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未唯空間第6章 本と図書館篇

書き起こしが進まない

 やっと、書き起こしを始められました。10日分ぐらいあります。

 入力が難しいのは、やはり、視力ですね。パソコンを見ているのはきついです。観る分にはタブレットにして、目を近づければいいけど、入力はそういう訳には行きません。

多読で得たもの

 多読で何を得たのか。何を失ったか。一万冊で多読と本を処理することを習得。孤立と孤独を保てるのは多読のおかげです。知りたいことがあって読むというよりも、読むことで知りたいことがわかる。それらの本は私のために用意されていることを実感が大きくなった。自分が関心を持ったこと、持たされたことは本として現れます。

 本は探すのではなく、目の前に与えられるもの、なるべく偶然を活かして、読んできた。その結果、言葉が与えられたのは確かです。独我論にしても、数年前には私の中にはなかった言葉です。

図書館関係者に言いたいこと

 環境としての図書館のあり方を探し始めて、16年ぐらいになります。ロバニエミ図書館にも行きました。図書館の関係者に言いたいことは多くあります。次の時代をキッチリ見ていかないと、世の中はどんどんダメになっていく。

 色々なことを彼らは話すが、自分の所のことしか考えていない。これはメーカーと同じです。それではダメです。市民のことを考えないと。図書館に来る人だけではなく、来ない人、そして図書館の未来をどう見出していくのか。

 本と図書館で中間の存在を盛り上げていかないといけない。そのベースが知識と意識。メディアも多くあります。本だけでできるわけではない。

本には意味がある

 だけど、本には意味があります。読む価値があります。それは面倒で、リテラシーが要ります。その先に在るものから言及しないとダメです。先に在るものは知識と意識を得て、どう行動するか。

 世の中の傾向はすべて、逆に走っているけど、それをいかに止めるか。その時にキーになるのは存在です。何のために読むのか。自分の存在のためです。池田晶子はその辺りをキッチリ説明できる。今、彼女が居ないのは残念な世界です。もっと、色々なことを言っていけばいいのに。だけど、本は残り、思いが残った。本の素晴らしさはそこです。

 知識と意識にしても、まとめること、伝えること、つながることです。それが本来の意味です。

公共と図書館

 公共図書館。公共というものと図書館がつながっていること。英国から始まった制度。日本には定着していない。お上から与えられたものではダメです。自分たちで作り出さないとダメです。

 小布施ではないけど、街をいかに変えていくかというレベルで止まっています。世の中を変えるところまでいっていない。公共図書館は未来のカタチです。

 行政の中にいる、教育委員会の下にいる公共図書館がいかに独立するか。数学と同様に、道具から抜け出して、図書館が主体となって、市民と連携すると同時に図書館同士で連携をしていくことが重要です。中間の存在として大きなキーになります。

 何しろ、大きな武器を持っています。そこに本があります。本自体もデジタル化が進んでいきます。著作権も変化していきます。本は読まれて、なんぼ。読まれて、人が覚醒して、行動が変わって、なんぼ。個人のレベルでまとめて、内なる世界を作り、外に出していく。それをシェアしていく。

図書館を防衛する

 読書会が必要かどうかわからない。内なる世界ではなく、単なる外の世界です。図書館をいかに守っていくのか。これは生半可なモノではない。図書館戦争ではないけど、本当に防衛しないと潰れかねません。外圧は大きい。本を読まない人たち、変えたいない人は多く居る。

 ハイアラキーと配置の戦いの最前線です。上からの指示で動く人間にとって、本は必要ない。江戸時代に女に教育は必要ないと言っているのと同じです。

覚醒し、伝播する

 選挙権が与えられて、考えるための道具を個人から発していくためには本が必要です。配置されたものがその時点から変わっていくには、メディアに頼れない以上は本です。そこからメディアを変えていって、伝播ルートを作り出す。

 ムハンマドにしても、クルアーンを早めに作って、中間の存在であるコミュニティで個人の覚醒を促していった。それで伝播した。

教育を変える

 一番身近な所では、教育を変えることです。教育を変えるために、それぞれが目的をハッキリさせないといけない。どういうカタチにしたのか、その意思統一をしていく。その為には、いかに本のまとめるか、それを自分の世界に持ってくる、内なる世界の図書館が必要です。私には未唯空間があります。

 そこから生涯学習、教育を学校に捉われるのではなく、就職を変え、会社を変え、家庭を変えるためには生涯学習が必要です。教育を変えることで他のモノが変えられる。循環の初めが教育です。

 全体主義にしても、共産主義にしても子どもの教育から始まった。環境学習も子どもの学習から始めようとしている。本来は大人から変えないといけない。大人を変えるにはどうしたらいいのか。それぞれが覚醒するしかない。覚醒する場をどう持ってくるのか。それが中間の存在の場である。

地域配からのアウトリーチ置

 中間の存在と本と図書館がつながることで、地域への配置になります。そういうコミュニティをどう作り上げるのか。何処でも図書館を考えていく。それで分化と統合を行っていく。それが地域インフラにつながる。

 そこで何が必要なのか。図書館の意味は何なのか。販売店の仕組みから考えてきた。ポータルとコラボがある。それで武装化していく。今後はコラボです。そうしないと、それぞれが覚醒しえない。

 ここ一年で得たのはアウトリーチです。図書館も来てくれるのを待って、本を腐らしてもしょうがない。本を持って、出掛けていく。それを対面で伝播していく。その場所をどうしていくのか。この努力が足りない。

 図書館の本でアウトリーチすれば、バザーも変わってくるし、色々なところに配置する。何処でも図書館もその一環になる。それを推し進めるために、本で影響された人々をつなげていく。本の魅力をアピールしていく。その場をどう作っていくのか。

シェアをイメージする

 個人的にはスタバでのカウンセリングとしてやっていきたい。対面講義の形式も魅力的です。それは20年前に考えた、どこでも図書館につながってきます。富良野の美瑛には美瑛の図書館。旭川空港には旭川図書館。皆、違います。本の威力は変わらない。販売店にしても花屋さんにしても、主張を持っています。その主張を的確に伝えるために本が必要です。

 例えば、今、ランドリーがあります。ランドリーには大型の機械を置くことが出来ます。スニーカー専用の洗濯機もあります。個人所有の洗濯機とランドリーの世界を結び付けていきます。それがチェアの世界の一つです。

 ニューヨーク市には個人が洗濯機を持てる環境がない。だから、ランドリーを使う。歩いて行って、ランドリーでおしゃべりしながら、洗濯をする。一つのコミュニティです。中間の存在です。それぞれが所有するのではなく、シェアしていく。
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「公共的に生きていくための術」を支える「他者」の存在

