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未来のリーディング産業は高度サービス産業

『大震災後の日本経済』より

今後の日本産業の中核となるべき「高付加価値のサービス産業」とは、高度の知識をベースとした新しいサービス業である。具体的には、金融業(投資銀行業務、証券・商品投資、ファンド・信託)、経営コンサルタント、コンピ‘ューターシステムデザィン、コンピュータ関連サービス、情報データ処理、法曹などだ。

一九九〇年代からの経済パフォーマンスにおいて日本とアメリカの間に大きな差が生じた基本的原因は、アメリカでこうした産業が発展し、日本で発展しなかったことである。

九〇年代後半から、日米両国において製造業の雇用が減少した。これは、中国をはじめとする新興国の工業化がもたらした必然の結果である。しかし、アメリカでは、この間に先端的金融業やITを活用したビジネス支援産業が成長し、雇用を生んだ。ビジネス支援は、ィンターネットの普及につれて広がった。最近では、ウェブを利用する「クラウドサービス」が成長している。セールスフォースのような新しい企業が登場しているし、IBMのような伝統的な企業も、メーカーからサービス提供に事業の中心を移した。この分野の所得は製造業のそれより高いので、経済全体の所得が高まった。

それに対して、日本で雇用を引き受けたのは、小売り、飲食、その他の対人サービスなど、生産性が低いサービス産業だった。この分野の所得は製造業のそれより低いので、経済全体の所得が低下した。九〇年代後半以降の日本経済が停滞し、一人あたりGDPの順位が世界の先進国の中で低下したのは、このためである。

日本で先端的なサービス産業の成長を阻害しているのは、つぎの諸要因だ。

第一は、(とくに通信分野での)規制。第二は、大企業がすべての業務を自社内で行ない、外部のサービスを利用しないこと(業務のアウトソーシングをしないこと)。第三は、専門的な人材の不足だ。

日本の経済政策は、新しい産業を育てるための条件整備ではなく、古い産業の需要を増やすことを目的とするものが中心だった。新しい産業にとって「資本」はさして重要ではないので、「重点分野育成」などと言って金融的措置を行なっても、この分野の成長は促進されない。本当に必要なのは、専門家の育成である。

現実に行なわれた経済政策は、製造業の後退を食い止めるための需要喚起策だった。なかでも重要なのは、金融緩和と為替介入によって円安を実現し、それによって製造業の輸出を支えたことだ。この政策は、二〇〇二年以降の外需依存経済成長をもたらした。○七年頃までは、この方向が成功するかに見えた。しかし、経済危機によって頓挫した。これは継続可能なものではなかったのである。

経済危機後も、日本の経済政策は、製造業の後退を食い止めることを目的とした。まず、エコカー購入支援策や家電製品に対するエコポイント制度によって、製造業製品に対する需要を喚起した。さらに、雇用調整助成金によって、製造業に発生した過剰雇用を企業内に押し留め、失業として顕在化させないことが目的とされた。しかし、これらは長期的観点から見て望ましい方向に日本経済を誘導するものではなかった。

大震災後、高生産性サービス業を発達させる必要性は、焦眉の急になった。したがって、経済政策をそれと整合的なものに転換する必要がある。これまで行なわれてきた金融緩和と円安政策、そして法人税減税などの政策体系からは、脱却する必要がある。これらは、現存する供給能力を所与とし、それに対して需要を与えることが目的だ。しかし、これでは経済構造は変わらないし、政策が成功しても、現存する供給能力が成長のリミットになる。

新しい供給能力を作ることによって、潜在的な需要を顕在化させることが重要だ。この場合には、経済構造が変化し、成長のリミットはない。両者の違いは大変大きいのである。
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転換型と復旧型のマクロ的な資源配分の違い

『大震災後の日本経済』より

以上で述べた復興の方向を「転換型」と呼ぶこととしよう。それに対して、元の姿を復元するのを「復旧型」と呼ぼう。これらは、何か違うのか?

