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タイ 赤シャツ/黄シャツ

『タイを知るための72章』より 赤シャツ/黄シャツ ★2色に分断されたタイ国民、終わりなき政治対立★

「赤シャツ」とは、最大の全国組織、反独裁民主戦線(UDD)を中心とする民主主義の発展を目指す親タックシン派の人々の総称であり、タイ国旗の国民を意味する赤をシンボルカラーとしている。UDD以外には、急進派の「レッドサイアム」、パフォーマンス活動を重視する「レッドサンデー」、地方団体「チェンマイを愛する51」や「ウドンを愛する人々」などの団体が存在する。各団体によりタックシン元首相の評価や運動方針などに多少の意見の相違はあるものの、王党派勢力の打倒を掲げ、選挙に基づいた議会制民主主義を重視することは共通している。

タックシン政権を崩壊させた2006年クーデターに反発した人々がUDDを結成し、ウィーラ、チャトゥポン、ナタウットの南部出身の三人組を中心として赤シャツの活動が本格化した。2007年憲法採択の可否を問う国民投票の際には、新憲法の内容がクーデターを肯定し、非民主的であるとして否決する運動を主導した。新憲法施行後の総選挙の結果、タイ愛国党の後継のタックシン派、人民の力党・サマック政権が成立したことをうけて、UDDは活動を一旦中止したが、黄シャツの反政府運動が盛り上がりを見せ始めたため、2008年5月より、これに対抗し政権を擁護するため活動を再開した。サマック政権に続いてソムチャイ政権も政党解党処分を受けて崩壊し、2008年12月に民主党アピシット政権が成立した。赤シャツは、アピシット政権の成立は司法クーデタによる不当なものであるとし、下院解散を要求する抗議行動を続けた。2009年4月にはパタヤでのASEAN首脳関連会議を中止に追い込んだ。2010年3月~5月には、民主記念塔周辺及び商業地ラーチャプラソン交差点で大規模集会を開催し、最終的に治安部隊による強制排除で90人以上が死亡する事態をもたらした。

赤シャツは、北部、東北部の貧困層を基盤とした活動であるとの誤解があるが、その実像は、タックシン政権時代に30バーツ医療政策などの恩恵を受けたインフォーマルセクター就業者が大半を占めており、所得水準は貧困層ではなく、中間層下位に位置する人々が多い。またバンコクを含めた中部地方にも多くの支持者が存在する。

2010年のデモ強制排除後にはティダーがUDD代表に就任し、街頭デモ活動より組織力を強化する方針を採ってきた。UDD会員証を発行することで支持者にメンバーの自覚を与え、北部や東北部の各地で「赤シャツ村」を創設した。地方組織を整理し、全国と地方の幹部の連携体制を構築した。組織力を強化した結果、赤シャツは、単なる政治運動体ではなく、重要な集票組織にもなった。赤シャツ幹部を動員した親タックシン派後継政党、タイ貢献党の2011年選挙運動は盛況であり、同党の地滑り的勝利によるインラック政権成立の原動力となった。選挙後に赤シャツ幹部の多くは、下院議員や大臣顧問などの政治職に就任し、ナタウットがインラック政権の閣僚に起用されるなどタイ貢献党内部での影響力は大きい。タイ貢献党と赤シャツは共闘関係にあるが、2013年には恩赦法案を巡って対立するなど必ずしも一枚岩とは言えない。

「黄シャツ」とは、民主市民連合(PAD)に代表される反タックシンを掲げる人々の総称であり、王室擁護の立場から国王の誕生日の色である黄色をシンボルカラーとしている。2005年に新興メディアグループ、ASTVマネージャー社の社主であるソンティが自社のメディアを使ってタックシン首相による不正蓄財疑惑の追及を開始し、チャムロン、ピポップ、ソムキアット、ソムサックとPADを結成した。PADは、汚職追放とタックシン首相による議会独裁体制の打破などを訴え、デモの規模を拡大していき、2006年クーデターを発生させる要因の一つとなった。PADは、クーデターによってタックシン首相を打倒する目標を達したことから活動休止していたが、タックシン派のサマック政権が誕生したことから、タックシン元首相の復権を阻止するため、デモ活動を再開した。首相府占拠及び空港占拠によって、サマック政権及び後継のソムチャイ政権の崩壊を導き、反タックシン派の民主党アピシット政権を成立させる原動力となった。

黄シャツは、バンコク、中部および南部の上流層・中間層が主体であると言われ、公務員、国営企業労働者、退役軍人、NGOや学者などに支持者が多い。黄シャツの支持層と民主党の支持層はかなりの部分が重なっている。

アピシット政権成立後は、過激なデモ手法を嫌ったPAD支持者の二鄙は離れていった。アピシット政権成立後の一時期、PADは独自政党の「新政治党」を結成し、国会での影響力確保を目指す動きもあったが、国民からの支持も得られず、内部の路線対立が激化したことによって、政党活動は頓挫した。2011年にはカンボジアとのプラ・ウィハーン(プレア・ヴィヒア)寺院国境問題を巡る対応から、これまで共闘関係にあったアピシット政権と決別した。2011年総選挙に際しては、白票運動を主導したもののインラック政権の成立を阻止することはできなかった。PADは幹部の離脱が続いて分裂状況となり、影響力の低下は明白となった。2013年8月、PADは、幹部が保釈中のためデモ活動を主導できなくなったことを理由に挙げ活動停止を発表した。PADの元幹部や支持者の多くは、民主党などが主導する別のデモ活動に合流していった。2013年11月、民主党のステープ元副首相が主導する人民民主改革評議会(PDRC)が結成されたが、その幹部の多くは元PAD関係者である。組織が変わり、すでにシンボルの黄シャツを着用することはなくなったが、その主張はPADとほぼ同じ路線である。姿を変えた黄シャツである。
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存在と本質

