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Googleのない世界

『街場の読書論』より

中国政府の検閲の停止を求める交渉が決裂して、Googleが中国から撤退することになった。

香港経由で検閲なしのサービスを開始するが、すでに香港版サイトには中国本土からの接続が困難になっている。接続者の殺到によるものか、中国政府の妨害かはまだわかっていない。

「Googleがない世界)に中国が取り残された場合、それがこれからあとの中国における「知的イノヴェーション」にどれほどのダメージを与えることになるのか、今の段階で予測することはむずかしい。だが、この「事件」によって中国経済の「クラッシュ」は私が予想しているより前倒しになる可能性が高くなったと私は思っている。

中国の経済成長はいずれ停滞する。

それは不可避である。

これまで右肩上がりの経済成長を永遠に続けた国は存在しない以上、中国の成長もいずれ止まる。その成長をブロックする主因は、「知的イノヴェーション」の重要性を見誤ったことにある。

中国の危機は「著作権」についての施策において予兆的に示されている。

ご存じのようにかの国においては他国民の著作物の「海賊版」が市場に流通しており、コピーライトに対する遵法意識はきわめて低い。それによって、現在のところ中国国民は廉価で、クオリティの高い作品を享受できている。

国際的な協定を守らないことによって、短期的には中国は利益を得ている。

けれども、この協定違反による短期的な利益確保は、長期的には思いがけない国家的損失をもたらすことになると私は思う。

それは「オリジネイターに対する敬意は不要」という考え方が中国国民に根付いてしまったことである。

誰が創造したものであろうと、それを享受する側はオリジネイターに対して感謝する必要も対価を支払う必要もない。黙って、コピーしてそれを売って金儲けするのは「こっち」の自由だ。国民の多くがそういう考え方をする社会では「オリジナルなアイディア」をもつことそれ自体の動機づけが損なわれる。論理的には当然のことである。

「新しいもの」を人に先んじて発明発見した場合でも、それはエピゴーネンや剽窃者によってたちまちむさぼり食われ、何の報奨も与えられない。それが「ふっう」だという社会においては、「オリジナルなアイディア」を生み出し、育てようという「意欲」そのものが枯死する。

みんなが「誰かのオリジナル」の出現を待つだけで、身銭を切って「オリジナル」を創り出すことを怠るような社会は、いずれ「そこにゆかなければ『ほんもの』に出会えないもの」が何もない社会になる。

「オリジネイターに対する敬意」をもたない社会では、学術的にも芸術的にも、その語の厳密な意味における「イノヴェーション」は起こらない。

イノヴェーティヴな人々はもちろんどこでも生まれるけれど、彼らは「中国にいても仕方かない」と考えるからである。だって、彼らのイノヴェーティヴな才能の創造した作品は、公開されたとたんに剽窃者に貪り喰われてしまうからである。彼らはうんざりして、オリジナリティに対する十分な敬意と報酬が約束される社会に出て行ってしまう。

中国は欧米先進国のテクノロジー水準に「キャッチアップ」する過程で、緊急避難的に「オリジネイターに対する敬意」を不要とみなした。百歩譲って、そのことは「緊急避難」的には合理的な選択だったと言ってもいいかもしれない。

けれども、それは社会生活の質がある程度のレペルに達したところで公的に放棄されなければならない過渡的措置である。中国政府はどこかの時点で、この「過渡的措置」を公式に放棄し、人間の創造性に対する敬意を改めて表する機会をとらえるべきだったと思う。

けれども、中国政府はすでにそのタイミングを逸した。

創造的才能を「食い物」にするのは共同体にとって長期的にどれほど致命的な不利益をもたらすことになるかについて、中国政府は評価を誤ったと私は思う。

Googleの撤退も同じ文脈で理解すべきだと思う。

これは「クラウド・コンピューティング」というアイディアそのものが中央集権的な情報管理政策と両立しえないという重い事実を表している。

私たちは久しくIBMとアップルのモデルに準拠して、「中枢管理型のコンピュータ」と「パーソナルなコンピュータ」が情報テクノロジーにおける根源的な二項対立図式だと思ってきた。

Googleはそのモデルさえもがもう古くなったことを教えてくれる。

世界は情報を「中枢的に占有する」のでもなく、「非中枢的に私有する」のでもなく、「非中枢的に共有する」モデルに移行しつつある。

これは私たちがかつて経験したことのない情報の様態である。

そして、これが世界標準になること、つまり私たちの思考がこの情報管理モデルに基づいて作動するようになることは「時間の問題」である。

中国政府は近代化の代償として、情報の「中枢的独占」を断念し、市民たちが情報を「非中枢的に私有する」ことまでは認めた。けれども、そのさらに先の「非中枢的に共有する」ことまでは認めることができなかった。「雲の上」を中国共産党以外にもう一つ認めることについての強い政治的抵抗が働いたからである。

Googleの撤退が意味するのは、一情報産業の国内市場からの撤退ではない。そうではなくて、ある種の統治モデルと情報テクノロジーの進化が共存不可能になったという歴史的「事件」なのである。

情報テクノロジーの「進化」と切断することがどれほどの政治的・経済的・文化的ダメージを中国にもたらすことになるのかは計測不能である。それは国産の情報テクノロジー「ミニテル」に固執したせいで、インターネットの導入が遅れ、そのせいで、巨大な社会的損失をこうむったフランスの直近の例とは比較にならない規模のものになるだろう。

隣国の「没落」がいつ、どういう形態で、どの程度の規模で始まるのかについて、リアルでクー一四〇字の修辞学

Twitterに「愚痴」、ブログに「演説」というふうに任務分担して、書き分けることにしたら、ブログヘの投稿が激減してしまった。

たしかにTwitterは身辺錐記(とくに身体的不調の泣訴や、パーソナルな伝言のやりとり)にはまことに便利なツールであるけれど、ある程度まとまりのある「オピニオン」を書くには字数が足りない。わずかな字数でツイストの効いたコメントをするというのも、物書きに必要な技術の一つではあろうが、「それだけ」が選択的に得手になるのは、あまりよいことではない。

というのは、「寸鉄人を刺す」という僅諺から知られるように、「寸鉄」的コメントは破壊においてその威力を発するからである(「寸鉄人をして手の舞い足の踏むところを知らざらしめる」というような言葉は存在しない)。

何より、一刀両断的コメントは、書いている人間を現物よりも一五〇%ほど賢そうに見せる効能がある。だから、一刀両断的コメントの名人に「引き続き、そのテーマを五〇〇〇字ほど深めていただきたい」と頼んでも、出てくるものはずいぶん無惨な出来栄えであろう。

