未唯への手紙
未唯への手紙
ワーグナー 「トリスタンとイソルデ」
『ワーグナー』より 「神秘の奈落から個人の幸福へ」
一八五九年三月二日、《トリスタンとイソルデ》第二幕の完成を目前に、ワーグナーはマティルデ・ヴェーゼンドンクにこう書いている。「恋人よ、なんと難しいことでしょう、ああ、本当に難しいのです。しかし、私の善良な天使はそれでも私に微笑みかけてくれます。その天使は私を慰めてくれ、最も安らぎが必要なときにそれを与えてくれます。だから私は感謝して、自分自身に言いたいのです。「こうなるためには、苦難は必要だったのだ」と。椋欄の葉は、茨の冠をかぶった者にしかわかりません。それは柔らかに安らぎ、手のなかで揺れ、我々に涼しさと極上の爽快感を送り届けてくれる。このうえない香りの天使の羽のように頭の上にアーチを描いているのです」。現下の精神状態を描写するのに、ワーグナーはこのような詩的な手紙を用いている。その際、彼は明らかに、詩作に励んでいた、彼のミューズから送られたばかりのメルヘンのモティーフを使っている。
ワーグナーの当時の状況は「芸術と人生」というテーマにとって大変有益であるため、いくらか詳しく述べることにする。この手紙は、チューリヒで「隣家間の混乱」が何度か生じた後、ワーグナーが逃亡していたヴェネツィアから届けられた。一八五七年の八月末から、ヴェーゼンドンクとワーグナーの二組の夫妻は、「緑の丘」に隣り合って暮らしていた。ヴェーゼンドンク夫妻は、ミュラ、ギド、カールの三人の子どもたちとともに新築の豪華な屋敷に住んでおり、ワーグナー夫妻の方は、隣接する、庭に囲まれた家屋に住んでいた。リヒャルト・ワーグナーとマティルデ・ヴェーゼンドンクが芸術を通じて何年もかけて育んだ強い絆は、婚姻関係に影響を与えないはずはなかった。二人の交友関係の結果として、ワーグナーは「隠れ家」(彼自身がそう呼んでいた)を早くも一年後に去り、約七か月間ヴェネツィアに腰を据えることとなった。そこで彼はカナル・グランデ沿いのジュスティニアーニ館に居を構える。同じくカナル・グランデ沿いには、コルネル・スピネッリ館が建っていたが、それは両方とも、かつてジョルジョ・ヴァザーりが建築に携わったものである。ルネサンス期の画家で美術史家であった彼は、近代の芸術家の、つまり「神のごとき芸術家」の神話を創った一人で、職人のように雇われたのではなく、芸術の天才として、その後援者から高額の報酬を得ていた。
ワーグナーの豪奢な書斎は、彼の自己認識を象徴している。すなわち、長い伝統のなかで(苦境のなかでさえ、いや、だからこそ)、彼は自分自身を、音楽の領域における唯一のではなくとも、一人の「神のごとき芸術家」と見なしていた。もっとも、彼の当時の状況をルネサンス画家のそれと比べることはできない。ワーグナーはみずからの芸術への要求に対し、自身の創作した人物像とともに、拷問にかけられる救世主さながらに苦しんでいた。さらに、賞賛を浴びる英雄としてなどではなく、警察の監視下に置かれた政治的国外追放者としてみずからをヴェネツィアヘと導いた人生の運命を恨んでいた。しかしながら彼は、超人的なものを創出し、それゆえに大規模な支援のみならず、同時代人であるヴェルディ同様に、妻とミューズを持つという芸術家の「昔ながらの」権限を求めることが許される、芸術宗教の代表者と見なしていた。
ワーグナーは以前から、「尊敬に値する、しかし完全には私のものではない妻」ミンナを、自分の芸術への理解が足りないと非難していた。そして、すでに一八五三年の手紙のなかで、つまり《トリスタン》の時期よりもずっと前に、友人のリストに打ち明けている。「あなたは何と言うでしょうか。私が愛の本当の幸福をまだ一度も味わったことがないと知ったら。いまや、日毎に私への理解や認識を失っていく最も身近な人間の偏狭さに直面し、私の存在は困窮と禁欲的な配慮の狭間にいます。ここで公然と侮辱することはできないし、しようとも思いません。(そうしようものなら、私の心も痛むでしょう。慣れとは、確かで強大な力なのです!)。しかし、せめて私は、そのような不毛さから時折身を引き、妨げられることなく、気兼ねなく、私の生命力の翼を羽ばたかせるための能力を獲得しなければなりません」。
そのような「不毛さ」の補完となったのが、一八五一年に二二歳で夫とともにチューリヒに越してきて、その翌年に、ベートーヴェン指揮者として、そして《タンホイザー》序曲の作曲家としてのワーグナーに感激したマティルデ・ヴェーゼンドンクであった。「チューリヒの古い商館の暗い一室で[中略]最初の稽古のときに抱いた印象を私はけっして忘れません。それは、幸福感の渦、霊感でした」。この若い女性は、単なる母ではいたくなかったし、観光の中心地や優雅な保養地を見物して歩くだけでは満足できなかった。むしろ彼女は、自分自身をパトロン、熱烈な芸術支持者、詩人と見なしていた。このような立場で、彼女は実際にワーグナーに接近した。そして一八五七年夏にヴェーゼンドンク邸が完成するまで、マティルデは家族とともにチューリヒの高級ホテル、ボー・オー・ラックのスイートで暮らしていたため、しばらくの間ワーグナーが定期的に彼女を訪問しても不適切とは思われなかった。「彼は午前中に作曲したものを午後に私のグランドピアノで弾いて聴かせ、試していたものでした」と後に彼女は満足げに回想している。
一八五九年三月二日、《トリスタンとイソルデ》第二幕の完成を目前に、ワーグナーはマティルデ・ヴェーゼンドンクにこう書いている。「恋人よ、なんと難しいことでしょう、ああ、本当に難しいのです。しかし、私の善良な天使はそれでも私に微笑みかけてくれます。その天使は私を慰めてくれ、最も安らぎが必要なときにそれを与えてくれます。だから私は感謝して、自分自身に言いたいのです。「こうなるためには、苦難は必要だったのだ」と。椋欄の葉は、茨の冠をかぶった者にしかわかりません。それは柔らかに安らぎ、手のなかで揺れ、我々に涼しさと極上の爽快感を送り届けてくれる。このうえない香りの天使の羽のように頭の上にアーチを描いているのです」。現下の精神状態を描写するのに、ワーグナーはこのような詩的な手紙を用いている。その際、彼は明らかに、詩作に励んでいた、彼のミューズから送られたばかりのメルヘンのモティーフを使っている。
ワーグナーの当時の状況は「芸術と人生」というテーマにとって大変有益であるため、いくらか詳しく述べることにする。この手紙は、チューリヒで「隣家間の混乱」が何度か生じた後、ワーグナーが逃亡していたヴェネツィアから届けられた。一八五七年の八月末から、ヴェーゼンドンクとワーグナーの二組の夫妻は、「緑の丘」に隣り合って暮らしていた。ヴェーゼンドンク夫妻は、ミュラ、ギド、カールの三人の子どもたちとともに新築の豪華な屋敷に住んでおり、ワーグナー夫妻の方は、隣接する、庭に囲まれた家屋に住んでいた。リヒャルト・ワーグナーとマティルデ・ヴェーゼンドンクが芸術を通じて何年もかけて育んだ強い絆は、婚姻関係に影響を与えないはずはなかった。二人の交友関係の結果として、ワーグナーは「隠れ家」(彼自身がそう呼んでいた)を早くも一年後に去り、約七か月間ヴェネツィアに腰を据えることとなった。そこで彼はカナル・グランデ沿いのジュスティニアーニ館に居を構える。同じくカナル・グランデ沿いには、コルネル・スピネッリ館が建っていたが、それは両方とも、かつてジョルジョ・ヴァザーりが建築に携わったものである。ルネサンス期の画家で美術史家であった彼は、近代の芸術家の、つまり「神のごとき芸術家」の神話を創った一人で、職人のように雇われたのではなく、芸術の天才として、その後援者から高額の報酬を得ていた。
