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スマートコミュニティとはなにか

『スマートコミュニティの本』より

スマートコミュニティとは、いわゆる次世代送配電網(スマートグリッド)のような、新しい電力制御技術とIC丁を組み合わせた電気の有効利用に加え、熱や未利用エネルギーも含めたエネルギー全体の需要・供給体制の構築、さらには、地域の交通システムや市民のライフスタイルの変革までも幅広く含む、エリア単位での次世代のエネルギー・社会システムの考え方をいいます。スマートコミュニティを実現するには、その目的に応じてさまざまな技術が必要となります。スマートメーターや通信機器、電力機器、これらを制御するソフトウェアを上手に組み合わせて運用することで、例えば不安定なエネルギー源である太陽光発電などの再生可能エネルギーの導入がより安全かつスムーズに行うことができます。また、地域全体でのエネルギーの融通をコントロールすることで街全体として最適な省エネが図られるようにすることも可能です。さらには、大きな蓄電機能を有する電気自動車を交通システムの核にしつつ、家庭用電源としても活用すると災害に強い街づくりに貢献します。

ここで注意が必要なのは、スマートコミュニティには暮らしの快適さの概念も含まれることです。すなわち、我慢を強いたり、享受していた利便性を損なうことは一時的にはあっても長期的にあっては成立しません。スマートコミュニティは、そこに暮らす人、家庭、働く人、事業者が環境とエネルギーに優しい行動を自然にとることが促される街といえます。

日本経済の発展の基盤であるエネルギー供給を、より分散し、かつ安定したものに変革していくことは必要不可欠です。また、少子高齢化社会への対応や、経済活性化を通じた雇用増、すなわち新しい産業の創出を図ることも必要です。

さらに世界に目を転じれば、気候変動問題への対処として他の先進国と協調して少しでも低炭素な社会を築くこと、今後経済成長が著しい新興国のエネルギー制約を解除し、共存共栄の環境に優しいグローバルな社会を形成することに貢献することは日本の外交的使命ともいえます。

こうした我が国を取り巻く課題は相互に関連しており、これをエネルギーとICTを使って同時に解決していくのがスマートコミュニティです。

ここで、どうして「コミュニティ」での取り組みが有効かについて考えてみます。まずエネルギー供給面ですが、今後分散型による安定な体系、すなわち従来よりもより小型な電源であるコージェネや太陽光、風力などを組み合わせて地域単位で需給バランスが取れれば、大規模電源からの送電がなくても停電のない+分な暮らしが送れるでしょう。

また、少子高齢化社会では、地域単位での高齢者や子供のサポート体制やコミュニケーションが重要であり、医療も含めた便利で信頼性の高いサービスの供給がより重要になってきます。

省エネルギーについては、日本のエネルギー消費の伸びは民生部門が主体であることがはっきりしています。このため、例えば複数の家庭やビル単位でのエネルギーの有効利用といった取り組みが重要となります。

スマートコミュニティは、近未来のあるべき社会像を語るうえで非常に重要なまとまりであるといえます。
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経済成長と静止社会

『イギリスの不思議と謎』より

自然と人間の共存にかかわる「経済成長と静止社会」の問題である。

今、日本で一番大事なことの一つが東北の復興であることは言うまでもない。そして復興のためには、停滞する日本経済が成長しなければならないという声が一段と大きくなっている。震災はともかく、イギリスを含めてヨーロッパとアメリカも不況を脱すべく、経済成長を待望する声が高い。はたしてそれでよいのだろうか? この疑問に答えてくれる意外な提案がイギリスから発せられたことがある。一五〇年以上前のこと、人々が産業革命の成果に酔いしれ、さらなる成長を望むさなかに、おごれるイギリス人に冷や水を浴びせる哲学者・経済学者がいた。その名は、J・S・ミル。

ミルは『経済学原理』において、いつまでも経済成長を続けることは不可能だし、望ましくもないと説いた。先進国が間もなく必然的にたどり着く「静止状態」は、嘆くべきことではなく、むしろ喜ばしいとも。増大する人口を支えるためにどんどん自然を搾取して破壊し、何の楽しいことがあるものか。荒廃の中で貧富の格差が増大するばかりの状態より、欲望を抑制しつつかぎられた富の分配を配慮して静止状態に満足し、「生きる技」(art of living)を磨くことこそ、富を求めて競争するより好ましい。

この考え方はミルが『功利主義論』の中で述べた有名な言葉にも通じる。「満足した豚であるより不満足な人間であるほうが望ましい。満足した愚か者であるより不満足なソクラテスであるほうが望ましい」。その理由としてミルが挙げているのは、「尊厳の感覚」が不満足な人間とソクラテスにはあるということである。

ソクラテスは、本当に不満足だったのだろうか? むしろ、自然に生きる動物として限界を知り、分にあった暮らしをすることに充実感を覚えなかっただろうか? これは根拠のない憶測にすぎないが、現代の人類は七〇億を超えて、なお快適さをどこまで追求するべきか? ミルは先進国が「静止状態」に達すると述べたが、はたしてそれは終着点なのか? このままでは人類は絶滅危惧種の仲間入りをしないだろうか? 私たち日本人は震災を機に、人間の身の丈に合う生活とは何かをまず問うべきではないか?

