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第8章クルマ社会の進め方

時間の進み方がおかしい

 どう見ても、時間の進み方がおかしい。ゆっくりなっている。歴史の分岐点に向かって、加速するはずなのに。これは私の性なのか。何かを気づかせようとしている。

 何故、時間の進み方が遅れているのか。それは変節点を向かえようとしているから。

クルマ社会からシェア社会へ

 クルマ社会で交通機関の総合的な体系ができれば、同じ手法で家庭の仕事にも適用できる。それが家庭を変えること、企業を変えること、教育を変えることになる。ツールだけでなく、人間を吹くんだカタチ、アナロジーをもっと使っていく。

 クルマ社会で一つの解ができれば、家庭・教育・企業に適用して、シェア社会をイメージできる。先の方から環境社会での解を持ってくる。

覚醒を伝播させるには

 世界を変えるということは、それ以前に人間は変わっていないといけない。覚醒です。その覚醒はムハンマドのようにそれ自体として起こっていく。

 一番分かりやすいのは戒律だけど、それによって何が儲かるのかも、ムハンマドのやり方があるけど、今はツールが進化しているので、それを使えば、伝播スピードはアラブ社会よりも格段に進むことができる。ベビメタにしても、あのへんてこなおじさんの歌にしても、1本のビデオで、すぐに1000万件を超える。伝播は簡単です。

第8章の進め方

 第8章はクルマ社会へのロジックを各単元毎のシナリオで示していく。

 第8章はお題が並んでいる感じです。これらの材料から何を作るのか、という感じです。

8.1「販売店」

 「販売店」と言った時に、内容は「販売店の未来」ですね。経営者ヒアリングでは、2割ぐらいが考えていた。後はメーカー任せ。販売店がどうなるのか。最低でもお客様をどうつなぎ止めるのか。販売店経営者は車のことは考えていない。自分たちが生き残ることだけです。

8.2「クルマ」

 だから、次の項目は「車の未来」です。

8.3「地域」

 そして、「地域の未来」です。

8.4「シナリオ」

 8.4は販売店・車・地域の未来を使って、未来のシナリオになります。

8.5「情報共有」

 一番大きな機能は「情報共有」です。これが以前と大きく異なることです。ソーシャルネットで可能になった部分です。これによって、個人の力をいかに全体の力にしていくことが可能になった。ハイアラキーではなく、配置の世界でのキーです。

 ソーシャルネットはそのために作られた。先人の思いがこもっている。

8.6「ソーシャルネット」

 8.6はソーシャルのツールになります。情報共有をソーシャルでどのようなカタチになっていくのか。これらはまだ、意味を持っていません。

8.7「分化と統合」

 8.7は分化と統合だけど、これは地域での統合を意味している。最初は市民の分化で、さいごは統合です。統合によって、いかに維持できるようにするか、その中で分化をいかに育てるか。

8.8「クルマ社会」

 最後は「クルマの未来」です。未来があるようにしていく。今のままではありません。渋滞問題もこの中で入れ込みます。

 車の渋滞に対して、行政もメーカーも考えていない。これはかなりの行動を要求するものです。自動運転よりも前に行なう行動です。今、起きていることだから。

 中国は自転車がそのまま、車になった世界を作ってしまった。これは15年前の上海で感じたことです。これは碌でもないことです。なぜ、シェアの共産主義の中国でそんな状態になるのか。先を見ていない共産主義に先はない。

 先を見て、国家を作ったはずなのに、どういう世界にするのかを忘れてしまった。全ては皆のものであるのに、全ては自分たちのものという錯覚の上の行動をしている。
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啓示「行動するな」の解釈

啓示「行動するな」の解釈

 「行動するな」の啓示の意味が少し分かってきました。それは他者の世界だからです。干渉するな。してはいけない。ただし、考えよ。

啓示を信用する人々

 ムハンマドも洞穴で20年に亘って、自分の奥にあるものを出してきたんでしょう。記すものもないのに。奥にあるものは人類に共通していたから、皆が解釈できた。それが啓示なのでしょう。

 私の啓示にしても、「考えよ」とか「世界は変わる」にしても同様です。私とムハンマドの差はハジージャが居た。信頼してくれる家族が居た。今はその代わりにツールがあると思いましょう。

ムハンマドの啓示

 ムハンマドは20年に亘って、啓示を得たと言うけど、それって、長くない? 啓示は一瞬だと思うけど。

ICレコーダーの進化

 例えば、話したことをそのままリピートさせる。それが聞き取れるようになるようにAIでの学習機能を入れ込む。リピートできれば、そのデジタル音源としたテキスト化はできるはずです。

 そのリピートできるかの訓練をICレコーダー側で行なってしまう。ICレコーダーで学習させるという発想がなかった。OCRソフトもパターン化したものでやろうとするので、無理がある。個人に特化できることがポイント。何を話しているかを皆に説明する友達機能です。

 自分の言葉に合うようにしていけばいいだけです。何回も聞きながら、話し方を変えていく。それによって、テキスト化が簡単にできる。それによって、簡単にできる。それを小さな筐体でやってしまえば、USB経由でも、無線でもいい。

 色々な発信が簡単にできる。ボイスメモをデジタル化というよりもテキスト化してしまう。本への統合にもつながる。印刷の逆関数です。メール機能になる。それをデジタル化すれば、分化と統合ができる。その時に人間というフィルターをどう使っていくのかがAIの見せ所です。そんなに難しいことではない。
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家庭をシェア社会の基盤にする

家庭をシェア社会の基盤にする

 家でも簡単にできる料理屋さん。スーパーに併設します。材料はスーパーから三つだけ持ってきます。例えば、ステーキ、塩こしょうを持ってきて、グリルで焼いて出す。ご飯は炊くのではなく、「おいしいごはん」を持ってくる。ハンバーグも冷凍を持ってくる。それを調理して出す。問題はその調理のうまさ。

 スーパーの食材をいかにキッチリ食べる。最終的には、食事のシェアをめざす。作る人と食べる人をシェアさせてしまう。松屋にしても、シェアの観点で冷凍食品を活用していく。家での労働を完全に開放する。家庭のシェアへの道も拓く。

 個別に展開されている、冷凍食品、コンビニ、ファーストフードを体系化してしまう。あたかも公共機関と自動車と自転車の交通体系のように。アナロジーの世界。

 いかにして、食料をシェアするか。それを核にして、農業、エネルギー、貿易まで拡大していく。家事という労働に対して、ちゃんと、お金を付けると同時に、シェアさせていく。