『悪という希望』より ⇒ 中間の存在とか「他者」の存在でアップ

新しいコミュニケーションの可能性

 ペックやギデンズの議論を参照して分かったのは、キョウヨウ主義の自己意識システムは決して絵空事ではなく、各人の生きる指針として機能する余地があるということである。しかも、ここまでの検討から、現代における宗教・スピリチュアリティは決して個人の意識の中に「閉じこもっている」ばかりでなく、新しいコミュニケーションの可能性へと開かれたものであることが確認された。竹内はキョウヨウ主義を批判的に論じていたが、その宗教的コミュニケーションとしての意義を活用することで、現状からの脱出口を見出すことができる。

 もっとも、先に示した社会人基礎力の自己意識システムが優勢となっている現代社会において、キョウヨウ主義の自己意識システムは(どちらのヴァージョンでも)いかにも弱々しい。特にヴァージョン↓は「生きていく術」の追求の仕方によっては、容易に社会人基礎力の自己意識システムに取り込まれてしまうだろう。だから、せめてヴァージョン2の方だけでも強力にするべく、キョウヨウ主義を新しいコミュニケーションヘと導くように、具体的なコミュニケーション様式を考えていく必要がある。そこで、先に村澤で参照されていた斎藤による別の議論を参照する。それは、斎藤が精神科医として「ひきこもり」や「うつ病」の臨床に携わり続ける中で、そのような人々が社会生活を過ごせるようになるための方策について考察したものである。

自己愛と他者

 斎藤によれば、「ひきこもり」と「うつ病」はその臨床のあり方において、似た点が多い。そして、長年「ひきこもり」の臨床に関わってきた者として、うつ病の回復過程における人間関係のありようが、きわめて大きな意義をもっていることを確信しているという。場合によっては、どの薬を選択するかということ以上に、人とどう関わるかが重要になっているというのである。

 では、斎藤がそのように論ずる「医学的背景」とはどのようなものだろうか。斎藤は「客観的な検証は原理的に困難」と断りながらも、自らが医師として臨床の指針として依拠している「自己愛システム」という枠組を、自らが作成した図とともに論じている。

 斎藤は、「他者への愛の根底には自己愛があり、しかしその自己愛を育むのは他者への愛である」というかたちで、「自己愛」を一つのシステムとして想定している。そのように考えるのは、自己愛の維持において「他者」の存在がいかに重要であるかを強調するためである。この図式では、自分の「野心」と自分の「理想」という二つの極を、自分の「スキル」がつないでいる。「スキル」とは、人を駆り立てる「野心」と人を導く「理想」を上手くつなげる術である。そして、この「スキル」を維持・発展させていくための存在として、「他者」が位置づけられている。「他者」はまず、自分の「野心」にエネルギーを供給する存在である。なぜなら、「他者」との接点がなくなってしまえば、「野心」も次第に衰弱するからだ。次に、「他者」は「理想」のありように対して、常に微妙な軌道修正をかける。例えば、ある「理想」がもはや現実的でないと判明したら、「他者」はより実現可能性が高い努力目標に設定を変更するように、自分へと働きかけてくる。ちなみに、ここでの「他者」は、一期一会的な出会いや、人ではなく記?や↓アイディアタとの出会いなど、多様な人物やものごとが含まれる。

 いくつかの用語の意味を確認しておくと、斎藤によれば「野心」とは「自分を駆り立てるエネルギー」のことであり、「理想」というのは「自分にとってのゴール」である。成長のためにはゴールとエネルギーの双方が欠かせず、この二つの極の間の緊張関係によって発達が起こるという。その上で、とこで重要なのは「スキル」と「他者」に関する議論である。まず「スキル」であるが、これは先のキョウヨウ主義の自己意識システムにおける「自分なりの『公共的に生きていくための術』」と重なるだろう。なぜなら、斎藤のいう「スキル」も単に自分のための閉じた「理想」のためでなく、むしろ「他者」との交わりを通じて修正していくことを想定しているからである。

 また、斎藤の議論を参照して分かるのは、「自分なりの『公共的に生きていくための術』」を磨いていくには、「他者」とのコミュニケーションが不可欠だということである。「他者」が必ずしも「人」である必要はない。蒐集癖のある人にとっては、自分の集めたコレクションが自己愛の支えになり、作家やアーティストにとっては、自分の作品がその位置に来る。つまり、自分にとって「他者性」を発揮してくれる対象であるなら、何でも構わないという。そして、「他者性」とは「自分にとって重要でありながら意のままにならないこと」を意味しているという(斎藤呂コニ笞。

他者から社会へ

 斎藤もいうように、「他者」という存在の客観的な検証は原理的に困難である。だから、「他者」が人にとって必要だという議論も、それ自体をそのまま受け入れるしかない。すなわち、この「他者」とのコミュニケーションも、ある特定の存在を信仰する宗教的なコミュニケーションだといえる。では、ここでいう「他者」とは何を指すのか。それは、自分の「理想」(=主観的に解釈された「理想の自己像」)を「理想」として維持しながら、決して全てを約束してくれているわけではない存在を指す。「他者」は、自分を「理想」へと進むように誘ってくれるが、決して結末が保証されているわけではない「未来」を、自分に与えてくれる存在である。そして、そのような「他者」とのコミュニケーションが、各人の自己愛を支える。その自己愛のあり方は、宗教的コミュニケーションとしての意義が確認されたキョウヨウ主義と、その自己像のあり方に共通点が見出される。

 最後に付け加えると、このように考えていくことで、「社会の一員としてのあり方」にある「社会」についても、別様に解釈する可能性が開かれるだろう。この場合の「社会」とは、単なる「道徳的・常識的なルールの集積体」ではなく、ましてや「人々を打ちのめすような現実の集合」でもない。それは、「また生きていこう」という希望や未来を、人々に与える「理想のイメージ」を含むと考えられる。その結果、「社会」は多くの「自己から他者への偏愛」であふれるが、そのことを非難するべきではない。現代は、「普遍的な人間」という観念を信仰し過ぎているのだから。
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結局、安倍政権には勝てないですか

『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』より 他者--リベラルは『ビジネス』を巻き込めるか

肝の中の肝は先取りしている安倍〝社労族〟政権

 浅羽 湯浅誠氏が二〇一五年一一月一〇日付「朝日新聞」朝刊紙面批評で、総スカンを喰らった一億総活躍社会には、難病患者や障碍者をも包摂する地域や家庭環境へ変えてゆくという一項があったが、朝日はこれを報じず、非難したと指摘しました。

 安倍晋三は祖父岸信介の政治的DNAを継承しているとよく言われます。そのときDNAとは安保重視のタカ派志向をいうのが普通ですね。しかし、岸信介には、世界に冠たる国民皆保険・国民皆年金を実現した功績もあります。東大法学部トップの秀才だった学生時代、北一輝を訪問して心酔したといわれる国家社会主義者でもあるのです。このDNAも安倍晋三は継いでいる。「一応、社労族です」というのが好きで、実際、橋本内閣時代、介護保険法成立へ向け尽力したらしい(二〇一五年一一月二一日付「朝日新聞」朝刊)。二〇一六年一月二二日の国会演説では、同一労働同一賃金の実現を宣言したでしょう。まあ、年金受給年齢を引き上げたのも安倍氏ですけどね(「週刊文春」二〇一五年一二月二四日号)。

