未唯への手紙

未唯への手紙

個人で歴史は決まるのか

2007年10月31日 | 4.歴史
未唯へ。歴史に興味がありますか。私は大学1年の時に、戦間期のドイツにはまりました。「未唯への手紙」の歴史編でのポイントは「歴史の中の偶然があるか」です。この最近の関心は「歴史は個人で変わりうるか」です。

一番分かりやすいのは、ルーズベルト大統領が半年長く生きていたら、歴史はどうなったか。彼は、スターリンを対日本戦に参戦させようと画策した。ところが、日本敗戦前になくなり、トルーマンが大統領を引き継いだ。トルーマンは、完成した原爆をソ連牽制の道具として、使いました。

もし、ルーズベルトが生きていたならば、原爆を使わずに、スターリンは日本を侵略し、ドイツ・朝鮮と同様に、東日本と西日本の分割統治になっていただろう、と言われています。

だけど、「未唯への手紙」ではもっと、根源的に考えていこうと思います。そういう観点で、石原莞爾の生涯を軸に書かれた『地ひらく』(福田和也著、773p、20cm)を読んでいます。読みやすかったけど、本が重たくて大変でした。さすがに「ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法」を実践し、石原莞爾が行ったところは全て出かける人だけに、歴史を知るにはいいですね。

そこで分かったのは、「戦争」というものでは、個人が出てくるものです。戦争は国家への自己犠牲を強いるものです。それを積極的に行った国家が勝ってきたのは確かです。日本では、典型が乃木大将です。何しろ、戦争が下手で、203高地にしても、正面から突撃するだけです。ロシアの機関銃の前に出て行って撃たれて死ぬことを続けた。203高地に行った時に、こんな要塞はまともじゃないと思いました。それでも彼の天皇に対する真摯な態度が軍人に対して、インパクトを与えつづけたのです。

それ故に、日本は“強かった”のです。ノモンハンにしても、ソ連軍の戦車に対して、タコツボの中に潜み、身につけた爆雷ごと体当たりして、かなりの損害を与えたのは確かです。これは、ソ連がフィンランドに攻め入った時に与えられた恐怖に似ています。

ナチス・ドイツとソ連の場合は独裁者と殺人部隊です。ヒットラーとスターリンの死守命令と逃亡兵士の射殺部隊があり、ソ連に至っては、逃亡兵士の家族まで射殺する体制をとっていました。

その時点では国家と個人が一緒になっていないと不可能です。だから、戦争時は個人の名前が挙がってくるのです。

どことも、だれともつながっていない

2007年10月30日 | 1.私
未唯へ。あなたは誰とつながっていますか。私はだれともつながっている感じがしていません。誰ともつながっていないことを基本としています。

 ①職場ではだれともつながっていない
  今日もほとんど、職場での会話はありません。以前、少しはあった女性たちともほとんど話すことはありません。話す必要もありません。今は大嫌いです。
  その理由はちょっと嫌なことがあって、話を避けていたら、感情がスパイラルして、そういう心理になってしまいました。きっかけは、ある女性から、彼女たちが私の悪口を話していたということを聞いたことです。この辺はかなり、女性的な感覚で動いています。
  人のことが嫌いになると、その人からは10倍嫌われるという法則が働いています。この法則は好きになると10分の1好かれるというものとのペアです。今は、職場では笑顔がないから、嫌い・嫌いのスパイラルに入っています。
  男性については、組織も含めて、何も得るものがないので、当然つながっていません。4月頃から職場ミーティングに出ていないけど、何も困っていません。

 ②哲学者の池田晶子さんの影響がかなり出ています。
  今までは、つながっていないことを表に出すことはなかった。まあ、あえて言うことではないし、そんなにほめられたことではない、みたいな感覚が強かった。
  だけど、池田さんの本を読んで、つながっていないのが、人類の本当の姿だと、確信を得ました。だから、つながっていないというところから考えるようにします。つながっているという“勘違い”から入ると、分析がマイナスから出発することになります。
  池田さんのように、つながらない状態で、何が真理か考えましょう。

 ③改めて、孤立と孤独が出発点ですね
  「未唯への手紙」の第一章「自分」の持続型循環のループを作成しています。やはり、ループの出発点、つまり、自分の出発点は「孤立と孤独」です。
  ループは「孤立と孤独」⇒(広い世界を求めて)⇒「数学」⇒(女性的発想に切替)⇒「夢」⇒(笑顔で人へ接する)⇒「未唯への手紙」⇒(持続型循環での整理)⇒「孤立と孤独」という循環をしているみたいです。今は、ちょうど、ループを認識して最初のサイクルに入るところです。

