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木・金休みの損害賠償はないのか

未唯へ。

 今日は、朝の3時半から入力を行っていました。寝たのが11時半です。

 乙女座の運勢はずっと悪いですね。また、苛立つでしょう。

イタリアの風景

 昨日のアンダルシアのスペイン旅行は不発です。スペインの風景が遠景でしか出てこない。

 思い出したのは、イタリアの風景です。まっ平らな平原に山があり、その山頂に販売店本社があった。そこから見ると、ローマに行く高速道路が走っていた。あの風景はイタリアのモノなんでしょうね。

 それにしても、ヨーロッパへ旅行に行きたい。今回の塾で、海外視察のコネを作れるといいですね。環境を日本の中で考えていても、2030年の絵はできません。

木・金休み

 木・金休みで何が変わるかというと、読書です。金曜日に借りても、読む時間がない。次の木曜日までは待てないので、終日にパラパラと読むしかない。木・金までに片づけてしまったら、木・金は何をするのか。

 岡崎図書館も金曜日になります。だから、金曜日は老人ホームと岡崎と豊田市の図書館と読書で忙しいです。本の登録だけでも、その日は過ぎてしまいます。ふつうの日に本を読んだり、OCROCRをしていては、ブログをする気がなくなる。だから、ICレコーダーとポメラとスタバの組み合わせでいきましょう。

 水曜日の夕食を木・金休みの週末になります。月曜日にしましょうか。向こうが勝手に変えてきたのだから、変えるのはやめましょう。

次期システム

 無理しないようにしましょう。徒労に終わります。観点をもって動きます。ネットワークとクラウドです。あとはインタープリター待ちです。

 売るから使う。そしてシェアへ。社会的にはそんなところですね。そのために、市民が動けるようにすることですね。

プロとの話し合い

 環境のプロと話すことになるけど、プロに対しては、違和感はない。研究開発部署で、プロ相手に仕事をしてきた経験がいきます。本当のプロかどうかは、その人が誰のために、それをやっているかです。
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人類再生のシナリオ

『日本人は何故大人しい?』より 2357

いま人類は何をなすべきか

 このまま進むと、農業生産も減り、砂漠化はどんどん進行していき、当然ながら工業生産も減り、人口も減っていくものの、その前に地球は人口を支えられなってきます。では、今すぐ何をしたらいいかというと、一、消費エネルギーを減らし、かつクリーンなエネルギーに転換すること、二、緑を増やすこと、三、そして徐々に人口を減らすこと。この三つが肝心だと思います。先進国の人はこうした状況をわかっているため、比較的実行しやすいでしょうが、途上国の人たちはなかなか納得できません。それをいかに説得するかということが重要になってきます。

日本人は、価値観の転換を!

 日本列島の推定人口は、縄文早期の頃は二万一〇〇〇人、弥生時代は五九万四九〇〇人でしたが、奈良時代に四五一万二二〇〇人と三桁になり、江戸時代が始まる直前の慶長五年(一六〇〇)には一二ニ七万三〇〇〇人と四桁に変わりました。そして江戸時代中期である享保六年(一七二一)に三一二七万八五〇〇人にと増えましたが、それからは横ばいで、明治一三年(一八八○)も三五九五万八一〇〇人とほとんど変わっていません。

 昭和期にぐんと上昇し、平成には一億三〇〇〇万人を窺うようになりました。この数字を見ると、日本における自然な人口は三〇〇〇万人台なのかもしれません。ちなみに江戸は一八世紀には一〇〇万人都市となっていて、しかもエネルギーの循環社会として知られています。

 東京では、食糧を消費するだけで生産はほとんど行っていません。東京の食糧自給率はゼロに近く、逆に北海道では一人で約二人分弱の食糧生産をしていますが、全国平均でみると日本の食糧自給率は四〇パーセントだそうです。現在、発展途上国は先進国に輸出するために、自国の土地が荒れることには目をつむり、森を切りひらき、一所懸命にいろんな物を生産しています。それを避けるためには、日本等の先進国が自給自足経済を目指すことです。最近は工場や都会のビルの中で野菜の生産も始まっています。

 人々はその中で職住近接して暮らすのです。ですから、通勤や物資の移動のためのクルマやトラックのエネルギーもほとんど必要とせず、使ってもわずかですみます。これはもともとは、スエーデンGotengorg大学やその他のヨーロッパ各国で石油ショック後生まれた一九七〇年代の構想だそうです。

