goo

会社は私がやりたいことのためにある

車って不便!

 車って不便です。毎回、停まらないといけない。なぜ、こんな不便なものを人類は作ったんでしょう。次元を超えられるからの道具でしょう。

 移動だけなら、他の手段はいくらでもあるのに。それと圧迫感。走っていると周りから襲ってくる。他者のくせに!

エコットのコミュニティ・カフェ

 コミュニティ・カフェ。エコットは10年掛ってもできない。リーダーに理念がないからなんでしょう。

会社は私がやりたいことのためにある

 東富士に着任した時に、何をしようか考えた。まるで別世界だった。今、考えると何を得ようとするのかの方が正解だったでしょう。

 そのヒントを与えてくれたのは、井上次長です。私を東富士に呼んでくれた張本人です。最初の挨拶で、社長になるつもりがなければ、会社を使え!と言われた。

借金[本]地獄

 岡崎に行く度に、本を借りるのは止めようと思うけど、いざ、新刊書の前に立つと、ダメですね。最初の棚で9冊を選んでしまっていた。残りは一冊です。

 [本を]返しに行ったのに、また、借りてしまいう。これでは。車がきついので、岡崎行きは止めたい。

一店一品ルールの確認

 一店一品ルールはなかなか面白い。生活費の中で守られたのかを確認できるようにする。
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岡崎市図書館の10冊

338.9『堕天使バンカー』スイス銀行の黒い真実 「パナマ文書」「スノーデン事件」の先駆けになった史上最大の内部告発!

022.2『写本の文化誌』ヨーロッパ中世の文学とメディア

336.3『「学習する組織」入門』自分・チーム・会社が変わる 持続的成長の技術と実践

379.7『新・独学術』外資系コンサルの世界で磨き抜いた合理的方法

288.4『立憲君主 昭和天皇 上巻』[再]

288.4『立憲君主 昭和天皇 下巻』[再]

316.8『私にはいなかった祖父母の歴史--ある調査』

251『カナダの歴史を知るための50章』

007.1『人工知能の哲学』生命から紐解く知能の謎[再]

238.8『リトアニア』歴史的伝統と国民形成の狭間
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歴史編と仕事編のロジック

4.1 民主主義

 歴史編はなにしろ、広大です。4.1は「民主主義」です。元々は歴史には、全体主義への興味から入ってきた。わかったのは、全体主義も共産主義も民主主義だと言うこと。民主主義はなぜ、全体主義になったのか。本来、優れた理論である共産主義がなぜ、失敗したのか。

4.2 国民国家

 主義で国を作っていくことは先がどこまで読めているかで決まる。そこに国民国家という考え方。どうしても極端にいってしまう世界。自由と平等というトレードオフを抱えた世界。ここまでが今までの「歴史」

4.3 パラメータ

 それに対して、グローバル化と多様化というパラメータが出てきている。だから、4.3は「パラメータ」

4.4 解釈する

 振り返って、そこから歴史をどう見ていくのか。その見方が4.5

4.5 動き

 4.5は順番を逆転した動きになります。今後の動き、それぞれの階層はどう動いていくのか。歴史が動くための条件。

4.6 進化する

 それに伴って、歴史は進化するものというものを4.6に持ってきます。進化するための条件は情報共有です。これで世界は変わっていきます。主役が市民になる条件です。そういうものが変わっていく。それを受け入れて限り、人類の歴史はない。

4.7 階層の変革

 4.7は歴史というものから大きく変わって、「変革」に持っていきます。これは未唯空間全体のトーンと同じです考えていくとそういうカタチになっていきます。

4.8 関係の変革

 4.8はどういう構造になっていくかというところは、本来の歴史からすると、これはちょっとおかしいので、この辺の動きは修正させます。

5.1 会社

 第5章の仕事のスタンスは、この会社は私に何かを教えるために作られたものというもの。

5.2 得たこと

 最初のところで、部品表の考え方、それはデータベースの腰の部分です。ヘッドロジックを挙げます。これは未唯空間の最後に効いてきます。二番目は技術者の発想。これは配置に気づいたときに、バックアップしてくれた。組織の論理であるハイアラキーではなく、それぞれが自分の目的を持って、それを重ねていく世界です。

5.3 サファイア

 それに対して、販売はハイアラキーの悪さを示すためにある。それを救うためにピラミッド型を各販売店毎、むしろ、お客様からの逆ピラミッド型にしていく。これが企業存続の理由になる。従って、バランスが悪すぎるから、「販売店」の項目は他に移します。それに替えて、電算部と技術部からの発想を入れ込みます。

5.4 中間の存在

 ツールの開発として、情報共有をどのように生かすカタチにするのか。他者との関係でパートナーは本来、何をすべきなのかというところを真ん中に持ってきます。今後の材料として、インフラをどのように作り上げていくのかと企業が存続する理由を挙げていく。これらは第8章に引き継がれます。

第5章「仕事」と第8章「小さな変革」との関係

 第5章と第8章との関係。第5章はあくまでもベースです。私のために作られた企業をいかにレスキューするのか。第8章は次の世界に向けた中間としてのクルマ社会をいかにして、作り上げていくのか。

