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進行する軍事化、根づく市民社会 市民社会とは

『新・世界経済入門』より 進行するグローバリゼーション下の世界経済

グローバル・レべルで市場の失敗、そして政府の失敗が拡がっている状況を見たが、近年注目されているのが、新しい世界秩序の形成における市民社会の役割である。

市民社会とは何だろうか。資本主義や民主主義と同じく、市民社会も多様な意味を持つ。第一にそれは、歴史的に見れば、都市に住む人びとの集まりである。ギリシャ、ローマの昔に始まり、市民(citizen)とは、都市の住民を指していた。今日、世界的に都市化が進行するにつれて、市民の数は著しく増え、いまでは一大政治勢力をなしている。日本の場合も、第二次大戦後の時点で、都市人口は総人口の半分程度だったが、それから半世紀の間に八割へと増えた。全国的には多数派を占めていた保守政党は、まず大都市で少数派となり、やがて一九九〇年代には連合政権の時代へと移行するが、これは都市生活者の価値観の多様化を反映していると考えられる。

第二に、市民とは文民を指している。文民とは、軍人(military)の対称語として使われ、紛争を武力や暴力によって解決するのではなく、共通のルールや法の下に話し合いで解決しようと考える人びとである。第二次大戦後、国際機関や国際条約の数が飛躍的に増えた背景には、このような文民勢力の増大がある。

図は、一九七〇年から二〇一一年に至る国際政府機関TGO)と国際非政府機関(INGO)の数の推移を示している。IGOは、この四一年間に二四二から七六〇八へと三〇倍強に増え、INGOは、三三七九から五万六八三四へと約一七倍に増えた。IGOに加盟する国、INGOに加盟する各国NGOの数もそれに従い、大きく増えている。国際問題を、対話や協調により解決することをめざす機関が増えていることがわかる。

文民とは、文明的な行動をとる人びとである。文明(civilization)の進展とは、物事を武力ではなく、法や民主主義、また対話にもとづいて解決しようとする考え方や行動様式が一般化していくことでもある。その意味で市民社会とは、民主主義と法の支配、そして市民間の対話を重視する社会である。

第三に、マルクス主義では、市民とはブルジョワ(都市の城郭の中に住み、領主権力に保護されつつ、営利活動に励む人びと)を意味している。ブルジョワジーによる資本蓄積活動の推進が、市民革命と資本主義社会の到来を導いたのである。市民社会とは、このようなブルジョワジーによる自由な営利活動、市場経済の展開の母体でもあり得る。

第四に、市民とは、社会の主権者にほかならない。フランス革命直後に採択されたフランス人権宣言は「人と市民の権利に関する宣言」と題されているが、ここでの市民とは新しく形成される政治社会の主権者であり、社会契約によって、自らの主権を為政者に委ねる主体でもある。したがって、為政者が、市民の意思にそむいて、恣意的な統治をする場合には、市民はこのような為政者を免職する権利をもつ。

近年、国際社会でひんぱんに言われるようになった市民社会とは、政府、市場(企業)と並んで、経済社会発展の第三の動因として立ちあらわれてきている主体である。しかし、政府は権力および保護・サービス動因によって、また、企業は営利動機によって行動するのに対し、市民社会は、非営利・社会連帯動機によって行動するところに特徴がある。

市民社会は、この第四の定義のように、社会の主権者として行動する人びとの集団を指して使われることが多いが、そこには先に述べた第一から第三の要素も多かれ少なかれ含まれている。それゆえに市民社会は自分が万能ではなく、「市民社会の失敗」をも常に内包し得る主体であることを念頭に置く必要がある。市民社会を非政府アクター(主体)として考えると、そのなかには、国家に必ずしも包摂されない地下経済、マフィア、やくざなども含まれることになる。

だが、いま述べたような市民社会はまさしく、社会は営利原理や権力志向ばかりでなく、人びとのつながりや協力によって形成され得ると考えるところから、政府の失敗、企業の失敗を是正する主体となり得る。