ミルはアダム・スミス以来の古典経済学派の継承者だったから、競争と成長をこそ支持しそうなものだった。逆にそれを批判して静止社会を提案したことは、意外でもあり不思議でもある。けれど私たちがイギリスに見出したいことは、そういう人間的な側面ではないだろうか。

本書で取り上げた「不思議と謎」は、超自然的でもなければ非日常的でもない。イギリス人が日常的あるいは歴史的にかかわってきたものの中にある不思議さと謎である。そういうものをふだん人は当たり前と思いこみ、不思議さや謎が潜むとは夢にも思わないだろう。しかし、いったん不思議に思い始めると、それがどうして今そこにあるか、また過去にそこに現われたか、よけい気にならないだろうか? 少なくとも私はそうだった。

ミルの静止社会の提案をはじめ、本書では書けなかった事柄の中にも不思議と謎、あるいはイギリスらしさがたっぷりある。そういう問題を論じる日が来るかどうかは知らず、読者にイギリスの不思議さを感じてもらえたなら、うれしいこと、このうえない。
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本当のスマートコミュニティ

未唯へ

 食べ放題に、JURさん家族が居ました。幸せそうです。笑顔のある過程はいいですね。

 スタバにFMの季節です。今日は三方を囲まれていた。幸せでした。おかげで、6つも読んでしまった。

スマートコミュニティ

 『スマートコミュニティの本』:出だしは「コミュニティ」を作ると言うことでした。NEDOにしては珍しいアプローチです。行政などとの関係も書かれていた。NEDOの限界です。

 その後は、企業のお先棒担ぎになっている。スマートコミュニティ・アライアンスも企業中心です。真の意味のコミュニティを作る手段の一つにしていきましょう。

 『スマートコミュニティの本』 そこに暮らす人、家庭、働く人、事業者が環境とエネルギーに優しい行動を自然にとることが促される街といえます。最初はコミュニティのことが書かれていた。これなら、企業も参画でs着る概念になる。

 自動車メーカーもOne of themだ参加させるけど、主体は市民によるコミュニティです。それをどう作るのか、技術型の世界も視野にして、お金を出させよう。

哲学で仕事をする

 「哲学でニュースを見る」のはいいけど,哲学で仕事をすることです。生きている理由を常に考えること。やっていることが社会にどう影響するかを考えること。

 今の企業にとっても、その中のサラリーマンにとって、これは重要なことです。組織が変わろうとしている。

断片集

 『踊らされるな、自ら踊れ』の断片集だけをOCR化しました。3.11以降の断片です。こんなものを本として出して意味があるのか。リアルタイムのツイッターなら、少しはヒントになるかもしれないけど。

 『踊らされるな、自ら踊れ』 断片集のみをOCR化。ツイッターをそのまま、本にしただけ。こんなんでも、いいんだ・・・

 断片の問いとしては、以下のようなものです。「変わるべきときに変われ」「自責の念」「判断停止の甘い囁き」「音楽の力」「中途半端の強さ」「子どもたちの前で夢について語ること」etc.

おいしいお茶の淹れ方

 『お茶のある暮らし』の中に、10人の女子社員が居て、順番にお茶当番をしていた。10日に一回、おいしいお茶が入れられるケースが紹介されていた。気が利く女性のことを指していた。

 私が茶道を始めるきっかけは、ある女性のおかげです。彼女の淹れたお茶はおいしかった。皆と同じものを使っているのに。おいしくなるように淹れていると言うことを聞いて、茶道を始めました。日本的な感覚だけではない。ちなみに、お茶の精神をシステム設計にも流用した。

うつ病の本

 うつ病の本を連続で読んでいた。『「新型うつ病」のデタラメ』『うつ病になっても会社は辞めるな』です。うつ病を見ていると,組織への依存を感じます。

 自分のミッションを実現する過程には、欝は関係ない。自分の内部にモノを作っていくかです。だけど、死にたい気持ちはわかります。楽だから。

 うつはケースで述べることが多いですね。仕事がイヤだとか、きついとかです。元々、仕事を自分で定義するものと思ってきた私には、この感覚が理解しにくい。

 自分の能力を発揮できるところでなければ、下の潜っていればいい。人とは関係ないです。

 夜眠れないと言うことであれば、世界のことを考えなさい。考えることはいくらでもあります。存在だけを考えるから、虚しきなるのです。無から入れば気にならなくなる。
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NPOと企業の協働

『テキストブックNPO』より

かつて、企業とNPOは互いにあまり関係なく活動していた。いや、むしろ対立していたといったほうがよい。企業が市民団体に寄付をすることはあっても、それが企業の本来的な活動の一環として位置づけられていたわけではなかった。

しかし1990年代になると、会社としての社会貢献活動を推進するためにNPOと連携・協働する企業が出現するようになった。経団連などで地域やNPOとの関係づくりの研究も始まった。1995年の阪神・淡路大震災に際して、NPOと産業界の協力がスムーズに協力できたのは、数年にわたるNPOと企業セクターとの関係づくりが行われていたからである。経団連の調査では、すでに6~7割の企業がNPOを社会貢献活動推進の有力なパートナーと捉えており、「協働で取り組む事業がある」という企業も3割を超えているという(日本経団連社会貢献推進委員会編著、2008)。

具体的には、どのような連携や協力が行われているのだろうか。

トヨタ自動車は、「環境」「交通安全」「人材育成」「社会・文化/ボランティア」を主要分野に掲げて社会貢献活動を行っているが、「環境」分野では愛知県の渥美半島でNPO法人「表浜ネットワーク」および「あかばね塾」と協働してアカウミガメの産卵地保全活動を行っている。活動には地域の自社工場の従業員とその家族も参加している。社会・文化の分野では、1996年からアートマネジメントの人材育成と基盤整備に取り組んでおり、公益社団法人「企業メセナ協議会」と連携して、ネットTAMというアートマネジメントに関する総合情報サイトを運営している。

