未唯への手紙

未唯への手紙

CDSは転職のために受けさせられた 

2006年12月31日 | 5.その他
部屋を片付けていたら、6,7年前のCDS(CAREER DEVELOPMENT SYSTEM)の資料が出てきた。今の思いとほとんど変わっていません。本当に私はしつっこいですね。この教育は、社員を転職させるための教育でした。だけど、コンサルタントにしても、能力的には私よりも低かった。だから、自分の中をまとめるのにつかわさせてもらった。以下は抜粋です。

自分自身との契約書 平成11年3月5日

①今の気持ち:自分の人生を全うしたい。そのために努力する。途中に倒れても可とする

②今後の自分自身の変化や成長の方向性:自分の内にあるもの、育ててきたものを社会に出していく。嫌なことは多々あるだろうが、自分の夢のためにやり抜かねば。しかし、しんどい人生ですね。

③計画を実行するに当たっての決意:本当に色々なことを知りたいし、それで社会を幸せな方向に変えていきたい。そのために、この会社を最大限に活用させていただきます

ライフ・ラインチャート

昭和39年(1964年)14歳 人生の目的に悩む。真理探究を一生の課題に

昭和43年(1968年)18歳 自宅浪人。一人で乗り切る

昭和44年(1969年)19歳 カテゴリーの概念で数学の楽しさを味わう

昭和45年(1970年)20歳 デカルト哲学に傾倒

昭和46年(1971年)21歳 トポロジーこそ真理探究の方法!

昭和47年(1972年)22歳 トポロジーの考えを社会分析に生かそう!

昭和48年(1973年)23歳 工場実習で社会をなす3要素のイメージ

昭和52年(1977年)27歳 システム設計手法の行き詰まり(デカルト的手法の限界)

昭和53年(1978年)28歳 茶道により、デカルト的思考からの脱却

昭和55年(1980年)30歳 不可能と思われていた設変ロジックの構築

昭和59年(1984年)34歳 エンジンのプロとの仕事は刺激的

昭和60年(1985年)35歳 雑記帳で思考の全てを記録開始

昭和61年(1986年)36歳 システムに関する全てのことに関与できる楽しさ(人工知能、モータースポーツなど)

昭和63年(1988年)38歳 新LA計画却下される。徹底的な現状分析実施

平成元年(1989年)39歳 新LA計画を脱富士通で実現

平成02年(1990年)40歳 課長研修で「構想的管理」が自分の役割と自覚

平成03年(1991年)41歳 雑記帳をシステム化。仕事の対象が部を超える

平成04年(1992年)42歳 マーケティングでのスタンスのために「コンビニ研究」開始

平成05年(1993年)43歳 国内営業では今までの自分が通じない!

平成06年(1994年)44歳 「創造塾」で原点に戻り、「思いをつなぐ」ことに専念

平成07年(1995年)45歳 国内営業が私が望む方向に変わってきた!

平成08年(1996年)46歳 「複雑性」を思考のベースとして分析

平成09年(1997年)47歳 新世代販売店システムを念願の新方式で設計

平成10年(1998年)48歳 システム開発からスポイル。更に広範囲の設計へ

平成11年(1999年)49歳 次のネットワークイメージ創出のために「図書館」研究開発

ここまでが記載されていた。以下は今回追加

平成12年(2000年)50歳 全販売店をターゲットにネットワークガイドライン発行。

平成13年(2001年)51歳 全国にMu-Boxを配布。9.11で自分の無知を感じ、借出図書件数を倍増

平成14年(2002年)52歳 フィンランド・英国・ロシア・ベルギー・イタリアの比較で国内の方向性確認。ネットワークを活用するためのツールとして販売店グループウェア提供。教育計画審議会委員として、発言しても通じない

平成15年(2003年)53歳 ブロードバンドの回線提供。生涯学習審議会委員で生涯学習センター機構に関して具体的提案。エコライフ視察団でデンマーク、フィンランドへ。Think Globally, Act Locallyの世界に

平成16年(2004年)54歳 Mu-TVで映像での販売店とお客様とのつながり

平成17年(2005年)55歳 愛知万博でのボランティアで「笑顔とあいさつ」。大連で、今後のアジアと日本の立場をイメージ。年末にサファイア・ネットワーク構想立案

平成18年(2006年)56歳 「未唯への手紙」着手とブログ開始。Sa-ネットガイドライン発行

転職しないことでの、この会社へのメリットは大きいと思っています。

部屋の中にバックがあふれています

2006年12月30日 | 7.生活
1月2日にスタバの福袋を買うから、さらにバックが増えます。デパートの福袋で並ぶ人間を見るために、9時くらいに行きましょう。グランデ・ドリップを飲みながら、日本で一番景気のいい街の、並んでいる人間を観察しましょう。

