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歴史はファクターで変わる

歴史はファクターで変わる

 歴史はファクターで変わるモノです。変わった世界で生きるしかない。元のパラダイムから離れます。始める時に決めないといけない。太平洋戦争と同じです。始める時に、その結果がどうなるのか、事後がどうなっていくのか。

 太平洋戦争でもまさか、300万人亡くなるとは思っていなかった。これは、天災ですか、人災ですか。それ前に亡くなった20万人のために、300万人を犠牲した。さらに戦おうとしていた。戦ってはいない。ほとんどが餓死と病死です。特攻にしても、実際に敵艦たどり着いたのは1%にも満たないです。

国のため、という論理

 国のためというけど、太平洋戦争では、アメリカが攻めてくるということではない。中国はアメリカが攻めてきたから、国のためです。

 その前は、75~80%をカルフォルニア産の石油に依存していた。それを絶たれてパニックになった。石油で文化を作ることしか考えなかった。

 よく、国のためという論理だけで、国民を振り回したものです。

新刊書フリーク

 5階の新刊書の前のソファーで寝ていて、来たら、すぐに取り始めました。その時点で、やみくもに12冊を確保しました。何しろ、今日はバックも買わされたから、頑張らないといけない。結局23冊です。

 やはり、全体としてはオープンされるのが少ないですね。何しろ、大きい本がない。ノウハウ本がおおい。

 どうにか、23冊をゲット。

新刊書

 新刊書は金曜日に23冊借りて、土曜日に追加で4冊借りました。

 293.88『バルト三国』るるぶ

 361.45『よくわかるコミュニケーション学』

 159.4『仕事が「ツライ」と思ったら読む本』

 159『人生がスッキリするモノ・時間・人間関係の整理術』

 131.2『ソクラテス言行録 1』クセノポン

 596.04『ゆで卵の丸かじり』東海林さだお

 778.77『なぜ宮崎駿はオタクを批判するのか』

 281.04『師を持てば人生の問題の大半は解決したようなものだ』

 019.3『2011年版 読書世論調査 毎日新聞社

 016.21『私たち図書館やってます!』指定管理者制度の波を越えて

 778.09『字幕の名工』秘田余四郎

 368.2『貧困とはなにか』概念・言説・ポリティクス

 541.66『ネオジム磁石のすべて』レアアースで地球を守ろう 持続可能な社会に適応する高効率の省エネルギーシステムには、小型軽量な永久磁石が不可欠です。

 016.23『新・イギリス公共図書館史』社会的・知的文脈1850-1914

 610.12『文明は農業で動く』

 498.34『すすっと瞑想スイッチ』

 983『悪零 2』ドストエフスキー…光文社古典新訳文庫です。カントの純粋理性批判5は来週ぐらいに出てくる。

 369『キーワードでたどる福祉の30年』

 336.5『デスクをメタボにしない理系思考』「段取り力」を上げる収納術

 210.6『日本の迷走はいつから始まったのか』近代史からみた日本の弱点

 383.1『「黒」は日本の常識、世界の非常識』図解 恥をかかないフォーマルウェア入門

 913.6『興国大戦1944』第二次南太平洋海戦

 933.7『マウントドレイゴ卿/パーティの前』モーム 光文社古典新訳文庫は原則として借ります。

 376.8『小中高・不登校生の居場所探し』きっとある!自分らしくいられる居場所 全国フリースクールガイド

 361.45『トヨタ公聴会から学ぶ異文化コミュニケーション』社長の真後ろで傍聴した筆者がトヨタ公聴会をケースにコミュニケーション戦略を解説!

 680.33『交通の百科事典』

 674.21『日本の広報・PR100年』満鉄からCSRまで
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予約システムが社会を仕切る

論理の飛躍

 論理の飛躍は皆、同じです。私の場合は、その部分を省くだけです。分かる人を期待してもいない。

 奥さんとのメッセージはもっと短いです。他人が見てもわからない。だけど、奥さんには通じているところがあります。だから電話よりもメッセージの方がいいです。

 奥さんの場合の特徴は、分からなくても、そのままスルーすることです。ある意味では、私の存在を無視しています。

反映する過程で考えたこと

 休み中はブログから未唯空間へ入れるだけでなくて、その過程で考えたことをブログにしていきます。

ライブラリの概念の拡大

 ライブライという言葉が嫌いな人間は多い。かれらは本を読まないから。また、本の固定したイメージがきついから。だけど、実際、色々な形態で検索対象になってモノがライブライなのです。だから、ノウハウも映像もある。今後一番重要なのは、個人の情報です。