 とにかく、私は消費エネルギーを減らすことが重要だと思います。結果として国家の富も減り人口も減っていきますが、それを可とする、効率や富を求めない、東洋型の「いかに捨てられるか」への価値観の転換が必要です。

人類再生のシナリオ

 もともと人類は電気もなく、たくさんのエネルギーを使わない生活の中で、豊かな時間を過ごし、高い文化を保つことができたのですから、そういう生き方がすばらしいと人々が再び思い始めたら、エネルギー消費も急激に減少する可能性があります。しかも環境汚染などで地球を傷つけたら、それが人類にはね返ってくることは、冷静に考えればすぐにわかるのですから、かなり立ち直れる可能性はあります。人間は賢く、かつ愚かな存在であり、その両面を持っているのですから、賢い面が十分に発揮できれば、この難局を乗り越えられかもしれません。

 人類再生のシナリオは二つあると思います。人類が滅びていくといっても、人間全員が死ぬわけではなく、生き残る人たちはいるでしょう。その限られた人たちが新しい文化・文明をどこかで作り上げていくというのが第一のシナリオです。とはいえ、環境がどんどん破壊され、また核戦争などで人類が殺戮し合ったら、かろうじて生き延びた人たちも大変な苦しみを味わうことでしょう。

 もう一つのシナリオはこのまま、なんとか人類が知恵を発揮して、やりくりして、立ち直るというものです。人間は戦争をして、仲間同士殺戮し合いながら、一方で絶滅しそうな動物を助けたり、災害にあった人たちの不幸に同情して援助したり、弱者のために率先してボランティア活動をするといった、まさに地球および他の生物たちに貢献している面もあります。人類のそういった面に期待したいと思います。
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AQ時代の新しい価値観

『伸びる会社VS危ない会社の見分け方』より

 東日本大震災は、地震、津波、原発事故と想定外の規模の被害がありました。直接の被災をした東北、その打撃で余震、電力不足の影響を受けた首都圏、そして影響が軽微だった西日本と、受け止め方はかなり違います。違いはあれど、重大な出来事には疑いようはありません。日本だけでなく世界を震憾させたこの大規模地震は政治や経済のみならず、文化や芸術、そして個々の人々の人生観にも影響を与えるのは間違いなく、戦後日本最大の大転換点になるのではないでしょうか。

紀元前はBC、紀元後はADと表記されますが、日本においては3月‥H日を境にそれ以前を『BQ』(ビフォアークウェイク)、それ以後を『AQ』(アフター:クウェイク)と区別して考えたほうがいいと感じています。これからは震災前の価値をいい意味で捨て、震災後の価値観に変えていく企業が伸びていくのではないでしょうか。

 具体的には、土地、地域に付属し、持ち運べないものの価値が落ち、今後は「モビリティー」(移動性、可動性)がとても大事になるのではないでしょうか。たとえば、モノやサー・ビスでいえば、携帯電話、クラウドサービスなどの価値がより高まるでしょう。また、西日本でも、海外でも、どんな地域でも仕事ができたり、コミュニケーションを取れたりできる資質を持つ企業や人の価値が高まるのは間違いありません。

「所有から利用へ」の流れが加速するとともに、ある種の身軽さに価値を置く人が増えるのではないでしょうか。リースの利用が増え、住宅にしても持ち家ではなく賃貸、男女にしても結婚ではなく同棲や事実婚といった具合に。

震災発生に伴う社会構造の変化は、体力に乏しいベンチャーや中堅企業にとってネガティブと捉える向きも多いでしょうが、小型企業ならではの機動性を発揮できる局面であり、決してネガティブではないと思います。

震災に伴う環境変化で企業運営の難易度が上がりましたが、これからビジネスを始める人や企業にとっても、変化に対応したモノやサービスを提供することができるチャンスでもあるのではないでしょうか。現在は2011年ですが、『AQ元年』と捉え、動きを変えることのできる人や企業はこれから強くなると思います。

震災によってむしろ強さが際立ったSNS関連、電力不足対策が需要を後押しするクラウドサービスなど分散型ネットワーク関連、在宅勤務関連、特需的な需要を吸収する西日本の企業、土木、発電機、エネルギー分散化のテーマに乗る蓄電池、スマートグリッド(次世代送電網)などは有望です。AQの人々の価値観の変化にどう対応していくのかということはすべての企業や人々に問われていくものと思います。

