部屋を片付けていたら、6,7年前のCDS(CAREER DEVELOPMENT SYSTEM)の資料が出てきた。今の思いとほとんど変わっていません。本当に私はしつっこいですね。この教育は、社員を転職させるための教育でした。だけど、コンサルタントにしても、能力的には私よりも低かった。だから、自分の中をまとめるのにつかわさせてもらった。以下は抜粋です。
自分自身との契約書 平成11年3月5日
①今の気持ち:自分の人生を全うしたい。そのために努力する。途中に倒れても可とする
②今後の自分自身の変化や成長の方向性:自分の内にあるもの、育ててきたものを社会に出していく。嫌なことは多々あるだろうが、自分の夢のためにやり抜かねば。しかし、しんどい人生ですね。
③計画を実行するに当たっての決意:本当に色々なことを知りたいし、それで社会を幸せな方向に変えていきたい。そのために、この会社を最大限に活用させていただきます
ライフ・ラインチャート
昭和39年(1964年)14歳 人生の目的に悩む。真理探究を一生の課題に
昭和43年(1968年)18歳 自宅浪人。一人で乗り切る
昭和44年(1969年)19歳 カテゴリーの概念で数学の楽しさを味わう
昭和45年(1970年)20歳 デカルト哲学に傾倒
昭和46年(1971年)21歳 トポロジーこそ真理探究の方法!
昭和47年(1972年)22歳 トポロジーの考えを社会分析に生かそう!
昭和48年(1973年)23歳 工場実習で社会をなす3要素のイメージ
昭和52年(1977年)27歳 システム設計手法の行き詰まり(デカルト的手法の限界)
昭和53年(1978年)28歳 茶道により、デカルト的思考からの脱却
昭和55年(1980年)30歳 不可能と思われていた設変ロジックの構築
昭和59年(1984年)34歳 エンジンのプロとの仕事は刺激的
昭和60年(1985年)35歳 雑記帳で思考の全てを記録開始
昭和61年(1986年)36歳 システムに関する全てのことに関与できる楽しさ(人工知能、モータースポーツなど)
昭和63年(1988年)38歳 新LA計画却下される。徹底的な現状分析実施
平成元年(1989年)39歳 新LA計画を脱富士通で実現
平成02年(1990年)40歳 課長研修で「構想的管理」が自分の役割と自覚
平成03年(1991年)41歳 雑記帳をシステム化。仕事の対象が部を超える
平成04年(1992年)42歳 マーケティングでのスタンスのために「コンビニ研究」開始
平成05年(1993年)43歳 国内営業では今までの自分が通じない!
平成06年(1994年)44歳 「創造塾」で原点に戻り、「思いをつなぐ」ことに専念
平成07年(1995年)45歳 国内営業が私が望む方向に変わってきた!
平成08年(1996年)46歳 「複雑性」を思考のベースとして分析
平成09年(1997年)47歳 新世代販売店システムを念願の新方式で設計
平成10年(1998年)48歳 システム開発からスポイル。更に広範囲の設計へ
平成11年(1999年)49歳 次のネットワークイメージ創出のために「図書館」研究開発
ここまでが記載されていた。以下は今回追加
平成12年(2000年)50歳 全販売店をターゲットにネットワークガイドライン発行。
平成13年(2001年)51歳 全国にMu-Boxを配布。9.11で自分の無知を感じ、借出図書件数を倍増
平成14年(2002年)52歳 フィンランド・英国・ロシア・ベルギー・イタリアの比較で国内の方向性確認。ネットワークを活用するためのツールとして販売店グループウェア提供。教育計画審議会委員として、発言しても通じない
平成15年(2003年)53歳 ブロードバンドの回線提供。生涯学習審議会委員で生涯学習センター機構に関して具体的提案。エコライフ視察団でデンマーク、フィンランドへ。Think Globally, Act Locallyの世界に
平成16年(2004年)54歳 Mu-TVで映像での販売店とお客様とのつながり
平成17年(2005年)55歳 愛知万博でのボランティアで「笑顔とあいさつ」。大連で、今後のアジアと日本の立場をイメージ。年末にサファイア・ネットワーク構想立案
平成18年(2006年)56歳 「未唯への手紙」着手とブログ開始。Sa-ネットガイドライン発行
転職しないことでの、この会社へのメリットは大きいと思っています。
自分自身との契約書 平成11年3月5日
①今の気持ち:自分の人生を全うしたい。そのために努力する。途中に倒れても可とする
②今後の自分自身の変化や成長の方向性:自分の内にあるもの、育ててきたものを社会に出していく。嫌なことは多々あるだろうが、自分の夢のためにやり抜かねば。しかし、しんどい人生ですね。
③計画を実行するに当たっての決意:本当に色々なことを知りたいし、それで社会を幸せな方向に変えていきたい。そのために、この会社を最大限に活用させていただきます
ライフ・ラインチャート
昭和39年(1964年)14歳 人生の目的に悩む。真理探究を一生の課題に
昭和43年(1968年)18歳 自宅浪人。一人で乗り切る
昭和44年(1969年)19歳 カテゴリーの概念で数学の楽しさを味わう
昭和45年(1970年)20歳 デカルト哲学に傾倒
昭和46年(1971年)21歳 トポロジーこそ真理探究の方法!