ワーグナーの豪奢な書斎は、彼の自己認識を象徴している。すなわち、長い伝統のなかで(苦境のなかでさえ、いや、だからこそ)、彼は自分自身を、音楽の領域における唯一のではなくとも、一人の「神のごとき芸術家」と見なしていた。もっとも、彼の当時の状況をルネサンス画家のそれと比べることはできない。ワーグナーはみずからの芸術への要求に対し、自身の創作した人物像とともに、拷問にかけられる救世主さながらに苦しんでいた。さらに、賞賛を浴びる英雄としてなどではなく、警察の監視下に置かれた政治的国外追放者としてみずからをヴェネツィアヘと導いた人生の運命を恨んでいた。しかしながら彼は、超人的なものを創出し、それゆえに大規模な支援のみならず、同時代人であるヴェルディ同様に、妻とミューズを持つという芸術家の「昔ながらの」権限を求めることが許される、芸術宗教の代表者と見なしていた。
ワーグナーは以前から、「尊敬に値する、しかし完全には私のものではない妻」ミンナを、自分の芸術への理解が足りないと非難していた。そして、すでに一八五三年の手紙のなかで、つまり《トリスタン》の時期よりもずっと前に、友人のリストに打ち明けている。「あなたは何と言うでしょうか。私が愛の本当の幸福をまだ一度も味わったことがないと知ったら。いまや、日毎に私への理解や認識を失っていく最も身近な人間の偏狭さに直面し、私の存在は困窮と禁欲的な配慮の狭間にいます。ここで公然と侮辱することはできないし、しようとも思いません。(そうしようものなら、私の心も痛むでしょう。慣れとは、確かで強大な力なのです!)。しかし、せめて私は、そのような不毛さから時折身を引き、妨げられることなく、気兼ねなく、私の生命力の翼を羽ばたかせるための能力を獲得しなければなりません」。
そのような「不毛さ」の補完となったのが、一八五一年に二二歳で夫とともにチューリヒに越してきて、その翌年に、ベートーヴェン指揮者として、そして《タンホイザー》序曲の作曲家としてのワーグナーに感激したマティルデ・ヴェーゼンドンクであった。「チューリヒの古い商館の暗い一室で[中略]最初の稽古のときに抱いた印象を私はけっして忘れません。それは、幸福感の渦、霊感でした」。この若い女性は、単なる母ではいたくなかったし、観光の中心地や優雅な保養地を見物して歩くだけでは満足できなかった。むしろ彼女は、自分自身をパトロン、熱烈な芸術支持者、詩人と見なしていた。このような立場で、彼女は実際にワーグナーに接近した。そして一八五七年夏にヴェーゼンドンク邸が完成するまで、マティルデは家族とともにチューリヒの高級ホテル、ボー・オー・ラックのスイートで暮らしていたため、しばらくの間ワーグナーが定期的に彼女を訪問しても不適切とは思われなかった。「彼は午前中に作曲したものを午後に私のグランドピアノで弾いて聴かせ、試していたものでした」と後に彼女は満足げに回想している。
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三酔人経綸問答
『三酔人経綸問答』より
「だいたい近年のヨーロッパの状況を考えますと、イギリス、フランス、ドイツ、口シアの四カ国がもっとも強く、いずれも文学にすぐれ、学術をきわめ、農業、工業、商業が盛んにして物資は豊富、陸には数千万の強い兵がいならび、海には数千隻の戦艦がつらなり、その強大堅固な軍備は、うずくまる龍がにらみをきかせ、かたわらの虎がとびかかろうとするようで、その盛んなことは前例をみないほどです。さてこのような強力な国力をうみだし、莫大な財力を築いた要因は何でしょうか。要因はさまざまあるとしても、要するに自由という原理がこの一大建築の基礎をなしたのです。
たとえばイギリスの繁栄と強大は、代々のすぐれた王にさかのぼれるとしても、一躍、多大の力をふるって奮闘したのは、チャールズ一世のときに自由の波濤がどうと湧き起こり、古い弊害である堤防を突きくずして、有名な権利の請願の実現をみたのでした。
またフランスでも、ルイ十四世のときに早くも強大な軍備を誇り、華麗な文芸を開花させて一世を風靡したとはいえ、それは専制国家という穴倉のなかにむらがり咲いた徒の花にすぎず、ほんとうに隆盛を確かなものにしたのは、あの一七八九年の大革命という偉業の成果にほかなりません。
またドイツでも、十八世紀に勇猛なプロイセン王フレデリック[フリードリヒ]二世が、武力で近隣諸国を圧倒して以来、次第に強大になってきたとはいえ、フランス革命の思想がいまだ移入されないうちは、国は分裂してばらけた薪のようでしたが、ナポレオン一世が共和国の指揮官となり、革命の旗をなびかせてウィーンやベルリンに遠征するに及んで、初めてドイツ国民は自由の空気を呼吸して友愛の滋液を飲みくだし、以来、情勢は一変、風俗は一新し、着々とこんにちの隆盛に至ったのです。
ロシアの場合には、国土が広く、その軍備の強大なことは世界第一とはいっても、文化や政治の面では他の三カ国に遠く及ばない。これは圧制の名残といわなければなりません。
人間社会のあらゆる事業は、たとえば酒のようなもので、自由とはちょうど酵母のようなものです。ワインでもビールでも、その素材がどれはどよくても、もし酵母というものがなければ、せっかくの素材もみな樽の底に沈殿して、アルコールの醸造されることはない。専制国家の事物はどれも酵母のない酒のようなもので、みな樽の底の沈殿物です。ためしに専制国家の文芸に目を通してごらんなさい。なかには見るべきものがあるにしても、こと細かに見るならば、千年たっても変化なく、万の作品を見ても同じようで、変化発展がみられない。作者の見聞する現象はどれも樽の底の沈殿物にすぎず、作者もまた沈殿した精神でそれを描写するだけ。変化発展がないのも当然です」(欄外にいわく。漢学先生、何か言い分は)
「ことによると、こう言う人がいるかもしれません。『国が富んで強いのは、財貨が豊富なためである。財貨が豊富なのは、学問が精緻なためである。なぜなら、物理学や化学、動物学や植物学、数学などの成果を取り入れて産業に応用することで、時間を節約し、体力をむだにせず、大量のすぐれた製品を生産できることは、手作業でこつこつ作るよりはるかに効率的である。これこそ国が富んで強い要因ではないか。国が富んで強ければ、すぐれた兵をもち、堅牢な戦艦をそなえ、争乱がおこれば敵国のすきをついて出兵し、僻地を開拓して耕地に変え、遠くアジア、アフリカの地を領有し、移民を送りこんで市場を設け、その地の産物を安く買い、自国の製品を高く売って莫大な利益を得る。工業がいよいよ盛んになり、販路がいよいよ拡大すれば、陸軍、海軍とも軍備はますます強大になってゆくのは自然の勢いである。国が富んで強いのは、自由の制度のためではないのだ』と。
ああ、これこそ、一を知って二を知らない者の言うことです。人間の行なう事業というのはどれも関連しあい、原因と結果は複雑にからまりあっているとはいえ、これを細かく考えれば、そこには真の原因があるのです。国が栄えて豊かなのは、学問の精緻なことが原因であり、学問の精緻なのは国が栄えて豊かなことが原因であり、このふたつは互いに原因となり結果となるのは言うまでもありません。しかしそもそも学問が精緻になることができたのは、要するに人々が知識に目ざめたためです。いったん知識に目ざめれば、学術の面で目がひらかれるだけでなく、社会制度の面でも目をひらかれるようになるのは、理の当然です。このためどの国でも、昔から学術の発達した時代は、かならず政治思想の盛んになった時期です。学術も政治思想も、ただ知識という一本の根から育った枝葉であり果実なのです。
「だいたい近年のヨーロッパの状況を考えますと、イギリス、フランス、ドイツ、口シアの四カ国がもっとも強く、いずれも文学にすぐれ、学術をきわめ、農業、工業、商業が盛んにして物資は豊富、陸には数千万の強い兵がいならび、海には数千隻の戦艦がつらなり、その強大堅固な軍備は、うずくまる龍がにらみをきかせ、かたわらの虎がとびかかろうとするようで、その盛んなことは前例をみないほどです。さてこのような強力な国力をうみだし、莫大な財力を築いた要因は何でしょうか。要因はさまざまあるとしても、要するに自由という原理がこの一大建築の基礎をなしたのです。