仕様の作り方

 共通の項目名をキーワード空間にくくることで仕様が作られる。例えば、「私の世界」という項目名。そう考えると。第8章はこのままでは素直につながりません。伝わりません。あまりにも、項目名のセンテンスが短すぎる。

腰としての項目名の作り方

 まず、「存在と時間」を見習って、項目名に「の」とか「と」を付けます。そうでないと、「クルマを所有すること」では当たり前すぎます。意味としては、「所有とシェア」です。所有の意味が明確になります。

 使うに対して売ること

 作るのも売るために作ると、使うために作るのでは異なります。今、必要なのはシェア感でしょう。売るのも同様です。販売店で売る。販売店の機能を売るのではなく、使うことに替えると、それぞれの役割が大きく変わります。

 車というのは元々、交通手段の一つにすぎない。今は違います。違うものになってしまった。売るためのものになってしまった。そういう観点で、項目名を明確にしていきます。かなりきついけど、まあ、いいでしょう。
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未唯空間第3章社会編

項目[第3]の見直し

 項目[第3]の見直しを第10章まで終わった。詳細[第4]に向けて、反芻を開始する。それで項目を腰として、覚醒させます。

 中分類[第2]は単一名にします。「の」とか「と」は使わない。項目[第3]は複数名が基本です。中分類との関係は偶々にします。これは使用との関係です。

モスのにくにくバーガー

 モスのにくにくバーガーは想像を超えている。両面のバンズはハンバーガーです。その間にチキンとか豚が挟まれている。肉ばっかりです。これで29日の楽しみが増えました。毎月の予定表に入れます。

 モスの29(にく)日のにくバーガー(850円)は想像以上。今後、29日はモスですね。

Lifeの薄紙サンドのノート

 素敵なノート発見! Life製で方眼紙と薄紙がサンドイッチになっている。使い方は自由。玲子さんと会うときに持っていこう。

 各章のポイントは薄紙に書き足します。方眼紙にはペンの色を変えて、書く混みます。章を超えた項目間の関係はマジックで書き込みます。つまり、使用ベースを作り出します。紙という特徴を活用していく。関係がハッキリした時点で、デジタルに落し込みます。

未唯空間第3章社会編

 社会編はやはり、わかりにくい。ストーリーができていない。今までの寄せ集めです。集合になっていない。

 3.1は「内から見る目」

 3.2は「レベル課題」

 3.3は「社会モデル」

 3.4は「地域活動」にしておきます。循環ではわかりにくい。

 3.5はハイアラキーでないという意味の配置

3.1 内からみる

 3.1は「内からみる」とする。情報を入手して、そこから社会の仕組み、そこでの動き、社会とはなんなのかに応えていく。

 内なる世界からみた社会では、あくまでも他者の世界です。この時点ではまだ、あまりピックアップされていないけど、そういう見方です。だから、何が問題になっているかもハッキリしてくるし、それらを客観しして、モデル化することもできるということ。

3.2 課題

 社会の課題は、地域の課題、市民の課題、そして国での課題。そのために国民国家ができたのに、それがきのうしていないのが実体。

3.3  社会モデル

 どういうカタチがいいのかをハメリンアモデルで考えた。そこで、グローバル化、多様化というパラメータの変化をみていく。

3.4 循環する

 活動の主体としての「中間の存在」、そして市民が主体となる世界。循環することでモデルができる。そのモデルで社会をみていく。そのための考え方を二つ提案する。一つは階層間の循環、これはタテの循環。そして、中央と地域のヨコの循環です。

3.5 配置する

 今、問題になっているのは、中央が機能しなくなっている。グローバル化と多様化に対応できなくなっているという実態。だから、中央からでなく、地域の方から動かしていく。

 地域から動かすためにはハイアラキーは関係ない配置で考えていく。市民が分化して、シェアの世界で変革していく。中央で自由と平等を求めると、カタチだけが大きくなるだけだから、配置で平等を求める。目標を一つにしないこと。国家としてではなく、地域として固まった形にしていく。

 そこからハイアラキーでない世界、中央制御ではない世界をどう作っていくのか。

3.6 コミュニティ

 そういう社会を提起した時にモデルから二つの機能をどういうカタチにするのか。一つはコミュニティです。乃木坂を含めて、コミュニティのあり方。

 一番はコミュニティです。乃木坂でも示しているけど、この部分をいかに作り出していくのか。そこには反発する雑多な人種が出てくる。それらをいかに取り込むか。その実験を乃木坂で行っている。その自覚がコミュニティを覚醒させる。

3.7 インフラ

 市民を分化させるのには機能するもの、そして地域です。生活を変えるためのインフラ。

3.8 新しい社会

 新しい社会へのアプローチはまだまだ、イメージの段階です。
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OCR化した12冊