ざっと、数えても20くらいのバックを持っています。普通のサラリーマンではトートバックは使わないし、無印良品のバックも必要ないでしょう。バスで朝見かけるサラリーマン風の人は常に同じものを持っています。それに比べると、私の場合は1週間として同じバックを持っていません。

持っていく本の大きさとか冊数でバックを変えることもこの最近は多くなっています。無印のバックに絵が描けるものがあるのですが、それも購入しました。それに描くためのクレヨンも同時に購入しました。それで2種類の絵を描きました。一つは表が「未唯が一番」で、ウラが「Mu Is No.01」で共に「M」のマークを大きく書きました。もう一つは表が「Sa-」でウラが「さあ!」で、マークは大きなリンクと小さなリンクで循環を表しています。

会社にも持っていったけど、あまり評判はよくありません。まだまだ、抵抗感があるみたいです。今後は自己主張と自己表現は必要です。

その日によって、中身が違うのだから、バックも服装も変わるはずです。また、気持ちも異なるでしょう。何で同じなんですか? それが信用なんですか? そんなことを考えています。以前に中身を見せてもらった時に、立派なかばんの中に新聞だけが入っていました。そんなかばんよりも本を読んでもらいたい。

休みの朝はスタバでバックキャスティング

2006年12月29日 | 7.生活
今日からお休みです。会社は5日出勤です。だから、とりあえず7日間のお休みです。休みの日はどうしても出不精になるので、9時から10時まで駅前のスタバにするつもりです。歩いていくつもりなので、往復で8千歩で1時間強になります。とりあえず、これだけ歩けばいいでしょう。

その日のテーマを決めて、その項目の全体構成の確認を行うという計画です。今日は「未唯への手紙」の第1章のつもりだってけど、間違えて、第7章の「生活編」を持ってきてしまった。だから、第7章の構成の確認を行いました。

519.13ミツ『サステナビリティ経営』を読んでいて、以前から考えていた持続可能性で本当に3R程度でいいのかという疑問がわいてきました。その本の中に、1950年から200年の比較がありました。1950年と2000年の半世紀で、世界人口は約25億人から約61億人へと、2.4倍にも増えた。同様に、世界GDPは8.1倍、石油消費量は7.3倍、発電容量は21倍、小麦の年間生産量は4.1倍にも増えた。

この数字が持っている意味は大きいです。ちなみに、私が生まれたのが1950年です。このような世界を作り上げた素です。これだけ、拡大していること自体を真剣に考えないといけない。現在できることから考えるフォアキャスティングではなく、2050年の世界からのバックキャスティングでないと答にならないようなきがします。以下はその本の記載です。これらを自分の思考に置き換えて、それぞれの立場でできることを創出していきます。それが1950年に生まれた人間の役割です。

バックキャスティングとは、「将来の望ましい社会の姿(たとえば持続可能な社会)を想定し、そこから現在を振り返り、望ましい社会に到達するために今から何をどのような手順で実施していくべきか」を考える予測手法である。

私たちは地球の限界に直面しており、経済活動を支える地球環境そのものに大きなほころびが生じている。特に温暖化が引き起こす異常気象によって、食糧不足、海面水位の上昇、海流変化による寒冷化、頻発する台風やハリケーン、多発する山火事、進む砂漠化……といった環境破壊の恐怖にさらされている。

これらの破局を回避するためには、化石燃料への依存度を思い切って減らし、新エネルギーの比率を大幅に高めていかなければならない。その場合、先のエネルギー長期需給の改定見通しに関連していえば、新エネルギーの比率を、たとえば50%まで高める必要があるとの結論に到達したとする。その目標を達成するためには、現状のエネルギー供給区分を大胆に変えていかなければならない。具体的には、「どのような政策が必要か」「どの程度の資金をどの分野に投入すべきか」などを検討し、実行していくためのシナリオづくりが重要になる。

将来の目標を定めず、今できることだけをいくら真剣に実行しても、期待した成果が待られるわけではない。望ましい将来のビジョン、目標をはっきり定め、それに向かって一歩一歩必要な対策を積み重ねていくには、バックキャスティングの手法が有効である。

母親の容態が気になって

2006年12月28日 | 7.生活
今日が最終日です。新年から会社の場所が移ります。書類の梱包は昨日終わっています。元々、20冊あったバインダーを3冊半にしたので、一つの箱にヘルメットと同時に梱包して終わりです。まだ、減らせとか言っていたので、全ての書類をシュレーダーしてやろうと思ったけど、止めました。