 自分が使っている薬でもいいです。それらをライブラリにして、つなげていくことです。そこで、付加価値が出てきます。コミュニティがそれを保証します。

 それによって、自分のことは自分でできるベースが出てくるし、他人のことをするよりも、他人が何を望んでいるかが分かって、グループで活動できます。発信するモノ、そこに貯めて置くもの、その貯めたモノを使うということのベースになるのがライブラリです。

予約システムが社会を仕切る

 スケジュール監視も一つのリソースをどう使うかです。予約システムのカーネルを作った所が、次の世界で主導権を握ります。SNSもそこまでは来ていません。対象物は何でもいい。それを完璧に作り出すことです。

 発信することが社会を変えることと言いながら、何もないところに発信するのはは難しい。ブログ的な発信とツイッター的な発信があります。

 基本はコラボレーションのための発信です。そうしない限り、スタッフも変わらないし、会社も変わりません。それらをSNSを機能アップさせた予約システムが社会を仕切ります。

気付いた先にあるモノ

 太平洋戦争開戦時もそうです。粛々と軍務についてはダメです。アメリカなんぞに勝てるはずがない。当時の日本の教育レベルでは、そんなことに気付くのは簡単です。ただ、禁止されている方向に向かいたいだけです。

 原発も、反対していたのは共産党というレッテルを貼った。冷静に考えれば、イデオロギーとは関係ない世界なのに。実際、原発という発想は、もっと大きいものです。フィンランドは市民レベルで答を出してきた。

 一つひとつはバラバラでもまとまれば、意味を持ちます。その間に論理の飛躍があります。今回はラベルを付けたから大丈夫でしょう。

作る人の邪魔をする

 研究開発部署では、モノを作る人の邪魔をしていた。作らなくて済むことは作らなくてもいい。目的に対して、余分なことをする必要はない。

 今回も同じです。作って売ることだけでは世の中は良くならない。むしろ、使うことをするために、売ることの邪魔をします。急ぎましょう。この頂の先にまた頂があります。それを見つけに行きましょう。

未曾有の災害とは

 東電は未曾有の災害に合ったというけど、そんな確率があるのですか。原発ができて、500年後に起きたら、理解できます。250年でも少し理解できます。

 だけど、原発ができて、ほんのちょっとではないか。その間に起きるのは、未曾有の災害ではなく、予定されたものです。元々、千年という単位で見ていないくせに、こういう時だけに千年という単位を使います。生態学者の意見を聞くことです。これは、リーマンショックの時にも考えていたことです、

 原発が出来たことで、歴史が変わり、気候も変わり、色々な要素が変化したはずです。複雑性が効いています。自分たちのファクターをなくして、考えてはいけない。ある意味では、自業自得です。

 意識ある、一人の人が生まれただけでも、歴史は変わります。歴史は変わるモノです。それを天災のように、最初から起こるとしたら、それは千年に一度、起こることです。それも、出来て20年もしないうちに起こしているのだから、天災ではない。
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『パレスチナ/イスラエル紛争史』より

景観を切り裂く巨大な傷跡のように見渡す限り延びている高さ八メートルもの冷酷無惨なコンクリートは、最新の占領建築の一つである。このイスラエルの壁は、状況の行き詰まりを表す究極的なシンボルである。婉曲的に「分離フェンス」と名付けられたこの醜い物体は、電流フェンス、塹壕、鉄条網、監視カメラに囲まれており、三〇〇mおきに監視塔があり、二四時間体制の見回りがなされている。完成時には全長三五〇㎞にもなる。イスラエルと占領地の至る所に壁、フェンス、検問所、バリケードが設置されている。ガザはその全土に渡り電流フェンスに囲まれているが、このような壁はない。この壁はベルリンの壁を彷彿とさせるが、それよりも大規模なイスラエルの西岸支配の強化を可能にする道具となっている。人々を投獄し、時には共同体を分断し、イスラエルと西岸のあいだの出入りを管理することで、イスラエル人居住者の対パレスチナ人包囲網を形成したいという衝動を強化し、兵力ならびに兵姑におけるイスラエルの優位を露骨に示すのである。壁はグリーンラインニ九六七年以前の軍事境界線)に沿ったかのですらなく、西岸のパレスチナの土地の真中を横断しており、事実上、最も生産性の高い農地の大部分がイスラエルに併合されている。多くの村々が、自身が生活の糧としている所有農地から隔離され続けている。壁の建設は、二〇〇二年六月の開始以来、急速に進められており、その過程において、土地は没収され、作物は破壊され、オリーヴや柑橘類の木々が引き抜かれ、家屋や財産が破壊されている。壁の通り道には何も残らないのである。

 いかにして状況はこの段階へと至ったのか?

