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マスードが死んだ

『シークレット・ウォーズ』より 「ハーリドに事情ができた」
マスードには何千冊もの蔵書があり、ペルシャの詩を心から愛していた。九月九日の日曜日、マスードは朝の早い時間から起きて、長年の政治顧問でもあるマスード・ハリーリという友人と過ごしていた。二人はいつもそうしていたように、バンガローで詩を朗々と読み上げていた。次の日の朝には、マスード司令官はエンジニア・アーレフを呼んで対米関係で何をすべきか--「双方の関係をいかに進展させるか、課題は何なのか、いかなる戦略を追求すべきか」--について尋ねるつもりだった。
アーレフが管理していた通信・無線傍受センターは、彼がホワージャ・バハーウッディーンに滞在する際に事務所として使っていたコンクリート建て住宅の一階に置かれていた。二階にはレセプション・ルームがあった。マスードは、彼を訪ねてきたアラブ人ジャーナリストを待たせてしまったが、インタビューに応じることにしたと言った。二人のジャーナリストはアーレフの情報センターの真上にある部屋で、三脚を立てカメラをセットした。そのころには時刻は正午になろうとしていた。アーレフは部屋を出たり入ったりしていた。そのさなか、マスード司令官の衛星電話に着信があり、応答した。そこで彼は、タリバーンとアル・カーイダの部隊がバグラム空軍基地から近い前線で襲撃をかけ、アラブ兵八人が捕まったことを知らされた。マスードはアーレフに命じた。「この戦闘について何かわかることがないか、調べてくれ」
アーレフは階段を下りていった。突然、爆発が起きた。そのとき彼は衛星電話に出ていたが、衝撃で、手にしていた端末を取り落としてしまった。最初に彼が思ったのは、タリバーンが保有する数少ない戦闘機の一機が爆弾を落としたのではないか、もしくは敵が長距離からロケット弾を発射したのではないかということだった。こうした攻撃はホワージャ・バハーウッディーンでは珍しくはなかったからだ。その後、煙のにおいを感じ、護衛の叫び声が聞こえてきた。階段を駆け上がってレセプションールームに行くと、マスードが生気なく横たわり、辺り一面が血だらけだった。「インタビュー」で司令官の通訳をしていた友人のハリーリも横たわり意識をなくしていた。アーレフは司令官のトヨタ・ランドクルーザーをよこせと叫んだ。彼らは負傷者を外に運び出した。ランドクルーザーの後部座席にマスードを横たえ、三列目の座席にハリーリを置いた。現場を出発すると、アーレフはヘリを呼んだ。車で五、六分のところにある発着場に行くよう運転手に命じた。偶然にも、近くの上空にヘリが一機飛んでいた。
「緊急事態なんだ」アーレフは言った。「あのヘリが必要になる--だがエンジンを切らないように伝えてくれ。いま向かっているから」
ヘリは負傷者を収容した。アーレフはヘリのパイロットに何か起きたのか悟られないように注意を払った。ホワージャ・バハーウッディーンから遠くない場所にある、インド政府によって建てられた病院に直行し、庭先に着陸するようパイロットに伝えた。それから彼は事務所に戻り、マスードのもっとも重要な軍事指揮官であるファヒーム・カーン将軍を衛星電話で呼び出した。アーレフはマスードに万一のことがあった際の合い言葉を使った。「ハーリドにちょっと事情ができた」
九月九日はタジキスタンの独立記念日に当たり、政府も民間も祝日で休みになる。電話が鳴ったとき、アムルッラー・サーレハも自宅にいた。マスードの甥からだった。「荷造りをするヒマなどありません--いますぐ空港に向かい、クリャーブに飛んでください」。甥が向かうよう言ったのは、ドゥシャンベから南東約二〇〇キロの場所に位置するタジキスタンの都市だった。サーレハは直ちに出発した。
クリャーブでもサーレハは暗号化された指示を守り、病院にたどり着いた。そこにはマスードの指揮官や部下四、五人がいた。少しして、ファヒーム・カーン将軍も到着した。エンジニア・アーレフが姿を現したのは日没近くになってからで、彼の服は血で覆われたままだった。タジキスタンのインテリジェンス機関の連絡官がそこに加わり、イラン革命防衛隊の担当官も続いた。医師にして長年マスードの外交顧問を務め、海外各地のリエゾンのマネジメントを担当していたアブドゥッラー・アブドゥッラーは、外遊先のニューデリーから呼び戻された。そこでサーレハは指揮官たちから初めて真実を告げられた--マスードが死んだ、と。
マスードの遺体は病院内に安置されていた。彼らは遺体をインドが建てたアフガン国境沿いの病院から空輸していたのだった。