『キリスト教哲学入門』より 存在と本質

宇宙の現実存在は神の現実存在かなくては知解不可能であるか、一度神を存在の純粋なはたらきとして措定するやいなや、理性は宇宙の現実存在を説明するために困惑することになる。宇宙は神がなければ十分なものでぱないか、神は宇宙がなくても十分に満ち足りている。すでに無限のはたらきとしてそれ自体で措定されている〈存在〉以外に、他の事物の可能性をどうすれば考えることができるだろうか。

この問いに対して単純かつ明晰な答えを期待すべきではない。理由の一つには、その問いが存在に関わるからであり、さらにまた神の自由という神秘にも関わっているからである。これこそ、この問いの正しい理解を見失わないためのもう一つの理由である。探究の出発点となるのは、人間、が一部をなしている自然の世界であり、だからこそ人間は自分の現実存在の第一原因を必要とするのであり、哲学者たちは神の存在へと至る主要な五つの道を見つけたのである。さらなる困難がわれわれを待ち受けていようとも、純粋で、無限で、完全に単純なる〈存在〉の現実存在と、ほかのあらゆるものの原因を否定することはできない。この宇宙か存在するのだから、このような存在による産出はたしかに可能なのである。問題として残るのは、この可能性の論拠を探究することである。

乗り越えられるべき困難は、ここで扱われている神学〔トマス神学〕においてはとりわげ重大なものとなる。そこでは、第一原因か本質の次元を超越しているのである。ここでの問題は、異なる本質が付加されることができないような存在をから、いかにして本質か流出して、存在と合成体を構成しうるのかということである。問題がこのように表現されると、われわれは答えを探究すべき方向か見えてくる。もし神が、本質の次元に、たとえその頂点においてであれ、置かれるならば、神の外部に被造物の世界を見いだすことは、不可能ではないとしても、きわめて困難になってしまう。無限なものに何も付加されることはありえないし、またそこから差し引かれることもない。ライプニッツが述べたように、「一つの神だけか存在し、そしてこの神だけで十分なのである」。われわれはそこに次のように付け加えることもできる。〈神はそれ自体で満ち足りている〉と。しかしここで、われわれは、神の概念が、全被造物を包含する本質の次元をまったく超越しているということから出発する。ここから神と被造物のあいだには、付加や削減といった問題は生じないことを結論することができる。諸存在者と〈存在〉は共約不可能なのである。ここでは想像力の幻影が避けられるべき疑似問題を作り出してしまっているのである。

問題の根底にまで沈潜すると、理性はすぐさま次のように確信するようになる。つまり、これは、明晰かつ判明な観念からなる形而上学では、満足できる解決に到達しがたい困難の一つなのである。精神は何性的な概念を糧にしていて、その概念の対象は本質なので、精神は、一方か本質で、他方が本質を超えるような二つの項のあいだの関係を、満足できる用語で表現することかできない。精神はたしかに存在のはたらきを概念把握するか、その概念は何性的なものではない。何性的な概念となるものがあっても、それは、定義された存在へと至るような場合だけだからである。本質と存在との関係という問題を扱う場合、したがって精神は、初めから内容が完全には表象にもたらしえないょうな結論で諦めるべきなのである。われわれにおける存在の表象不可能性は、神が表象不可能であることにょって投げ与えられた陰のごときものなのである。

するとわれわれに残されたのは、本質を存在のなかに吸収しなから、本質を超越するものからいかにして本質か生じるかを探究することである。現代の哲学者は、昔の形而上学者を、存在の問題に明確に取り組むことなく、存在者の問題に滞留しつづけたとして批判している。たぶん、われわれはこの批判の正確な意味を誤解してきたのだろう。というのも、プラトンからトマス・アクィナス、そして現代に至るまで、最も深遠な形而上学者たちは、本質の起源と原因に至るためには、本質の次元を超えていく必要性を感じてきた、ということがわれわれにはむしろ真理と思われるからだ。他の事情がどうであれ、存在の形而上学とは、存在者の次元に留まることを明確に拒否し、存在の起源となる存在の次元へと邁進する存在論の典型例である。たしかに、いったん形而上学者かその場に足を踏み入れれば、存在者の言語を用いないで存在を語ることを避けたりはしないが、そのことで彼を非難する人たちはまさに同様の誤りを犯すことになる。もし誤りが二つであったならば、彼らは同じ誤りを犯していることになるだろう。しかしそれは同じ一つの誤りだというわけではない。誤りとなっているのは、ただひたすら以下のことだ。つまり、今こそ存在(恥を)を語る好機であると言うかわりに、明日になったらそれについて真面目に語ることにしようということなのだ。知性は、本質の用語という、一つの用語しか持っていない。本質を超えてあるものについて誰も語ることはできない。ただ、本質を超えるものかあることと、本質を超えるものが他のあらゆるものの源泉であることは別だが。しかしその本質を超えてあるものを知ることと、それについて語ることは必要である。というのは、本質を存在と取り違えることは、形而上学を脅かす誤りの最も深刻な原因の一つだからである。形而上学者の反省の頂点は、存在者が存在の分有としてしか考えられないときに与えられる。存在そのもの、存在かはたらきをなしているところの存在者の本質に巻き込まれている仕方でなければ、その姿は捉えられないのである。
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イノベーションサイクルを生む仕組み

