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やはり、日本には「緑の党」が必要

「緑の党」が日本では必要だと思い始めています。個人の性にして、買い物袋を持参して、電気・水道を節約しているだけは、完全に手遅れになってしまう。そう考えた理由は3つあります。

一つはゴアの『不都合な真実』です。読み込んでいると、政治面での不備を感じます。マスコミも教育も政治の無能ぶりの反映です。ヒマラヤの氷はアジア・中近東の川を通じて、各国に影響を与えています。海流はさらに大きな影響を大陸レベルで与えています。戦争している時ではないし、シェア争いしている時ではない。アジア連合も必要になっているが、政治がThink Locally, Act Globallyになっている。あまりにもつまらなくなっている。持続型社会を作り出すための政党が必要です。

二つ目は519.2カワ『世界の環境問題』第1巻のフィンランドの項目です。フィンランドは西ドイツの「緑の党」結成に触発されて1980年に結成された。ポイントは地球規模の視点です。酸性雨の原因物質の2/3が外国から風で運ばれ、2000湖沼が酸性化で魚が死んでいる。ハメリンナでも湖沼をいかに守るかが環境政策の中心だとDr.ヘリさんからも聞きました。今の日本にはそういう提案をする政党がないのは、地方自治への影響力も踏まえると先行きがない。

三つ目は、この3年ほど関わっている環境学習施設への市民参画からの問題意識です。市役所として、「市民参画」をするということで、やってきたが、市の環境政策自体がまるで変わっていないし、NPOも何となく、頼りない。何となく、市役所が施行主みたいな形になってきています。環境に問題意識があり、市役所で部門を超えて、環境関連部署に行った女性も、市民からNPOに参画した女性も生かされていない。市民参画するためには、やはり、市議会を変えていかないと市役所の役人は変わらない。そんな気がしています。

政治にどう絡んでいくかについて、NPOと真剣に話し合いたい。これも市とかNPOにとって、そして、この国にとって、「不都合な真実」なのでしょう。真っ向から向かい合うためには、「緑の党」は必要です。

明日は健康診断です。KOZさんにほめてもらうために、体重を減らします。帰りに、無料サウナで水気をとって、明日の健康診断に備えました。だけど、月曜日よりも体重が増えていた。本当に減らすのは難しい。
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生活実感のなさ

私は昔から生活実感がありません。実は大学に入る時も、会社に入る時も、東富士に異動したときも、名古屋に異動したときも、全て「偶然」です。それは「偶然」と言いながら、ある意味では最高の選択をしてきたのかもしれない。他のパラダイムを知らないから。結婚そのものについてもいたようなものかもしれません。

いま、暮らしのために生きているとか、仕事しているという実感がありません。夢を思い、夢をカタチにしたい。当然、抵抗されてで切れたり、考えの方向転換をしたりしています、

本はやたらと読んでいます。この週32冊というのは、異常です。こんな環境にいること自体が異常です。こんな好奇心があることが異常です。そして、それを認めてもらっていないのも異常です。その中にいる私に生活実感がまるでありません。ふつうの人と話している時に、「生活するのも大変なんだ」「生きる意味なくして、なぜ生きられるの」とか感じるだけです。

大量の読書にしても、何かを書きたい、書くために読んでいる、とかの目的意識はほとんどありません。そこにいる存在として、「偶然」でこういう状態になったという感覚です。新刊書を提供してくれる図書館がそこにあることだけでも、すごい「偶然」です。私に読む時間と読む空間が与えられているのも、すごい「偶然」です。奥さんの性格が少し異なれば、この生活は成り立ちません。

だから、この「偶然」は私に何をさせたがっているかを求めているだけです。人間関係では、素敵な女性とは話していたいぐらいの希望しかありません。そこでも、あくまでも「偶然」です。偶々、そこにいたとか、その時間にいたとかです。そういう時に話しかけます。

あと、数年で、この会社を去ることになるけど、その先のことも考えていません。それこそ、食べていくとか、食べさせていくとか、そのために従順になるとかの、よくテレビでやっている世界(こういう風景しかない)に耐えられるか分かりません。

私の中にあるのは、宝くじが当たって、お金の心配がなくなり、フィンランドの図書館で「ラップランド戦争」のことを調べている姿です。私にはそれが起こると思って、年に数回、10枚ずつ、宝くじを買っています。