 震災後の成長性を決める6つの観点

  ①被災地のためにどのような行動を取ったのか--被災地に募金や寄付などを行ったり、現地の被災者のために何か特別なことをしたかどうかは、まずは人道的な観点で必要です。

  ②お客様のためにどのような対応を取ったのか--会社のなかには震災で被災された方もきっとおられると思います。この震災によって不利益を被ったお客様に具体的にどのような行動をしたのかというのは、お客様をどのように考えているのか見極めるよい機会です。

  ③株主のためにどのような対応をしたのか--株主や投資家は震災があった後、いろいろな意味で投資をしている会社を不安に感じたと思います。そこで速やかに投資家向けメッセージを発信したり、会社の被害状況をディスクロージャーしたりして、積極的に発信をするような会社は安心ができます。

  ④仕入れ先にどのような対応をしたのか--東日本大震災で多くの工場やお店が被災をしました。その仕入れ先にどのような支援をしたのか、そして仕入れられなくなった商品をどこから入手したのか、また仕入れ先が復旧をしたときにまた仕事を再開したのかしなかったのか、

  ⑤社員のためにどのような対応をしたのか--東北方面に出店をしている会社、工場を持っている会社、物流拠点のある会社はたくさんあります。自社の社員の安全確保にどの程度力を尽くしたのか、その家族などに対する支援を行ったのか、健康面や心のケアも含めてきめ細かく対応をしたのか、などが大切です。

  ⑥中期的な成長戦略を速やかに見直したり議論をしたか--価値観の変化に際してそれを真正面から捉えて、真摯に経営陣で議論をする、もしくは社員とともに議論をする会社は震災後も成長する可能性が高いでしょう。
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ショウペンハウエル「読書について」

『自己啓発の名著30』より

 実際、「少量の思想を伝達するために多量の言葉を使用するのは、一般に、凡庸の印と見て間違いない。これに対して、頭脳の卓抜さを示す印は、多量の思想を少量の言葉に収めることである」という考えを強くもっていたショウペンハウエルらしく、本書には彼が多量な事柄について長い時間をかけて深く考え抜いた思索の跡が、彼独特の研ぎ澄まされた最小限の言葉で極めて精緻に表現されています。

 無数の読書論が出版されてきましたが、本書の内容の濃厚さと充実ぶりは突出しています。凡百の読書論を何百冊読んだところで、私たちの読書生活には大して役に立ちません。そんなものを読むぐらいであれば、究極の読書論である本書一冊だけを繰り返し読むことを強くお勧めしたいと思います。

 ショウペンハウエルが読書や思索について、具体的にどのように考えていたのか見ていくことにしましょう。これについて、ショウペンハウエルが最も重要視したことを一言でいうならば、それは“Selbstdenken”(自ら考えること)というドイツ語になります。

 ショウペンハウエルにとっては、「自ら考えること」が至高の価値をもっていたわけですが、そのことと読書とはどのように繋がるのか。これに関して、ショウペンハウエルは、「思索する精神」と「読書する精神」という興味深い概念を提示しています。

 読書にいそしむ精神が外から受ける圧迫ははなはだしい。いろいろなことを次々と考えていかなければならないのである。しかし自ら思索する精神は、厳密な意味では外界あるいは何らかの警告によって拘束はうけても、読書する精神とは逆に自らの衝動に従って動く。すなわち目に映る世界は読書とは違って精神にただ一つの既成の思想さえ押しつけず、ただ素材と機会を提供してその天分とその時の気分にかなった問題を思索させるのである。このようなわけで多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る。

 漫然とした読書に見られるような「読書する精神」のままでは、自由な意思によって自ら積極的に思索することはできず、著者がすでに考えたことについて、そのあとをなぞるようなかたちで、無理やりに考えさせられるはめに陥ります。

 それに対して、「思索する精神」というのは、「読書する精神」とは自らの積極的な意思によって、何物にも拘束されずに自由に物事を考えていくことです。「読書する精神」と「思索する精神」との間には極めて大きな差があるというのがショウペンハウエルの基本的な考えであり、「読書する精神」によって読書をしているかぎりは、その読書は無意味どころか、それ以上に、「精神から弾力性をことごとく奪い去る」極めて有害なものであると考えたのでした。

