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夢をつぶされるから悩んでいる

久しぶりに走ったからしんどい

 20分で歩いて、バスに間に合わせました。しかし、20分ではギリギリです。

中国ではインフラという考え方がおかしい

 10倍の世界をコントロールさせるのには、10倍の人間をまずはコントロールさせないと無理です。それをインフラそのものにしてしまえばいいです。

 インフラを作るのにどのような思いでやってきたのかを理解せずに、分かろうとせずに、どうでもいいことに対して、無責任という言い方というのは先がありません。

 だから、私にとってはどうでもいいことです。どうでもいいことでないのはトポロジー的なことです。位相が変わることです。

 自分の中でもいいし、外でもいいです。位相が変わらないこととかどっちみち位相なんかはどうでも良くて、お金のこととかを問題にする場合はどうでもいいことです。

 これで私を悩まさないで欲しい。私自身は悩みたくありません。どうでもいいから、決めてもらえばいいです。

物を書くための本を読む

 何で書かないといけないのか、どういう思いをどのように伝えたいのか、誰に伝えたいのか、その伝えたい自分というのはあるのかないのか

 自分があるとして、それが仮の姿だとしたら、書いたことがどんな機能をするのか。みんなというものがあるものなのかないものなのか。結局、自分のための自分に書く、それだけの話であれば

 その辺を先ずははっきりさせないと書くことの意味がわかりません。

WBTも結局は映像

 今の時代は映像でしか訴えようがありません。マンガを書くわけにはいきません。映像ならば、しゃべることで、見せることで表現できます。言葉ではノウハウとして伝わりません。

 だから、映像なんです。映像ならばもっと素直に映像でやればいいのです。

夢をつぶされるから悩んでいる

 思い通りにならないから悩んでいるのではない。ステレオタイプで決めないで下さい。

 これだけの意識を持ちながら、これだけの努力をしながら、こんなところでこんなことをしていていいのか。こんな狭い世界で悩まされていていいのか。あまりにも狭いです。

循環型のベースは創造することの喜び

 消費すること、作る人と使う人が分かれたところでの効率化という考えではなく、その半分でも自分たちが参画してやれば、最終目的により近づくということです。系としても安定します。内部でのフィードバック回路が発生するからです。

 大量消費が終わったと言っているにもかかわらず、消費する喜びをベースとすると大量生産することになります。その方がどうしても儲かります。日本はその方向にはいけません。

 個別にしても、いかに効率化してやるかではなく、いかに参画して一台のクルマを使っていくのかです。それを行えば、走行距離も減るはずです。トータルコストは減ります。

一番のネックは翻訳者がいないこと

 だから、苛立ちます。全然伝わりません。磯部さんがサボっています。
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中学の時は完全に仲間はずれ

中学の時は完全に仲間はずれ

 それが今の輪郭を作っています。仲間はずれは怖くはありません。つるまないようにしていました。つるんでもしょうがありません

 中学生以来の不安が私にとっては真理です。これが最大の違いです。

何か今日は嫌な感じです

 先週の金曜日の雰囲気を引きずっています

 自分だけは特別と思っていると言われます。思っています。存在という意味では自分と他人が同じとはどう見ても思い出せません。

 自分で発する心、生まれてきた理由みたいなものを除いて何が出来るのか

株主総会というのは本当に茶番ですね。

 組織が嫌いになっている時に、こういうことに突っ込むとは何を知れということなのか

 個人情報保護をかなり警戒しています。言いやすいのは確かです

 総会屋というのも完全に消費の文化です。まるで創造していません。

 創造すれば、色々提案ができるし、企業側もそれだけの時間を使えば、かなりのメッセができます。何しろ、時間さえ延ばせばいいという職業は不思議なものです。

 攻める方も守る方も同じ人種です。攻めるものがいなくなれば、守るものを不要になります。

 技術会の質問いうのは前向きです。自分の主張をするけど、自分の説を皆に知らせたいだけです。完全にデッドロックでまるで面白くありません。痛まれません。

 総会屋というのはトルネコです。自分たちのルールで自分たちを縛っているだけです。そのルールの一番の活用者が自分であって、それを自分たちに向けられただけです。
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市民参加なくして、答えはない