 湯浅氏は、権力をくさせばいいってもんじゃないと朝日をたしなめていました。

 たしかに、どうせ廃案にできない安保関連法反対をいい続けるよりは、社会主義者晋三を覚醒させる方向でよいしょすべきかもしれません。

 だって軽減税率見ても、自衛隊駆けつけ警護の先延ばしを見ても、参院選意識しまくりでしょう。せっかくだからつけこまなくては損ですよ。

 --結局、安倍政権には勝てないですか。

 浅羽 勝てばよいというものではない。すなわち、倒して済むものでもありませんよ。もちろん追従していればよいというわけでもない。権力はどうせならツールとして、世の幸せのために使いきるものでしょう。どうせなら、せいぜい酷使しなくちゃ。

 実務家社会人を巻きこむというのは、さらなる夢のためでもあります。

 柄谷行人氏や小熊英二氏は、「デモのある社会」の実現に狂喜していました。それが定着するかはまだまだ未知数ですがね。

 しかし、本気で権力と措抗したいなら、デモ復活だけでは片手落ちじゃないですか。

 次は、ストライキ復活! ゼネ・スト決行! これですよ。

↑デモよりゼネ・ストのある社会を!

 --でも連合も昔の労組ではないし、労働者も強く組織化されてるとはとてもいえないし、誰がストやるんですか。

 浅羽 ゼネ・ストは従来、産業や流通がストップするくらいの大規模なものと考えられてきました。しかし、かならずしもそうである必要はない。世の中のネックとなる部分を担う職種や部署が仕事を止めさえすればよいのです。

 復帰前の沖縄で、アメリカ軍の重圧下にあった全軍労という労働組合の看護師がストをしたことがあるそうです。折しもベトナム戦争。後方へ送られてきた傷病兵を誰も看護しなくなり、米軍はびびりまくったらしい。

 昔は国鉄のストで電車が止まるなんて珍しくなかった。

 --お爺さん、また昭和の話ですか。しかしそれってえらい迷惑ですね。

 浅羽 ええ。国民の支持が得られないので、だんだんやらなくなりましたけどね。

 ストで多少不便が生じても、訴える内容の重大さを理解した国民は、仕方ないと甘受して許す。ここまで情勢が進まないと勝てないのです

 そして国鉄民営化、総評の連合への吸収、国立大学独立法人化と日教組弾圧、公明党と創価学会の政権への取り込み。これらの変動によって、大きな影響を世に与えるストや口ビイングのできる「中間集団」が失われ、政府に措抗して権力分立を顕現させられる社会的「力」が消えていった。このあたりの議論は柄谷行人氏のパクリですが。終身雇用と年功序列が揺らいで、企業共同体が安泰でなくなったのをこれに加えてもよいでしょう。

 ストもこれらと軌を一にして消えてゆきました。

 --じゃあ、だめじゃないですか。

 浅羽 いやいやわかりませんよ。

 日本は右下さがり、もう成長はない。縮みゆく社会となってゆきます。

 人口減少で人手不足が深刻化しつつある現在、「労働」と「生産」の拒否が力を持つ世の中の復活はあり得ます。

 昭和三〇年代ブームが一〇年くらいまえにありましたが、さまざまなかたちで昭和的コミュニティを回復したいという動きは生じてきています。シェアとかミニマリズムとか。

 崩壊したといわれる企業共同体ですが、イベント好きの若い世代は、社員旅行や社員運動会の復活をあちこちで突きあげているらしい。東京三菱UFJ銀行では制服が復活しました。新人類からバブル世代の個人主義者が、懸命に終わらせた高度成長期以前の企業ムラ文化がこうして平成生まれの「さとり」世代の手で再生されつつある。

 私はこれを昭和への巻き戻し、スイッチバックと呼んでおりますけどね。
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そんなデモでは拡がっていかない

『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』より 他者--リベラルは『ビジネス』を巻き込めるか 

デモは居心地がいい--松沢呉一氏が語る本音

 浅羽 3・11の年の暮れ、デモ初心者を対象とするよくできたブックレット『デモいこ!』(河出書房新社)が刊行されました。その巻頭を飾るのが松沢呉一氏の文章「デモはたのしい」です。

  「デモに出れば、自分と同じようなことを考え、同じようなことで悩んでいる人たちがたくさんいることがわかります。それを大きな声で叫ぶことで自分を取り戻す」

 これなどは、小熊氏とはぼ同じことを語っていますよね、その一ページまえにはこんな文もあります。

  「ここにはひとつのコミュニティがあることもわかってくるでしょう。ともに歩く人々は、考えや目的を共有しています。少なくとも、そのデモのテーマには賛同している。数十、数百、ときには数千という単位で人が集まれば、ほかでは得られない安堵や共感が生じます」

 この「コミュニティ」は、小熊氏の言う「社交の場」と同じものでしょうね。

 ここで私が立ち止ったのは、「安堵」という一語ゆえでした。

 またページをめくると、こうあります。

  「デモの解散場所で、なかなか人が去っていかないのは、そのコミュニティの居心地がいいためです」

 「安堵」できる「居心地のいい」コミュニティ……。デモや集会から生まれるのがこうしたものであるならば、社会運動としての広がりはずいぷんと限定されたところで終わってしまう。これでは権力に勝でないなと私は考えたのです。

 --どうしてですか。そこへ行けば安堵できる居心地のいいコミュニティだったら、多くの人が加わりたいと思うでしょうし、ずっと維持していこうとするでしょう。社会運動の出発点として素晴らしいと思いますが。

そんなデモでは拡がっていかない

 浅羽 さて、果たしてそうでしょうか。

 イケメン作家の島田雅彦氏が、安保関連法成立直前の国会前デモで、こんな発言をしたようです。

  「デモは一見無力かもしれないが、参加したことが友達に、親戚に影響を与え、5万人が10万人になれば50万人が100万人にもなる」

 このように影響が拡がってゆく展開を、デモ参加者ならば誰もが希望していると考えられます。

 しかし、そのデモが、小熊英二氏や松沢呉一氏が記したようなものだったとしたら、希望は結局、はかない夢に終わるのではないでしょうか。

 私がそう考えてしまったのは、『デモいこ!』の松沢氏の文章に、こんな一節をみつけてしまったからです。

  「とりわけ原発については、「職場で語れない雰囲気がある」「友だちに話すと疎んじられる」「彼氏や彼女にいっても心配性だと一蹴される」という話をよく聞きます。電力会社と取引のある会社に勤務していたり、親族に利害のある人がいると、反応を確かめるまでもなく、口をつぐんでしまいがち」。

 こうした現実は、ときどきメディアでもしばしば報じられています。

 二〇一五年八月二四日付「朝日新聞」朝刊では、安保関連法案反対デモヘ参加して、SEALsから勇気をもらったと語る女の子が、しかし、いつもフェイスブックヘ「いいね!」をくれていた友達はその後沈黙していると語った声が拾われていました。