昭和47年(1972年)22歳 トポロジーの考えを社会分析に生かそう!
昭和48年(1973年)23歳 工場実習で社会をなす3要素のイメージ
昭和52年(1977年)27歳 システム設計手法の行き詰まり(デカルト的手法の限界)
昭和53年(1978年)28歳 茶道により、デカルト的思考からの脱却
昭和55年(1980年)30歳 不可能と思われていた設変ロジックの構築
昭和59年(1984年)34歳 エンジンのプロとの仕事は刺激的
昭和60年(1985年)35歳 雑記帳で思考の全てを記録開始
昭和61年(1986年)36歳 システムに関する全てのことに関与できる楽しさ(人工知能、モータースポーツなど)
昭和63年(1988年)38歳 新LA計画却下される。徹底的な現状分析実施
平成元年(1989年)39歳 新LA計画を脱富士通で実現
平成02年(1990年)40歳 課長研修で「構想的管理」が自分の役割と自覚
平成03年(1991年)41歳 雑記帳をシステム化。仕事の対象が部を超える
平成04年(1992年)42歳 マーケティングでのスタンスのために「コンビニ研究」開始
平成05年(1993年)43歳 国内営業では今までの自分が通じない!
平成06年(1994年)44歳 「創造塾」で原点に戻り、「思いをつなぐ」ことに専念
平成07年(1995年)45歳 国内営業が私が望む方向に変わってきた!
平成08年(1996年)46歳 「複雑性」を思考のベースとして分析
平成09年(1997年)47歳 新世代販売店システムを念願の新方式で設計
平成10年(1998年)48歳 システム開発からスポイル。更に広範囲の設計へ
平成11年(1999年)49歳 次のネットワークイメージ創出のために「図書館」研究開発
ここまでが記載されていた。以下は今回追加
平成12年(2000年)50歳 全販売店をターゲットにネットワークガイドライン発行。
平成13年(2001年)51歳 全国にMu-Boxを配布。9.11で自分の無知を感じ、借出図書件数を倍増
平成14年(2002年)52歳 フィンランド・英国・ロシア・ベルギー・イタリアの比較で国内の方向性確認。ネットワークを活用するためのツールとして販売店グループウェア提供。教育計画審議会委員として、発言しても通じない
平成15年(2003年)53歳 ブロードバンドの回線提供。生涯学習審議会委員で生涯学習センター機構に関して具体的提案。エコライフ視察団でデンマーク、フィンランドへ。Think Globally, Act Locallyの世界に
平成16年(2004年)54歳 Mu-TVで映像での販売店とお客様とのつながり
平成17年(2005年)55歳 愛知万博でのボランティアで「笑顔とあいさつ」。大連で、今後のアジアと日本の立場をイメージ。年末にサファイア・ネットワーク構想立案
平成18年(2006年)56歳 「未唯への手紙」着手とブログ開始。Sa-ネットガイドライン発行
転職しないことでの、この会社へのメリットは大きいと思っています。