豊田市の町が一段と寂しくなっている

 今までは商店街の人が積極的に参画して催しをしていたが、学生などの肩代わりしています。

 何か音がするものとかよさこいとかが幅を効かせています。占領されています。マスメディアの方に向かっています。地元の知恵から離れています。

市民参加なくして、答えはない

 その市民参加をする母体がなくなっています。エネルギーが。

 だけど、図書館だけは別物です。ちゃんとやっています。イベントを仕掛けるとか協議会を開くとかに対して違和感です。

消費する文化から創造する文化へ変えていく

 その時に必要なのは飴と鞭みたいなものです。何を成果とするのか? 創造する喜びをどう教えていくのか。

 就職することもそうです。だから、受け方も考えないといけません。儲けるだけではいけません。儲けることはできなくなります。

重要なのは行動すること

 だから、ボランティアは役に立つのです。それは行動しているから。行動しているところから自分に何かを与える。

 行動できる環境を与えるのがボランティアかもしれません。

 自分が評価される側から評価する方に変わるだけで色々な人に会うことが楽しくなります。

 誰かとの関係は自分を刺激する材料になる。刺激がなければ考えることも行動することもしなくなる。やる気がなくなっていく。
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分化したために消費される時間になってしまった

「痴漢があなたを狙っています」

 こういう看板はおかしいです。

 私は痴漢です。あなたを狙っていますなら分かります。つまり、主語がありません。

おばさん連中が集まっています

 なんかあるのでしょうか。「花いっぱい」大会だそうです。買ってきましょうか

 第48回全日本花いっぱい豊田大会

 花いっぱい活動といいながら、大きな顔をして歩いています。何でもすぐに権力がくっつくから嫌なのです。どうでもいいことなのに。

ピッキングの愉しみ

 本を選ぶとか、本を取り出すのは個人の楽しみでした。大量生産・大量販売でピッキングやるだけの時給900円の人たちが生まれました。

 これは創造する楽しみのうちの一部が消費する楽しみの犠牲になってしまった。自分で選べる愉しみは図書館で請け負いましょう。アマゾンで儲かるかどうかではなくて。

 本来はこれは楽しいことだということを思い出しましょう。みんなが選んで持ってくるだけという風に分けてしまったから、楽しくなくなってしまったのです。それが意味あることなのかです。

 図書館でもこれが欲しいといった時にそれをピッキングするのをボランティアで行えます。そのかわりに共通の話題

 人生は頑張ろうではなく、楽しもうです。

今週は何となく、ノウハウ本中心

 明日には15冊を戻せます。

 気分的には、今はノウハウ本のような軽いものにしたいです。そこから何を得るかです。楽しむというのは本当に難しいです。消費せずに!

 アマゾンはお客様に創造する楽しみを与えると同時にピッキングするところは機械化しないといけません。

 棚に並べるようなことをイメージするから難しくなるのです。それがダメなら、楽しくしないといけません。その人がどういう思いでやっているのかです。できるならば、本を頼まれて持ってくる司書的な感覚ができれば、積極的な仕事ができるはずです。

今日はピッタンコのタイミングで曽我見さん

 会話を少し楽しみました。図書館協議会のことを話したら、楽しみにしているということでした。何かしないといけません。仕事と楽しみが両立できるようにしましょうね。

 仕事が進むとどうしても難しくなります。本当に。儲けないといけません。そうなるとどうしても安くしないといけません。安くするということが往々にして工賃を安くすることになります。

 本当は選ぶ楽しみがあるのだから、パートナーとして参画して価格を高くすることかもしれません。

本当に楽しみにつながっているかどうかです。

 提供する方は楽しみだが、受けるほうが楽しみかどうかです。楽しみといっても作る楽しみです。

ボランティアリーダーの時に楽しまれたかを聞きましょう

 消費する楽しみもあるけど、やはり作る愉しみ楽しみがポイントです。それによって、皆が楽になります。

 やはり、創る喜びに溢れる世界、町にしていきたいです。消化するための町ではなく、作るための町です。そこでは自分たちの力を出せます。そうすれば安くできます。

 フリーターにしてもニートにしても作る楽しみを味わっていない。単に自分の時間を消費する。消費だけの循環になっています。

分化したために消費される時間になってしまった

 分化しなければいいのです。新しい再生をすればいいのです。

78.1Kg

 なんかさほど増えていません。間食は増えています。

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アマゾンに見る使用者と利用者の違い

アマゾンに見る使用者と利用者の違い

 全社は年収500万円以上の本を読む人、後者は年収200万円以下のアルバイト

 機械でやるよりも安いから人間がやっている。そういうセンターが400人以上の人を雇っているのだから、ある意味では正です。だけど、機会の代わりを人間がやっているということでは負です。