パナソニックは「環境」と「次世代育成支援」を重点分野とした企業市民活動を行っており、その観点からのNPOの育成支援を「市民社会創造ファンド」と「パブリックリソースセンター」という2つのNPO法人との協働で実施している。

従来、企業とNPOの協働とはいっても、どちらかというと企業によるNPO支援が多かった。社員によるNPOへの寄付に会社が上乗せをする「マッチングギフト」などがそうであり、富士ゼロックス、キユーピー、ソニーなどで取り組まれてきた。現在では寄付や助成に加えてマネジメントの支援も行うようになっている。先の例でのパナソニックやマイクロソフトなどがそれに当たる。会社や社員の技術・ノウハウを生かした地雷廃絶運動への協力、障害者芸術運動の支援など、取組みは多様化し、深まっている。

企業がそのように努力してNPOとの協働を行うことにより、企業にもさまざまなメリットがあると考えられている。社会貢献部門の経験の長い担当者は、NPOの専門的な知見、異質の雰囲気、独自の消費者層の視点といった点を挙げる。NPOのそうした特質は、たとえば地域で介護を必要とする高齢者の潜在的なニーズを発掘するときに役に立っかもしれない。

財団法人「共用品推進機構」は、企業に対して高齢者が楽に使える携帯電話などの商品開発の提案を行ってきた。しかし、ニーズ発掘だけにとどまらず、社員がNPOの持つ異質な価値観、市民の感覚に触れることにより、会社に新風が吹き込まれることも期待される。「会社人間」として生きてきた男性社員に、定年後も生きがいを持って打ち込めるものを早めに見つけてもらうという観点から、ボランティア団体との連携が図られることもある。そのためにボランティア休暇制度、ボランティア活動資金支援制度などを整備して、スタッフがNPOなどの活動に参加しやすいようにしている例も少なくない。

NPOにとっての協働のメリットは、企業の持つ資金、技術、人材を活用することによって事業の発展が期待できることである。団体の社会的認知やスタッフの意識向上などの効果が期待されたりすることもある。

企業と市民活動団体の協働は豊かな可能性を秘めているが、もともとの考え方や組織の「文化」が異なるため、互いの違い、相手に求めるものなどをよく見極め、共通の目的に向かって進む努力をしないと、同床異夢に終わる危険性もある。また、規模や財力の面での違いが非常に大きいので、企業としては、NPOを真のパートナーとして尊重する姿勢を持つように心がけなくてはならないだろう。
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ギリシャ・コンプレックス

『なぜ、フランスは一目置かれるのか』より

欧州連合(EU)のうち17カ国が参加するユーロ圏首脳会議はこのほど、財政危機のギリシャに対する総額1600億ユーロ(約18兆円)の第2次支援策、というより救援策を決めたが、これでギリシャ危機が解決するとは誰も思っていないはずだ。

2010年5月に3年間で計300億ユーロの財政緊縮策と引き換えに総額1100億ユーロの支援が実施されたが、ギリシャでは緊縮策をめぐるデモが間断なく行われている。

今回は、「タブー」とされる民間金融機関によるギリシャ国債の借り換えなど民間負担約500億ユーロが含まれている。民間負担が「タブー」なのは民間が損失を被れば、その連鎖反応で金融システムの大混乱が予測されるからだ。ギリシャヘの資金供給で中心的役割を演じる欧州中央銀行(ECB)のトリシエ総裁も民間負担には反対の立場だった。

案の上、米格付け会社ムーディーズーインペスターズーサービスは7月25日にギリシャ国債の長期信用格付けを「Caal」から3段階引き下げて「Ca」にした。「デフォルト(債務不履行)に陥っているか、それに近い状態」だ。

一方、ドイツはさらなる国税の負担などを嫌って民間負担を強く主張。フランスは、ギリシャ支援が遅れた場合、スペインやイタリアまで財政危機が広がるとの危機感からサルコジ仏大統領が調整を目指してユーロ圏首脳会議前日に仏独首脳会談を要請。会談途中でトリシエ氏を呼び出して説得し、「一時的デフォルトは想定済み」(会議筋)で民間負担を決めた。

フランスはこれにより、ユーロ圏諸国への資金支援を目的にした、欧州金融安定基金(EFSF)への負担額を150億ユーロ増額した。すでにEFSFを通してギリシャ支援に200億ユーロを支出しているのでギリシャヘの支援総額は350億ユーロだ。サルコジ大統領は首脳会議終了後の会見で「ユーロこそが欧州」とのフランスの基本的認識を踏まえて、「ユーロはEU最大の政治的偉業」と指摘。「われわれは仲間を見捨てることはできない」と述べてギリシャヘの連帯を強調した。

フランスの財政赤字は10年に国内総生産(GDP)の7.1%。今年中に6%、13年にはユーロ参加国に課されているGDP比3%に引き下げなければならない。景気回復が遅れる中で、12年春の大統領選では誰が当選しても緊縮財政を余儀なくされる情勢だ。