院内の庭園では、これからどうすべきかについての話し合いが始まった。そのころには一ダースもの関係者が集まっていた。みなショックを受けており、なかには涙を流す者もいた。アル・カーイダと夕リバーンがマスードを殺害しようとしたことは過去に何度もあったが、彼はそんなことに屈することはないように見えた(アル・カーイダによって殉教者の地位が約束されていた二人のアラブ人自爆犯は、撮影機材のなかに爆発物を隠していた)。協議が進むなか、パンジシールの指導者たちがマスードの死を対外的には秘匿する必要があるとの結論に至るのに時間はかからなかった。マスードは軽傷を負ったにすぎず、生き延びるだろうとの説明をしていかなければならない。こうでもしなければ、パンジシール渓谷入口の前線で多数のタリバーン兵や獰猛で死を厭わないアル・カーイダの義勇兵と対峙する自軍の戦闘員がパニックに陥って撤退し、その結果タリバーンによって渓谷が併呑され殺戮を招くことになりかねないという事態を恐れたのだった。イラン革命防衛隊の顧問からは、こんな申し出があった。マスードの遺体をクリャーブに安置した状態で彼が殺害されたことを隠し通すのが難しいなら、彼らとタジキスタンのインテリジェンス機関が遺体をイランのマシュハドに移送すれば、「彼の死を一ヵ月でも、六ヵ月でも、必要なだけ秘密にしておくことができる」と。
グループのなかには、遺体をパンジシール渓谷に移送すべきと提案する者もいた。しかしこの案は、前線の指揮官に事情を言い含める前の段階で真相が早々と漏れてしまう危険があった。アブドゥッラーは、「マスード死す」の報せが広まれば彼らの抵抗活動が崩壊してしまうに違いないと考えていた。病院の近くに死体安置所がある、タジキスタンのインテリジェンス機関の担当官が言った。そこなら少なくともファヒームが指揮官たちと協議を行う数日間は秘密裏に遺体を保管しておくことができる。この案がベストだとの決定が全員によって下された。
彼らは、自分たちの活動にとって重要度がとくに高い六カ国--米国、ロシア、イラン、インド、タジキスタン、ウズベキスタン--に対し事件の真相を伝えておくとの点でも一致した。ClAに連絡せよとの指示がアムルッラー・サーレハに下された。マスード暗殺の真相について説明し、武器供与の要請をせよ、と。サーレハがALEC室に伝えようとした主張は、要約すればこういうことだ。「タリバーンやアル・カーイダヘの抵抗があなた方にとってなんらかの意味を持つのであれば、われわれは持ちこたえることができる。戦うことができるのです。戦っていきます。しかし、あなた方がマスード司令官だけを支援したいのだとしても、もう彼はこの世にいません。この損失を補うためには、彼が生きていたとき以上の支援が必要なのです」
サーレハは飛行機でドゥシャンベに戻ると、CIAテロ対策センターのリチャード・ブリーにメッセージを送り、緊急の話があると伝えた。ブリーが秘匿回線を使って連絡してくると、サーレハはクリャーブで言われた要領に沿って話をした。マスードが死亡したことを認めつつも、パンジシールの幹部たちは前線の崩壊を防ごうとしており、そのために彼の死を隠しておきたいと考えている--サーレハはブリーにそう強調した。
電話を終えた後、ブリーはホワイトハウスに内容を知らせた。それから数時間以内に、メディアは匿名のブッシュ政権関係者の話を引用するかたちで、マスードが暗殺された模様だとのニュースを報じた。
サーレハは電話をかけ直した。あなたの対応によって、わたしは同志との関係が非常に難しいことになりそうです--落ち着いた口調で彼は言った。今回の件は秘密にするという指示を受けていたのですから。
ブリーもこうなってしまったことは残念だとして、こう言った。CIAは今回のような重要情報は入り次第政策決定者に報告する義務があるが、ホワイト(ウスや国務省が記者からの質問にどう答えるかまではコントロールのしようがないのだ、と。
サーレハは諦めなかった。ブリーやALEC室はマスードヘの武器供与の必要性を説いて回り、ホワイトハウスにもこの考えを伝えたが、採用には至らなかったという経緯は彼も知っていた。しかしいまはブッシュ政権に変わり、ここに来てビン・ラディン関連の情報収集に新たな脅威--パンジシールが敵の手に落ちるような事態になれば、CIAは重要な通信傍受拠点を失うことになる--がもたらされている。米国は北部問盟に救いの手を差し伸べてくれるだろうか、それともパンジシールを成り行きに任せてしまうのだろうか?
「戦闘を継続する、それがわれわれの決断です」サーレハは言った。「降伏はしません。戦場で最後の一人になるまで戦い抜いていきます。この戦いはマスードのためにやってきたのではないのです。はるかに大きな大義のためです。われわれは持ちこたえていきます」
サーレハはいますぐ必要な武器と補給物資のリストを示しながら言った。「アメリカはどのような支援をしていただけるのでしょうか?」
言わんとすることはわかった、とブリーは言った。この日は九月十日、月曜日。ワシントンでは新たな一週間の始まりだった。一日か二日、時間が必要だろう。「その件については折り返し連絡をするから」彼はそう言った。