転換型の復興を選択した場合の日本の産業構造は、これまでの製造業中心のものから、サービス産業中心のものへと大きく転換する。後で述べるように、輸入に必要な外貨は、サービス産業が稼ぎ出す。あるいは、対外資産の運用利回りを高めたり、海外生産活動の利益が日本に還流したりして所得収支の黒字が増大することによって賄うのだ(あるいは、対外資産を取り崩す)。

ただし、転換型では、つぎの二点で問題が生じる。

第一に、国内の雇用が失われる。第二に、下請けの中小企業について問題が起こりうる。これらを解決することが、「転換型」をとる場合の経済政策の課題である。

第一に必要なのは、雇用の確保である。介護分野の有効求人倍率は一を超えており、現在の日本で大量の雇用を創出できるほぼ唯一の分野だ。ここに人が集まらないのは、規制のために賃金が低く抑えられているからである。製造業が海外移転したあとの日本で雇用を量的に確保するには、介護部門での規制緩和を図り、ここに大量の雇用機会を創出することが必要だ。

長期的に見た場合には、もちろんこれだけでは十分でない。後で述べるように、先端金融産業など、生産性の高いサービス産業の成長環境を整えることが重要だ。とくに重要なのは、高度な専門能力を持った人材の育成である。こうした政策の効果は、すぐに表れるわけではない。しかし、日本経済の構造改革のためには、最も基本的な戦略的手段だ。これまで行なわれてきた需要追加策から脱却し、この方向に向けて経済政策を転換することが必要だ。それを実現できるか否かが、日本経済の命運を決める。

今後数年間は、東北地方で社会資本や住宅を復旧するための仕事が増えるので、かなりの雇用が創出されるだろう。その問に、国内でサービス産業を立ち上げ、新たな雇用を創出することが必要だ。中小企業については、海外移転を支援する政策が行なわれてもよい。

では、「復旧型」の復興、すなわち、製造業をこれまで同様、国内に留め置く方向が選択された場合には、どうなるか。

マクロ的な資源配分は「転換型」とは異なるものになる。まず、電力価格が上昇し、これが国民生活にも波及する。製造業の製品については、国際的なマーケットで製品価格が規定されるので、メーカーはコスト上昇を製品価格に転嫁できず、利益が減少する。また、金利上昇圧力を軽減するために金融緩和がなされれば、一般的なインフレ圧力が高まる。これは円安を引き起こし、輸入物価を高め、インフレ圧力をさらに高めるだろう。なお、この円安は国内物価上昇を反映したものなので実質円レートが円安になるわけではなく、したがって輸出産業の競争力を高めることはない。

国内の雇用問題や中小企業の問題が軽減されるとの期待から、実際には、復旧型が選択される可能性が高い。しかし、それはこのような問題を含むことを認識すべきである。

「復旧型」をとるか、それとも「転換型」をとるか。これが、復興政策における最重要の選択である。
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復旧でなく新しいものを作る

『大震災後の日本経済』より

通常、「復興」とは「復旧」を意味する。つまり、災害前にあったものの「再建」である。被災地で損害を受けたり失われた社会資本や住宅の大部分は、元のものを元の場所に復旧する必要がある。

しかし、工場等の生産設備については、必ずしもそうではない。今回の震災で損害を被った生産設備を元の場所に再建することは、必ずしも必要ない。また、条件いかんによっては、望ましくもない。

現実世界での経済政策は、「白紙に絵を描く」ようには構想できないのが普通である。現に存在しているものの利害を考えざるを得ないからだ。産業構造についても、「変革が必要」とわかっていても、現に存在している産業を縮小することは難しい。「手術が必要」とわかっていても。痛み止めの注射で何とか凌いでいこうというのと同じだ。しかし、束日本大震災が経済に与えた影響はきわめて大きなものであったため、ある意味では、「白紙に描く」のと近い状況になっている。

第二次大戦後、イギリスには戦前からの古い設備が残った。しかし、日本や西ドイツでは、戦争によって生産設備の大半が破壊されたので、新しいものを建設せざるを得なかった。つまり、イギリスは過去からの伝統に縛られていたのに対して、日独両国では、「白紙に絵を描く」ことができた。この違いが、その後の経済成長に影響を与えた。日本の場合には、一九四七年から行なわれた「傾斜生産方式」によって、重化学工業を中核とする産業構造の基盤が作られた。

それと似た状況が、いま生じている。災害による設備の破壊はきわめて甚大な損失であったが、それを、経済構造を変革するためのテコに転化することも可能なのだ。つまり、「災いを転じて福となす」ことが可能なのである。

もちろん、日本は計画経済ではないので、政府が青写真を描いてそれを強制するわけではない。価格によって、復興の方向が誘導されるのである。とくに重要な価格は、電力価格、金利、および為替レートだ。これらがどう動くかによって、将来の産業構造が規定される。

ただし、政策によって積極的に方向付けをできる部分もある。とくに公的金融がどのような方向をとるかは、産業の復興方向にかなりの影響を与える。そして、将来の産業構造は、これによって大きな影響を受ける。