たとえばイギリスの繁栄と強大は、代々のすぐれた王にさかのぼれるとしても、一躍、多大の力をふるって奮闘したのは、チャールズ一世のときに自由の波濤がどうと湧き起こり、古い弊害である堤防を突きくずして、有名な権利の請願の実現をみたのでした。
またフランスでも、ルイ十四世のときに早くも強大な軍備を誇り、華麗な文芸を開花させて一世を風靡したとはいえ、それは専制国家という穴倉のなかにむらがり咲いた徒の花にすぎず、ほんとうに隆盛を確かなものにしたのは、あの一七八九年の大革命という偉業の成果にほかなりません。
またドイツでも、十八世紀に勇猛なプロイセン王フレデリック[フリードリヒ]二世が、武力で近隣諸国を圧倒して以来、次第に強大になってきたとはいえ、フランス革命の思想がいまだ移入されないうちは、国は分裂してばらけた薪のようでしたが、ナポレオン一世が共和国の指揮官となり、革命の旗をなびかせてウィーンやベルリンに遠征するに及んで、初めてドイツ国民は自由の空気を呼吸して友愛の滋液を飲みくだし、以来、情勢は一変、風俗は一新し、着々とこんにちの隆盛に至ったのです。
ロシアの場合には、国土が広く、その軍備の強大なことは世界第一とはいっても、文化や政治の面では他の三カ国に遠く及ばない。これは圧制の名残といわなければなりません。
人間社会のあらゆる事業は、たとえば酒のようなもので、自由とはちょうど酵母のようなものです。ワインでもビールでも、その素材がどれはどよくても、もし酵母というものがなければ、せっかくの素材もみな樽の底に沈殿して、アルコールの醸造されることはない。専制国家の事物はどれも酵母のない酒のようなもので、みな樽の底の沈殿物です。ためしに専制国家の文芸に目を通してごらんなさい。なかには見るべきものがあるにしても、こと細かに見るならば、千年たっても変化なく、万の作品を見ても同じようで、変化発展がみられない。作者の見聞する現象はどれも樽の底の沈殿物にすぎず、作者もまた沈殿した精神でそれを描写するだけ。変化発展がないのも当然です」(欄外にいわく。漢学先生、何か言い分は)
「ことによると、こう言う人がいるかもしれません。『国が富んで強いのは、財貨が豊富なためである。財貨が豊富なのは、学問が精緻なためである。なぜなら、物理学や化学、動物学や植物学、数学などの成果を取り入れて産業に応用することで、時間を節約し、体力をむだにせず、大量のすぐれた製品を生産できることは、手作業でこつこつ作るよりはるかに効率的である。これこそ国が富んで強い要因ではないか。国が富んで強ければ、すぐれた兵をもち、堅牢な戦艦をそなえ、争乱がおこれば敵国のすきをついて出兵し、僻地を開拓して耕地に変え、遠くアジア、アフリカの地を領有し、移民を送りこんで市場を設け、その地の産物を安く買い、自国の製品を高く売って莫大な利益を得る。工業がいよいよ盛んになり、販路がいよいよ拡大すれば、陸軍、海軍とも軍備はますます強大になってゆくのは自然の勢いである。国が富んで強いのは、自由の制度のためではないのだ』と。
ああ、これこそ、一を知って二を知らない者の言うことです。人間の行なう事業というのはどれも関連しあい、原因と結果は複雑にからまりあっているとはいえ、これを細かく考えれば、そこには真の原因があるのです。国が栄えて豊かなのは、学問の精緻なことが原因であり、学問の精緻なのは国が栄えて豊かなことが原因であり、このふたつは互いに原因となり結果となるのは言うまでもありません。しかしそもそも学問が精緻になることができたのは、要するに人々が知識に目ざめたためです。いったん知識に目ざめれば、学術の面で目がひらかれるだけでなく、社会制度の面でも目をひらかれるようになるのは、理の当然です。このためどの国でも、昔から学術の発達した時代は、かならず政治思想の盛んになった時期です。学術も政治思想も、ただ知識という一本の根から育った枝葉であり果実なのです。
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クライシスは進化をもたらす
クライシスは進化をもたらす
第三帝国での迫害によって、ユダヤ人は進化した。そして、西洋そのものの。
あれも、クライシスです。地殻変動です。
2分の出待ち
今日はパートナーが年休なので、Iさんとの会話だけが頼りだった。
朝は出待ちすることなく、カウンターでおしゃべり。よく、見ていると、スタッフの間で微妙な時間差を作り出して、順番を変えていた。空いたIさんが隣のカウンターを手伝うことで、前の人をそちらに誘導していた。
お昼休みに、「待っている」と言われた。
12時に行ったところ、Iさんは居ません。1分ぐらいして、呼び出されたIさんが登場。「ちょっと、待って!」と言って、バックヤードに戻っていった。1分後に戻ってきて、カウンターをオープンしました。
アスクルでオーダーをしていたということです。汗だくです。
つまり、2分ぐらい出待ちしていた。カウンターで3分ぐらい、「10分前ルール」について、話すことができた。
第三帝国での迫害によって、ユダヤ人は進化した。そして、西洋そのものの。
あれも、クライシスです。地殻変動です。
2分の出待ち
今日はパートナーが年休なので、Iさんとの会話だけが頼りだった。
朝は出待ちすることなく、カウンターでおしゃべり。よく、見ていると、スタッフの間で微妙な時間差を作り出して、順番を変えていた。空いたIさんが隣のカウンターを手伝うことで、前の人をそちらに誘導していた。
お昼休みに、「待っている」と言われた。
12時に行ったところ、Iさんは居ません。1分ぐらいして、呼び出されたIさんが登場。「ちょっと、待って!」と言って、バックヤードに戻っていった。1分後に戻ってきて、カウンターをオープンしました。
アスクルでオーダーをしていたということです。汗だくです。
つまり、2分ぐらい出待ちしていた。カウンターで3分ぐらい、「10分前ルール」について、話すことができた。
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高校数学のホントの使い方がわかる 本当は単純! 微積分
『これ1冊で高校数学のホントの使い方がわかる本』より
本当は単純! 微積分
1 微積分って、実は小学校で習っていた!
・微積分は「カエルの姿煮」
・小学校で習った長方形の面積は積分だった
・直方体の体積も積分だった
・はじきの法則も微積分だった
2 積分は「すごい掛け算」だった!
・積分は微分より先に生まれていた
・積分の本質は「面積を求めるための掛け算」
・単なる掛け算では求められない面積も、積分なら求められる
3 微分は「すごい割り算」だった卜。
・微積の難しい記号は、実は単なる飾川?
・微分の本質は「傾きを求めるための割り算」
・単なる割り算では求められない傾きも、微分なら求められる
・微分と積分は表裏一体
4 微積分は、身近な電化製品の中で活躍していた!
・CDの読み取りには、実は微分が使われている
・携帯のバッテリー残量表示には、実は積分が使われている
5 ちょっと高度な微分方程式も、本質は単純だった!
・微分方程式は予言者?
・ニュートンがリンゴを見て思いついた運動方程式
・電気を操るためのマクスウェル方程式
・波を知るための波動方程式
・熱伝導がわかる拡散方程式
・ブラックホ一ルの振る舞いすらわかるアインシュタイン方程式
数学の森の中で迷子にならないために ~あとがきに代えて~
「数学は、意外と身近な存在で、意外と難しくないものだ」ということを、ご理解いただけたでしょうか?