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豊田市図書館の30冊

498.12『マトリ』厚労省麻薬取締官
686.55『ヨーロッパ鉄道時刻表 2020年冬ダイヤ号』
112『因果性』現代哲学のキーコンセプト
104『「かわいい」の世界』ザ・パワー・オブ・キュート
235.3『物語パリの歴史』
367.5『男らしさの終焉』
227.9『「ユダヤ」の世界史』一神教の誕生から民族国家の建設まで
519.04『Come On! 目を覚まそう!』ローマクラブ『成長の限界』から半世紀
377.2『大学はもう死んでいる?』トップユニバーシティーからの問題提起
451.85『気候危機』
309.02『「黄色いベスト」と底辺からの社会運動』フランス庶民の怒りはどこに向かっているのか
723.1『いのちを刻む』鉛筆画の鬼才、木下晋自伝
319.8『ハルマゲドン人類と核 上』
209.75『東西冷戦史1』
312.53『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』
322.92『中国社会の法社会学』「無秩序」のオクにある法則の探求
018.09『アーカイブ論』記録のちからと現代社会
010.22『戦場の秘密図書館』シリアに残された希望
369『社会福祉の動向2020』
391.62『シークレット・ウォーズ 上』アメリカ、アフガニスタン、パキスタン三つ巴の諜報戦争
391.62『シークレット・ウォーズ 下』アメリカ、アフガニスタン、パキスタン三つ巴の諜報戦争
783.47『うつ白 そんな自分も好きになる』
209『暗殺が変えた世界史 上』
133.9『プラグマティズムの歩き方 上巻』21世紀のためのアメリカ哲学案内
133.9『プラグマティズムの歩き方 下巻』21世紀のためのアメリカ哲学案内
321.4『法と心理学への招待』
336.2『創造力とデザインの心得』5年後の“必要”をつくる、正しいビジネスの創造計画
706.7『美意識の値段』
210.75『特攻隊員の現実(リアル)』
270『太平洋諸島の歴史を知るための50章』日本とのかかわり

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すべてが私のために

4.8「階層問題」。このヒントのために肺炎問題を起こしたんでしょう。個人と国家との関係。それを中心に超と地域をどう絡ませるか。一番、安定するのは何か。 #すべてが私のために
相手は何人であるかをサーチする翻訳機。サイゼリヤでおしゃべりトリオおばさんの国がわからない。 #サイゼリヤは外国人と女子高生
今日、新刊書に「ヨーロッパ時刻表」2020冬ダイヤ号6.13まで有効。これって、行け!ということ。早速、ヘルシンキ→ロバニエミが日帰りできるかの確認作業。 #ヨーロッパ時刻表
湖北省という単位。中国の分割が始まる。満州以来。1億人単位でも十数個の国ができる。中国は元々地方自治の国。 #国家分割
9.11の前日に自爆テロで暗殺されたマスード。それから始まるアメリカ軍の戦争。これが知りたかった。マスードを知らなかったことから本の借り出し冊数が年間500冊から1000冊になり、1500冊になった。ついに見つけた! #マスードはチェのイメージ