 アマゾンとトヨタの絶望工場では希望があるだけトヨタの方が上かもしれない

自分が恵まれている分をどこに返すのか

 仕組みを変えることぐらいしか思いつきません。

仕事を守ろうとしてやってきたことはありません

 ずっと夢を追っています。

 誰からこれをやれと言われたこともありません。ほとんど、自分で作り出してきました。それが仕事になると思えないものも多くありました。

 自分がやることがなくなってこともあります。今みたいに昔の定年の年になってもやらないといけないことが多くあります。

ビューティフルマインド

 私にはわかります。私もそれです。

ピッキングも図書館の返本も単純作業

 同じ作業なのに楽しみの仕方が大きく異なります。その差はどこから発生するのでしょう。チラシ配りも同様です。

 効率を求めるのか思いの実現を図るかで、同じ作業でかくも異なるのです。もう一つは相手が人だから、やっていけるかもしれません。

 仕事としてやっているわけではありません。これだけは確かです。自分の夢を持っているだけです。

雑情報

 もえたん 萌える英単語~もえたん~

 『フランス敗れたり』アンドレ・モーロワ (著), 高野 弥一郎

 『歌の翼』の歌詞を調べます

  曲名:歌の翼に Auf Fluegeln Des Gesanges

  歌い出し歌詞:Auf fluegeln des Gesanges

  歌い出しメロディー:"S^M^M^M^F^S^ST"

  作曲:F.Mendelssohn 訳詞: 年代: 歌手:

  メモ:メンデルスゾーン25歳の作品。歌の翼に乗せて君をガンジスへ運ぼう

 今日は早めに帰って果物を買います。やることもないし。パナにはやることを教えないといけません。

 みゆという名前の印鑑があります。ハローキティです。

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薄い接続と強い接続

消費者から創造者へ、消費する喜びから創造する喜びへ

 店舗のお客様も顧客からパートナーへ変えていくことで、一緒にクルマ社会をどのように作り上げていくのかという精神です。それを店舗側に作るのです。

 まずは、奉仕するという意味でのサービスから一歩踏み出します。一緒に作り上げるというスタンスを持たせます。

 基本的なサービスをする人と創造する人との中間を含めたマッチングを行います。

作る人と使う人を分けない

 私が作ってきたシステムは全て、作る人と使う人を分けるのではないというコンセプトでした。プログラムは裏側にあって、表にはないものです。マクロも含めて。

 自分の目の前のものを使うだけです。だから、覚えるものではありません。これはマッキントッシュの世界でも同じです。

 だから、リモコンに対してもこだわるし、ポータルにもこだわります。いかに作り上げるかです。

その発想を全店にばら撒く

 働き方というところでボランティアに来ています。そこでのヒントをどのようにして、元々考えたところに転換させるのかというところで困っています。

 私にはコミュニケーション能力はありません。コミュニケーションする気もありません。だから、色々なものが見えてくるのです。

薄い接続と強い接続

 今、読んでいる本のヒントは薄い接続と強い接続があり、強い接続がなくなっても全体は変わらないけど、薄い接続がなくなった時点で全体が変わってしまうというものです。

 それぞれの近傍系の間の、中は大きくても小さくても良くて、つなげているチェーンが切れると全体の位相に変化を及ぼす。その薄い接続、つまりチェーン、が本来のコミュニケーションです。

 いつもいつも、共依存的につながっているところはチェーンではありません。空間を作るものではありません。家族もそうです。家族が薄いつながりならば色々な助けあいが出来るけど、また、異質なものであれば、それで空間が出来るけど、同質のものでかたまっていたら、これは全体で一つです。

 ケータイは強いつながりはできるけど、薄いつながりを阻害しています。

 普段から合わない人とどのようにしてコミュニケーションをして展開していくのか、影響力を及ぼすのかというところです。狭い世界ではダメです。

 その意味ではケータイもっと大きな世界を相手に使用とするとどうしても距離が足りません。言葉が足りません。

近傍系は強いつながりで考える

 トポロジーで言うと近傍系は一つのものを中心として空間ができているところで、どちらかというと平坦な、強いつながりを元にして考えていました

 そうではなくて、強いつながりではなく、弱いつながりがどこまで延びているのか、その上で二つの地点を接続するような考え方です。

 その意味では室長は弱い接続が強いかもしれません。Oが北京に知り合いを持っていたのは、単に強いつながりの人間が偶々北京にいただけです。

 弱いつながりを戦力にする点では室長の流儀です。私はそんなことは全然できません。

 富士通を使うというのは強い接続でのやりかたです。私の場合は目的でどこまでも飛んでいきます。これは弱い接続です。

間食は果物だけに

 それで会社のフラストレーションが解決するとは思えませんが。

私にできるのは夢を語ることだけ

 だから、その夢をつぶさないでほしい。

近傍系とパスでできる位相空間としてみる

 分かりやすいかもしれません。今までは近傍系の一番端から次の近傍系を開くということだったけど、この場合は重なる部分が大きすぎます。

 むしろ、パスで考えていかないと遠くまでいけません。パスが切れた時に異なる空間になるのです。近傍系は一つの点とみなせます。といっても開かれた点ですけど。点と面の中間です。