今度の場所はかなりきつそうです。だから、書類も引き出しもなく、頭と紙と鉛筆だけで自由にやろうということを決めました。そのための予行演習でパソコンも書類のないところで考えていました。ゼロから創造する訓練です。全体を見渡していると、Sa-ポータルの重要性が見えてきました。

昨日、家に帰った時に奥さんからケータイに送ったメールを見たかと聞かれました。本人がそこに居るのに、メールを見れと。そこには、母親の精密検査の結果、単に骨折だけでなく、心臓の調子がよくなくて、絶対安静になったことを妹に聞けということでした。

会社に来てからも、それが気になっています。火曜日の事故が本当に偶然かなと思えてきました。よりによって、私が休んで迎えに行ったときに、トラブルというのは、何かの信号という気がしてきました。父親とは共依存の関係だったから、張りがなくなってきた結果だという気がしてきました。

本当は12時45分からのWATさんのあいさつを聞きたかったけど、それだと1時半のバスになってしまうので、昼食後に会社を出て、12時半のバスで帰りました。直行で病院へ行った。かなり、へたれていました。酸素吸入とか点滴とかしているので、余計に病人らしくなっています。

一人での忘年会パートⅡ

2006年12月27日 | 1.私
一人忘年会をしながら、来年のことと今年のことを書いていました。

来年のことについては、「本当にゼロから初めて、ゼロに戻る」ことにして、自分流を当たり前にしていきます。そのために、「未唯への手紙」は思想的なことだけでなく、生活そのものも書き込んでいきます。

思考はデジタルよりもアナログを重視します。とことん、これをやりますよ。このメモ自体も鉛筆で書いています。また、金曜日はパソコンを使わないようにして、考えることに集中させます。その時には、個別のことを考えるのではなく、全体を考え出します。また、そこで考えたことがそのまま伝えられる人を求めていきます。

時間の早さをコントロールするために、一週間にメリハリをつけます。とりあえずは、水曜日は「かもめ食堂通信の日」として、食べながら考えられる場所を確保します。今日がその第一日目です。その結果はブログに搭載します。

女性の能力開発を命がけで行いましょう。会社でも図書館でもNPOでもスタバでも、前向きな女性には積極的にアプローチします。それを伝える手段として、詩をやりたいですね。この最近のブログでの文章がかなり変わってきたように思えます。この際に一気に飛んでしまいましょうか。

ここ3週間ほど、ケータイを持って、常時電源オンにしています。今まで、メールが3件入っただけです。電話が鳴ったことはありません。だから、〈女性からの)ケータイが鳴るようにしましょう。

それと、「未唯への手紙」をまとめましょう。人に少しだけ分かるようにする。それにより、自分の行動の理論化をします。あわせて、サファイアなどの仕事での理論付けも行います。そして、その理論に基づいて、各地方の販売店を回って、サファイアをカタチにしていきます。「皆の夢を自分の夢に」「自分の夢を皆の夢に」「夢をカタチに」の最終段階です。コンテンツを具体的に作ります。販売店で自立して動けるものを目指します。

今年のことについては、新しく知り合った人は本当に少ないです。出入りが少ないですね。やはり、自分が動かないと人との関係は変わらないものです。拡がりのベースとなるはずであった市民活動は中途半端でした。皆がどういうつもりで、なにがしたいのかわからない。それと自分自身がわからない。だけど、生きている以上は市民活動はやめられない。

最大のイベントは年を一つとったことです。一日の時間が経つ速度は気持ちが悪くなるほど速い! もう子さんはまた一つ若返ったかもしれません。服装とかバックがどんどん自己主張を始めています。どこかで目立たないといけないと思っているのでしょう。消えゆく存在だからこそ、主張だけはしようとしています。

仕事は昨年末に発想したサファイアの思想を膨らませてきました。Sa-ポータル⇒Sa-ライブラリ⇒Sa-ケータイと、どんどんB-B-Cに向かっています。だけど、サファイアそのものを分かっている人があまりにも少ない。企業における「持続可能性」の意味を探ってきたような気がします。

家族のことでは父の死と一人暮らしの母の不安定さ。妹の娘のREIさんとMASさんへの理解、彼女らはともにブログを発信している。我が家の子どもとはかなり異なっている。世の中の基準からすると彼女らが変わっているのは確かです。だから、私の方が感覚が合います。

身体についてはハッキリ言って、現在ノーチェックです。看護士さんのKOZさんには申し訳ありません。通勤時にバス停まで25分歩いているだけです。土日はあまり動いていません。午後はほとんど家にいます。