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存在の時代

本当はすべてが終わっている感覚がしている。何度も見せられている。永遠回帰という言葉はこの感覚から生まれたんでしょう。 #永遠回帰
永遠回帰、最初に知ったときに、そんな馬鹿な!と思った。今は一番納得がいく。 #永遠回帰
国はなにも示せない。そんなことよりも個の覚醒。国という単位が必要なのか?  #日本の窮屈さ
必要なのは個の存在を示すコメント文化。コミュニティでのアゴラなのかな? #コメント文化
第4章歴史編のポイントは個人と国との関係。国を超える「超」と個がいかにつながるかが人類の未来を決める。 #個と超と中間
入社するときに思ったのは心をもったクルマにしたい。浪人時の散歩で見た横断中に轢き殺された毛虫たち。運転手は何も感じないがクルマは感じるはず。それを表現できるはず。 #クルマに心を
歴史編でたどり着いた4.6.4「存在の時代」。過去とは非連続な未来がそこのはあった。未来の歴史を書こう。アタリの「21世紀の歴史」ではないけど。 #存在の時代
奥さんが掃除機をかけている。ということは今週末に未唯たちが来るのか。 #掃除機理論
家に帰ったら、やはり、思ったとおり、未唯たちが来たみたい。 #掃除機理論
永遠回帰で思い出すのはハルヒ。最初の再放送で深夜時間帯。同じ夏の思い出が三度放送された。放送事故だと思った。ハルヒが気に入らなかったので、何度も繰り返していた。回帰に気づくのはどういうタイミング。 #永遠回帰
コクーンのインク切れ。クロスを持ってきて正解。
アウシュビッツ解放75年 日本に関するコメントはすぐに3000を超える。同じことが書かれている。ケヤガキみたい。 #アウシュビッツ解放75年
羽田空港が舞鶴港になっている。岸壁の母はいないけど。 #肺炎
そんなことよりも、今週は選抜発表! #生ちゃんセンター希望

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大きな車は不用

中々、のらないな。どうしても逃げてしまう。やはり、日本では方向は決められない。 #日本の窮屈さ
「日本国民のため」のなかに私は入っているのでしょうか? ここ数年、人とは接触していない。 #日本の窮屈さ
アウシュビッツ解放75年。日本は未だに解放されていない。日本という収容所。 #アウシュビッツ解放75年
歩いていると、降りてきたバスに轢かれそうになる。さらに大きな車をはせらせようとしている、未来都市豊田。車幅を2/3にすれば、道路は広がる #大きな車は不用

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個と超と中間

個の覚醒がなくて、共産主義が組織に乗っ取られた。先鋭という名前の組織に。 #組織の発想
キリスト教の場合は宣教師という名前の組織。その組織が外に向かっていく。そこでは組織の従属性は成り立たなくなっている。個の覚醒が封じ込められた。 #組織の発想
個が覚醒したときに民主主義は答えではない。 #個の覚醒
何を考えても、存在と時間という大きな力になって、全てがひっくり返される。存在と時間が個の覚醒と大きく関わる。それを前提としたときに何をすべきか、何をするために生まれてきたのか。 #個の覚醒
自分が納得すればいいだけの世界において、言葉で表現することに意味があるのか。 #言葉で表現する
他者というものに対して、述べるためにことばを使う。自分に対して、そんなものは必要なのか。そこを徹底しないといけない。幻想に酔っています。 #言葉で表現する
個の覚醒は超とつながること、超を意識すること、そして、超そのものになる。その中間のものは単なる実体に過ぎない。実体が全てというものに対しては、これは通じないだろう。 #個と超と中間
穴埋めすることの虚しさ。言いたいのはそんなことではない。分っているけど、埋めたくなる。時間潰しに過ぎない。存在は答えから始まる。問いは意味はあるのか。意味がなければ、存在を受けるしかない。 #穴埋めが続いている
暗闇の中の発想。布団なのかで目をつぶって考えている。目が開いていること、見えることは意味をなさない。人のつながりも同じ。本当の孤立と孤独の世界。 #孤立と孤独
次こそゴツゴツしていないミカンを買おう! #ちいさなみかん
おでんの素に里芋、ゆで卵、とうふ、ちくわでおでんにした。これを白のおでんと命名。材料はすべてセブンイレブン。 #自炊メニュー
明日は肉(29)の日だから、モスにしようか。にくにくにくバーガーでなく、ライスバーガー。マックはご飯バーガーと命名。日本人はRとLが区別できないので、しらみになるのを避けたんでしょう。 #モスの肉の日
札幌無観客マラソン。無観客ライブ、誰もいない握手会。そうか、この手があったんだ。納得。 #東京オリンピック