第7章から生活パターンを考察

 第7章にまで、取りかかれていない。概要は明確になってきている。前半4つは自分の分割であり、5つ目は、接点である女性、6つ目は知の世界、7つ目は全てを知りたいと言う欲望、最期は存在の無に向かう目的。

 これだけでできている自分は何なのか。それを説明できる。他の章もこれぐらいコンパクトになればいいけど。とりあえず、今日は朝8時からその辺をまとめましょう。

ノブの正月

 ノブは昨日が正月だったみたい。家に来て、食べて、未唯の子どもに会って、そして、帰って行った。ノブの生まれてくる子が女の子と聞いていたが、男の子だそうです。ナノという名前を用意したのに。三月の出産までは来ないでしょう。

冬休みに『哲学中辞典』

 私が冬休みに薦める本は『哲学中辞典』。丁度いい文字数でまとめられているのと、人名とキーワードの接続がされている。とりあえず、「ハンナ・アーレント」と「ウィトゲンシュタイン」からのチェーンを辿って、OCR項目を決めました。

 なんと、あこがれの「ヒュパティア」も項目になっていました。「当時は珍しくなかった女性の哲学者たちも歴史の中から消え去っていった」で終わっている。
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OCR化した13冊

2016年12月28日(水) OCR化した13冊

『わくわく創年時代』

 新しい動き・指定管理者制度 期待される利用者へのサービス向上

 図書館と地域を結ぶ組織・ひと TRC図書館流通センターの場合

 まちづくりに果たすTRCの機能

 図書館が、高齢者のたまり場

『シチュエーショナル・ストラテジー』

 市場創造戦略 ブルー・オーシャン戦略(Blue ocean strategy)

 ブルー・オーシャン戦略とは

  ブルー・オーシャン戦略の分析単位:ストラテジック・ムーブ

  3つの中核要素

  Iバリュー・イノベーション

  ブルー・オーシャン戦略:6つのリスクと6原則

 他の戦略論との関係

  競争戦略との関係

  競争戦略をマスターすることの重要性

  新市場創造手法

 バリュー・イノベーションにおける主要ツール

  バリュー・イノベーション実現の各フレームワークとツール

  フォー・アクション・フレームワークとERRCグリッド

 バリュー・イノベーションの正しい順序

  正しい順序で考え手堅いビジネスモデルを作る

  バイヤー・ユーティリティ・マップで買い手の経験を広く認識する

  プライス・コリドー・オブ・ザ・マスで売上を最大化する価格を設定する

  プライス・コリドー・オブ・ザ・マス ステップ1:顧客の密集する価格帯を探す

  プライス・コリドー・オブ・ザ・マス ステップ2:顧客の密集する価格帯で価格を決める

  様々な価格モデルを工夫する

 ノンカスタマーに目を向ける

  ノンカスタマー(non-customer)

  セグメンテーションからノンカスタマーヘのパラダイム変換

『そして、暮らしは共同体になる。』

 すべては共同体へと向かう

 わたしたちの暮らしに影響を与える〈場〉

 重なり合うネットとリアル

 「デジタルネイチャー」に属する未来

 思い立ったらボタンひとつで

 魔法のようなテクノロジーに支えられる

 AIによるビッグデータの分析

 ビッグデータの可能性

 あらゆる場所がメディアになる

 メディア空間につくる物語--「北欧、暮らしの道具店」

 クラシコムの文化

 メディアの3Cモデル

 企業と人がつながる包括的なメディア

 企業と消費者がともに創る価値

 企業は「伴走者」になっていく

 ライブ的な体験を共有する仕掛け

 ライブ体験+継続的なコミュニケーション

 人と人をつなぐ包括的プロセスヘの変化

 二十一世紀の新しいマインド、ノームコア

 自由を生み出す究極の普通

 新たな共同体の再興

『介入のとき』

 ピースキーパー、ピースメーカー

 レバノン--杉革命とシリアの撤退

 レバノン--二○○六年戦争と決議一七〇一号

 中東における平和維持と平和構築

 アラブの目覚めと中東の未来

『ブロックチェーン・レボリューション』

 信頼のプロトコル

 インターネットに足りなかったのは「信頼のプロトコル」

 ブロックチェーンとはいったい何なのか

 世界中がいまブロックチェーンに注目している

 テクノロジーが企業や政治家の嘘を暴く

 インターネットの帰還

 アイデンティティを自分の手に取りもどす

 ブロックチェーンから見えてくる未来

 本物のシェアリング・エコノミーがやってくる

 金融業界に競争とイノベーションが生まれる

 財産権が確実にデータ化される

 送金が安く、早く、簡単になる

 支援金が必要な人に確実に届く

 クリエイターが作品の対価を受けとれる

 会社の形態が進化する

 モノが自分で動くようになる

 小さな起業がどんどん生まれる

 政治が人びとのものになる

 未来型プラットフォームの光と闇

『ワールドシネマ・スタディーズ』

 『そして、私たちは愛に帰る」

 『シリアの花嫁』

 『長江哀歌』

 『海と大陸』

『新市民革命入門』

 リローカリゼーションの時代へ 地域循環型経済と暮らしへの道

 〝リローカリゼーション(地域回帰)〟とは何か

  日本的共同体とヨーロッパ的共同体

  リローカリゼーションの時代へ

  リローカリゼーション(地域回帰)の二つの方向

 世界に広がるリローカリゼーション運動

  グローバル・エコビレッジ

  フェアトレードタウン

  トランジションタウン

  スローフード/スローシティ

  有機農業

  パーマカルチャー

  バイオダイナミック

  協同組合運動

  「ラダック・プロジェクト」とISEC

  エディブル・シティ(都市を耕す)

  その他の国際的なコミュニティ活動

 経済のリローカリゼーションは何をもたらすか

  エネルギーのリローカル化--エネルギーの地産地消へ

  食のリローカル化--有機農業とファーマーズマーケット

  交通のリローカル化--コンパクトタウンとタウンモビリティ

  建築・都市計画のリローカル化--公共圏の形成と建築

  金融のリローカル化--NPOバンク

  通貨のリローカル化--地域通貨でつなぐコミュニティの輪

  その他のリローカル化の動き

 地域内循環型経済へ向けて--レジリエンス(復元力)とリエコノミー(経済の再構成)とSDGs

  レジリエンス(復元力)