「偶然」の神様、体力があるうちにお願いします。
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Sa-ポータルの検証が始まった

今日から、本格的にポータルの検証を始めます。ここでは、メーカーが作ってきたものを、詳細な仕様書に沿って、ケース分けして、その通りになっているかを、“愚直に”やる方式をとっています。私には、そんなことに時間をかけられません。電算部にいたときも周りはそんなやり方をしていたが、私はほとんど右脳で対応していました。

東富士でサーバー、セットワーク、プログラム言語、ついにはメーカーまでも変えて、設計者にアピールする仕組みを作り、仕事そのものを変えていた。その時に頼りになるのは、完成した時に、設計者が喜んでいる顔だけでした。その以外の、自分に対する攻撃のための「言い訳」は全て絶ちました。

今回も、これを使う販売店の人にとって、このシステムが何を考えているかが分かるかどうかを成否の分岐点です。使う人が「理解できる」システムならば、安心して使うし、開発者の思惑を超えて行きます。これは東富士のマッキントッシュで習いました。

今回のシステムのベースはアメリカで開発されたパッケージです。このパッケージの理念をいかにサファイアの理念に合わせられるかがポイントです。本当はその営業担当のODAさんに頼ろうとしたのに、昨年末に会社を替わってしまった。これは本当にショックです。本当に、前向きで元気な女性で、一緒に夢を語れる相手でした。

そんなことで、まずは検証機に「インスピレーション」を入れてもらうように頼みました。ところが、メーカーの人は「インスピレーション」というソフトを知らなかった。このアウトラインプロセッサーを知らない! エクセルとワードというマイクロソフトの世界だけで生きているみたいです。考えるための道具とか表現する道具には関心がなく、作るための道具だけに囲まれている。

個人が考えるのに必要なツールは「管理の世界」ではうけないみたいです。環境問題もそうですけど、基本は個人が考えることであり、サファイアは、そういう個人に道具とか仕組みを渡すものです。その意味では、前向きのパートナーを次は考えましょう。

このウェブ2.0の世界もこのままだと、そういう思慮のない連中に掠め取られます。彼らは権力機構に入り込んできます。今度こそ、リベンジしないといけない。そのためには、我々の戦略を大きく変えていかないといけない。それをサファイアで実現しましょう。
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図書館で5冊借りるつもりが11冊

一日で12冊を処理できたので、追加のための図書館へ。ココのところ、目一杯だから、軽いものを5冊ぐらいに借りるつもりだったが、結局、11冊借りてしまいました。

前回の都合で取り置いたものがしっかり残っていたので、11冊になってしまった。われながら、すごいことです。私も含めて、皆が掘り返した、今週の新刊書から、それだけを見つけ出すのだから。普通の人は新刊書コーナーはチラッと見るだけです。私は自分のジャンルでないところも含めて、1冊1冊をめくって、自分の興味との照合をしていくのだから。やはり、その残り物で、すごいものを見つけたことと、ここで出会った「偶然」を最大限に生かす気持ちです。

新刊書を多く借りる知恵を一つ披露します。上巻・下巻になっているものの上巻だけを借りるやり方です。本の冊数の制限があるので、上巻を借りれば、下巻はだけが残ります。そうすると、他の人に借りされる確率が減ります。それを2日後に借りるのです。

私の場合は下巻だけでも借りてしまいます。今回も「ローラン・シュヴァルツの自叙伝」がそのケースです。本は下巻の方が面白いです。特に自伝などは、上巻は生い立ちがくどいです。その人にとっては重要かもしれないけど、社会的影響は後半です。だから、今回は上巻を借りました。この脱トロッキストの数学者ということよりも、自然に対する感覚の方が面白い。

次回は2月2日なので、正月休みがあった1月に借りた冊数は138冊です。かなり、しんどくなっています。来週は金曜日だけにします。

この土日でOCR化したなかで、販売店での活動を紹介したものがあったので、メールに関係者に送付すると同時に、自分のケータイにも送付しました。添付資料がそのまま、ケータイのデータフォルダに蓄えられて、テキストとして十分読めることを発見しました。高速バスなどでは本を読むよりも楽です。だから、読書を立体的にします。