 安保関連法可決直前の「朝日新聞」の「ウォッチ安保国会」は、デモにはサラリーマン参加者もいるという内容でしたが、化粧品販売店の女性三九歳と連れ立ってきた二六歳の男性エンジニアは、会社で安保を話題にすることはなく「組織の中ではなかなか意見はいえない」と話したそうです。

 この年の一月一二日成人の日、朝日新聞は社説で、脱原発デモ参加を理由に就活に失敗したらしい専門学校生の例を引きました。彼女は、「だって、これまで何度も経験してきたから。原発とか戦争とか政治の話をし始めると一変する場の空気、「そんな話やめろよ」という有形無形の「圧力」と語ったというのです。

 --あの朝日の社説は、これでいいのかと非難する論調でした。

 浅羽 ええ。いつもながらの道徳的非難でしたね。

 しかし今はよしあしを問うても仕方ない。仮に悪いとしても悪いといったから即、消えてくれるわけではない厳然たる事実があるのですから。

 それを知らないふりをして、島田雅彦氏は「友達に、親戚に影響を与え」なんて軽々しくいうべきではない。

デモヘ行くと友だちに引かれる--初心者の退路を断つ戦略

 浅羽 さて、松沢氏の「デモはたのしい」にはこうも書かれています。

  「人によっては、それ(デモ参加)を契機に職場や家庭でも話し始める、相変わらずそうはできなくても、思いや考えをインターネットで書く勇気を得る。ときにはそれによっていよいよ孤立するかもしれません。でももうだいじょうぶ。またデモにいけばいいだけです。友だちに言っても理解されないと悩んでいる人は、デモで友だちをつくってしまえばいいんです。事実、デモ友ができた人が急増中」。

 これ、業界では知られた手口なんだ。職場や遊び仲間からは疎まれる話題へ馴染ませ、いままで彼や彼女がいた世間を居づらく感じさせてゆくの。そうなると次第に戻っていける居場所がなくなっていく。退路を断つわけですね。こうなればしめたもの。新しい人間関係以外に相手してくれる者はいなくなるから、活動費を巻きあげるのも末端活動家として使うのも、もうやりたい放題です。本当ですよ。このメカニズムは、精神科医の中井久夫氏が、「いじめの政治学」(中井久夫『アリアドネからの糸』所収)というエッセイで活写しています。

 いじめ集団もそうだし、やんちゃグループやヤクザの新人スカウト、みなこれです。彼らの場合は、万引とかのちょっとした犯罪に手を染めさせてかたぎの世間へ戻れなくして退路を断ちますよね。フェミニズム・サークルとかでは夫婦喧嘩のときにフェミ理論とか口にさせれば、普通の旦那ならバケモノでも見る目で嫁さんを見る。たいがいはこれで離婚へまっしぐらだそうです。退路が断たれる。

 「でもいいじゃない、本当の仲間ができたんだから」となぐさめてフェミニスト妹分の出来上がり。もちろんその後の生活費までは支援してくれません。まあ実家暮らしさんも少なくないみたいですけど。カルト教団もマルチ商法も、みんなこの手を使うんですよ。

 --ちょっとは似てるのかもしれませんが、それはひど過ぎませんか。名誉毀損ものですよ。

 浅羽 告訴、上等っす。私は本当のこと言ってるだけですから。

 博打うちが、カネ持っていそうなカモを引きいれるときも、こんな感じなのではないでしょうか。色川武大の『小説 阿佐田哲也』(角川文庫)に、その道の鬼である原完坊という神ギャンブラーが出てきます。複雑な家庭に生まれ小学生で家出して同棲……という凄すぎる人物なのですが、六〇年安保のとき、なぜか突然、共産党のオルグとなって国鉄某車線区の労働者を統率する任務についた。「彼がオルグになって固めた地区はもっとも結束がとれ、強力な戦闘集団だったという」。博打の道へ誘いこむ鍛えぬかれた手口が、デモやストライキを組織するにあたっても威力を発揮したのでしょうね。

 --オルグってなんですか?

 浅羽 オルガナイズが語源で、本来は「団体が組織拡大のために、人を勧誘して構成員とすること」を意味する左翼用語です。学生運動全盛期には、「ナンパする」の対語として「硬派する」なんていったそうです。
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社会国家と中間組織

『歴史のなかの社会国家』より 旧東ドイツに中間組織は存在したか--人民連帯の活動を手がかりに ⇒ 未唯空間のキーワード:中間の存在を考えるためにピックアップ

中間組織としての人民連帯

 ではこうした人民連帯の家事援助活動をどのように評価したらよいのだろうか。第二節の冒頭で人民連帯の歩みを概観したさいに時期区分の手がかりとしたコッカは、旧来ドイツ全体について、「自律性をもつ中間的諸制度は、教会を唯一の部分的例外として、存在しなかった」と述べているが、はたしてそうだろうか。本章における人民連帯の家事援助活動をめぐる限られた資料に基づく検証からは、その活動が党や国家・地方行政機構の強いコントロール下におかれていたにせよ、ドイツ社会の歴史経路(「補完性原則」や連帯的活動の伝統)から完全に切断されたものではなく、財政的にも組織末端の「地域グループ」における活動においても一定の「自律性」を有していたことが浮き彫りになった。その意味で人民連帯の家事援助活動は、党・国家による上からの政策展開と家族や「人民ヘルパー」らによる下からの自助ないし相互扶助的活動の交錯する領域で、一定の中間組織的な役割をはたしていたと評価できるのではなかろうか。

 この意味で、一九六〇~七〇年代の家事援助活動の検討から得られた人民連帯像は、人民連帯の初期の活動を歴史的に掘り起こしたシュプリンガーが提起した、人民連帯の活動をめぐる「アンビバレンス」というとらえ方と重なり合うものである。すなわち彼はつぎのように結論づけているのである。

 〔人民連帯についての評価は〕その歴史におけるアンビバレンスを強調することによってのみ可能となる。この組織は社会主義統一党に従属しており、党の政治的・社会的立場を代弁し、システムの相対的な安定性に寄与していた。だが、社会主義統一党がドイツ民主共和国のすべてであったわけではない。人民連帯は、党も従わざるをえなかった人口学的、社会的過程に規定された社会展開の一翼を担っていた。この組織は、往々にして望まれなかったものの、持続力を保持しており、会員の一部の強い団結力は人民連帯と党のどちらに忠誠心をもつかという葛藤の原因となった。それは反抗ではなかったが、ドイツ民主共和国の歴史と社会についての異なった考察が必要であることを示唆している。人びとは人民連帯のなかで「ほんの少しだがのびのびできた」のである。