 実際、ショウペンハウエルは、「自分の思想というものを所有したくなければ、そのもっとも安仝確実な道は暇を見つけしだい、ただちに本を手にすることである」と述べたあと、あの有名な、「読書とは他人の頭で考えること」という読書に対する極めて辛辣な言葉を吐きます。

 読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けて行けば、仮借することなく他人の思想が我々の頭脳に流れ込んでくる。ところが少しの隙もないほど完結した体系とはいかなくても、常にまとまった思想を自分で生み出そうとする思索にとって、これほど有害なものはない。

 ショウペンハウエルにとっては、「その判断がすべて他人の世話にならず直接自分が下したものであること」が「第一級の精神にふさわしい特徴」であり、それを達成できるのは、自分自身の力で真剣に思索すること以外にはありませんでした。その意味では、思索を伴わない多読というのは無意味どころか有害なものであり、読書人として最も避けなければならないというのがショウペンハウエルの強い信念たったのです。

 、ここで一つ留意しておくべきことがあります。それは、ショウペンハウエルが必ずしも多読そのものを否定していないということです。
 ショウペンハウエルが真に戒めたかったのは、多読そのものの弊害ではなく、思索を伴わない多読によって思考能力を失い、他人が思索したことが自分の頭を占領してしまうことだったのです。その意味では、ショウペンハウエルは、多読を含めた読書そのものに異議を唱えた反読書論者ではなく、あくまでも読書を思索のための手段であると位置づけた、思索至上主義の読書手段論者であったと考えるべきでしょう。
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グリーン・イノペーションと「第三次産業革命」

『低炭素経済への道』より
 イノペーションの範囲は、なにも技術と企業に限られた問題ではない。低炭素経済が、現在の経済構造の延長線上では達成不可能で、大きな変革を必要とするのであれば、なおさら技術と企業を超えて、社会制度やガバナンスのあり方まで含めた社会総体のイノベーションを射程に収めなければならない。

 ペルリン自由大学の政治学者イェニケとジェイコブが精力的に論じるように、このような変化を「第三次産業革命」と呼んでもよいかもしれない。これは、低炭素経済への移行が、一八世紀末から一九世紀にかけての第一次産業革命、そして一九世紀末から二〇世紀前半にかけて起きた第二次産業革命に匹敵する大きな社会革命になりうる、との予想に基づいている。

 第三次産業革命は、再生可能エネルギーの爆発的な普及と、全産業領域におけるエネルギー効率性の劇的な改善によって特徴づけられる。実は、その噫矢は一九七三年の第一次石油ショックだったといえるかもしれない。日本の「最終エネルギー消費」の伸びは、一九七三年の石油ショック前後で大きく変化している。一九七三年以前は「最終エネルギー消費」や「C02排出量」が、GDPを上回る伸び率を示していたが、石油ショックの衝撃を受けて各産業が省エネに必死で取り組んだ結果、それ以降、両指数の伸びは突如鈍化し、一九八〇年代後半までは、ほぼ横ぽいとなっている。

 その後、省エネ努力が緩んで再び両指数は伸びはじめるものの、二〇〇〇年以降はもはやGDP成長率よりも低い率でしか伸びないようになっている。これは、一九七三年の石油ショックを契機として、GDP成長率と化石燃料消費の伸び率の「切り離し」が行われたことを示している。GDPが成長しても化石燃料消費の伸び率が減少に転じるようになれば、その時点を第三次産業革命のメルクマールとすることができるだろう。

以前の二つの産業革命では、GDP成長率、最終エネルギー消費、そしてC02排出量のすべてが右肩上がりで伸びることを前提としていたが、第三次産業革命では初めて、GDP成長率が他の二つの指標の伸びと切り離される段階を迎えることになる。また、第三次産業革命の特徴は、それが環境規制の強化によって、いわば意識的に促される点にある。結果として、再生可能エネルギーやエネルギー効率性の改善に関するあらゆる財・サービスに対する需要が飛躍的に伸び、「低炭素経済セクター」とでも呼ぶべき新しいリーディング・セクターが勃興することになる。こうして第三次産業革命でも、前の二つの産業革命と異なった形ではあれ、エネルギー源の転換と産業構造の転換が、相互に連関をもちながら進行することになるだろう。

