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一日が短い

街全体の設計

 「城下町」というジャンルであったけど、街を全体を見るやり方です。これにあと、先を見るやり方を付ければ、具体的な提案ができる。

 「久屋広場」にしても同じです。どのように街の中で直線コースをどう捉えるか。「城下町」の場合は、山とお城をどうとらえるか。「岡崎」も取り上げてほしかった。大樹寺と岡崎城が直線になっているはず。その景観を再設定すれば、街が複合化できる。

一日が短い

 昨日は2時に寝たので、起きたのが、9時半です。10時から12時まで、4か所のスーパー巡りのドライバーで経過。5時半の奥さんの骨折病院に行って、返ったら、7時半。一日が短い。

 ICレコーダーに入れずに進んでいる。その分、未唯宇宙が進んでいない。

明日から三月

 そう言っている間に、明日からいよいよ、三月です。

 パートナーの方は火・水があっただけです。集中的に在って、その後、何もない。これはハレーすい星の特徴です。こういうことを愚痴る相手がいません。

インフラの無駄使い

 クルマがスケルトンに見えます。渋滞と言っても、そこに座っている、個々のドライバーが見えてきます。そうするとなんと不合理なこと。インフラの無駄使いです。

ケンタッキーの「塩」

 ケンタッキーのドライブインが大渋滞だそうです。隣のスタバのバリスタが言っていました。なぜ、こうも集中するのか?
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西欧の環、ディアスポラ 西洋と東洋

『ユダヤ人、世界と貨幣』ジャック・アタリ より 「申命記」一九四五年-……

開くか消えるか

 新しい伝達の技術は、ディアスポラと本来の共同体との関係を結びつけるすばらしい道具となっている。これによって、ノマード主義のあらゆる手段や条件を一般化することで、ユダヤ的価値の優位は広められるだろう。その精神において携帯電話ほどユダヤ的なものはない。

 ほかのすべてのマイノリティと同様に、ユダヤ人のディアスポラは、ディアスポラにはけっして依存していない、世界の野蛮か衰退しない限り生き延びることはできないだろう。それにはそれぞれか、近隣の仲間とその相異を楽しみ、彼らの中に幸福を見つけることを学ぶ必要かあろう。コミュニタリズムのまわりにあるような、多少とも閉じた同じような共同体の中には何もない。むしろ多様な顔を持った世界で、多様な本質を持った世界へ参加することに意味かある。地域的な一致が可能であれば、ユダヤ教にとってもとりわけ一致か生まれるはずである。結局、もし宗教か、文化的な革新へのすばらしい努力を行えば、よりよくなるであろう。それか今日ある種の指導者をつくり出すことを可能にするだろう。

 ウォール街の一人の金融家、ブルックリンの宝石業者の息子、マイケル・スタインハルトがっくり出したアメリカのメセナ・グループが期待するのは、若いユダヤ人による、よりよい歴史認識、よりよいユダヤ人のアイデンティティ認識である。このグループは、宗教的帰属の代わりに、イスラエルヘの帰属を打ち出し、「ユダヤ人教育における最高のパートナーシップ」という組織を創設した。その組織には、イスラエルとその歴史を発見するべく、ディアスポラの若者を派遣するために、一年に一八○○万ドルを与えている。最初の年に、八○○○人の若者、次の年には五万人の若者か派遣された。この組織は、若いユダヤ人夫婦に新婚旅行を提供する、出生権という制度を作った。最終的に、近代の商業技術によって、この組織は共同体に祭式や信徒への接近を増やす方法を教え、それを通じて、企業人の支持を得、アメリカやヨーロッパのカトリックやプロテスタントの教会によって展開された、類似の政策とつながることかできた。これこそ宗教マーケティングである。

 ユダヤ教か、そのほかの宗教同様魅力の中心になり、人間か持つ大きな問題に対する解答を得るには、そのほか多くの出資金が必要であろう。それだけに非寛容なオーソドキシーに閉じこもったり、嫉妬深い同族意識に陥ってはいけない。すべてのユダヤ人ディアスポラが、こうした精神的な革新を果たす手段を持っているかは、はっきりしてはいない。もうこれ以上、他人かユダヤ人に対して何をしているかではなく、また他人かイスラエルで何をしているかでのみ判断しないようにするためには、教授、学校、出会いの場所か必要であろう。必要なことは、平和、開放、寛容、多様な知性の受容、祭儀、信仰、思想の近代化であろう。もし戦争が中東で今後も続くなら、ユダヤ人の生存の責任は、西洋の三つの共同体(合衆国、カナダ、フランスの共同体)にかかっているともいえよう。もしイスラエルが平和の場所であれば、イスラエルは逆に、あるディアスポラの文化的生活を、今度は助けることができるだろう。第二次世界大戦の間行われた搾取を償うために、スイスの銀行か支出した資金を使用するのがもっとも最適なものであろう。