まず、市民社会は、政府や政府間機関が、法や民主主義の原点を忘れて特定利害のために行動するとき、これをチェックし、言論やデモを通じて、問題の所在を世論の前に明らかにすることができる。WTOが、貿易自由化の推進しか視野に入れず、そこから起こる南北問題や、債務、また環境破壊等の問題を無視するような場合には、世界中から集まった市民団体がデモを通じて、このような国際機関の行動に反省をうながした。

国際NGOのジュビリー二○○○が、債務キャンセルや国際投機に課税する国際連帯税の必要性をうったえ、G8の場で、途上国に対する債務の一部キャンセルを実現し、同時に、国際連帯税を採用する国々、地域が増えるきっかけをつくった例もある。

市民社会は、軍縮や環境保全の面でもめざましい活動を示している。一九五三年、ビキニ環礁での水爆実験に抗議して日本で始まった原水爆禁止の署名運動は、世界の世論を動かし、て‥)年後の六三年に部分的核実験禁止条約が結ばれるという成果をもたらして、地表、大気、宇宙、水中での核実験を禁止する原動力になった。また、八○年代半ばに、アメリカがヨーロッパに中距離核戦力(INF)を配備しようとした際には、ヨーロッパで女性を主体とする広汎な反対運動が起こり、この運動は一九八七年、米ソが中距離核戦力全廃条約を結んで、中距離(射程五〇〇~五五〇〇キロ)弾道ミサイル、巡航ミサイルを撤去するきっかけとなった。
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グローバル化VS.地域化 情報化

『新・世界経済入門』より 進行するグローバリゼーション下の世界経済

当然のことながら、経済や市場の発展は、情報、コミュニケーション手段・技術、交通・運輸手段などの飛躍的な発展をもたらす。光ファイバーによる大量情報伝達、インターネットやEメール、ファックスなどによる瞬時のボーダレス・コミュニケーション、スカイプなど遠隔地テレビ対話、IT革命などは、経済や金融のグローバル化と切り離して考えることはできない。

二〇一二年の時点で、世界のインターネット人口は二四億人におよんでいる。かれらは、コンピュータ、携帯電話などの情報端末、TV・ゲーム機などから、インターネットに接続し、世界的な豊富な情報源泉を利用し、同時に政府発表やメディアに頼らない水平的、社会的なコミュニケーションを著しく拡大させている。近年、携帯電話などがインターネット接続可能となったことで、南の諸国での普及率も急速に増え、さらに近い将来増加するものと考えられる。

二〇〇一~二二年の間にアジアでのインターネットヘのアクセス人口は一・一億人から一一億人へと一〇倍に増えた。その半分の五億人が中国で、一割の一億人が日本である。二〇二〇年にかけて、中国、インドなどでのインターネット人口はさらに増加するものと見られる。日本での二〇一二年におけるインターネット普及率は八○%でほとんど飽和状態である。

表はアジア諸国における携帯電話の普及状況(二○一二年)で、東南アジア諸国では、ほとんど一〇〇%か、それ以上に普及している。カンボジア、ラオスは国連や世界銀行の定義で最も開発の遅れた国(LDC)だが、携帯の普及はいまやそれぞれ一二八%、六五%である。ミャンマーのみ一〇%だが、これも開放体制により急速に普及するだろう。インドでは二〇〇七年には二億人余が携帯に加入し、普及率は二〇%だったが、二〇一二年には八・六億人、国民の七〇%に携帯が普及している。

このような急速な情報通信化か国民や郷党意識をグローバル化させてきたこと、また、情報統制を時代遅れのものとして、民主化に貢献したことは疑いない。長らく軍政の下に閉鎖体制を続けてきたミャンマーが、二〇一一年秋以降、急速に開放化に転じた背景には、国内の民主化運動とともに、このような東南アジアにおける情報化の流れも作用していただろう。東西冷戦体制を崩壊させた「ベルリンの壁」事件のきっかけが何といっても、東の閉鎖的世界に、西側の開放体制のイメージが伝わったことに発したことも否めない事実である。こうした意味では、経済のグローバル化と意識のグローバル化の問には、正の相関関係がある、といえる。