今まで、例えば「微積分」という言葉が出てきただけで「自分には関係ない、難しいもの」と思考停止に陥っていた人は多いことでしょう。
しかし、この本を読んだ今のあなたなら、「微分は割り算」「積分は掛け算」ということはわかっています。ですから、少なくとも、変な苦手意識は感じずに取り組めるようになったはずです。あなたがそうなっていれば、本書は十分に役割を果たせたと思います。
そして、もし本書の中で紹介した何かに興味が湧いて、もう少し深<知りたいと思ってもらえたら、それに勝る喜びはありません。その際は、ぜひもう少し高度な本に挑戦してみてください。学べば学ぶほど、あなたの世界は広がるはずです。
ただし、普通の教科書で数学を学び始めるj、細かなところばかりに意識が集中してしまって、木を見て森を見ずと言うことになりがちです。そんな時は、いったん目先の勉強を休んで、本書で説明したように「これは何を目的としているのか?」という視点から数学を眺め直してもらえれば、と思います。そうすれば、深遠な数学の森の中でも、決して迷子になることはないでしょう。この本は「エンジニアの知を世に」という理念のもとに作りました。
個人的な話をして申し訳ありませんが、私は昔から人と少しだけ考え方が違っていました。小さいうちはほとんどそれを意識することはありませんでしたが、だんだん成長するにしたがって「面白いこと」や「楽しいこと」力で友達とあまりにずれていることに戸惑いました。
中高生になると、自分と波長の合うご<少数の友達とだけ深く付き合い、それ以外の人に関しては自分を伝えることをあきらめ、表面的にだけみんなに合わせた生活を送っていました。
今のエンジニアの世界は、こんな私と同じ状態にあるのではないかと感じています。一般的に、数学や物理の話は、普通の人の反応が良い話ではありません。ですので、我々エンジニアは一般の人とコミュニケーションをとることをあきらめ、居心地の良い専門家コミュニティの内部に閉じこもっています。近年、その弊害が出始めていることは言うまでもないでしょう。
確かに、我々の知識は一般の人に理解してもらうのは困難です。しかし、伝える努力というものは決してあきらめてはいけません。エンジニアは製品を作るだけでなく、その意味を適切に伝える義務も負っているのです。
この本は、そんな想いを元に作りました。出来がどうであるかは私には判断できませんが、その目的を少しでも達成できていれば嬉しいです。
本当は単純! 微積分
1 微積分って、実は小学校で習っていた!
・微積分は「カエルの姿煮」
・小学校で習った長方形の面積は積分だった
・直方体の体積も積分だった
・はじきの法則も微積分だった
2 積分は「すごい掛け算」だった!
・積分は微分より先に生まれていた
・積分の本質は「面積を求めるための掛け算」
・単なる掛け算では求められない面積も、積分なら求められる
3 微分は「すごい割り算」だった卜。
・微積の難しい記号は、実は単なる飾川?
・微分の本質は「傾きを求めるための割り算」
・単なる割り算では求められない傾きも、微分なら求められる
・微分と積分は表裏一体
4 微積分は、身近な電化製品の中で活躍していた!
・CDの読み取りには、実は微分が使われている
・携帯のバッテリー残量表示には、実は積分が使われている
5 ちょっと高度な微分方程式も、本質は単純だった!
・微分方程式は予言者?
・ニュートンがリンゴを見て思いついた運動方程式
・電気を操るためのマクスウェル方程式
・波を知るための波動方程式
・熱伝導がわかる拡散方程式
・ブラックホ一ルの振る舞いすらわかるアインシュタイン方程式
数学の森の中で迷子にならないために ~あとがきに代えて~
「数学は、意外と身近な存在で、意外と難しくないものだ」ということを、ご理解いただけたでしょうか?
今まで、例えば「微積分」という言葉が出てきただけで「自分には関係ない、難しいもの」と思考停止に陥っていた人は多いことでしょう。
しかし、この本を読んだ今のあなたなら、「微分は割り算」「積分は掛け算」ということはわかっています。ですから、少なくとも、変な苦手意識は感じずに取り組めるようになったはずです。あなたがそうなっていれば、本書は十分に役割を果たせたと思います。
そして、もし本書の中で紹介した何かに興味が湧いて、もう少し深<知りたいと思ってもらえたら、それに勝る喜びはありません。その際は、ぜひもう少し高度な本に挑戦してみてください。学べば学ぶほど、あなたの世界は広がるはずです。
ただし、普通の教科書で数学を学び始めるj、細かなところばかりに意識が集中してしまって、木を見て森を見ずと言うことになりがちです。そんな時は、いったん目先の勉強を休んで、本書で説明したように「これは何を目的としているのか?」という視点から数学を眺め直してもらえれば、と思います。そうすれば、深遠な数学の森の中でも、決して迷子になることはないでしょう。この本は「エンジニアの知を世に」という理念のもとに作りました。
個人的な話をして申し訳ありませんが、私は昔から人と少しだけ考え方が違っていました。小さいうちはほとんどそれを意識することはありませんでしたが、だんだん成長するにしたがって「面白いこと」や「楽しいこと」力で友達とあまりにずれていることに戸惑いました。
中高生になると、自分と波長の合うご<少数の友達とだけ深く付き合い、それ以外の人に関しては自分を伝えることをあきらめ、表面的にだけみんなに合わせた生活を送っていました。
今のエンジニアの世界は、こんな私と同じ状態にあるのではないかと感じています。一般的に、数学や物理の話は、普通の人の反応が良い話ではありません。ですので、我々エンジニアは一般の人とコミュニケーションをとることをあきらめ、居心地の良い専門家コミュニティの内部に閉じこもっています。近年、その弊害が出始めていることは言うまでもないでしょう。
確かに、我々の知識は一般の人に理解してもらうのは困難です。しかし、伝える努力というものは決してあきらめてはいけません。エンジニアは製品を作るだけでなく、その意味を適切に伝える義務も負っているのです。
この本は、そんな想いを元に作りました。出来がどうであるかは私には判断できませんが、その目的を少しでも達成できていれば嬉しいです。
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図書館の現場力 ありたい姿を実現するためのデータ活用
『図書館の現場力を育てる』より
●ありたい姿を実現するためのデータ活用
このような図書館のデータを収集し活用する目的とは、図書館のさまざまな施策やサービスを立案し、実行・行動につなけ、さらに改善を重ねながら、図書館のありたい姿を実現することです。データを分析し評価することにより、次なる具体的な行動や業務の改善につなげなければなりません。そのためには、まずは「勤務している図書館をどうしたいのか」「どのような図書館を目指すのか」という図書館の「ありたい姿(=ビジョン)」を明確にする必要があります。
逆に図書館のありたい姿が明確ではない場合、データをいくら分析し活用しようとしても、次の行動につなぐことはできません。データの分析に注力することも重要ですが、むしろ実際はデータを活用した結果、「具体的に図書館で何をしたのか」「イ可を生み出したのか」「どのように行動・実行したのか」が重要です。
●ビジョンを実現するためには……
もし仮に予算が潤沢であれば、数多くの人を雇用でき、施設・設備にも巨額を投入することができるため、ありたい姿(ビジョン)は短期間で苦労なく実現できるかもしれません。もちろん多くの現場では,現実的に予算,人,物(空間)が限られていますので、現在の資源を最大限に活かしながら、ビジョンを実現していくことが求められます。
しかもビジョンは1人で実現することはできません。組織内の構成員のエネルギーを活性化するため、単にビジョンを浸透(共有・共感)させるだけではなく、ビジョンを実現するための具体的な道のり(戦略)を明確にし、共有しなければなりません。
●ありたい姿とのギャップを考える