 こうした革新を成功させるために、それぞれの場合、ユダヤ人は他のマイノリティ同様に、自らを開くことで新参者と結びつく必要かあるし、ユダヤ人は新しい生活様式を許し、彼らに加わりたいと思う人々をより簡単に歓迎する必要かあるだろう。一九九九年、イスラエルで創設された「総合改宗研究所」は、ユダヤ教正統派的な形で生きることを望まない人々を改宗者としても承認するために、改宗規則を和らげようとしている。そこには、まだ最初の、わずかなプランしかない。開かれた社会のみが生きることかできる。ユダヤ教の生存を確証するのはただその開放性だけである。

 とりわけタルムードによると、メッシアの祖先となるはずのダヴィデの曾祖母、ルツはユダヤ人ではなかったのだ。

西洋と東洋の案内人

 イスラエルを別として、ユダヤ人のディアスポラは、とりわけ倫理的役割を演じ、すべての人間に、彼らが与えられた道徳的価値を想起し、他の人々を援助し、対話、創造、進歩、交換を継続していくことかできるだろう。他の文明か形成され、進展するそのとき、ユダヤ人は二〇世紀前に演じた役割を、ヴァーチャルな新しい道具でまったく別の形で見つけることになるだろう。西洋、イスラム、東洋との間の案内人、富、思想、文化の案内人、しかもこの新しい歴史の時代で、その主要な富である時間の案内人となれるだろう。

 ユダヤ人は、自らの神を、旅をする時間、貨幣で価値を測る時間としての神(今ではすべての者の神である)に思いを馳せるかゆえに、また、世界に時間を与えることで(神による永遠の時間、貨幣による物質的時間、芸術による精神の時間)、その不幸、彼らの神、彼らの貨幣を他人の自由に任せたかゆえに、ユダヤ人は時間を人間の新しい進歩にすることかできるのである。

 文明の新しい対話、人間の流れにおける東洋化、ものの流れにおける西洋化の中で、西洋と東洋との出会い、時間のさまざまな視点の出会いですぐれた役割を演じるだろう。時間という未来の文化に重要な、定住民とノマードに唯一共通な真理、すなわちホスピタリティを発展させる。ホスピタリティは、時間との交換の中で、人を楽しませるという喜びの中では大きな役割を演じる。最終的には、時間か土地と貨幣という二重の支配を免れさせてくれるのだ。

 だからこの物語は、たんに人口的に少ない一民族を問題にしているだけではなく、人類史におけるすべてのマイノリティの役割を明らかにしているのである。この物語は遅かれ早かれすべての民族が直面するジレンマ、すなわち、画一性という無差別の中で消滅するか、個性に対する非寛容で死に絶えるか、というジレンマのことを説明しているのだ。この物語は、すべてのもの、すべての社会関係か最終的には貨幣に変わり、すべての文化か支配的な文化に改宗していくことも語っているのである。そこで強調されるのは、すべてのマイノリティに迫る脅威である。少数派は対立する保守主義者たちによってスケープゴートとして描かれ、耐えるかゆえにねたまれ、与えるかゆえに追放される。この物語は、成功したディアスポラとは、教育、記憶、持続、崇高さ、他者への尊厳にもっとも重要な意義を与えているディアスポラであることを示している。それは、ノマードのいない定住者はいないし、定住者のいないノマードはいないということを示している。結局、それは西洋かイスラムと東洋との平和に関心を持つ場合は、西洋かユダヤ人の文化とそのディアスポラに関心を持つ限りであることを告げている。

 世界のすべての人々は、あれやこれやで、こうした賭けに直面している。すべての人々に、定住民とノマードの顔が同時にある。多少とも意義深いディアスポラを持っているのだ。すべては、戦争のさまざまな諸形態と混ざり合っている。ノマードのテロリズムは人を惜しまない。すべては、文化的アイデンティティによって定義されたいという要求に直面している。自らゲットー化しない限り、混交の増塙以外のものになることかできない。すべては、世界の狂気に歯止めをかけるために倫理、道徳の価値に意味を付与しなければなるまい。ユダヤ人の歴史は、貨幣と世界との関係において、すべての者にとっての貴重な先駆者にすぎない。それは、ユダヤ人以外の人々、誰においても待ち受けることを、そのユダヤ人の歴史が教えてくれるからである。

