『環境問題の知識社会学』より 持続可能性概念の見直しと自治体政策の方向
持続可能性概念の見直し
環境省をはじめとした省庁がこれまで頻繁に用いてきた「百年先の気候変動の具体的な影響は不明だが、影響が出てからでは遅い」という見解から自由になるには、短期的で、可視的な政策効果が実感できる分野を対置することである。社会変動論からは、自治体レベルの社会秩序を脅かす問題への優先的展開を心がけることになる。
具体的には、第一に「持続可能性」とその概念の見直しである。これは五〇年やI〇〇年先という長期性に加えて、先進国や途上国を問わない地球規模のテーマになった二酸化炭素地球温暖化認識が、実際の対応レペルでは恣意的なエコ対策に倭小化されたことに象徴される。六gにすぎないレジ袋廃止運動は支援をするが、ジェット機による一分間の二酸化炭素六〇〇㎏排出を放置するのでは、政府や自治体や環境団体のエコの本気度が疑われるであろう。地球温暖化対策から見ると、観光関連の大臣や知事や市町村長がわざわざジェット機でアジア諸国に出かけて、観光客の誘致をするようなパフォーマンスは論外になる。
また、自宅コンセントから充電できる電気自動車は、電力の七〇%前後が火力発電に依存している宙情を必然的に前提とすることから、二酸化炭素ゼロではありえない。この現実から、電気自動車は二酸化炭素排出ゼロというCMを半年間も流した企業倫理は批判されても当然である。同様に、資源の無駄を承知で、まだ使えるクルマを廃棄して、「エコ替え」を推奨するCMを流した企業倫理も非難されるであろう。くり返すが、まさしく「電気はよいが、どこから得るか」(伊藤・渡辺2008 : 202)が問われるからである。
恐怖抑止論を克服する
第二に、このような「恐怖抑止論」から自由になり、恣意的な二酸化炭素温暖化論よりも優先順位の高い政策が並ぶことへの配慮が欲しい。二〇一〇年に期限が切れた「過疎地域自立促進特別措置法」はほぼそのままで継続されたが、全国知事会では以下のような評価をした。過疎地域自立促進特別措置法「改正では、現行の過疎地域は引き続き指定するとした上で、直近の国勢調査に基づく指定要件が追加された。また、過疎地域自立促進のための特別措置が拡充され、特に、地域医療の確保、住民の日常的な移動のための交通手段の確保、集落の維持及び活性化などのいわゆるソフト事業が過疎対策事業債の対象とされるなど、過疎地域の要望に応えたものであり、高く評価したい」。
このように評価された政策もあるが、二〇〇七年で高齢者が六割を占める「農業就業人口」で、一〇年後に「食料自給率」を現在よりI〇%上げる方法についての農林水産省の方針は依然として鮮明ではない。
そして八〇〇万人の団塊世代全員が六五歳になる二〇一五年に向けて、年金と医療と介護を軸とする社会保障制度の根本的見直しの動きは皆無である。二〇一五年に大量の団塊世代完全退職が正確に予想されるのに、過去二〇年間の与野党による政治と行政は、これらの緊急でかつ非常に大きな国民不安の主因を解消してこなかった。
おそらくもはや盛りを過ぎた日本は、五〇年先の「仮定」の世界に遊ぶほどの余裕はない。このままでは、地球科学における仮定法による推論が導く恣意的で誤った政治的対策しか残らない。本書ではその動きに疑問を投げて、「誤作為のコスト」は膨大な無駄の温床でもあるとした。
もちろん「少子化する高齢社会」への対応が、社会保障制度の革新だけと結びつくのではない。二I世紀になってよりいっそう鮮明さを増した階層格差、コミュニティ格差、世代間格差、ジェンダー格差、女女格差などを緩和する取り組みにも、それは結びつく。すべて政策の短期的効果を必要としている社会問題であり、次世代育成にとってもこれらの格差の除去は大きな意味がある。
安全と安心の政策が最優先
第三には、都市の社会秩序維持への優先的対応である。これはそのまま自治体のまちづくりの原則に連なる。ここでは、
①ダイナミックで、密度の高い中心市街を作る
②都市の内部のネイバーフッドを再生する