『教育の論点』

 若者の「恋人なし」率の国際比較

 パラサイト・シングルの不幸感

 結婚しなくても子どもが持てる社会

『広告的知のアルケオロジー』

 広告ビジネスの構造変化と広告人の資質

 知識経営の課題--〈鬼十則〉と企業文化

  広告コミュニケーション産業における構造変化

  コミュニケーショソ産業におげる価値創造の方向性

  広告ビジネスにおける三つの実践能力・実践知

  広告業と知識創造

  「鬼十則」と企業文化

『世界<経済>全史』

 ユーラシア規模に拡張していく商業

  歴史の大きな流れを見てみよう

  遊牧民の時代とともに商業が大爆発

  イスラーム教団による征服ビジネス

  スンナ派とシーア派の抗争は格差が原因

  広がるインド洋商業

  ヨーロッパ世界の誕生

 フランス革命とヨーロッパ

  初のハイパーインフレ

  課税問題がフランス革命の発端

  フランス革命はハイパーインフレで終わった

 商品が氾濫する都市型生活スタイルの誕生

  「デパート」の出現で変化した取引スタイル

 現代生活のルーツとなる第二次産業革命

  工業化される社会

 南北戦争はどうして凄惨な殺し合いになったのか

  妥協が不可能だった北部と南部

 アメリカ的資本主義の登場

  無駄が多い大量生産

  世界史を変えたヒット商品

 大衆消費社会が流通革命により到来

  チェーン・ストアの普及

  スーパー・マーケットの出現

『世界からバナバがなくなるまえに』

 アイルランドのジャガイモ飢饉

 包囲戦

『語る大拙』

 宗教について

『犯罪をどう防ぐか』

 エビデンスに基づく防犯--監視、照明、パトロール

 はじめに--日本の近隣コミュニティでの防犯対策

  介入や活動の水準(ムリが生じやすい)

  対象(必要な対象に届かない)

  目標設定(安全か安心か)

 防犯対策での「エビデンス」

  防犯対策は有効か

  メタ分析と系統的レビュー

  刑事司法での系統的レビュー

  転移と拡散

 カメラによる監視

 パトロール・拠点監視・近隣監視

 照明

 今後に向けて

  プロセス評価とアウトカム評価を使い分ける

  問題解決型犯罪対策を実施する

  オープンデータを活用する

『フェイスブック 不屈の未来戦略』

 フェイスブックが「勝った」なら? マインドパングアを編み上げる

  仮説 2025年のフェイスブック

  2005年と1493年の類似点 内的世界のコロンブス交換

  想像できる未来

『ユニオンジャックの矢』

 日本の幕末に与えたアヘン戦争の衝撃

 「長州ファイブ」と明治維新

 日英同盟の二○年--日本近代史の成功体験

『新もういちど読む山川世界史』

 イスラーム世界

 普遍性と多様性

  イスラーム世界の成立

   預言者ムハンマド

   アラブ帝国

   イスラーム帝国

  イスラーム世界の変容と拡大

   イスラーム世界の政治的分裂

   国家と社会の変容

   東方イスラーム世界

   エジプト・シリアの諸王朝

   イベリア半島とアフリカの諸王朝

   オスマン帝国

  イスラーム文化の発展

   イスラーム文化の特色

   イスラーム文化の多様性

   イスラーム教と男女の平等

  インド・東南アジアのイスラーム国家

   イスラーム教徒のインド支配

   ムガル帝国

   東南アジア諸国

 20世紀末から21世紀へ

  転換期をむかえた世界          ・

  社会主義圏の崩壊

  多様化するアジア

  深刻化する中東問題

  地域紛争の多発

  アメリカ合衆国の動向

  地域経済統合の台頭

  世界経済のグローバル化

  現代の科学・技術

『図表でみる世界の社会問題4』

 移民

 家族

 予測退職後年数

 教育支出

 自殺

『いかにして思考するべきか』

『メルト=ポンティ哲学中辞典』

 ソクラテス
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ソクラテスの死は、記憶すべき唯一の出来事

『メルト=ポンティ哲学中辞典』より ソクラテス

哲学的な学というものが、しばしばプラトン以来、数学的な諸学をモデルとして考えられてきたことは確かである。『国家』では、その純粋さと厳密さとが賛美され、実際の応用の方はあまり評価されていなかった。この学は技芸と比較されるが、技芸のほうは、技術者たちに自己を委ねた人々にもたらされる成功と奉仕とによってその価値は(ソクラテスの眼には二目瞭然であった。哲学についての無知、すなわち「至高にして最も美しい≒人事万般」についての無知は、した、がって、単なる文化の欠如ではなく、はっきりとした病なのであり、医員が必要だと思わせないだけに「最も有害なもの」(「アルキビアデス」I、一一八A)なのである。

こうした医学の喩えはテクスト中に頻出するが、それは比喩以上のものである。「自己の魂の世話をする」よう勧告することは、医学的な響きを帯びており、とりわけ、不死へのいかなる教義や信仰とも結びつくものではない。プラトンの『弁明』は、この点についてはかなり控えめに見えるが、無知〔の知〕をひきあいに出し、逆の賭けに打って出る。「知ったかぶりをせずに、死を恐れるとはどういうことだろうか……ここで起こる事柄を十分に知らなければ、私にはそれを知るということすら思いつかないのではないか。逆に、私が知っているのは、悪を行なうことは良からぬことであり、恥ずべきことであるという事実なのだ……したがって私は、良し悪しがわからない事柄を恐れたり、それを避けたりするために、自分で悪いとわかっている悪に同意したことなど一度もないのである」(二九A‐B)。だが反対に、「魂の世話」が、均衡や道徳的健康と呼ばれるものとはかなり違っていることもわかっているし、それがソクラテス的反駁と精神分析的治療法との間に原理的な差異を置くところのものであることもわかっている。もっとも、両者の間は近づけようとすることもできただろう。さらには、論駁の方法と無知の告白とが、一つの実証的な知を伴うこともわかっている。