合わせて、2000年からのデジタルライブラリの体系を単に時間順だけでなく、NDC(日本の図書館の体系)からも検索できるように機能を追加させます。これはライブラリにはディレクトリが重要だという、仕事でのヒントの応用です。仕事と生活の手段との交流が「知恵」を生み出します。
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451.85ゴア『不都合な真実』を手に入れました。

映画上映中の『不都合な真実』を2週間前に図書館へ依頼。その時点では発刊されていなかったので、第一番で予約。

翻訳は私がお気に入りの枝廣淳子さんです。昨年の6月にアメリカで映画を見て、本があることを知ったそうです。それから、猛烈な勢いで翻訳して、映画とほぼどうタイミングで出版にこぎつけたと書かれています。ほとんど、同時通訳手法で行ったみたいです。

不都合な真実(AN INCONVENIENT TRUTH)は何となく、ピンとこない題名です。これは真実を認めたくない人、もう遅いと思っている人へのメッセージです。そんなことは知らないとか、自分には関係ないと思っている人へのメッセージではない。行動を起こせない人へのメッセージです。

「気候の危機に関する真実は、自分たちの暮らし方を変えなくてはならないという、『不都合な真実』なのである。」

皆は何も知らないわけではない。政治の世界は「地球温暖化」と人間の行為との不確実さがゆえに、何もできない。それは経済に及ぼす影響などは考えたくないことなのです。それが自分たちにとって、「不都合」だから。だから、どうしようもない。とりあえず、ロハス的なことで、自分を納得させましょう。

明らかに我々の周りに大きな変化が起きているのは確かです。クルマを含めたライフスタイルの変化は避けられない。だけど、そんなしんどいことからは考えてもしょうがない。

私見だと、人間はこういう本質的なことから目をそらすのは本質だと思います。何しろ、「生まれてきた理由」とか「死んでいく存在」だとかを見ないで暮らそうとします。こんな本質的なことは「考えてもしょうがない」と思っています。以前、診療所のカウンセラーもそう言っていました。それ以来、彼女を信頼しなくなりました。こういう「不都合な真実」を知って、行動しないといけません。

もう一つの「不都合な真実」?が発覚。この最近、どう見てもお金が足りない。豊田市を歩きながら考えていたら、奥さんに交通費の請求をしていないことに気付きました。バスで1日1400円×22日で3万円弱です。このうち、2万円ぐらいを個別に毎月請求していたのですが、去年の11月・12月を忘れていたのです。奥さんに確認しました。どうにか認めてもらいました。その過程で1万円借りているのを思い出されてしまった。
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第7回環境学習講座、やっとまともな講師

毎月第4金曜日の午後は環境省主催の環境教育講座に半日年休で参画しています。名古屋駅前から会場の大手町のNPOプラザまで歩いたら、40分かかりました。

環境学習はこれで7回です。やっと、まともな講師が現れました。現場での経験豊富な講師でした。おかげで色々と考えることができました。

毎回思うのですが、環境基本計画の3つの“I”(Implementation、Improvement、Innovation)は本当に意味がない。センスが悪い。Think Globally, Act Locallyのようなまとまりがない。これは環境省に日本を引っ張っていこうという理念がないからでしょう。さらに、「健やかで、美しく、豊かな環境先進国」という理念に到っては最低です。アベの「美しい国」と同じです。国民へのトラップです。裏切りです。

環境でまずはすべきことは「行政」と「企業」と市民の関係をつけることと「環境が緊急の課題」だということを市民に認識させるです。これは日本だけのことではありません。戦前の滅私奉公ではないけど、滅国報世かもしれません。

環境問題に対して、グーグルの発想を入れ込んで、素早く皆を変えていかないと間に合わない気がします。そのなかに自分のミッションを見つけ出したい。そのためのキーワードは市民活動に対する「ポータル」「情報共有」「本=生涯学習」、そして循環の徹底です。

今の環境省の方針は断片的な情報ばかりからの説明になっています。全体的な構成図とシナリオが出来ていません。現場は現場で勝手に動いています。だから、今回の講師のような女性がいるところは突出します。それだけです。

特に、市民参画の部分が弱すぎます。市民を中核にして、行政と企業が補助するカタチにすることで、スピードアップを図らないと間に合いません。いつまでも、市民が行政の隷属の関係では動けません。