 東洋において、今日もっとも約束されるディアスポラがある。まず、ユダヤ人よりも二〇倍も多い中国人、ユダヤ人よりも三〇倍豊かな中国人か、そのアイデンティティを守ることで、他人を食べさせていける能力を持つ家族、教育、努力に向かっている。

 明日、グローバリゼーションによってこうしたディアスポラ0数が増え、彼らを受け入れる国民の中で消えていくか、ときとして民族も、根も持たない新しい移民の出現でさらに増えるかもしれない。こうした変動するモザイクによって世界はつく屁れるだろう。このようなものとして世界を受け入れ、他人から期待できるものと、彼らが与えられるものを誰かに教えることでしか生き延びることにできない。

 少なくとも、ユダヤ人、世界、貨幣の歴史は、こうした教訓を教えてくれる。すべての人間は、救われるために他者を必要としているということである。
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ノマードがいなければ定住者もいない 継続すること

『ユダヤ人、世界と貨幣』ジャック・アタリ より 「申命記」一九四五年-……

ノマードは二つの炎に巻き込まれた。彼らは暴力による消滅の脅威を受けたか、脅威を生み出したのは、むしろ彼らを同化させた平和であった。継続するためには、永遠なものと変化するもの、短期的なものと長期的なものを混ぜていく必要がある。やがて歴史を通じてユダヤ人は七つの教えを理解した。それははっきりとはしていないか、しかしいつも適用されてきたものである。

追放から身を守るために集団で生きること。そこから共同体生活の厳密な組織、一人で祈ることの禁止、国際結婚の要求、そして、とりわけ連帯という苦痛の義務か生まれる。それは、「創世記」のこの戒め「諸君の家の扉を空けたままにし、貧しい人々を家族のメンバーとみなしなさい」、そして「レヴィ記」のもう一つの戒め「もし諸君の兄弟か従わないなら、もし諸君の富かぐらつくなら、外国人や、新たに来た者を支援しなさい。すると、彼は諸君とともに生きるだろう」という言葉ですべて説明されている。そして、結局同じ共同体のメンバーに「自らの利益と矛盾しないすべてのサービスを相互に与える」ことを要求することで、説明されている。すでに何世紀にもわたってそれか適用されてきたことを見てきた。

たえず警戒を怠らないこと、脅威を評価し、危険に際していつも準備すること。共同体は外の権力との関係を管理し、脅威に注意する義務かある。こうしてナーシ、太守、ナギド、シュタドランは、それぞれの国で定住者の政府と交渉する。

文化的遺産を次の世代に残すこと。世俗的であろうとユダヤ教的であろうと教育は最初の義務である。それはたえず繰り返される義務であり、書物、読書、作文に歴史上重要な役割か与えられる。

非常に厳格な道徳を課すこと。追放の口実、嫉妬を生み出さないためには、傲慢や非道徳的であってはいげない。タルムードにはいかに貨幣の要求にとらわれてはいけないか、道徳を優先しなげればならないか、いかに派手な祭りをしてはいけないか、いかに華美な支出をしてはいけないかか、詳しく書かれてある。なぜ定住者の財産、すなわち、土地や城を持ってはいけないか。なぜ富でいっぱいにしたり、見せびらかしたりしてはいけないか。ノマータの財産、すなわち、思想、書物、バイオリン、ダイヤモンドしか持つことかできない。タルムードはこう語っている。「多くの仕事をしたからといらて、すべてか賢人になるわけではない」と。

主人に迷惑をかけず、主人の法律を受けること、同時に、移り気にならず忠節を尽くすこと、命のため以外に信仰に対して嘘をつかず、二重性を受け入れること。だからユダヤ人だと自称しないマラノも、ユダヤ人であることを忘れることはない。だから、彼らは、受け入れてくれるすべての共和国に、絶対的な忠節を尽くさねばならない市民である。

外国のものを受け入れること、思想、外国の言語。とりわけユダヤ教に改宗した新しい人々を受け入れること。これは適用するには簡単ではない教えである。

新しい富を作ること、あるいは共同体のまわりの人々のために新しいサービスと進歩の担い手となること。けっしてすでに存在する富を奪って、富や力を形成してはならない。他人の利益にならないことは、自分にとっても利益にならない。他人の福利か自分に有利になるように。すべてをまとめた言葉か、「申命記」の中にある。「汝の力を尽くして神を愛すべし」。ラシ[トロワのユダヤ学者]は「いねば汝の富すべてを費やしてという意味である」と注釈をつけている。