消費する喜び

 本を買うということです。

 創造する喜びからすると本を買うとか買わないとかではなく、そこから何を得るか、そこで次の行動にどう結びつけるかという、より本質的なものになるはずです。

インターネットは薄い接続を作る

 趣味とかボランティアで、遠いところまで伸ばしてしまいます。これは地縁ではありません。地縁は強い接続です。これはもろ近傍系です。

 今、考えていることを職場とか強い関係ではなく、弱い関係のところで定義していくかです。

悩みが大きいには、思いが伝わらないから

 つながらないからです。自分の近傍系がつらくて、遠くまで行けません。

 この際。近くの関係をなくそうと思っています。

一番の興味の対象は自分そのもの

 自分が何を考えているかです。

万博のチラシ配りは奥が深い

 いかに効率よくやるのではなくて、思いを伝えるかです。

 町のチラシ配りは皆、アルバイトです。それもほとんどが若者です。フリーターの代名詞です。そこにはどういう世界を作りたいかの観点はありません。

消費韓のスパイラル

 消費するために金を稼いで、半分を消費するとなると、どんどんスパイラルが増します。

 そこで、消費とカネを稼ぐところを一緒にしてしまえば、稼ぐのは半分にしてしまえばいいです。その論理です。

アマゾンの1分間に3冊のピッキング

 本を探し出し、抜き出す作業です。返本もこの要領でできればいいです。

 コンピューターが本の位置を全て記憶している。注文があると最短距離でピッキングできるように打ち出す。
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ナッシュ均衡

ケータイ好きでケータイをしていてはいけません

 お仕事をやってはいけません。

 プログラムが好きでプログラムをやっていてはいけません。ネットワークが好きでネットワークをやっていてはいけません。ナビが好きでナビをやっていてはいけません。

 それでは痛みが分かりません。その結果、スパイラルが勝手に回っていきます。

 好きでない人を置いてきぼりにして、勝手に回っていきます。それでは循環社会になれません。

ナッシュ均衡

 面白いといえば面白いです。

 ノイマンみたいに、コミュニケーションを求める意味のところからは出てこない発想です。

 基本は人間はコミュニケーションを避けるというところから出てきたものが、世の中のかなりのところに通用する。だから、世の中の基本はコミュニケーションではなくて、本当はコミュニケーションを避けるものなのでしょう。

 これは夫婦でも一緒です。求め合っているように見えながら、離れ合っている。それを求め合っているような幻想の上にあって、ベースは避けています。それを前提にして、家族関係を見ていかないとだめです。

 今、事故が起きると家族が出て来ます。それをマスコミがある前提のもとで取り上げます。それぞれが様々な関係になっているはずです。

新Mu-Boxは行かないとしょうがない

 本当にアリバイ的な仕事をしやがって。どうでもいいことはどうでもいいです。

感情をもっと表に出せないのか

 なんか、あほみたいです。

私の思考は空間論

 積み上げではなく、一瞬にして作り上げます

 だから、積み上げみたいに仕様書を書いてどうのこうのは覚えていられるはずがありません。

理科系は作ることでしか、癒されない

 今後の創造の楽しみが基本となった時には我々の世界です。消費するだけの文科系とは異なります。だから、頑張らないといけないのです。

 人間関係でお互いを消費する。消費しながら、お互いに消耗しているのです。それに対して、我々は作るのです。
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次は創造の時代