中間組織の現代的意味

 では旧来ドイツにも中間組織が活動を展開する余地はあったとする本章の結論は、より広い文脈で何を示唆しているといえるだろうか。この点をめぐって、他の論文とも関わらせるかたちで、社会国家の歴史と現在を中間組織という観点からどうとらえるかについて、一つのスケッチを提示して稿を閉じることにしよう。

 まず工業化以前の伝統的な社会にあって、中間組織はいわば社会(ここではひとまずその構成員の生存・生活保障の仕組と定義しておく)そのものであった。この中間組織の有したセーフティーネット機能は、工業化の進展にともない、しだいに弱体化してゆくが、十九世紀の?・‐ロッパにおいて中間組織は、工業化によって失われたかつての生活を取り戻すための抵抗主体として再び姿をあらわす。世紀転換期に、工業化がより高度化するとともに、生活の中心が農村から都市に移動し、工業化の果実が生活水準の上昇というかたちをとって労働者たちの手にも届き、新たな都市的な生活スタイルと人口転換がもたらした新たな家族形態(近代家族)が定着し始めると、こうしたかつての中間組織の機能は新たに強化される国民国家に取り込まれ、国家が社会のセーフティーネット機能をはたす社会国家化の動きが顕在化する。この時期の中間組織には、第四章が検討しているように、新たな社会国家化の動きに対抗するオルタナティヴ(対抗的選択肢)としての役割をはたすものもあらわれる。

 中間組織をめぐるこれらの動きと国家の社会的機能を強化する動きが錯綜するヴァイマル共和国時代を起点として進行したドイツにおける「社会国家性」の「三つの道」において、中間組織はまずナチスによる「強制的画一化」のなかで息を潜めることになるが、二十世紀後半の旧西ドイツの社会的市場経済体制においては、第五章で検討されているカリタスをはじめとする「民間社会福祉頂上団体」というかたちをとって、重要な制度補完機能をはたすこととなり、本章が検討したように、旧来ドイツの社会主義経済体制のもとにおいても一定の「自律的な」活動を展開した。そして一九七〇年代以降、グローバルな政治・経済秩序が変動するなかで、旧東西両ドイツにおいてもしだいに肥大化する国家のセーフティーネット機能が政治・経済に大きな負荷となる。そうしたなか、旧東ドイツの体制が崩壊し、再び「一つの国民」国家となったドイツでは、社会国家システムに組み込まれそれを補完する機能をはたしてきた中間組織の役割にも大きな変化がみられるょうになる。

 このドイツ統一後の新たな動きのなかで、本章が検討した人民連帯はみずから会員組織として存続する道を選択し、「民間社会福祉頂上団体」の一つであるドイツ非宗派福祉連盟の一員として、統一後の来ドイツ諸州における福祉事業の整備に大きな役割をはたした。こうした事実は、旧東ドイツ時代の人民連帯が、ドイツにおける福祉サービスの供給体制をめぐる歴史経路から完全には遮断されず、一定の中間組織的機能をはたしていたことを事後的に示唆しているものと解釈できる。しかし二十一世紀にはいって、ドイツにおいても国家の社会的機能の見直しが進み、他方で、放置することができない少子高齢社会化への対応が模索されるなかで、最初は社会民主党が中心となった政権のもとで「家族のための地域同盟」、のちにはキリスト教民主同盟が中心となった政権下でEU社会基金の援助を得た「多世代ハウス」への重点化というかたちをとって、従来の「民間社会福祉頂上団体」を中心にした福祉サービスの供給体制を、さまざまなアクターが連携し、地域ニーズに合致したサービスを市民の積極的な参加を得て提供する方向へ転換させる動きが展開されている。

 ドイツにおいてこれまでの中間組織のあり方の見直しが進むなかで、ドイツ統一の過程を生き延びた人民連帯は、旧来ドイツ時代の高齢者に対する社会的連帯活動の原点に立ち戻りつつ現代にフィットした新たな中間組織に脱皮する方向に進むか、統一後獲得した社会国家システム内の補完的機能をペースに経済的な収益性を高める方向に進むかの岐路に立たされている。この意味では、多世代(ウスと世代間連帯(具体的には子育てをする家族への支援と高齢者の社会参加おょび生活支援)という目的においては重なり合う面をもちながら、多世代ハウスとは一線を画している感のある人民連帯のこれからの動きは、ドイツにおける国家と家族ないし個人のあいだに位置する中間組織の行方、ひいては社会国家そのものの行方を見定める一つの有力な手がかりとなるであろう。

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死ぬ時の痛さを客観視

フランス革命とナポレオン帝政

 『世界史劇場』のナポレオンのなかに、フランス革命での人民への影響が出てこないのがおかしい。神野さんはカリスマが好きみたい。歴史を個人で行う傾向にある。フランスは革命で国民は変わったのです。国民国家になる前の共和制です。そして、共和制はナポレオンで帝政に変わった。カエサルのように。

死ぬ時の痛さを客観視

 10時くらいに足をつりました。大体、トイレに行くような時間になります。本当に居たいですね。死ぬときはもっと痛いのかなと思います。痛いと表現しても一緒だと分かっているのに。表現する相手はいないし、居ても同じです。

 死ぬ時も一緒です。外から死ぬ時の画面は描かないようにします。自分の内面だけです。そういう意味では、ターミナル(終末期)の最後の看護というのはおかしいですね。

新しいスーパーもお客に甘えている

 新しいスーパーのドミーが結婚式場があった所にできていた。覗いてみて、納豆だけを買いました。袋がありません。碌なもんじゃない。相変わらず、お客に甘えています。

共同体という作り事

 人は共同体という作り事を必要とする。個人の感情であるものを共同体の正義と言い換えれば、殺人も報復も正しいものになる。それが戦争を支える。共同体を自分のものと思い込む、根本的な勘違いから起きている。

 さすがに池田晶子です。その通りです。

 そもそも、戦争とは何なのか。なぜ、人は戦争をするのかということをどこまで深く見抜いていくのか。考えれば考えるほど、いろんなことが見えてくる。考えるのを辞められるはずである。

 平和が善で、戦争が悪だと思い込んでいるよりもはるかに賢い。
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池田晶子『14歳の君へ』の戦争

朝活で元町のスタバ

 土曜日の朝活で元町のスタバに来ています。これだけは寒さにめげずに守っています。今回は35冊のうち、20冊に絞ってやってきました。今週は、OCR対象が多くなりそうです。日曜日を潰すことになりそう。池田晶子『14歳の君へ』にしても、以前よりも関心が変わってきています。

分化と複数性

 「複数性」が書かれた本を読んでいるけど、中々、実体がつかめない。ハンナ・アーレント以来、気になっています。分化と複数性が私の中ではつながっているけど、世の中ではつながっていないみたいです。

人口減少

 人口の減少は副島よりも秋田の方が大きい。生駒は大丈夫かな。その次が高知です。龍馬の性でしょう。同率で青森で-4.7です。

池田晶子『14歳の君へ』の戦争

 今回のテーマの一つは「戦争」になっている。だけど、ひとつ前の戦争を引き合いに出すのか。あれは本当に戦争だったのか。国だったのか。そういう意味では明治からの結果としての太平洋戦争。あれは、戦争というものではない。一つの結論です。それに巻き込まれてしまった。