つながるためのキーは数学と女性です。これを「未唯への手紙」で結論につなげます。

私はグローバルの中にいます

2007年10月29日 | 3.社会
未唯へ。歴史というものを考えてくださいね。そこからは多くのヒントが与えられます。マスコミは信じてはいけません。今回は企業の中から自分の存在を考えて見ました。

①企業は政治とは異なり、お客様(市民)が最大のよりどころです。

グローバルのみの独走は政治面ではありうるが、経済面ではありえない。

政治的に、日本とか地域を離れるのは非常に難しいが、経済面では、個々の生活を守るために、地域を守るために、「買う相手を選択する」ことは、容易な手段です。家庭レベルでの選択基準が変われば、いかなる企業でも変わらざるを得ないものです。電力とかガスとかのインフラにしても、肉・野菜などの日常品にしても、車などの移動手段にしても、別の選択肢はあります。そのためには学習が必要ですけど。

②ローカルから動きを作るのが、グローバルの役目です

グローバルは安く作るとか、全体のレベルを上げるとかの利点に対して、大量に作ることによるムダの発生などの欠点が指摘されている。全てをローカルで処理すると、クローズな状態になり、かなりの部分を固定することになり、多くの人間を生存させることはできません。

今後はローカルからグローバルを活用させると同時に、グローバル側もローカルに自分たちを生かしてもらう姿勢が必要になります。これは今まではほとんどやられていません。

③私は幸いにも、グローバルに中にいながら、ローカルの視点で見ています。

全国販売店の店舗を軸にして、メーカー⇒販売店⇒店舗⇒お客様のB-B-B-Cを実現するために、この10年ぐらい、「仕事」を行ってきました。仕事はグローバルの視点でのインフラとアプリケーションつくりでAct Globally(AG)ですね。

その中にいながら、お客様からの視点とか店舗からの視点というThink Locally(TL)で見てきました。ポータルの思いがなぜ、販売店につながらないかと考えてきて、分かったのは、自分の中のグローバルの視点でアプローチしたからです。

ローカルにいる人でグローバルに要求する人は多くいます。そういう人に対して、私がグローバルに居ることの存在理由をハッキリさせていきます。「あなたがいてくれてよかった」というものです。これが持続型循環でのAG⇒(f)⇒TLのファシリテーションの存在です。

1962年10月28日(日)の朝は平和に迎えられた

2007年10月28日 | 4.歴史
未唯へ。45年前の今日は何があった日でしょうか。この時ぐらいに、世の中が暗い感じがしていたのは覚えています。放送が一時中断したときは、東京が壊滅したと思いました。

世の中に大きな影を落としていたのは、「キューバ危機」です。今朝、CATVの番組を回していたら、「13デイズ」を放映していたので、最後まで見てしまいました。おかげで、今日の計画は大きく変更です。

ケネディ兄弟(大統領と司法長官)の苦悩の姿を描いたものです。過去にも数回見ているのですが、今回は「対話」と言う言葉が出てきたのと、日付と曜日が一緒と言うことで見ていました。

「対話」という言葉が唐突に出てきました。キューバ封鎖に対して、海軍は自分たちの権限の中で、いかに遂行して、そのなかで事態が拡大することもやむをえないという考えで進めていました。だから、自分たちの論理が正当であればいい、阻止するには脅しの砲撃をタンカーの上空に打ち込むことは問題ないと判断して行った。

それに対して、自分たちの正当性よりも相手がその行為をどう感じるのかを指摘した時に、先ほどの「対話」という言葉が出てきた。それぞれの局面だけではなく、全体としてフルッショフとケネディが対話をしている。それをジャマするな!

クライマックスは28日(日)の朝にフルッショフからの「対話」があり、平和な日曜日の朝が迎えられた。気になったのは、乾杯しているときに、この調子で、「アジア・中近東に対してもやっていくぞ!」みたいな言葉が発せられていた。歴史は「対話」から大きく離れていきます。

ベトナムの時にも、「対話」して欲しかったが、自分たちが攻撃されないという保証の元では、軍部の「正当な」論理が採用されてしまった。9.11も本来は「対話」が必要なのであったが、アメリカ本土を攻撃されて、「対話」を忘れてしまった。「キューバ侵攻」と同じような条件だったのだから、「なぜ、彼らがそれをするのか」という観点から「対話」に入れる可能性があったのに。

10月28日(日)という日が何かを意味しているかを知りたくて、最後まで見ました。45年前の冷蔵庫にハロウィンのかぼちゃが貼ってあった。もしかして、日本の年末=「忠臣蔵」のように、米国ではハロウィン=「13デイズ」になっているかもしれません。