 五月までにイスラエル軍は撤退もしくは再展開したが、六月にさらなる侵攻が行われ、この時から「分離壁」の建設が開始された。それから後の出来事には、イラクに対する戦争が暗い影を落とした。

 最近の出来事の流れを見れば、パレスチナ国家の自立を支持する準備があるとのイスラエルの主張は、その信憑性に限度が見え始めている。それと同じくらい難しいのは、ジョージ・W・ブッシュ大統領のパレスチナ国家樹立の支持声明をめぐる解釈である。それは空虚な言葉にすぎず、一方でイラクに対する攻撃を遂行するなか、自分自身を和平推進論者としてアピールするための十分な決まり文句である。

 ある中東の国家を想像して欲しい。その国家は、長年にわたり欧米によって軍備が進められ、その保護を享受している。そして、何十年にもわたり人道に対する罪を犯してきたことで知られる老いた戦争犯罪者によって統治され、暴力的に領土を包囲し、住民を立ち退かせ抑圧し、市民を攻撃し、彼らの家々と生計を破壊している。その役人たちは何のとがめもない囚人を処刑し、拷問を行っていることを自ら認めている。そして、国内および他の主権国家にまで暗殺部隊を送り込み、粉飾をばらまき真実を歪曲するプロパガンダ機関を有し、何十年にもわたり執拗に明確な意図を持って国連決議を無視し公然と反抗してきたのである。そのような国家に対して国際社会はいかに対応するべきだろうか。選択肢は二つある。まず、二一年間の制裁によってそれを窒息させ、経済を破綻させ、人々が苦しみ、子供たちが飢餓と基本的な健康管理の欠如のために死んでいくのをただ眺め、それが弱り切ったときに、大規模な軍事作戦を展開し、その救済に対して感謝を期待することである。あるいは、その国家が抱える哀れな犠牲者だちから自らを守るために用いる何十億ドルもの援助と軍備を毎年与えることか。すべてはその国家の名前次第なのである。
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ブログ整理しながら考える

決めたことをする

 とりあえず、決めたことをやり終えましょう。観ている人は誰も居ない。だから、正しいのでしょう。どんな人が熱心にやっていることも、私にとってはOne of themです。全体のところの動きです。もれなくやるつもりはない。偶然は必然です。

 自分が納得できればいい。知りたいことを知る。そこから何かを見つける。それが真理であってほしい。そんな人生が30年以上に亘って、許されていることは特権です。

奥さんは魔女シリーズ

 奥さんは魔女だと思っています。私から見ると。世の中から見ると、奥さんが普通で、私が宇宙人です。

 この間のNZの時に、他のツアー客と接触していなかったのに、奥さんに対して、「奥さんでないとやっていけないでしょう」と言われたみたいです。これは何を意味しているのか。全然、コミュニケーションしてないのに、なぜ、そんなことを言われるのか。

パートナーがいないと暴走します

 会社でも同様に、私を制御できるのは、パートナーしかしない。それ以外の人間は、私は無視しています。昨日も、パートナーから諌められた。「うちのものが申し訳ない」という感じでした。その時点で、文句言われてもしょうがないと思ったけど、それに反論ができません。

 イスラエルに一方的に8mの壁を作られた、アラブの民の思いを考えてください、と反論するだけが精一杯です。

 そういっても、適当にこなされます。パートナーが居ないと、暴走します。去年のヒアリングがその類です。

3月分のブログ整理

 今、3月分のブログの整理をしています。見出しを付けるだけでも大変です.紙ではできません。何しろ、15万文字もあります。3月には、シェアの有効性を理解しました。

 こうやって、ブログを分解していると色々感じます。一つのことに対して、多方面から言うと同時に、次々に跳んでいきます。

 分解すると、未唯空間の7つのジャンルのばらされます。幅の広さと見ればいいけど、聞く方にとっては分からないのは当然です。私以外につながりが見えないでしょう。

シェアに付加価値をつける

 シェアのイメージは貧乏くさいのではなく、実り豊かなものです。音楽もCDで売って、買う世界から、音楽をデータベースで共有化することで。新しい楽しさが増えました。ランキングがわかり、コミュニケーションできて、楽しさを共有することも可能になります。

 新しい付加価値として、同じ趣味を持っている人がつながることも可能になります。シェアによって、新しい付加価値を作り出す。

 カーシェアリングで新しい付加価値は何でしょうか。クルマは物理的だから、なかなか難しいですね。当然、保険とか駐車場が変わってきます。これにリチウムイオンが加われば、さらに変わってきます。通勤などでは可能になります。その時に、税制優遇です。と言っても、税金には頼れないけど。

 シェアして同士で、コミュニケーションが発達すれば、同行できます。そこまではなかなか難しい。

μさんとの対話

 「そうですよね。μさん」スタバに一人で居るのではなく、前の席にはμさんがいます。だから、会話できるのです。声を出してもいいし、声を出さないと伝わらない。

 パートナーが「作業」している顔でなく、楽しそうな顔を想像します。だけど、パートナーの色々な顔を見てきました、

 相手はμさんで会話します。だから、私は寂しくない。本当は中野美代子。彼女だけは本名でいいでしょう。死ぬ前に会って話がしたい。

蓄電池が売れる!