 このような大きな社会変革には、さまざまな摩擦が生じるものである。時代の主潮流に乗り切れずに衰退していく旧産業と興隆する新産業間の闘争、変革の主体となる社会層の社会的地位の上昇と、それ以外の層の社会的地位の低下、あるいは、移行期における費用負担の重さに対する人々(とりわけ低所得者)の不満の高まり、といった問題を挙げることができる。

 イェニケらが指摘するように、産業革命はエネルギー、技術、産業の変革にとどまらず、政治的・社会的条件の大きな変革をともなう。つまり、第一次産業革命の時期には、農民と新興ブルジョア層の闘争が生じ、後者は営業の自由、私的私有財産の保護、市場の発展と社会的分業をともなう「自由主義革命」の実現を求めて闘った。これに対して、第二次産業革命は「社会革命」であって、資本主義発展にともなう社会的矛盾をどう解くかが問題となった。結果として社会保障制度が整うことで、労働者の購買力が確保され、それがさらなる産業発展の起爆剤となった(社会国家/福祉国家の成立)。

 第三次産業革命でも、低炭素経済への移行にともなって衰退産業から生まれる失業者を、拡大する新産業でどうスムーズに吸収するのかという問題が生じる。また、短期的にではあれ、膨らむ対策費用を価格に転嫁すれば、人々の費用負担は高まり、とりわけ低所得者層に大きな影響を与える可能性がある。それをどう解決するのか。低炭素経済への移行過程で起きてくるさまざまな問題を解決しながら、移行過程をコントロールするガバナンスの仕組みを構築することが、政府の重要な役割になるだろう。
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電算部の方向をPULLに変えないと

未唯へ

 明日中に未唯空間両面印刷をプリントできるようにしましょう。そのために、仕事編の編集を11時までやっていた。朝も4時前から5時まで行います。

企画と電算との検討会

 企画の人は電算部に話さないです。TMは一言も言わなかった。電算部に方向を与えないといけない。

 パートナーも口を出さない。もっとお節介しましょう。インフラ全体を理解できるようにする。

 電算部の案には、社会が変わるというファクターが完全に抜けている。

電算部に言いたいこと

 今回の震災で買うことよりも、借りること、シェアすること。そのために、グローバルは頼れないということ。そこを販売店でどう表現するか。そんなことを言っても、今の電算部では無理です。だから、社会から見ていかないといけない。

 だから、社会から見ていかないといけない。なにしろ、販売店の社長は社会が変わるという認識は持っています。それに応えないと電算部とはいえない。

 あなたたちの思考は、グローバルのグローバルで集約することになっている。それは正しいことではない。メーカーとお客様とのコミュニケーションはお客様-店舗、店舗-本社、販売店-メーカーの三段ループです。

 システムの基本は、従来のPUSHからPULLに変わります。必要な情報は、その場でライブラリに取りに行けばいい。ネットワーク能力はサファイアで分担します。

ウイルス対策

 パートナーはウイルス騒動でバタバタしていた。半日をつぶしました。まあ、その時の方が、システムインフラを聞いているよりも、生き生きしている。

 ウイルスも完全にフォローする仕組みを要求していきます。転んでもただでは起きない。

 このロジックは、無線LANのセキュリティにも使えます。プルをインフラの基本にしましょう。

アンダルシアでスペイン旅行

 アンダルシアの2時から上映は舞台挨拶があったみたいです。だから、割引も効かないし、会員だけになるのでしょう。

 日常に変化をもたらすために、観に行ったけど、あまりいい映画ではない。何か、3人の小芝居みたいでした。スペインを旅行している感じがしなかった。ヨーロッパにいけないから、その代わりだったのに

 最後になる前に出てきました。8:25のバスに間に合いました。家には10時前に着きます。
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フィンランドの教育がすごい理由

『言葉の力』より

PISAはいずれ、英語のTOEICと同じように、グローバルスタンダードになる。問題は、日本人がなぜこのテストに弱いかということ。アメリカも誤答率は日本と同じ程度だが、無答率が日本より低い。アメリカ人は思いつきでもなんでも書く。日本人は困ると白紙回答。問題はそこだ。

PISAでは、たとえば、こういう設問が出題される。

落書きは良いか、悪いか。2つの考え方があって、落書きは街を汚すからいけないという意見。日本人だったら、当然そうだなと思うだろう。もうひとつの考え方は、その辺の看板だって勝手に外に出して、いろんなものを描いて表示しているのだからなんで落書きはいけないのか、一種のコミュニケーションなのだからいいじゃない、という意見である。