したがって、政策当局は、いま的確な見通しを持つ必要がある。そして、将来に向かっての方向付けを、できるだけ早い時点で決定する必要がある。復興の青写真が早期に明らかになれば、企業の方針をそれと整合的なものとすることができ、無駄を避けることができるだろう。

「日本人頑張れ」という言葉が、雑誌などによく登場する。そのとおりだ。「復旧ではなく復興」と言われるのも、そのとおりだ。

しかし、問題はどの方に向かって、どのような復興をするかなのだ。方向が正しくなければ頑張っても無駄になる。方向を示さずに「復旧より復興」と言うだけでは、無意味である。

選択する方向は、経済的に合理的なものでなければならない。合理性はいつでも必要なことだが、いま行なうべき選択については、ことさら必要なことだ。
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次期ネットのコンセプトは4つからなる

次期ネットのコンセプトは以下の4つからなる。語る相手によって、替えていく。

次期ネットのコンセプト

 a.1 次期ネットのコンセプト

  次期ネットのコンセプトは色々な思いと将来への対応を考慮している。その時にネットワークが邪魔をせずに、自然に出来ていくようにする。

 a.1.1 ネットワーク会社&キャリアにとってのコンセプト

  1 全国販売店を光で均一につなげる

  2 店舗内LANまでをサポートする

  3 さまざまな無線環境を提供する

  4 大量データ処理のプル・プッシュを可能にする

 a.1.1 2 その結果として、ネット会社からの販売店支援会社に変わっていく

  キャリアも含めて、単なるネットだけを扱っていては、将来性がない。サービスを提供する方向に目指す。

 a.1.2 販売店でのネットワークの利点

  1 店舗回線・本社回線の料金を安くする

  2 同一回線で電話にも対応することでコスト削減

  3 店舗環境を容易に工夫できるようにする

  4 自社対応で他社との差別化を可能にする

 a.1.2 3 当り前にできることは当り前に行う

  販売店は、インターネット環境の中にいるので、社会の変化に乗り遅れないようにさせていく。世の中で当り前にできることは対応できるネットワークを提供する。

 a.1.3 次期システムとの関係

  1 基幹系システムはハードなどが高くなっている。余分なハードをなくし、今時の安い端末などを使うことで、コスト削減を図る

  2 新規開発システムはお客様との接点が中心になっている。クラウドなどを活用できる環境で、販売店での工夫を可能にする。

  3 タブレット、GPS、映像コンテンツなどのインターネット技術を当たり前のように使えるようにする。

  4 基幹系の中核部分を変えない代わりに、将来を見越して、周辺部分を使いやすいモノして、販売店にアピールする。

 a.1.3 4 基幹系の再構成

  OS問題だけではなく、社会に対応する方法に苦慮している。ネットワークの力でできることを提案して、開発担当者に考えてもらう。

 a.1.4 将来対応

  1 ライブラリ配置:基幹系のお客様状況、メーカーから販売店への情報提供、メーカー内での情報共有などをポータル・ライブラリでコントロールする。

  2 SNSとの接続:お客様との情報共有を行うこと。商品からのチャッターなどを統合的に考えていく。

  3 メーカーとの接続:メーカーからお客様につながる部分に、販売店・店舗・スタッフを織り込むにはネットワークがベースになる。

  4 コラボレーション:お客様の声をスタッフが理解して、仲間と相談して、そこで決定したことを本社に上げて、メーカーを動かすための仕掛けを作り出す。

 a.1.4 1 お客様・販売店・メーカの連携

  今のまま、B-Cを進めると、販売店・店舗・スタッフの役割が不明確になる。三者のネットワークを接続させ、販売店変革に寄与する。
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日本人の歴史認識は狭すぎる

未唯へ

 いい季節なんですね。クルマさえなければ。

 電灯が減って、暗い会社です。それを一番暗い人が言っていました。

次期ネットコンセプト

 ネットワークワークコンセプトと次期システムとの関係をパートナーに振ったのは、今のところ正解です。ドンドン振りましょう。意識をアップさせるために。それなりの概念は持ってきている。自分の頭で考えています。高次元と低次元が行ったり来たりしています。

 三つに分けておきましょう。まずは、ネットワークとしての効果。次に、システムに与える影響。それからコラボレーションです。ネットワークでやることを一番多くします。電話似ついても、単にコスト削減するだけでなく、一体化させます。

