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グローバル・ガバナンスは実現できるのか? 望ましいのか?

『グローバリゼーション・パラドクス』より 世界経済の政治的トリレンマ グローバル・ガバナンスでないとすれば、何が?

国民国家は時代遅れだ。国境は消えつつある。距離は死んだ。地球はフラットである。アイデンティティと産まれた場所はもはや結びつかない。国内政治は、国境を超えた新たな、もっと流動的な形式の代議制に置き換わる。権威は、国内の立法者から規制機関の超国家的なネットワークに移動している。政治権力は、国際的な非政府組織として組織されたアクティビストの新しい波に移ろうとしている。われわれの経済生活の形を決めるのは、巨大な多国籍企業や、顔の見えない国際官僚たちだ。

これに似た話、グローバル・ガバナンスの新時代の幕開けを歓迎したり非難したりする声を、もう何度聞かされただろう。

ところが、二〇〇七年から○八年の最近の危機で出来事がどう進行したのかを見てみよう。危機が大きくなる前に、金融危機を避けるべくグローバル銀行を救済したのは誰だったのか? 世界の信用市場を落ち着かせるために流動性を供給したのは誰だったのか? グローバル経済に財政出動で刺激を与えたのは誰だったのか? 誰が失業を救済したり、その他のセーフティネットを失業者に提供したのか? 補償のルールや、自己資本比率、大銀行への資金注入を決定するのは誰なのか? あらゆることが起こる前に、最中に、あるいは起こった後で最も非難を受けるのは誰か?

すべての答えは同じだ。その国の政府である。われわれは、グローバル化によってガバナンスのあり方が根本的に変化した世界に生きていると考えているかもしれないが、責任をとっているのはいまだに国内の政策担当者である。国民国家が衰退しているという宣伝は、ただの宣伝に過ぎない。世界経済には様々な国際機関--ADB(アジア開発銀行)からWTOに至るまで--があり、まるでアルファべットのスープの中にいるようだが、民主的な意思決定は国民国家の丸太小屋の中にしっかりとどまっている。「グローバル・ガバナンス」はいい響きだが、当分の間は期待できない。複雑で多様な世界では、グローバル・ガバナンスはどく薄いベニア板のようにしか実現できない--そうなるのには確かな理由がある。

グローバル・ガバナンスの新しい形態は興味をそそられるし、いっそうの発展に値する。しかし究極的には、ある根本的な限界を越えられない。政治的アイデンティティや愛着は、いまだ国民国家の枠内にとどまっているのだ。真にグローバルな規範は、どくどく限られた論点においてのみ現れる。そして、望ましい制度をめぐって現に存在する、国による違いは残ったままだ。新しい超国家的メカニズムによって、いくつかの難しい問題が和らぐかもしれないが、現にあるガバナンスには置き換わらない。拡大する経済グローバリゼーションを支えるには十分ではないのだ。

われわれは、世界の政治は国によって分割されているという現実を受け入れ、もっと地に足の着いた選択をする必要がある。一つの国の権利や責任が終わるところで、他の国のそれが始まるという現実を、率直に受け入れなければならない。国民国家が果たしている役割をどまかすべきではないし、グローバルな政治共同体の誕生の最初の目撃者となるのだ、と期待すべきでもない。グローバリゼーションを制約することで、グローバルな政体は分割されるのだと認識し、それを受け入れなければならない。グローバルな規制が機能する範囲は、望ましいグローバリゼーションの範囲に限定される。ハイパーグローバリゼーションは達成できないし、それが達成できるかのように振る舞うべきでもない。

現実に目を開けば、健全で、いっそう持続可能な世界秩序が見えてくるだろう。
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コメント
 
 
 
マルテンサイト千年 (グローバルサムライ)
2024-07-05 10:00:06
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
 
 
 
デカップリング時代に考える (文系数学マニア)
2024-07-29 11:10:22
「材料物理数学再武装」なつかしいな。番外編の経済学の国富論(神の見えざる手)における、価格決定メカニズムの話面白かった。学校卒業して以来ようやく微積分のありがたさに気づくことができたのはこのあたりの情報収集によるものだ。ようはトレードオフ関係にある比例と反比例の曲線を関数接合論で繋げて、微分してゼロなところが全体最適だとする話だった。

まあ簡単に言うと
 1+1=2  だけではなく
 1+1=3  という世界を
数理的に表現しようとしたもののように受け止められる。
 
 
 
奇跡の女神か (ハイブリッド哲学)
2024-07-29 11:12:16
トランプ元大統領の暗殺が未遂に終わったが打ち出された銃の弾丸の弾道解析から耳たぶだけに損傷を与えるという角度はものすごく狭くもしもあれがやらせであったとしたならば神の見えざる手によってコントロールされていたとしか考えられないといくつかのアメリカ有力メディアは伝えている。
 
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