『大震災後の日本経済』より
今後の日本産業の中核となるべき「高付加価値のサービス産業」とは、高度の知識をベースとした新しいサービス業である。具体的には、金融業(投資銀行業務、証券・商品投資、ファンド・信託)、経営コンサルタント、コンピ‘ューターシステムデザィン、コンピュータ関連サービス、情報データ処理、法曹などだ。
一九九〇年代からの経済パフォーマンスにおいて日本とアメリカの間に大きな差が生じた基本的原因は、アメリカでこうした産業が発展し、日本で発展しなかったことである。
九〇年代後半から、日米両国において製造業の雇用が減少した。これは、中国をはじめとする新興国の工業化がもたらした必然の結果である。しかし、アメリカでは、この間に先端的金融業やITを活用したビジネス支援産業が成長し、雇用を生んだ。ビジネス支援は、ィンターネットの普及につれて広がった。最近では、ウェブを利用する「クラウドサービス」が成長している。セールスフォースのような新しい企業が登場しているし、IBMのような伝統的な企業も、メーカーからサービス提供に事業の中心を移した。この分野の所得は製造業のそれより高いので、経済全体の所得が高まった。
それに対して、日本で雇用を引き受けたのは、小売り、飲食、その他の対人サービスなど、生産性が低いサービス産業だった。この分野の所得は製造業のそれより低いので、経済全体の所得が低下した。九〇年代後半以降の日本経済が停滞し、一人あたりGDPの順位が世界の先進国の中で低下したのは、このためである。
日本で先端的なサービス産業の成長を阻害しているのは、つぎの諸要因だ。
第一は、(とくに通信分野での)規制。第二は、大企業がすべての業務を自社内で行ない、外部のサービスを利用しないこと(業務のアウトソーシングをしないこと)。第三は、専門的な人材の不足だ。
日本の経済政策は、新しい産業を育てるための条件整備ではなく、古い産業の需要を増やすことを目的とするものが中心だった。新しい産業にとって「資本」はさして重要ではないので、「重点分野育成」などと言って金融的措置を行なっても、この分野の成長は促進されない。本当に必要なのは、専門家の育成である。
現実に行なわれた経済政策は、製造業の後退を食い止めるための需要喚起策だった。なかでも重要なのは、金融緩和と為替介入によって円安を実現し、それによって製造業の輸出を支えたことだ。この政策は、二〇〇二年以降の外需依存経済成長をもたらした。○七年頃までは、この方向が成功するかに見えた。しかし、経済危機によって頓挫した。これは継続可能なものではなかったのである。
経済危機後も、日本の経済政策は、製造業の後退を食い止めることを目的とした。まず、エコカー購入支援策や家電製品に対するエコポイント制度によって、製造業製品に対する需要を喚起した。さらに、雇用調整助成金によって、製造業に発生した過剰雇用を企業内に押し留め、失業として顕在化させないことが目的とされた。しかし、これらは長期的観点から見て望ましい方向に日本経済を誘導するものではなかった。
大震災後、高生産性サービス業を発達させる必要性は、焦眉の急になった。したがって、経済政策をそれと整合的なものに転換する必要がある。これまで行なわれてきた金融緩和と円安政策、そして法人税減税などの政策体系からは、脱却する必要がある。これらは、現存する供給能力を所与とし、それに対して需要を与えることが目的だ。しかし、これでは経済構造は変わらないし、政策が成功しても、現存する供給能力が成長のリミットになる。
新しい供給能力を作ることによって、潜在的な需要を顕在化させることが重要だ。この場合には、経済構造が変化し、成長のリミットはない。両者の違いは大変大きいのである。
今後の日本産業の中核となるべき「高付加価値のサービス産業」とは、高度の知識をベースとした新しいサービス業である。具体的には、金融業(投資銀行業務、証券・商品投資、ファンド・信託)、経営コンサルタント、コンピ‘ューターシステムデザィン、コンピュータ関連サービス、情報データ処理、法曹などだ。
一九九〇年代からの経済パフォーマンスにおいて日本とアメリカの間に大きな差が生じた基本的原因は、アメリカでこうした産業が発展し、日本で発展しなかったことである。
九〇年代後半から、日米両国において製造業の雇用が減少した。これは、中国をはじめとする新興国の工業化がもたらした必然の結果である。しかし、アメリカでは、この間に先端的金融業やITを活用したビジネス支援産業が成長し、雇用を生んだ。ビジネス支援は、ィンターネットの普及につれて広がった。最近では、ウェブを利用する「クラウドサービス」が成長している。セールスフォースのような新しい企業が登場しているし、IBMのような伝統的な企業も、メーカーからサービス提供に事業の中心を移した。この分野の所得は製造業のそれより高いので、経済全体の所得が高まった。
それに対して、日本で雇用を引き受けたのは、小売り、飲食、その他の対人サービスなど、生産性が低いサービス産業だった。この分野の所得は製造業のそれより低いので、経済全体の所得が低下した。九〇年代後半以降の日本経済が停滞し、一人あたりGDPの順位が世界の先進国の中で低下したのは、このためである。
日本で先端的なサービス産業の成長を阻害しているのは、つぎの諸要因だ。
第一は、(とくに通信分野での)規制。第二は、大企業がすべての業務を自社内で行ない、外部のサービスを利用しないこと(業務のアウトソーシングをしないこと)。第三は、専門的な人材の不足だ。
日本の経済政策は、新しい産業を育てるための条件整備ではなく、古い産業の需要を増やすことを目的とするものが中心だった。新しい産業にとって「資本」はさして重要ではないので、「重点分野育成」などと言って金融的措置を行なっても、この分野の成長は促進されない。本当に必要なのは、専門家の育成である。
現実に行なわれた経済政策は、製造業の後退を食い止めるための需要喚起策だった。なかでも重要なのは、金融緩和と為替介入によって円安を実現し、それによって製造業の輸出を支えたことだ。この政策は、二〇〇二年以降の外需依存経済成長をもたらした。○七年頃までは、この方向が成功するかに見えた。しかし、経済危機によって頓挫した。これは継続可能なものではなかったのである。
経済危機後も、日本の経済政策は、製造業の後退を食い止めることを目的とした。まず、エコカー購入支援策や家電製品に対するエコポイント制度によって、製造業製品に対する需要を喚起した。さらに、雇用調整助成金によって、製造業に発生した過剰雇用を企業内に押し留め、失業として顕在化させないことが目的とされた。しかし、これらは長期的観点から見て望ましい方向に日本経済を誘導するものではなかった。
大震災後、高生産性サービス業を発達させる必要性は、焦眉の急になった。したがって、経済政策をそれと整合的なものに転換する必要がある。これまで行なわれてきた金融緩和と円安政策、そして法人税減税などの政策体系からは、脱却する必要がある。これらは、現存する供給能力を所与とし、それに対して需要を与えることが目的だ。しかし、これでは経済構造は変わらないし、政策が成功しても、現存する供給能力が成長のリミットになる。
新しい供給能力を作ることによって、潜在的な需要を顕在化させることが重要だ。この場合には、経済構造が変化し、成長のリミットはない。両者の違いは大変大きいのである。