ただ、仏最大野党の社会党はミッテラン元大統領が「フランスはわが祖国、欧州はわが未来」と述べたように確固たる欧州主義者だ。「危機の先送り」などの支援方法への批判はあるが、救済そのものには反対していない。ミッテラン氏の特別顧問だったアタリ氏も、「救済なしだったらユーロは高騰し、ドイツは輸出困難となり、欧州全体も損失を受ける」と指摘している。

首脳会議では第2次支援に抵抗した国もあり、フィンランドは、「ギリシャの歴史的遺産を担保にすべきだ」と主張したとか(仏紙ルモンド)。ギリシャ支援にはユーロで結ばれた一蓮托生という現実的絆のほかに、いみじくもフィンランドが指摘したように多数の世界遺産を所有するギリシャに対し、欧州人は一種のコンプレックスを抱いているのかもしれない。

仏哲学者のジャンフランソワ・マティ氏は解決策に懐疑的でも多大の犠牲を払って巨額のギリシャ支援を実施する欧州人の心境をこう述べている。「われわれは全てを古代ギリシャに負ってきた。文学、詩、演劇、哲学、数学、解剖学、学校、民主主義。ギリシャ救済は当然だ」
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前立腺の検査

未唯へ

 販売店でのエクセルの使いにくさを聞いている。そんな夢を見ていた。

 第8章で本格的に考えましょう。

旅行計画

 旅行計画は2・2・3にしましょう。2は3人で車でベルギー周辺。2はドイツのゲッティンゲンとフライブルグへ。奥さんは車で別行動。3は二人で電車でベネルックス・フランスへ行く。

 最後の3の行き先を決めましょう。そこまでのルートです。最新の列車時刻表との比較。

ヘーゲルの精神現象学

 ヘーゲルの精神現象学はどことなく、数学の解析概論みたいです。高木貞二さんの講義を聞いている感じです。これは翻訳がいいですね。安定しています。今日、持って行く本はこれにしましょう。

 精神現象論は各項目の頭の部分で内容が分かります。話し好きのおじさんへの対応法です。

 一つ一つのことを根源的に考えましょう。それと同時に、それの完結性にこだわります。その項目について、すべての軸について述べているかどうか。

前立腺の検査

 今日は前立腺のPSAの値の確認です。12月1日に半年後の計測を確認することを決めました。

 6ヶ月以上前に、10時40分の診察の予約をしたのに、12時前になっても、未だに診察は始まっていない。15番は診察室前に待機するように、掲示されたのは1時間前です。診察が終わると、私を無視して、どこかの誰かをナースが呼びに行っています。

 その人の診察が終わると、また、別の人を呼びにいきます。私には何の説明なしです。予約は全然意味を持ちません。システムは意味を持たない。

 12時40分です。来てから2時間経ちました。結果を聞かずに帰ることにしました。その旨をナースに言いました。「値が大きかったら、どうするのですか」「困るのはあなたですよ」

 それに対して、「高々、死ぬだけでしょう」「存在がなくなるだけです」そんな先のことよりも今です。

 この記念病院の医者はいんちきです。前立腺精密検査で、2度続けて陰性ならば、前立腺がんの可能性はないと言っていたのに、PSAの値が増えただけで、明確でなくなった。

 今後、待合室で座って待つことは止めます。スタンバイです。たって待つことにします。待合室に居ても、無視されるだけです。説明がないことはマーケティングでのお客様でこのようなことをしたら、完全にクレームです。

 病院だから、許されるはずはない。命を握っているから、優位性があると思っている。

切れる名鉄バスの運転手

 客から「早く行け」と言われて、バスを置き去りにしたことがニュースになっていた。似たことを感じました。

 入線するときに、クラクションを鳴らされたので,鳴らし返した。バスの後についていったら、停留所でバスが止まった。バスが入れば、追い越すことができるエリアがあるのに、中途半端な止まり方をしていた。

 しょうがないので、バスが発車するまで、待っていた。次の停留所で追い返しました。名鉄バスの職員は切れるから。

豊田市図書館の26冊

 2時半に豊田市図書館の5階で新刊書待ちです。どうにか、26冊を借りることができました。

 141.5『ザ・マインドマップ[ビジネス編]』仕事のスキルと成果が上がる実践的活用法

 289.1『坂本龍馬からの手紙』全書簡現代語訳

 159.4『できる人の「朝90分」』図解でわかる! 夜型からの転換術・早朝起業・ない内能力開発法・タイムマネジメント・新聞活用術・3回転学習・脳活性化朝食メニュー・体活性化ストレッチ… 朝時間で人生が変わる!

 493.46『大腸がん』名医が語る最新・最良の治療 あなたに合ったベストな治療法が必ず見つかる!!

 501.6『スマートコミュニティの本』トコトンやさしい スマートコミュニティは、情報通信技術を活かして、再生可能エネルギーの導入を促し、社会全体を環境にやさしい体系に変革します。そこには新たなビジネスチャンスが潜んでいます。

 335.89『テキストブックNPO』非営利組織の制度・活動・マネジメント

 141.5『悩まない!技術』人生を変えるリフレーミング思考

 010.21『もっと楽しむ図書館マスターガイド』

 369.16『修復的アプローチとソーシャルワーク』調和的な関係構築への手がかり

 159『情報以前の知的作法 踊らされるな、自ら踊れ』

 159.4『非エリートの思考法』二流が一流を超える仕事術

 538.9『宇宙へ「出張」してきます』古川聡のISS勤務167日

 159.4『「気がきく人」のスマート仕事術』ちょっとした気配りで、〝期待以上〟の仕事をしよう!