  ピケティ理論

  リエコノミー(経済の再構成)へ向けて--トットネスの事例

  リエコノミー・インキュペーション

  地域から日本を変革していく--世界とつながる市民自治のまちづくり

  SDGsのローカルアジェンダヘ

『ロシアの歴史を知るための50章』

 飢饉とテロル--1930年代の悲劇

  飢饉は農業集団化の結果

  一般国民にも及んだ恐怖政治

 大祖国戦争--偉大なる戦勝体験

  独ソ開戦

  スターリングラード攻防戦での勝利

  対日参戦

 ソ連と中国--同盟、対抗、そして戦略的パートナーシップヘ

  緊張を孕んだ同盟

  関係の亀裂から対立へ

  軍事的対立と米中デタント

  関係正常化への道のり

  冷戦終結後の中露関係

 ウクライナとロシア--ウクライナの対口姿勢と内政

 プーチン--無名の治安幹部から世界レベルの大統領へ

  プーチンって誰だ(1999~2004年)

  プーチンみたいな彼(2005~2010年)

  プーチンなしのロシアを(2011~2013年)

  プーチンなければロシアなし(2014年以降)

 プーチン外交--欧米との「協調」から「対立」へ

  「ユーラシア主義」に回帰

  イラク戦争、旧ソ連圏混乱が転機に

 ロシアに未来はあるか--おわりにかえて

『戦艦武蔵』

 戦艦武蔵の建造

 武蔵建造の背景

  日本海軍の戦艦

  大正期の海軍軍縮

  海軍の内なる精神主義

  漸減作戦

  国防より組織?

  ロンドン軍縮条約

  対米格差をいかに埋めるか

  四一年、対米英戦争はなぜ実行されたのか

 戦艦武蔵の建造

  大和型戦艦の特徴

  大和型の難点その一--アウトレンジ

  難点そのニ--速力不足

  予算と重量の問題

  予算の査定

  大和・武蔵は〝時代遅れ〟の発想ではない

  なぜ新戦艦を造ったか

  大和・武蔵は国民のため?

  陸軍とのパイの奪い合い

  艦名は聞こえたか

  子どもが勉強できない

  現実の対米戦争と武蔵の完成

  対米戦争開始と武蔵の完成

  「こいつは生きている」

『世界史のながれをつかむ技術』

 「歴史とはなにか」--自分と世界をつなぐもの

  世のなかは歴史だらけ?

  「歴史認識」問題の不毛さ

  「グローバル」という言葉の落とし穴

  「貧困」が戦争を引き起こす

  「戦争」は新たな時代を生む

  「宗教」はなぜ弾圧されるのか

  「科学技術」の発展がもたらした強大な力

  歴史書はなぜ書かれるのか

  「国益」の使われ方

  怠惰と欲望が世界を変える

 西アジアの時代区分

  古代オリエント世界 前3000頃~前4世紀

  一神教の誕生 前6世紀~7世紀

  アラブ帝国とイスラム帝国 7世紀~13世紀

  オスマン帝国 14世紀~20世紀

『独身40男の歩き方』

 メンタル 何か不安で、何に期待できるか

 恋愛と結婚 女性なしの人生は考えられない

 仕事 上を目指すか、下を見るか。どう向き合ったらいいのか

 人間関係 プライベー卜の人脈は独身者の生命線

 趣味とお金 ひとり遊びが不幸へと続く道

 ファッション 世間は40男の見た目をこう思っている

 健康 笑顔で生きていくための処方箋

『起死回生の読書!』

 暴風雨の中の無風地帯.

  勝つための読書

  ある読者の逸話

  データの残酷

  ティッピング・ポイント

  高等教育の意味

  読書家批判

 ありうべき教養とは何か

  世界を語ること

  「世界=本」を守ること

『名著で読む世界史120』

 旧約聖書 亡国が生んだ唯一神教

 新約聖書 信仰と歴史の創造

 歴史 ヘロドトス

 歴史「地中海世界」の統一

 神の国 西欧キリスト教世界の礎

 史記 「史」の誕生

 コーラン 超越的唯一神の言葉

 ハディース 最上の人間の模範を伝える

 ニーベルンゲンの歌 古えの英雄伝説と騎士道文学の融合

 九十五ヵ条の論題 中世的秩序に激震をもたらす

 方法序説 諸学を再構築する

 人間不平等起源論 文明社会への危機感

 純粋理性批判 近代哲学の転換点

 人口論 不都合な真実?

 精神現象学 世界と歴史を遍歴する「精神」

 資本論 近代社会の経済的運動法則を暴露する

 戦争と平和 「1812年」と人生の意味

 カラマーゾフの兄弟 現代を揺るがす予言

 ツァラトゥストラはかく語りき 無意味な生を生き抜く

 国家と革命 国家死滅のユードビア

 毛沢東語録 文化大革命のバィブル

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家庭の中では私は居ないことになっている

家庭の中では私は居ないことになっている

 どうも、私が居ないことになってみたいです。子どもたち3人と嫁さんで壁に行く時は、私には何の声も掛けられなかった。家族の中で。「家」のことは何にもしないから? これは私のとっての理想状態です。いよいよ、完成です!

ICレコーダーの書き起こし

 ICレコーダーも180件となると、気分が削がれます。これを普通に入力する方法はないのかな。とりあえず、一番軽装備でとりあえず、街に出ました。今日からお休みか。外へ出掛ける理由はなくなりました。

他者の世界の答

 来年こそ、答を出さないといけない。この他者の世界。
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読書の動機付け


 読書の動機付けのために色々なことが書かれているけど、読書はそんなに難しいものではない。生まれてきた以上、全てを知りたいと言う要望があるかどうかです。

 読書はあまりにも先が読めない。過去のことをいかに前に向けていくのか。そこには非連続性がある。乃木坂のの方が未来が見えてくる。一人ひとりの葛藤がどういうカタチになっていくのか。人間との関係もそこから出てきます。私には関係ないけど。

覚醒するために本を読む

 折角、調べてもらったもんだから、聞かないわけにはいかないでしょう。それが私にとっての読書です。他者が本を読まないのは、その義務がないからです。それだけのことです。

 覚醒するために本を読む。単にそれだけです。ムハンマドはアラブ社会の覚醒を行なった。

スタバのプリンを未唯に渡す

 今日、未唯が来ると言うことで、私の分のスタバのプリンを渡した。本来、未唯のたまに買ったんだから。

OCR化した本の感想

 『名著で読む世界史120』

  宗教:旧約聖書、新約聖書、コーラン、ハディース、神の国、九十五ヵ条の論題、人間不平等起源論

  歴史:ヘロドトス、「地中海世界」の統一、司馬遷 + ヘーゲル「歴史哲学」

  文学:ニーベルンゲンの歌、戦争と平和、カラマーゾフの兄弟

  哲学:方法序説、純粋理性批判、精神現象学、ツァラトゥストラはかく語りき

  革命:人口論、資本論、国家と革命、毛沢東語録 +ヒットラー「わが闘争」
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名著で読む世界史 哲学