しかしながら、あまりに理想的な姿をビジョンに落とし込んでしまうと、逆にいつまでたっても実現することができず、データの活用すらできません。他方で、勝手に一部の構成員でビジョンを構築してしまうと、組織内から他人事のように思われてしまい、実行につなぐことができません。各組織や部署において身の丈にあったビジョンがつくられる必要があります。
ビジョンを実現するための考え方として、図のように整理できます。
まず、図の左下の「現在の課題」については、みなさんは数多くあげることができるでしょう。こうした「現在の課題」を解決し、右上の「ありたい姿」を実現するためには,組織全体や部署における「資源(人,物,金,情報)」と「環境の変化」を踏まえた戦略(打ち手)を立案する必要があります。
ありたい姿とは、①ある最低基準に到達するありたい姿、②理想のありたい姿、の2点を考えることができますが、ここでは②の理想のありたい姿を念頭に置きます。
資源とは、組織が保有する「人・物・金・情報」です。環境とは、現在の環境ではなく、未来を予測した社会の変化です。こうした組織の資源と社会環境の変化とのかかおりの中で、ありたい姿を実現するための具体的な打ち手が中央の「戦略」です。
このようにありたい姿を実現するためには、現在の課題、環境の変化、組織内の資源を構成員と共有することが前提です。繰り返しになりますが、ありたい姿が明確ではないと、そもそも戦略を描くことができず、データすら活用できません。
●ありたい姿を実現するためのデータ活用
このような図書館のデータを収集し活用する目的とは、図書館のさまざまな施策やサービスを立案し、実行・行動につなけ、さらに改善を重ねながら、図書館のありたい姿を実現することです。データを分析し評価することにより、次なる具体的な行動や業務の改善につなげなければなりません。そのためには、まずは「勤務している図書館をどうしたいのか」「どのような図書館を目指すのか」という図書館の「ありたい姿(=ビジョン)」を明確にする必要があります。
逆に図書館のありたい姿が明確ではない場合、データをいくら分析し活用しようとしても、次の行動につなぐことはできません。データの分析に注力することも重要ですが、むしろ実際はデータを活用した結果、「具体的に図書館で何をしたのか」「イ可を生み出したのか」「どのように行動・実行したのか」が重要です。
●ビジョンを実現するためには……
もし仮に予算が潤沢であれば、数多くの人を雇用でき、施設・設備にも巨額を投入することができるため、ありたい姿(ビジョン)は短期間で苦労なく実現できるかもしれません。もちろん多くの現場では,現実的に予算,人,物(空間)が限られていますので、現在の資源を最大限に活かしながら、ビジョンを実現していくことが求められます。
しかもビジョンは1人で実現することはできません。組織内の構成員のエネルギーを活性化するため、単にビジョンを浸透(共有・共感)させるだけではなく、ビジョンを実現するための具体的な道のり(戦略)を明確にし、共有しなければなりません。
●ありたい姿とのギャップを考える
しかしながら、あまりに理想的な姿をビジョンに落とし込んでしまうと、逆にいつまでたっても実現することができず、データの活用すらできません。他方で、勝手に一部の構成員でビジョンを構築してしまうと、組織内から他人事のように思われてしまい、実行につなぐことができません。各組織や部署において身の丈にあったビジョンがつくられる必要があります。
ビジョンを実現するための考え方として、図のように整理できます。
まず、図の左下の「現在の課題」については、みなさんは数多くあげることができるでしょう。こうした「現在の課題」を解決し、右上の「ありたい姿」を実現するためには,組織全体や部署における「資源(人,物,金,情報)」と「環境の変化」を踏まえた戦略(打ち手)を立案する必要があります。
ありたい姿とは、①ある最低基準に到達するありたい姿、②理想のありたい姿、の2点を考えることができますが、ここでは②の理想のありたい姿を念頭に置きます。
資源とは、組織が保有する「人・物・金・情報」です。環境とは、現在の環境ではなく、未来を予測した社会の変化です。こうした組織の資源と社会環境の変化とのかかおりの中で、ありたい姿を実現するための具体的な打ち手が中央の「戦略」です。
このようにありたい姿を実現するためには、現在の課題、環境の変化、組織内の資源を構成員と共有することが前提です。繰り返しになりますが、ありたい姿が明確ではないと、そもそも戦略を描くことができず、データすら活用できません。
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岡崎図書館の6冊
年間集計の最終日です。1550冊です。累計は17457冊です。
岡崎図書館の6冊 月初に新刊書が出るので、今日は最低の冊数です。
209『〈世界史〉の哲学 東洋篇』
847.5『ドイツ語で世界を読み解く』
326.3『ストーカー病』「恨みの中毒症状」の治療なしに、被害者は減らせない 歪んだ妄想の暴走は止められない
134.9『技術への問い』マルティン・ハイデガー
201.1『歴史哲学講義(上)』ヘーゲル
201.1『歴史哲学講義(下)』ヘーゲル
岡崎図書館の6冊 月初に新刊書が出るので、今日は最低の冊数です。
209『〈世界史〉の哲学 東洋篇』
847.5『ドイツ語で世界を読み解く』
326.3『ストーカー病』「恨みの中毒症状」の治療なしに、被害者は減らせない 歪んだ妄想の暴走は止められない
134.9『技術への問い』マルティン・ハイデガー
201.1『歴史哲学講義(上)』ヘーゲル
201.1『歴史哲学講義(下)』ヘーゲル
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ベルギー ブルージュ マルクト広場
『オランダ ベルギー ルクセンブルク 世界遺産と歴史の旅』より ブルージュ
ブルージュの繁栄と衰退
ブルージュは中世の面影を残す町で、運河で囲まれた楕円形の町である。
運河沿いに城壁が張り巡らされていたが、オーストリアがネーデルラントを支配した18世紀の後半、皇帝ヨーゼフ2世の命により取り払われた。
城壁の城門は残っており、ホテルから一番近いところでは、中世の雰囲気を残す「鍛冶屋の門」がある。東の方には、「十字の門(クロイス門)」があり、その北側には風車も見られる。
ブルージュで宿泊するツアーで、もし時間があれば、この辺りまで散歩してもいいだろう。遊歩道があるので、朝はジョギングしている人もいる。
赤く塗られた道は自転車道なので、歩かないように注意が必要だ。この点は、ベルギーだけでなく、オランダでも同じだ。自転車が猛スピードで走るので非常に危ない。
ベルギー北部のフランドル地方は、古くから毛織物産業が発展していた。
13世紀のブルージュは、北欧のハンザ同盟やジェノバなどのイタリア諸都市から訪れた商人で賑わい、街には彼らの商館が建ち並んで、金融や貿易の一大拠点として栄えた。
主要な交易品はフランドルの毛織物で、商品をボートに積んで運河を下り、北海に面したズウィン湾の港で大型船へ積み替えていた。そして、外国船から降ろした輸入品をボートに積んで、街中の市場へと運んだ。織物以外にも、ロシアの毛皮や琥珀、スペインのワイン、北欧の木材や魚類、オリエントと交易のあるヴェネチアからは香辛料なども運ばれた。
長い間、北海交易で繁栄したブルージュの街も、運河と港であるズウィン湾が北海から運ばれた土砂で埋まっていき、船の航行が困難になっていった。15世紀になると、商人たちはアントワープに移動してしまい、ブルージュは衰退した。
19世紀にフランドル出身の作家ローデンバックが、「死都ブルージュ」という本を発行。当時のイギリス人やフランス人の間で旅行がブームとなったころだった。
ナポレオンが戦争で敗北したベルギーのワーテルローを訪れるついでにブルージュに立ち寄るようになり、観光の街としてスタートした。
街はすっかり寂れてしまっていたが、そのおかげで中世の街並みがそのまま残されていたのだ。
19世紀には、北海へつながる運河がつくり直され、美しい水の都として、再び、人々を惹きつける街になっていった。
マルクト広場
ブルージュの中心広場であるマルクト広場に到着した。
街の散策をしながらブルク広場を通って来たが、聖母教会からでも歩いて5分くらいである。