45年後の今、知恵を生かす時代です。

グローバル・マーケティングの真ん中で「知恵」を叫ぶ

2007年10月27日 | 3.社会
未唯へ。日本で安いものが買えることが、中国の環境問題引き起こしているとのこと。『18歳からの経営学』335.1サカによると、中国の製造業が急激に発展したのは、グローバル化の流れによって、カネ、モノ、人の動きが自由になり、中国に外国からの投資が集中し、中国の工業製品が世界中に流通する仕組みが生まれたためです。中国の環境破壊は中国で製品を買い付けている、われわれ消費者が「真犯人」だと言える。

さらに、民主主義の枠から帰結した「グローバル・マーケティング」は民主主義では止めることができないと書いています。その理由は以下のようなものです。

 ①民主主義は賞味期限切れになっている
 ・複雑/専門分化した社会では、素人の集まりである、政治権力では何も決まらない。グローバル・マーケティングの経済権力は国境を越えて、増殖していく。
 ・グローバル・マーケットにより、地球規模の環境問題・資源争奪が起きている。

 ②リーダーシップを否定する「国民主権」はダメ
 ・「国民主権」では効率的な経営ができない。政治においても、支配と服従の関係が明確にしないと、組織は組織として機能しない
 ・組織ではリーダーに大きな権限を与えるのは最終責任者だからであり、リーダーは選挙で選ぶものではない。

③グローバル・マーケットで繁栄を謳歌
・経済権力も政治権力も大衆も民主主義での「自由」を望んでいる。だから、新しい政治原理が採用されることはありえない
 ・環境破壊、資源の枯渇、そして地球的規模の格差の広がりが世界をゆがめつつあります

彼の結論は「冷たい目」と「熱いハート」を兼ね備えた「真のリーダー」を期待して、この「18歳からの経営学」を書いている。しかし、環境問題一つとっても、主役として、自律的に動く市民なしには問題は解決されない。

やはり、グローバルが「地球政府」という発想で、ローカルを従わせるのではなく、グローバルを使い切るローカルの知恵をベースとした、新しい政治原理・経済原理を作り出さないといけない。彼は専門知識を持った連中にコントロールさせるのが、最良の道と書いているが、市民の観点を持たない「専門家」ほど危険なものはない。マンハッタン計画でも、トルーマンに原爆というおもちゃを与えたのは「専門家」です。「知識」には「知恵」で対抗していきましょう。

札幌での雑談で少し、前向きになりました

2007年10月26日 | 7.生活
未唯へ。帰りの飛行機は777-200で国際線仕様でした。何しろ、足が前には届かない状態です。行きの飛行機の窮屈さとは大違いです。ボタン一つでほとんど水平状態になります。久しぶりに飛行機の中で寝てしまいました。このまま、ヘルシンキまで飛んで行きたくなりました。

新千歳空港には「白い恋人」は売っていなかったけど、電光掲示板には大きく宣伝され、空港に至る間にも大きな看板がありました。まだまだ彼らはやる気です。

それに比べて、伊勢の「赤福」の先は見えてきません。小出しに悪さをマスコミに晒しています。このまま、なくなってしまいそうな感じです。だけど、リサイクルからすると、食べられないままに捨てられてしまうよりいい。コンビニの弁当にしても、リサイクルすることなく、ブタのエサにするぐらいで、あとはどんどん捨てています。

今回の「赤福」のように、価格ラベルの「-」などでリサイクル状況がわかるようにするというのは、リユースを可能にする、いいアイデアです。冷凍と製品の劣化というのを科学的に制御しています。ただ、ローカルな世界だけに論理を留めたために、グローバルな世界からの攻撃に対応できなかっただけです。

この部分をハッキリさせると、自給率40%を切った、日本の食糧事情にあった、いい知恵に変わるかもしれません。今の日本には、食べさせてもらっているという観点が抜けています。

販売店では10時から13時まで、「雑談」に付き合ってもらいました。何かを申し入れるとかは決めておかないで、ノートもICレコーダーもなしに、色々聞きました。

自分の中にイメージを作りたかったのは、①販売台数が減っていく中で、店舗の活性化をどうして行くのか、②販売店独自での大量データは何か、③自社のネットワークとサファイアネットワークとの関係をどうして行くのか、④ポータルを生かすためのアイデアがほしい、の4点を事前に考えていたけど、全て成り行きに任せました。

話の途中でネットワーク担当者とポータル担当者がミーティングに入ってこられました。①は現実に輸入車で起こっている、②はあまりテーマにならず。③は3段階で実施、④はポータルを活用する方向です。