今回の講義で、我々の優位点が確認できました。それは活動の拠点ができるということです。これは大きな一歩です。ここから始めることです。

「何が『もったいないか』を3つ出せという問いかけに即座に出てきたのは、「人」、「歴史」、「生活」でした。ふつうは「水の垂れ流し」「電気のつけっぱなし」「エコバック」らいしです。だけど、本当にもったいないのは、私の3つのような気がします。
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先日は久しぶりの親睦会

今回は会費が5000円だったので、奥さんに思い切って申し込んだら、了解があったので、昨日、久しぶりにグループの親睦会に参加しました。グループは40数人いるらしいけど、私が名前を言えるのは5人ぐらいです。女性は今回お休みなので、「まあ、端っこでのんびり食べよう」と思って早めにいきました。本当に端っこの席を確保しました。

場所は居酒屋風で、4人~6人単位での鍋×5だったので、結局、同じ卓の3人だけとの会話になりました。丁度、名前を知っている人だけが集まってきました。どうも、結果的には彼らは私に気を使ってみたいです。NAGさんは欠席の予定が急遽、出席。その際に女性に「よろしく」と言われたとのこと。気を使っていただきありがとうございます。

NAGさんは本当においしそうにお酒を飲みます。それで酔います。見ていて飽きないですね。私は全然ダメだから、飲める女性を見ているのは好きです。会話の中で、以前派遣で来られていたOZさんの話が出てきました。もう、2年以上前なのに。もしかして、「伝説の派遣さん」? 私はよく彼女に助けてもらいました。

こう考えると、電算部の時のMIYさん、東富士の時のNAKさん、名古屋に来てからも毎回、女性に助けてもらっています。本当にありがとうございます。

今日の午後からはある販売店のシステムとポータルとのすり合わせを行いました。販売店のシステム会社が入った検討会では嫌な気分になることが多いです。かれらは自分たちの存在だけを考えて、私を攻撃してきます。ちょっと先を見れば、それがマイナスになることが分かるのに、見ることはしません。ひたすら、自分たちの存在だけを主張します。

だから、昨日のように、女性の感性で女性と話している時が一番落ち着きます。OZさんも、また名古屋に来るみたいだから、女性感覚で話しましょうね。

帰りに元町で無料サウナ後に体重測定をしたら、全然減っていません。少しは期待したけど、よく考えたら、親睦会でも飲めないから、ずっと食べていました。今朝、エレベータ待ちをしていた診療室のKOZさんに偶々あって、エレベーターを止めて、話していた時にも「甘いものはダメよ」と念押しされたから。2月1日までに減らさないと!
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面接で言ったけど・・・

面接で「I wish」とミッションステーションに対して、自己評価を出したけど、本当に伝わっているのか。「I wish」は定型フォーマットではなく、ブログの内容をそのまま出しました。

今年は「サファイア」一色で埋めました。ここでいう「サファイア」は会社だけでなく、社会に対する姿勢も入っています。まあ、会社に出す時にはあくまでも会社をベースにはしていますけど。この最近のサファイアの意味は『個人に武器を与えて、会社(社会)を変える』になっています。

1.課題創造力
①慣例にとらわれない革新的発想:「グローバルに考え、ローカルに実行」の考えでインフラの機能提供と販売店でのコンテンツを分離
②中長期的な展望を踏まえた企画立案と提示:サファイアネットワークの将来に対してバックキャスティングし、ポータルとかライブラリを企画・提示

2.課題遂行力
①適切な状況判断:ポータルを新システムへの単なる「窓」からネット上の情報共有の中核として、機能アップ
②決断:ライブラリで従来の衛星回線のプッシュ型から、Mu-Boxのプル型で設計することで実現可能性を確認
③ねばり強さ:サファイア(持続可能性)という日常業務では理解されにくいものを「思い」は捨てずになるべく具体的に提示

3.人望
①メンバーの信頼感・活力:販売店にサファイアの構想を説明すると同時に、そのために今何を選択するかの方向性を明示

この7年間はこういう感じで提出しています。こんな狭いとことで、「思い」が伝わるはずはないです。それに対しての、面接時間も20分です。分かりようがないですね。

こうやって冷静に見ると、本当に分かりにくいですよね。特に3。人望など私にあるはずがないです。今のところ、こういう表現しかできません。「未唯の手紙」で構造化して、表現方法も変えていきます。さらに分からなくなるかもしれないけど。そのときには、私のブログを見てもらうしかないかもしれません。

