未唯へ。歴史に興味がありますか。私は大学1年の時に、戦間期のドイツにはまりました。「未唯への手紙」の歴史編でのポイントは「歴史の中の偶然があるか」です。この最近の関心は「歴史は個人で変わりうるか」です。
一番分かりやすいのは、ルーズベルト大統領が半年長く生きていたら、歴史はどうなったか。彼は、スターリンを対日本戦に参戦させようと画策した。ところが、日本敗戦前になくなり、トルーマンが大統領を引き継いだ。トルーマンは、完成した原爆をソ連牽制の道具として、使いました。
もし、ルーズベルトが生きていたならば、原爆を使わずに、スターリンは日本を侵略し、ドイツ・朝鮮と同様に、東日本と西日本の分割統治になっていただろう、と言われています。
だけど、「未唯への手紙」ではもっと、根源的に考えていこうと思います。そういう観点で、石原莞爾の生涯を軸に書かれた『地ひらく』(福田和也著、773p、20cm)を読んでいます。読みやすかったけど、本が重たくて大変でした。さすがに「ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法」を実践し、石原莞爾が行ったところは全て出かける人だけに、歴史を知るにはいいですね。
そこで分かったのは、「戦争」というものでは、個人が出てくるものです。戦争は国家への自己犠牲を強いるものです。それを積極的に行った国家が勝ってきたのは確かです。日本では、典型が乃木大将です。何しろ、戦争が下手で、203高地にしても、正面から突撃するだけです。ロシアの機関銃の前に出て行って撃たれて死ぬことを続けた。203高地に行った時に、こんな要塞はまともじゃないと思いました。それでも彼の天皇に対する真摯な態度が軍人に対して、インパクトを与えつづけたのです。
それ故に、日本は“強かった”のです。ノモンハンにしても、ソ連軍の戦車に対して、タコツボの中に潜み、身につけた爆雷ごと体当たりして、かなりの損害を与えたのは確かです。これは、ソ連がフィンランドに攻め入った時に与えられた恐怖に似ています。
ナチス・ドイツとソ連の場合は独裁者と殺人部隊です。ヒットラーとスターリンの死守命令と逃亡兵士の射殺部隊があり、ソ連に至っては、逃亡兵士の家族まで射殺する体制をとっていました。
その時点では国家と個人が一緒になっていないと不可能です。だから、戦争時は個人の名前が挙がってくるのです。
一番分かりやすいのは、ルーズベルト大統領が半年長く生きていたら、歴史はどうなったか。彼は、スターリンを対日本戦に参戦させようと画策した。ところが、日本敗戦前になくなり、トルーマンが大統領を引き継いだ。トルーマンは、完成した原爆をソ連牽制の道具として、使いました。
もし、ルーズベルトが生きていたならば、原爆を使わずに、スターリンは日本を侵略し、ドイツ・朝鮮と同様に、東日本と西日本の分割統治になっていただろう、と言われています。
だけど、「未唯への手紙」ではもっと、根源的に考えていこうと思います。そういう観点で、石原莞爾の生涯を軸に書かれた『地ひらく』(福田和也著、773p、20cm)を読んでいます。読みやすかったけど、本が重たくて大変でした。さすがに「ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法」を実践し、石原莞爾が行ったところは全て出かける人だけに、歴史を知るにはいいですね。
そこで分かったのは、「戦争」というものでは、個人が出てくるものです。戦争は国家への自己犠牲を強いるものです。それを積極的に行った国家が勝ってきたのは確かです。日本では、典型が乃木大将です。何しろ、戦争が下手で、203高地にしても、正面から突撃するだけです。ロシアの機関銃の前に出て行って撃たれて死ぬことを続けた。203高地に行った時に、こんな要塞はまともじゃないと思いました。それでも彼の天皇に対する真摯な態度が軍人に対して、インパクトを与えつづけたのです。
それ故に、日本は“強かった”のです。ノモンハンにしても、ソ連軍の戦車に対して、タコツボの中に潜み、身につけた爆雷ごと体当たりして、かなりの損害を与えたのは確かです。これは、ソ連がフィンランドに攻め入った時に与えられた恐怖に似ています。
ナチス・ドイツとソ連の場合は独裁者と殺人部隊です。ヒットラーとスターリンの死守命令と逃亡兵士の射殺部隊があり、ソ連に至っては、逃亡兵士の家族まで射殺する体制をとっていました。
その時点では国家と個人が一緒になっていないと不可能です。だから、戦争時は個人の名前が挙がってくるのです。