 テレビ番組を見ていると、未唯空間で主張していることの一部のことをやります。バッテリーが蓄電池になる。蓄電池が売れるという特集で30分以上のものをこしらえます。

 そんなことは、ブログで1か月前から言っています。未唯空間にも展開して、思考はさらに進めています。今さらという感覚です。

 TVは言い廻しのうまさです。その部分しかやりません。全体の構想は述べません。構想がないからです。要するに、受け売りです。受け売りを映像にするだけです。

 映像にしたり、ごまかしたりする技術はマスコミはすごいです。これをうまく使っていく手です。そのためには、マスコミからのいいとこ取りするためのセンターが必要です。マスコミが言ったことから、我々に都合のいいモノをすべて持ってくる。それと映像と画像をパクリましょう。それは事務局で、事例というカタチで行います。
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ローカルから情報を集める<夢>

未唯へ。

 元町工場の前を通りながら、感じていた。今年の元町工場のつつじは遅いみたいです。今一です。折角、元町の事務棟でタリーズを見つけたのに、昨日から工場がお休みです。元町工場正門前の空港行きのバス停には派手な格好をした10人ぐらいが居ます。

 昨日。マックのメガテリヤキがおいしくなかった分、モスのWテリヤキに挑戦しましょう。しょうゆ味が全然違います。

 永作博美が「いいとも」に出ていました。ショートカットでかわいらしかった。映画は月曜日に千円で観てきます。

ローカルから情報を集める<夢>

 言葉は明確に出てくるが、その時のイメージが不安定です。それを集めて来て、全体が分かる仕組みです。これがこの間の状態方程式につながるやり方です。今日、夢に見ていたのはその時の、ローカルでの自動に状態を渡すモノです。

 今の技術を使えば、色々なものが渡せるはずです。ローカルでの人も含めてどうなっているか。あとはそれを集約する技術です。たとえば、クルマの使い方にして、ローカルでやっておいて、それを状態方程式を解くというやり方です。

 これは天気予報と一緒です。圧倒的な情報を集めて、少ない情報で、人間が行動できるという類です。どうもローカルから情報を集める機構を考えていたみたいです。<夢>にしては、鮮明です。

応用も考えていた

 薬などの情報も紙をプリントアウトされるけど、IDでつなげればいいです。こういうものは多い。使ったお金とか、そういうものをまとめておきます。自分が使う情報と人に任せるものが出てきます。グローバルにつなげていきます。

 昔、冷蔵庫がそうでした。食材を情報として渡すことで、出来る料理とかを提供するというものです。常時電源が入っているということで、サーバーにすることも提案されていた。今はそれを作れる時です。

 その時に、企業がどう動くかです。色々なものを変えることができます。意識だけです。それとコミュニティと事務局です。つながる意識と共有する意識、それを生きるための糧にするということ。当然、商売にもつなげます。

 自分の車がどうなっているか。その中にはリチウム電池も出てきます。

パソコンでの入力確認

 とりあえず、スタバへ行きます。その後に、その後に図書館のパソコンデスクです。ACアダプターが使えます。クルマの中でやることも含めて、バッテリだけで動きます。

 まずは、パソコンのバッテリーの耐久時間です。ずっと、スタンダロンで作っていないので、1時間ぐらいかもしれません。その時は、一旦、家に帰って、ACアダプターを持って、図書館に向かいます。

 パソコンのバッテリーの利用可能時間を計らないといけない。9時25分にスタートしました。狭い範囲で探していてもしょうがない。広い世界で探すために、未唯空間を出す。と同時に山を降りて対話する。

理想の次には新しい理想がある

 これをやり終わると、やることがなくなるという恐怖心があります。だけど、ニーテェに期待します。理想を達成すれば、次の理想が出てくる。

 今は何しろ、常に考えていたい。そして、まとめていきたい。そのためには時間が足りない。新しく入ることは本しかないのか。山を降りて、対話しましょう。

 インタープリターさえいれば、私の力は発揮できます。単にいないだけです。

ICレコーダからの書き起こし

 思いはすべてICレコーダーに入れ込みます。問題は書き起こしです。休み中のブログの言葉を増やします。これが生きていることの理由です。

 スタバならば、ICレコーダへの声出しは平気にできます。これは会話と同じです。効率からみたら、家での書き起こしが一番楽です。外で、ポメラを恰好いいけど、ちょうどいい机がない。

