう。地域の木材を加工した雑貨製作、旬の青果でお菓子づくり、エコツアーのガイド、手づくりのカフエ経営など、地域ならではの資源に着目し、自分の力で仕事をつくり出している人たちが全国各地に登場しています。地域の基幹産業である一次産業は食の産業です。いつの時代も、新しい食品を買うのも、食のブームをつくるのも、美味しいと評判の店に並ぶのも、素敵なカフェに集うのも女性です。新しい食の産業の主役はクリエイティブな女性であることが多いのです。

  動画や映像、ウェブサイトやアプリ開発など、ITを活用した手仕事に取り組む若い世代も増えています。この仕事はパソコンとインターネットさえあれば遠隔地でも可能なことが多いため、地方圏で暮らし東京の仕事をこなすライフスタイルを送る人がどんどん増えています。

 ②少生産・少消費のマイクロ経済

  この経済の特徴は規模が小さいことです。従来型のビジネスの発想では、効率性・収益性の観点から、少ない品種の大量生産・大量消費を追求しがちです。全国チェーンの飲食店や100円ショップがその代表例でしょう。

  しかし、この経済は手作業・手仕事が基本ですから、大量にはつくれません。少量生産です。手作業ですから機械のように効率的にとはいきません。どうしても人件費はかさみます。しかし、地方圏での小規模生産は、原価を下げる方法が色々あります。お店や工房の賃料も安く、規格外の食材や間伐材などを格安で手に入れることもできます。大都市圏での生活と比べて生活費も抑えることができます。

  地域には少量多品種の資源があふれています。スーパーの生鮮売り場にいくと、全国どこでもほぼ同じ形のF1品種と呼ばれる野菜が並んでいます。育てやすく形も整ったF1品種は大規模生産・大規模消費経済では効率がいいためです。しかし一方で、日本各地には在来種と呼ばれる、その土地固有の野菜がたくさんあります。山形県鶴岡市には現在確認されているだけで50種を超える品種が受け継がれており、この在来種を活かした食と観光のまちづくり’が進められています。

  日本の漁港には様々な魚が水揚げされます。雑魚と呼ばれる小魚や規格外の魚は安価で取引されたり捨てられたりしてしまいます。愛媛県伊予市の道の駅ふたみでは、地元の漁協女性部が旬の雑魚でつくった「じやこ天」が大人気です。その場で揚げたてを食べられ、ハートの形をした「ラヴじやこ天」などのュニークな商品づくりに取り組んでいます。

  少量販売の場合、必要としている人に届けることができれば、多少高くても買ってもらえます。インターネットの普及で、ニッチな商品やサービスのファンを見つけることも容易になりました。

  北海道富良野に1日18個限定でプリンのみを発売するお店があります。プリンといっても直径20センチの陶器に入った8人前の大きなもので、1個2、600円です。昔は私もよく購入していたのですが、最近では1ヶ月待ち状態。本州配送は3ヶ月待ちだそうです。

 ③つながりから生まれるコミュニティ経済

  3つめの特徴は、自分の生活圏の中で経済が回っていて、生活コミュニティと仕事コミュニティが一体化していることです。この経済圏では地域のつながり、コミュニティとの関係が事業の大切な糧となります。地方圏に増えつつあるカフエ経営はその典型でしょう。福井県内陸部、人口3万人の街、大野市。この小さな街に実に素敵で個性的なカフエが3軒あります。

  1つは「うおまさcafe」。店主は60周年を迎えた老舗魚屋「魚正」の次女として生まれた、山本恭子さん。実家の魚屋を活かし、冠婚葬祭の宴会もできる広間を併設したカフエを2013年夏にオープンしました。

 美しく、健康になる食」をテーマに、魚はもちろん、大野産の野菜や発酵食品、特産品である上庄里芋のころ煮などの郷土料理にこだわったメニューも並びます。食文化を次世代につなぐ若いお母さんたちにも来てもらいたいと、インテリアはおしゃれな和風モダン。乳児を寝かせられる掘りごたつの席もあります。

  2つ目は、2010年に福井市内からの移住者が、古民家を改築してつくった「Cafe Name came ono)。[人や文化のつながりが生まれる場所を]と、カフエづくりの過程でも、店名のアイデアや食器選び、改装作業を地元の人と一緒につくりあげました。主婦や若者が独自で企画したヨガ教室や赤ちゃんマッサージ講座も開催される、地域コミュニティの中心のようなスペースです。

  3つ目は、地元出身の若者が東京から戻り起業した、豆や焙煎方法にこだわり本格的なコーヒーを楽しめるカフエ「モモンガコーヒー」です。店主(通称:マッキー)は大学進学を機に上京、大手電機メーカーに就職しました。「何もない大野が嫌いで、家庭の事情で帰郷したんですが、東京に戻りたくて仕方がなかった」と。そんな時、何気なく訪れた地域の祭を同年代の若者たちが仕切っていることに衝撃を受けたとのこと。その後、同級生に誘われて参加した街の活性化ワークショップで、Fマッキーは何をしたいの?jと聞かれて「大野でコーヒーショップをやるjと宣言したところ、「応援するよ!」とみんなに背中を押されてあれやこれやと開店。どんどん友人の輪が広がり、仲間みんなの手づくりで内装、メニュー、紹介映像までつくり、2014年春にオープンしました。お店は地域の人でいっぱいで、「忙しすぎて倒れそうだ(笑)jと話してくれました。

  こうした3つの特徴を持つ仕事は必ずしも女性だけが力を発揮できるものではありません。しかし、少量で手作業の仕事は、時間や場所の融通が効きやすく、子育てと両立しやすい側面があります。新しいコミュニティに入り込み、関係を築くことが上手な人は女性に多い印象です。女性がより活躍できる機会が多い仕事ではないでしょうか。



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