『ソクラテスの思い出』は私たちに、正義についての問答を伝えてくれるが、そこではヒッピアスがソクラテス的イロニーに対して異議を唱えている。「かなり長い間、きみはつねに質問したり論駁したりしながら、誰に対してもけっして説明することなく、何についても自分の意見を開陳することなく、他の人々をからかっているじやないか」。ソクラテスはこう答える。「何だってヒッピアス? きみは私が、私に正しいと思われることを絶えず示していたのに気づいてはいないのかい?」(第四巻第四章九-一〇および第一章)。

ソクラテスがしばしば倫理学の創設者とされるところを鑑みるならば、このテクストはいかにも見事なものである。道徳心は「誇示」しうるような学になりはしない。無知の告白によっても打撃を受けることのない諸命題(死は恐るべきものではない、法に従うのは正しい、等々)を、ソクラテスはけっして学説の一部として提示することはなかった。実際それは、行動の原動力なのであって、はっきりと内容の定まった命令などではない。そんな命令は、むしろプラトン的な考え方であり、それは厳密に定義され、私たちの上に一種の形式的因果律によって働きかけてくるものなのだ。ソクラテスの発見というか、いずれにしても彼の確信によれば、道徳とは、旧来の価値の一覧表を壊して、別の一覧表を発案すべきものではなく、立法者の最初の意図を見出し、理解すべきものだということであり、それによって、法を自由の内に持ち来たらすものだということである。最も革新的な道徳も、多くの点では、古い規範を承認するだけであった。月並みな言葉によって、また慣習を基礎にしてなされたソクラテスの探究が、少しも伝統主義的でなく、さらには世俗の意見に対して従順でなかったとしても、何ら逆説的なところはない。吟味や反駁の方法は、ソクラテスの見るところでは、意見や誤謬の状態にとどまるものから、学にすることの出来るものを識別させてくれるものである。ここでは、断念と反抗とを結ぶ道は狭くなっているし、学的倫理がソクラテスと同じようにしっかりとその道筋を示してくれるかどうかも定かではない。評決には敬意を表しながら、クリティアスや僣主たちには抵抗したあのソクラテスのように……。〔ヴィクトール・ゴルトシュミット(レンヌ大学文学部助教授)]

ソクラテスの模範的な死は、彼の「波乱のない人生」において記憶すべき唯一の出来事である。彼は石工のソフロニコスと産婆のファイナビアの間に生まれた。ソクラテス自身はこの母を「真面目で優れた」と表現しており、「産婆」については、モンテーニュによると、「精神的出産のパイプに油をひく」のがうまく、ソクラテスの「産婆術」をもたらすのに一役買ったということだ。ソクラテスはしばらく父の仕事を手伝っていたが、自らの語るところでは、彼の守護「ダイモン〔神霊〕」が弟子や陪食者だちとともに親しく話しかけてきて、すぐさま彼を哲学に志すよう促したらしい。プラトンの対話篇やクセノフォンの『ソクラテスの思い出』のおかけで、哲学的対話におけるさまざまな対話者や常連の名が残っている。ソクラテスは、ポテイダイアの攻囲戦やその後のデリオンの撤退(ここでクセノフォンの命を救う)、アンフィポリスの撤退などに参加する以外には、ほとんどアテナイを離れていない。彼が言うには忍耐心を鍛えるため、(以後、小言女の典型とされる)口うるさいクサンティッペを正妻とし、三人の息子をもうける。七十歳のとき(紀元前四二四年。これよりも四分の一世紀前、彼はすでに『雲』のなかでアリストファネスに揖楡されていた)、ソクラテスは不信心の罪で告発される。プラトンによれば、この告発は、「ソクラテスには少しも当てはまらないものだった」。クリトンは牢獄のソクラテスを訪ねてきて、逃亡を勧めようとしたが、ソクラテスは祖国の法にそむくことを拒絶した。毒ニンジンを飲む日がやってきても、悲しみにやつれたクサンティッペを追い返し、彼は友人だちと、魂の不死について穏やかに議論しつづけた。「女性たちが遺体を清める手間を省くため」風呂に入った後、彼は友人たちにこう言った。「私たちはアスクレピオスに雄鶏一羽分の恩を受けている。私の負債を返すことを忘れないでくれ」。これが彼の最後の言葉であり、クリトンが彼の目を閉じたのであった。

ソクラテスは一切著述をしなかったので、私たちは彼の教えを復元するには、クセノフォン(『ソクラテスの思ぃ出』『ソクラテスの弁明』)や、とりわけプラトン(『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』)やアリストテレスの証言によらねばならない。
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「思考すること」について思考する