 673.3『営業マンは手帳より100円ノートを持ちなさい!』

 133.4『自由論』ミル 個人の自由への干渉はどこまでゆるされるのか。反対意見はなぜ尊重されなけらばならないのか。なぜ「変わった人間」になるのが望ましいのか。市民社会における個人の自由について根源的に考察し、その重要さを説いたイギリス経験論の白眉。現代人必読の今もっともラディカルな書である。

 233『イギリスの不思議と謎』

 104『世の中の見方が変わる哲学』ニュースの本質を〝哲学〟で探る世界初の試み!

 159『続・悩む力』

 302.21『オーディション社会 韓国』

 021.2『著作権の電子化、流通のネットワーク化とコンテンツ・ビジネスの対応』

 304『ふしぎな社会 おかしな行政』

 141.6『「ひとりではいられない」症候群』愛と孤独と依存症をめぐるエッセイ

 302.21『さらば愛しのピョンヤン』北朝鮮エリート亡命者の回想

 493.76『うつ病になっても会社は辞めるな』

 493.76『「新型うつ病」のデタラメ』

 619.8『お茶のある暮らし』
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ファシズムは中産階級社会主義

『ハイエクの大予言』より

ファシズムや国家社会主義は、一種の中産階級社会主義である

 われわれはあまりよく知らないことですが、ナチス発生の秘密をハイエクは解き明かしています。要するに、社会主義の欠点を睨んで国家社会主義が出てきたということです。

 社会主義の理論は社会を資本家と産業労働者の二つの階級に分けるという考えを基礎に置き、資本家と産業労働者の二極分裂によって既存の中産階級が急速に消滅していくと考えていた。ところが、それは間違いであり、新しい中産階級が出てきたのです。

 旧社会主義政党--これはナチス以前の社会主義政党を意味しますIは労働組合という--職業集団の地位を上げることで支持を得たが、そのためにその集団を超えた支持を獲得することはできず、労働組合の地位向上によって自分たちの地位が悪化した人々の支持を得た別の社会主義運動が必然的に生じたと、ハイエクは分析しています。ファシズムや国家社会主義がまさにそれであり、「ファシズムや国家社会主義は中産階級の社会主義である」という表現は真実を語っているとハイエクはいいます。丸山真男はヒトラーを支持したのは小売商人などだといいましたが、その点は正しいわけです。

 ファシズムや国家社会主義とは、中産階級という新たな非特権階級による「労働貴族制」に対する反乱であったと、ハイエクは定義しています。要するに、ヒトラー以前の社会主義政党は産業組合労働者だけを大切にし、事務員、タイピスト、管理者、学校教師、商人、下級公務員といった人たちが取り残され、そういった「ホワイト・カラーのプロレタリアー卜」の人々が強大な組合のメンバーとして彼らの数倍の給料を取っている機関士や植字工に対して抱いた嫉妬心が、ヒトラーの運動に大きな影響を与えたとハイエクはいいます。そして、初期のナチス運動に参加した下層党員の平均所得は産業組合労働者や旧社会党員より低かったことも疑いがないことであり、その多くは没落していく中産階級で、かつてはよい暮らしをし、よい時代の面影を残す住まいや家具などの環境に住み続けている人も多かった、といっています。

 中産階級に育ち、家にはそれなりの家具があり、ちょっとした本もある。しかし、収入は何の教養もない産業労働組合に属している社会主義政党が守る組合員の何分の一しかない。この中産階級が憤憑やる方なく、共産党を追い出せと主張したヒトラー・を支持したということです。イタリアで「逆の階級闘争」という言葉が使われたそうですが、それはファシズムやナチスの運動の側面を見事に言い当てているとハイエクはいいます。

 また、ファシズムや国家社会主義は支持者として獲得した下層の中産階級に、教育や訓練を通じて指導者になることへの熱望を吹き込み、その結果、彼ら自身が自分たちを管理階級の一員にふさわしいと見なすようになったことでより強くなっていったとハイエクは見ています。そして、ナチスやファシストに加わる人がどんどん増えていったわけです。

 国家社会主義が勢力を強めたもう一つの要因として、社会主義教育で利潤への軽蔑を植えつけられていた若い世代が、リスクを伴う独立の職業に就くことではなく、安全が約束されているサラリーマンの地位に群がり、同時に自分が受けた教育から考えて高い所得と権力を与えられてしかるべきだと要求したとハイエクはいい、これが国家社会主義の本質だと指摘しています。

 今、日本ではリストラが行なわれ、銀行さえ危ないということで、公務員希望者が増えているようですが、これは決していいことではありません。また、山一謐券でも北海道拓殖銀行でも潰れる時代だから、銀行は企業に対して貸し渋りをするのですが、公立の小学校や中学校は潰れないから、そこの先生にはすぐに金を貸したりして、悪い傾向に拍車をかけています。このように、リスクがない職業が有利であっては困るのです。極端なことをいえば、殴られて死ぬかもしれないボクサーがいくら儲けてもいいけれども、区役所の公務員のよう

国家社会主義や共産主義運動の背後にある道徳的感情の強烈さは、おそらく歴史上の大規模な宗教運動にのみ匹敵しうるものだろう

 全体主義体制のもとでは、ある種の美徳は尊重され、ある種の美徳は滅びると、ハイエクは考えました。そして、何か前者で何か後者かは、「典型的プロイセン人」が持っている美徳と、彼らに欠けていてイギリス人に備わっていると思われている美徳を比較すれば明らかになるといいます。

