未唯への手紙

未唯への手紙

前立腺の検査の検査の検査で年休にしました

2009年03月31日 | 7.生活
未唯へ。今日も年休です。前立腺関係で、二日目です。PSAの数値の再検の結果を医師から聞いて、生体検査の実施を決めることになっています。メール、電話で十分だと思うけど、「患者」だから、従うしかないというのも、おかしいと思いつつも、年休です。

8時半の予約であったが、始まったのは9時前。PSAの結果は名古屋診療所の同じ数字であったので、生体検査を実施することにしました。医者からは、この数字ならば、「来年の診断結果で決めてもいい」という話もあったが、「定年」の影がチラホラするので、おとなしく受診することにしました。

「定年」に伴う「再雇用」の前提が産業医による健康診断です。つまり、産業医が「×」と判断すると即退職になります。ということで、私としては珍しく、組織に従うことにしました。

「生体検査」は入院検査になるので、個室にするか、4人部屋にするかの判断を求められました。2年前は個室でゆったりできたけど、個室は1泊で10,500円かかります。この時期なので、保険だけの4人部屋にしました。早速、奥さんに電話したけど、「無反応」です。私の存在自体に関心はなさそうです。

2年前と異なり、「検査入院」するだけでも、心電図、胸のレントゲン、鼻腔の検査の三つが必要ということで、3か所を回りました。朝一番だったので、30分ですみました。つまり、検査の検査の検査を行ってきました。

「生体検査」というのは、前立腺に対して、物理的に針を刺して、サンプリングするものです。2年前は8発と聞いていたが、失敗したみたいで、10発以上打っていました。今回は綿密な検査ということで、2,3発余分にやるそうです。

結局、終わったのは10時でした。半日年休で午後出社することは可能でしたが、4月からの活動に備えて、準備を午後から家で行うことにしました。

豊田駅前のスタバで昼食にしました。来月から就職するYUKさんが最終日に当たります。最後に出ているかと、思ったけど、さすがにギリギリまでは出ていませんね。妹さんとはお話できたが、日曜日には店が忙しくて、目だけのあいさつになってしまった。

YUKさんほど、朝から元気なバリスタさんはいませんでした。正社員になっても大きな声で、頑張ってください。くれぐれもアルバイトは手を出さないように。スタバのお客さん同士で会いましょう。

「縁」を感じる時は、ことをなす時です

2009年03月30日 | 2.数学
未唯へ。偶然での出会いを感じています。人付き合いの少ない私には、「偶然」は大事です。「偶然は必然」だと思っています。「偶然」が重なる時は、「やれ!」というミッションを感じて行います。

ポータルに様々な知恵を出してもらったAKAさんの送別会?を行いました(女性にやってもらった。感謝!)。昼休みの1時間での心に残る会食です。

ポータルの開発で、画面の色をチャネルカラーにする時に、シミュレーション環境を作って、我々と一緒に検討しながら作り上げてもらってことが、私には印象に残っています。とかく、ソフト会社のSEはデータだけで勝負しようとします。それを感性を前面に出して、決定できる人は初めてでした。

ポータルの展開についても、感性で販売店にアプローチできる人が欲しかった。私の周りには、このスタンスを持っている人が少ないです。お金で依頼した広告会社の人も、頼りなかった。今後、「作る」ことよりも「使う」ことが主流になるときに、感性は重要な資質です。

彼女の年齢には驚きました。28歳だそうです。この若さがあれば、彼女の才能なら、何でもできます。24歳の時に結婚・出産ということは、23歳の未唯なら、「来年!」ですよね。私には想像つきませんね。

産休と産休の間にポータルを手伝ってもらったことになります。ちょっと、ずれれば、会うこともなかったのですね。幸運ですね。

大学のSIK教授にも同じ思いを持っています。皆は大学生活はつまらないというけど、私はSIK教授に会えて、トポロジーに会えて、よかった。自分なりの「真理」のヒントがつかめました。

SIKさんが32歳で名大数学科に赴任してきた年に、入試に公式集を見てもいいことになったのには因果関係があると思っています。おかげで、暗記が不得意な私は無事、入学できました。その予感を信じて、SIKゼミで考えていました。

私が卒業してまもなく、SIK教授はドイツの大学に変わって行かれました。数学を純粋に愛すると同時に、社会の現象、自然の現象を数学をつなげて考えていました。

前のISO室長にも「縁」を感じます。販売店インフラをはじめとして、さまざまなものを積み上げることができました。お互いにとって楽しい時と思っています。今の組織の連中に「縁」を感じないのは、なぜなのでしょうか。