 ケータイのコストも、この中に入れ込むと同時に、販売店の店舗全体を無線環境にシフトさせます。店舗は無線LANをベースにさせるとト同時に、有線にも入り込みます。

 そのメリットは使う人がメリットになることと、無線を当たり前に使えるようにすることです。今の世界を当たり前のことを当たり前にさせる。

インターネットとイントラネットの違い

 ユーチューブもタブレットのその範疇に入ります。インターネットとイントラネットは何が違うのか。本当は、実は何も違わない。その上で商売する人が多いか、少ないかです。

 インターネットのユーザーは自分の環境を作り出します。イントラは甘えているから、そんなことはしません。

コラボレーションとライブラリ

 その意味では、基幹系と情報系は分解させます。それがコラボレーションとライブラリです。入力したりすることは「仕事」です。使う方は仕事の範疇を超えて、当たり前にします。

 コラボレーションで話し合って、決定することです。これが重要です。その特徴は、多くの人を巻き込むということです。

日本人の世界の歴史認識

 日本人は、世界の歴史をしならないのかもしれない。だから、被害者意識になったり、加害者意識になったりするのでしょう。今は、被害者意識だから、次は加害者意識です。その次は被害者意識に戻ります。世界歴史の中学社会を見ると、日本を被害者意識にさせようとしています。裏の意図が見えてくる。

 太平洋戦争が「アジアの開放」。国民はそんなことを思っていません。八紘一宇は日本の指導者の願いなのでしょう。豊臣秀吉も朝鮮から、中国を征服して、天皇家がアジアを支配する夢を見ていた。

 これはアジアの端にいるから、そういうカタチになる。もっと、全体を知らないといけない。端から変化するモノです。つながりを考えられるのは端です。日本とトルコがつながることで、新しい世界ができそうです。

ネットワークシステムの基本コンセプト

 4つの方面からのコンセプト。システム会社にとってのコンセプト、販売店にとってのコンセプト、次のシステムにとってのコンセプト、私にとってのコンセプト。

 確率的に全てできること。次につなげることです。当たり前のようにできる。そう考えると、ある人にとってはどうでもいいこと、ある人にとっては重要なことを、それを4つの軸で考えること。

 基本コンセプトと言いながら、それぞれが違うということ。それが私の見方です。話すときも、相手に合わせて、合意させます。
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新刊書が未唯空間に入れ込む

これら28冊の本が全て、未唯空間に入ってしまうから、不思議ですね。私というフィルターを通して。未唯空間でつくづく、感じるのは、最初のところの「人の存在を信じられない」という孤立と孤独が一番違います。あれがある限り、人とコミュニティができるものではない。ベースが違いすぎます。

28冊の新刊書の対応

 『ドキュメント チェルノブイリ』23年前の本の焼き直しなので、写真を見て、英雄的な行動よりも、「無知」が支配していた。

 『決断のとき上 ジョージ・W・ブッシュ』9.11での行動部分を中心に読んでいた。幼稚な行動です。

 『決断のとき下 ジョージ・W・ブッシュ』ゴアとの選挙戦が書かれていたが。ゴアならば、9.11およびアフガニスタン、そして、京都議定書がどうなっていたか。

 『3・11クライシス!』クライシスとした観点を中心に読んだ。

 『大恐慌下の中国』現代中国の状況かと思って借りたら、本当に1933年頃の中国だった。博士論文らしい、詳細な部分は読み飛ばし。

 『Webサイト仕組み・構築。運営がしっかりわかる本』マーケティングの用語への説明をOCR化。未唯空間仕事編に反映。

 『次世代の伝言』対談は自己アピールの連続で、分かりにくい。テレビなどのメディアにしたものは、じっくり読むものではない。

 『齋藤孝のざっくり!西洋思想』デカルト・カント・ニーテェの解説文をOCR化。同じことを何度でも、言葉を変えずに出てくる。多くの本を出している、齋藤さんらしい。時流に乗って、本を出す名人です。カントとニーテェの部分はOCR化して、未唯空間本・図書館編の哲学に反映。

 『電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き』単なる、自慢話であったので、適当に読んでお終い。