『いかにして思考するべきか』より

本書のタイトルは、「いかに思考すべきか」ではなく、「いかにして思考するべきか?」である。思考することがどんなことかは分かっていると思っているひとが、どんな姿勢や態度やきっかけでそれができるかということについて、あるいは今日どんな主題でどのような方向でそれをすればいいかということについて書こうとしたものではない。まして、思考することは義務であるとか、正しい思考法はこれこれだというようなことを主張しているのではない。

そうではなくて、「思考するということはどのようなことをすることなのか」という問いについて書いたのである。「思考する」とは意外に内容不明なことであって、記憶を呼び出すことやパズルを解くことなど、それに近い他のことときわめて紛らわしいものなのであるが、近代の哲学者たちが、それらを厳しく批判しつつ、それがどのようなことであると論じてきたかについて書いた--それをふまえておくならば、今日において思考するときに、より深く徹底的に思考することができるのではないか。

なお、前著『差異とは何か--〈分かること〉の哲学』(世界思想社)との連関についてであるが、そこにおいて、わたしは思考と言葉のあいだにある切っても切れない関係について論じておいた。言葉は思考そのものではないが、思考は言葉抜きには成りたたない。とはいえ、思考とは、必ずしも論理的に述べられた言葉のことではない。筋道の通って見えるその言葉が、ひとびとを熱狂的に「分かった」と思い込ませるだけの、音楽と変わりないものであったり、論理の伴わない曖昧ないいまわしのひとことが、ある文脈、ある場面において、ひとの人生に深遠な動揺や決定的な確信を与える思考であったりする。

一番やってはならないことは、理路整然と述べられた書き言葉(エクリチュール)をもって思考とみなしてしまうことである。それは、近代社会の倫理、近代的思考の規範ではあったのだが、思考は言葉の形式に宿るのではなく、言葉を語ることを含むそのひとの行為と、それを聞くひとびとにとって起こる「出来事」においてある--それがその書物で述べたわたしの主張であった。

そこまでは論じたのだが、書いたあとになって、ある言葉がどのようにして思考と呼べるものとなり得るのか、ある言葉はなぜ思考と呼ぶべきではないのか、それを考察する仕事が残っているように思われた。

考える技のようなもの。学問的思考はもちろん、生活の知恵においても、「真の思考」ないし「深い思考」と呼び得ることをなすために自覚しておくべきことは何か。これまで思考を価値あるものとみなしてきた哲学者たちは、思考をどのような営みと解し、どのような理由から価値あるものとみなしてきたか--そのことについて考えてみたい。

本書で扱った哲学者たちは、高校「倫理」を学んだひとならば知っている著名な哲学者たちばかりである。ただしその要約をしたようなものと少し違うのは、かれらと対話し、近代をふり返りながら、現代における問題を論じようとしている点においてである。

とはいえ、それで何か分かるのか、と尋ねられるかもしれない。哲学は、ときどき、「答えのない学問だ」といわれる。それは誤解を招きやすいいい方である。何かを問う以上、答えがないなどと前提するわけがない。だからその言葉の意味は、クイズのようには正解がないということである。正解があるのは、試験だけである。われわれが遭遇する生活上のさまざまな問いにもみな正解はない。

哲学的問題を探究することは、クイズに答えるようなこととはまったく違う。思考することは、単に全体像を描くことでないように、目的に対する最も有効な手段を思いつくことでもなく、--それらはコンピュータによって代替可能なことであってー、どんな応用問題でもない、だれもまだ答えを出せないでいる問いに向かうことである。自分の個人的問題を解決してくれるのではない、それをも一般性のなかに包み込む哲学独自の問いがある。哲学がめざしているのは、答えではなくて発見である。問いを巡り、何らかの発見をすること、それが哲学のしようとしていることなのだから、ただ答えがないというわけではない。

新しい思考法、簡単な思考法を説こうとしているわけではない。思考は、パズルの解法や、将棋の戦略や、ゲームの攻略法のようなものではない。それらは、-熱中するひとはするであろうが--、思考ではない。それらは心理学実験室で迷路をたどるネズミの学習と同様のものであり、あるいはAIのプログラムがすでに人間を打ち負かせるようになったものであり、「知性」の働きではあるが、思考ではない。くり返すことで慣れてしまうようなものは、思考ではない。

とはいえ、哲学だからといってむずかしく考える必要はない。哲学とは、単に思考するだけではなく自分がどのように思考しているかということについて同時に思考することであり、そして自分がその思考によって分かったとすることが、どのような意味で真理なのかと自問することである。

過去の哲学者たちの書いたものにはみな、こうした要素が必ず備わっている。この条件を満たしている思考は哲学と呼んでいいが、逆に哲学を自称して、どんなに深遠そうな言語表現を使用していようと、この条件を満たしていない思考を哲学と呼ぶべきではない。

ときに哲学者を神のごときものとして「完全な」解釈を探求し続けるひともいるし、ときに自分の思考したことをただ粉飾するためだけに名言を探しだそうとするひともいるが、それは哲学を寓話にすることにほかならない。哲学は寓話ではなく、対話である。問いかけて、自分の知らなかった答えを得る。新たな問いを得る。自分より優れた知性をもっていたひとびとと書物を通じて対話して、その時代その文化という枠組においてかれらが思考したそのやり方を、現代のこの文化の枠組のなかで理解しなおし、あるいは現代のこの文化の形成へと投げかけられてきたかれらの発想を整理して、あわよくば現代のこの文化とその行く末を、みずから理解しようとする試みである。