図書館借出の2008年度集計速報が出ました

2009年03月29日 | 6.本
未唯へ。土曜日に豊田市中央図書館、今日は岡崎市中央図書館から新刊書を借りました。3月には、これ以上、借りる予定はないので、2008年4月~2009年3月まで借りた本の集計を行いました。

2008年度の借出冊数は1666冊で、金額換算で260万3800円でした。昨年度は1552冊で、278万3700円でした。過去最高の冊数です。内容は以下の通りです。

 大分類集計   冊数 率(08年) 率(07年)
  0 総記   200冊 12%  >  11%
  1 哲学   114冊  7%  >  6%
  2 歴史   154冊  9%  <  12%
  3 社会科学 472冊 29%  >  25%
  4 自然科学 113冊  7%  =  7%
  5 技術   140冊 8%  <  9%
  6 産業   144冊  9%  <  10%
  7 芸術    70冊  4%  =  4%
  8 言語    32冊  2%  =  2%
  9 文学   210冊 13%  =  13%

 ⇒傾向は変わらないですね。

 中分類ベストテン
  913 小説 94冊
  336 経営管理 83冊
  007 情報科学 68冊
  519 環境工学 39冊
  335 経営 36冊
  914 評論 35冊
  675 マーケティング 34冊
  159 人生訓 33冊
  361 社会学 33冊
  498 法医学 28冊

 ⇒ やはり、俗っぽいですね。

2001年からの累計は、10750冊で、1892万9200円です。なかなか2000万円にはならないですね。

2008年度の5大ニュースは、
 1.10月に2001年からの累計が1万冊を突破
 2.豊田市中央図書館は2001年以降、新刊書購入費用として年間1億3千万を維持してきたが、2009年以降、半減化の予定
 3.豊田市中央図書館を企画して、育ててきたMIU課長が定年退職
 4.年間累計がベスト1になる
 5.岡崎市立中央図書館のオープンにより、毎週日曜日に10冊借りる習慣ができた

2009年度は豊田市中央図書館からの借出冊数は週15冊にする予定です。岡崎は10冊を守ります。だから、今年度が私の最高記録です。

「未唯への手紙」の再構成を開始する準備を行っています

2009年03月28日 | 1.私
未唯へ。4月からの「考える」に向けて、準備をしています。今週の土日は、40冊の本をさばく、最後の週になります。読書に専念するつもりです。31日までに本を片づけて、本格的には4月1日から開始です。

10時から豊田市中央図書館で30冊を無事、借りました。11時からのオーガニック食べ放題に行くのは、食事制限のためにやめて、スタバで昼食しながら、本を読むことにしました。

スタバの入口にYUKさんの妹さんが居ました。「今日が最後です」と言葉をかけてくれました。バリスタのYUKさんから「妹です」と紹介された時は、高校生で、短大受験の勉強をスタバでしていました。その後、お姉さんと同じく、スタバでバリスタのアルバイトに励んでいました。

この4月から、就職ということで、今日が最後で、11時から6時までの7時間勤務だそうです。その直前に間に合いました。お姉さんと異なり、「話し相手のお客さんは少ない」とのこと。また、お客さんとして、スタバで会いましょう。3月は別れの季節ですね。

「未唯への手紙」の再構成を開始する体制が整いました。去年の10月以来です。昨日までに、半年分のブログの中身を「未唯への手紙」のパワーポイントに反映させていました。枚数は1.5倍になりました。「1.自分」78枚、「2.数学」41枚、「3.数学」88枚、「4.歴史」68枚、「5.仕事」133枚、「6.本」68枚、「7.生活」77枚、そして全体シナリオの「未唯」36枚の計599枚です。これらから「結論」を出します。

「未唯への手紙」は(TG⇒AG⇒TL⇒AL)×(TG⇒AG⇒TL⇒AL)の2重らせん構造になっているので、1か所をいじると全体の構成に影響します。いじるには覚悟と勇気が必要です。私の場合は、いじれば、いじるほど、シンプルになっていく傾向にあります。だから、半年間、躊躇していたが、「定年」まで1年を切ったので、自分の中の区切りのために、再構成することにしました。その結果を「仕事」での実験につなげ、他の分野に拡大させます。

再構成の始まりとして、「3.社会」の全体構成を検討しました。(TG⇒AG⇒TL⇒AL)を分かりやすく、「小さく考え」、「実行し」、「大きく考え」、「支援する」のように表現できるようにしました。あと、5回ぐらいの推敲が必要です。4月中に年内の目途をつけます。