『名著で読む世界史120』より

『純粋理性批判』 近代哲学の転換点

 作者 イマヌエルカント 1724~1804

  1724年にケーニヒスベルク(ロシア内カリーニングラード)で生まれる。25歳のときに運動と力に関する物理学的著作『活力測定考』でデビュー。自然科学の論文も多く、1755年のリスボン大地震の際には『地震三論』を発表している。哲学者として名高いが、百科全書派的な博学を誇り、数学や地理学に関する講義も受け持っていた。

  ケーニヒスベルク大学教授になったのは比較的遅く40歳のときであり、それまでは私講師として生計を立てていた(現在の予備校講師のようなものだが、大学教授よりも実入りはよかったそうである)。毎日決まった時間に散歩をしたことでも有名。1804年に79歳で死去。弔客があまりにも多かったため、葬儀は16日間続いたという。

 内容紹介 『純粋理性批判』

  自然科学は着実に進歩しているのに形而上学(経験を超えたものについて考える哲学)はギリシア以来まったく先に進んでいない。例えば神について、さまざまな人々がさまざまなことをいうけれど、目の前のコップのように神を見たりさわったりして調べられない以上、客観的で確実なことは何もわからない。そして確証がないからこそ、哲学者たちは好き勝手に罵り合い、形而上学を組み立てては壊していった。ギリシア以来、形而上学はさながら闘技場のようであり、客観的な学問として成立したことは一度としてないではないか!

  これが本書を執筆したカントの問題意識であった。したがって自然科学と同じような学問としての形而上学はいかにして可能か、これが本書の中心的な問いとなる。この問いに答えるためにカントは次のように考えた。神や自由のような形而上学の対象は経験にあらわれない。それなのになぜ私たちは神や自由について思考してしまうのか。こうした対象について考えてしまう原因は、対象の側にではなく、私たちの思考能力とくに理性にあるのではないか。そうであれば、まずは私たちの理性そのものを吟味し、どこまでが確実な思考に役立ち、どこからが空理空論に陥るのかをチェックしなければならない、と。

  このチェック作業こそが純粋理性批判である。この批判によって、哲学的考察の力点は、対象の側から私たちの能力の側へと決定的に転回する。それによって哲学の課題は、「世界とは何か」「神とは何か」といった伝統的な問題に先立つ「そもそも人間には何かできるのか」「人間とは何か」となる。カントの文体は重層的で難解だが、本書で示したスリリングな思考の進展は、今でも読者に哲学する喜びを与えてくれるはずである。

『精神現象学』 世界と歴史を遍歴する「精神」

 作者 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 1770~1831

  18~19世紀ドイツの哲学者。テュービングン神学校時代に盟友ヘルダーリン(詩人、1770~1843).シェリング(哲学者、1775~1854)と出会う。フィヒテ(哲学者、1762~1814)も含め、彼らの哲学はドイツ観念論と総称されることもある。ヘーゲルは『精神現象学』(1807)で独自の哲学構想を展開したのち、哲学体系の全体像を『哲学的諸学のエンツュクロベディー』(初版1817)において示した。人間精神が自己自身を知るプロセスを弁証法という独特の論理によって壮大かつ細緻に叙述する彼の哲学は、生前のみならず20世紀の哲学にも大きな影響を与えた。ヘーゲルの死後は弟子たちにより哲学史・美学・歴史哲学・宗教哲学などの講義録が編纂された。日本では、アメリカの哲学者・東洋美術史家であるフェノロサ(1853~1908)が東京大学でおこなった哲学史講義(1878~86)がヘーゲル哲学受容の端緒となった。

 内容紹介 『精神現象学』

  ヘーゲルはこの著作全体を通じて、人間の知がさまざまな認識段階や歴史の歩みを経て、真の意味で自己を知る「絶対知」となるまでの遍歴過程を、豊富な思想史的・文学的文脈を織り混ぜながら叙述した。もともと本書は「意識の経験の学」というタイトルのもと、自然的意識が「感覚的確信」「知覚」「悟性」「自己意識」の順に知のさまざまな形態を経験し、最終的に「理性」に至るという構成で完結する予定であった。しかしへ-ゲルの考える理性は、そのようにたんに認識論の枠内で語られる理性ではなく、自然的世界や共同体や歴史のただなかを生きる人間の精神の現実的な奥行きをもった理性である。こうした考えに基づき、後半部では自然的世界と行為の世界、共同体、そして宗教の世界を歴史的にたどるなかで人間の精神がどのようにあらわれてきたか、つまり「精神の現象の学」が展開され、これが最終的に本書のタイトルとなった。

  『精神現象学』最大の特徴は、全体を貫く弁証法的運動の原理にある。知る主体は、さまざまな世界経験のなかで、自己が無自覚に営んでいた既存の枠組み(即自)の限界や矛盾に絶えず直面し、葛藤しながらもその都度自己と対峙して(対自)、単純に自己を新たなものに置き換えるのではなく、それまでの成長過程全体を含めて自らを把握できる可塑性を備えた主体となってゆく(即かつ対自)。ヘーゲルは本書の緒論で、こうした知の弁証法が、そのただなかにある主体にとっては「懐疑の道」ないし「絶望の道」になるだろうと述べているが、その都度自己が限界に直面するというこの「否定性」の契機こそが、新たな知の可能性に向けて弁証法を推進する原動力として重要な役割を担う。

『ツァラトゥストラはかく語りき』 無意味な生を生き抜く

 作者 フリードリヒ・ニーチェ 1844~1900

  ドイッの古典文献学者であり哲学者。プロイセン王国領レッケン村に牧師の子として生まれた。ライプツィヒ大学などでギリシア悲劇をはじめとする古典文献学を学び、1869年には24歳の若さでバーゼル大学の教授となった。19世紀は、ヨーロッパ列強が圧倒的な力で世界中を次々と植民地化した時代であり、プロイセン王国も1871年にドイツ帝国を成立させ、その仲間入りをしている。しかしニーチエは、一見栄華を誇るように見える今こそ、ヨーロッパが袋小路に向かっている段階に他ならないとして、その超克に生涯を捧げた。ニーチエは1870~80年代を通じて精力的に作品を発表していった。しかし1889年以降は、精神的なバランスを崩して思想家としての活動が困難となり、1900年に55歳で死去した。