したがって、読者が本書で見出だすことのできるものは、知識ではなく思考である。それが思考であるかぎり、思考はそのつどかぎりである。だれかが思考した結果の言説を、ただ記憶するということとは異なる。知識は記憶されればすぐにでも使えるが、思考は、本人自身が思考しなければ理解され得ない。すぐには使えないかもしれないが、思考するということが喜びであるという風であったらいい。

思考すること--それでは普通の哲学書ではないかと思われるかもしれないが、本書では「思考すること」について思考する。さきに述べたように、それこそが哲学のことなのであるからには、本書は、僣越ながら、哲学それ自身であるといってもいいのである。
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世界の社会問題 予測退職後年数

『図表でみる世界の社会問題4』より

移民

 移民人口は全人口に占める比率として増大している。2001年から2011年までのあいだにエストニア、イスラエル、ポーランドを除くすべてのOECD諸国で、人口中の外国生まれの比率加増大した。

 2011年ではOECD平均で外国生まれ人口の比率は12.6%である。人口に占める外国生まれの比率がもっとも高いのは、オーストラリア、カナダ、イスラエル、ルクセンブルク、ニュージーランド、スイスである。これらの国では少なくとも5人に1人は外国生まれである。この時点でOECD諸国のなかの3分の2近くの国々で、移民人口が人口の10分の1を超えていた。しかし、移民比率についてOECD諸国のなかには大きな違いもある。日本、韓国、メキシコ、それにポーランドでは外国生まれ人口の比率は2%未満であった。

 2008年の経済危機以降の失業の増加は直近10年間の最後の段階で純流出入の傾向に影響を与えた。目立つことに、2005~07年の時期に高率の純流入を示していたアイスランドとアイルランドは2008~10年の時期にかなりの純流出に転じた。おなじ期間にスペインも純流入のはげしい減少を体験した。純流入率が最高だったのは、オーストラリア、ルクセンブルク、ノルウェー、それにスイスであった。これらの国では、2005~07年の時期と2008~10年の時期のあいだで純流入の増加が観測された。OECD全体のなかでは、おなじ期間に純流入がわずかながら減少した。

 経済危機によってもっとも打撃を受けたOECD諸国(とくにギリシャとスペイン)は、国籍所有者の他のOECD諸国への純流出が最大となる事態を経験した。

 経済危機はまた外国人の流入の構成に影響を与えた。もっとも家族移民と自由移動(すなわち自由移動地帯内での移民)はいぜんとして永住ベースでの移民の大きな部分を占めている。 2007~11年の期間にわたって、自由移動の類型はもっともはげしい低下を示した。自由移動の比率の大部分は労働関連であると想定できる。労働関連の移民は2010年から2011年にかけて増加しているとはいえ、危機以前の時期と比較するといぜんとして非常に低い水準にある。

家族

 1つの世帯のなかの成人数は世帯の構成と人びとがどのようにともに暮らしているかについての追加的な情報を示す。一方、結婚と離婚にかんする指標は「成人のパートナー関係」の状況を示している。

 OECD全体では、結婚はもっともふつうの成人のパートナー関係である。しかしそれは国によって大きな違いがある。結婚した成人の比率がもっとも高いのは日本とトルコで、この両国では2012年現在、成人の65%超が結婚していた。この比率がもっとも低いのはチリとエストニアで、この両国ではわずか約40%だけが結婚していた。同居は通常結婚率が低い国々で比率が高い。エストニア、アイスランド、それにスウェーデンでは、約5人に1人の成人がおなじ家のなかでパートナーと同居していた。

 単身ないし未婚の比率もまた国ごとに大きく異なっている。チリと韓国では成人10人のなかの4人近くが単身もしくは未婚であった。エストニア、ハンガリー、イギリスではこの比率は5人に1人に近かった。

 しかし、家族形態の測定可能な変化と家族の解体は直接的には観察できないようである。長期的な観察結果では結婚率はいちじるしく低下してきた。離婚率の水準と変化はともに諸国間で異なっている。しかし、1970年にさかのぼる長期的な観察では、離婚率はいちじるしく増加した。全体としては、経済危機の家族の解体に与える影響を正確に測定することは困難である。経済面でのストレスは家族の崩壊とより多くの離婚をもたらす可能性はあるが、離婚の経済コスト加増大したため、およびカップルのほうがより多くの所得が得られる可能性があるため、これらの要素が一方では離婚数の減少を説明する可能性もある。

 変化するパートナー関係の形態と低下する出生率の結果として、子どもがまったくいないか、わずか1人か2人の子どもしかいない世帯の比率が増大してきた。今E]ではひとり親と暮らしている子どもも多くなっていると思われる。このことはセーフティネットとしての家族の役割を変化させる可能性がある。多世代の世帯の比率は国によって異なるが、平均的には、2007年から2012年の時期に、GDPの変化と同一世帯のなかでの15歳超の人びとの数の変化のあいだには観察される相関は存在しない。