 『消費者の歴史』未唯空間仕事編の「消費者」に入れるだけの内容はなかった。

 『マーケティング・サイエンス入門』営業の役割は「売ること」という壱文で、それ以上、読まないで終わった。

 『書物の灰燼に抗して』最後に図書館に関する記述を中心に読んだ。格調がありすぎて、分かりにくい。

 『一人で生きる練習帳』明るい老後のために、読んだが、どう見ても、暗い老後になるか、その前に亡くなりそうです。

 『新しい歴史教科書』中学社会 全て、読んでみて分かったのは、日本の方向性を表していない、こんな教科書で教育を済ましてしまうんだ。太平洋戦争前後の記述を中心にOCR化し、ブログへアップ。未唯空間の歴史編の国民国家(日本の場合)に入れ込んだ。

 『ソーシャルネットワーク革命がみるみるわかる本』ツイッターとFacebookの機能確認

 『せまいルール』雑学として読んだが、内容はすぐ忘れた。

 『大震災後の日本経済』 これは、役立った。未唯空間で述べているシェア社会に近いものを感じる。OCRして、ブログにアップ。社会編・仕事編の反映。

 『国家と政治』現代の日本の政治家、抗争には関心がないので、読み飛ばし。

 『山本五十六異戦録①』いい加減なSFノベルです。時間つぶしです。

 『国家の存亡』題名との乖離についていけず。

 『2100年、人口3分の1の日本 人口減少は避けられない!』環境問題は人口増で限界をむかえたのだから、人口減少である程度解決できる。だけど、それは答ではない。

 『ウィーン・オーストリアを知るための57章』ハプスブルク家の多重国家を見てみたい。観光立国の成功例です。

 『セックスメディア30年史』読み飛ばし

 『逆パオプティコン社会の到来』今後は「パオプティコン社会」になるという本を読んだところであったので、いいタイミングでした。Facebookの動きを見ていると、逆パオプティコン社会の方が方向性です。

 『純粋理性批判5』早速、OCR作業に取り掛かりました。1~4は買ってしまった。買うとなかなか読めないので、5は2週間で処理します。

 『100文字でわかる世界の大問題』内容は知っていることばかり。雨で落として汚してしまった。また、図書館に弁償ですね。680円です。

 『サードセクター』アタリと同様にフランスらしい動きです。先に方法論が出てくるみたいです。フランスの今後の方向みたいですが、日本の風土とかなり、異なります。OCRして、未唯空間社会編に反映させます。

 『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』焼き直しだったので、3.11に書かれた前書きが面白かった。原発問題を扱ってきた著者が、3.11で何を感じて、それを広げようとしたかが書かれています。OCR化したが、個人的な思いに終わりそうです。
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マーケティングの基礎

AIDMAからAISASへ

 ○Webで情報を発信することの重要性

  従来のマーケティングにおいては、消費者行動プロセスをAIDMA(アイドマ)という理論によって認知してきました。企業から一般ューザーに向けられたマーケティング活動に対し、消費者行動は「Attention (注意)→Interest(興味・関心)→Desire (欲求)→Memory (記憶)→Action(行動・購買)」というプロセスをたどるという理論です。

  これは、BtoC(企業(Business)から一般消費者へ(to Consumer))という、企業主体の考え方に基づいたモデルです。従来では、消費者よりも供給者である企業の方がイニシアチブ(主導権)を持っていると考えられていたのです。しかし、近年ではインターネットの隆盛もあって、イニシアチブは確実に消費者側へと移ってきています。こうした実態に即し、AIDMAに代わって提唱されている理論がAISAS(アイサス)です。

 ○AIDMAとAISASの違い

  AISASとは「Attention (注意)→Interest (興味・関心)→Search (検索)→Action (行動・購買)→Share (情報の共有)]というプロセスにより、B to C(企業から一般消費者へ、そしてまた一般消費者へ)というマーケティングコミュニケーションが成立するというものです。

  AIDMAと異なっているプロセスは、SearchとShareの部分です。 Searchは、Googleなどの検索サイトにおける検索行動です。 Shareは購入後の商品についての感想をフィードバックし、情報として共有することです。 Webサイトヘの書き込み、ブログによるロコミ、人気ランキング付けなどがこれに相当します。消費者は検索結果を比較検討し、ほかの消費者の意見を参考にアクションを起こすのです。そのため、消費者主導の傾向が強まります。

  もっともこの2つの行動はWebであればこそ可能なことで、ゆえに現代のマーケティングにおいてWebサイトの重要性はますます高まっているのです。

ペルソナマーケティングとは何か

 ○ペルソナとは何か

  ペルソナ(Persona)とは、もともとはラテン語で「人」を意味する言葉ですが、「仮面」や「人格」という意味もあり、心理学者のカール・ユングは人間の外的側面を「ペルソナ」と呼びました。