しかし、両者の間には、正の相関関係ばかりではなく、緊張関係、あるいは矛盾関係も存在する。それは、市場や政府の失敗と関連している。先にみたように、経済のグローバル化は市場経済をベースとしており、市場経済の世界的展開をともなっている。だが、それと同時に、貧富や地域の格差、南北問題、独占や投機、環境破壊や公害、景気循環や失業などの、いわゆる「市場の失敗」現象もグローバル規模に拡大してあらわれてきた。それは、一九九〇年代をつうじて、ヨーロッパの通貨危機、次いでアジアの通貨・経済危機にもあらわれている。

情報化も市場の失敗の側面をもっている。つまり、世界的な情報化の進展とともに、「デジタル・デバイド」と呼ばれる、情報格差、情報の非対称性の問題も深刻化してきた。これは、世界的にもそうだし、また、国内的にもそうである。

情報が非対称的であるとき、情報を「出す側」は容易に情報を「受け取る側」に一方的な情報を与え、後者の行動を操作することが可能になる。いま、南の国々は、携帯電話、インターネットヘのアクセスを通じて、この情報格差の是正に乗り出し始めたところといってもよいだろう。長らくアメリカ発の一方的な「危険なアラブ人」イメージで表現されてきたアラブ諸国がカタールに本拠を置く二四時間衛星テレビ局アルージャジーラを創設したのも、アラブ民族の思考を世界に伝える必然性からのことだったと考えられる。
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現在の公立図書館

『改革と反応』より

現在の公立図書館の特徴は19世紀の半ばから後半に形成され、そうした原型としての公立図書館が依然として現在の利用者の心に存在しているということである。この原型図書館は真面目な学習を支援するものとして、同時に一般的な活字読書資料の供給者として構想されている。この双子の方向は、「有意義な」作品で構成される蔵書の構築と保存、それに民衆への奉仕にある。この原型図書館を最も確認するサービスは、(図書貸出に加えて)雑誌や新聞の蔵書のために設けられた館内の閲覧部分である。さらにレファレンス・サービス、子どもへのお話の時間、コピー機器、そしてレコード貸出が認められている。

利用者による公立図書館の認識は、利用者の認める種類のサービスに反映されているのだが、そうした認識は大規模な電子機器導入の望ましさに大きな疑念を生む。図書館が提供できる機器やサービスは技術的には可能だが、特別な場合はともかく、人びとが迅速に活用するか否かという問題が提起されるに違いない。ニューヨーク大学のジャーナリズム教授ジョン・テベルの言葉に、「技術の進展は人間性という岩に乗り上げて失敗するだろう」というのがあるが、その可能性が存在する。

公立図書館が伝統的イメージを保持していること、依然として多くの利用者から尊敬の念を得ていることは、図書館で働く人にとって心地よい。しかしこうした好意的感情は、特に尋常でない経済的逼迫の時期には、冷酷な決定に際してほとんど考慮されない。アメリカ図書館協会会長クララ・ジョーンズが指摘するように、「私たちは現実を把握するように強いられ、公立図書館への伝統的な信頼を、もはや当然のものと見なすことはできない」のである。公立図書館は今日の経済的現実によって、存在理由の証明が求められている。したがって役割の拡大を探るように強いられてきたものの、それは必ずしも新しくて高価な技術を土台にするものではなく、むしろ地域住民に情報を提供するという伝統的役割を土台にしている。この役割は情報照会サービスのための図書館利用を含み、分館はコミュニケーションのための近隣センターになる。そうしたセンターで、住民は自分の問題を提示し、さらなる助力のために適切なサービス機関を指示される。

情報照会の必要性が強調されつつあるが、これにはいくっかの基本的な要因が関係している。第1に、本章で既述のように、都市部での人口構成の変化がある。その特徴は、白人の郊外への移動、その結果として中心都市に低所得の黒人や民族的マイノリティの増加にある。中心都市の近隣社会にとっては、異なるライフスタイルやニーズを持つ新しい都市住民が大量に移ってくることを意味する。しばしばこうした人びとは、近隣のサービスや都市生活の問題を扱う情報を必要とし、そこには健康、家庭、消費者活動に関する助言を含む。以前の時代にこうしたニーズに応えていた伝統的機関、それに地元の商店や教会は、近隣の変化とともに閉じてしまった。