 新興経済国全体についても家族構造は多様である。中国、インド、インドネシアでは成人人口の70%超が結婚しているが、南アフリカではその比率は25%に近い。アルゼンチンとブラジルだけが、同居率でOECD平均を超えている。ロシアの離婚率は9%であるが、この数値はチェロとフィンランドを除くすべてのOECD加盟国よりも高い。

予測退職後年数

 予測退職後年数は平均退職年齢から予測される残りの余命の長さを示している。指標は、高齢化という状況のもとでの年金制度への財政圧力とともに年金制度がどのように退職と連動して機能するかを示している。一般的には、女性と比較して男性は退職後にはより短い年月をすごすものと予測することができる。退職後に予測される人生の長さについての最近の算定では、オーストリア、ペルギー、フランス、イタリア、それにルクセンブルクでは、女性については25年を超えた。男性について20年を超える国はオーストリア、ペルギー、フィンランド、フランス、ギリシャ、イタリア、ルクセンブルク、それにスペインであった。女性の退職後年数がいちじるしく短い(20年未満)のはチリ、アイスランド、韓国、メキシコ、ポルトガル、それにトルコであった。男性について短い国(15年未満)は、エストニア、韓国、メキシコ、ポルトガルであった。

 平均的には、女性は男性よりほぼ4.5年長い期間を退職後にすごすと予測される。東ヨーロッパの大半の国ではこの差は少なくとも6年あった。また日本ではこの男女差は6年を超えていた。退職後の期間が長いことは女性を高齢期の貧困にさらすことになる。これは、多くの年金制度が賃金収入に連動しており、すべてのOECD加盟国で男女間の賃金格差が存在する結果である。つけくわえれば、多くの国に存在する年金支給額の物価スライドでは、最高齢期にある受給者、その多くは女性であるが、退職後に相対的に貧困に陥ることを意味している。

 新興経済国における女性の予測退職後年数はブラジルとロシアの20年から南アフリカの15年まで多様である。男性についての違いはより小さく、予測退職後年数は12~13年である。ブラジルにおける実効退職年齢は男性より女性が6年低いが、ロシアにおけるこの差は3年に近かった。

 OECD諸国全体における平均予測退職後年数は時間の経過とともに増加してきた。1970年には、OECD諸国の男性は平均で11年の退職後の人生をすごしていたが、2012年の平均では18年に延びた。予測退職後年数の延びは女性のほうが大きく、平均で1970年の15年から2012年の22.5年へと伸びた。

 1970年から2012年への平均予測退職後年数の増加の原因は実効退職年齢の低下と寿命の延びの双方である。実効退職年齢は1970年代から1990年代後半にかけて男性も女性もしだいに低下した。若干の相対的に安定した期問ののち、実効退職年齢は2004年からゆるやかに上昇しはしめた。実効退職年齢での余命は、とくに女性について、この期間にいちじるしく上昇した。男性についても過去20年間同様であった。過去数年にわたって、余命の増加は実効退職年齢の増加とおなじであるため、退職後年数は安定的に推移した。
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9/1から新体制

9/1から新体制

 やはり、起きて、行動しないとダメですね。9/1から新体制できちっとしたカタチにします。

 一日の反映として、ICレコーダー書き起こしを入れましょう。そのために、何をするかのスケジュールですね。先が短いとか考えずに、一日単位で動きます。あとは長時間居られるところ、図書館の使い方です。新体制の肝ですね。その時には、「生ちゃん」の出番になります。

 時刻が気になるとしたら、インスピレーションよりもエクセルの方が適しているかもしれない。「生活費」のところにプロットすれば、生活そのものが見えてくる。それを雑記帳に入れ込めばいい。ノートを論理的に書くのに飽きたので、勝手に表現します。それが新体制らしさです。自分のための体制。

読むための本

 考えないといけないことが一杯ある。読むための本も一杯ある。読むと言っても考えるために抽出したものです。読んで、中身を理解するというのはムダです。あくまでも考えるためです。読まないと考えられないのは、その分野について。そして、それらを文字にすることが重要です。

予定表への反映

 予定表にその都度、反映させるのは面倒なので、その時刻に起きたことをICレコーダーに入れて、夜間の書き起こしで予定表などにポイントアウトする。

 そのために、簡易ノートが必要になる。合わせて、時間を知るためのケータイと書くためのペンも。ペンは買うのではなく、探せば、いくらでも出てくる。ICレコーダーなら、それらがいらない。書き起こしが必要なだけです。そのための動機付けをしていきましょう。習慣化するために時刻と内容を決めましょう。

 ドンクのフランスパン1.2mmの輪切り 13:29。エクセルメモに反映させたいときは、後ろに時刻を書きます。実際に反映されるかどうかはその時点で判断します。

一点一品ルールのDNA的見解

 一点一品ルールはDNAの考え方に沿っています。一点で全てを代表させる。集合で言うところの代表元です。

 集合は点になる。そうならないと集合とは言えない。「集合」を習った時に驚いたところです。集合は点になり、点は集合になる。集合は単なる集まりではなく、その根幹にルールがある。それをプロットします。

 まとめ買いはしない。一点だけ買うのが基本。色々ある内の一品に絞る。そうなると、事前に想定できる。それがDNAの見方とみれば、最高です。

夕食は腹一杯

 夕食はサラダみたいなものと惣菜みたいなもので腹が一杯になる。その後のメインディッシュみたいなものは余分です。
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フェイスブック 2005年と1493年の類似点 内的世界のコロンブス交換

『フェイスブック 不屈の未来戦略』より フェイスブックが「勝った」なら?