 内容紹介 『ツァラトゥストラはかく語りき』

  1883~85年のあいだに数回に分けて出版された本書は、約20年間にわたるニーチエの思想家としての活動の後期に属している。ニーチエは、論文型の『悲劇の誕生』『道徳の系譜』、アフォリズム(格言)を集めた『人間的な、あまりにも人間的な』『善悪の彼岸』など、さまざまな表現形式を駆使して自らの思想をあらわした。そうしたなかで本書の特徴は、物語の形式をとっている点にある。

  主人公ツァラトゥストラは、「人間は何のために生きているのか」「自分はどのように生きるべきか」という根源的な問いに答えるものであった宗教や道徳が、現代ではもはや機能しなくなってしまったことを看破し、「神は死んだ」と語る。そして、人間は神がいなくては生きていくことができなかったこれまでの自分を超克し、「超人」にならねばならない、と主張した。

  ツァラトゥストラによれば、「生きることに意味などないし、めざすべき目的は何もない」という厳しい現実を直視しながらも、人生に絶望しない強さをもち、神なき時代を生き抜いていけるのが、超人である。超人は、従来の価値観や決まりごとに捉われず、自分の意志にのみ従い、必要とあれば、これまでは道徳的に禁じられていたことにさえ、果敢に取り組む存在である。もちろん、このような生き方は危険な道のりであり、場合によっては当人を破滅させてしまうこともある。しかし生きている以上、神がいなくても人間にできることはまだたくさんあることに気づいて、強い意志でそれを実践する存在になるべきである、と彼は主張した。ツァラトゥストラは、自分の考えが間違っていないことを確信する兆しを感じ取り、すべてのしがらみを捨て去って新しい生を迎えるところで、物語は終わる。
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名著で読む世界史 ムスリム

『名著で読む世界史120』より

コーラン 超越的唯一神の言葉

 内容紹介 『コーラン』 7世紀前半

  ムスリム(イスラーム教徒)にとって、『コーラン』は、唯一神アッラーが人々を導くために預言者ムハンマド(570頃~632)にアラビア語でくだした言葉(啓示)を集成した書物であり、最も重要な聖典である。ただし、アッラーは、『コーラン』を一括してくだしたわけではない。610年頃にムハンマドを預言者に召してから、ムハンマドが死去するまでの約23年にわたって、断続的に啓示をくだしたとされる。以下に『コーラン』におさめられた啓示の一端を、便宜的に3つの類型に分けて紹介しよう。訳は、最も流通している井筒俊彦訳である。

  第1の類型は「警告的啓示」で、アッラーが唯一の神であると言明するとともにやがてくる「最後の審判」の恐ろしさを警告し、改悛を勧める。「警告的啓示」は、アラビア語の韻律散文(サジュウ)を効果的に用いて、短く、時に不可思議な言葉でアッラーの偉大さや終末をイメージさせる。

   どんどんと戸を叩く、何事ぞ、戸を叩く。戸を叩く音、そも何事ぞとはなんで知る。人々あたかも飛び散る蛾のごとく散らされる日。山々あたかも雀られた羊毛のごとく散らされる日。(第101章第1~4/5節)

  第2の類型である「逸話的啓示」は、やや冗長な文体で、聖書やアラブの伝説などの真実を説き明かす。例えば、イスラームにおいて、イエス(前7/前4?~後30?)は神の子ではなく預言者とされるが、次のように説き明かされる。

   するとイエスが口をきいて、「私はアッラーの僕です。アッラーは私に啓典を授け、私を預言者にして下さいました。(……)ああ祝福された我が身よ、私の生まれた日に、やがて死に逝く日にそしてまた生き返って召される日に」と言った。これが、マリアの子イエス。みながいろいろ言っている事の真相はこうである。もともとアッラ一にお子ができたりするわけがない。(第19章第30/31~35/36節)

  第3の類型「指導的啓示」は、さらに説明的で、礼拝や巡礼などの信仰行為や、食事・結婚・商売・戦争といった人間の生活や共同体の諸事に関して、アッラーの指導を伝える。例えば・相続に関して、アッラーは次のような指導をくだしたという。

   もし誰か男が死んで、子供がなく、姉か妹だけがある場合は、その遺産の半分が彼女の所有に帰す。逆に彼女の方が(先に死んで)これにもやはり子供がない場合には、男の方が彼女の遺産を相続する。また、姉妹が2人の場合は、彼の遺産の3分の2が2人のものとなり、兄弟・姉妹共にある場合には、男子1人の取り分は女子2人の取り分と同じとする。これはみんな、汝らが道を踏み迷わぬようにとて、アッラー御自ら説き明かし給う。アッラーはいかなることも全て知り給う。(第4章175/176節)

 解説

  以上のような内容と調子の相違は、ムハンマドが預言者として、活動した約23年間に彼と彼の仲間たちがぃだいた疑問や直面した問題に対して、アッラーがその都度啓示をくだしたことによるとされる。また、『コーラン』には、アッラーの啓示のみが記録され、人間による補足や解説は加えられていないとされる。その一方で、啓示を書物にまとめたのは人間である。アッラーがムハンマドの口をとおしてくだした個々の啓示は、「アーヤ」(徴)と呼ばれて『コーラン』の「節」をなす。ムスリムたちは、啓示の時期や内容の共通性などによってアーヤをスーラ(囲われたもの)に集めた。このスーラが「章」に相当し、『コーラン』のテキストは114のスーラから成り立つ。

  アーヤをスーラにまとめて読み伝えることは、ムハンマドの存命中からおこなわれたが、構成や内容が統一されていなかった。ムハンマド死後の征服活動によって、ムスリムたちが北アフリカから西アジアの各地に拡散していくなかで、啓示が地域ごとに異なって伝えられることを危惧した第3代正統カリフ、ウスマーン(在位644~656)は、各アーヤの文言、スーラの構成と配列を統一することを命じた。世界中に無数に存在する『コーラン』の写本・印刷本はすべて、そのウスマーンの命によって編纂されたテキストを正確に写し継いだものと信じられている。

  『コーラン』の継承においては、正確に文言を伝え、意味を解釈することと並んで、美しくアラビア語で音読することも重視されてきた。そもそも『コーラン』(原音に近いカナ表記では「クルアーン」)とは、アラビア語で「読誦されるもの」を意味し、そのアラビア語の超越的な美しさが、人智を超えたアッラーの啓示であることを示すと捉えられてきたからである。そのため、『コーラン』は、人の手による他言語への「翻訳」ではなく、アラビア語で読まなければならないといわれることにもなった。