 まず、典型的なプロイセン人の美徳とは、勤勉でよく訓練されており、冷酷といえるほど徹底的・精力的であり、任務に対して良心的・献身的であり、秩序・義務・権威への絶対服従を尊重し、自己犠牲や肉体的危険も意に介さないことだとハイエクは記し、この美徳は「与えられた任務達成のための効率的な道具」になるといいます。つまり、全体主義体制において価値のある美徳だということです。

 一方、典型的プロイセン人に欠けている美徳とは、他者の存在と他者の意見への寛容や尊敬、精神的独立や不屈の性格、上位のものに対しても信念を守ろうとする決意、弱者・病者への配慮、権力に対する健全な軽蔑や嫌悪で、これは個人主義的な美徳であるとハイエクは説明しています。さらに、自由な社会で人間関係をなめらかにする親切心やユーモアのセンス、謙遜、プライバシーの尊重、隣人の善意への信頼などが「典型的プロイセン人」には欠けていてイギリス人が持つ優れた美徳で、この種の美徳は個人主義型であり、商業主義が広がったところで開花し、全体主義や軍国主義の社会が広がるにつれて枯れてきていると、ハイエクはいいます。

 このように自由主義社会から見れば道徳を否定する体制としか思えない全体主義体制ですが、そこにいる大衆が道徳的熱情に欠けていると考えるのは間違いだとハイエクは指摘します。そして、国家社会主義や共産主義の運動の背景には、大規模な宗教運動が持っていたものに匹敵する道徳的感情の激しさが存在するといいます。国家社会主義や共産主義はある意味で宗教であり、それ独特の強烈な道徳感情があるというわけです。

 しかも、全体主義の側では個人の利己的な利益が理想的な社会目的の実現を妨げることを許す体制よりも自分たちのほうが優れているとさえ主張するだろうし、全体主義をつくり出したドイツの哲学者たちは「個人的な幸福に向けて努力すること自体が不道徳であり、課された義務を遂行することのみが称賛に価するといっている」とハイエクは記しています。

 私はここにドイツ哲学とイギリス哲学の大きな違いのIつがあると思います。ヘーゲルの哲学はドイツの将校を養成するテキストブックでした。それは非常に論理的で、覆すことは難しい。だから、これは軍隊の論理になりやすいのです。ところが、イギリスのほうはポップスやロックのように、国家の重要な使命は個人の幸福の追求と生命の保全であるということをいい、それがアメリカの独立宣言のもとになりました。だから、アングローサクソンは個人の幸福と生命、財産が一番大切だということを、哲学者が恥ずかしげもなくいった国です。

 もっとも、そのアメリカですら理想のために南北戦争を戦っているから、ヘーゲル的な哲学の範躊に入ることもやったわけで、片方だけになることは危険だというべきでしょう。ヘーゲルの理論は非常時の理論であり、平時は個人の幸福の追求、生命と財産の保持が一番重要だと考えればいいと思います。

 ハイエクも戦時においては、「すべてを制圧する一つの共通目的の前には、一般的な道徳や規範は存在の余地すらない」ことに近い程度の経験をするといって、場合によっては制約があることを認めています。宣戦布告した状況というのは異常の場合であって、そのうちに解かれるべき状態であるという認識を持たなければいけません。

 しかし、全体主義者の目には達成されるべき目的しか見えず、その目的によってすべては正当化されるとハイエクはいいます。だから、宣戦布告状態を平時にも持ち込めるのです。そして、これは面白い指摘ですが、「社会の共通目的の追求にとっては、個人の権利や価値観に基づいてブレーキになるものは存在しない」からそういうことになるとハイエクはいっています。
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本と図書館 組替えのロジック

ライブラリはバーチャル化

 ライブラリはバーチャル化できます。これに電子図書館とかツイッターなどの情報を含めることもできます。もっと、膨大な量の情報になります。これをどう使っていくのかの答がない。

 グーグルは、それら全てを公開させる所まで来ています。それを使って、新しい哲学ができたと言うことは聞いてはいません。人間が考えるために、ものごとを処理したらいいのか。それをどう検索するかはあるけど、整理する方が大事です。

 グーグルは、検索するということで、皆にツールを渡しました。それこそ、10年前に段違いになっているけど、人間の意識と知識はそれについてきていない。

ライブラリの意識と知識

 ライブラリにとって、必要なのは人間の意識と知識に結びつけることです。知識も、その人に体系だったカタチでバーチャル化していかないといけない。私にとっての未唯空間のように。

 意識はさらに大変です。コラボレーションしたこととか感じていること。考えていることを解析することです。それによって、初めて、行動に移ることができます。

図書館関係者の意識

 図書館の人間はこの力に気付いていない。狭い範囲だけで考えている。

 市立図書館は教育委員会との関係ぐらいしか考えていない。本と図書館の世界は広いものです。図書館関係者とか行政に対するプレゼンテーションを行えるようにしていきます。かなりの組替えになりそうです。

多読の必要性

 本の最大の魅力は多読です。色々な意見を知ることと大量情報処理を可能にします。これがない限りは考えることはできません。

 だから、アメリカの大学では多くの本を読ませる。日本の場合はエッセンスだけを教える。エッセンスだけ教えると言っても、先生によって、環境問題もそうですけど、偏っています。それでは、自分で考えられません。行動できません。