こうした教えかなければ、ユダヤ人の共同体は間違いなく、彼らを追放する暴力に対しても、彼らを同化する定住政策に対しても、抵抗することかできなかったであろう。こうした教えによって、自らの存在理由を守ることかできた。二〇〇〇年前のままであれば、疑いなくそのアイデンティティを失ったであろう。一つの国に留まっていたら、中東の一つの民族となったであろう。ところか、アラブの民族のどれも生き残ることはなかった。皮肉なことに、ノマードを維持させた追放か、彼らを生き延びさせたのである。それぞれかユダヤ人であるという利益を持つことで、生き延びることかできたのである。

しかし、未来永劫彼らは同じであるということにはならない。一八○○年において、誰か、一九世紀にどんなことか起きるかを予測することかできたであろうか。そしてさらに、一九〇〇年において、二〇世紀に演じられる悲劇を誰が予測できたであろうか。

世界の重力の中心(少なくとも人口計画において)が新たに東へと進む一方で、イスラエルの歴史は、導きの役割を果たすことができることで、もう一度東洋と西洋との間の平和と進歩の仲買人の役割を演じるであろう。イスラエルの歴史が、そのアイデンティティを彼らが獲得した大地に制限しようとすれは、その歴史は失われる。イスラエルの歴史が、ユダヤ的道を進めば、人類の滅亡が起こるのを避けさせることができよう。
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消費者行動 拡張自己

『ソロモン消費者行動論』より 自己

本章の学習を通じて、以下のことを理解しよう:

 1.自己概念は、消費者行動に強い影響を与える。

 2.製品は自己概念を定義する上で、重要な役割を担うことがある。

 3.社会が期待する男らしさや女らしさが、購買決定に役立てられている。消費者がこうした社会の期待に応えようとするためである。

 4.自分の身体をどのように考えるかは、自尊心の中心的要素となる。そして、身体がどのようにあるべきかは、文化によって規定される。

 5.容姿に関する文化的な期待に応えようとすることは、害にもなりうる。

 6.どの文化も、体の装飾や部分的切除などの伝統を持つ。

拡張自己

 既に述べたように、消費者が自分の社会的役割を定義するために使う小道具や背景は、彼らの自己の一部になる。こうした自分の一部とみなされる外部のものが、拡張自己(extended self)を構成する。文化によっては、人は文字通り、物を自己に統合する。新しい所持品をなめ、征服した敵の名前を奪い取り、死者を所持品とともに埋葬したりする。

 通常、私たちはここまで極端なことはしないが、自分の持ち物を自分の一部であるかのように大切にする人はいる。実際、一部の人は、大事にしている製品の「狂信者」であるというレッテルを、自ら喜んで貼る。例えば、靴を考えてみてほしい。アメリカのトレンディドラマ、『セックス・アンド・ザ・シティ』の主人公キャリーでなくても、多くの人が靴に強いこだわりと愛着を感じているだろう。ある調査によれば、人は自分の靴を、シンデレラのガラスの靴のように、自分を変身させてくれる、魔法の象徴とみなしている。そして研究者は、消費者から集めたデータをもとに、女性は男性よりも、靴の象徴的な意昧合いに敏感であると結論づけた。また一般的に、若いときに手に入れた一足の靴--最初の革靴であれ、最初のハイヒールであれ、あるいは最初のカウボーイブーツであれ--は、人生のずっと後になってからも大きな影響力を持つ。

 もちろん、靴だけでなく、多くの物一個人の所有物やペット、国の記念碑や名所までーが消費者のアイデンティティ形成に役立つ。おそらく誰もが、自分の「分身」のように感じる大切な持ち物を挙げることができるだろう。それはお気に入りの写真かもしれないし、トロフィー、古いシャツ、車、あるいは猫かもしれない。多くの場合、寝室やオフィスに飾られているものを教えてもらうだけで、その人のかなり正確な「伝記」を書き上げることができる。また、自己概念に影響を与える上で、製品は必ずしも「強い」ものである必要はないことが示されている。ある実験では、ショッピングモールで、女性客に2つの買い物袋のうち1つを持って歩くように依頼した。アメリカの下着ブランド、ヴィクトリアズ・シークレットの袋を受け取った女性たちは、自分が官能的でグラマーな気分になったと言った。別の実験では、MBAの学生が、MIT (Massachusetts Institute of Technology ; マサチューセッツエ科大学)のロゴ入りのペンを使って、6週間ノートをとるように指示された。彼らは、学期の終わりに、自分が優秀になったような気がしたと報告した。

 拡張自己は4段階で表現される。それは非常に個人的な持ち物から、より大きな社会環境までと幅広い:

  1 個人レベル:消費者は、自己定義に多くの個人的な持ち物を含める。これらの製品には、宝飾品、車、洋服などが含まれる。「着るものがその人を表わす」という言葉は、持ち物がその人のアイデンティティの一部になっているという考えを示す。