  さて、マーケティングの世界で使われる「ベルソナ」ですが、これは従来、製品開発から販売にいたるまで、想定する顧客層をある種の共通項を持つ集団として考えてきたことに対して、特定の個人という形で明確化するために使われるようになったマーケティング手法です。

  従来の、一般的な顧客層のカテゴリ分けの代表例である「都会暮らしのF1層(「F」は女性を表すFemaleで、「1」は20~34歳の女性のことをいう)」といった分け方に比べると特定の個人であるがゆえに、非常にターゲットが明確になります。

 ○ペルソナの設定方法と活用方法

  ペルソナの設定は、実際にそのサイトを利用する人物像にしなければ意味がありません。

  そのためにできる限り、現在の顧客や自社のサービスに理解があるユーザーにヒアリングをします。そうすることで、勝手な思い込みや、理想の想定顧客を設定してしまうことを防ぎます。

  ヒアリングから見えてきた共通項や特徴を基にペルソナを設定します。

  ペルソナは架空の人物ではありますが、氏名はもちろん、性別、年齢、居住住所、家族構成、職業、勤務先、役職、年収、趣味や嗜好、性格、考え方等々を明確に決め、それにふさわしい顔写真も入れた設定シートを作ります。

  そこまで決めることで、そのペルソナがサイトを使うとき、どのような行動をとるのか、どういう感情を持っのか、ということなどがより具体的に考えられるようになります。
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次期ネットへのコンセプト追加

未唯へ

 気分はすぐれない。6月はヨーロッパのつもりだった。最低ですね。

 検査の結果は血糖値が上がっています。病院の先生は数字の比較をしていない。何のために検査しているのか。血糖値対策として、腹が減るまで食べないことを徹底。また、クッキー一枚でいきましょう。

 土日をカメラを忘れていきます。やはり,写すものがないです。

次期ネットのコンセプト

 今、社会を変えられるのは、ネットワークの力です。個々のシステムはその上に乗っかります。

クラウドはシェア

 SFDCの社長がそう述べていた。その通りです。だけど、システム会社がそれを言ってはいけない。市民がシェアを要求しないと。市民側に力をつけないと。

 B-Bの世界で、シェアしても、まだまだ足りないです。B-Cの世界のシェアがSNSです。本当のシェアするためにはクラウドだけではダメで、ユーザーが横の連携を取らないといけない。

シェアがシェアを生み出す

 自分たちのニーズに沿って,パッケージを共有化するだけでなく、どのように使っていくかを、自分たちがシェアする世界です。シェアがシェアを生み出します。

 だから、お互いを知るということです。クルマもそうです。お互いを知ることで,それぞれに事情に合わせて、シェアできます。

次期ネットコンセプト追加

 Sへのヒアリングとシステム会社への申し入れの骨子。

 1.オープンな世界として、インターネットとのセキュアーに接続

  インターネットを横に抜けさせる。キャリアが持っているセキュリティの活用。販売店はインターネットの映像などを見る。お客様が見ているものは見えるようにする。

 2.当たり前のことが当たり前にできるようにする。

  JRの予約システム、楽天のシステムのように。当然のようにケータイでできる。お客様からするとネットワークさえあれば、できる世界。

 3.IP電話を本気で仕掛けて、コスト削減

  早めにアナウンスして、切替タイミングを合わせること。そのためには、各販売店の状況を把握する。キャリアでの差別化をはかる。

 4.販売店のLAN構成も集約

  販売店のLAN構成まで立ち入ることで、コスト削減とセキュリティを保証する。販売店のシステム要員を削減し、スタッフに快適な環境を提供する。

 5.無線環境に対応

  店舗風景を変えていく。店舗の機器は無線を当たり前にする。PC、ケータイ、タブレットなどを含めた機器でお客様に接近できる活用シーン

 6.回線コスト

  他社などは安いと聞いている。本社・店舗関係などは異なるけど、サーチはしておいてほしい。お金部分のインパクトは大きい。

 7.ケータイ料金のパケ放題は高すぎる

  販売店にとって、ケータイの料金は大きい。価格的に考えると、有線並が妥当でしょう。ケータイ10台分で店舗有線回線ぐらいが妥当です。

 8.サーバーの配置

  クラウド・サーバーと容易に接続できる。シェアするためにも、クラウドは必須です。ライブラリとコラボレーションを実現するためにも、クラウドサーバとイントラを直結する。