 市民参画の時も、チューターから紹介された、20冊の本を全部読みました。

組替えのロジック

 本と図書館の二本立て

 6.1 多読の世界:(本)本との対話 ☆多読の効果(図書館)図書館の観察 図書館に入り込む

 6.2 図書館を使う:(本)新刊書 読書(図書館)☆図書館ブランド 図書館の役割

 6.3 本から広がる:(本)影響を受けた本 ☆本から得たもの(図書館)図書館の可能性 地域の図書館

 6.4 支える:(本)大量情報処理 知恵を作り出す(図書館)市民を守る ☆図書館を支える

 6.5 検索:(本)☆調べる 学習する(図書館)情報センター 場の確保

 6.6 市民に役立つ:(本)個人環境 I love Library(図書館)市民に広げる ☆市民の役に立つ

 6.7 提案:(本)読書支援 生涯学習支援(図書館)☆図書館関係者 行政への提案

 6.8 内なる図書館:(本)アプローチ 情報センター(図書館)☆社会ライブラリ 歴史ライブラリ
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本と図書館の再構成

未唯へ

 朝の計測。73.3です。もう少し、多いと思った。

 昨日、ICレコーダを胸ポケットに入れて、間違って、録音状態にしておきました。自分の話したことは全て入っていた。相手の言葉はあまり聞こえていない。これも使えますね。そんな密度がある時は少ないけど。

本と図書館の再構成

 未唯空間の本・図書館編に入ります。どうしても、図書館に気を取られているが、実際に重要なのは本です。本は変革のために、重要な役割を果たすことに言及しましょう。自分自身を変えたのも本です。

 ツールとしての図書館、思想としての図書館、社会ライブラリとしての図書館、それらを結ぶのは本の魅力です。ウィゲントシュタインにしても、本として残っているから、感じるのです。すれ違った、池田晶子さんも同様です。だから、後ろにいくほど、様々な知識をどういうカタチで自分の中で取り持つのか。そんなことが重要になってきます。

 なぜ、世の中にこれだけの本があるのか。読まれずに、過ぎ去っていくものを多い。全然様相が違います。

 なぜ、作者は書くのか、思いをなぜ、そこにぶつけるのか。未唯空間は本なのか。そんなことをどうまとめていくかです。まとめる必要はないけど。寝ながら、夢の中で何回も語っていました。今も夢の中か、現実なのか、よく分かりません。目が開きません。

公共図書館という存在

 パブリックという概念が社会に及ぼす影響、そこからどう拡大していくのか、そして社会全体を変えるのか。Global meets Localにしても、それを最初に行って、実績をあげたのは、公共図書館です。本は買うものではない。皆の共通財産です。シェアするものです。

 作者はそこに思いをぶつけたものを、いかに皆に読んでもらうかが重要です。テッド・ネルソンではないけど、いかに作者を活かしていくのか、新しいエネルギーにしていくのか。著作権ネットワークの概念はそのためにあります。今度の電子図書の世界で可能になります。

 グーグルの全文検索も魅力的です。人間の知恵は出せば出すほど、出てきます。出し惜しんでも売り惜しんではいけない。

 イギリスのパブリックから公共図書館は始まった事例です。NZの公共図書館は本当にパブリックです。スタッフも気持ちがいいです。フィンランドのロバニエミ図書館も戦後からずっと、維持している。それが今の教育環境と産業を作り出した。

 そのベースは考えることです。考えるために、人の意見を聞く、本を読む。そういう世界を買うことでは独占できません。シェアすることでしか、達成できない。

本と図書館への拘り

 なぜ、私が本に拘るのか、図書館に拘るかには意味があります。そこに生まれてきた理由を感じたんでしょう。

 あまりにも、図書館環境に接するのが遅かった。集中的に行ってきたのが50歳からです。その時に米国図書館も自費で見に行った。良く、ここまで来たものです。身体が持つものです。精神が持つものです。もうじき、15000冊です。まあ、逆かもしれない。本があるから持っているのでしょう。

 なぜ、ブログで発信するのか。その元は何かというと、本です。

本と図書館の世界

 本と図書館というのはすごい関係ですね。これがペアになるときに、一つの世界ができます。

 買わないで、中身を読むことができます。これはクルマでも一緒です。買うのが目的ではなく、移動が目的です。そう考えると、世の中には中身だけで十分というものはいくらでもあります。それを皆で分ければいい。買うからなくなるのです。

 結局、共産主義もそれをしたかった。市民を支配しようとしたから、複雑になってしまった、ウクライナの農民の悲劇はそこから始まった。全国民でシェアすればよかった。集めて、分配しようとするのだ、集める所で躓いた。この関係はキッチリさせて、他のものに展開していく事例になります。強力な事例です。
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未唯空間歴史編 内なる歴史

4.8.1 内なる歴史のアプローチ

 個人がバラバラにされて、国民国家のように、組織の中に組み込まれた。組織の中に入ることは、資産を分配されることのメリットと、考えなくても済むというのが、大きな利点であった。今は分配の機能が失われて、言うことだけを聞いていても、先が見えないという状態になっている。

 だから、もう一度、個人をバラバラにして、組織の呪縛から外して、自分としてはどう動くのか。それは生まれてきた理由にもよります。どう感じているかにもよります。ただし、もう、依存は出来ません。そういう状態に落とします。