私のやっていることは販売店にとって、意味あることが確認できました。もうちょっとやろうかなという気になりました。

ラスト1マイルとピラミッドの原風景

2007年10月25日 | 5.その他
未唯へ。海外で「どこへ行きたいか」と尋ねた時に、たしか「ピラミッド」と言ったのを覚えています。その時は「イタリア」では面白くないから、動物が居る「オーストラリア」に変わりましたね。あれが大きくなってから、行った唯一の旅行でしたね。

札幌に行く飛行機は混んでいて、3人席の真ん中でした。トイレに行こうかなと思ったら、通路側の若い男性がデジカメの内容チェックを始めました。だけど、そろそろやばくなって、出ました。

その時に、デジカメに「ピラミッド」が写っているのを発見しました。トイレから帰ってきた後に、音楽を聴いている、その若者に、「ピラミッド」か聞いてみました。そうすると、一斉に話し出しました。

彼は、北海道の大学4年生で、いつかは「ピラミッド」ということで、お金を貯めて、エジプトに1ヶ月間、行って来た帰りでした、ドバイから中部国際空港への飛行機が3時間遅れて、一泊して、この早朝便に振り替えて、私の隣の席になったということです。偶然というのは、面白いものです。

費用は航空運賃が16万円+滞在費6万円です。最初に、「ピラミッド」に行って、そのあまりの大きさで、その後のエジプトの風景がかすんでしまった。ピラミッドが心に刻まれたと話してくれました。「原風景」になったみたいです。

大学では福祉系であったが、北海道の銀行に就職することになっている。それから、会社生活が今から始まろうとしている彼と、もうすぐ終わろうとしている私の「原風景」の話になりました。

就職しても、「ピラミッド」の感動の風景を忘れないでおいてほしい! そうすれば、会社で色々な判断をする時に、立体的な思考ができるはずです。私の場合の原風景は大学3年で四方先生から習った「数学」です。この広大で自由な空間を風景として見てしまったことが、会社生活を変えてしまったことを話しました。

そして、今日も朝5時半に出て、13時半に着く倶知安まで足を運ぶのは、永年の課題である、「ラスト1マイル問題」の重さを味わうためだと話しました。「ラスト1マイル」を保証しない限り、サファイアネットワークは保証されません。ここが私にとっての「現場」と感じています。この意味が分かる人はこの会社にはいないけど、仕事では「空間」を作ってきました。これは楽しい!

彼とは、新千歳で別れました。知恵のある人生を!

知恵がグローバルを使いこなすもと

2007年10月24日 | 1.私
未唯へ。動物看護で知恵を使っていますか? 動物相手だと知恵は必須だけど、人間相手だと知恵が要らないというのはどういうことでしょうか?

知恵でローカルからグローバルが見えてくる。何を信用して、何をしたいのか? 今の職場にないのは知恵です。部長も隣に来たので、その「仕事」を見ているけど、知恵だけは感じません。

私の場合は自分の周りで起こることは全て、私に何かを見せたくて、または感じさせたくて起こっているものと思っています。これは決して自己チュウではありません。そういう現象を私の中から見ているのではなく、それらを取り囲むところから見てから。

名古屋で知恵を感じるのが少ないのは、それはローカルでしか仕事をしていないからでしょう。売れるものを与えられて、それを売っているから、動作は必要だけど、知恵はいらないということで来たからでしょう。

その意味では「こつこつ」です。「こつこつ」するためには、グローバルとか将来を見てはいけません。この間、父は「こつこつ」と生きてきたと言われても、その良さは私には分かりません。彼が仕事でも生活でもいいけど、何をしたかったのかが、今の名古屋のように何のメッセージも伝わってきません。

名古屋のコンセプトは市民生活そのもの、その中の個人の生活から持続型の循環がグローバル機能として、何を行い、ローカルといかにコミュニケーションしていくかというサイクルを想像し、名古屋の役割を規定しないといけない。

知恵は創造力です。というよりも、想像力です。勉強するのは想像力をつけるためです。存在する場所は地球のどこかだから、当然ローカルでしかありえません。そのローカルに居ながら、グローバルを感じて、そのグローバルからの力をローカルに反映させるのが、数学です。

数学を習得しないと、グローバルを使い切ることはできません。グローバルはその名のごとく、大きくて、深いものです。ローカルからのファンクションに対する逆ファンクションとして捉えないと、ローカル感覚でグローバルは認識できません。

私には、「こつこつ」という言葉で逃げることできません。だけど、私の全財産が50,001円というのは厳しい現実ですよね。3年前には200,000円以上あり、いつ海外の図書館へ行こうか画策していたけど、まるで動けません。本当にもったいない話です。