「ここがマルクト広場です。中央に立っている銅像は、ヤン・ブレーデルとピーター・ド・コニングの2人で、1302年にブルージュで発生した市民蜂起のリーダーでした。14世紀の初めは、フランドルはとても裕福でした。しかし、フランスから爵位をもらっている立場だったので、一部の大商人は、フランスにぺこぺこしていました。市民たちはフランス相手に戦いました。そのときのリーダーがこの2人であり、英雄とされています。肉屋さんと毛織物職人でした」
広場に面して建っている塔は、鐘楼で、13世紀に建てられた。14世紀になってから、四角の小さな塔が付け加えられ、一番上の八角形の塔は15世紀末に付け加えられた。
「今日は午後からフリータイムなので、健脚な人はぜひ塔に上ってください。景色がいいですよ。入り口は門をくぐった中庭にあります。人が並んでいるかもしれません。エレペーターはありません。螺旋階段が366段ありますので頑張ってください」
鐘楼の周辺には、ギルドハウスが並び、その中の「クラーネンブルク・ハウス」と呼ばれる、小さな塔のついた建物は、マクシミリアンが幽閉されていた建物である。州庁舎は19世紀に建てられたネオ・ゴシック様式で、右側は郵便局となっている。
マルクト広場の近くにあるレースの店では、ボビンレースの実演を見せてくれるところもある。ペルギーのボビンレースについては、後で詳しく説明する。
ブルージュの繁栄と衰退
ブルージュは中世の面影を残す町で、運河で囲まれた楕円形の町である。
運河沿いに城壁が張り巡らされていたが、オーストリアがネーデルラントを支配した18世紀の後半、皇帝ヨーゼフ2世の命により取り払われた。
城壁の城門は残っており、ホテルから一番近いところでは、中世の雰囲気を残す「鍛冶屋の門」がある。東の方には、「十字の門(クロイス門)」があり、その北側には風車も見られる。
ブルージュで宿泊するツアーで、もし時間があれば、この辺りまで散歩してもいいだろう。遊歩道があるので、朝はジョギングしている人もいる。
赤く塗られた道は自転車道なので、歩かないように注意が必要だ。この点は、ベルギーだけでなく、オランダでも同じだ。自転車が猛スピードで走るので非常に危ない。
ベルギー北部のフランドル地方は、古くから毛織物産業が発展していた。
13世紀のブルージュは、北欧のハンザ同盟やジェノバなどのイタリア諸都市から訪れた商人で賑わい、街には彼らの商館が建ち並んで、金融や貿易の一大拠点として栄えた。
主要な交易品はフランドルの毛織物で、商品をボートに積んで運河を下り、北海に面したズウィン湾の港で大型船へ積み替えていた。そして、外国船から降ろした輸入品をボートに積んで、街中の市場へと運んだ。織物以外にも、ロシアの毛皮や琥珀、スペインのワイン、北欧の木材や魚類、オリエントと交易のあるヴェネチアからは香辛料なども運ばれた。
長い間、北海交易で繁栄したブルージュの街も、運河と港であるズウィン湾が北海から運ばれた土砂で埋まっていき、船の航行が困難になっていった。15世紀になると、商人たちはアントワープに移動してしまい、ブルージュは衰退した。
19世紀にフランドル出身の作家ローデンバックが、「死都ブルージュ」という本を発行。当時のイギリス人やフランス人の間で旅行がブームとなったころだった。
ナポレオンが戦争で敗北したベルギーのワーテルローを訪れるついでにブルージュに立ち寄るようになり、観光の街としてスタートした。
街はすっかり寂れてしまっていたが、そのおかげで中世の街並みがそのまま残されていたのだ。
19世紀には、北海へつながる運河がつくり直され、美しい水の都として、再び、人々を惹きつける街になっていった。
マルクト広場
ブルージュの中心広場であるマルクト広場に到着した。
街の散策をしながらブルク広場を通って来たが、聖母教会からでも歩いて5分くらいである。
「ここがマルクト広場です。中央に立っている銅像は、ヤン・ブレーデルとピーター・ド・コニングの2人で、1302年にブルージュで発生した市民蜂起のリーダーでした。14世紀の初めは、フランドルはとても裕福でした。しかし、フランスから爵位をもらっている立場だったので、一部の大商人は、フランスにぺこぺこしていました。市民たちはフランス相手に戦いました。そのときのリーダーがこの2人であり、英雄とされています。肉屋さんと毛織物職人でした」
広場に面して建っている塔は、鐘楼で、13世紀に建てられた。14世紀になってから、四角の小さな塔が付け加えられ、一番上の八角形の塔は15世紀末に付け加えられた。
「今日は午後からフリータイムなので、健脚な人はぜひ塔に上ってください。景色がいいですよ。入り口は門をくぐった中庭にあります。人が並んでいるかもしれません。エレペーターはありません。螺旋階段が366段ありますので頑張ってください」
鐘楼の周辺には、ギルドハウスが並び、その中の「クラーネンブルク・ハウス」と呼ばれる、小さな塔のついた建物は、マクシミリアンが幽閉されていた建物である。州庁舎は19世紀に建てられたネオ・ゴシック様式で、右側は郵便局となっている。
マルクト広場の近くにあるレースの店では、ボビンレースの実演を見せてくれるところもある。ペルギーのボビンレースについては、後で詳しく説明する。
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ジョブスの「目標」
『ジョブズ魂の言葉』より 「目標」⇒ 本当にしたかったことは、社会改革なんでしょう
先人の肩に乗せてもらっている
人類の成果に才能で加える
僕が使っている言葉も数学も、僕は発明していない。
自分の食べ物はごくわずかしか作っていないし、自分の服なんて作ったことさえない。
僕がいろいろできるのは、同じ人類のメンバーがいろいろしてくれているからであり、すべて、先人の肩に乗せてもらっているからなんだ。
僕らは自分が持つ才能を使って心の奥底にある感情を表現しようとするんだ。
僕らの先人が遺してくれたあらゆる成果に対する感謝を表現しようとするんだ。
そして、その流れになにかを追加しようとするんだ。
そう思って、僕は歩いてきた。
残りの人生をどう過ごすか
世界を変えるチャンスに賭ける
あなたは、砂糖水を売りながら残りの人生を過ごすつもりですか?
それとも、世界を変えるチャンスに賭けたいですか?
パックが滑っていくところへ
未来が行くところに進む
元プロ・アイスホッケー選手のウェイン・グレツキーの言葉で、好きなものがある。
「私はパックがあったところではなく、パックがこれからいくところに滑っていく」というものだ。
アップルは常にそうしようとしてきた。
最初の最初からね。
これからもずっとそうするつもりだ。
成功する人たちの理由
お金のためでは成功しない
お金持ちになりたいという理由で会社を始めた人で、成功した人を僕はあまり見たことがない。
成功する人は、時には、会社を始めることも考えていないような人たちだ。
彼らはアイデアを持っている。
それを世界に広めたい、表現したいと願っている。
そして、そのアイデアを聞いてもらうために、会社を立ちあげなければならないんだ。
目標を問え
すごい製品を創ること
我々の目標はお金を儲けることだけでなく、すごい製品を創ることだ。
強みに集中する
できることは限られている
我々が今後すべきことを10あげてくれ。
我々にできるのは3つまでだ。
この会社ですべてをやるのは非常に難しい
人生というのは複雑だ。
先人の肩に乗せてもらっている
人類の成果に才能で加える
僕が使っている言葉も数学も、僕は発明していない。
自分の食べ物はごくわずかしか作っていないし、自分の服なんて作ったことさえない。
僕がいろいろできるのは、同じ人類のメンバーがいろいろしてくれているからであり、すべて、先人の肩に乗せてもらっているからなんだ。
僕らは自分が持つ才能を使って心の奥底にある感情を表現しようとするんだ。
僕らの先人が遺してくれたあらゆる成果に対する感謝を表現しようとするんだ。
そして、その流れになにかを追加しようとするんだ。
そう思って、僕は歩いてきた。
残りの人生をどう過ごすか
世界を変えるチャンスに賭ける
あなたは、砂糖水を売りながら残りの人生を過ごすつもりですか?
それとも、世界を変えるチャンスに賭けたいですか?