落書きが良いという意見と、悪いという意見があって、それぞれの根拠をもって説明している。だったら、それに対して、自分なりにそれを正しいというのなら、あるいは、どちらでもない意見があるなら、論理的に僕はこう思うから良い、あるいは悪い、と意見を言わなくてはいけない。

PISAの読解カテストでは、設問に対して賛否両論に触れながら論拠を引用し、自分の考えを示す力が測られる。そこで日本の順位がどんどん落ちている。2000年には8位だったが、2003年に14位、2006年には15位まで落ち込んだ。2009年に8位に盛り返したが、上海がI位、韓国が2位、香港4位と新興勢力の後塵を拝している。

いっぽうこの総合読解カテストでフィンランドはつねに上位を占めている。

なぜフィンランドは優れているのか?

もともと、フィンランド人は北国の寡黙な民族だった。それが欧州連合(EU)に加盟した1995年、ヨーロッパの新聞に「フィンランドはEUで何も発言しない」とバカにされた。コミュニケーションして、論理的に思考する力、すなわち読解力を身につけなければならないと、教育改革が行われた。教育改革の結果、フィンランド人は世界でも優秀な読解力、コミュニケーションカをもつようになった。

さきに日本人は白紙回答率が高いと書いた。読解力以前に自分の考えを示す力も問われているのだが、日本人は説明をするということが下手だ。「××が好き」と述べる場合、「なぜですか」と問われると、日本人は「好きだから」と理由にならないことを平気で言う。根拠を挙げず、あいまいな説明しかできないから、何を言っているのか伝わらない。

北川さんは、フィンランドの小学校の授業を見学した。生徒が意見を言ったら、別の生徒が「違う」と否定した。そのときに、先生は「違う」と言った生徒のほうを叱った。

北川さんは、なるほど、これがフィンランド式なのだ、とはたと気づいた。先生は、何かどういけないのか、どこの部分がどう違うのか、もう一度ちゃんと意見を聞いてから反論しなさいと言った。命題をきちんと聞いていないことについて叱ったのだ。相手が何を言っているのか、相手側の特別な理由は何かと考えず、ただ撥ねつけていたら、話が論理的に展開していかないからだ。

対話とは、言葉のキャッチボールである。投げては受け取る練習を繰り返さないと、キャッチボールができるようにならない。「否定する前に、まず相手に質問をして、(相手の話の)命題をきちんととらえなさい」と指導するのは当然なのである。

言葉のキャッチボールは、相手を否定することではない。やりとりのなかで、問題点を絞り込む。新しい疑問が生まれ、その答えを探す。その繰り返しだ。疑問をもつことは大事である。相手の言うことに対して、「それはどういうこと? よくわからないからもう一度説明して」と。「なぜ」「どうして」と繰り返すことで焦点が絞られ、深められていく。

ヨーロッパでは、伝統的に弁証法などを学ぶので、言葉を扱うのも技術だとふつうの了解事項になっていると思えばよい。
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未来の息子たちへ。

『息子へ。』より

あの震災と事故の後、海外に住む多くの知人から、僕や家族、友人を心配するメールが届いた。日が経つにつれ、長文の英語を読んで、英語で返すということが、失礼ながら面倒くさくなって、「大丈夫。癌になる可能性が1%くらい増えただけだから……」などと乱暴な返事をするようになってしまったが、遠く離れた日本に住む僕らを、心配する想いを有り難く感じた。驚いたのは、彼らの多くが、日々刻々と変化する、事故の状況を詳しく知っていたことだ。インターネットによって、彼らは遠く離れた日本の情報を知ることができる。状況が悪化するようなことが起これば、すぐに、そのニュースは彼らに伝わり、暫くすると、僕にメールが届く。ときには、僕のほうが情報を得るのが遅いこともあった。

この数十年で、僕らの目や耳、口や手足は、科学技術によって拡張されたと言える。本来なら見ることのできない遠くの景色を見ることができ、本来なら届かない声が届くようになった。ニューヨークの交差点の様子をリアルタイムで眺めることもできれば、オーストラリアに住む友人の日記を読むこともできる。インターネットに限らず、様々な技術によって、世界は身近になったと言える。しかし、技術によってその「範囲」は広がっていく一方だが、僕らの「心」はどうだろう。技術による「範囲」の広がりに「心」は追いついているのだろうか。僕らは、どこまで「心」を配ればよいのだろう。