 こういう時に池田晶子に会うと、得られるものが多いです。「戦争」という前に国を考えよ。一体性がどこにあるのか。なぜ、一体にならないといけないのか。

共和制から帝政へ

 ブレヒトによると、カエサルが「新秩序」というカタチで、ローマを共和制から帝政に変えた。ナポレオンにしても、5人の共和制の筆頭という名目から帝政に変えていった。並び立つには忍耐が必要なんでしょうね。

「春ですね」メール

 3月ですね。春ですね。いかがお過ごしですか。これで「春ですね」メールです。くれぐれも、返答を期待しないことです。また、トラウマに陥るから。相手の感情に立ち入ることになる
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外食国際化 牛丼店における食事空間問題

『外食国際化のダイナミズム』より

食文化問題は食材や調理法、昧といった問題に留まらない。日本言取初に海外進出を果たした外食フランチャイズチェーン店は、▽几七四年にニューヨークに出店した「どきん子」ラーメンであったことは前章で述べた。その翌年の二月になると、今度は「吉野家」が米国のデンバーに出店する。ところが、この出店で「吉野家」はいきなり二つの大きな食文化問題の洗礼を受けている。

一つは、牛丼という米飯主体の丼というメニューそのものが、米国人(とくに白人)にはあまり受容されなかったことである。その要因としては、肉の脂身の多さが見た目のヘルシーさを感じさせなかったことや、そもそも米飯食の文化がなかったことなどが挙げられる。さまざまな努力にもかかわらず、客足は思うように増えていかなかった。この問題は、後述するように米飯食の文化を有するアジア系や中南米系住民が多いカリフォルニアに移転することや、チキン丼という新商品開発を行うこと、そして野菜の量を増やしてヘルシーな印象を与えるといった改良を加えることなどで克服している。

二つ目は、それとはまったく異なる種類の「食事空間問題」であった。食事空間問題とは、どのようなものだったのであろうか。ここでは、この問題に焦点をあてていきたい。

さて、吉野家と言えば、「うまい、やすい、はやい」というキャッチコピーを思い起こす人も多いのではなかろうか(とくに中高年の人は)。この三つのなかでも、「はやい」はファーストフード店である吉野家の基本コンセプトを示す象徴的な言葉となっている。ファーストフード店としてチェーン化を推し進めた一九六〇~一九七〇年代は、「はやい、うまい、やすい」の順番となっており、「はやい」が前面に押し出されていた。

この「はやい」を体現するものが、店舗の中央に置かれた白いカウンターであった。さっと席に着き、さっと出される丼を、さっと食べて、さっと出ていく、というファーストフード性を実現させる重要な装置がカウンターであった。もちろん、店員の動きもカウンターによって合理的でより迅速なものになった。吉野家にとっては、カウンターのある食事空間こそが業態コンセプトの根本とも言えるので、カウンターは絶対に外せない存在でもあった。

米国・デンバーの1号店でも、このカウンターは当然のごとく店の中央に置かれた。写真は、当時の店内である。日本のカジュアルな白いカウンターではなく、重厚な木目調の大きなカウンターが中央に据え付けられているのが分かる。

ところが、このカウンターは米国人客にとっては存在の意味が理解できないものであった。米国でカウンターがある飲食店と言えばバーかダイナーであるが、いずれもカウンターを隔てて内側の従業員と客とのコミュニケーションが成立している。ところが、吉野家のカウンター内には誰もいない。従業員は、厨房から運んできた丼をカウンターの内側から出すだけですぐに立ち去ってしまい、顧客の話し相手にはなってくれない。

また、カウンター席だと二人の場合は別として三人以上では話がしづらいということもあって、結局、米国の店ではカウンター席に座る客はほとんどなく、周囲にあるテーブル席に座る客が圧倒的であったとされている。要するに、カウンターは「意昧のないもの」として米国人には受容されなかったのである。

一九七九年になると、吉野家はデンバーからロサンゼルスに進出をしている。その理由は、先述のように牛丼という米飯メニューがアメリカ人(白人や黒人)の間でなかなか受け入れられなかったためで、米飯の食習慣がある人々、すなわちアジア系住民と中南米系住民(ヒスパニック)が多く住むカリフォルニア州に進出したのである。

この進出とともに店舗も大幅に改装された。それが、ここに掲載した写真である。まず目につくのは、カウンターが消えていることである。この店舗では、最初にレジカウンターで注文をしてお金を払い、そこで牛丼やドリンクを受け取って、それをトレイ(盆)に乗せて好きなテーブル席に着くという手順を取っている。これは「ウォークアップ方式」と呼ばれるものだが、マクドナルドの店と同じ造りにしたわけである。また、顧客自身が重い牛丼をトレイに乗せて歩くのは危険という配慮から、瀬戸物の丼を発泡スチロール製の軽いものに変更している。

こうして、吉野家は米国的なファーストフード店に変身を遂げた。まさに「食事空間」の大転換であった。これによって米国事業は軌道に乗るようになり、現在ではカリフォルニアで一〇〇店舗を超えるまでに成長している。

ところで、このカウンターは、一九八八年に二つ目の海外市場として進出した台湾でも文化摩擦を引き起こしている。やはり、顧客の評判がよくなかったのである。台湾の人たちは、食事は一人でとらないことが多い。むしろ、大人数の家族やグループで食事に出掛けることが多い。ところが、店のまん中にカウンターを置いてしまった吉野家に戸惑う来店客が多かったとされる。

みんなで大テーブルを囲んで賑やかに食事をする文化にとっては、カウンターのある店は佗びしい食事空間としか映らない。台湾には日本びいきの人が多く、吉野家の進出も牛丼も大歓迎されたのであるが、その食事空間は受容されなかった。結局、台湾でもカウンターは撤去されてしまっている。

その後の吉野家における海外店舗では、カウンターは一切設置されていない。現在、吉野家の海外店舗は一〇か国に約六五〇店存在しているが、世界中でカウンターが置かれている吉野家の店は日本にしかない。海外の吉野家を知る訪日観光客にとっては、カウンターのある日本の店内は驚きの食事空間かもしれない。

吉野家の国際化は、国境を越えると、食事空間の意味も変化することを教えてくれたと言える。これも食文化問題の一つなのである。
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内的宇宙の不思議の輪を巡る

『14歳の君へ』宇宙 ⇒ ここから存在についての思考がはじまる

なるほど、科学は、観察と実験によって、天体のさまざまな法則を見いだした。その意味では、それは答えになってはいる。しかし、なぜその天体はその法則なのかという問いには、科学は答えることはできない。いや誰にも絶対に答えることができない究極の問いとは、こうなんだ。「そもそも宇宙なんてものが存在するのはなぜなのか」

「宇宙が存在するのはなぜなのか」。これはまったくとんでもない問いじゃないか。答えが存在しない問いなんて、とんでもないことじゃないか。「宇宙はどうなっているのか」と問えば、科学はそれなりの答えを出すことができる。しかし、「宇宙が存在するのはどうしてなのか」なんて問いは、人間にはまったくどうしようもない。これは本当にとんでもないことじゃないか!