第2の要因は、公共サービス機関の成長と専門化である。公共プログラムの増加は住民に高水準のサービスの可能性を意味するが、これらのプログラムは官僚制の没個性と専門化によって、助力を求める人に新たな負担を課している。住民が公共サービスから利益を得るのは次の場合に限る。住民がサービスの存在を認識している。助力を求める条件を備えていることを知っている。サービス提供の場所と日時を知っている。官僚制に内在する特徴に対処できる。そうした特徴には書式の使用、それにサービス自体の没個性的な性格を含む。

1968年に都市問題全国委員会は、市が情報照会の近隣センターを設置するよう提案した。それは(低所得の住民や移住者を都市生活の機会、要求、責任に慣らすためであった。おそらく、公立図書館が地元の情報照会のセンターになるように集中すべきという図書館員もいるだろう。図書館は情報提供に専門化し、地元住民は分館を容易に利用できる。あらゆる種類の情報を識別して提供できるように教育されているのは、この社会で図書館員に限られる。

この必要に反応するに際して、不可欠な人物になりたいという専門的図書館員の願いも影響している。図書館内で情報照会サービスを含めるという提案は、多くの都市部図書館の伝統的役割が下降し始めた時期に出現した。図書館利用の伝統的指標である貸出冊数は、1970年代初頭に大きく低下した。現在のところこの傾向は反転しつつあるようだが、図書館員は図書館の有用性の指標として、こうした変動する数値に頼ることを望んではいない。

多くの図書館代弁者は図書館の役割の変化のために新しい計画を提案した。全体として、こうした計画は図書館利用者の土台の拡大を目指していた。図書館利用の低下への対処として興行手腕に重点を置く館もあり、映画、展示、劇、音楽プログラム、遠足、フォーク音楽祭などを行っている。 1973年に『ニューヨーク・タイムズ』は公立図書館での図書以外の活動を調査し、次のように報じている。ニューオーリンズは人形芝居、ピッツバーグは投資相談、カリフォルニア州オークランドはメキシコ料理の配給を行った。マサチューセッツ州アトルボローはフォーク歌手を招き、メリーランド州ボルティモア・カウンティはオートバイ修理講座を開催、メリーランド州ロックヴィルはコルヴェット[スポーツカー]のエンジン調整方法を実演した。これらの「新しい」サービスは公立図書館に新しい種類の利用者を引きつける試みであった--それまでの図書館に何の関心も抱かなかった人びとである。
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ルーズベルト、スターリンに惚れ込む

『原爆投下への道程』より テヘラン会談

「そこでです。あの厚かましいチャーチル氏をクレムリンでこき下ろし、そして、……」からがあなたの腕の見せ所ですが、スターリン元帥に戦後体勢をささやいてもらいたい。つまり戦後はイギリスが支配していた植民地を独立させて、かの国の力を削ぎ、新しい枠組みの許でアメリカとソ連を中心に世界を指導して行こう。これが大統領の胸の内だと耳打ちし、アラスカ会議の目的が何であるかをあなた自身の口でそれとなく伝えて来てもらいたいのです」

「それからね、エド」と、今度は大統領が口を開き、「ソ連がすぐにも対日戦争に踏み切り、満州方面へ攻勢をかけてくれるなら、戦後、日本の……何だったかなハリー、そうそう南樺太と千島列島、それから北海道、東北六県を提供しようと囁いてくれ。それと、満州は蒋介石に与える。しかし、口本本土の大きな港がソ連のものになるなら、満州なぞくだらない獲物ではないかとも囁いて来てくれ。アラスカはそのための会談なのだよ」と言った。

これはルーズベルトが十八番にしている滅茶苦茶な二元外交で、国務長官ハルもモスクワ駐在大使スタンドレーも完全に無視するという異常なものだったけれども、デービスは喜んで共犯者になった。デービスはそれから十七日後の四月二十九日午後一時に大統領からランチに招待されたが、これは密やかな壮行会であり、ついで五月五日、うさん臭いこの使者はホワイトハウスヘ出向いて大統領から親書を受け取り、出発の挨拶を済ませるとモスクワヘの長い旅に出た。