  もちろん、内容の理解も重要である。ムスリムにとって、『コーラン』を理解することは、アッラーの導きを理解することである。しかし、それだけに、必ずしも明快ではない『コーラン』の文言をいかに理解すべきかをめぐって、多大な努力とさまざまな議論が積み重ねられてきた。

ハディース 最上の人間の模範を伝える

 内容紹介 ハディース  7世紀中葉~

  ハディースとは、アラビア語で「伝承」を意味する。ムスリム(イスラーム教徒)にとっては、何よりも、唯一神アッラーの預言者、ムハンマド(570頃~632)の言行に関する伝承を指す。預言者ムハンマドの言行を伝えるハディースは、彼らが従うべきムハンマドの慣行(スンナ)の典拠として、アッラーの言葉(啓示)を集めた『コーラン(クルアーン)』に次いで重要だからである。

  とはいえ、アッラーの啓示が絶対的権威をもつのに対して、預言者とはいえ、人間であるムハンマドの言行を伝えるハディースの権威は相対的である。また、『コーラン』のテキストが早い時期に確定され、分量も限定されているのに対して、ハディースは、単一のテキストに確定・限定されていない。ハディースは、さまざまな場面におけるムハンマドの言行を伝える多様で断片的な伝承の集合であり、その総量を完全に把握することはできない。よく知られたハディースだけでも数万におよぶ。

  ハディースの伝達においては、書かれた記録が多用され、ハディースを集めた書物(ハディース集)も、8世紀頃から数多く編纂されてきた。その一方で、ムハンマドの言行を直接見聞きした人々から、代々口伝で伝達することが理想とされてきた。そのため、ハディースには、「イスナード」(根拠)と呼ばれる代々の伝達者を列挙した部分が、「マトン」(確固としたもの)と呼ばれる本文の前に付される。最も著名なハデイース集の1つであるブハーリー(870没)の『正伝集』から、一例を引いてみよう。

  ムハンマド(預言者ムハンマドとは別人)が私(ブハーリー)に伝え、ムハンマドにはアブダが伝え、アブダにはウバイド・アッラー・イブン・ウマルがナーフィウから伝え、ナーフィウにはイブン・ウマルが伝えた。イブン・ウマルは言った。にこまでイスナード。以下マトン)神の使徒(預言者ムハンマド)は言った。「口ひげを短く刈り、あごひげを長く伸ばせ」。

  現在、ムスリムたちのなかで、厳格なスンナ遵奉者を自認する人々があごひげを伸ばしているのは、このハディースが伝える預言者ムハンマドの指示に従っているためである。

  1つのハディースの分量は、上掲のような短いものから、数頁にわたるものまでさまざまである。内容も、『コーラン』と同様に礼拝・断食・食事・結婚・商売・戦争など人間の信仰と生活、共同体の運営に関する諸事全般を網羅する。加えて、ムハンマドの容姿と人柄、ムハンマドによる啓示の解説、啓示とは別にムハンマドがアッラーと交わした会話の内容などもハデイースとして伝えられている。

 解説

  ハディースの伝達は、預言者の死の直後に始まる。8世紀には、生活や共同体を預言者のスンナに則って営もうとする思潮が形成され、マーリク・イブン・アナス(795没)が、礼拝や断食、聖戦(ジハード)といった事項ごとに、関連するハディースや教友たちの言行に関する伝承を集めた『ムワッタア』(踏み固められた道)を編纂した。

  9世紀に入ると、アッバース朝(750~1258)カリフのマアムーン(在位813~833)が、論証に基づく合理主義を公認し、異端審問(ミフナ)を導入して、異なる考えを圧迫した。この合理主義との論争をとおして、最上の人間、すなわち、預言者ムハンマドのスンナが、通常の人間の思弁に優越することを主張し、スンナを『コーラン』に次ぐ規範の源泉と位置づけ、スンナの唯一の典拠としてハディースを重視する思想が、シャーフィイー(820没)やイブン・ハンバル(855没)によって整備された。

  この考えが多くの支持を得るにっれて、今度は、スンナの典拠として信頼に足るハディースをどのように選別するかが問題となった。預言者の死から200年あまりのあいだ、広範な地域でさまざまに伝えられたハディースには,誤伝や偽伝が混入していたからである。この問題に対して、ブハーリーとムスリム・イブン・アル=ハッジャージュ(875没)は、各地に伝わるハディースの真正性を吟味し、正伝ハディースを精選した書物をそれぞれ編纂した。両『正伝集』(サヒーフ)と呼ばれるこの2編のハディース集は,11世紀にかけて権威化され,スンナ派にとっては『コーラン』に次ぐ書物となっていった。その過程で、多くの類書が編纂されるとともに精緻な真正性判定理論を中心とした豊かな知識体系としてハディース学が発達し、イスラームの社会と文化に大きな影響を与えた。現在では、インターネット上のデータベースなどによって、膨大なハディースに容易にアクセスできるようになっている。

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名著で読む世界史 文学

『名著で読む世界史120』より

戦争と平和 「1812年」と人生の意味

 作者 レフ・トルストイ 1828~1910

  ロシアの文豪にして伯爵・大地主。執筆活動に専念しなかった。貴族であることに誇りをもつ一方、貴族と民衆の融合をめざした。だが、所領の農民との信頼関係を得ることは難しく、また、情熱をそそいだ村の学校は当局に閉鎖に追い込まれた。その挫折から立ち直った時期に書かれたのが、『戦争と平和』である。その後『アンナ・カレーニナ』(1875~77連載)執筆中に生は無意味という境地に至り、正教会の教えと異なる独自の信仰に救いを見出すようになる。以後,肉体労働と簡素な生活を志し、権力と暴力を否定する、いわゆる「トルストイ主義」が形成されていった。『復活』(1899)はその表現である。1901年に正教会を破門された。1910年に家出を決行し、病没。

 内容紹介

  『戦争と平和』 皇帝アレクサンドル1世(在位1801~25)の時代、ロシアは対仏大同盟に参加し、1805年にアウステルリッツの三帝会戦でナポレオン軍に敗北した。1807年にはフランスとの同盟条約締結を余儀なくされるものの、12年6月にナポレオン(在位1804~14、15)率いるヨーロッパ諸国の大軍の侵入を受けた。ロシア軍は退却を続け、スモレンスクを捨て、ボロジノ会戦後、モスクワも放棄した。講和交渉を拒否されたナポレオンは、モスクワヘ入城するものの退却し始め、ロシア軍は敵を追い払い、その後、西欧へ転戦した。この国土での戦いはロシア史で「祖国戦争」と呼ばれ、義勇軍の結成などでも知られる。