 9.キャリアのサーバ

  NGNはキャリアがネットワーク上で商売できる仕組みです。商売できるサーバーを置く場所を作ると同時に、利用者の簡単にできる環境を申し込んでください。

 10.システムからのプルに耐えられる

  掲示板のようにプル型に対応できる仕掛けが必要になる。それも、システムからプルことが考えられる。多くの店舗のシステムから一斉のリクエストに対応できる仕組みが必要になる。
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日本の戦争責任はどこへ

『新しい歴史教科書』中学社会

 大東亜会議とアジア諸国

  アジアに広がる独立への希望

   日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドの人々に独立への夢と希望をあたえた。日本軍の破竹の進撃は、現地の人々の協力があってこそ可能だった。もともと親日国たったタイに加えて、シンガポールなどで日本軍の捕虜となったイギリス軍のインド人兵士の中からインド国民軍が結成され、インドネシアやビルマでも、日本軍の指導で軍隊がっくられた。

  大東亜会議

   日本は、これらのアジア各地域に戦争への協力を求め、あわせてその結束を示すため、1943 (昭和18)年11月、東京で大東亜会議を開催した。

   会議では、連合国の大西洋憲章に対抗して大東亜共同宣言が発せられ、「大東亜共栄圏の建設」を戦争目的とした。

  アジア諸国と日本

   日本の南方進出は、「アジアの解放」という名目をかかげつつも、自国のための資源の獲得を目的とした。

   この戦争は、戦場となったアジア地域の人列こ大きな損害と苦しみをあたえた。特に中国の兵士や民衆には、日本軍の行動により、多数の犠牲者が出た。

   日本は、占領した東南アジアの各地では、軍政をしいた。現地の独立運動の指導者たちは、欧米諸国からの独立を達成するため、日本の軍政に協力した。

   しかし、日本の占領地域では、日本語教育や神社参拝を強いたことに対する反発もあった。連合軍と結んだ抗日ゲリラ活動がおき、日本軍はこれにきびしく対処し、一般市民もふくめ多数の犠牲者が出た。また、戦争末期になり、日本の戦局が不利になると、食料が欠乏したり、現地の人々が過酷な労働に従事させられることもしばしばおきた。

   日本軍が敗戦で撤退すると、旧宗主国のイギリス・フランス・オランダは直ちに再支配にもどってきた。しかし、これらの植民地は、ほぼ十数年の間に次々と自力で独立国となった。日本軍の将兵の中には、敗戦のあと現地に残り、これら植民地の独立勢力に加わった者もあった。

世界が見た大東亜戦争

 日本は極東の侵略者」

  カリフォルニア大学のゲリー・ナッシュ教授が編纂したアメリカの歴史教科書は次のように書いています。

  野心的な軍部指導者たちに支配された日本は、ヨーロッパでヒトラーがそうであったように、極東では侵略者だった。主要な世界強国を目指す日本は、天然資源、とくに石油はのどから手が出るほど欲しかった。このため、これらの天然資源を確保するためには戦争のリスクをいとわなかった。」

  この教科書は、日本を追い詰めたアメリカの経済制裁についてのべたあと、次のように書いています。
アメリカ政府としては、日本がこうした重要な資源をカットされることで交渉を余儀なくされ、危機を回避できると考えたが、話し合いは進展しなかった。日本は中国から撤退はしなかったし、1940年から1941年には仏領インドシナを占領した。」

 日本敗北の原因

  アメリカのコーネル大学の歴史学者マーク・セルデン教授は、近代日本が置かれた環境の中に日本を位置づけ、戦争に敗北した理由を次のように論じました。

  「19世紀後半からの歴史を見れば、アジアは西側植民勢力による分割に直面していた。日本にとっては、周囲を見渡せば、植民勢力がひたひたと押し寄せているという現状だ。世界に認められる国になるということは、植民帝国になることを意味していたのだ。この過程で、日本はアジアの国々と欧米を同時に相手にするという傲岸不遜に陥った。」
ビルマの元首相のバー・モウは、「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかし、日本ほど誤解を受けている国はない。もし日本が武断的独断とうぬぼれを退け、開戦当時の初一念を忘れなければ、と、日本のために惜しまれる」と述べました。

 存亡の淵に立った日本

   一方、戦争に追い詰められた日本を同情的に見るとらえ方もあります。ハワイ大学の歴史学教授ジョイス・レプラは、次のように指摘しています。

   「太平洋戦争は、西欧資本主義流の帝国主義のたんなる日本版ではなく、それにもまして西欧諸国の進出によって脅威を受けた日本が、自国の存亡に関わる権益を防衛するための戦いであった。」