むろん、「寸鉄型」コメンテイターだって、物理的に「長く書く」ことはできる(同じ話を繰り返せばいいんだから)。でも、それでは読んでいる方がすぐ飽きる。長く書いて、かつ飽きさせないためには、螺旋状に「内側に切り込む」ような思考とエクリチュールか必要である。

そして、そのためには「前言撤回」というか、自分か前に書いたことについて「それだけではこれ以上先へは進めない」という「限界の告知」をなさなければならない。おのれの知性の局所的な不調について、それを点検し、申告し、修正するという仕事をしなければならない。

それがないと、「内側に切り込むように書く」ということはできない。

前言撤回を拒むものは、出来の悪い新書の書き手のように、最初の五ページに書いてあることを「手を替え品を替え」て二五〇ページ繰り返すことしかできない。最初の五ページに書いてあることのうちにはすでに情報の欠如があり、事実誤認といわぬまでも事実評価に不安かあり、推論上の不備があるということを、「最初の五ページを書いている、当のそのときに」開示できるものだけが、「内側に切り込む」ように書くことかできる。私はそう思っている。

「寸鉄型」のコメントに慣れるものは、それによって得られるわずかな全能感の代償として、多くのものを失う。自分の命をかけられるような命題は一四〇字以内では書けない(一四〇〇字でも、一万四〇〇〇字でも書けないが)。だから、そこに書かれる言葉は原理的に「軽い」ものになる。

誤解してほしくないが、私は「軽い言葉」を語るなと言っているわけではない。

「軽い言葉」だということを自覚して語ってほしいと言っているだけである。

というようなことを書くと、「ふざけたことを言うな」というご批判が早速あると思うが、如上の理由により、私宛てのご批判は「五〇〇〇字以下のものは自動的にリジェクト」させていただくので、みなさまの貴重なプライペートタイムはそういうことに浪費されぬ方がよろしいであろう。
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民主主義のあり方をも変える

『「日本」の売り方』より

「協創力」は民主主義のあり方や政治の仕組みも変えていくかもしれない。というのは、政治の仕組みに、前節で触れた「文殊の知恵」を活用していこうとする試みが、日本でも最近さかんだからだ。

民主主義にもとづく政治の仕組みには、実は二通りある。

ひとつは「代議制民主主義」だ。選挙で自分たちの代表を選び政治の舵取りを任せる。選挙で選ばれた代表が議会へ行き、多数決で政策を決める。典型はイギリス議会に始まる西欧型の「議会制民主主義」だ。このような多数決にもとづく民主主義を「集計民主主義」とも呼ぶ。この仕組みでは、数は力である。しかし、多数決を巡っての争いが先鋭化し、厳しい党派対立を招くこともある。そして、少数派の意見は採り上げられないことが多い。

もうひとつは「熟議民主主義」だ。市民が自由にある課題について平等な立場で集まり直接議論を交わす。お互いに受け入れ可能な理由付けで主張や好みを変化させていき、お互いに納得できる結論を得る。典型は、古代ギリシャのアテネの直接民主政だ。この仕組みでは、数は関係ない。対立する立場への理解を深め、当初持っていたメンバーの意見が変わり、熟成されていき、新しい政策が提案されることに意義がある。しかしそのプロセスには時間がかかり、一度に集まることができる人数も限られている。『市民の政治学』(岩波新書)を著した篠原一・東京大学名誉教授は、この民主主義の仕組みを「討議デモクラシー」と呼んでいる。

後者の「熟議民主主義」は、「協創力」を使った政治手法だ。人々が集まり、議論をしていく過程で参加者の好みや主張が変わり、集合知が新たな政策を創発するからである。熟議民主主義に詳しい田村哲樹・名古屋大学教授は著書『熟議の理由』(勁草書房)で、議論への参加者の理性と議論による主張の変容を、「熟議民主主義」の核心と指摘している。

多数決では、時に不毛とも言えるまでに先鋭化する党派対立を超えることはできないのではないか。このような疑問が、「熟議民主主義」への人々の関心を深めている。エイミー・ガトマン・ペンシルベニア大学学長・教授らの著書『なぜ熟議民主主義なのか』によれば、「反対している相手の行う議論への尊敬」が「熟議民主主義」の成功の秘訣だ。さきほどのウィリアムスーウーレイ助教らによる「集合知」の実験結果にも一脈通じる話だ。フラットな「場」でお互いの議論を尊重しながら「協創力」を活用するとき、思いもつかなかった斬新で創造的な政策が生まれるのだろう。

一度に集まる人数が限られる、議論に時間がかかる、などの「熟議民主主義」の欠点は、インターネットやブログなどの情報テクノロジーを活用することでかなり補えるようになっている。

日本でも「熟議民主主義」を社会実験したり、試行したりする動きがあちこちで見られるようになってきた。文部科学省が専門のウェブサイトを二〇一〇年四月から立ち上げて始めた「熟議カケアイ 文科省政策創造エンジン」もそのひとつだ。「熟議カケアイ」では、文科省の政務三役がまず「お題」を示し、熟議のためのコミュニティをウェブ上に設置する。メンバー登録をした者は、誰でもフラットな立場で議論に参加できる。ただし、議論の参加に当たっては五か条のルールを守る必要がある。そのルールには、理解しよう、挨拶しよう、わかりやすく伝えよう、人を傷つけないように、共感や考えの変化も書こう、などと「協創力」をメンバーが出しやすい工夫が書きこまれている。懇談会という「オフ会」も開かれる。熟議は一か月をメドに終息し、中央教育審議会などの公式の政策形成プロセスと。はパラレルに、文部科学省の政策創造に活かされるという。

原子力発電や地球温暖化など、問題が高度に技術的で、かつ主張が真っ向から対立しやすい問題。熟議民主主義は、それらの合意形成促進にも使われる。

デンマーク生まれの「コンセンサス会議」がその一例だ。別名「市民パネル」としても知られるこの会議の枠組みは、高度なテクノロジーを熟知した専門家と一般市民が合流するのが特色だ。「専門家対市民」という、ありかちな不毛な対立に陥ることを避ける。そして、科学技術アセスメントにより、ひろく社会に受け入れられる解決策を、ともに模索していく。この参加型システム分析による協創の枠組みは、国の科学技術政策の立案や地方自治体の政策審議などにも、近年取り入れられつつある。

「協創力」は日本のビジネスや社会の価値変革だけでなく、公共政策設計の現場にも活用が始まっている。
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プロに任せろ!とは