 そのために、生涯学習とかライブラリが必要になってきます。コミュニティもSNSなども同じ価値観を持った人間が集まるための道具として、必要です。これが8-1です。

4.8.2 危機感を煽る

 8-2は危機感でカタチを作ることです。あくまでも将来への危機感です。環境社会などは、どう見ても危機感です。見えてないもののためにどう動くかです。十分考えた結果で、個人には動いてもらいます。このベースがあるから、SNSは動員の革命になるのです。とりあえずは、環境社会みたいな危機感が一番、訴えやすい。あとは、行政の効率化ではないけど、そういう協働も出てきます。このままではダメだと言う実感です。

 ベースになるのは地方での動きです。中央は結局、金を集めるしか出来ない。借金を増やすことしかできない。そのためには、環境社会の実体をハッキリさせることです。海の温度が上がったので、CO2が増えたのか、CO2が増えたので、海の温度が上がったのか。そんなことでさえ、専門家の間では意見が違うのです。

 危機感をカタチにするのに、一番いいのは、政治・経済です。特に政治です。今のようなアホなことをやっていたのではダメで、分配の方式を変えていくことです。エネルギー問題一つとっても同じです。中央から分配できないなら、地域からどう始めていくのか。そのためには、政治はどうして行くのか、それをあなたたちはどうして行くのか。というところからはじめないと。お上からの指示を待っていては何もできない。

 エコも自分たちは始めないといけない。企業の言うとおりに、モノを買えばいいというという、消費者ではいられない。パナソニックのように、エコで儲けようとするものがいます。生活者として、自ら考えることです。

 自動車会社も危機感から考えたら、売ればいいということではない。自分たちがやるべきことをやっていかないといけない。いかに、生活者と一緒になって、クルマを有効活用するのか。公共機関とか、小ビークルと連携をとるのか。

 幸いにも、企業にしても、行政にしても、競争原理が働きます。よりアイデアのある方に変わっていけばいいです.選択権は生活者の方にあります。グループになれば、さらに力を発揮できます。個人の意識で持って、車もアピールの道具ではなく、次の社会につなげていくかに変わっていかないといけない。考えない世界ではアピールする方が上に来ます。危機感から地域コミュニティをいかに作るまでが8-2です。

4.8.3 世界の状況

 歴史編としては、世界に目を向ける必要があります。世界というのは日本にとっても、雛形であり、過去であり、将来でもある。そこからの推移を見ながらそれぞれが何が違うのかで、何をどうして行くかが見えてくる。政治形態にしても、国中心の民主主義の先を見ていかないといけない。共和制から、そのまま、移行してもいいです。

 エジプト革命後、20年経った姿も描きましょう。イスラムの戒律主義、また互助の精神がどうなっていくのか。その時点では、コミュニティ連合で国を超えているのでしょう。グローバルのグローバルの超国家はあるかもしれないけど、実際はローカルのローカルの個人をベースとした地域コミュニティが横に連携している。

 自分たちの暮らしにあった生活を自分たちで作り出すというものです。昔だったら、自分の近所でしか考えなかったことを、国を超えて行きます。地中海連合とか日本海連合とか北極圏連合も可能です。そういうものが多層化していく社会になっていく。

 あわせて、分裂も考えないといけない。中国は多種のものを取り込んで大きすぎます。分けて安定するにはどうしたらいいのか。それも含めて、連合です。EUもアジアもバーチャルコミュニティも含めて、連合です。グローバルのグローバルを超国家を通じて、それぞれの連合がつながっていきます。以上が8-3です。

4.8.4 未来像で安定

 8-4は未来像で安定させるにはどうしたらいいのか。危機感でモノを作るのはできるけど、それが意図したものになっているのか、それが安定しているのか。より多くの人が、自分の知恵を出しながら、生きていって、先が見えていけるのか。これがないと、また、混沌の世界に入ります。ロシア革命後のソ連のように。

 そこでのポイントは、コンパクトな生活をどう作り上げるのかです。といいても、コンパクトシティを指しているわけではない。むしろ、サファイア循環ではないけど、自分の中でいかにコンパクトにしていくかです。ローコスト・ローエネルギーもこの中に入ってきます。なるべく、依存しなくて、自分の環境を保持していくというカタチです。これがAct Locallyのなかに入ります。自分の中で、それを作り出します。

 国のレベルも同一価値観が集まって、自分たちの生活パターンにあわせる政治形態のしていく。それならば、争いはなくなります。多種なところでの多数決をするから、争いになるのです。では、その時の組織とは何か。企業とは何か。当然、変質します。要するに、グローバルには生活を支援させます。

 安定するには、それでも儲かるカタチにしないといけない。そこで働く人たちをいかに増やしていくのか。その意味では、高機能なことをやる人と、単純なことをやる人に分けていくかもしれない。この辺はジャック・アタリとよく似ています。

 リアライズの部分とエンパワーメントの部分に分けていく。皆を勇気付けるサービス的な部分を自分たちで行うことで、コストを減らしていくのか。そこでの情報交換には、状況を知って、コミュニティが機能できるようにします。そのためには、金融レベルを低くしておいて、それの連合するのも安定するためです。

 8-4は地域コミュニティをすべてのベースにするかです。それに対して、グローバルが支援することで儲かる。それを新たな分配を始める。これはエネルギーも一緒です。ローカルのエネルギーとグローバルのエネルギーを分けていきます。グローバルは産業に分配です。そう考えると、サファイア社会をイメージします。これをいかに安定にもっていくかです。
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