僕がちょうど息子と同じ中学生の頃、「ウィ・アー・ザ・ワールド」という、アフリカの飢餓を解消する目的で作られたチャリティー・ソングが世界中で響いていた。まだ子どもだった僕の視界は、その歌で広がった。「私たちはひとつだ」と、世界規模の「範囲」で考え、行動することを教えてくれた。しかし、あれから30年。―世代を経るうちに、もっと広い「範囲」で捉えることが必要だと、僕らは深く知らされた。心を配るべき「範囲」は、この世界に住む人々、人類だけではなくなった。

地球環境―僕らは「地球」というシステムの上で生きている。「人々」という「範囲」を考えるだけでは、僕らは長<生きてはいけない、ということを知った。虫も鳥も魚も森も海も、すべてが繋がっている。微生物から大気まで、すべてが繋がって「地球環境」があり、僕らの暮らしが成り立っている。自分の国だけでも、世界の人々だけでもな<、地球上のあらゆるすべてが繋がっており、そこまで心を配らなければ、僕たち人類は、地球環境から追い出されてしまうだろう。もちろん、一世代前にも環境問題を唱えていた人は多<いたが、僕ら市民のレペルでそれを深く認識したのは、たったこの20~30年だと思う。地球のシステムを学習し、心を配るべき「範囲」が広がった。

それでは、これからの世代、どういう「範囲」で、心を配るべきなのだろう。それは「時間軸」であると僕は思う。世代を超えて、心を配ること。いま生きていることを過去の世代に感謝し、これから生まれてくる先の世代を想うこと。この本の文章の中で、僕はこう書いた。自分の世代より先まで影響を与えてしまう可能性があることには手を出しちゃいけない」

毎日、様々なニュースが流れてくる。廃炉に数十年。セシウム137の半減期が30年。そして、放射性廃棄物は数百年、数千年、数万年と管理を続けなければならないという。そんな「お荷物」を、先の世代の人々はどんな気持ちで受け入れるのだろう。7代先を想うどころか、もっと先の子孫にまで、リスクやコストといった、原子力利用の「後始末」を押し付けて、僕らは暮らしている。

いま、僕らが心を配るべき「範囲」は世代を超えた未来だ。科学技術がいくら進化しようと、未来を眺めることはできないだろう。しかし、僕らは未来を「想像」することができる。遥か先の世代を想うことができる。

ただ、たった一つ、なるべく広い「範囲」に心を配ろうと提案したい。想像力や思いやりの欠如は、身を滅ぼしてしまう。せめて、数百年先の未来。人類が、この地球に存在していることを願うばかりだ。心を配ろう。未来の息子たちへ。
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組織の課題は理念がないこと

未唯へ

 スケジュールも以前のように、ポメラに記入します。今回は気がついたことを適当に入れるだけです。

 明日は一人で映画を観に行きます。夕食はシネマのラウンジでμさんとおしゃべりです。ポメラを使います。ネタは、番外編の項目検討です。

未唯空間の編集

 また、4時起きから始めています。パワーポイントで未唯空間を編集しています。暑くて、眠れないときはこれに限ります。睡眠不足は往復のバスで補います。

 パワーポイントの冊子版に続き、エッセイの冊子にも挑戦します。両面印刷タイプを想定します。インスピレーションの印刷機能はプアだから、A5版になるでしょう。印刷をイメージしていきます。ポイントは、皆がシリアルに読めるようにすることです。

環境というファクター

 あいち環境塾で、未唯空間に、環境というファクターを入れ込みます。数学・歴史のファクターで考えるよりも遙かに簡単です。

この会社の組織

 組織は自分たちが決定したことだけを認めます。そこまでのプロセスには多くの時間を要します。あくまでもトップダウンだが、トップにどれだけの認識があるか分かりません。苛立ちます。やはり、個人の力を使っていかないと、先行き不透明なところでは何もできません。

 組織の連中は、組織の相手だけに話そうとします。滑稽です。組織の相手も個人で見ると、レベルがバラバラです。

電算部の計画

 電算部から、新インフラの検討状況を聞きました。これはヤバイです。販売店ネットワークの中で、本社が無視されている。B-B-Cではなく、完全にB-Cの構成です。これではCRMどころか、マーケティングの変化、お客様とのコミュニケーションを本社抜きでやることになる。
B-Cでは、この会社の強みが弱みになる。それが正しいことかどうかは、一つの販売店に聞くだけで、分かるはずです。それをせずに、メーカーが勝手に決めている。なぜ、こんな電算部の存在を組織は許すのか。