 感じたモノを音声にするには、スタバが一番いい。何しろ、やかましいから。

 図書館では会話できない。図書館の時は書き起こしにしましょう。ポメラに書くよりも、イメージをそのまま表現するには、ICレコーダですね。図書館のパソコンデスクなら、電気が使えます。書き起こししながら、チャージしましょう。

 今のバッテリー状況なら、2時間は確実に持ちます。入力よりも考えていることが多いけど。パソコンを使っていくためには、電源よりも、声を出せるところがいいことが分かりました。書き起こしは図書館で可能だということも分かりました。
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哲学で解くニッポンの難問

『哲学で解くニッポンの難問』

Q働きづめに働いてきた。なぜ妻は感謝してくれないのか。(60歳会社員)

 感謝しなければならないのは奥さまではなく、あなたのほうです。

 あなたが結婚後、三十年とか、四十年近い期間、月給やボーナスを得てきたということに、奥さまが感謝していることはまちがいありません。しかしただひたすら感謝しているというわけではないのです。働きづめに働いてきたということは、そのぶん、家庭サービスが不足していたのかもしれませんし、奥さまの悩みごとをちゃんと聴いてあげるといったこともなかったし、子育てについては奥さま任せにしていたのではないでしょうか。

 奥さまは耐えてきたのです。爆発しそうなほどに不満がたまっているのです。あなたが働きづめに働いてきた間、奥さまは耐えに耐え続けてきたのですね。

 それでも奥さまが耐え続けてこられたのは、あなたが働いて給料を稼いでいたからです。あなたへの不満と、給料を貰えることの感謝の気持とが、ちょうどつりあっていたのでしょう。あなたが定年になり、給料が貰えなくなると、いままでつりあっていた天秤のバランスが壊れてしまいます。

 確かに、あなたの過去の労働に対する感謝の気持はいまも存続しているでしょう。しかし過去というのは、日ごとに遠ざかり、記憶がうすれていくものです。いつまでも過去に感謝していろというのは、無理な話です。

 大切なのは、いまです。たとえ過去のあなたが、有能な会社員であり、社会的な地位があり、人並み以上の収入があったとしても、それが過去の話であるなら、そんな過去のことは、きれいさっぱり忘れてしまったほうがいいでしょう。男と女は、対等の存在です。あなたが社会に出て働いたのは、有意義なことです。しかし主婦として家事をこなしてきた奥さまも、有意義な仕事をしてきたのだと認めてください。感謝しなければならないのは、むしろあなたのほうではありませんか。

Qわたしたちの老後は大丈夫なのでしょうか。(63歳主婦)

 国債を買い支え、団塊の世代がいなくなれば、国家財政は好転する。

 いまもらっている年金が一挙にゼロになるということはありません。国債の発行高がこれから増えていき、国民一人あたりの借金が一千万円を突破するようになれば、国家の破綻という可能性が懸念されることでしょうが、高齢者が、元本割れになるかもしれないファンドなどに手を出さずに、積極的に国債を買い支えれば大丈夫です。

 国債からの利子はもとより、国債を子どもに相続させる場合も非課税にするなど、超法規的に国債を買う人を優遇すれば、資産家がこぞって国債を買うようになるでしょう。もちろん相続した子孫が国債を売却すれば税金がかかるということにする必要があります。そうなれば、未来永劫売ることのできない国債が、この国を支えることになるでしょう。ただし国債には利子がかかります。国は利子を払い続けなければなりませんから、国債そのものを減らすことは難しいというべきでしょう。結局のところ、国は借金をかかえたままで、綱渡りを続けることになります。

 しかし大丈夫です。何とか綱渡りを続けているうちに、団塊の世代を含めてすべての高齢者は死に絶えます。もちろん、次の世代が徐々に高齢者になっていくでしょうが、団塊の世代というのは大きなカタマワですから、このカタマワが死んでしまえば、国家財政は楽になります。年金制度も高齢者医療の問題も解決します。老人ホームが余ってしまうので、各地に廃墟ができるでしょうが。

 とにかく団塊の世代がいなくなれば、国家財政は好転しますので、それから少しずつ国債を減らしていけばいいでしょう。団塊の世代が生きている間に国債を減らそうとすると、わたしたちの首が締められることになります。福祉を切り捨て、老人を見殺しにするような制度ができないように政治を見張っている必要があります。

 団塊の世代はただ人数が多いという世代ではありません。この世代はかつての全共闘運動の世代です。政治への関心が高いのですね。わたしは長く大学の先生をやっていますので実感しているのですが、若い人は政治に無関心です。投票にもあまり行きません。ですから、老人が団結すれば、政治を動かすことができます。