全然そんなふうに思いません、と言う君、なぜ存在しているのかわからない宇宙に、君が存在しているなんてことが、なぜとんでもないことじゃないんだ!

「宇宙はいったいどうなっているのか」という問いは、これだけでも十分にとんでもない。だけど、「どうなっているのかわからない宇宙は、どうして存在しているのか」という問いは、それ以上にとんでもない。

こういう問いはとんでもない、人間にはどうしようもないと気がついた人間は、苦しまぎれに「神」という答えを思いついた。宇宙は神様が創ったものだから、それが存在しているのも神様の意志だとする考えだ。一般的に、これが宗教というものの始まりだ。そういう答えがある方が、人間は安心するものだからだ。

しかし、科学が発達し、科学的知識を身につけた現代の人々には、こんな答えはとても信じることができない。宇宙のどこか外側にいて、宇宙を創った神様なんて、想像にしたって無理がある。それなら宇宙はビッグバンによって、ある時突然始まったとする方が、まだ納得できるというものだ。だけどやっぱり納得できないのが、この「ある時突然」というやつなんだ。

たとえば、こんなふうに考えてみよう。天体望遠鏡で、百億光年向こうの星の姿を君は見る。光の到達時間差から計算して、百億年前の星の姿を、今見ていると、科学は説明するわけだ。しかし、ここでおかしなことに気がつかないか。百億年前には、君は存在していなかったはずだ。それなら、自分が存在していない世界を、なぜ今見ることができるのだろう。これはすごくおかしなことじゃないか。だって、言ってみればそれは、両親が結婚して君が生まれる前の世界を、生まれていないはずの君が今見ているということなんだから。これはどう考えても変じゃないか。どうしてこんな変なことが可能なのだろう。

こういうおかしな事態について、科学は説明することができない。これは当然だ。なぜなら科学は、宇宙と自分というものを、あくまでも別物とすることで成立しているからだ。そうでなければ、それを対象として観察、実験することができないからだ。しかし、なおよく考えてみれば、自分と宇宙を別物にすることなんか、できるわけがない。宇宙を客観的に観察しているつもりの自分が、まさにその宇宙の中にいるのだからだ。

宇宙を知りたい、宇宙とは何かを考えたいと願う君は、本当は、それを考えている自分とは何かをこそ、考えなければならないんだ。「自分とは何か」、これはその意味で、宇宙の不思議に匹敵する問いなんだ。だって、百億年前の宇宙を今見ている自分は、百億年前にも存在していたのでなければおかしいよね。そう考えれば、「ある時突然」ビッグバンから宇宙の時間は始まったとする、科学的な時間の観念も、実はおかしなものだと気がつくだろう。だいいち、「ある時突然」なんて瞬間を、いったい誰が見ていたと言うんだい。

そう、見ていたのは、ひょっとしたら、君だ。君というのは、ひょっとしたら、宗教が信じている以上に神様みたいなものかもしれないよ。それなら、そういう君は、なんだって存在しているのだろう。

宇宙を知りたいと思い、宇宙へ出かけて行く宇宙飛行士は、だから、「自分」というものの不思議について気がついていないということだ。「自分」というのは、ここに存在しているこの肉体のことで、数十年の一生を終えれば、消えてなくなるものだと思っているんだ。

それはそれで間違いではない。人間の肉体は有限だ。人間は半分はそういう存在だ。だけど、もう半分では、宇宙の始まりや終わりを問う存在だ。「始まり」を問えば、「始まりの始まり」を問い、「終わり」を問えば、「終わりの終わり」を問うてしまう。だから宇宙には始まりも終わりも考えられない、そんなものはない、ゆえに宇宙は無限なんだと理解できる存在だ。

このことの意味することを、ゆっくり静かに味わってごらん。いいかい、有限のはずの自分が、無限ということを理解できるとは、どういうことだろう。この「無限」ということ、つまり限りがなくて先があり、その先がどうなっているのかを決して知ることができない存在、それがそういう存在だということを、今まさにこの自分が理解できるということは、これまたとんでもないことじゃないか。それは、この自分が今まさにそういう存在だからに他ならないじゃないか!。

どういうわけだか、いやこれは本当に不思議なことに、人間というのは、有限であると同時に、無限である存在だ。宇宙飛行士を含む多くの科学者は、このことに気がついていない。だから、宇宙を知るためには宇宙へ行けばいいと思うわけだが、人間が本当に知るべきなのは、外界より先に内界なんだ。外界を知るための考えなんだ。考えている自分を知るために内界へ向かって行けば、なんとそれは無限へ通じていたことに、君はたちまち気がつくだろう。内へ向かって、外へ抜けちゃうんだから、おかしなことだね。宇宙について考える人間の考えというのは、必ずこういう筋道をたどることになっている。外は内であり、内は外なんだ。おかしな構造だ。

「どうして?」となお問うて、「神様」と答えてもいいし、答えなくてもいい。そんなのはまあ好みだね。いずれにせよ人間に答えられることじゃない。だって、その神様について問うているのも、やっぱりこの考え、この「自分」だからだ。この堂々巡りを打ち切るために、とりあえずそれを答えにしておくというのぱ、賢い手かもしれないね。

さて、「ディスカバリー」の話から始まって、最後は内的宇宙の不思議の輪を巡ることになったけれども、どうだろう、君はまだ宇宙飛行士に憧れているかしら。たぶんそれはとても魅力的なことだけれど、「未知」「不思議」「わけがわからない」ということでは、内的宇宙の冒険の方が、はるかにすごいことだろう。なぜって、そのわけのわからなさとは、今自分がそれを生きているというまさにそのことだということを、今や君は知っているからだ。生きているということは、本当に、すごいことなんだよ。
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なぜ人は戦争するのかということについて

『14歳の君へ』戦争 ⇒ 答は池田晶子にあり

いいかい、それは、すべての戦争、どの時代どの場合でも必ず、人間によって行われるすべての戦争は、必ず集団によって行われているということだ。戦争とは、必ず集団による行為だということだ。集団と集団との間で行われる殺人や破壊や略奪という行為、それを戦争と呼ぶのであって、戦争がひとりの個人で行われるということは決してない。それが国家であれ、民族であれ、宗教的結束であれ、戦争とは、人間が集団になって初めて成立する行為だということだ。