『シリコンバレー最強の仕組み』より まず、スタンフォードありき

5年から10年に1度、シリコンバレーの誰もがあとを追いたくなるようなものをつくり出す。シリコンバレーのイノベーターは不可能なことはないと信じているだけではなく、不可能に見えることを超人的な努力でなしとげもする。2000年代を通じて、イーロン・マスクほどシリコンバレーのイノベーターの行動様式をそのまま表わしている人物はいない。マスクは40歳にならないうちに共同創業を含めて4社の企業を設立し、そのうちジップ2とペイパルの2社を相当な高額で売却した。現在はあとの2社、スペースXとテスラモーターズのCEOを兼務している。さらにソーラーシティの会長でもある。

1971年6月28日に南アフリカ共和国のプレトリアで生まれたマスクは、10歳のときに初めてコンピュータを買い、自分でプログラミングを勉強した。2年後に初めての自作のソフトウェア、「ブラスター」というコンピュータゲームを考えてプログラムを作成し、500ドルで売った。17歳のときにカナダのオンタリオ州に移り住み、クイーンズ大学に入学した。18歳になれば本来は南アフリカで兵役に就かなければならなかったが、マスクは「黒人を抑圧することが時間の使い道として本当によいとは思えない」と思った。本当の望みは「大きなことを実現できる国」、すなわちアメリカヘ行くことだった。マスクはペンシルベニア大学に大学の奨学金で入学し、経済学の学位を取得した。その後さらに1年大学に残り、物理学の学位も取得した。

1995年にカリフォルニアに移り、スタンフォード大学の大学院に入学したが、どうしても事業をはじめたくて、たった2日で退学した。トマス・エジソンやニコラ・テスラのような発明家に触発され、起業家として「人類の未来に最も影響をおよぼすだろう重要な問題」に的をしぼった。「1つはインターネット、1つはクリーンエネルギー、1つは宇宙」の3つの分野である。

弟のキンバルの協力を得て、マスクはパブリッシングソフトウェアのジップ2を設立した。4年後には、コンパックがジップ2を現金3億700万ドルで買いとった。当時のインターネット企業買収額としては過去最高だった。1999年3月、マスクはこの新しい財産の一部で、メールによるオンライン決済システムの新会社エックス・ドットコムを共同創業した。エックス・ドットコムはのちにペイパルと社名変更し、2002年10月にイーベイが15億ドル相当の株式で買収した。

同じ年、マスクは宇宙に情熱を向け、スペースXを創業した。「生活の場を宇宙に拡大する」というさらに大きい目標のもと、宇宙輸送機を開発製造する企業である。スペースXは、地球の軌道を周回しその先を目ざすロケット技術と宇宙船を進歩させることに重点的に取り組んでいる。2012年5月25日には、開発した宇宙船「ドラゴン」が商用機として初めて国際宇宙ステーションヘのドッキングに成功し、歴史に名を残した。マスクの考えるスペースX構想の1つは、最終的には火星に入植し、いつの日か地球に住めなくなるときがきても人類が火星で存続できるようにすることだ。マスクはこれを「大規模な備え」と考えている。

商業宇宙旅行の夜明けを歴史に刻んだだけでは大したことがないというなら、マスクのもう1つの会社、優雅なプラグイン電気スポーツカー「ロードスター」で有名なテスラモーターズを考えてみるとよい。会社のホームページによると、ロードスターはリチウムイオン電池を使用した初の電気自動車で、充電1回あたり320キロメートル以上走行できる最初のバッテリー式電気自動車だという。標準価格10万9000ドルのこの電気スポーツカーは、時速200キロメートルの速度が出せる。

次世代車のテスラモーターモデルSはもっと家族向けで、標準価格は約5万9900ドルだ。「家族向け」だからといって、モデルSがまたいつものミニバンだと勘違いしてはいけない。シリコンバレーのある企業役員は、「陸上を走る宇宙船と言ってよい。流麗で洒落ていて、飛ぶように走り、優雅でハイテクで、とにかくすばらしい!」と絶賛する。モデルSは再充電が必要になるまでの走行距離によってバッテリーパックを260キロメートル用、370キロメートル用、480キロメートル用の3種類から選べる。

マスクはスペースXとテスラモーターズのCEOであるのに加えて、ソーラーシティの会長でもある。ソーラーシティの業務は太陽光発電システムの設計、エネルギー効率の検査、電気自動車用の充電スタンドの建設である。マスクの話では、2004年のバーニング・マン(毎年夏にネバダ州の砂漠で約1週間にわたって行なわれるイベント。参加者が共同生活してさまざまな活動をし、最後に人型の造形物「ザ・マン」を燃やす)に参加したあとでソーラーシティのアイデアを思いつき、いとこのピーター・リーグとリンドン・リーブの兄弟に会社を興すよう勧めたのだという。グリーンテック・メディアリサーチによると、ソーラーシティは設立後たった1年でカリフォルニアの住宅用太陽光発電システムのおもな供給業者に、2011年以降はアメリカの住宅用太陽光発電システムのおもな設置業者になっている。