・・・この教科書は「被害者意識」にあふれている。本当にこんな「教育」でいいんですか。明日の世界を、日本は主導できるのか?
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あたらしい幾何学あたらしい世界

『数学の文化史』より

ガウスは非ユークリッドの幾何学を創造する知的勇気は持っていた。しかし十九世紀初期の科学者は、ユークリッド幾何学以外の幾何学はないと宣して、当時の思想界を支配していたカントの影の中に生きていたので、ガウスも創造的天才を気狂いあつかいする愚民どもにたちむかう道徳的勇気は持っていなかった。ガウスの非ユークリッド幾何学研究は死後の遺稿の中に見つけられたものである。

非ユークリッド幾何学創造者の栄を有する他の二人のうち、先に出たのは天才ニコラス・ロバチェフスキーである。一七九三年貧しいロシアの家庭に生まれた彼は、カザン大学で研究し、二十三歳にしてそこの教授職についた。ロバチェフスキーも平行線公理の問題に興味を持っていた。数学者たちの二千年来の努力をもってしても、それよりよい公理を生み出しえなかった、という事実に感じるところがあったのだ、と彼はいっている。そして、サッケーリやガウスと同じく、彼もユークリッドの公理と矛盾する平行線公理を基礎にしてあたらしい幾何学を建設した。彼はほとんど信じがたいような定理にみちびかれたが、ガウスに劣らずそれに勇気をくじかれることはなかった。正しい推理がそこにみちびいたのだし、正しい推論こそ疑いの余地のない手引である。そしてロバチェフスキーも革命的な結論に必然的に達した。ユークリッド以外にもそれと同じように正しい幾何学がある。

ロバチェフスキーとともに非ユークリッド幾何学の発見と発表の栄をになう人は、ハンガリア人ヨハンン・ボヤイである。彼も神から天才を授けられていたが、その上やはり数学者であった父ウォルフガングの激励と薫陶を受けていた。ウォルフガング自身平行線公理の問題に首を突っ込んで、多年心血を注いだが報いられなかった。彼はその問題を息子に譲ったが、その息子は一八二五年、二十三歳にして急に眼から鱗を落したのである。ユークリッドの公理に矛盾する公理があって、それがあたらしい幾何学の基礎となりうるのだとヨハンは考えた。彼は建設にとりかかった。父のすすめで、彼は一八三三年その研究を父の書物の補遺として発表した。

ロバチェフスキーとボヤイの論文はどんなあつかいを受けたか? 当時の科学者たちはこのユークリッド幾何学の敵手たるゆゆしき新説にいかに反応したか? 当時の支配的哲学であった合理論哲学者は己に対する徹底的反駁に対していかに処したか? ロバチェフスキーやボヤイの研究は完全に無視された。その上、一八四七年には、すばらしい成果と無私の研究態度を持っていたロバチェフスキーも、大学から放免の憂き目にあった。ボヤイはオーストリアの陸軍士官であったが、彼もどこかの教授であったら、同じ運命をなめていたであろう。

ロバチェフスキーやボヤイが画期的大作を発表してから約三十年して、ガウスの遺稿のなかに非ユークリッド幾何学に相応するものが発見された。彼の名声はこの問題への関心を引き起し、それからは数学者も口バチェフスキーやボヤイを読みはじめるようになった。

ボヤイやロバチェフスキーの幾何学では、彼らの平行線公理にもとづいていてユークリッド幾何では見つけられない驚くべき定理が出てくる。これらの定理も、一般の数学定理と同じく、読者におなじみの演鐸推論から証明されるものであるが、ユークリッド幾何学とちがって、証明段階をしめしたり、定理の意味をあきらかにするためには、図形はあまり役にたたない。

もっともおどろくべき定理は、いかなる三角形の角の和も常に一八○度より小さい、というものである。さらに、もっとおどろくべき事実として、二つの三角形で、面積の広いものの方が角の和が小さいとし、新幾何学は、二つの幾何学図形の大きさがちがっても同じ形を持ち得る、というユークリッド幾何学の概念を一掃してしまったことである。こういう場合は、図形は相似であるが合同ではない、とふつういう。ところが新幾何学では、相似三角形は合同でなければならぬ。新定理の最後の例としてこういうものを挙げよう。二平行線間の距離が二方向でゼロに近づけば、他方向では無限大となる。
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