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「存在と時間」から思考停止

ちょっと、でかかった。「存在と時間」のタームから思考停止状態に入った。 #思考停止

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OCR化した9冊

『失われた子どもたち』
 チェコスロヴァキアにおける民族浄化と家族
  国民の境界と家族の境界
  チェコスロヴァキアにおける民族浄化
  「雑婚」と民族浄化
  国民と家族をめぐる二律背反の要求
『時間とテクノロジー』
 「共時の物語」が始まる
 ユングとシンクロニシティ
『出エジプト記』
 十戒と契約の書
『家族心理学』
 変わりゆく社会・多様な家族
  (1)晩婚化・非婚化・少子化・核家族化・単独世帯の増加
  (2)家族を取り巻く社会文化的文脈の変化
『モビリティーサプライヤー進化論』
 変わる都市の姿、インフラ事業者に飛躍の好機
 多岐にわたる都市インフラのプレーヤー
 情報通信・交通・エネルギー・水インフラが変わる
 都市インフラサプライヤーに豊富な事業機会
 自動車サプライヤーの事業機会は期待薄?
 各事業者が注目すべきCASEトレンド
『進化形態はイクメン』
 複数の父親
『法思想史』
 ヘーゲルの『法の哲学』
  ヘーゲルの哲学観
  ヘーゲルの青年時代
  「精神現象学」
  弁証法と学問の体系
  「法の哲学」
  抽象的権利・道徳・人倫
  家族--人倫の最初の段階
  市民社会--人倫の中間段階
  国家--人倫の最終形態
  ヘーゲルの国家構想
  学派の形成とその後の影響
『世界哲学史1』
 ソクラテスとギリシア文化
  世界から魂へ
   源流思想のシンクロニシティ
   民主政ポリス--アテナイの理念と現実
   知恵の教師とパイデイア
  民主政ポリスの哲学者ソクラテス
   ソクラテスのセミパブリックな生き方
   「デルフォイの神託事件」と不知の自党
   知恵と哲学(愛知)
  魂への配慮
   幸福主義の公理
   幸福と徳ある魂
   思慮と真理
   ソクラテス哲学への応答可能性
『社会学』
 環境と技術
  技術と環境問題
   「自動車の世紀」としての20世紀
    もっとも20世紀的な技術は何か
    自動車の光と影
   自動重の文化的矛盾
    フォーディズム
    トヨタ--ポスト・フォーディズム
   クルマ社会をコントロールできるか
    自動車をめぐる社会的ジレンマ
    自動車を規制する手法
    ハード中心の交通政策のの問題点
   自動車の未来
    ゼロエミッション車・自動運転車への期待
    フロンと新幹線の教訓
  環境問題の諸相
   社会的に構成された自然
    自然とは何か
    桜は自然か
   環境社会学の誕生と展開
    日本の環境社会学
    欧米の環境社会学
   環境問題の諸相
    4つの環境問題
    産業公害
    高速交通公害
    生活公害
    地球環境問題と気候変動問題
    地域環境再生
  リスク社会としての現代
   リスクとリスク社会論
    リスク社会論のインパクト
    グローバル化するリスク
    リスクと危険--ルーマンのリスク論
   持続可能な未来をめざして--リスク社会と開かれた対話
 国家とグローバリゼーション
  グローバリゼーションとナショナリズム
   グローバル資本主義とテロリスト
   ネーションの起源はどこに
   近代の産物か、それとも永続するものか
  「ネーション」日本の創出
   「日本」とは何か
   「国民国家」成立の世界史的背景
   「国民」を作り出す--包摂される多様な階層゛
   想像力としてのネーションへ
   境界の確定と「他者性」の生産
   消費されるナショナリズム
  グローバル化する社会を理解する
   Think Globally
   人びとはどこかでつながづている
   「グローバリゼーションの社会学」のために
   変化する国家像--セキュリティ、評価、メガ・プロジェクト
  グローバリゼーションの先へ
   ナショナリズム台頭のわな
   グローバリゼーションを飼い慣らすために
   新しい公共圈の形
 家族とライフコーヌ
  家族とメディア
   テレビを見た時代、テレビを見ない時代
   家族における(n+1)電話ネットワーク
  プライベート空間化する家族
   家族分析の基本的概念
   生産共同体から消費共同体へ--衰退と強化の交錯
   (n-1)LDK住宅に潜む近代家族観
  〈家族のなかの人生〉という見方の変容
   400mトラックの完走としてのライフサイクル
   時代の刻印を帯びたでこぼこなライフコース
   ライフコースごとのライフスタイルの多様化--結婚と葬儀
  家族と社会問題
   親密な存在ゆえの愛情と憎悪--性愛と暴力
   家族に介入する社会政策
   家族に介入する科学技術