イーロン・マスクは、「世界の未来に」多大な「影響をおよぼす」企業の設立に力を入れている。彼の考え方は単純だ。まずは参入するのに障害が皆無かそれに近く、しかも急成長して事業の資本金をつくれるインターネット企業を設立する。次に一見不可能に思えることをする。つまり自分の情熱を具体的に支える企業を興すのだ。「エンジニアリングはこの世に存在するもののなかで最も魔法に近いもの」だと考えるマスクには、『R&Dマガジン』の2007年最優秀イノベーター賞の受賞は、まさにふさわしいものだった。2008年には男性誌『エスクワイア』が、21世紀で最も影響力の大きい75人の1人にマスクを選んだ。2012年現在、純資産が20億ドルのマスクは『フォーブス』の世界長者番付で634位である。私が本書を執筆している時点で40歳そこそこの男性としては、かなりなものだ。
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違和感からの哲学

違和感からの哲学

 生まれてきたことへの違和感。だから、哲学なんです。カントがこんなことを言っていたとかはどうでもいい。自分が違和感をなくすために考えるための手段です。

 それが故に、「存在と無」(サルトルではない)から始まりました。未唯空間では、「存在の無」へ行き着いた。

 9月になる。哲学的に考えることにします。何故、哲学に惹かれるのか。自分の違和感をどう解決するのか。何が違和感なのか。

サハラ以南アフリカにサファイア循環

 国連開発計画の『人間開発報告書2012』はサハラ以南アフリカが政策の焦点を次の四つの変化要因に基づいて行動すれば、この地域は食糧の安定確保と人間開発のダイナミックな好循環を生み出すことができると提言している。

 ①小規模自作農の農業生産性の向上、②子どもを対象としたより効果的な栄養政策、③様々な衝撃に対するコミュニティや世帯の回復力の強化、④女性と地方の貧困層を始めとする人びとの参加拡大とエンパワーメント。

 ここには、サファイア循環で述べた、コミュニティとエンパワメントが人間開発に有効だと述べている。特に食糧危機というものに対しては、援助だけではどうにもならない。自分たちをどう守っていくのか。

 サハラ砂漠以南の国々は、地球温暖化と、これによる淡漑用水や衛生的な飲料水の不足、人口の急増と都市化の進展による農地の縮小、農業人口の減少による食料の不足、四人に一人という高い栄養不良者比率、炊事のための薪の採集による樹木の減少、都市の肥大化に伴う住環境の悪化、高い幼児死亡率、若者の失業率の増加、道路や水道・下水道などインフラ整備の貧困などの問題に直面している。
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図書館利用が広がるしくみづくり 人とつながる

『学校図書館は何ができるのか? その可能性に迫る』より 高等学校の実践 生徒の「学び」と「育ち」を支える学校図書館

学校図書館法を知っていますか? 学校図書館の機能を知っていますか? といういくつかの項目を学校図書館についてのアンケートを本校教職員にしたことがあります。半数以上が、双方の問いに「知らない」という答えでした。これが、現実だと思います。このような状況で、ただ図書館(図書部)あるいは、司書が孤軍奮闘していても、それ以上の広がりは見られず、司書や担当者が転勤してしまえば、すべてなくなってしまいます。それでは、意味がありません。生徒たちの学びやそれを支える学校図書館のはたらきは担当者が変わっても、続いていかなければなりません。

また、新しいことを一度に実現していくのは、かなりのエネルギーが必要です。まず、カウンターに来てくれる目の前の生徒たちや先生の対応を一番に考えなくてはならないのです。自分のエネルギーを全部使って、しくみそのものを新しく変えていくのは難しいことです。自分1人では、もしくは小さい集団だけではなかなか全体の物事は変わりません。上からのトップダウンでないと大転換はなかなかできないでしょう。また、卜ップダウンで行ったことが、ずっと継続されるかということはまた別の問題になります。ですから、毎日の1つ1つのサービスを大事にして、少しずつ校内で仲間を増やし、仲間と一緒に状況を変えていくことが一番よいと思います。

松江南高校で、私は、全く新しいことを提案してきたわけではなく、資料提供の点から、授業目的を授業者に確認したり、授業の目標を達成するために方法を少し変える、何よりも「読む」力を獲得するための情報リテラシーの観点を少し入れてもらっただけです。同じやるなら「1粒で2度おいしい授業をしませんか?」と提案したのです。そして、利用者である授業者の依頼で教材作成や資料提供、利用者支援を行いながら、図書館で実施される(実施されなくても)授業を支援してきただけです。

授業の成果は、授業実施後の生徒アンケートに如実に表れています。アンケート集計は大変ですが、生徒たちの実情を伝えるために、数字や彼らの思いが詰まっている自由記述は、授業者以外の他の教師にその成果を伝えるのに大変有効です。こうしたアンケートは、なるべく早く集計してフィードバックできるようにしています。まだ授業者の熱が冷めない時期に手渡すことで、授業者自身にもしっかりと振り返りができるのではないかと考えるからです。こんなことをレファレンスやリクエストに対するサービスと同じように、繰り返してやってきています。