  2 家族レペル:拡張自己のこの部分には、住居や家具などが含まれる。家は、家族の象徴とみなされる。そして住む場所は、自分が何者であるかの中心を成すことが多い。

  3 地域レベル:消費者が、自分のことを、住んでいる地域や故郷の町で表現するのも一般的である。この帰属意識は、農家など、コミュニティと密な関係を持つ住人にとって、特に重要だ。

  4 集団レベル:特定の社会的集団への愛着も、自己の一部とみなされる。消費者の「サブカルチャー」については、後の章で取り上げる。消費者は、名所、記念碑、スポーツチームなども拡張自己の1つと感じるかもしれない。
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豊田市図書館の28冊

210.5『江戸時代がこんなに面白くなるのか』なぜ、地形と地理がわかると 全50項目に地図がついてよくわかる!

699.8『愉しみながら死んでいく』思考停止がもたらすテレビの恐怖

645.6『リードなしでも犬の散歩ができますか?』英国流・犬との付き合い方としつけ

321『法律家をめざす人のための経済学』

492.91『臨床看護技術ガイド』完全版 ビジュアル 全51看護技術 これ1冊ですべてわかる!

364.1『ヒーローを待っていても世界は変わらない』

312.53『ケネディ演説集』

331『入門 経済学』

914.6『人間の生き方、ものの考え方』学生たちへの特別講義

331.84『マーケット・デザイン』オークションとマッチングの経済学

336『ネット風評被害』

329.33『問題解決の磨き方』

227.9『ユダヤ人、世界と貨幣』一神教と経済の4000年史 ⇒ なんと、ジャック・アタリです。2010年に原書。『21世紀の歴史』に感謝!

913.6『日本イスラム大戦Ⅰ』開戦2021

913.6『日本イスラム大戦Ⅱ』救出作戦2021

159.4『変革の知』

913.6『コンカツ?』

113『生きることの意味』

007.6『デジタルの作法』1億総スマホ時代のセキュリティ講座

019.12『「深読み」読書術』人生の鉱脈は本の中にある

024.9『購書術』出版社社長兼編集者兼作家の 本には買い方があった!

031.5『図解 日本人のランキング』

597.5『老前整理のセオリー』

596『フライパンで便利おかず190』かんたん! ラクチン! 手紙でおいしい! 楽ワザ早ワザおかず満載!

070.21『反日マスコミの真実2015』パブリックエネミーとなった朝日新聞--汚辱の捏造史

518.8『図説 城下町都市』

748『オーロラ』

410.1『ウィットゲンシュタインの講義 数学の基礎編』ケンブリッジ1939年 ⇒ チューリングのノートも使っている。
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未唯空間編集篇

未唯空間編集篇

 編集篇です。「多くの人がいる」という中身はこのまま、凍結させます。偏向するのは中で直接行います。だから、詳細項目も特に変えません。

 とりあえずは、持ち歩くことはしません。ここで書いてもできないから、これは完全にパソコンで行います。

 今日は、編集の方です。137億年経っても、<今>

 昨日の車の一時間でもできること。奥さんと離れた時に、自分で時間をコントロールできる。一日を過ごせる。そして、次が見える。

Iさんの笑顔に!

 来週になったら、Iさんに打診しましょう。一つの候補は3月10日です。早くやりましょう。

モノが言えるように

 常に全体を考えて、先を見る。パートナーにモノが言えるように、自分自身のスタンスを確保しておきます。そして、持っている道具を使えるようにします。使えてからこそ、初めての道具です。
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OCR化した7冊

『統治新論』

 ヴァイマルからナチスヘ

『暴力の人類史』

 暴力が歴史的にどのような変化をたどったか。
 歴史的な基準からみて平和的共存がかつてないほど実現した時代

『自分の頭で判断する技術』

 「今」を見る、「明日」を知る時代の流れを読む
  時代の流れを読む大切さ
  歴史的にみて大きな流れ、長期間の流れを見極める
  マクロには勝てない
  課題先進モデル

 グローバル化--「新しい中世」論
  グローバル化を説明するモデル
  「新しい中世」論
  「新しい中世」モデルの応用

 産業化・情報化・サービス化
  産業化とデジタル生産革命
  情報化とインターネット
  サービス化と日本の経済成長

 成熟化
  成熟社会
  目標探索社会
  成熟社会の特徴

 成熟社会の仕事の進め方
  成熟社会の論理
  産業化・情報化・サービス化が進む中での仕事
  モノのサービス化
  サービスのメディア化
  メディアのモノ化
  成熟社会における個人