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家族と社会問題

『社会学』より 家族とライフコース
親密な存在ゆえの愛情と憎悪--性愛と暴力
 家族の変化の方向を示す「友愛家族」という言葉に象徴されるように、現代社会において家族成員は、「親密」(intimate)な成員として位置づけられている。私たちは、自分の周囲のすべての人間関係において親密なわけではなく、親密と疎遠の両極の間に各種の人閣関係を保持している。もちろん、親密な関係でもすべての側面がそうだという一次元的なわけではなく、そこに距離のある側面がある場合もある。家族はそのような親密な人間関係の代表的な存在であるが、親密なるがゆえに家族内において起こる行為として、性愛と暴力がある。それらの背景には、一般的にいえば愛情と憎悪という感情の発露がある。
 私たち人間が愛情と憎悪という相反する感情をもつことは一般的であり、各々の感情の程度や比重、対人関係での表現や行動においては各人各様の差異があろう。そして、愛情と憎悪は二律背反的なものでもなく、同一の対象に対して両者を抱くこともある。それは、男女の夫婦間に限らない。親は子どもを愛することもあれば憎むこともある。子どもは家族のなかではじめて愛される経験をもつが、はじめて憎まれる経験をもつこともある。感情のたががはずれる装置、それが家族なのでもある。したがって、家族においては感情の過少と過剰が、愛情においても憎悪においても現象化しうる。親の過保護・過干渉、子どもの甘え・依存、親のいじめ・体罰、子どもの反抗などは各々、過剰に示された愛情と憎悪ということになろう。
 性愛と暴力は対比的な行為ではあるが、家族内において発生し他所では示しにくい、ある一線を超えた行為であるという位置づけには類似性がある。家族内における性愛は、一般的には夫婦間において営まれる性行為をさすわけだが、家族現象として広義に考えれば、性愛を中核として、それを社会的に許容する婚姻の制度などまで緩やかに含めることもできよう。セクシュアリティは本書第12章で論じられるので、ここでは婚姻がもたらす人間関係についてふれておこう。
 かつて、G.ジンメルは、近代的な婚姻には、新婚期には肉体的な一体性、精神的な一体性を求め、相互に完全にあますところなく溶け合いたいという欲求があり、配慮と距離をもって接するという心性がなかなか実現されないと論じた。そして、そのような関係の絶対的な統一性を求めることは、夫婦という親密な関係においても、いやむしろ親密な関係だからこそ、関係解体の危機を招く恐れがあると考えていた。すなわち、親密な関係であるからこそ、すべてをさらけだすわけではない繊細さと自制が求められ、場合によっては相互に存在しうる秘密を認め合うことが適切な距離の維持には必要なのである。親密性を維持するためには、近づきつつ完全には接近しないというむしろ適切な距離が求められるのであり、その微細な距離がさらに近づきたいという欲求を高めるのである。
 しかし、感情を中心とする近代家族では、感情が離れたとしてもその関係を維持し続けなければならないという必然性がないから、感情の冷却が関係の終了につながり、結果として、夫婦であれば離婚に至るということかありうる。
 他方で、その他の人間関係なら起こりにくいのに、家族なら一線を超えてしまう行動としてあるのが暴力や虐待であり、それへの社会的注視が高まってきている。具体的には、子どもへの虐待、老人への虐待、夫婦や恋人間の虐待(ドメスティック・バイオレンス:DV)、子どもから親への家庭内暴力などがそれに該当する。家族は温かく、羽を休める安全なところというイメージがあるがゆえに、これまで家族内での暴力はプライベートな間頚とり、なされることが多く、児童虐待であれば親の“しつけ”として、DVであればいきすぎ“夫婦げんか”の範囲のこととして処理されることも少なくなかった。すなわち、家族外の人に対してであれば傷害罪となるような暴力・虐待も、家族内ではありうることとして社会的に見過ごされてきたのである。