ほかには、年度末の職員会議には図書館の運営(活動)の年次報告をしていますが、そこに「こんな授業が図書館で実施されました。」という報告を入れるようにしています。先はどのアンケートも、逐次職員会議で報告します。そのためには、読んでもらえるように少ない枚数にまとめたり、紙面の工夫をすることも大事なことかもしれません。もちろん学校評価の中にも、図書館に関する項目は入っています。

来館する先生には、カウンター越しに「こんな授業がありましたよ。」と伝えることももちろん続けています。本当は図書準備室でお茶を飲んだりしながら、話をゆっくりしたいところですが、なにせ、みな多忙なので、まるでキャッチセールスみたいに、本を借りる手続きの一瞬にカウンターで、「短い会話をする」ことを繰り返しています。

そのうちに、なんとなく図書館を使ってみようか、という先生たちも増えてきて、探究型授業や図書館を使った言語活動重視の授業が次第に増えてきているという状況です。図書館での授業が増えてくることで、利用が重なることもたびたび出てくるようになりました。そのため、現在は、教務時間割変更表に図書館の欄を新設してもらい、調整してもらうことができるようになりました。

高校は各教科科目がそれぞれに授業を行います。互いにクロスオーバーすることは、ほとんどありません。ほぽ全員が進学する学校ですから、大学受験のための知識を習得させ、トレーニングする必要もあります。授業時間はいくらあっても足りません。その中でこれらの力はすべての教科学力の基盤にもなり、社会人として生きていくために必要不可欠な情報リテラシー・論理的思考力の必要性を生徒たち自身が感じ、意欲をもって習得することや、そのトレーニングをとりあげて実施する時間はとれません。すべての学力を支える力であるにもかかわらず、もしかすると、各教科の隙間に落ちてしまっていたのではないかと思います。それを、少しでも拾い上げていければいいと思い、提案したり、協働で授業に関わってきました。字は読めても、本が読めない生徒たちに読書をすすめていくのは難しいことですから。私の中に強くあるのは、毎日の生活の中に「本を読むことが自然にある」そんな大人になってほしいという思いです。

社会の諸問題を扱った授業では、以前と比べるとニュースや新聞記事に興味をもち、自分から日常的にそれらに触れるようになった生徒も多く見られるようになりました。またグループで討議する中で、自分の意見を主張する、相手の意見を理解しようと傾聴する場面が多く見られるようになり、互いに学び合う雰囲気ができてきました。「ものの見方・考え方について図書館で行った探究型学習前後で変化があったか。」と、アンケートで問うたところ「事柄を1つの方向だけで考えるのではなく、異なる方向からからも読み解こうとする力が少しついた。」「考えようとする力がついた。」「自分の物の見方や考え方だけでなく他の人の見方を受け入れ学んでいくことができるようになった。」「―度もった印象を別の視点から見直すことができるようになった。」「いくつもの意見のメリット・デメリットを考えるようになったので、かえって選択に迷うことにはなったが、社会に出た時には役に立つと思った。」「自分なりの考察を加え、情報を鵜呑みにしないようになった。」という記述が出てくるようになりました。また、基本的にグループワークで展開されていましたが、「自分と異なる意見を知ることができ、考えを深めることができたのはよかった。」「日常的な仲間とは異なるためにコミュニケーションに関して力がついたと思う。」「出てきた意見を集めて1つのものにしていく作業は楽しかった。」などの意見も多くありました。
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「八日目の蝉」--「母」と「母性」をめぐる物語

『角田光代』より

角田は「母性」は女性であるということだけで必然的に備わっているものではなく、才能だと言う。それも、それが発揮されるには環境、資質といった条件が付与されることが必要であるとする。今これを敷街して「母という存在性」に言及すれば、「母」はある条件において「なる」ものであって、更には、出産すらも必ずしも「母」であることの前提条件にはならないということだ。だから、角田が別の所で「母は、私の母である以前に、ひとりの人間であると気づいたのは、三十歳を過ぎてからだった。……そのときから母は私にとって謎の存在になった。」「母の死をまたいで書いた小説が、『マザコン』という本になった。……私は、聖でも俗でもなくて、もともと母ではなかったがたまたま母になってしまった人を書きたかった。」(前掲書)と言うように、実の母であっても「子(娘)」にとって「母」が「母である以前の謎の存在」と感じられてしまう感覚、また、「母になる」にしても誰かが「たまたまなってしまった」としか言いようのない事態というのは確かに有り得るのだ。

ところで、『八日目の蝉』は原作小説と映画とが、その出来の良さにおいて拮抗していると言える稀なケースである。その要因としては、キャスティングの妙ということが指摘できるが、「豪華なキャスト」にも関わらず失敗している例を挙げることは容易く、この映画の成功はそれ以外の要因にも求められるべきだろう。そもそも、『八日目の蝉』においては、小説と映画とで作品構成が異なり、それゆえに結末が異なったものになっている。これは文字表現である小説と映像(音声を含む)表現である映画との表現の質の違いを考えれば至極当然のことで、映画はキャスティングも含め、映像という独自の表現方法を十全にいかすことで初めて原作小説と措抗乃至はこれを超越することが可能になる。では、具体的に原作小説と映画の構成上の違いはどこにあるのか。