パックが滑っていくところへ
未来が行くところに進む
元プロ・アイスホッケー選手のウェイン・グレツキーの言葉で、好きなものがある。
「私はパックがあったところではなく、パックがこれからいくところに滑っていく」というものだ。
アップルは常にそうしようとしてきた。
最初の最初からね。
これからもずっとそうするつもりだ。
成功する人たちの理由
お金のためでは成功しない
お金持ちになりたいという理由で会社を始めた人で、成功した人を僕はあまり見たことがない。
成功する人は、時には、会社を始めることも考えていないような人たちだ。
彼らはアイデアを持っている。
それを世界に広めたい、表現したいと願っている。
そして、そのアイデアを聞いてもらうために、会社を立ちあげなければならないんだ。
目標を問え
すごい製品を創ること
我々の目標はお金を儲けることだけでなく、すごい製品を創ることだ。
強みに集中する
できることは限られている
我々が今後すべきことを10あげてくれ。
我々にできるのは3つまでだ。
この会社ですべてをやるのは非常に難しい
人生というのは複雑だ。
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SPIKESを使った患者さんとの対話 進行がんの告知後
『看護師のためのマナー・言葉かけ・接し方ハンドブック』より バッドニュースと患者支援
「SPIKES」を用いたバッドニュースの伝え方を、現場での会話例から見ていきましょう。
ケースの内容
患者Pt:大田さん(35歳)、女性。主婦で、同年齢の夫と7 歳の娘がいる。乳がん手術後、外来で定期的にフォローアップを受けていたが、検査で骨への転移が見つかり、先ほど 主治医から告知を受けた。
看護師Ns:告知場面に同席し、その後の患者さんをフォロー する役割を負っている。
S:場の設定と聴くスキル
病名告知後、医師は退室。その後、同室で患者と看護師の2名で面接。
Ns:(2人になったので、少し近づいて90度の角度で座り直す)大田さん、ご気分はいかがですか? お話続けられそうですか。
Pt:だいじょうぶです。
Ns:佐藤先生からのお話は、ショックでしたね。
Pt:そうですね……。
P:認識度を尋ねる
Ns:(患者さんの表情を見守りながら、しばらく間を置く)先ほど先生から、検査結果について話がありましたが、よろしければ、先生の話について振り返ってみましょうか。
Pt:はい、お願いします。
Ns:まず、先生からの話はどのような内容だったか、覚えていますか。
Pt:はい。骨にがんが転移したと言われました。
Ns:(見守りながら少し時間を置いて)そうでしたね。今日のこの結果を聞くにあたって、どのように心の準備をされていましたか。
Pt:はい。前回先生から、今日の外来受診日を決めるときに家族の同伴を勧められましたので、何か悪い知らせだろうとは思っていました。最近腰に痛みを感じるときがあるので、もしかしたら骨転移かもしれないとも思っていました。
Ns:何か悪い知らせかもしれないと予想されていたのですね。
Pt:ええ。
I:準備を確認する
Ns:大田さん、今回の検査結果を聞かれて、先生の話でわかりにくかったことや、もう一度確認しておきたいことはありますか?
Pt:はい。骨にがんが転移したということはわかったのですが、最後のほうで、完全に治すことはできないとおっしゃられていたような気がするのですが…。どういうことなのですか?
K:情報を提供する
Ns:先生は、大田さんのがんはある程度進行しているとおっしゃっていました。つまり、残念ですが、「大田さんのがんは完全に治すということは、できない」と言われていました。
Pt:(沈黙)もう治らないんですね。
Ns:ただし、先生も言われていたように「進行したがん」だからといって、治療ができないということではありません。
大田さんに対して、先生と治療法を相談しながら、私たちはできる限りのサポートを行っていきたいと考えています。
Ns:だいじょうぶですか?(表情を見ながらしばらく間を置く)
Pt:はい。治療はまだあるということですね…。
Ns:よろしかったら、今一番気になっていることについて教えていただけますか?
Pt:子どもがまだ小さいので、多少つらくても、一日でも長生きできる治療を受けたいです。先生にもそうお伝えください。
Ns:わかりました。治療法については、次回に先生とじっくりと相談して決めていきましょう。
E:共感、気持ちを理解しようとする
Ns:今日のことで、気が動転されていませんか?
Pt:確かに気が動転してどうしたらいいか…(思いつめた表情で下を向く)。
Ns:そうですよね。おつらいですよね。
(しばらく間を置いて)これからも、大田さんのお力になりたいと思っています。
どうしていくことが大田さんにとって一番良いか、今後も一緒に考えていきましょう。
Pt:はい。ありがとうございます。
S:情報の要約と今後の方針を話し合う
Ns:他に何かお聞きになりたいことはありますか?
Pt:特にだいじょうぶです。
Ns:では、来週の火曜日の9時にいらしてください。できれば次回はご主人にも一緒に来てもらえるといいですね。
Pt:はい、わかりました。
Ns:そのときは、また私も一緒に先生の話を聞かせてもらいますね。
Pt:はい。お願いします。
Ns:私たちは今後も大田さんをしっかりとサポートしていきます。何かありましたら、いつでもご連絡ください。
Pt:はい、ありがとうございました。
「SPIKES」を用いたバッドニュースの伝え方を、現場での会話例から見ていきましょう。
ケースの内容
患者Pt:大田さん(35歳)、女性。主婦で、同年齢の夫と7 歳の娘がいる。乳がん手術後、外来で定期的にフォローアップを受けていたが、検査で骨への転移が見つかり、先ほど 主治医から告知を受けた。
看護師Ns:告知場面に同席し、その後の患者さんをフォロー する役割を負っている。
S:場の設定と聴くスキル
病名告知後、医師は退室。その後、同室で患者と看護師の2名で面接。
Ns:(2人になったので、少し近づいて90度の角度で座り直す)大田さん、ご気分はいかがですか? お話続けられそうですか。
Pt:だいじょうぶです。
Ns:佐藤先生からのお話は、ショックでしたね。
Pt:そうですね……。
P:認識度を尋ねる
Ns:(患者さんの表情を見守りながら、しばらく間を置く)先ほど先生から、検査結果について話がありましたが、よろしければ、先生の話について振り返ってみましょうか。
Pt:はい、お願いします。
Ns:まず、先生からの話はどのような内容だったか、覚えていますか。
Pt:はい。骨にがんが転移したと言われました。
Ns:(見守りながら少し時間を置いて)そうでしたね。今日のこの結果を聞くにあたって、どのように心の準備をされていましたか。
Pt:はい。前回先生から、今日の外来受診日を決めるときに家族の同伴を勧められましたので、何か悪い知らせだろうとは思っていました。最近腰に痛みを感じるときがあるので、もしかしたら骨転移かもしれないとも思っていました。
Ns:何か悪い知らせかもしれないと予想されていたのですね。
Pt:ええ。
I:準備を確認する
Ns:大田さん、今回の検査結果を聞かれて、先生の話でわかりにくかったことや、もう一度確認しておきたいことはありますか?
Pt:はい。骨にがんが転移したということはわかったのですが、最後のほうで、完全に治すことはできないとおっしゃられていたような気がするのですが…。どういうことなのですか?
K:情報を提供する
Ns:先生は、大田さんのがんはある程度進行しているとおっしゃっていました。つまり、残念ですが、「大田さんのがんは完全に治すということは、できない」と言われていました。
Pt:(沈黙)もう治らないんですね。
Ns:ただし、先生も言われていたように「進行したがん」だからといって、治療ができないということではありません。
大田さんに対して、先生と治療法を相談しながら、私たちはできる限りのサポートを行っていきたいと考えています。
Ns:だいじょうぶですか?(表情を見ながらしばらく間を置く)
Pt:はい。治療はまだあるということですね…。
Ns:よろしかったら、今一番気になっていることについて教えていただけますか?
Pt:子どもがまだ小さいので、多少つらくても、一日でも長生きできる治療を受けたいです。先生にもそうお伝えください。
Ns:わかりました。治療法については、次回に先生とじっくりと相談して決めていきましょう。
E:共感、気持ちを理解しようとする
Ns:今日のことで、気が動転されていませんか?
Pt:確かに気が動転してどうしたらいいか…(思いつめた表情で下を向く)。
Ns:そうですよね。おつらいですよね。
(しばらく間を置いて)これからも、大田さんのお力になりたいと思っています。
どうしていくことが大田さんにとって一番良いか、今後も一緒に考えていきましょう。
Pt:はい。ありがとうございます。
S:情報の要約と今後の方針を話し合う
Ns:他に何かお聞きになりたいことはありますか?