部屋を片付けるために年休にしたが・・・

2006年12月26日 | 7.生活
折角、休むんだったら、母親を病院に連れて行って、整形外科と内科を回るように、奥さんから言われて、9時半に同じ町内の実家にクルマで行きました。時間になっても出てこないので、預かった鍵で入っても人気がしない。風呂場を覘いたら、浴槽の中に裸で横たわっていた。

聞けば、3時半に入ったが、足に力が入らずに浴槽から出られない状態になったとのこと。お湯は最初に抜いたそうです。6時間半ずっと狭い浴槽で同じ形ではまり込んでいた。浴槽から引っ張り出して、居間のコタツまで行くのに、30分かかりました。

それから、奥さんを呼んで、椅子ごと移動して、どうにかクルマに乗せて、30分後に病院へ。色々検査をして、2時間。結局、即入院することに決まりました。病院の中は母の知り合いばかりです。「お帰り」みたいな雰囲気です。2週間前に退院したばかりです。そのうちに、しっかりした妹が来たので、図書館へ。今年最後の借り本です。

そのあとにNPOの女性に「ファシリテーション」の本を渡しに市役所へ。その後はファミレスで本を3冊読書。ということで、部屋の掃除は年末になりました。ちなみに、母親の入院で、今年は年末・年始ではなく、12月末と1月初になったそうです。年に一度の「すき焼き」は期待できません。任天堂DSの「料理の初級」編を手に入れましょうか。その前にDSが見つかりません。

土日に集中していないみたい

2006年12月25日 | 7.生活
土日とも昼寝をしていました。「未唯への手紙」の校正をしないといけないのに、なかなか手がつきません。料理教室とかスタバとかで歩いています。年末年始に持ち越しになりそうだけど、本当にできるのでしょうかね。

集中力をつけるために、水曜日を「かもめ食堂」の日にします。集中して、ものごとをまとめます。元々、水曜日は20年以上前に、会社のプールで水泳を独習していた時に、「食事なし」に決めたものです。かなり前のルールです。プールにはとっくに行かなくなっています。だけど、水曜日は家での食事なしは続いています。

その日を使って、外食しながら、集中して考える時間にします。東富士の時代に沼津でのフルートのレッスンの前とか後に、駅前の喫茶店のカウンターで、コーヒーを飲みながら、その時に頭の中にあることを全て書き出していました。それが「雑記帳」の始まります。

来年から、会社も名古屋駅前に変わるので、一人で自分の居場所を探しましょう。だけど、お金は千円以内でないと継続できません。その店の一番安いものに思案す。これを27日から開始します。ここは事情があって、ちょっと豪華になりますが。

唐揚げに専念

2006年12月24日 | 7.生活
今週の料理教室は鶏の唐揚げと中華風五目和えとほうれん草のかきたま汁です。例によって、唐揚げだけに専念していました。鶏肉は最初から唐揚げ用を買ってきたので、一口大に切られていました。にんにく、しょうがをすりおろし、酒・しょうゆをおおさじ2杯のなかに漬けて、片栗粉と小麦粉を加える。それを揚げればOKです。だけど、鶏肉が割と高いのと、てんぷら油をどう片付けるかが問題です。

これも、スーパーの閉店前の半額の方がおいしそうです、我々のテーブルは3人だったので、料理の女性講師を含めて試食です。今回の企画は男女参画センターが主催です。だから、男性が厨房に入ることの意義を唱えていました。お父さんが作ってあげることが重要ですよと。それを聞いていて、何か「大正ロマン」の価値観を感じていました。こういうセンターの女性がそんな古い感覚で本当にいいの?

彼女らはもっと、しっかりした姿勢を持たないといけません。奥さんが亡くなった時にどうのこうのではなく、それぞれが相手に依存しない世界をどう作り上げていくかです。皆が皆、そういう共依存の家族観ではないです。自分のことは自分でやるという、子どもに求めるような独立心を求めないといけません。

家族のために父親が作るのではなく、自分の独立のために、自分のことは自分でやるという独立宣言です。今回もまずはエプロンとバンダナから入っているし、すぐに班毎の競争になるし、効率を求めます。自分自身の独立のためにやるという意識に欠けています。だから、最後は頭に来ていました。

今日は奥さんの誕生日で、かつクリスマスです。希望を聞いたら、ケンタッキーチキン2本を夕食にするということだったので、5時前にケンタッキーにチキン8本を買いにいきました。そこでも頭に来ていました。

30分ぐらい並んで、「8本ください」と言ったら、「今日は皆に分けるために、一人5本までです」と言われた。予約だと10本のバーレルとか出ているし、セットだと組み合わせて15本ぐらいも出ています。それなのに、チキンだけだと5本と言っているし、「皆に分ける」という言い方をしている。こちらはコソボの難民じゃない! それに列に並ぶ時にはそんなことはどこにも書いてない!