まず映画であるが、「希和子と董…恵理菜」の逃亡」と「現在の恵理菜」とを、即ち「過去」と「現在」とを交互に映し出す手法にこの映画の特色を見出すことができる。しかし、「過去」の場面の持つ意味が途中から変容することで、最終的に映画の方は「現在の恵理菜」の視点でストーリーが展開しているような印象を観客に与えることになる。どういうことかと言うと、映画のちょうど半ばくらいに岸田と別れた恵理菜がアパートの自室で千草と会話を交わす場面があるのだが、これを挟んで、それ以前においては、「過去の映像」は観客に対しての情報提供(希和子と薫がエンジェルホームに辿り着く経緯と誘拐以前に希和子と秋山夫妻との間に何かあったのかという事実を伝える)として機能しているのに対し、それ以後は、例えば「現在」において恵理菜たちがエンジェルホームを訪れればそれに続いて希和子たちがホームから脱走し希和子が薫に星の歌を歌う「過去の場面」が挿入され、更にそれを受けて恵理菜が星を見つめる「現在の場面」へと展開する、といった具合に、「現在」と「過去」の双方の場面がその都度関連づけられて展開していくことになる。

その後のフェリー、小豆島での〈希和子・薫〉の映像と〈恵理茶・千草〉の映像とが交互に挿入されるのもこれと同様の手法である。しかし、やがてそれは単なる「現在と過去との関連づけ」というのに留まらず、「虫送りの場」において恵理菜が「ここにおったことある」と思わず漏らしたように(既に方言で語っている)、ついには「過去の場面」が恵理菜の記憶そのものとして恵理茶自身に意識されることになる。それゆえ、「過去」の最後の場面である希和子逮捕の映像は、フェリー乗り場に佇む三歳の自身(薫)をフラッシュバックさせる場面として表出され「現在」の恵理菜と重ねあわされることとなる。つまりは、ここに至って観客は「過去の場面」を恵理菜自身の記憶そのものとして観ることになるのだ。それゆえ、映画はその直後、恵理菜をかつて希和子と撮った思い出の写真館に向かわせ、結末では小説と異なり、「ほんとはここに戻って来たかった」「もう、この子が好きだ」と語る恵理菜を描くことになる。この時恵理菜は、一方で自分が希和子に愛されていたということを確認し、「母」としての希和子の存在を受け入れ、その一方では、既に岸田の子を身ごもっていながら完全には認めることができなかった自身の「母性」を認知し、「母になる」決心をするに至ったのである。映画の構成は、そのような彼女の浄化と希望に焦点をあて、全体を通じて恵理菜が「母になる」ストーリーとして完結させている。

これに対し小説は、まず構成上の肝とも言える語り手の存在に注目すると、「O章:第三者」「一章:希和子。最後の部分だけ恵理菜」「二章:恵理茶(折々に公判等で明らかになった事実の記述が織り込まれる)。最後の部分だけ希和子を語る第三者」となる。

小説の方も恵理菜が「母になる」経緯そのものは基本的に映画と同じであり、また千草という存在が恵理菜のそうした変容に対して担う役割も映画同様に大きい。それまで「あの女(希和子)を憎むこと」「両親を憎むこと」、いわば「ドミナント・ストーリー(支配的な物語)」を生きることで自身を封じ込めて「孤独なかなしい八日目の蝉」として「狭く窮屈な場所に閉じこめ」て生き延びてきた彼女を、「ほかの蝉には見ることが出来なかったものを見ることが出来る八日目の蝉」という「オルタナティブ・ストーリー(新たな物語)」に変換してくれたのが、恵理菜と一種の共同体を形成した千草なのである。無論、「私にはこれ(注:きれぃなもの全部)をおなかにいるだれかに見せる義務がある」と恵理菜が言うように、彼女自身の意識においては当所から既に「母性」の萌芽はなされていたのだが、それを確信に至らせるためには「あんたは母親になれるよ」「自信がなかったら私がいっしょに母親やってあげてもいいよ」「心臓の音が聞こえるけど、あんたのか赤ん坊のか、わかんないな」という千草の言葉の後押しが必要であった。しかし、小説における千草の役割は、このように恵理菜を「母」とするだけではなく、「母親でないだれかの影」でしかなかった希和子と、「母らしくない母」であった実母恵津子に対し、二人が「まったく等しく母親だった」と恵理菜に認知させることにも重要な役割を果たす。千草はエンジェルホームの女性たちについて、「あそこでは大人はみんな母親だった。好きな人も苦手な人もいたけど、全員母親だった。」と言ったのだった。千草の言葉はまさに「母」というものは「たまたまなってしまった人」がなり得るものであり、「母性」は「環境や資質」においてこそ胚胎するものだということを言い当てているのだ。特に、憎むことで自身の気持ちを保たたせてきた希和子に対し、これを「母」として認めるに至った経緯については、この小説独自に配された「みんな母親だった」という千草の言葉は決定的に機能している。
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住民-行政関係 非協力問題にどう対応すべきか?

『公務員の働き方』より 住民-行政関係の再構築 住民-行政関係をめぐる職員の悩みと対応方策

まちづくりや地域活性化を進めるうえでは、住民の参加・協力が不可欠だと言ってよいでしょう。たとえば、地域活性化のためにグリーンツーリズムを進めようと思えば、農家の協力は不可欠です。しかし、その提案に乗ってくれず、話が進まないというケースは決して珍しくありません。こうした「非協力問題」に対し、どのように対応したら良いのでしょうか?