 児童虐待では、乳幼児を畳や床に投げつける、浴槽のなかに子どもを息ができないくらい沈める、青あざができるまで叩くなどの身体的暴力、子どもを学校に行かせない、病気なのに医者にみせないなどのネグレクト、嫌がるのに父親が娘と風呂にいっしょに入る、具体的な性行為を強要するなどの性的虐待などがあげられる。また、老人虐待の例としては、介護場面で叩く・蹴るといった身体的虐待、外出させない、返事をしない、ひとりで食事させるなどの心理的虐待、おしめの交換回数を減らすなどの介護拒否などがあげられる。
 私たちは、同じことが起こっても仕事上であれば声を荒げたり怒ったりしないのに、家族に対してはそのような感情を直接ぶつけることがある。さらには、他所での怒りを、何の脈絡もなく、家族の行動に何か八つ当たりするようなこともある。家族は私たちに感情を喚起・誘発・表現させる装置のようなものなのだが、その極限形態として暴力・虐待がある。家族内での暴力・虐待は閉ざされた空間で起こるため、周囲の発見が遅れがちであり、また虐待者と被虐待者が相互依存あるいは上下関係にあるため、それが秘匿されたり、さらには虐待者がかばわれることさえ珍しくない。
 家族は、そのなかに入れば社会の荒波から自分を守ってくれる壁にもなるが、他方で、救出や援助を意図して社会が内部に侵入しようとしたときに、家族はそれを遮断する壁にもなりうるのである。私たちは家のなかに入るとき、社会が家族のなかに入れないように鍵をかけたつもりが、じつは自らを家族のなかに閉じ込める鍵をかけてしまっているのかもしれない。
家族に介入する社会政策
 家族は日々の生命や労働力を培い、生殖によって世代を維持するという根本的な2つの再生産の機能を担っている。現代社会では、家族がもつそのような再生産機能なくして、社会の存立そのものが立ちいかなくなっており、国家は家族政策を通じて、家族への介入・侵入を試みている。一方、それは家族の側からみても、地域共同体や親族共同体の弱化によって、扶養や再生産機能を遂行可能な力量以上に過剰に求められる現状で、国家が一定程度支援する働きに期待する部分も出てきている。一般的にいって、国家は家族政策の有無や制定・実施を通じて、家族への介入度合いを変化させ、同様に、家族と社会の実態が国家に家族政策の変容をせまることもある。
 そのような家族政策は、現有の家族成員を社会的に位置づけたり、家族成員そのものの社会的な再生産を確保するという諸政策であったりする。具体的には、家族法は大きく家族私法と家族公法に区分される。家族私法は主として家族の構造を規制するものであり、民法の一部たる親族・相続の諸規定に基づく民事政策がそれを実施していく。家族公法は主として家族の機能を援助・強化するものであり、社会保障、社会福祉、公衆衛生などの諸法に規定された諸政策が実施されていく。また、主として家族の構造や機能を把握するための法として、戸籍法・住民登録法・外国人登録法などがあげられる。また、直接に家族への影響を行使するのではなく、ある政策を実施して間接的に家族に及ぶ効果を期待する政策もあり、一例は労働政策などが該当しよう。