「二重らせん」でのグランドデザイン 

2009年03月27日 | 3.社会
未唯へ。本当に、いつまでも寒いです。朝、蒲団から出られずに。ビデオを見ていました。こういう時は、部屋の片づけしたくなります。机の周りはできすけど、部屋の片隅に積み上げられた服がきになります。

全て、捨てるぐらいしか思いつきません。そこで決めました。服を片づけるのは奥さんに任せることにします。死んだ時にどっちみち、全て捨てるでしょうから。悩むのはやめて、部屋の風景にします。

NHKの5時間に及ぶ深夜番組を録画しました。NHKの決算のための参議院での審議の模様を延々と流していました。意味が分からない。次は衆議院でもやるみたいです。自分たちの道具(マスメディア)の無駄使いです。

電算部からのSa-ポータル遅延問題の解説がありました。簡単なことを難しい説明をしていました。要するに、自分たちの限界だから、勘弁してくれということみたいです。

今回のことで分かったのは、電算部がシステムの「プロ」でないことということです。「プロ」は課題を達成するまで、絶対にあきらめません。自分の勘を信じて、「できる」というイメージを常に持って、課題を達成します。

ということで、ライブラリに本格的に取り掛かります。「未唯への手紙」のロジック見直しで、数学・社会・歴史の分野で、明確に「二重らせん」の構造が見えてきました。これは(TG→AG→TL→AL)という項目の中に、(TG→AG→TL→AL)が存在するという考えです。要するにDNAの「二重らせん」です。

これを、{ポータル、メール、ライブラリ}からなる情報共有に当てはめようとしています。これができれば、販売店システムのグランド・セオリーが完成します。詳細での動きと全体の関係を理論づけることができます。

DNAの「二重らせん」の構造図のカタチは明確に分かります。何しろ、その中に入っていたからです。2005年の愛知万博のリトアニア館のテーマが「二重らせん」でした。「二重らせん」と「変なビデオ」と「通訳の女性(インドレ バロニアさん)」にハマって、25日間通いました。

9月25日の最終日のラストも「二重らせん」の中に居て、一緒に写真を撮りました。おかげで、「二重らせん」の明確なイメージを持つことができると同時に、リトアニアへの思いができました。それをカタチにするときです。偶然のつながりを信じていこう。

衆愚政治は理念のない独裁政治に飲み込まれます

2009年03月26日 | 4.歴史
未唯へ。陪審員制度が始まりますね。本当に、現在の市民に任せて大丈夫なのでしょうかね。政治のだらしなさとか、日本の将来方向を考えないままにに、マスメディアに乗って、ウロウロとしています。衆愚政治を絵に描いたような状況が続いています。

政府にしても、理念がありません。オバマ大統領が理念を持って、やっていることのカタチを真似て、日本の将来を考えずに、お金を出せば、国民が自分たちを支持してくれるという“自信”を持ち出している。法廷で、陪審員に受けることだけをしているようなものです。

ナチスの政策は右翼的に見られますが、1930年代の政治スローガンは左翼的な政策も多く混ざっています。国民(ユダヤ人以外の)が喜ぶのであれば、どんな政策でも約束していました。政権を奪取したら、ひっくり返せばいいという割り切りがヒットラーの中にはありました。それが見事に成功しました。気付いた時は監獄国家であり、収容所国家になっていた。

やはり、将来へのビジョンを国民一人ひとりが自分の言葉でもたないといけません。


4月から、Sa-ライブラリを展開するに当たり、、「未唯への手紙」のグランド・セオリーがないと、自信を持って、販売店に提案できない。その場その場の対応になってしまう。ということで、「未唯への手紙」に集中することにしました。

逆に言うと、ライブラリを「未唯の手紙」のグランド・セオリーのベースにしていきます。具体的な効果とともに。事例にして提示します。このことを黙ってやっているのではなく、ブログでは明確に述べていきます。私の存在理由そのものです。

グランド。セオリーのようなものは、時間をかけると、「ろくなものがでもない」というのが私の持論です。

基幹系で時間をかけて作っているシステムは、使われることを誰も想定していません。作るのに汲々として、作る人と頼む人と頼まれる人とのコミュニケ--ションのためのコミュニケーションのための会議ばかり行っています。それで時間が過ぎていきます。


元町工場のサウナで体重計測したけど、減っていません。どうしたら減るのでしょうか。朝食を減らしているけど、ストレスがたまると、売店でビターのチョコレートを買って、食べ始めます。