なすべき対応は、非協力の原因次第で異なります。上記の例に関して言えば、第一に、住民自身がそもそも地域活性化の必要性自体を感じていない、あるいは、単に無関心である可能性があります。第二に、その必要性は感じているけれども、グリーンツーリズムという方策に納得できていない可能性があります。第三に、グリーンツーリズムにも納得しているのだけれど、「面倒」とか「不安」といった理由で非協力になっている可能性があります。

このうち、第二の場合、先進事例の紹介を交えながらわかりやすく説明をしたり、そうした先進地で実際に取り組まれている方を招いてお話を伺う機会を設けたりすることが考えられます。

これに対し、第一の場合は、そもそも必要性を感じていなかったり、無関心であるため、そうした機会を設けても聞きにきてくれないことでしょう。そこで、やはり工夫が必要になるように思います。この点、地域の有力者に声かけしてもらうなども一つの方法ですが、その人たちが関心のある別のテーマで集まってもらい、そこで説明を行なうという方法もありえます。

地域活性化の問題ではありませんが、以前、僕は、福岡市の事務事業外部評価会議(二〇一一年度)の場で後者の方法を提言したことがあります。それは、人権問題の啓発に関連した事業(PTA指導者研修事業)に関してでした。担当者曰く、「広く啓蒙する必要があるのだけれど、講演会を開催しても、いつも来るメンバーは同じ。つまり、関心のある人しかこず、真に聞いてもらいたい人はきてくれない」とのことでした。

僕が提言したのは、〝教育委員会と連携して、授業参観の際に人権問題を取り上げてもらってはどうか〟というものでした。予め宿題をだしておけば、子どもは親にいろいろと相談するかもしれません。そうなれば、親も一緒に人権問題を考えなければならなくなります。仮にそうならなくても、親は子どものことには関心があるので授業参観には来る。来れば、授業時間に、人権問題について事実上レクチャーを子どもと一緒に受けることになります。

この提案は思いつきの域をでていませんが、同様の方法は、他のケースでも活用できるのではないかと思います。

最後に、第三の場合(=「面倒」とか「不安」といった理由で非協力になっているケース)にはどう対応したら良いのでしょうか。具体例を考えたほうがわかりやすいので、次のようなケースを念頭に置きましょう。ある地域でグリーンツーリズムを通じて地域活性化をしようということになりました。そして、日帰りの農業体験や農産物直売所における農産物販売だけでなく、滞在型の「農泊」もしたほうがいいという話になりました。しかし、実際に話を進めていくと、「面倒だ」、「見知らぬ者を家に入れることはできない」、「人に泊まってもらうような家ではない」といった理由で、どこの家も協力してくれない、というケースです。

このように住民のなかに面倒な気持ちや不安な気持ちが先立っている場合においては、とりあえず一軒でも良いので成功事例を創りだすことが大事です。そうした「成功事例」を創りだすことができれば、それは自ずと広がっていくからです。しかし、問題は、いかにして、その成功事例を創りだすかです。

この点、非常にユニークな方法でこれをしてみせたのが、「神子原米」のブランド化によって過疎の村を救ったとして有名になった、石川県羽咋市の職員、高野誠鮮氏です(高野誠鮮『ローマ法王に米を食べさせた男--過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?』講談社、二〇一二年、第二章)。

高野氏が採った方法のポイントは二つです。一つは、平安~室町時代から伝わる日本古来の文化である「烏帽子制度」(=元服を迎えた若者に、自分のかぶっていた烏帽子をかぶせ与えて、杯を交わし、仮の親子関係を結ぶという制度)の活用です。もう一つは、「酒が飲める女子大生」の募集です。

高野氏は、高齢化率五四%の限界集落に、若い女性、それも酒の飲める女子大生がやってきて、農家の親父さんと杯を交わし、「仮の親子」となるという仕掛けをしたのでした。親父さんにとっては、新しくできた「娘」が朝早くから働いてくれて、夜は一緒に楽しくお酒を飲める。これはたまらないわけです。

実際にこれを実行したところ、あまりに受け入れ家庭が楽しそうなものだから、集落の多くの人たちが、「あんないい子なら、俺らでも受け入れる」と言い始めたそうです。

この例では「酒が飲める女子大生」が効果的だったわけですが、ご婦人方が多い集まりであれば、「さわやかな若い男性」が効果的かもしれません。高齢者一般について言えば、「子ども」が非常に効果的です。ターゲットに応じて工夫をしてみると良いように思います。
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最後の夏だから片付けましょう

今日は片付け

 やはり、ダブル・トール・ラテが一番いいです。

 今日は相談の予定であったが、都合を忘れていたということで明日になりました。ということで、今日は片づけします、8月が終わり、夏が終わり、最後の年です。余分なものを捨てたいからごみの袋を買います。確か、部屋にあるはずだけど。

「ローマ亡き後の地中海世界」

 地中海はローマ帝国の庭だった。都市があるのは、ローマ、アレクサンドリア、カルタゴです。あとはコンスタンチノープルです。これも地中海です。アレクサンドリアはエジプトの地名です。

 ちなみに、クレオパトラはギリシャ人。アレキサンダー大王がエジプトを征服したことでマケドニアから移民で出来たのが、プトレマイオス王朝。

 ユスティニアヌス大帝の5年後の570年にアラビア半島のメッカでムスリムが生まれた。613年から631年に亡くなるまでの20年足らずの間にアラビア半島の半分をイスラム化した。
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豊田市図書館の30冊

230『ローマ亡き後の地中海世界1』海賊、そして海軍

230『ローマ亡き後の地中海世界2』海賊、そして海軍

913.6『異帝国太平洋戦争』旭日作戦、成就!