 国家が、家族政策を通じて家族に介入する代表的な例が、当該国家の人口動向への影響力の行使である。日本社会は、すでに1970年に国連が規定する65歳以上人口比率が7%を超える高齢化社会(agine society)に突入しその後もこの比率は上昇を続けており、lつの目途とされるその倍の14%にも1990年代前半に到達し、高齢社会(aged society)という段階に入っている。しかし、65歳以上人口比率は、比率の分子に影響する人口構造の高齢化だけでなく、分母に影響する少子化の進行によっても上昇するのであり、両者を注視するべく、少子高齢社会という言い方が急速に普及してきた。日本の少子化も加速度的に進んできており、女性が一生のうちに何人子どもを産むかという合計特殊出生率は、その国の人口を維持できる人口置き換え水準は06~2.08)をすでに1970年代に割り込み、2000年代半ば1.2台の水準となったが、現在は、1.3~1.4台を推移している。高齢者が多く長生きすることによって維持されていた日本の総人口も減り始め、国立社会保障・人口問題研究所は,  2005年の諸条件が続けば、2200年の人口は753万人になると予測している。この予測では、日本の人口は3000年に14人になり、そして.  3300年には誰もいなくなることになっている。日本はまさしく人口減少社会へと歩を進めているのである(国立社会保障・人口問題研究所編2007)。
 少子化に対応する主要な政策としては、保育制度や育児休業制度の充実、家族手当の支給などがあがる。厚生労働省の「待機児童ゼロ作戦」や「イクメンプロジェクト」なども、その流れの一環であったりする。これらは、子育てへ直接影響が及ぶ社会福祉・社会保障政策であったり、親が子育てをする条件を整備する労働政策であったりする。スウェーデンやデンマークなど先進諸国の一部では、これらの政策を高水準に保つことで、合計特殊出生率を一定程度上昇させることに成功した例があるが、それも人口置き換え水準まで戻すことはなく、また、その合計特殊出生率再上昇の効果が長期間持続するまでは確認されていない。先進諸国の多くに共通する少子化傾向は、家族政策を通じて何らかの回復を果たすのは容易ではない社会変動であると理解したほうがよいのであろう。
 他方で、世界一の人口の多さとその拡大に悩んできた隣国・中国は1979年からー人っ子政策を実施し、その抑制に乗り出している。社会科学的に考えると、「改革・開放」政策により経済生産においては市場経済の導入という「自由」を選択した中国が、人口の再生産においては「計画」を選択するという、皮肉な状況にあったことになる。
 中国の日常生活において、一人っ子たちは「小皇帝」「小太陽」と呼ばれ、各家庭の中心的存在として親たちから多く溺愛される存在となってきた。「ひとりの子どもをもつ者は子どもの奴隷であり、より多くの子どもをもつ者は彼らの主人である」というジンメルの指摘をあげる鍾家新は次のように整理する。親たちが子どもを溺愛する背景に、人口抑制政策で少なくしか産めない子どもの大切さが上昇すること、他方で、進む消費社会化のなかで1人の子どもにかけられる金銭が増加していることがあげられる。これと並んで、親たち世代が1966年から10年間の「文化大革命」によって翻弄された人生上の犠牲を補償したいというライフコース的な心情も関わっているとされる。1人しか出産が許されない子どもにおいて、中国の伝統文化では男子の出生が望まれ、その結果、女子しか出産できなかった妻たちが差別されるという事態もみられるという。
 公権力は当該国家の人口規模がもたらす正負の効果を考慮して、人口再生産の母体である家族に介入しようとする。しかし、人口規模を調整しようとする意図は一定以上に実現されるわけではなく、他方で、社会保障の世代間問題までを含む人口構造のアンバランスを帰結することもありうるわけである。労働力人口の減少が明瞭になるなどあって、中国でも2015年をもって、一人っ子政策は終了した。それでも、中国は今後予想される急速な高齢化に一人っ子たちが直面していかなければならないことになる。そして、一人っ子の彼ら・彼女らは子どもは一人でよいと考えている例も多い。長らく人口世界一であった中国は、その座を2020年代前半にインドに明け渡すことが予想されている。

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