 電算部は自分たちがルールを決めれば、販売店が従うものだと思いこんでいる。販売店はメーカーにとってはお客様です。販売店要望から、インタープリテーションすべきです。

 販売店は、これからの時代を乗り越えていくために、多様性と差別化を求めている。メーカーにはそれを支援してくれることを求めている。メーカーに集約したら、今までのノウハウとこれからの活力が失われる。その責任を電算部は、組織としてとれるのか。

サファイアは理念で作りました

 サファイアのコンセプトは、販売店内のループを核に、お客様とループ、メーカーとのループの三つの循環をつなぐことです。

 主人公は販売店であり、お客様です。これは今後の市民活動とか、環境問題でも同じです。電算部のやり方はネット社会に対抗する、超国家主義的なやり方です。グローバルのグローバルです。理念なくして、インフラはできない。理念を作り出す能力も熱意も電算部にはないです。計画チェック部署には無理な相談です。

14年計画と16年計画の差は大きい

 それと14年の計画がいつの間にか16年になっている。14年に向けての仕様を決める前に、先延ばしです。二度目の約束違反です。14年と16年では、会社でのタイムリミットが15年の私には大違いです。
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伝えるのが仕事です

未唯へ

 今週の金曜日は、病院・老人ホーム・二つの図書館で忙しい。本を読んだり、パソコン操作の時間はなさそうです。

ポメラの活用再開

 ポメラを前のように使います。家のパソコンのインスピレーションが使えないので、代用します。朝のスタバでの入力時間を使って、残業時間はダイナミックに設定していきます。

伝えるのが仕事

 絵でないと伝わらない世界に来ている。言葉の限界です。今までのマニュアルもそのように作ってきた。次期ネットにしても、こちらがやらなくても。考えて伝えていくだけで済ませます。偶然を使って、変えていくことが、我々の仕事です。だから、多くのことが確実にできるのです。

お客様状況の把握イメージ

 スタンフォード白熱教室のコーヒーの頼み方の検討で、トール・エクストラホット・ラテをTELとして、表現するアイデアはお客様状況の考え方にもつながります。最新をSNSを使えば、簡単にできるかもしれない。重要なのは、お客様とバリスタのコミュニケーションです。

 我々は、お客様のそこまで知っているのだから信頼してください。それをアピールしましょう。社会のコミュニティをつなげることを考えている。皆。何の意味もなくケータイを持っているのだから、それを使います。本来のケータイの使い方をしましょう。答はソーシャルネットとライブラリにあります。

未唯空間のまとめ

 パワーポイントへの展開は中止して、6月分をいれ込んでいます。その次に、パワーポイントを見直して、インスピレーションに反映させます。

 この空間上にすべてを当てはめると言っても、当然、特異点はあります。それらは後から、まとめて処理します。

 とりあえず、6月分をいれ込みました。新しい番外がハッキリしたので、社会編・歴史編・仕事編に仮置きしました。木曜日までに整備させます。

 次の手順は、家でパワーポイントを直すことと、そこから得たことを入れ込みます。会社はインスピレーションとパワーポイントの同期化と番外編の号口化です。土曜日に向けて、意識を統一させていきます。金曜日は時間がないので、木曜日までが勝負です。

パートナーを見守る

 明日は8:45にして、様子を見ます。どう見ても、残業時間をゼロにはできませんね。今日の一時間は大きいです。木曜日の18:00~18:30の検討会がインパクトです。最後までパートナーを見守ります。それ自体の成果は少ないけど。今後のネットワークには重要です。だから、出席です。

 かせるのです。7月発表会で提示しなくてもいいです。今回は様々な部署の思惑が多すぎます。複雑になっている。ネットワーク管理部署との関係をきっちりと掴んでいれば、大丈夫です。彼らはネットワークでやりたいことがハッキリしている。電算部にネットワークを意識させることを7月のテーマにしておきます。

 パートナーへの要望実現には最大限の時間を使います。気を使わずに、隣に座っているだけかもしれないけど。これを通して、パートナーが強くなれば、次につながります。それが目的です。そして、ともに助け合う時代のネットワークを作り出します。
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