フィルムの運び屋というふれ込みの使者は五月二〇日、モスクワの空港に着き、即刻スターリンの説得にあたった結果、七月十五日にあたりにフェアバンクスで単独会談に応ずるという約束を取りつけた。デービスがモスクワから戻り、喜ばしい成果を大統領に報告したのはチャーチルが第三回ワシントン会議を済ませて帰国した後、すなわち六月三日午後五時三十分のことだったが、しかしソ連の独裁者はデービスが大統領に報告して八日後(六月十一目)に「けしからん!・」と言ってアラスカ会議をキャンセルした。対日最後通牒ハルノートの原案を作った財務次官ホワイトほかアメリカの中央省庁にはソ連の工作員だった政府高官が多数いたから情報が筒抜けになるのは当然で、スターリンは第三回ワシントン会議の顛末を知って激怒したのである。

独ソの殺し合いを高みから見物しようという腹だ!

米英がイタリア作戦を優先した以上、スターリンの要求する北フランスヘの上陸は延伸と決まったからであり、かくしてデービスの努力は杞憂に帰した。

いっぽうアラスカでの秘密会談がボツになったという情報を聞いて、チャーチルは「つい先ごろスティムソンがやって来て原爆開発についてイギリスに折れて見せたのは、アラスカ会議がおじやんになったからだろう」と直感し、すぐに「アメリカは原爆を餌にしてソ連と結託するつもりだ」と結論した。かくして首相は「スターリンがいずれ打って来る国際的な脅迫の片棒を担ぐとは何たる背信行為か」とたいへんな剣幕でルーズベルトに電報を送り、しばらく熊のように部屋の内を行ったり来たりしていたが、そのうち「今度こそけりをつける!」と叫んで、くわえた葉巻を食いちぎってしまった。チャーチルは、大統領がスターリンに「インドほかイギリス支配下にある植民地を独立させて、かの国の力を削ぎ、米ソ二国で世界を指導して行こう」と語りかけるつもりでいたとは夢にも思っていなかったが、アラスカ会議の存在を聞いて、こと原爆については今までのような紳士協定では限界かおり、大統領の暴走を押さえることはできない。されば原爆協定書という公文書に作り直そう。そのためにもう一度直談判しようと考えた。

その機会はすぐにやって来た。英米が攻勢に出たイタリア方面では、七月十目にパットンとモントゴメリー両将軍率いる地上兵力がシチリアに上陸してメッシーナを目指し、七月二十五日にはムッソリーニが失脚してイタリアに無条件降伏の動きが出、かくしてイタリア本土進攻にともなう米英作戦会議がカナダのケべック市で開催されることになった。チャーチルはこのタイミングをとらえ、原爆についての直談判を強行したのである。

ケべック会議は英米両国の元帥級参加メンバーを含め、両国合わせて二百人を軽く超える随行員がおり余談ながらその中には首相夫人クレメンタインと末娘メアリーがいた。チャーチルは、今回も客船クィーン・メリーに乗って、八月五日にスコットランドのグリーノック港からカナダのノヴァスコシア半島にあるハリファックス港に向った。到着は八月九日の夜。そこから夜行でケペック市に向かい、到着は十目深夜。首相はルーズベルト嫌いの夫人を残し、そのまま夜行を乗り継いで南下。国境を越え、十一日深夜、大統領のいるハイドパークの私邸に入った。直談判は翌十二目から十四目まで続き、この間、ホットドッグとハンバーガーをバスケットに詰め込んでピクニックに出かけるという気分転換もあったが、それはそれ。モラン卿がおぞけを振るうほどの厳しい交渉が重ねられている。