未唯へ

 明日は通常の月曜日に会社に行ったことを想定して、動きます。

新刊書サイトのチェック

 2時前に豊田市と岡崎市の図書館の新刊書サイトのチェックを行っていた。図書館の総記で動員の革命を発見。予約しました。今週の新刊なんですね。動員の革命が総記のジャンルというのは意外ですね。NDCが007.3でコンピュータなんですね。

 それにしても夜中の二時前に寝ながら、本の予約が出来るんですね。老人ホームシステムに使えそう。リアルの宅配とつながれば、つながります。ついでに、岡崎図書館も確認しましょう。九時には行きます。岡崎図書館の総記には動員の革命はなかった。ついでだから、別の本の予約をした。

「プロに任せる」とは

 「プロに任せろ」これは楽な言葉です。パートナーがGMに相談した時に言われたことです。ネットワークの展開におけるプロはパートナーです。10年来のプロです。先の先まで考えています。それに対して、ネットワーク会社の営業は従来通りのやり方でしか対応していない。

 そのパートナーに営業に任せろはないでしょう。パートナーが行っていることを否定することです。GMは状況が見えていない。元々、先のことも、考えることもしない人だから。GMにザ・パートナーは理解できないでしょう。せめて、ムダなおしゃべりだけは時間のムダなので、しないことと、させないことです。

 研究開発部署に居たときに、本当のプロを見てきた。おかげで偽者は分かります。

ロシア革命の女性

 ロシアの革命の前に、女性は必死で戦った。生活と生きるために。それを、男を含めた権力が妨げた。

インターネット構造

 インターネット構造のベースはトポロジーです。だから、政治形態も、社会構造もトポロジーをベースに変わらないといけない。それなしに、雰囲気で変わらないといけない言っても意味がないです。そういう本が見当たりません。

 何故、インターネット構造なのに、組織は従来のやり方を守ろうとするのか。その多様性に耐えられないからです。人間そのものが個人ベースで考えるからです。人間そのものが多様性を持った近傍系に変わらないと全体が維持できなくなる。その時代は近いです。一つの事例で、転がり始めます。始まるのは、社会の周辺部分です。弱い者が集まっている部分からです。老人ホームから変わるかもしれません。

岡崎市図書館の10冊

 070.1『事件の取材と報道 2012』
 371.4『よくわかるスクールソーシャルワーク』
 312.3『ヨーロッパの政治経済・入門』
 I361.3『「日本」の売り方』 協創力が市場を制す
 209『100のモノが語る世界の歴史1』文明の誕生
 007.3『メディアを語る』
 601.1『救国のレジニエンス』「列島強靭化」でGDP900兆円の日本が生まれる
 007.3『つながりすぎた世界』インターネットが広がる「思考感染」にどう向かうか
 188.8『道元禅師全集 正法眼蔵9』 八大入覚
 302.2『イスラムを生きる人びと』伝統と「革命」のあいだに

 夕方の5時までに片づけました。

『道元禅師全集』正法眼蔵第十二「八大人覚」もOCR化しました。

 一つには欲を少なくする。
 二つには足るを知る。
 三つには絶対の安らぎを楽しむこと。
 四つには不断の努力。
 五つには正念を見失わないこと。
 六つにはマコトのハタラキを身につけること。
 七つには真実の智慧を身につけること。
 八つには無意味な議論をしない。

 何となく、八つ目が気に入っている。
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正法眼蔵第十二 八大人覚

『道元禅師全集』より

もろもろの仏(覚者)たちは絶対の完成者である。絶対の完成者が覚るところであるから、八つの絶対の完成者の覚り(八大人覚)と称する。この八つの仏の教えを覚ることが、永遠の安らぎの原因となる。

一つには欲を少なくする(少欲)。《五欲(色・声・香・昧・触の欲)で得ていないものに対して、さらに広く追い求めないのを、欲を少なくすると名づける。》

仏はいわれた、「比丘たちよ、次のことを知らねばならない。欲の多い人は、多く自分の名聞と利益を求めるから苦悩もまた多くなる。欲を少なくする人は、望み求めることもなく、利欲もないので、この苦しみの患いはない。単に欲を少なくするだけでも身につくまで努力しなければならない、まして欲を少なくすることがもろもろの善業を積み重ねて得られた力を生ずることができるにおいてはなおさらのことである。欲を少なくする人は、へつらいで人のこころを求めることはなく、またもろもろの感覚器官に引き回されない。欲を少なくすることを実行する人は、心は淡々として、憂い畏れるところはなく、対象に接触しても余裕があり、つねに不足することはない。欲を少なくすることを保つ人は永遠の安らぎがある。これを欲を少なくすると名づける」。

二つには足るを知る。(すでに手に入れたものに対して、総てでなくて一定の限りをもって受け取るのを、足るを知ると称する。》

仏はいわれた、「比丘たちよ、もしもろもろの苦悩を脱れたいと思うならば、足るを知ることを見極めなければならない。足るを知るとは、心豊かでやすらぎ、ゆったりとしたところである。足るを知る人は、地上に寝たとしても、それでも安楽であるとする。満足を知らない人は、天上界にいてもやはり不満なのである。満足を知らない人は、物質的に富んでいるといっても実は心は貧しい。足るを知る人は、貧しいといっても実は心が豊かなのである。満足を知らない人は、いつも五欲に引き回されていて、足るを知る人に憐れに思われている。これを足るを知ると名づける」。

三つには絶対の安らぎを楽しむこと(楽寂静)。(もろもろの心乱れる騒がしさを離れ、静かなところにひとりずまいするのを、絶対の安らぎを楽しむことと名づける。》

仏はいわれた、「比丘たちよ、絶対の安らぎの楽しみ(寂静無為の安楽)を求めたいと思うならば、心乱れる騒がしさを離れて静かなところにひとりずまいをするがよい。静かなところにいる人は、帝釈天や諸天が、ともに敬い重んずるのである。このことから自己の集団や他の集団を捨てて、静かなところにひとりずまいし、断ち切るべき苦の源を思わねばならない。もし集団の仲間になることを願う人は、もろもろの悩みを受けることになる。あたかも、大きな樹に、たくさんの鳥が集まれば、枯れたり折れたりする憂いが生まれるようなものである。世間に縛られて執着すればもろもろの苦に沈んでしまうことになる。あたかも、老いた象が泥水に溺れて、自ら出ることが出来ないようなものである。これを苦をすっかりなくし楽を得る(遠離)と名づける」。