では、集団とは、何だろう。たんに複数の人間が存在するということとは区別して、この場合の集団のことを「共同体」と呼んでみよう。共同体とは、たんなる複数の人間の集団のことではなくて、それを構成する人々が、何かひとつの考えを共有している集団のことだ。たとえば、君の通っている学校はひとつの共同体だ。それを構成する人々が、自分たちはひとつの学校という共同体を構成しているという考えを共有している。同じように、日本国というのも、共同体だ。それを構成する人々が、自分たちは日本国という共同体を構成しているという考えを共有している集団ということだ。

さて、ここでよく注意しておいてほしい。共同体というのは、そんなふうに、あくまでも人々の「考え」だということだ。そんなふうに考える人々の考えだということだ。考えの中以外のどこにも、共同体なんてものは、物のように存在してはいない。学校の建物は、あくまで・も学校の建物であって、学校そのものではないね。同じように、日本国というものも、目に見える世界のどこにも、存在しているものではない。なぜなら、日本の国土は日本の国土であって、日本そのものではないし、日本の政府も、日本の政府、政府を構成する人間たちのことであって、そこにも日本そのものは存在してぱいない。

では、日本そのもの、日本という国家はどこに存在するかというと、人々の考えの中に存在する。ある国土やある政府をもって日本国としようという、その考えの中にだけ、存在するものなんだ。考えの中にしか、存在していないものなんだ。

考えの中にしか存在しないのだから、それを「作り事」と呼んでもいい。共同体というものはすべて、人間の考えが作り出した作・り事だ。それに基づいて集団が結束すれば、生きてゆく上で都合がいいという、そのために作り出した作り事にすぎないんだ。決して目に見えるものとして世界のどこかに存在するような何かじゃない。

国家という共同体は考えの中の作り事にすぎないとしても、民族というのは作り事じゃない、血がつながっているということは現実の事実じゃないかと言う人もいるだろう。

それは確かにその通りだ。だけど、血がつながっているという事実によって、人々をひとつの集団に結束させようというのも、やはりそういう考えだ。民族共同体というのも、あくまでも考えによる作り事だ。血がつながっているから結束しやすいと思うのは、家族という共同体がそうであるのと同じことだ。家族ですら共同体、考えによる作り事だなんて、君にはなかなか思えないかもしれない。自分がある両親の子供として生まれたということは、完全な事実だからね。

だけど、ある両親の子供として生まれたところの、その自分とは、いったい誰なんだろう。そんなふうに考える習慣をもつといい。ある両親の子供であり、ある学校の生徒であり、日本国籍を所有する日本人である。さまざまな共同体に自分は所属している。しかし、そうであるところの、その自分とは、誰なのか。

ほとんどの人間は、ある共同体に所属するところの自分が、自分なのだと思っている。本当の自分とは誰なのかということを考えず、共同体のメンバーとしての自分が自分なのだと思い込んでいるんだ。わかりやすいし、安心だからね。そして、そう思いむことによって、共同体など、自分の考えの中の作り事だということを忘れてしまう。そうするとどうなるか、わかるだろう。作り事を現実と思い込んだ人間同十六共同体同士が、その利害や名誉を賭けて、争うことになる。共同体を自分だと思い込んでいるから、冷静でいられなくなるんだ。

具体的に考えてみよう。たとえば、日本がどこかの国に侮辱されたとする。君は腹が立つだろうか。どうして腹が立つだろうか。「日本人」が侮辱されても、君が侮辱されたわけじゃない。確かに君は日本人だ。でも日本人であるところの君そのものは、そうじゃない。だいいち、侮辱されたところの「日本」なんてそんなもの、いったいどこに存在しているんだろ。

有史以来戦争を繰り返してきた人間は、すべてこの勘違いを犯しているんだ。存在しないものを存在すると思う、作り事を現実だと思う勘違いだ。その根本にあるのが「私は○○人である」「私は○○国に所属する」という思い込みだ。なるほどそれは事実ではある。しかしそれは、生きてゆく上で、とりあえずそうしておこうという作り事だとわかっているなら、どうしてその作‐り事のために命を捨てたりするだろう。それでは話が逆じゃないか。頭の中のもののために殺し合うなんてばかげたことをするのは、生物の中でも人間だけだ。

いったん殺し合いが始まれば、憎悪が憎悪を呼ぶだろう。アメリカ人はイラク人を憎んでいる。だけど「アメリカ人」「イラク人」なんて、いったいどこに存在しているんだ?

試みに、「私は日本人である」「私は日本国に所属する」と言ってみるといい。そう言うだけで、当然、「日本人ではない人」「日本国に所属しない人」のことをも言っていることになると、気がつくだろう。自分を何者かであると規定するということは、同時に「自分以外の者」をも規定するということなんだ。

それだけのことなら、それだけのことだ。しかし、「自分」と「自分以外の者」というこの気持ちは、利害や名誉といった何かをきっかけとして、容易に「敵」と「味方」という対立へと変化する。それが個人と個人の間の対立なら、ただの喧嘩だ。しかし、その喧嘩が共同体規模へと拡大したのが、戦争というものだ。戦争とは、「自分たち」が「自分たち以外の者」を、「敵」として武力で排除しようとする集団的な心の動きだと言うこともできる。

しかし、共同体というのはあくまでも作り事だ。作り事を現実と思い込むところに戦争が起こるのだということを、これまで考えてきたのだったね。

でも、共同体は作り事でも、現実に肉親を殺された人の、その憎悪は現実ではないかと言う人もいるだろう。

まったくその通りだ。だからこそ、人は共同体という作り事を必要とするんだ。そういう個人の感情であるものを、共同体の正義だと言い換えれば、殺人も報復も、正しいものにすることができるからだ。個人では犯罪になることも、正しいことになるし、正義の名の下に、団結を固くすることもできる。共同体は戦争という行為を正しいものにしてくれるのだ。

しかし、戦争それ自体に正しいも間違っているもあったものだろうか。なぜなら、戦争というのは一律に、共同体を自分だと思い込む根本的な勘違いから起こるものだからだ。

戦争している国同士は、必ず、自分たちの国が正義で、相手の国が不正なのだと思っている。しかし、国なんて存在しないもの、各人の頭の中にしかない作り事の、正、不正を、どうやって判断することができるだろう。人間にできるのは、現実に存在する人間、現実に存在する個人が、その置かれた現実の中で、いかに正しく行為できるか、それだけなんだ。

たまたま君は、戦争していない国に生まれた。ということは、している国に生まれることもできたということだ。もしそうだったら、君はどう行為するだろう。それができる今のうちに、うんと考えておくといい。現実の戦争で、そう、肉親を殺されるか、自分が殺すか殺されるか。その時、君はどう行為するか。

戦争に反対すると、口で言うのは簡単だ。起こっている戦争に加担するのも簡単だ。難しいのは、そもそも戦争とは何なのか、なぜ人は戦争するのかということについて、どこまでも深く見抜いてゆくことだ。考えることだ。考えるほどに、いろんなことが見えてきて、君は考えるのをやめられなくなるはずだ。それで、いいんだ。それは、平和は善で、戦争は悪だと思い込んでいるよりも、はるかに賢いことなんだ。
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