ルーズベルトが強行突破しようとしたものは唯ひとつ。スターリンを原爆共同開発の仲間に入れようとしたことで、チャーチルは断固これを拒否した。このときチャーチルが手にしている切り札は七月二十二目づけの《OK/FDR》にまつわる合意で、これはたとえルーズベルトがとぼけたとしても、いざとなればスチムソン長官、ブッシュ博士、バンディー顧問、アンダーソン卿、チャーウェル卿を証人喚問できる。二つ目の切り札はルーズべルトご執心の蒋介石支援で、言うことを聞かないならイギリスはビルマ作戦を縮小するとブラフをかけた。そして三番目の切り札は何とウランで、この貴重な原爆素材はカナダから大量供給できることが判明したのだ。
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思考停止している

思考停止

 5月2日以来、ICレコーダーに入れていません。思考停止です。

 背中が痛い。明日から気分を変えないといけない。そのために、ズボンと靴を見てきます。

 生活を一番変えるのは、寝るときに考えることです。

 なるべく多く読むようにして、感じたことを全て、この中に入れる。読むことよりも重要なことは感じること、それよりも大事なことは考えること。

私は私の世界

 色々な本を読んでも、「私は私」という感覚が強くなっている。ドラマにしても、自分事ではない。自分のことを考えるときが自分事です。何にしても、結論を急がないといけない。そのために、色々なものをフリーにします。服装も含めて。

 私は全てを創造する。「私は私の世界である」。客観的世界-私が生まれる前からあり、死んでもある世界-それはない。こんなフレームがあるわけがない。

 ウィットゲンシュタインに憧れを感じるのは、私と同じだということです。別に理論がついてなくても、同じです。自分の存在に驚きを感じる。それと好対照なことがある。

 私がまったく存在しないと想像するのが困難なこと。私のいない世界を思い描くのがなぜそんなに難しいのか。ウィットゲンシュタインと同じく、自分の世界だとどうしても思ってしまう。

 私は現実の一部だが、現実が私の一部であるかのように感じる。私は現実の中核であり、現実を照らす太陽である。

存在しないということ

 死についても同じです。考える存在が、自分が存在しないことを考えるのは不可能だ。存在しないことを想像することは、誕生前に存在しないことを想像するのと同じ。だから、困難である。

 ヒュームの第一巻をやはり、借りましょう。

 自分の死を容易に想像することで、死は不可解です。完全な無意識な状態は想像できない。だけど、毎日、その中に入っていく。社会の存在は自分にかかっていると考える独我論者でも死を恐れる。

 死に対する、私自身の恐怖は、地球上の全生命が絶滅するような大惨事で自分が死ぬことになると考えても、和らげない。自分が世界の中心でないことを死が暴くことになるから困る。

 死の恐怖という、無への恐怖はあまりにも当たり前のこと。

国家の本質

 存在に対しても、他人の意見を覚えておくわけにはいきません。自分に対しての答を出していく。まあ、感想ですけど。

 ヘーゲルによる国家の概念。財産全体を共同し、共同で防衛すべく、結合した人間集団。特徴としては、共通の武力と国家権力

 国家の本質に属する領域と属さない領域を区別する。中心点への権力集中と社会的領域への権力分散がともに必要になる。政治の集権と行政の分権をともに実現する構想。国家と市民社会の区別に連なる考え方。

スタバのブラックエピロン

 今年のブラックエピロンの選別はきつかったみたいです。豊田駅前のスタバでは二人、落とされている。Iさんのところは、3人とも受かっています。本当に真剣に向かい合っていた。

マクドナルドのスマイル=0円

 マクドナルドのスマイル=0円、付加価値を認めないというやり方が失敗した。スマイルを有料化しないといけない。スタバはそれをやっています。そこに、バリスタの知恵が働く。思いをカタチにできる。スタバの「お客様ひとり」というのが好きです。これはCSを超えている。

 マクドナルドのスマイル=0円には、スタッフの存在を否定する考えがあります。特に、何分以内で出すことを決めることで、デリバリーする人としてのスタッフの競争に追い込んだ。

 お客様は早く出てくるのを期待しているという、勝手な思い込み。スタバで5分も話している私みたいな人間、それを目を見て、聞いているIさん。そんなことはマクドナルドでは考えられない。

 存在の力からすると、それは重要なことです。内面でつながっていると感じます。よく知らないけど、キャバレーも同じなんでしょう。スタッフの付加価値を全面的に信じる。
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