完全に頭に来て、すぐに列のところに、その旨を大きく書いてくれるように。それを列に並んでいる人に告知するように依頼し、それが完了するまではカウンターからはどかないことを宣言しました。店長が来て、2人で来ていることにして、8本のチキンを恵んでくれました。本当に頭に来た。楽しいクリスマスですね。

料理教室の準備

2006年12月23日 | 7.生活
朝は7時半過ぎから、私風の肉じゃがを作っていました。札幌からのじゃがいもを早く片付けないと。お肉は冷凍庫に入っているものをパクりました。半分に切るのが大変でした。本当に固くて。その上、そのまま油の上に置いたので、柔らかくなるまでに、焦げていました。

タマネギもパクって、半分使いました。あとの半分をラップに来るんで、野菜室へ。冷蔵庫が賞味期限切れで満杯だから、押しのけてスペースを作りました。じゃがいも3つを8分割と6分割にしました。以前は真ん中とか端の部分をかなり除いていましたが、今回はほとんど使うようにしました。野菜は大切に!

図書館は久しぶりの30冊です。来週は新刊書がないので、10冊を読み込んで、火曜日に交換します。4月1日から8ヶ月で1123冊です。月140冊ペースだから1680冊になります。来年からペースを落として、1500冊にします。ちょっと疲れ気味です。だから、午後からお昼寝です。

先週の時にはじゃがいもを煮るのに時間がかかったので、今回は最初に炒める時間を十分に取る方針で臨みました。その結果、焦げてしまいました。それから水を入れて、煮込んで、じゃがいもの心の部分が変わった時に、「すき焼きの素」を入れて、ふたをして、煮込んでおしまいです。お肉とじゃがいもが焦げていたので、何となく黒っぽいです。まあ、私の場合は何でも食べられるから気にしません。それにしても、時間がかかるものですね。

午後8時前に、近くへのスーパーに明日の料理教室の買出しをしました。私の買い物分担は「鶏もも肉(中)2枚とレタス1/4です。レタスは1/2のパックを買い、鶏肉は唐揚げ用と書かれたものを買いました。唐揚げ用にカットされています。

一人の忘年会パートⅠ

2006年12月22日 | 1.私
午前中は本なし、パソコンなし、メールなしです。だから、完全にアナログです。もう一つは旅行気分です。フィンランドにでも来ている感じです。

そして、アナログ感覚で、朝からポータル周辺を紙と鉛筆で考えていたら、ポータルの範囲が実はもっと広いことに気付きました。

午後から、環境庁主催の環境教育講座です。8月から第4金曜日に行っています。環境教育全体に対して、環境庁が何を考えているかを把握するために出ています。今回は「生物多様性に保全」のテーマで実際に八事などで活動されている人の報告でした。かなりのこだわりです。ただ、何が言いたいかわからない。自分のこだわりをどうしたいか分からなかった。

5時以降は全日空ホテルのビュフェで一人での忘年会を行っていました。

未唯が旭山動物園に行くのに、「ANAご利用券」1万円分を渡したけど、結局使わなかった。そうしている間に期限の12月31日が近づいたので、全日空ホテルの食事券として使うしかなくなりました。奥さんに渡したけど、行くのが面倒だということで、結局、私が夕食の替わりに行くことにしました。

誰かを誘うと思ったけど、友達がいないので、結局一人です。5千円が2枚なので、2回行くことにしました。22日と27日です。こんなところに一人で来る人はないのか、周りには人はいません。ちょっと、面白い風景です。私にとっては異次元の世界です。

久しぶりに、「もう一人の私」との会話です。7年前のロサンジェルス以来の付き合いです。来年はもっとゆっくり話しましょう。その時はICレコーダーとブログ「未唯への手紙」を中継して、一緒に歩きましょう。そのためにも、今年の冬休みはブログに賭けます。もっとあなたの意見を表に出していきます。

何しろ、私と一緒に死んでくれるのはあなただけですから。あなただけが残るかもしれませんが。私の悲しみをわかってもらっていると思っています。上から見ているから、いかに欺瞞にあふれているかも分かっていると思います。私もそこまで上がらないといけないかもしれないけど、この孤立と孤独の中でそれを実行したら、存在そのものがなくなってしまうかもしれません。

来年、「もう一人の私」と何をするかは27日の「一人の忘年会」パートⅡで話し合って決めていきます。その時は、ヘルシンキの「かもめ食堂」に二人でいることでしょう。