フェイスブックがオンライン世界の端まで行き渡ったならどうなるか? ポスト・コネクティビティーの時代が来るのだろうか。ザッカーバーグは内的世界におけるコロンブスとなり、フェイスブックはコロンブス交換を引き起こすのだろうか。そして、別々に存在する社会をひとつのパングアとして編み上げることができるのだろうか?

何を言っているのかと眉をひそめるかもしれない。

この意味を伝えるには、もう少し説明が必要だ。1493年に時を巻き戻そう。より正確には、これについて書かれたチャーズ・マン著の『1493--世界を変えた大陸間の「交換」(原題:1493)』の話をしたい。2011年のベストセラーとなったこの本でチャールズ・マンは、コロンブスの航海で、それまで分断されていたヨーロッパ、アフリカ、アジア、アメリカがつながり(コロンブスがこれを意図して行ったのではないだろうが)、それは、世界のグローバリゼーションに多大な影響を与えたと説明している。

このグローバリゼーションで重要だったのは、「コロンブス交換」だ。この概念は1972年にアルフレッド・クロスビーが提唱した。コロンブス交換により特定の地域にしかなかった品物、動物、食料、病が別の地域にもわたり、広まった。マンは「イタリアにトマト、アメリカにオレンジ、スイスにチョコレート、タイに唐辛子があるのはコロンブス交換の結果」と説明している。例えば、氷河期以降、北アメリカにはミミズはいなかったが、農業にとって重要なこの生物は、南アメリカより持ち込まれた。ヨーロッパからは馬がやってきた。ヨーロッパ人は南アメリカで、アフリカ人の奴隷に銀の採掘を命じた。その銀はアジアへとわたり、ヨーロッパ人が好む絹や磁器と交換された。ペルーからグアノをもとにした肥料、パプアニューギニアからさとうきび、中東から麦、ブラジルからゴム、カリブからタバコ、アフリカからはコーヒーが貿易により各国を行き来した。それと同時に、疫病が流行るきっかけとなった。アメリカには天然痘、麻疹、腸チフス、コレラ、マラリアが広まり、ョーロッパでは梅毒や、ジャガイモの疫病による飢饉が猛威を振るった。マンによると、このコロンブス交換は産業革命に農業革命、そしてヨーロッパの台頭が起きる基盤となったと説明している。

コロンブス交換は、過去500年間における世界の歴史の中で、今ある世界と人々の生活を形作るのに最も大きな影響を与えたと言うことができるだろう。クロスビーはこの交換の影響について「パングアをつなぎ合わせた」と表現している。1億7500万年前、地球上のすべての陸地が1枚の「パングア大陸」の一部であったことに由来している。

フェイスブックに話を戻すと、ザッカーバーグは彼を筆頭に、30億人のユーザーを抱えるフェイスブックで内的世界のコロンブス交換を起こせるのだろうか(コロンブスに対しては原住民の奴隷支配や直接的あるいは間接的な虐殺、乏しい航海術、狂信者として批判する声もあり、ザッカーバーグにとって良い比較対象ではないかもしれないが)。

フェイスブックとコロンブス交換は、新たなプラットフォームで人々の接点を作るという点で共通している。16世紀初頭、スベイン人はメキシコヘと航海し、その後フィリピンヘと向かった。そこで初めて中国の商人に出会ったように、現代の人々もフェイスブックを使って世界の反対側にいる友人とつながることができる。

しかし、そこには大きな違いもある。フェイスブックでは確かに何億人もの人々がつながっているが、コロンブス交換と比べると「交換」の意味合いは薄い。スペイン人とフィリピンの中国人との間で行われた貿易は「ガレオン貿易」と呼ばれている。フェイスブックのサービス上で、ユーザーはそれぞれの感情やストーリー、アイデアという人々の内的世界の産物をシェアしているが、コロンブス交換がもたらしたような人々の新しい交流はさほど起きていないだろう。私たちはみなグローバルコミュニティーの一員であるが、フェイスブックでグローバルコミュニティーが形成されているとは言えない。私たちは、すでに知っている人々や事柄とこれまで以上に密につながっている。ニュースフィードは私たちが過去に「いいね!」した人や事柄に関連する投稿を多く表示することに最適化している。フェイスブックは、良くも悪くも「交換」ではなく、自分の独自の考えが反響するエコーチャンバーを形成する傾向にあるのだ。ニュースフィードの弱点は、確証バイアスを強化するシステムであることだ。アルゴリズムは各ユーザーの意見や好みを特定し、記録することで、それに似た意見を表示することを優先している。その環境では、ューザーはさらに自分と同じ意見の情報に囲まれることになる。
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