『父という余分なもの』

 家族という複雑系
 変わりゆく進化論と世界観
 進化と共生
 多様性とホミニゼーション
 アフリカ類人猿の共存関係
 複雑な世界の認知
 共食と家族

『きみの脳はなぜ「愚かな選択」をしてしまうのか』

 金色のポルシエ、緑の孔雀
 なぜわれわれは金づかいが荒いのか
 われわれは自分の行動の理由に無自覚なのか
 同じ行動に複数の説明がつく
 究極の推進装置
 アズマヤドリのあずまや
 現金をちらつかせる
 孔雀、ポルシエ、ホンダ
 行動の究極の推進要因
 性の経済学--彼の場合、彼女の場合
 なぜ男性は女性といっしょにいるために大金を支払うのか
 愛しているよ……それなりに
 男性は完全に無差別か
 配偶者を設計する--彼女の場合、彼の場合
 なぜ女性が男性を得るための代価を払う場合があるのか
 彼と彼女の配偶の下位自己
 自由奔放な独身者--配偶者獲得ゲーム
 オール・ザ・シングル・レディース--独身女子のみんな
 結婚のきずな--配偶者保持ゲーム
 嫉妬--彼の場合、彼女の場合
 性の需要と供給
 男と女と財布

『量子は、不確定性原理のゆりかごで、宇宙の夢をみる』

 永遠なる光を求めて
 「名づけること」がすべてのはじまり
 さかのぽれば出発点はいつも「光」から
 いまだ見えない未来を映し出す希望の明るさ
 「すべての見えるものは、見えないものにさわっている」
 あなたは「直線」を書くことができますか
 「部分」の中に「全体」がある
 なぜ世界を「理解できる」のか
 “何もない”のに”すべてがある”不思議なエネルギー
 量子論と人生
 「不確定性原理」がなければ宇宙は存在しなかった
 “ゆらぎ”はなぜ生じたのか
 「宇宙が存在している」のは「あなたの存在」があるから
 人間の体が今のようなかたちになっているわけ
 宇宙と原子、原子とあなた、あなたと宇宙

『教養大事典』

 独裁政治
 現代の独裁制一神権政治、ナショナリスト政権
 レーニン主義とスターリン主義
 毛沢東主義--農民による共産主義
 ファシズムと軍事独裁
 国家社会主義--暴力と人種主義
 21世紀の動向
 グローバル経済と世界の国内政策
 新たな世界秩序
 キリスト教--ユダヤ教の一派から世界宗教へ
 キリスト教の台頭
 中世--ローマ教皇と国王
 20世紀の教会
 今日のキリスト教
 イスラム教--アッラーヘの絶対服従
 正統カリフ時代
 コーラン--神の言葉
 イスラムの生活--五行
 今日のイスラム
 啓蒙主義の哲学
 観念論--ヘーゲルによる哲学の終わり
 唯物論--マルクスの終わらない物語
 資本主義と共産主義
 生の哲学
 実存哲学
 この世界とその向こう--言語
 分析哲学と言語哲学
 解釈学--詩に真実を見いだす
 論理学--フレーゲからクワインヘ
 転換期の哲学
 精神と政治学
 フランクフルト学派と言語論的転回
 言説分析と科学の歴史
 科学と発展
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「宇宙が存在している」のは「あなたの存在」があるから

『量子は、不確定性原理のゆりかごで、宇宙の夢をみる』より

「宇宙が存在している」のは「あなたの存在」があるから

 私たちの体やいのちの材料は、星の中で合成されたとするならば、今、私たちが存在するためには、星の中でそれらの材料がっくられるための条件が整っていなければなりません。

 つまり、星があまり大きすぎると、あっという間に核融合反応が進行して、炭素をっくる前に寿命が尽きてしまいます。

 では、星が小さすぎると、どうでしょうか。

 今度はゆっくりと反応が起こり、つぎの元素をつくることができません。その理由は、星の重さが小さいので中心部の圧力が上がらず、核融合反応が起きにくくなって、炭素をっくることができないからです。

 ここで、核融合反応が充分に起こるための条件が、必要になります。その条件が決まるためには、光の速さや、2時間目にお話ししたプランクの定数など、原子・分子、そして、宇宙の状態を決める定数の値が、きちんと今あるような、っごうのいい値になっていることが必要です。

 もしも、それらの定数が、今あるような値から5%でもずれていたとすると、全体のバランスが崩れて、適当な核融合反応が起こらないのです。

 そこで、一つの結論が得られます。

 「今あるような宇宙を存在させている原因は、あなたが存在しているからである!」

 驚きましたか。

 だって、そうでしょう。

 「あなたが存在する」ためには、あなたの体をっくる原子が存在しなければなりませんが、そのためには、それらが今あるような物理定数(っごうのいい決まった値)でなければならず、その定数があるからこそ、今あるような宇宙が存在しているのですから……。