四つには不断の努力(勤精進)。(もろもろの善いことを、限りなく努力して実行することを、精進という。純粋で雑りけがなく、前進して退かない。》

仏はいわれた、「比丘たちよ、もし不断の努力をするならば、いかなる出来事も困難なものはない。このことから諸君は不断の努力をしなければならない。あたかもつねに流れるわずかな水であっても、石を穿つことが出来るようなものである。もし仏道修行者が、なまけ心でいつづけた場合は、あたかも錐もみして火をおこしてまだ発火点に達しないのに錐もみするのをやめてしまえば、火を得たいと思っても、火を得ることは困難なようなものである。これを精進と名づける」。

五つには正念を見失わないこと(不忘念)。{また正念を保持すること(守正念)と名づける。マコトのハタラキを保って見失わないことを、正念と名づける。また正念を見失わないと名づける。》

仏がいわれた、「比丘たちよ、すぐれた指導者を求め、仏道の完成へのすぐれた援助を求めるには、正念を見失わないことが一番だ。もし正念を見失わない人は、もろもろの煩悩の賊が入ることは出来ない。このことから諸君は、つねに正念をT心に集中させなければならない。もし正念を見失う人はもろもろの善業を積み重ねて得られた力を失うことになる。もし正念の力が強くなれば、五欲の賊の中に入ったとしてもそのために被害をこうむることはない。あたかも鎧を身に著けて敵陣に入ったとしても、畏れるところがないようなものである。これを正念を見失わないことと名づける」。

六つにはマコトの(ハタラキを身につけること(修禅定)。ハタラキに住って乱れないことを、禅定と名づける。》

仏はいわれた、「比丘たちよ、もし心を集中する人は、心はマコトのハタラキの状態になる。心がマコトの(タラキの状態になるから、世間の生滅の真理の相を知ることが出来る。このことから諸君は、つねに精進努力してもろもろのマコトの(タラキの状態を身につけねばならない。もしマコトのハタラキの状態を得ることができれば、心は散乱することはない。あたかも水を大切にする家は、あふれる水を防ぐ堤をうまく管理することが出来るようなものである。仏道修行者もまた同様である。真実の智慧の水があるから、マコトのハタラキを身につけることができて、その真実の智慧の水が漏れて失われないようにする。これをマコトのハタラキの状態と名づける」。

七つには真実の智慧を身につけること(修智慧)。(教えを聞き、真理を観察し、修行しようという意志を起すことを真実の智慧と説く。》 

仏がいわれた、「比丘たちよ、もし真実の智慧があれば貪りによる執着はなく、つねに自ら反省し見極めて智慧を見失うことがないようにしなさい。このことが我が教えの中で解脱を得られるということである。もしそのようでなかったならば、すでに仏道修行人でもないし、また白衣の在家人でもなく、名づけようがない。真実の智慧のある人は老・病・死の苦海を渡る堅固な船であり、また無明黒暗に対する大いなる灯明であり、一切の病者のための良薬であり、煩悩の樹を伐る鋭い斧である。このことから諸君は教えを聞く智慧と、真理を観察する智慧と、修行によって得られた真実の智慧でちゃんと利益を増さねばならない。もし人に真実の智慧の光があれば、肉眼であっても、しっかりとした見る眼をもった人である。これを真実の智慧とする」。

八つには無意味な議論をしない(不戯論)。(真理をさとって分別を離れることを、無意味な議論をしないと名づける。真実の相を究め尽くせば、無意味な議論をしないこととなる。》

仏がいわれた、「比丘たちよ、もし種々の無意味な議論があるならば、その心は乱れる。出家するといっても、いまだ解脱していない。このことから比丘は、急いで乱れた心と無意味な議論とを離れ捨てなければならない。諸君らがもし絶対の安らぎの楽しみを得たいと思うならば、必ずや無意味な議論の患をすっかりなくさねばならない。これを無意味な議論をしないと名づける」。これらが八つの絶対の完成者の覚りである。一つ一つのそれぞれの覚りに八つの覚りが具わっており、総てを数えると六十四あることになる。さらにひろめて数えるときはその数は無量となることになり、略して数えると六十四なのである。
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新しい公共

『地方自治の本』より

住民の意識の変化

 先に説明したように企業丸抱えという日本の企業風土が変化したため、従来の仕事人間、会社人間が、自分の住んでいる地域や自治体の仕事に目を向けるようになって来ました。

 特に、2007年問題といわれたように団塊の世代が退職時期を迎え、退職後の生きがいを地域に求めるような人がたくさんでてくるようになりました。

 このような人々の中には、元気で高い専門性(パソコンのプロ、外国語のプロ、造園のプロ、デザインのプロ、法律のプロ、経理のプロなど)や高い意欲を持っている人も大勢います。

 このような人々と上手くコラボレーション(協働)していけば、自治体の地域づくりにも大変な力になります。

まちづくりへ多彩な参画のルート

 先に住民とのコラボレーションが大切と述べましたが、まちづくりは、自治体の長や議員や職員に任せておけばよいといったものではなく、住民一人ひとりが主体的に参画することによって、さらにより良いまちができ上がります。

 しかも、その住民の参画のルートも実に多様で多彩なものとなってきています。

 ①町内会、自治会

  住居を中心とした任意加入の集まりで、最も古くからあるコミュニティの1つです。平成3年の地方自治法の改正で、一定の要件を満たし、市町村長の認可を得た場合に地縁による団体として法人格が認められ、町内会や自治会として法律行為ができるようになったことは、先に説明したとおりです。

  町内会や自治会は、地道な日常活動が身上ですが、最近は地域の清掃や、地域の防災活動などで、その重要性が改めて脚光を浴びてきています。

  筆者自身も何人かの町内会長を知っていますが、毎日、駅前や市街地の清掃をし、通行人のタバコのポイ捨てを注意したり、子どもたちの深夜徘徊を注意したりしていますが、こうした日常活動を通じて、まちづくりにもしっかりとした考え方を持っています。

 ②まちづくりNPO

  平成10年に制定された特定非営利活動促進法いわゆるNPO法に基づいて設立された法人で、住所にこだわらず、まちづくりに対する熱い共通の思いを有する人たちの集まりです。

  NPO法自体が、平成7年の阪神淡路大震災からの復旧のためのボランティア活動を契機として、ボランティア活動をやりやすくするために制定されたもので、まちづくり、社会教育など17の分野のNPO法人について、認証という比較的容易な手続きで設立でき、しかも一定の税の優遇措置などが受けられるようにというしくみとなっています。

  まちづくりNPOは、自治体の総合計画づくり、地域の特産物や伝統などを生かした地域おこしなどに主体的に参画したり、まちづくりシンポジウムを開催したりしています。

  少し変わった例では、自治体の長のマニフェスト(目標年次や数値が明示された公約)の達成度をチェックしているまちづくりNPOもあります。

  また、社会教育のNPO法人などもテニスの会、俳句吟行の会などの活動を通じて間接的に地域のコミュニティづくりに貢献しています。

住民と自治体のコラボレーション(協働)