最後に、ネットワーク会社のミッションを明確にすることを室長に依頼しました。これはかなり、難しい課題です。
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知らないうちに死に場所を求めているかもしれない

ライブラリの進め方について、室内での検討したけど、室長以外からは将来を見ている感じが伝わってこない。

そんな中で、検討会の中で自暴自棄になっている自分を見ていました。かなり、逆切れしています。「そんなことを言うのなら、私は手を引きます」。それに対しては、「そんなことを言ってはいない」というだけです。考えと考えでディスカッションしたいのに、相変わらず、何を考えているのか分からない。

時々、「なくなる」ことを望んでいます。こんな環境の下で、自分には将来が見えるために、それを救うために考えて、色々な企画をしているが、それを否定されるのであれば、全てをほかりだしたい。自分の中の結論だけに生きていたい。だから、「そんなことは無意味だから止めろ」と明確なことを言われることを待っているかもしれない。そのときには本当に捨てます。夢がなくなれば、存在もなくします。

昨年のライブラリの企画から開発でも何度もあったけど、他の人はちょっとした否定はするけど、私よりも明確な将来のイメージを持って否定する人は現れなかった。ちょっと反発すると、「とりあえず、やったら」だった。だから、ココまで来ています。

室で将来構想を企画するポジションの人に、ライブラリを「年内にやる意味」などと問われます。予算のことで言ってきます。私が知りたいのは、そんなことではなく、販売店全体に対して、この会社のインフラに対するミッションを聞きたいのです。元々は『あんたたちのためにやっているんだ』。だから、その実現に存在を賭けて欲しいのです。そうでないと、未来は拓けません。それがあなたの役割だと言っているのです。

インフラの不備での販売店がバラバラでやることの損害が分かっていない。今まで、バラバラにされてきたものから全体効率するためにどれだけ苦労としてきたのかの認識がない。歴史が生きていない。人が生きていない。普段の生活が反映されていない。
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Googleの番組放映

日曜日夜9時から、グーグルに関する放送がNHKからされていた。かなり前から番組宣伝を繰り返していたので、かなり興味を持って見ていました。その前に、グループミーティングでもこれを見てくれるように皆に頼んでおきました。多分、私の意図は伝わっていないでしょう。グーグルはサファイアネットワークのライバルだと思っています。

観た感想としては、グーグルの望みはNHKが考えているレベルではなく、とてつもないことを考えているということです。NHKでは現在の業態を固定して説明していたので、かなり薄っぺらくなっていました。どのように儲けているかを説明しようとしていました。そんなものは偶々、現時点での結果に過ぎないのです。もっと、深いものです。

なぜ、そんなことが言えるかというと、7年前のイメージ映像(風景)が私にはあるからです。2000年2月15日に私はバークレー大学(UCBA)に行きました。前日に、サンフランシスコ図書館(SAPL)訪問した際に、隣のサンフランシスコ公会堂で、ビル・ゲイツのWindows2000の発表会に遭遇したばかりで、完全に頭は「偶然は必然」という「もう子さん」の配下にありました。だから、どこでも入り込める状態でした。

UCBAの図書館に無理やり入館させてもらって、巨大な格納庫のライブラリ(規模は日本の国会図書館並)に侵入しました。そこで、知の基である、本のデジタル化の現場を見ました。彼らは本気です。そのデジタルコンテンツで世界を征服しようとしていました。

帰りの飛行機では、そのアメリカの試みに対して日本の図書館はなにで対応すればいいのかをずっと考えていました。ちなみに、その答えはその後に行ったヨーロッパで得たThink Globally, Act locallyをベースにして、地産地消的な地域活動に行き着きました。

その風景とグーグルがどうしても結びつきます。本当の意味での「知の統合」を商売の仕方は別にして、仕掛けてくる気がしてしょうがありません。その時期は2014年ぐらいでしょう。その時点ではエネルギー問題からも人間はコミュニティが重要なキーになっているはずです。

だから、サファイアとグーグルの世界との比較を「未唯への手紙」でも仕掛けます。
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