 逆遠近法、とでもいいたいような考え方です。

 また、どこか宗教的な香りがしないでもありません。

 しかし、宗教でなく、これは科学の見解です。

 一般的には「人間原理」と呼ばれている考え方です。

 さらに、この考え方を進めると、次のような、やや極端な考えも出てきます。

 私たち人間が、自分の顔をじかに見ることができないように、宇宙もまた、自分の姿を見ることができません。そこで、宇宙はみずからの姿を見るための目として、人類の知性を生み出した、というのです。

 それはともかく、ここで、みなさんにどうしてもお話ししたかったことは、人間の存在も、宇宙の構造と無関係ではないということです。

 そして、その関わりの根底には、相対性理論と量子論があることを、お伝えしたかったのです。

人間の体が今のようなかたちになっているわけ

 私たちの体が、なぜ、今あるようなかたちにデザインされているのか、その理由について考えてみましょう。

 大人のサイズで考えれば、おおざっぱにいって体重は100kg弱、身長は2m弱で、それより大きくはずれることはありません。

 そして、足の太さは、胴体の半分くらいで、直立二足歩行しています。

 このような体型をもたらした原因は、結論からいえば、三つあります。

 その第1は、地球と太陽との距離です。

 私たちが生きるためには、気体状態の空気が必要です。もしも気温が低くて、空気が液体や固体になっていては、呼吸ができません。一方、気温が高ければ、空気をっくっている窒素の分子や酸素の分子の熱運動が激しくなって、これも呼吸には適しません。さらには、地表面から逃げてしまう可能性も出てきます。

 太陽と地球との距離は、近すぎても遠すぎても現在の環境、つまり、今の地球の気温を生み出せなかった、ということになります。

 原因の第2は、地球の大きさです。

 第3は、地球の重さです。

 この、第2、第3の原因は、地球の重力を決める要因です。

 もしも、地球の大きさが現在の値よりも大きければ、重力は現在よりも大きくなり、動くのに大きなエネルギーが必要になります。

 すると体重も重くなりますから、たとえば、球体に近くなるというように、体のかたちも、骨の構造も変わらなければ、移動が難しくなります。

 また、逆に、今よりも重力が小さければ、空気をっなぎとめておくことができなくなり、生存は難しくなります。

 つまり、私たちの体型と、私たちの体の内部構造を決めたのは、今あるような太陽一地球間の距離によってもたらされる、今あるような温度環境であり、今あるような地球の重力の大きさなのです。

 そのように、地球上に存在するすべてのかたちあるものは、地球の重力との兼ね合いで、そのかたちが決まっています。

 ときどき、遊園地などで、人間のかたちをした、大きさが10mもあるようなSFヒーローの人形を見かけますが、実際にはありえない大きさです。

 同じ相似形のまま、身長が2倍になれば、足の断面積は4倍になり、体積は8倍になりますから、その足の断面積では体重を支えることはできなくなり、もっと太い足が必要になり、人間とは違った体型にならざるをえないのです。

 さらに、私たち人間の骨格の強さは、それをっくる分子間の結合力と反発力のバランスによって決まりますが、それらの均衡が、重力とも適合していなければなりません。

 この分子間に働く力も、量子論によって説明できる力であることを、おぼえておきましょう。

 これも「不確定性原理」です。

 どういうことかというと、おおざっぱな表現ですが、粒子同士を近づけようとすると、運動が激しくなって、反発力としての圧力が大きくなります。

 ですから人間は、ほどほどの距離のところで、ゆらゆらしながら(こまかく見れば、ですが)平衡を保って骨格をつくっているのです。
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「部分」の中に「全体」がある

『量子は、不確定性原理のゆりかごで、宇宙の夢をみる』より

“何もない”のに”すべてがある”不思議なエネルギー

 このように原子・分子の世界は、けっして静かなものではなく、めまぐるしく生成・消滅がくり返されている世界なのです。

 たとえば、何もない真空の中に、強い光が飛び込んだりする様子を想像してください。

 そのとき、ほんの短い時間ですが、いろいろな粒子が生成したり、あるいは、それらの粒子が消滅して光になってしまったりしているんですね。

 光のエネルギーが粒子たちを生み出したり、逆にそれらの粒子たちが、再び合体して、もとの光になってしまったりしているのです。

 “何もない”と思われるところにも、じっは新しい粒子を生み出すことができるような“何か”がつまっているようです。

 そしてそれが、すべてを生み出ずもと”になるようなエネルギーが満ちている世界なのかもしれません。

 “何もない”ということは、“すべてがある”ということのうら返しであり、それを「空」であると唱える仏教の世界に近いともいえますね。

 さて、言葉だけ聞くと少し難しい「不確定性原理」が、じっは私たちの日常の常識を超えた原子・分子の世界に、深く関わっていることを感じていただけましたか?