 団塊の世代はいま《第二の青春》をスタートさせた、自由な若者のような存在です。団塊世代の皆さん、もう一度、みんなで団結して《老人全共闘)を結成し、政治を動かそうではありませんか。
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政治コミュニケーション

『政治コミュニケーションを理解するための52章』

社会建設に不可欠の要素

 どの政治システムにおいても、支配機構と国民との間で行われるコミュニケーションは根幹である。とりわけ民主主義国家では、政治コミュニケーションは、社会建設に不可欠の要素となっている。政治コミュニケーションによって、国民は、国家と結びついていると考えるようになる。それ故、政治コミュニケーションは、人々に積極的に働きかけなければならない。しかし、それは、エリートや支配集団が描く社会を人々に伝えるだけであってはならない。社会からのフィードバックを可能にし、人々の政治参加を促進しなければならない。定期的に選挙が行われていれば、その国を民主的と見なすこともできるが、その状況を期限つきの独裁とも捉えることもできる。現代の民主主義国家では、国民の意見に応答することが求められており、応答の核心に対話がある。政治コミュニケーションの古典的な定義は、情報の発信者とその動機に焦点をあてる。政治コミュニケーションは、何らかの政治的な目的で始められると考えられてきた。しかし、この定義は、多くの民主主義国家では適切なものでなくなっている。メディアの役割を考えるなら、問題は一層明らかとなるであろう。

政治コミュニケーションを理解する

 政治コミュニケーションを、当事者として操作するにせよ、外側から研究するにせよ、非常に複雑な作業である。進化が激しい現状において、コミュニケーションの種類と形式は多様である。さらに伝達者とコミュニケーション状況によっても、多様な機能を有している。様々なメッセージが、あらゆるメディアを通じて、自律的で強制を嫌う視聴者のもとへ運ばれる。私たちは、コミュニケーションの形成に文脈(コンテクスト)が非常に重要であることを発見した。したがって、政治コミュニケーションの研究者は、コミュニケーションの機能と役割を真に理解するために伝達者、様々なメディア、伝達される人々を理解しなければならない。政治コミュニケーションの理論の多くは、アメリカのH.ラズウェルが博士論文で扱った政治宣伝研究を基礎としている。彼の中心的な問いは、「誰が、何を、誰に、どのチャネルを通じて話したのか、その効果は何か」であった。

 これら4つの要素はどれも研究対象となってきたし、時には個別的に扱われ、またある時は全ての要素を一連のものとして議論することもあった。この本は、このモデルを明確に適用しているわけではない。しかし、この本の議論が、このモデルに沿ったものであることは容易にわかるだろう。私たちは、政治コミュニケーションの情報源を、とりわけその信頼性という観点から眺め、その情報源が後に続く三つの連鎖をどのように操作しているのか、つまり視聴者が抱く認識をどのように操作しているのかを見ることで議論,を進める。同時に私たちは、メッセージの構築、それが伝えられる方法、独立したマスメディアの役割について必要な議論も扱う。最後に、実際に政治コミュニケーションの中心にいる受容者、つまり視聴者について、特に彼らが政治コミュニケーションをどう受け取り、どのようなプロセスを通して、どのように行動するのかという観点から議論する。ここでの議論は、最新の研究4・紹介するとともに、21世紀という変化の時代における、政治コミュニケーション領域の全体像を示す。
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連休中は家のパソコンで未唯空間への折込 ②

考えれば分かる

 3.11で見えてきたものは非常に多い。政府とか企業を含めて、反応は非常に遅い。それはふだんから考えていないからです.考えれば分かることはいくらでもあります。私は、それらを10年以上に亘って、考えてきたことを蓄積してきた

山を降りる

 とりあえずは、それをやったことを未唯空間のまとめて、山から降りることにします.これは堕落です。と言っても、ある特定の人間を説得することではない。社会全体に対して、会話をしながら、観察していきます。応用すると言うことです。

 これはニーチェとかデカルトと一緒で、旅に出るんです。それでの事象で、社会がさまざまであることを認識するのです。この歳になっての旅は危険だということは、よく分かっています。

 来週が、この生活の山場です。まだ、山の頂上に来ていないのに、山を降らないといけないのか。また、戻ってくるからいいか。頂上はムリだから、それぞれの尾根を伝わっていきます.それぞれの上をピョンピョン。

自分を変えること

 自分で得てきたものを、自分で変えられるのは、抵抗があります.この歳になると守ろうとします。未唯空間はドンドン変えていかないといけない。その訓練は毎日行っています。