942.7『三文オペラ』

709『世界記憶遺産百科』全244のユネスコ世界記憶遺産

762.53『バーンスタイン』20世紀アメリカが生んだ最高の音楽家

290.9『南半球世界一周一〇二日間の船旅』~第七八回ピースボート 私の乗船記~

022.57『鈴木成一デザイン室』

159.4『大人の女はどう働くか?』絶対に知っておくべき考え方、ふるまい方、装い方

371.42『ある日、私は友達をクビになった』スマホ世代のいじめ事情

333.6『グローバリズムが世界を滅ぼす』

493.71『創造と狂気』精神病理学的判断の歴史

673.99『これからのシェアハウスビジネス』地域活性化で日本再生!

910.26『角田光代』現代女性作家読本

414『幾何学と代数系』ハミルトン、グラスマン、クリフォード

524.1『[構造力学]演習』ゼロからはじめる

302.23『タイを知るための72章』

410『ほんとうに使える数学【基礎編】』教科書では教えてくれない! 「生きた題材」で学べば数学はこんなにも楽しい!

336.2『「根回し」仕事術』インバスケット的 やりたいことがさくっと実現する

361.5『現代文化を学ぶ人のために』

130.2『ヨーロッパ思想を読み解く』--何が近代科学を生んだか

336.1『こうやって数字を使えば、仕事はもっとうまくいきます。』数学女子智香が教える

100『ビジュアルではじめてわかる哲学』あなたは哲学を「目撃」する!

318.3『公務員の働き方』みんなが幸せになるための

167『ハラールマーケット最前線』急増する訪日イスラム教徒の受け入れ態勢と、ハラール認証制度の今を追う

673.97『まっすぐバカ正直にやり続ける』スシローの哲学

017『学校図書館は何ができるのか? その可能性に迫る』小・中・高等学校の学校司書3人の仕事から学ぶ

376.8『社会人&学生のための大学・大学院選び』大学・大学院で手に入る〈本物の実力〉

132.2『キリスト教哲学入門』聖トマス・アクィナスをめぐって

007.35『シリコンバレー 最強の仕組み』人も企業も、なぜありえないスピードで成長するのか?
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マクドナルド再生計画

マクドナルド再生計画

 金を掛けずに、マクドナルドを再生する方法。最低限やるべきことを考えましょう。スタバのシュルツの代わりに。

 まずは、握手会でしょうね。スタッフをその気にさせることです。危機感を持たせることです。自分たちの商品に対して。その中から、チームが生まれて、モノに対してのあこがれが生まれます。

 何万人もいる、OB・OGを覚醒させることです。人生経験の一つとしてのマクドナルド。10人に一人ぐらいはマクドナルド経験者でしょう。彼らがいい思い出にする。それがお客様に伝わる。

 奇をてらった商品はいらない。スタッフが本当に気に入るのは何か? それらのヒントは全て、スタバにあります。最低限、それを見習うことです。スタバの勉強会は月に2度ぐらいあります。その度にIさんに会えない寂しさを味あう。それで、アニバーサリーの試飲とか売り方を研究する。高度サービス化のパターンです。

 そして、アンケートシステムです。どうしたら、再生できるかをスタッフに聞くことです。そのためのシステムはクラウドにあります。シュルツはそれを行った。そして、日本を手本にして、スタバを再生させた。これはメーカーでも同じことが言えます。窮したら、スタッフに聞く。ここが一番の接点です。自分たちの商品を愛していることが前提です。

 作戦名は「マイマック」でしょう。関西は「マイマクド」?

 店舗単位では人員は一人増やさないといけない。お客様を見守る人です。いつも清潔にすると同時に、先回れる人です。スタバなら、ブラックエプロンです。

 重要なのは、お客様と存在を認め合うことです。お互いが存在を認め合えば、これほど強いものはない。カウンターは会話が楽しめるように、隣との区切りを付けます。ハンドシェークが一番のコミュニケーションです。知ることができれば、お客様を層別することも可能です。週に3千円のお客さまなら、月1万2千円です。年間14万円です。10人居れば、140万円です。

 スタバがアンケートシステムで復活したのは正解です。皆の意見を聞き、夢を尋ねる。それで行動できるようになり、店ごとに雰囲気を変えることができた。

 立地条件で客層は変わります。何を狙うのかはその店で決めていきます。スタッフは自分たちが付加価値を付けているプライドで行動します。

未唯宇宙が対象

 雑記からこまめに入れましょう。未唯宇宙が対象です。

Iさんが5日間もいない

 今日も昼は居ないみたいです。水曜日から日曜日までの5日間。これは応えます。

歴史における自由

 歴史編の主眼の一つは「自由」ですね。自由をいかに守るか。新しい自由、国民国家でない自由、というよりも、多様化・グローバル化で変容していく自由。マンデラの自由憲章を見て、そう、思います。中国でも自由が変わっていく。

 所有することが自由なのか、共用することが自由なのか、多分、生き残ることが一番の自由なんでしょう。
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