「部分」の中に「全体」がある

 たとえば、舞踊でも音楽でも、これみよがしに演じても、人々の心を感動させることはできません。

 それを見ている人が、演者の全人格からにじみでる霊気のようなものを感じたとき、感動が生まれるものだということでしょう。

 つまり、演者からすれば、花はかくれていなければならないのです。

 プラトンの「イデア」のようなものですね。

 じつは、物理学で世の中のからくりを解明していくと、ちがった現象の中にも共通点が見えてきます。

 極端ないい方をすれば、一つのものごとをじっくり眺めていくと、それは、宇宙のすべての存在につながっていることがわかります。

 「部分」の中に、「全体」が反映されているということですね。

 たとえば、台所のシンクに吸い込まれる小さな水の渦から、台風や銀河の渦巻き構造まで、つまり、ミクロからマクロまで、宇宙は同じかたちの重ね合わせでできている、といってもいいのです。

 原子の構造にしても、古典的な表現をっかえば、原子のまん中に原子核があって、その周りを電子がぐるぐるまわっていると考えると、原子の性質を説明するのに、うまくっじっまがあうのです。

 それはまるで、太陽の周りを地球や木星のような惑星がまわっている、太陽系の構造とそっくりです。

 このように「ものの大きさには関係なく、すべての形や性質が相似形でできている」ということを、物理学の世界では「フラクタル」といっています。ですが、ここでは、とくに深く立ち入る必要はないので、これくらいにしておきましょう。

 ついでにもう一つ。

 「大きさには関係なく、すべての形や性質が相似形でできている」ことに関連して、これと似た世界の見方をしている詩人はたくさんいます。

 その中のひとりで、たとえばイギリスの詩人、ウィリアム・ブレイク(1757-1827)の「無垢の予兆」という詩を挙げておきましょう。ブレイクは次のようにいっています。

 一粒の砂の中に世界を、

 一本の野の花の中に天を見るように

 君のてのひらの中に無限を、

 一時間の中に永遠をつかみなさい

 面白いですね。科学者も詩人も、表現方法はちがっていても自分の身近にある現象から宇宙に想いを馳せている、という点においては同じなのです。
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レンタ・リースの先

レンタ・リースの先

 レンタ・リースの先にはカーシェアであり、シェアカーを創造することが求められている。これが地域の公共機関とつながっていく。ローカル・ラブです。

 タクシーを公共機関として見る考え方があります。運転手つきのシェアカーとして見ていけばいい。もっと、気楽に乗って、体験を変えていく。彼らをドライバーとして位置付けていく。

 シェアするのに、クルマにどういう機能があった方がいいのかというのは、水素自動車<みらい>よりもはるかに意味のあることです。地域の状況把握とつながっていく。60年後の未来から来た駆逐艦はジパングでは<みらい>である。<みらい>と言うならば、60年後の世界から戻ってくる。それはハードではなく、ソフトでしょう。どういう風に使っていくのか、どういう機能があった方がいいのか、今のベーシックの世界にどのように展開されるのか。

 なぜなら、ハードならば、人々の心は変わっていないから、現在の延長線上に未来がないから、戻ってこれない。ソフト、つまり、人々の考え方が変わることで、未来が継続しているはず。

 クルマを売ることではなく、レンタ・リースであれば、もっと、公共に近づけないといけない。クルマはもっと、可能性を持っています。自動運転も含めて、どういうカタチで、従来型の公共機関と抱合せていくのか。

LAN/WANの発想

 カーシェアするために必要なのは、ローカルとグローバルです。LANとWANの発想です。

 長距離と近距離をきっちり分けていく。ローカルはローカルとして、きっちりと体系を作る。グローバルとつなぐところは、本来の公共機関でもいい。新幹線に勝るものはないでしょう。ローカルのところをどうカバーリングするのか。そこはクルマでやるよりも、公共機関的な発想でやっていく。コミュニティでの地域インフラと抱合せる。

 そこから、車というもの、保険というもの、交通事故も変わってくる。そうなると、警察の意味も変わってくる。公共機関との親和性をいかに深めていくのか。

 リスクを個人に直課しないために、コミュニティを間に立てて、コミュニティの商売になることを考えていけばいいです。
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