 今まで説明してきましたように、いろいろな要因が積み重なって、平成の住民参加が大きなうねりとなっています。

 また、住民参加のルートも多種多様なものが用意されています。

 これを上手く捉え、住民とうまくコラボレーション(協働)した自治体が、豊かで住みよい自治体となっていくことでしょう。

 私たちも、機会があれば、自治体の地域づくりに参加するという積極的な姿勢を持ちたいものです。

新しい公共

 この住民、NPO、行政のコラボレーションについて最近、「新しい公共」という表現が用いられるようになってきました。これは、イギリスの新しい行政手法(New Public Management : NPM 参照166頁)の1つの官民協働(Public Private Partnership : PPP)の考え方の影響によるものです。

 もっとも、わが国の場合は従来から行われていた(160頁「江戸時代からPFI」参照)方法ですが、このように手垢のついていない新しい表現でスポットライトを浴びる事によって、より一層の進展が期待されます。実際に、市民共働推進局という組織を作る自治体が出てきましたし、国もNPO代表や有識者から構成される「新しい公共」円卓会議を設置しました。

 今後はこの流れが一過性のものとならないように、ファイナンス面での支援(例えば、「新しい公共」活動に寄付した場合の税の控除、低利の融資制度)や情報面での支援(例えば、成功事例や問題点などの情報共有のためのシステム)など実質的な支援システムの構築が急がれるところです。
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数学のセンス

私の役割

 私の役割は先を見て、考えることです。言い得て、妙があります。行動することではない。それがどういう意味を持つのか。それがどうなっていくのか。それに対して、あなたはどうしないといけないのか。というとこです。行動をなくすことで答が出てきます。

 ネットワーク会社に対しても、同様のスタンスで臨みます。実際に行動するのはパートナーです。ファシリテーターの技術を営業スタッフに渡します。パートナーはファシリテーターからインタープリターになっていきます。そういうプロセスです。パートナー以外にメーカーで当てになる人間は居ない。

 その時に、ネットワーク管理部署は十分、使わせてもらいます。Hシステムの枠を超えるには、彼らの力が必要です。グローバル・アクトが動くにはローカル・シンクが必要です。グローバルとローカルをつなぐ部分をパートナーに渡します。グローバルとローカルの動きが悪ければ、私は存在を掛けて、動かします。

数学のセンス

 パートナーの数学的な感覚があれほどあるとは思って見なかった。ネットワーク会社のSEの能力を超えています。私の幾何のセンスとは異なり、解析のセンスです。計算の方です。もっと数学の方に向かっていたら、色々なことができたのに。中野さんとおなじです。

 私の幾何の空間認識能力はかなりのモノです。なにしろ、無限次元に生きていたのですか。

世の中の邪魔なもの

 病院の待合室のテレビで放映している、いい加減なコメンター。それを見ている、何も何が得ていない老人たち。イヤになるほどの時間です。

店舗の活性化を店舗で考える

 店舗に人が来るにはどうするかを、店舗で考えていた。珍しく、スタッフが寄ってきた。私の素性を知らないみたいです。この店舗には15年前から出入りしています。無線LANのテストをしたこともあります。追い払うために、顔見知りのスタッフと新車の売れ行きについて話しました。まあ、どうでもいいことです。

 若干、人は来るようになっていると言ったが、見る所、フロントの中のスタッフの人数の方が多いですね。こんな店が活性化できるには、スタッフが変わらないといけないが、イメージがわかないですね。

 リアルとバーチャルの融合しかない。バーチャルで誘導して、リアルの店舗とスタッフで対応するやり方ですね。スタッフの活性化なくして、リアルはないでしょう。それはグローバルとローカルの癒合です。グローバルでできるのは、リアルの世界ではできません。バーチャルが主です。

 新車は高いですね。290万円もします。子供が居ない40歳代後半が購入するみたい。会社では女性に人気があるみたいです。走り屋でしょうか。そういえば、中野さんも裾野を走り回っていた。店舗の活性化という雰囲気ではない。店の中に車が置いてあってはダメです。カフェにしないと。それとどこでも図書館でないと、落ち着かない。

昨日、借りた豊田市図書館の19冊です。

 268.04『インカ帝国』研究のフロンティア
 538.09『技術を育くむ 人を育てる』特集次世代宇宙輸送機 JAXAのプロマネ座談会 日本の宇宙産業vol.3
 709『世界遺産なるほど地図帳』
 331.87『貧乏人の経済学』もういちど貧困問題を根っこから考える
 333.8『「国際協力」をやってみませんか?』仕事として、ボランティアで、普段の生活でも
 318『一番やさしい 地方自治の本』
 019.9『街場の読書論』
 021.43『死ぬまで編集気分』新日本文学会・平凡社・マイクロソフト
 617.3『おいしいコーヒーの経済論』「キリマンジャロ」の苦い現実
 202.3『国名に秘められたおもしろ世界史』国名の意味とルーツを知れば、驚きの歴史物語が見えてくる!!! 世界地図を見るのが。ますます楽しきなる本!
 400『新しい科学の教科書 化学編 』新しい科学の教科書 現代人のための中学理科
 312.53『たちは“99%”だ』ドキュメント ウォール街を占拠せよ
 290.93『ケアンズとグレートバリアリーフ』大珊瑚礁が創ったもうひとつの世界
 302.53『これからどうなる?アメリカ』米国が抱える危機が、日本や世界に及ぼす影響とは---
 810『<小説>東大過去問・現代文』
 933.7『タイムマシン』ウェルズ
 913.6『さして重要でない一日』
 952.6『サロメ』ワイルド
 910・26『だれもの人生の中でとても大切な1年』よしもとばなな
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民衆とのつながりの中で

『イスラムを生きる人びと』より 〝アラブの春〟とイスラム再興

革命後のエジプトでは唯一の巨大政治組織となった同胞団だが、組織防衛志向の保守的な指導部には内外からの強い圧力がかかる。民主的選挙を通して、政治を主導するようになれば、組織内をまとめる党人派や、年功序列のヒエラルキーで幹部を選んでいては通用しない時代になる。「イスラムこそ解決」の中身と実践を問われる時代である。その時、八○年代の職能組合運動で同胞団以外の人々と関わった経験を持つ四〇代、五〇代の中堅指導者層と、さらに、エジプト革命でもっと広く、外の世界と触れた二〇代、三〇代の若者たちが存在することは、同胞団が進化し、発展するための動力となるはずだ。私は、同胞団が強権のもとでの抵抗組織から、国民政党に脱皮する道は、普通に考える以上に簡単ではないと考える。脱皮できなければ、同胞団本体は次第に国民の支持を失うことになるかもしれない。その場合、同胞団の思想を基盤にしながらも、国民に開かれた政党を目指すワサト党や若者たちのエジプト潮流、ナフダ党がより大きな支持を得るようになるかもしれない。民主主義の時代に、国民の支持を得るかどうかは、同胞団が独自のネットワークで支持者を集めるようなこれまでのあり方ではなく、政権に参加して、国民の問題を解決していくために政党としての役割を果たすかどうかである。