ストレスに対して、体が求めてきます。ふつうの人は酒とか煙草に逃げるのでしょうね。

初恋の女性に似ているAKAさん、ご協力感謝します

2009年03月25日 | 1.私
未唯へ。なかなか暖かくならないですね、今日は34階のラウンジからは太陽は見えないけど、太陽は確かにそこにあります。陽はまた昇る。

「派遣切り」とか「100年に一度」とかの言葉が出てくると、完全に白けています。誰かが言ったことをそのまま言葉にしています。実体とつながらないことばかりです。

100年に一度の災害にしても、起こるべきして起こっているし、メーカーはそれに加担しています。その方向を変えるべきなのに、変えようとしていません。加速しようとしています。

100年生きてきたのか、100年前を知っているのか、歴史をどこまで理解しているのか、歴史観を自分で作り上げてきたのか。その言葉で、「変える」チャンスをなくしていきます。自分の言葉にするか、自分の思いにしないとマスメディアに騙されます。

現状は、太平洋戦争の敗戦時に比べれば、大したことではない。人間はそんなに死んでいないし、自由はあるし、「保障」とか、相手をしてくれる人はそれなりにいます。

この60年間、日本は正式は戦争をしていないけど、自分の言葉を持たずに、マスメディアに騙されていると、自由がどんどんなくなり、戦争状態になります。グローバルとグローバルの戦争、ローカルとローカルの戦争、そして最悪のグローバルとローカルの戦争(つまり、虐殺とテロの戦争)になります。

今は、人が多様に生きられ、地域が多様に生きられ、国が多様に生きられるために、ローカルでの循環とグローバルとの循環する方向に向けていかないといけません、

私としては、それらの循環を販売現場で作りだした上で。お客様との循環と、メーカーとの循環をつなげていくことで、グローバルとローカルの協調関係がイメージできるようになります。

ソフトメーカーのAKAさんが2年間の産休に入るそうです。45年前の初恋の女性に似ている、素敵な女性です。

頭が良くて、。知恵に溢れています、それをカタチにして見せてくれます。システムメーカーの中で唯一、私が信頼しているSEです。おかげで、販売店の皆に色々なものを作り上げることができました。

女性の企画で昼食会を開くことになりました。本当にありがたいです。その時は、いろいろなおしゃべりしましょうね。

今の日本にとっては、システムを作るよりも赤ん坊を作る方が必要。かも。

自己同型の世界に向かいます

2009年03月24日 | 2.数学
未唯へ。久しぶりの会社です。いつものように、7時40分に到着して、34階のラウンジのシャッターを全開にして、太陽の光を浴びていました。栄方面には、テレビ塔も含めて、ここより高いビルはありません。

今の私にとって、太陽が一番の味方です。なぜ、そうも暖かいのか、なぜ、そうも輝けるのか。何のために太陽は生まれているのか。それは私のためです。

アメリカ・インディアンの「One day, One life. Everyday, New day」がまた浮かんできました。

4日間で、43冊の本と溜まっていた情報処理が片付きました。だから、今日はマイナス・スタートではなく、ゼロからのスタートです。矛盾しているけど、〝有り余る〟時間を無駄に使わないようにしよう。考える時間を主体に生きていこう。太陽の光を浴びながら、そんなことを考えていた。

「未唯への手紙」のロジックの完成を急ぎます。ミッションを達成します。そのために、行動パターンをシンプルにします。土日を含んだ、午前・午後の3時~5時をそのための時間に当てることにしました。名づけて、「3-5作戦」です。名前から入るのが私のパターンです。

4月からは図書館から借りる本を半減するので、時間が空きます。土曜日の8時~12時は病院、豊田市立図書館、駅前のスタバ、日曜日の8時~12時は岡崎市立図書館、老人ホームに固定して、その他の時間を読書と振り分けます。

あわせて、情報収集の効率化を図ります。ビデオとデジカメを本と同じ位置づけにします。ビデオはパソコン操作する時のバックグランドにして、内容のチェックを行い、気になることは、音はなくして、字幕内容を雑記帳に入力します。デジカメは本を読んだ時に、気になる文章を撮ります。それをOCR化して、雑記帳に情報として入れます。

仕事の方は、ライブラリのお試し環境の「サファイア事務局」の中に「グループでのコミュニティ」を作り上げることに専念します。これを5月以降の販売店へのプレゼンの武器にしていきます。

説明する内容そのものを説明する環境上に作り出すということです。これは数学で言う「自己同型」です。循環の基本となるものです。「自己同型」の考え方は好きでした。ローカルであったものがグローバルになり、グローバルがローカルになる世界。そこから無限を感じました。