  『戦争と平和』は、1805年と1812年の戦争を主たる題材とする文学作品である。そこには積極的人生観がある。主人公の1人アンドレイ公爵が親近感を覚えていた、年老いて芽吹かなかったナラの大木は、初夏には「すっかり姿が変わって、しっとりした、濃い緑の葉を天蓋のように広げ、夕日の光のなかでかすかに揺らめきながら、うっとりと喜びに浸っていた」(藤沼貴訳)。小説は、戦争や人生の厳しい現実に直面しつつ青年貴族たちが得る、人生を肯定する境地、現実的で幸福な生の喜び、宇宙の調和、すべてのものへの愛を描いた。

  この作品は歴史も論じる。歴史を形成するのは皇帝でも英雄でもなく、すべての者の集団的な無意識の行動であるという歴史観が展開された。著者が描く「1812年」は、貴族と民衆が一体となってナポレオン軍に勝利した戦いであった。皇帝周辺の戦争における指導力・計画性は否定された。一方、8月に総司令官となったクトゥーゾフは、ヨーロッパの救済を志す皇帝と異なり、ロシア国民の精神を体現し、「国民の戦争」を代表する者として評価される。また, 1813~15年の西欧での対ナポレオン戦は語られない。それは「国民の戦争」でないゆえである。

 解説

  トルストイはこの作品で、人々の調和と力強い生の世界を見事に実現させた。だが、そのような世界は夢物語にすぎないという意識が、やがて彼を悩ませることになる。

  近年の歴史研究によれば、ナポレオン軍が迫るなかで農民の多くは農地を捨てて逃げ、ロシア当局の支配が崩壊した地域では、フランス軍に容易に味方した。また、敵と戦ったとしても、それは、自分と家族と教会のためであった。もっとも、ロシア人がみな、祖国のためだけを思って行動したというイメージは誤りである、とトルストイも書いている。彼によれば、全体の意味を意識せず行動する者だけが有用な働きをすることができた。

  歴史を無意識の営みと見なし、「1812年」を国民の一体となった戦いと考える彼の視点は、皇帝や軍の計画性を否定する。一方、歴史研究は計画性にむしろ注目している。ナポレオンの侵入地点と時期はおおよそロシア側に知られており、退却も、焦土作戦や遊撃作戦の採用も春には決定していた。アレクサンドル1世は、政治上の理由から、ロシアの中核地域を戦わずして失うことに抵抗を見せたものの、軍事的に都合のよい地点までの退却とその後の反撃を原則とすることを戦争前に認めており、司令部はそれに忠実に動いた。「国民の戦争」の必要性も早くから意識され、反撃後には西欧へ転戦し、ナポレオンを倒さねばならないと戦争前から考えられていた。「1812年」は対ナポレオン戦争の一部であった。

  トルストイは、自らの歴史観に従って1812年の世界を再構築した。この大作の魅力と影響力は大きく、例えば、ロシア軍事史において1812年だけが注目されやすく、その後の西欧での戦争と区別して論じられてきた理由の1つとしてあげられる。

カラマーゾフの兄弟 現代を揺るがす予言

 作者 フョードル・ドストエフスキー 1821~81

  慈善病院の医者の息子としてモスクワで生まれた。1839年に父親が領地の農奴に惨殺されるという悲劇が起こった。工兵士官の道を歩んでいたが、1844年に退役し、文学に専念した。『貧しい人々』(1846)で批評家に賞賛されるが、社会主義に傾倒し、1849年に逮捕された。処刑判決がくだったが、執行寸前に取り消されるという究極の体験をした。1854年までシベリアのオムスクで服役し、最下層出身の囚人たちと交わったことで人間観をおおいに深めた。1859年にペテルブルグでの居住を認められてからは、旺盛に文筆活動を繰り広げた。とくに『罪と罰』(1866),『白痴』(1868),『悪霊』(1871~72)、『未成年』(1875),それに本作は五大長編として名高い。賭博狂であり、ロシアの世界的使命を信じるスラヴ主義者であり、反ユダヤ主義者でもあった。

 内容紹介 『カラマーソフの兄弟』

  13年前に起こった謎の殺人事件を振り返ると冒頭で記されているので、時代設定は大改革に揺れる1860年代のロシアであるといちおう想定される。舞台は「家畜追い込み町」という架空の田舎町で、淫蕩な地主フョードル・カラマーゾフとその息子たちが物語の主人公である。長男ドミ-トリーは乱暴者、次男イワンは冷徹で、三男アレクセイは信仰に生きる。さらに フョードルの私生児といわれる下男のスメルジャコフも「カラマーゾフの兄弟」の1人である。官能的なグルーシェニカをめぐるフョードルとドミートリーの争い、気高いカテリーナとイワン、ドミートリーの三角関係、それに心の不安定なりーザとアレクセイ、イワンの三角関係と、愛憎が激しく入り乱れる。そのようななかでもアレクセイは宗教者ゾシマ長老を敬慕し、それにまた貧しい少年イリューシャやその同級生たちとの交流を深めていく。ところが突然に父フョードルが殺害され、真相は謎に包まれたままドミートリーが逮捕され、全ロシアを騒がす裁判が始まる。

  こうした筋立ての合間に、本作ではさらに、登場人物の手になる物語が重要な役割を果たしている。イワンがアレクセイに語って聞かせる「大審問官」の物語、それにアレクセイが編纂したゾシマ長老の回想がそうである。とくに異端審問の荒れ狂う15世紀のスベインにキリストが復活したという筋の「大審問官」では、自由とは何かという問題が正面から問われる。

  作品の舞台である「家畜追い込み町」は、作家が逗留した小都市スタラヤ・ルッサをモデルとしている。川沿いに建つグルーシェニカの邸宅や、イワンが「大審問官」を物語った料理屋「みやこ」など,今日でも見ることができる。

 解説

  1860年代のロシアは、大きな変革期を迎えていた。クリミア戦争(1853~56)の敗北を1つのきっかけとして、旧態然とした政治・社会制度を改革しようとする気運が盛り上がったのである。戦争中の1855年に二コライ1世(在位1825~55)を引き継いで即位したアレクサンドル2世(在位1855~81)は、この気運のなかで開明的な官僚とともにもろもろの改革を進めることとなった。はじめに以前から政府内部で検討がなされていた農奴制の廃止に手がつけられた。1861年に農奴解放令が出され、農民に対して人身の自由が認められたのである。さらに、大学自治の復活や地方自治体の設置、それに司法制度改革などが次々と実施された。これら一連の措置を総称して「大改革」と呼ぶ。司法改革では司法の独立や、陪審員制度の導入がはかられ、『カラマーゾフの兄弟』のドミートリー裁判の描写にもそのことは反映されている。