女性代表のスピーチはプログラムでは「女性同胞団員」とだけ記され、名前は出ていなかった。壇上にド(五六)だ。「イスラムは女性に市民的権利と政治的権利のすべてを与えている」と強調した。さらに同胞団の創設者ハサンーバンナー師の「我々は女性たちを男性を扱うのと同じように扱う」という言葉を引用し、「エジプト革命を機にこの言葉に立ち返るべきだ」と訴えた。会場では前列左側に二〇〇人ほどの男性が陣取っていた。全国各県の同胞団支部で女性の問題を仕切る事務担当者はすべて男性だ。男性が女性のお目付け役のような存在になっている。会議の後半で行われたバディーア団長と女性たちの対話では、様々な要求が次々と出たという。「各県の女性問題の担当を女性にする」「いまは女性に投票権がない地方や中央の評議会の選挙に女性の参加を認める」「中央指導部に女性メンバーを入れる」-などだ。

二〇〇五年の選挙では同胞団がハハ議席を得て躍進したが、当選した女性議員はI人もいなかった。同胞団で女性の発言権や地位が外から見えないことについて、同胞団関係者は「前政府の弾圧から女性メンバーを守るためだった」と説明する。しかし、ムバラク体制の崩壊で、その心配もなくなった。男性中心の組織運営をしてきた同胞団にとっては、大きな課題となる。その初めての試金石だった二〇一一年一一月から一二年一月にかけて行われた人民議会選挙では、自由公正党の比例区の女性候補はI〇人のうち一人の割合でしかなかった。この数字は、他の政党と比べて決して低い数字ではないが、七章で紹介した社会活動家のアッザーガルフのような草の根を担う女性活動家が地域で果たしている役割を知れば、彼女たちにもっと機会を与えるべきだと感じる。アッザ白身は、大カイロ市の西部に位置するギザ県の比例区の自由公正党リストー○人のうち四番目に位置づけられ、当選した。選挙で当選した女性議員は計八人で、うち自由公正党が四人だった。アッザは新議員の一人となった。

選挙期間中に、アッザがスピーチをすると聞いて、ギザ県で開かれた自由公正党の選挙集会をのぞいた。野外に設定された集会場はぎっしりと人が集まり、ステージの上に候補者がならんだ。アッザは一番左に座っている。大音響の司会の声がマイクから響く。「アッザーガルフがあなたたちに女性の役割と、彼女の選挙への参加について話します」と紹介した。マイクを持って立ち上がったアッザは「司会者は私が女性への言葉を述べると言いましたが、私は女性への言葉は言いません。私は女性だけでなく、すべての人びとにとっての候補であるからです。私たちの党をつくる男性たち、女性たち、イスラム教徒、キリスト教徒、そのすべてに向けて話しましょう」と演説を始めた。まず、取り上げたのは経済と雇用問題だ。「昨日のニュースで、革命の後、エジプトで四二〇〇の工場がつぶれたというニュースを見ました。労働者が職を失い、失業は深刻な問題になっています。自由公正党は長期的な国家プロジェクトとともに、経済専門家の意見を聞きながら、人びとの日々の雇用につながるような短期的なプロジェクトに力をいれます」。続けて、「エジプト人がきちんとした生活をおくるためには三つのことが必要です」と言い、①すべてのエジプト人に及ぶ医療保険、②国民誰もが受けられる医療サービスの充実、③公教育を充実させる教育改革、と課題をあげて、「これらはすべて政府が無視していたものだ」と語り、党としての取り組みを述べた。

そして、「革命を完成させるために、すべての男性、女性、若者が自分の権利を主張しましょう」と呼びかけた。「しかし、私たちはタハリール広場で権利を主張するのではありません。投票所に行って、自分の意思で選んだ候補に投票するのです。以前は、選挙が終わったら候補者は事務所のドアを閉じました。しかし、これからは違います。私たちが選ぶ議員は、私たちのために週七日間、事務所のドアを私たちのために開いておかねばなりません。議員は私たちの痛みと問題を知らねばなりません。そして、私たちの損なわれた権利を回復するために政府に立ち向かわねばなりません。なぜなら、私たちに選ばれた議員なのですから」

アッザは選挙に参加する意味を力強く訴えかけた。一般の人びとにとって、公の場でアッザの演説を聞くことは初めての経験だっただろう。アッザの名前は彼女が二七年間、草の根の慈善運動を続けてきた地区以外ではほとんど知られていない。しかし、「議員は人びとの痛みと問題に開かれているべきだ」という言葉は、人びとの貧困と苦悩を助け、イスラムの教えを実践してきた彼女の生き方からくる実感として人びとに受け入れられたことだろう。
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「イスラム的解決」とは何か

『イスラムを生きる人びと』より 〝アラブの春〟とイスラム再興

アラブ世界の宿病のようになっていた強権体制が〝アラブの春〟によって打倒された後、民主化によって「イスラム的解決」を掲げるイスラム主義者が選挙で躍進し、政治の表舞台に出てきた。それらのイスラム勢力を理解するためには、「イスラム的解決」とは何かを知ることが必要であろう。中東でのイスラム再興の流れの中で、注目されているのが、トルコでイスラム主義の流れをくむ公正発展党(AKP)である。AKPは二〇〇一年の経済危機の直後の二〇〇二年に総選挙で勝利した。党首のエルドアンは二〇〇三年に首相となり、二〇〇七年、二〇一一年と三度の総選挙で勝利し、トルコに安定政権をもたらした。さらに経済も建て直し、二〇一〇年には八・九%の経済成長率を達成した。公正発展党を強力なリーダーシップで引っ張るエルドアンは、一九九〇年代は、よりイスラム色の強い福祉党の若手リーダーだった。九四年に福祉党イスタンブール支部長としてイスタンブール市長選挙に当選すると、大都市が抱える懸案に取り組んだ。道路整備と電車、フェリー航路など公共交通機関を充実させて、長年続いていた道路渋滞を大幅に緩和させた。さらに水不足による断水が問題となっていた水問題についても、新たな水源から水道を引くことで解決した。ゴミ収集を毎日にして、市内は見違えるようにゴミがなくなった。さらに、冬の間、石炭を使うために大気汚染が大きな問題だったが、天然ガスヘの切り替えで汚染は大幅に改善された。イスタンブール市の女性センターのように、冬場に石炭を使っている貧困家庭への石炭の支給などイスラムの教えに通じる貧困対策も実施した。エルドアンは市長になる前に福祉党イスタンブール支部長として、女性メンバーによる貧困家庭の家庭訪問を始めた。それを市長時代の市政にも導入したのである。