 パートナーを見ていると、自分を維持するために、変えない部分があります。自分を維持することは危険です。その場で、全体をどう変えるのか。小さな現象に対しても、全体を見直す勇気が必要です。

 これができるのは数学者の特権かもしれません。どんな小さなことでも、インバリアント二影響があれば、全てを作り替えます。そのための忍耐力です。

未唯空間の本当の成果

 今回は、未唯空間全体に対して、ブログからの一つ一つの攻撃を掛けています。ドンドン、具体的にします。本当の成果は、未唯空間の作り方、考え方そのものかもしれません。

図書館というジャンル

 社会編などを項目以外に、図書館編を入れています。おかげで、思考する範囲が拡大した。

 図書館の機能はもっと拡大できます。グーグルそのものは図書館です。それもネットワーク上に拡がっています。販売店が生き抜けるための図書館がライブラリです。そのライブラリを使っていけるようにしないと、後、ヤバイです。それが5月のテーマです。

店舗でのコラボレーション

 コラボレーションとして、「店舗ミーティング」に限定した部分を「店舗での状況把握]に拡張させます。これによって、お客様との状況把握につながっていきます。

 また、スケジュール管理などの世界とも一緒になります。スケジュール管理も、一つのものをどうやって皆で使うかの観点です。

歴史というジャンル

 歴史というジャンルを入れたのは正解です。広い範囲で考えられるので、未唯空間が全体としてまとまる。今回もマーケティングが変わることで、どっちに向かうのは、新しい民主主義を作り出す。それは単に社会が変わるだけでなく、歴史が変わっていく。

 社会編だけでは、そこまで想像力が働きません。歴史が入ったから、影響が見えるようになった.
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連休中は家のパソコンで未唯空間への折込 ①

未唯へ。

 喜納は9時半に寝たので、朝の2時半から、色々考えていた。決まったのは、会社のロッカーの整理だけ?

存在の無

 今日は、少し変えよう。考えよう。片付けよう。この間に集中できるように。だから、会社の荷物も整理します。大きなバックを持っていきます。さらに空っぽにします。

休みにパソコン業務

 昨日のシェアする世界をもっと、総合的に見ます。そうすれば、来週以降のことがハッキリします。休みにパソコン業務を仕事にしていないことになります。

 なぜ、休みまで含めて、考えないといけないのか。本を読まないといけないのか。奥さんの口癖ではないけど、誰からも頼まれていないけど、自分が何をやりたいことがあるからですよね。

 家で、パソコン業務をやるには、覚悟が必要です.その覚悟を付けます。

幻想を断つ

 そうはいうけど、目の前に見えているのは、汲々とした世界です。周りの無関心な世界を超えたの先の世界を目指してやります。何かあるという幻想を断ちます。本当は何もありゃしない。
5月から現実的な世界に向かう
その前に、今までやってきたことを未唯空間に入れることの悲しみと喜びが精神を不安定しています。その最終段階から、5月の現実的な世界に向かおうとしています。

 他人の思惑よりももっと広い世界を目指しているけど、反面。他人が動かないと意味がないとも言われます。本当にそうなのか。

具体的なモノは作らない

 夢をカタチにすること、具体的なモノを作ることを私は止めました。それによって、可能性を作ろうとしています。

 これを未唯空間の大きな特徴にします。自分では作らない。インタープリターを待つ。それは社会の変化を待つ。そうならざるをえない。それぞれの人はそういうカタチで生きていくしかない。

日本の社会の方向

 グリーン・ニューディールは単に技術だけでなく、人が生きていくための役割分担を変えていこうとするものです。つまり、社会を変えていくことです。そうでないと、成功しないのは、彼らは分かっています。。

 日本の社会には本来そういうものがあるはずなのに、見えてこない.何なのか。

 ドイツなどを知れば知るほど、日本はモノを作っていればいいという傾向。また、我慢すればいいという傾向。何ら、新しさを感じません。新しければいいというものではないけど、今のままではダメだという認識がない。

日本は一つ?

 今回のようなことで、天恵に対して、「元へ戻ろう」、「日本は一つ」しかない出ていない。それもテレビのマスメディアだけで騒いでいます。政府からは何も出てきません。追認しているのか?