お客様DBはごみ箱かもしれません

 むしろ、SFAのデータベースの構成にした方がはるかに使いやすいです。

 お客様データベースはやはり、SFA的な、使うことを目的に貯めておくようなカタチで、もっと自由度を持たせないといけません。

 結局、そのお客様に関するプロフィールをPALで入れるのと同じだけのものが必要です。それだけの柔軟性を持つものでないといけません

 データベースの再利用の仕方

未唯へ

 考えるにはいい季節になりました。

コンサルティングなら「ビューティフルマインド」は読んで

 人の心をはかるというのはそういうことかもしれません

 だから、もっと色々なことを知っておかないといけません。

 私の心は作ることでしか癒されません。どうもそうらしいです。

次は創造の時代

 食べていくのが精一杯の時代から消費の時代へ来ました。

 図書館でも受身ではいけません。万博でも受身だけではいけません。一緒になってやっていくということです。作る人と使う人が一緒になって考えていくことです。

人口問題は別片付けないといけない。

 中国での政策が一番の参考になります。

 生まれてきた人が本当に平等なのか。今、60億人ですけど、地球は70億人で精一杯です。

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やはり,数学者になるべきだった

勝手な推測は禁物

 モヤモヤしているなどと勝手な推測をしてはいけません。ステレオタイプにおさめられるものではありません。これは精神分析医の基本です。

 ありのままの言葉だけを使うのです。相手が同意しない言葉は使わない

 病気のカルテと同じように名称をつけたがるのはダメです。

 一人一人は異なっています。だから,言葉をつける必要がないのです。メールでの心理分析にしても,自分をあまりにも語ってはいけません。「どうしました」ぐらいでいいです。

 本人がどっちみち一生懸命心理分析をしているのだから。人からステレオタイプの心理分析をされてはたまりません。

偉大なる素人

 進さんのように、偉大なる素人がいたけど、GMは単なる素人です。

西ゲートのコントロール

 ゲートの中の3階のエレベーターは障害者と車いすとベビーカーと年寄りと普通の人をコントロールするかどうかです。

 そのコントロールをどのようにやるかです。これが使う人と使われる人との接点です。ここで間に立つ人、ボランティアがいるのです。

 その意味では,エレベーター一つでもって我々の役割がハッキリします。それを昨日話しましたが,どれだけの人が理解できたか分かりません。

 エレベーター一つに対して,ボランティアの役割が見えてきます。

 経験としてボランティアをやるというカブスカウトも一つのケースです。

車いすの調達と新刊書を習得するのは同じ

 読む人と提供する人との橋渡しです。これは循環です。

 貸す人と借りる人は当然循環です。読む人と借りる人との循環をしないといけません。

 使う人と使われる人では循環はされていません。循環型になっていません。

 その間に地域で動ける専門家がいるのです。それが循環型社会です。

消費者であるお客様とどうつなげるか

 お客様という側面以外に,一緒に車社会を考えていくことを考えないといけません。その世界がないとうまくいきません。市役所がそういう状態になっています。

 つまり,お客様が中に入り込んで一緒に考えていく。どういう車が欲しいとか,どういう社会にしていくのかを店舗で考ええられるかです

 また,これらと映像との関係がわかっていません。映像は面白いと思っています。あくまでもアピールするための映像です。

ステレオタイプが嫌い

 型にはめないでもらいたいし、本当に考えるべきところで考えないといけません。

 どんな小さいところにでもネタはあります。それをしっかり見ていけば。

万博ボランティアリーダー

 1ヶ月間行っていなかったけど,さほど変わっていませんでした。センターの配席が変わっていたけど、雨が初めてだから,戸惑いました。

 もう一人のリーダーは終礼に時間になっても現れませんでした。全体を考えて欲しいものです。

 ボランティアリーダーができるのは、「大丈夫ですよ」ということかもしれません。それ以外の大きなものはない。そこで何を求めるかです。常に求めないといけません。

分裂気質の特徴は○○感と虚無感

 人は他者との交流を通して、人生の意味と価値を見出す重要な手がかりを得る。

 しかし,分裂気質の場合は事情が異なり,創造的な行為こそが自己表現にきわめて適した方法なのだ。その行為は孤独であるが、彼らの能力がもたらせた成果は人間社会の共有財産と広くみなされている。

やはり,数学者になるべきだった

 どう見ても性格的にはそちらです。理想も含めて、自分の描く姿も含めて。創造的でなければ、生きている理由はない!

 今の職場は何しろ,創造的ではありません。完全になくなっています。だから,つまらないのです。だから,数学者としてやります。

皆,人間関係に納得して,夢を果たす

 だけど、分裂症気質はそうはいきません。何かを自分で作り出さないと安定しておれません。今から,何が作れるかといったら,色々なものが作れます。まだ,死んではいないのだから。

 天才ではないけど,数学者です。だから,普通の生活は送れません。自分の存在を賭けて消滅するだけです。もう一度,ナッシュの人生は読みきります。そこから何かを得られそうです。

 思考が停止したら、そこで話すことは停止します。しゃべれません。
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今日は雨の万博

今日は雨の万博

 さほど降っていません。

 本来,市民との間にいるのが我々の立場ですから、市民から援助をもらえばいいです。それはクリエイトです。

 まだ,気分は変わりません。相変わらず男です。

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