行政経験の全くない人物が一〇〇〇万を超える人口を抱えるトルコ最大のイスタンブール市の市長となり、次々と都市問題を解決したことで市民の支持を得て、その成功が、その後、国政を担う道を開いた。トルコはオスマントルコ帝国の伝統を受け継いで官僚制が強いお国柄であり、エルドアンは官僚機構とは全く関係ない市井の人が首相になった初めての例である。イスタンブール市長と首相時代に報道担当として働き、引退後にエルドアンについての評伝を書いた側近のフセイン・ベスリによると、「エルドアンは官僚制と対決することは最初からしなかった」という。市長になると、まず自分の政策スタッフに市民が抱えている問題を調査させ、その解決策についても専門家に意見を聞かせた。解決策を決めると、イスタンブールの担当部署にその実施を指示した。あくまで「問題解決」優先の姿勢を貫いた。

ベスリによると、「エルドアンは部下に対して、常に厳しく結果を求める。問題を解決して、結果を出すという現実的な姿勢は、首相としても一貫している」と語る。トルコの主要銀行の一つデニス銀行の主任エコノミストのサルハン・オゼルは「エルドアン政権は情報収集に非常に積極的だ。私はイスラム主義者でもなんでもないが、経済の責任者が直接私にも意見を聞いてくる。決定は迅速で、対応は妥当で、責任あるものだ」と語る。彼の言葉からも、経済担当者が首相のエルドアンから「経済振興で結果を出せ」と求められているのだろうと想像がつく。積極的な経済振興策をとり、政府が主導して、中東やアフリカ、アジアを輸出の市場として開拓する政策が、国際的な金融危機や欧州経済危機という逆風の中での高い経済率を達成した秘密となっている。

エルドアンが属した福祉党は九八年に憲法の世俗主義規定に反するとして非合法化され、解党命令を受けた。後継政党の美徳党も二〇〇一年に禁止された。その後、エルドアンは公正発展党を結成した。公正発展党の綱領には、イスラムという言葉はひとことも出てこない。世俗主義を掲げ、自由主義経済政策をとる中道右派の保守政党を名乗った。福祉党の時代は、欧州連合(EU)加盟には否定的な態度だったが、政権をとると一転して、積極姿勢に転じた。さらに米国と強い友好関係も築いた。首相になった後、記者会見で態度の変化を問われると、「私の世界観は世界の変化に応じて変わった。道徳観は変わらないが、もう昔の私ではない」と言い切った。

世俗主義を掲げ、イスラムと政治の分離の原則を維持するトルコだが、イスラムの流れをくむ公正発展党は、積極的に民衆の間の問題を解決しようとしていることが分かる。私はこれまで、イスラム社会にとって、人びとの間の「問題解決」がいかに重要かを見てきた。そのためにイスラムの教えがあり、イスラム宗教者の役割がある。イスラムでは何かの問題を抱えている人に対して、「アッラーが解決してくれますよ」「アッラーが助けてくれますよ」という表現が、何通りもある。もちろん、問題を解決するのは人間であるが、問題を解決すること自体が、「神の名において」「神の教えに従って」行われる。問題が解決した時には、イスラム教徒は「ハムド・リッラー(アッラーのご加護で)」と神に感謝する。ムスリム同胞団が「イスラムこそ解決」というスローガンを掲げるのは、このような文脈においてなのである。それは同胞団だけでなく、民衆の支持を得て、民衆の問題を解決しようとする新政党「エジプト潮流」をつくったイスラム・ロトフィらが言っていることと似ていると感じた。エルドアンはアラブ人ではないが、いま、アラブ世界でも最も人気のある指導者である。エルドアンをあつかったアラブ語の本も数冊出ている。口トフィの発想は、エルドアンの公正発展党から学んだ部分もあるだろう。エルドアンの側近のベスリが著したエルドアンの評伝は、二〇一二年一月に同胞団系の出版社からアラビア語版が出版された。

エルドアンは二〇一一年九月に、エジプト、チュニジア、リビアと、アラブの春で強権体制が崩壊した三カ国を歴訪し、各地で英雄のような歓迎を受けた。エジプトでは現地のテレビ局のインタビューで、「エジプトは世俗憲法を持つ、世俗国家になるべきだ。世俗主義とは宗教に敵対するのではなく、特定の宗教に偏らないということだ。政治が宗教を名乗る必要はない」と語った。これについて、エジプトのムスリム同胞団の報道担当のグズランは「内政干渉だ」と反発する談話を出した。同胞団の副団長のラシャドーバイユーミによると、エルドアンのエジプト訪問中、団長のバディーアと前団長のマフディ・アキフは、エルドアンと二時間にわたる会合を持ったという。バイユーミ自身は会合に同席していないが、「会合については幅広い問題で意見交換をし、実り多いものだった」とした。その上で、「エルドアンが語った世俗主義は、エジプトでは反宗教的と受け止められるため、受け入れることはできない。しかし、エルドアンのトルコでの成功が参考になるのは、ゴミ収集を増やしたり、交通を改善したり、国民が肌で感じられるような変化をもたらすということだ」と語った。

同胞団の中堅世代を代表するアブドルモネム・アブフトゥーフに二〇一〇年一一月の選挙の時に、トルコの公正発展党について話を聞いたことがある。「トルコのイスラム政党が発展できたのは、軍の強い影響で政党が潰されても、別の政党をつくる自由と、選挙に参加する自由があったからだ。エジプトにはその二つともなかった。ワサト党は九六年に政党申請をしたが、いまだに認められていない。トルコでは軍によるイスラム主義勢力への圧力があったが、すべてを拒否するのではなく、イスラム政党に解党命令を出しても、別の形で政党をつくることはできた。政治的なせめぎあいが続いたことが重要だ」と語った。アブフトゥーフはエルドアンより五歳年上の、ほぼ同じ世代だ。八○年代に、アブフトゥーフらの世代はエジプトの職能組合の選挙に参加して運営を次々と押さえ、野党との協力で人民議会にも進出して、野党では第一政党になった。