③都市の公共交通を再編する
④環境を守り、その働きを促進させる
でいいかという判断が問われるようになる。これを再度集約すると、「都市をサステナブルにする」ことが、結局は「結束が強く、魅力あふれる」と仮定され心まちづくり原則に変貌する。
しかし、日本社会では、人口が減少し、「ゆとりある教育」により人間が変質した時代が二〇一五年以降は常態化するので、サステナビリティ原則だけではその行方は楽観を許さない。
なぜなら、「都市をサステナブルにする」ことが、「余暇時間も増え、安全も高まり、事故も減り、教育も高まり、利便設備も増え、所得も上がり、飢えた人も減り、食糧は増え、健康で長生きできるようになった」。現代都市で、万能の切り札とは思われないからである。
人口変動としての「少子化する高齢社会」が鮮明になった今日、増加した高齢者をリスクと見るか社会資源の増大と見るか。水俣病をはじめとした公害問題の取り組みの経験を生かして、新しい環境社会をどう描いていくか。二酸化炭素は悪玉ではなく、エコもグリーンも空疎な概念だと理解したときに戻るところは普遍的な環境3R原則である。その意味で、今後に社会学からの参入が期待される科学的テーマとしては「人口変動と環境社会」になる。二〇世紀前半に、高田保馬は精神史観(宗教史観)、唯物史観(経済史観)、人口史観(社会学的史観)を歴史の流れの中でまとめたが、二一世紀では人口史観のあとに強力な環境史観が登場した。
自然災害を含む環境研究への社会学のアプローチは限られるが、環境史観と人口史観の接合に関しては諸学の先端に位置する。この応用問題への学界あげての取り組みが日本の社会システムからの機能的要請でもあり、国民からの期待も強いはずである。
かつて一九六〇年代の高度成長期は社会学の時代といわれ、社会学の成果はコミュニティ政策や社会開発推進や都市問題対策に活用された。その時代とは文脈は異なるものの、二I世紀前半の日本でも人口と環境をめぐっては社会学の時代になるように微力を尽くすしかないであろう。
持続可能性概念の見直し
環境省をはじめとした省庁がこれまで頻繁に用いてきた「百年先の気候変動の具体的な影響は不明だが、影響が出てからでは遅い」という見解から自由になるには、短期的で、可視的な政策効果が実感できる分野を対置することである。社会変動論からは、自治体レベルの社会秩序を脅かす問題への優先的展開を心がけることになる。
具体的には、第一に「持続可能性」とその概念の見直しである。これは五〇年やI〇〇年先という長期性に加えて、先進国や途上国を問わない地球規模のテーマになった二酸化炭素地球温暖化認識が、実際の対応レペルでは恣意的なエコ対策に倭小化されたことに象徴される。六gにすぎないレジ袋廃止運動は支援をするが、ジェット機による一分間の二酸化炭素六〇〇㎏排出を放置するのでは、政府や自治体や環境団体のエコの本気度が疑われるであろう。地球温暖化対策から見ると、観光関連の大臣や知事や市町村長がわざわざジェット機でアジア諸国に出かけて、観光客の誘致をするようなパフォーマンスは論外になる。
また、自宅コンセントから充電できる電気自動車は、電力の七〇%前後が火力発電に依存している宙情を必然的に前提とすることから、二酸化炭素ゼロではありえない。この現実から、電気自動車は二酸化炭素排出ゼロというCMを半年間も流した企業倫理は批判されても当然である。同様に、資源の無駄を承知で、まだ使えるクルマを廃棄して、「エコ替え」を推奨するCMを流した企業倫理も非難されるであろう。くり返すが、まさしく「電気はよいが、どこから得るか」(伊藤・渡辺2008 : 202)が問われるからである。
恐怖抑止論を克服する