持続型循環図に照らしてのライブラリの設計

2007年10月23日 | 5.その他
未唯へ。MSの社長の個人資産は2000年で、中国人7800万人分と同じだと書かれていました。彼の最大の敵はGoogleだそうです。これから、彼らは変わっていけるのでしょうか。

来年に向けて、販売店ネットワーク上のライブラリの設計を行っています。先行するライブラリの設計をするために、ローカルとグローバル、コントロールとアクションの関係をハッキリさせる持続型循環図を作りました。

循環はポータル⇒(個人認証)⇒活用⇒(マッシュアップ)⇒状況把握⇒(作成)⇒入力⇒(RSS)⇒ポータルとつながっていきます。ライブラリだけでなく、ポータルと状況把握を含んだサイクルになります。遷移のポイントは以下の3つです。

 ①ライブラリ入力⇒(RSS)⇒ポータル
  ・入力方法を的確なものにする
  ・入力情報をポータルを通じて知らせ、ポータルからライブラリにリンクする
  ・プッシュ型コンテンツを自動的に作成する

 ②ポータル⇒(個人認証)⇒ライブラリ活用
  ・誰に見せるか、誰が見てもいいかを定義できる
  ・ポータルから見たときには、さまざまなライブラリが連携できる
  ・ライブラリの見える化を図る
  ・グローバルな機能として、サファイア上でのサーチを可能にする

 ③ライブラリ活用⇒(マッシュアップ)⇒ライブラリ状況把握
  ・コンテンツ管理のレベルを上げ、マーケティングにおける利用にも耐えるようにしていく。

全体としては、現在の作り込みの機能を基本にして、今後、5年ぐらいの変化を見込むものにしていく。このライブラリを先行させて、販売店環境のさまざまなライブラリ全体の底上げを図っていく。

この観点で、MSのSharePoint Serverを用いたデモを行ってもらいました。期待に反して、ほとんどがポータル機能の紹介でした。前回の検討の時に、営業およびSEには、我々のポータルをバックアップするライブラリ機能でのデモをお願いしておいたのに、MSの通常のプレゼンであった。

そこで、上記のライブラリの位置づけをハッキリさせて、SharePoint Serverのパッケージの機能で①ライブラリ入力の容易さ、②ポータルとの連携の容易さ、③マッシュアップでの機能拡張の3方向から検討することにしました。年内に要件をはっきりさせます。

やっと、「未唯への手紙」中心の生活へ

2007年10月22日 | 1.私
未唯へ。朝、5時のベルは気づいたが、5時15分、30分とも気づかずに、起きたら、5時50分だった。サンドイッチを買って、バスにどうにか間に合いました。

金曜日に本を29冊持って、豊田市から歩いたので、またしても右足のアキレス腱を痛めています。だから、クルマにしました。何か一つ良くなると、別のところにトラブルが発生します。

今日はほとんど、人と口を利いていません。電話もメールもありません。当然、会議もありません。宿題もありません。期待もされていません。この室は相変わらず、何がしたいのか分かりません。タスクフォースという言葉だけがうつろです。周りは本当に澱んでいます。なじめません。

朝一番に、メールで開催通知を出したのに、その返事がないというクレームを本人からではなく、関係者から言われました。とても付き合いきれません。NAKさんへのメールがムシされて以来、またメールが大嫌いになっています。だから、One of Themのメールは全て削除しています。

この間の万歩計で歩け!と同じ発想です。個人的なことをまるでかまいません。

そんなこともあり、「未唯への手紙」中心の生活にすることにしました。多分、年内は続くでしょう。だから、ジャマしないでください。これができれば、日本活性化のシナリオも見えてきます。それ以前に、私が存在している理由が少し分かるかも。

水曜日までに、130項目の「関連」部分を持続型循環マトリックで位置づけを行います。「関連」は元々はそれぞれの項目を書くことで割り振ったのですが、それをすると、後から項目が増えた時に、関係付けがバラバラになってしまいます。だから、マッピングする座標系として持続型循環マトリックスを仲介させることにしました。それにより、7章の中のそれぞれのシナリオを作り上げます。

木曜日の倶知安までの時間に、それぞれの章の関係をハッキリさせます。つまり、二重螺旋構造になります。愛知万博でのお気に入りのリトアニアのDNAを現す二重螺旋構造を作り上げます。通訳だったインドレさんは本当に頭のいい人だった!

韓国映画の『ボクの彼女を紹介します』というTV映画を見ているけど、何となく、変な感じですね。つなぎ方がおかしいのでしょう。メリハリの感覚が何かずれている。[千の風になって」は向こうの方が早かったりして。