休んで、泌尿器科へ。とりあえず、先送り

2009年03月23日 | 7.生活
未唯へ。今日は年休をとって、総合病院の泌尿器科へ行ってきました。事前に会社の産業医からの紹介状と診察時間の予約を取りました。12時半からなので、朝6時から10時過ぎまで本の処理を行っていました。

12時前に到着して、受け付けをしました。2年前に検査を受けた場所なので、様子はわかっています。電光掲示板には40分遅れになっていたので、日当りのいい場所で読書していたら、近くで若い男性がケータイを掛け始めました。傍には奥さんらしい人が立っていました。

内容は深刻そうです。声は抑えているけど、隣で話しているので、自然に聞こえてきます。検査結果がかなりの悪いみたいで、会社を長期で休まないといけない。遠慮しながら、先行きの不安を抱えて、電話していました。奥さんも心配そうです。病気と会社の関係が複雑になり、安心できない社会になりつつあります。

そういう電話をかける人が二人続いたので、その場を離れ、電光掲示板の真下に移動しました。

診察の方は10分で終了。一回のPSAの値では決めかねるので、この病院で再度、検査して、その値で精密検査するかどうかを決めるということです。あの精密検査は避けたいので、同意しました。

来週、血液検査の結果は、メールとか電話ではダメだということで、直接聞きに来ることになりました。融通がきかないですね。

前立腺が「ガン」か、「肥大」なのかは触れば、ベテランならば分かるのだから、数字だけでなく、患部に触って判断すればいいと思ったけど、場所が場所だけに「触ってくれ」とは自分からは言えなかった。

帰り際に、泌尿器科の看護婦さんから「KOZさんは元気ですか」と聞かれました。2年間に私が話したことをキッチリ覚えていました。そんなにインパクトがあるのかな。

2時には、家に帰ってきたので、本はしっかりと読めたし、OCR作業も順調に進みました。今週は調子に乗って、45冊借りた本のうち、43冊を返却可能にできました。

OCRをしながら、録画した番組を聞いていて、「スマート・グリッド」という考え方が気になりました。電子自動車のバッテリーをネットワークでつないで、やり取りをするというものです。クルマそのものが発電機としてみる、電力系のネットワークを作り上げるというものです。

その時に、販売店は電力供給会社に変わっていきます。

「サファイア事務局」という名前はどうでしょう

2009年03月22日 | 3.社会
未唯へ。老人ホームの母親のところで、双子ちゃんがお墓の前と、仏壇の前で拝んでいる写真を見せました。喜んでいました。

午後からは豊田市で、昨日に引き続き、「街フェスタ」の観察です。今日は天気が悪く、市民の姿はありません。

「とよた元気プロジェクト」の広場はクルマ販売と山間部産品の売り子しかいません。そんなところに近づく市民はいません。

ビルとビルの間にテントを張って、エコットが「営業」していました。関係者だけだと緊張感がなくなるからということで、「街歩き」の発表会に出ることになりました。

「街歩き」は、街の色々な場所を出かけ、話を聞いて、マップにするという企画です。応募が少なくて、スタッフだけの「街歩き」になってしまったらしい。

NPOのスタッフと学生、インタープリターで構成されていたが、若者の覇気がないのが気になりました。空気を読んで、覇気をなくしていたのでしょう。そういう空気を作り上げたNPOの責任です。

そういうNPOを支援する、「サファイア事務局」という「組織」を作りたいと痛感しました。

豊田市環境学習施設の名称応募の時に「さあ!」という名前を提案しました。表向きの意味は「さあ!始めよう」のキッカケの場所を示している。

もう一つの意味は、仕事上でのSa-ネット、ポータルなどの頭文字「Sa-」を日本語化したものです。結果は、かわいらしい「エコ」の「エコット」です。NPOの行動が「エコ」に規定されてしまい、活動が拡がりません。

ライブラリのお試し環境に、「サファイア事務局」を作りました。これが気に入っています。お試し期間が過ぎても、メーカーと販売店のシステム担当者の「コミュニティ」にしていきます。

この名前は市民活動にも使えます。趣旨を説明する時に、「サファイア循環」の理念に触れることもできるし、目的をサファイアにしてしまえば、何でも口出しできる。社会・本・数学・歴史から出てくる全てが対象にできます。

趣旨は「グローバルのグローバルから、ローカルのローカル」に支援します。グローバル・アクトをローカル・シンクにつなげることで、ローカル・アクトの声をグローバル・シンクに伝えて、循環を作り出すということです。

そこには人数ではなく、考えることが主体になれます。要するに、一人でもOKです。