Pt:特にだいじょうぶです。
Ns:では、来週の火曜日の9時にいらしてください。できれば次回はご主人にも一緒に来てもらえるといいですね。
Pt:はい、わかりました。
Ns:そのときは、また私も一緒に先生の話を聞かせてもらいますね。
Pt:はい。お願いします。
Ns:私たちは今後も大田さんをしっかりとサポートしていきます。何かありましたら、いつでもご連絡ください。
Pt:はい、ありがとうございました。
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スタバのサービスにみる存在の力
スタバのサービスにみる存在の力
値上げについては、一番重要なのは、そこのスタッフが原価と自分たちのサービス部分を知っていることです。
リッツ・カートンにしても、スタバにしても、原則は一緒です。原価は元々安い。それを自分たちのサービスでもって、ブランドを維持している。だから、サービスは原価以上に工夫する必要がある。
商品は一つしかないけど、サービスで色々な見せ方ができる。だから、自分たちには付加価値がある。その価値を最大にするには、勉強が必要です。マニュアルなきマニュアルの根本です。
相手の気持ちになってやるというよりも、一つの商品に対して、価値を与えることを人間がやることで、人間の存在理由が出てくる。新しい数学とか、新しいマーケティングはそれによって、作られていく。
海外の図書館めぐりがしたい
シアトルでコーヒーとクラムチャウダーと図書館。この三点で十分です。それに、文房具屋周りがあれば、最高です。
バンクーバー中央図書館。旅に行けないのでガイドブックを見ていると、図書館の写真が出てきます。ローマのコロッセオを彷彿させた、円筒形のモダンな建物です。スカイトレインの駅の近くにある。
各フロアーにはデスクとチェアの他、ソファーもあり、ゆったりとくつろげながら、素敵な時間が過ごせる。コンコースのカフェも。
バンクーバー美術館はニューヨーク公共図書館の入口とよく似ています。
ロサンゼルス公共図書館は映画で見て、気に入って、出掛けました。エンジェルが上の階から覗き込んでいる風景を見たくて。シティ・オブ・エンジェルの世界
スタバの「10分前ルール」
スタバの「10分前ルール」=7時オープンなら、6時50分にお客さんが居れば、オープンする。これは重要なことですよね。お客様を見ているという原点が感じられます。
岡崎図書館もベルが鳴るのを待って、開ける。そんなことは必要ないです。それも図書館スタッフではなく、警備員が開ける。彼らに言わせると、そうしないと不公平になるから。そんなことは関係ないです。
愛知万博のボランティアでは、行政から雇われた人と一緒に仕事をしていた。行政は一律のサービスだったが、ボランティアは一人のお客様にいかに気を使うかを意識して行動していた。
スタバはアルバイトでも70時間、教育する。途中でやめないので、十分、元が取れる。スタバでは、スタッフの存在理由という言葉が通じます。これは画期的です。スタバのミッションでは、一人のお客様、一杯のコーヒー、そして、一つのコミュニティから、となっている。
図書館コミュニティにおける高度サービスの展開
スタバを図書館に当てはめたらどうか? 図書館のスタッフ(パート)はあまりにも、商品(本)について、知らな過ぎる。コーヒーを理解しようとする力、お客を理解する力が、マニュアルなきマニュアルとして現れる。自分がそこに存在する意味が見えてくる。
図書館のカウンターの女性も同じ意識を持てば、様々なことが可能になる。カウンセラーが別にいるよりも、はるかにいい雰囲気を図書館にもたらす。だから、常に本を読んでいるという状況を風景にします。
図書館の最大の利用者が図書館職員というのは、いい姿です。それをカバーするためのカウンセリングとしての司書を設定すれば、市民に先立って、自分たちの中で問題意識を解決できます。
それが図書館コミュニティの原点になります。お金も人もそれで作り出せます。そうすれば、図書館職員となる人のレベルも上がってきます。そこを経験した人は他でも使えるという、知識と意識を働かせるための姿です。生涯学習の拠点になりえます。
図書館コミュニティには、そういう内側の面を持たせます。外側の面だけ要求してもダメです。市民はそう動くものではないです。動くときは膨大です。そのための準備です。同じように、販売店のスタッフでやったことを連動させればいいです。
スタバの高度サービスが今後の社会の一番のベースになります。そこのコンサルティングを出来るようにしたい。そこまで持って行く。こういう発想に至ったのは、Iさんのおかげです。
値上げについては、一番重要なのは、そこのスタッフが原価と自分たちのサービス部分を知っていることです。
リッツ・カートンにしても、スタバにしても、原則は一緒です。原価は元々安い。それを自分たちのサービスでもって、ブランドを維持している。だから、サービスは原価以上に工夫する必要がある。
商品は一つしかないけど、サービスで色々な見せ方ができる。だから、自分たちには付加価値がある。その価値を最大にするには、勉強が必要です。マニュアルなきマニュアルの根本です。
相手の気持ちになってやるというよりも、一つの商品に対して、価値を与えることを人間がやることで、人間の存在理由が出てくる。新しい数学とか、新しいマーケティングはそれによって、作られていく。
海外の図書館めぐりがしたい
シアトルでコーヒーとクラムチャウダーと図書館。この三点で十分です。それに、文房具屋周りがあれば、最高です。
バンクーバー中央図書館。旅に行けないのでガイドブックを見ていると、図書館の写真が出てきます。ローマのコロッセオを彷彿させた、円筒形のモダンな建物です。スカイトレインの駅の近くにある。
各フロアーにはデスクとチェアの他、ソファーもあり、ゆったりとくつろげながら、素敵な時間が過ごせる。コンコースのカフェも。
バンクーバー美術館はニューヨーク公共図書館の入口とよく似ています。
ロサンゼルス公共図書館は映画で見て、気に入って、出掛けました。エンジェルが上の階から覗き込んでいる風景を見たくて。シティ・オブ・エンジェルの世界
スタバの「10分前ルール」
スタバの「10分前ルール」=7時オープンなら、6時50分にお客さんが居れば、オープンする。これは重要なことですよね。お客様を見ているという原点が感じられます。
岡崎図書館もベルが鳴るのを待って、開ける。そんなことは必要ないです。それも図書館スタッフではなく、警備員が開ける。彼らに言わせると、そうしないと不公平になるから。そんなことは関係ないです。
愛知万博のボランティアでは、行政から雇われた人と一緒に仕事をしていた。行政は一律のサービスだったが、ボランティアは一人のお客様にいかに気を使うかを意識して行動していた。
スタバはアルバイトでも70時間、教育する。途中でやめないので、十分、元が取れる。スタバでは、スタッフの存在理由という言葉が通じます。これは画期的です。スタバのミッションでは、一人のお客様、一杯のコーヒー、そして、一つのコミュニティから、となっている。
図書館コミュニティにおける高度サービスの展開
スタバを図書館に当てはめたらどうか? 図書館のスタッフ(パート)はあまりにも、商品(本)について、知らな過ぎる。コーヒーを理解しようとする力、お客を理解する力が、マニュアルなきマニュアルとして現れる。自分がそこに存在する意味が見えてくる。
図書館のカウンターの女性も同じ意識を持てば、様々なことが可能になる。カウンセラーが別にいるよりも、はるかにいい雰囲気を図書館にもたらす。だから、常に本を読んでいるという状況を風景にします。
図書館の最大の利用者が図書館職員というのは、いい姿です。それをカバーするためのカウンセリングとしての司書を設定すれば、市民に先立って、自分たちの中で問題意識を解決できます。
それが図書館コミュニティの原点になります。お金も人もそれで作り出せます。そうすれば、図書館職員となる人のレベルも上がってきます。そこを経験した人は他でも使えるという、知識と意識を働かせるための姿です。生涯学習の拠点になりえます。
図書館コミュニティには、そういう内側の面を持たせます。外側の面だけ要求してもダメです。市民はそう動くものではないです。動くときは膨大です。そのための準備です。同じように、販売店のスタッフでやったことを連動させればいいです。
スタバの高度サービスが今後の社会の一番のベースになります。そこのコンサルティングを出来るようにしたい。そこまで持って行く。こういう発想に至ったのは、Iさんのおかげです。
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