  もっとも、改革が進められたとはいえ、身分制は残った。さらに、土地取得は有償であったため農民は経済的には困窮したままで、また連帯責任で農村共同体に縛りつけられた。貧困や隷属が色濃く残る地方の生活が、『カラマーゾフの兄弟』に描かれた「家畜追い込み町」の姿であるといえる。

  信仰心もまた、とりわけ地方の人々のあいだでは篤かった。ゾシマ長老にはアンヴローシー長老(1812~91)というモデルがいて、同時代人から崇敬されていた。ドストエフスキー自身、『カラマーソフの兄弟』発表の前年にあたる1878年にアンヴローシー長老とその修道院を訪ね、感銘を受けた。優れた僧侶の遺骸は腐らないということも、広く信じられていた。ゾシマの遺体をめぐる叙述は、この民間信仰が背景になっている。聖者の遺骸は腐敗しないという考え方は、レーニン廟にも影響をおよはした。ボリシェヴィキはレーニンの遺体をミイラ化することで、民衆の聖者崇拝の伝統を利用しようとしたのである。
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文房具が本を駆逐する

 久しぶりの名古屋

  やはり、右胸が痛いですね。バス停まで15分、歩きました。思い切って、名古屋に行くことにしました。何も持たずに来ました。録画した、NHK番組「戦争と平和」だけ持って、来ました。高速バスの中で見るつもりです。テレビとバッテリーです。

  10時過ぎについて、地下街の吉野家で並卵のあとに、スタバに行き、恐る恐る覗き込んだ。居なかった。休憩かもしれないとと思い、ミッドランドスクエアの映画館に行って、適当な映画があるかどうか確認した。時間帯が悪かった。それで、戻って、見ていたが居なかった。

  知り合いのスタッフが声を掛けてくれたので、居るかどうか聞いたら、「居ない」とのこと。機能も居なかったみたい。年末の月末では、勤務時間が限られますね。やはり、縁はないですね。Iさんが居ないと入る気にもならないので、そのまま、東急ハンズに向かった。

 文房具が本を駆逐する

  10階の文房具に着いたが、様子がおかしい。尋ねたら、11階とのこと。11階はほんやだったはずだったけど。本屋が1/3になり、残りをハンズの文房具が占めていた。名古屋の駅前の本屋といえども、規模縮小なんですね。東京の大規模本屋がつぶれるのと一緒ですね。

  一昨年と同様に、モレスキンのダイアリー(3020円)を購入。色はオレンジにしました。どこにも寄る気がしなくて、バスで豊田市に直行。

 スタバのザッハトルテが薄くなっていた

  駅前スタバにザッハトルテがあった。クリスマスが終わり、次のシリーズですね。早速、セブンイレブンのザッハトルテと比べるために購入。420円は高すぎる。ファミマが250円、スタバが300円ですね。なんとなく、背が低くなっているねとカウンターのみのりさんと話していた。チョコレート味があまりしなかった。

 モレスキンには世界の祝日が書かれている

  モレスキンのダイアリーに世界の祝日が書かれていた。元旦が食実でないのは、イスラエルだけです。四月の祝日は世界を見ると、3日ぐらいあるけど、日本は1日しかない。これは宗教の関係なんでしょう。

 他者の世界に一人

  私には文句を言える相手が居ない。周りには他者しか居ないんだから。

 外出する人の割合

  ネットニュースで、外出する人の割合が低くなっていると報じている。この外出の定義の中で、近くのコンビニまで行くことは含まないでしょう。そうだと、私の場合は0.6ぐらいですね。かなり、低いですね。

 ブロックチェーン以前に市民の覚醒

  ブロックチェーンで従来のハイアラキーのカタチから配置のカタチに変わっていく。元々のものが変わってくれば、こういうものが出てきて、それがサポートしていくことを述べている。主客が変わります。

  まず、ハイアラキーの方から変わっていかないといけない。そうでないと、手段は使えません。ブロックチェーンの問題をリーダーシップとかガバナンスで解決できるというのは、まだまだ不十分です。これこそはイアラキーに依存している。これを超えていくためには底辺から変えていくしかない。

 小さな視点での映画

  大きな視点に対して、小さな視点を描けるのが映画です。大きな視点の映画はできません。戦争と平和と言っても、概念だけ述べても。映画にはなりません。

  アンドレが出てきて、ナターシャが出てきて、ピエールが出てくる。それぞれが何を考えて、土オウ動くのか。ナターシャは何を望んだのか。

 OCR化した本の感想

  『世界史のながれをつかむ技術』

   怠惰と欲望が世界を変えるとある。歴史を変えるためには、市民の覚醒で、人類を新たな境地へ持って行かないといけない。その実験は6世紀に為されている。ムハンマドでアラブ社会が覚醒した。その伝播力は大きなモノだった。

   オスマントルコというよりもトルコ人の迷走によって、中途半端なものになってしまった。新しいカタチでの覚醒で、怠惰と欲望を超えることでシェア社会を他者の世界に作って欲しい。

   西アジアの時代区分は実験の歴史を示している。古代オリエント世界⇒一神教の誕生⇒アラブ帝国とイスラム帝国⇒オスマン帝国。これが西洋中心の歴史のそばで流れていた。今後は大きな一つの流れで動き出す。

  『独身40男の歩き方』

   これって、一般的な悩みを書いているだけで、そこから先を分析していない本ですね。そして、その悩みは独身40男に限ったことではない。自分を持っていない人間に共通するものです。他者の世界は面倒くさい。勝手に人との関係で悩んでいる。

  『起死回生の読書!』

   何故、本を読むのかは難しい。まずは1万冊の本に触れてみないと理解できない、と言うのが私の感想です。1万冊達成時点で分かったのは、全てを知るために本はあるんだと言うこと。

   1万冊を読める環境は図書館抜きには考えられない。1万冊買ったら、軽く1千万円を超えるだけでなく、置き場所がない。借りて、本からDNAを抜き出して、ネットに補完することで可能になった。

   電子書籍の時代になれば、コンテンツの文化・統合によって、個人の環境はたやすくできる。更に進めば、知のカプセル化も可能になる。全てを知るために、本を読まなくても済むようになる。本を読むことが重要ではなく、私は私の世界を創り出すことが目的です。
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