アブフトゥーフ自身は一九八〇年代に同胞団が医師組合の選挙に進出して勝利した時、最初の事務局長となった。当時は、エジプトの同胞団の新世代の躍進が、中東のイスラム運動に刺激を与えた。福祉党時代は同胞団との交流も盛んだったから、エルドアンがアブフトゥーフらの躍進をまぶしい思いで見ていた時期があったはずだ。しかし、九〇年代から二〇一一年まで、エジプトの同胞団は強権の下で抑えっけられ、身動きがとれなくなった。その間に、トルコのエルドアンは変身し、飛躍した。二〇〇〇年以降、エジプトとトルコの立場は逆転したが、エジプトにも革命によって政党創設の自由と民主主義がやってきた。ムバラクの辞任後、真っ先にイスラム主義政党のワサト党が政党として認可され、元同胞団員のアブエラーマーディが党首となり、党員登録を始めた。アブフトゥーフは同胞団を離れて、大統領候補として立候補する準備を進めている。アブフトゥーフを支持しているのは同じく、同胞団を離脱してナフダ党を創設したイブラヒームーザファラーニだ。ナフダ党には二〇一〇年春まで同胞団副団長だったムハンマド・ハビブが団を離脱して発起人として名を連ねた。
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ミッション・ステートメント

ゲーム化からコミュニティ化

 やはり、ゲーム化からコミュニティ化です。Sとの面接をしている時に、痛感しました。そうしないと、社会は変わらない。老人ホームのシステム化もゲーム化から入らないといけない。その後に、自分の人生を含めて、コミュニティ化です。同一価値観の仲間を増やすということです。

 メーカーも一緒です。コマーシャルはゲーム化です。それに対して、社会を変えていくコミュニティ化を提案していくことです。

2012のミッション・ステートメント

 ミッション・ステートメントを書きました。ドンドン先鋭化します。誰も聞かないからです。2011と2012の対比です

 役割

  (2012)Hシステムの先を見て、考えていくことが私の役割。バラバラな施策をHの視点で整理する。                
  (2011)Hシステムの全体効率と個別の店舗の活性化を達成するために、情報共有を拡大し、お客様およびメーカーとのつながりをネットワークで実現する。
 
  (2012)�次期ネットワークを販売店に的確に導入していく。ネットワーク会社がHにファシリテーションできるようにする。
  (2011)�2010年度の販売店ヒアリングの結果、ネットワーク・コラボレーション・ライブラリおよび事務局を販売店要望と捉えた。Hでの動きを見ながら、具体的なものにする。

  (2012)�次期ネットワークで対応して、導入するアプリをHニーズで把握する。店舗の活性化、お客様とのつながりを重視する。
  (2011)�店舗の状況確認環境をベースに、スタッフの意識づけをお客様とコミュニケーションにつなげる。

  (2012)�メーカー全体のネットワークを社会の変化に対応し、時代を先行する道を探る。ITマネジメントのビジョンの達成を支援する。
  (2011)�来年度のネットの進化の中に、社会の変化に対応する、H要望を明確にする。
 考課項目
  販売店ヒアリングで得た、H要望に沿って、展開していく。

  (2012)�ライブラリの拡大
   大容量コンテンツ、お客様状況で、ライブラリ拡充を図る。プル型システムで、スタッフ環境、H独自のシステムを支援。
  (2011)�ライブラリの拡大
   ライブラリー未導入・単独使用の販売店に対して、Sa-ライブラリへの切替を促す。ライブラリの使い方を調査し、ネットワーク上の各種ライブラリの活用を提案する

  (2012)�スルーのコラボレーション
   お客様~H~メーカーのコラボレーションで、店舗の活性化を具体化する。地域の活性化を通じて、いい町・いい社会に貢献する。
  (2011)�コラボレーションの意識付け
   店長・スタッフ間、スタッフ・お客様間、メーカ・Hの情報共有に必要な機能をまとめて、提案する。

  (2012)�ネットワークの進化
   全店舗に同一仕様の高速ネットを設置。つながる系、無線環境、タブレットなどのネット環境のセキュリティを保証していく。
  (2011)�ネットワークの進化
   無線環境・各種デバイス・外付けデータの活用を店舗レベルで可能にする。基幹系・情報系のシステムのシンプル化もネットワーク上でのサーバ配置が決め手になる。それらをガイドラインで販売店に提案する。
  去年とさほど、変わっていないように見せています。最大のポイントは「先を見て、考えていくことが私の役割」です。
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変えた後にあるもの

未唯へ

 地球は本当に変なところですね。

 時間調整でスタバです。残業時間が増えている。どうでもいいことだけど。

パートナーのファシリテーション

 ファシリテーションしながら、Hのネットワークを作り上げていく。パートナーの持っている技術をネットワーク会社に伝えて、Hと意思疎通しながら、ネットワークを展開していく。そこでできた、余力でHが自分たちが自分たちのシステムができるようにしていく。ポイントは店舗の活性化です。

 その次に、地域の活性化に方向を向けていく。Hの店舗が何ができるのかを一緒に考えて、お客様とつながっていく、新しいカタチを求めます。やりたいことはそんなことですね。

変えたあとにあるもの

 システムを作るとかの問題ではなく、変えていくことです。変えるのは、販売店であり、メーカーであり、お客様です。

 なんか、ロシア革命前と同じです。変える雰囲気はそれぞれのところで増してきた。一触で変わる、戦争は必要です。ロシアは日露戦争があり、その後にドイツとの戦争です。

 ロシア革命では一般市民は変わった後を考えていなかった。だから、レーニンにかすめ取られた。その後に、スターリンです。そんな時に、トロッキーは動いたものです。戦争を変えてしまった。 

 急ごしらえの体制でしか対応できなかった。その上で固定してしまった。民主主義のように徐々に変えていくという余裕がなかった。周りがすべて、敵です。最大の敵は豊農であった。エルエムぐらいを多様性として、取り込んでおけば、よかったが、身内を含んで全てパージに掛った。革命を成就するために苦労した連中は根こそぎやられた。

 これは全体主義と一緒です。一人のアイデアと猜疑心だけでやっていくしかなくなった。一人のアイデアは戦争に向かう時には早急に対応できるけど、それ以外の時にはアンバランスを起こして、平和には向かわない。

クルマは多様である必要はない

 人間が多様でないのに、クルマが多様であることが必要なのか。大きさも形も色もさほど変わっていないのに。

エネルギーがあっても幸せになれない
 今のロシアの政治形態は何でしょうか。資源しか見えていない。エネルギーがあっても幸せにはなれません。
 資源をどう配分するかは大きな問題です。国が絡むしかないけど、国を誰が運営するかです。
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