第二に、このような「恐怖抑止論」から自由になり、恣意的な二酸化炭素温暖化論よりも優先順位の高い政策が並ぶことへの配慮が欲しい。二〇一〇年に期限が切れた「過疎地域自立促進特別措置法」はほぼそのままで継続されたが、全国知事会では以下のような評価をした。過疎地域自立促進特別措置法「改正では、現行の過疎地域は引き続き指定するとした上で、直近の国勢調査に基づく指定要件が追加された。また、過疎地域自立促進のための特別措置が拡充され、特に、地域医療の確保、住民の日常的な移動のための交通手段の確保、集落の維持及び活性化などのいわゆるソフト事業が過疎対策事業債の対象とされるなど、過疎地域の要望に応えたものであり、高く評価したい」。
このように評価された政策もあるが、二〇〇七年で高齢者が六割を占める「農業就業人口」で、一〇年後に「食料自給率」を現在よりI〇%上げる方法についての農林水産省の方針は依然として鮮明ではない。
そして八〇〇万人の団塊世代全員が六五歳になる二〇一五年に向けて、年金と医療と介護を軸とする社会保障制度の根本的見直しの動きは皆無である。二〇一五年に大量の団塊世代完全退職が正確に予想されるのに、過去二〇年間の与野党による政治と行政は、これらの緊急でかつ非常に大きな国民不安の主因を解消してこなかった。
おそらくもはや盛りを過ぎた日本は、五〇年先の「仮定」の世界に遊ぶほどの余裕はない。このままでは、地球科学における仮定法による推論が導く恣意的で誤った政治的対策しか残らない。本書ではその動きに疑問を投げて、「誤作為のコスト」は膨大な無駄の温床でもあるとした。
もちろん「少子化する高齢社会」への対応が、社会保障制度の革新だけと結びつくのではない。二I世紀になってよりいっそう鮮明さを増した階層格差、コミュニティ格差、世代間格差、ジェンダー格差、女女格差などを緩和する取り組みにも、それは結びつく。すべて政策の短期的効果を必要としている社会問題であり、次世代育成にとってもこれらの格差の除去は大きな意味がある。
安全と安心の政策が最優先
第三には、都市の社会秩序維持への優先的対応である。これはそのまま自治体のまちづくりの原則に連なる。ここでは、
①ダイナミックで、密度の高い中心市街を作る
②都市の内部のネイバーフッドを再生する
③都市の公共交通を再編する
④環境を守り、その働きを促進させる
でいいかという判断が問われるようになる。これを再度集約すると、「都市をサステナブルにする」ことが、結局は「結束が強く、魅力あふれる」と仮定され心まちづくり原則に変貌する。
しかし、日本社会では、人口が減少し、「ゆとりある教育」により人間が変質した時代が二〇一五年以降は常態化するので、サステナビリティ原則だけではその行方は楽観を許さない。
なぜなら、「都市をサステナブルにする」ことが、「余暇時間も増え、安全も高まり、事故も減り、教育も高まり、利便設備も増え、所得も上がり、飢えた人も減り、食糧は増え、健康で長生きできるようになった」。現代都市で、万能の切り札とは思われないからである。
人口変動としての「少子化する高齢社会」が鮮明になった今日、増加した高齢者をリスクと見るか社会資源の増大と見るか。水俣病をはじめとした公害問題の取り組みの経験を生かして、新しい環境社会をどう描いていくか。二酸化炭素は悪玉ではなく、エコもグリーンも空疎な概念だと理解したときに戻るところは普遍的な環境3R原則である。その意味で、今後に社会学からの参入が期待される科学的テーマとしては「人口変動と環境社会」になる。二〇世紀前半に、高田保馬は精神史観(宗教史観)、唯物史観(経済史観)、人口史観(社会学的史観)を歴史の流れの中でまとめたが、二一世紀では人口史観のあとに強力な環境史観が登場した。
自然災害を含む環境研究への社会学のアプローチは限られるが、環境史観と人口史観の接合に関しては諸学の先端に位置する。この応用問題への学界あげての取り組みが日本の社会システムからの機能的要請でもあり、国民からの期待も強いはずである。
かつて一九六〇年代の高度成長期は社会学の時代といわれ、社会学の成果はコミュニティ政策や社会開発推進や都市問題対策に活用された。その時代とは文脈は異なるものの、二I世紀前半の日本でも人口と環境をめぐっては社会学の時代になるように微力を尽くすしかないであろう。