 日本が一つであるはずがない。挙国一致ではない。太平洋戦争開戦時とよく似ています。敵は、アメリカのように日本の数倍とか数十倍ではない。

 そして、克服べきものは自分たちです。一人ひとりが生きていける世界をどう作っていくのか。

 元々、日本はそういうレベルのことをやってきているはずです。それがあまりにも機械的になってしまって、自分で思考停止に入ってしまった。世界の中で、日本が新しい概念を持ち、新しいやり方をしないといけない。

日本のモノづくり

 日本はモノづくりといいながら、本当にモノを作っている人がどれだけいるかです。ラインで働くこと、企業で働くこと、それはモノづくりではない。

 研究開発部署に居たときに、そういう専門家がいた。だけど、さほどいらないです。それをどう使っていくのかという人たちです。それがお客様そのものだということです。

 つまり、使っていくことに関しては、モノづくりよりも上なんです。
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善き生、善き社会のために何をすべきか

『サンデル教授の対話術』より

日本、そして日本人はこれから何を目指すべきだと思いますか。 

 経済力の順位は、善き社会や善き生にとって決定的な問題ではないと思います。イタリア、フランス、ドイツ、イギリスを見てみれば、GDPではどの国も世界の三位以内にも入っていません。しかし、それでも、イギリスやドイツやフランス、イタリア、スベインが意気消沈するというようなことはありません。ですから、日本のGDPが二位から三位になったという事実によって意気消沈すべきではありません。日本は成熟した、経済的に発展した国です。だから、日本の課題は、民主主義国家として、民主的制度とその実践を深化させて、人々のために善き生を創り出していくことだと思います。

 善き生はどのようなものかについて、また正義に適った社会はどのようなものなのかについてぱ、競合する見方か存在しています。私はこうした問題か日本で中心的なテーマとなって話し合われ、討論されるようになっていくべきだと思うのです。ちょうど、アメリカにとってもこういったことは、解決すべき問題として、中心的に討論されるべきであるのと同じように。ですから、他の何事にもかかわらず、GDPが二位から三位になったということは根本的だとは思いません。満足度や幸福度、生活水準か非常に高い世界の国々、ヨーロッパの国々を考えてみてください。GDPの順位にとらわれるということは、生活の質、民主主義の質、正義に適う社会の問題といったより大きな問題と比べれば、本当にささいなことだとわかるでしょう。ですから、日本はこういった重要な問題に敢然と取り組むべきです。国も違えば、人口も違うのですから。日本は確立した、成熟した先進国です。ですから、これからの課題は、豊かで満足のいく社会生活と公共的生活を発展させていくことなのです。

善き生、善き社会のために何をすべきでしょうか。

 善き生を生きることに役立ちうる二つの考え方があると思います。

 一つは、過去の伝統的な階層制により定義された習慣や規則を何も考えずにただ受け入れるのではなく、自分自身の道徳的な想定に基づいて批判的に省察する習慣を発達させることです。家族生活、家族構造、男女間の役割の割り当てについて自分自身で考える習慣、批判的に省察する習慣を作り上げることは、善き生を生きる上で一つの重要な特徴です。

 しかし、同様に重要な部分は、私たちの生活が、他の人の生活と深く結び付く方法か整っているということです。私たちはただ自分自身だけの人間でぱありません。「私だちか何者であって、何を目指しているか」の多くは、どのように成長し、どのコミュニティに暮らしているか。どのような歴史や文化的伝統が私たちの価値やお互いの関わりを形成したか、によって決まります。

 ですから、人類全体とのある種の普遍的な一体感のなかで、人権の重要性か増していることには、深く称賛に値するものがあります。この前、パキスタンで洪水がありました。私たちはそこに暮らしていませんし、そこで暮らす人を誰も知らないかもしれません。しかし、被害にあった人たちを助けようとする衝動は、人間の深奥にある普遍的な衝動です。同時に私たちは、国家と同様に、より特定の連帯である家族、近隣の住民、同業者、コミュニティ、時には信仰のコミュニティ、労働組合、企業団体などによって、自分たちの人生を生きています。私だちが自らの過去やアイデンティティをいくら批判的に省察しても、善き生が“私たちを今あるものにしているコミュニティやアイデンティティのすべての外側に立つことを意味する”とは私は思いません。

 ですから、善き生を生きることは、ある意味では、特定のアイデンティ間の緊張のなかで生きることです。そのアイデンティティとは、私たちを形作り、定義し、また私だちか相互に持っている責任を特徴づけているものです。そして、より普遍的な願望として、人類というひとつのコミュニティを、私たちの行動や関心に対して重要な要求をする存在と見なさなければなりません。ですから、ある意味で、善き生には、私たちのアイデンティティ、忠誠、道徳的責任の普遍的な特徴と、特定の特徴との間の緊張と共に生きることか伴うでしょう。

 これは善き生を生きるための秘訣でも、どうやって正確に生きて選択するべきかについての概要でもありません。しかし、ジレンマに遭遇したり、緊張と共に生きたり、競合するアイデンティティのなかで生きることが失敗ではないと知るのは、ある種の慰めとなりうると思います。これは問題ではなく、人間であるということの一部なのです。
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